最後の夏祭り
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 軽快なお囃子の音が鳴り響き、出店の売り子が大きな声をあげる。焼そばのソースや綿飴、その他諸々の美味しそうな匂いが辺りに漂う。いつもは暗い参拝道なのだが今日ばかりは提灯の明かりに照らされている。
 そんな中、人混みに紛れて一人の男が歩いている。浴衣姿なのは周囲の人と変わらないが、スーツケースを手にぶら下げていた。そして、その足取りはどことなく憂鬱気だ。男はふと立ち止まり右手の腕時計を見つめる。まだ、時間はあるな。と男は思った。
「よっ、六ちゃん久しぶり!こっち来てたの?」
 呼ばれた男は驚いて声のした方を向く。そこには懐かしい顔があった。男の顔が晴れる。
「土門か!懐かしいな。元気だったか?」
「あぁ、元気、元気。そっちこそ元気か?まだUFOなんか追っかけまわしてんじゃない?」
「そんな事もあったなぁ」
「そうそう、小さい頃ウチの寺ん中でUFOを呼び出すんだって二人で魔方陣を書いて。それで親父にこっぴどく怒られた」
「あの時の土門のお父さん本当に怖かったなぁ。そういえば土門は寺を継いだのか?」
「まぁ、一応。でももう檀家さんも少なくなってきちゃったしな。多分俺の代で廃業になると思う」
「そうか……そういえばこの祭も今年限りなんだっけ?」
「神社の行事としては残すらしいけど……こうやって出店やら何やらがあるのはこれで最後だろうな」
「寂しくなるな……」
 男がいきなりしゃがみこみ、頭を抱える。小さな嗚咽が口から漏れる。
「なんだよ、そんなに泣くことないじゃんか。幾つになっても六ちゃんの泣き虫は治ってないなぁ」
 土門が笑いながら背中を叩く。
「大丈夫か?」
「あ、あぁ。大丈夫。こっち、そろそろ用事があるから。また、後で」
「えっ、そうなの。まぁ、いいけどね。また今度ゆっくり話そうな!」
 立ち上がった男は早足で人混みを抜けていった。腕時計を確認する。もう、そろそろだろう。腕時計のネジを三回押す。
 男はその場から消え失せた。周囲の人間は殆ど誰も彼に注目していない。ただ一人の少女がそれを見て驚き、そしてその手の林檎飴を地面に落とした。
 その瞬間、大規模な現実改変が起き、日本列島は暗黒に消えた。山間の田舎町もそこにあった神社も夏祭りの出店も全て最初からなかったことにされた。ただその存在を覚えているのは、この世界を外より見つめる者だけであろう。

 白い壁に男が寄りかかっていた。打ち捨てられ、開いたスーツケースの中から白衣がはみ出ている。
「救えなかった……」
 男が声をあげて泣き始めた。そこへ白衣を着た老年の男が近づいてくる。その顔はどことなく男に似ている。
「別れは済ませてきたか?」
「はい」
 涙声で男が答える。その耳は赤く染まっていた。
「……泣くのはいい。だが、立ち止まるな。現にあの世界が滅んだことで幾つかの宇宙に影響が出始めている。これ以上失敗する訳にはいかないんだ」
「解っています」
 男がゆっくりと立ち上がる。老年の男が白いハンカチを彼に手渡した。
「涙で前が見えないだろうに。これで拭いた方がいい」
「……ありがとうございます」
「礼はいらない。君は私と同じ犀賀六巳なんだから」
 部屋の外へと消えていく並行世界の己を見ながら犀賀六巳は考えていた。自分も彼を救えなかった。限りなく自分だというのにも関わらず。今後彼は腕時計を手放せないだろう。手放してしまえば最後、現実性を失った体が虚空へ消えてしまう。それだけでも十分悲劇的だろうが、尚且つ彼には故郷が無い。今さっき無くなってしまった。それを受け止める辛さは理解できる。だが、より多くの人にそれを感じさせないことが出来るのもまた彼だけなのだ。勿論そこには救えない人だっているのだが。
「……君は誰を救うのだろうね。そして誰を犠牲にするのだろう」
 犀賀は一人、呟いた。

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