2039年7月12日、とあるアニマリーたちのデモ行進にて行われた橋本冬のスピーチ
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あー、聞こえているでしょうか。

今日は、このような素晴らしい集まりの中で話せる機会を頂けて、とても幸せです。僕はまだ高校も卒業していないような若輩者ですので少しだけ緊張していますが、是非最後まで聞いていただけると嬉しいです。

この場所に登壇すると、目線が高くなり皆さんの顔が良く見えますね。頭部から動物の耳や角が生えている人や、顔そのものが動物になっている人、そして、普通の人もこのデモに参加してくれているみたいですね。嬉しいです。この光景を見れただけでも参加した甲斐があります。

えー、皆さんからも僕の姿がよく見えているでしょう。僕も頭部が柴犬であり、腕や足にも犬の体毛が生えています。これは後天性なもので、1年前に近所で起こった異常能力者の暴走事件に巻き込まれた結果飼っていた犬のマルと融合したんですね。そうだ、少し気になったので聞かせてもらいますが、皆さんの中で僕と同じく後天性のアニマリーだという方はいますか?良ければ挙手をお願いします。

……半分より少し多いくらいでしょうか。ありがとうございます。思ったより多くて親近感と言うか、なんだか安心しました。話を戻しますが、人獣融合タイプの後天性アニマリーの辛いところは、融合した直後なんです。体の中でマルの内臓と僕の内臓が混ざり合う感触がして吐き気が止まらなくなるんです。あまり気持ちいい話ではないのでこれ以上の言及はやめておきますが、とにかく僕が日常生活に戻ることができるようになったのは、事件発生から半年が経った後でした。

先ほど僕は高校生であると言いましたが、もちろん学校が一人の生徒のために学業を停止して待ってくれるなんてことはなく、学校の授業はかなり進んでいました。これは僕にとってとても辛い事でした。昔から勉強が苦手だったので、なかなか追いつけないだろうと思ったからです。でも、それよりも辛いことがまだ僕を待ち受けていました。

久しぶりの登校の時、クラスメイトのみんなから心配されてるだろうな、とぼんやり考えながら学校まで歩いていました。比較的友達は多い方だったんですね。でも、教室に着くと嫌な空気を感じたんです。一歩教室に入った瞬間に、クラスメイトの駄弁りが止まり、一瞬だけ全ての視線が僕の方に向かって、また一瞬で全ての視線がすっと外れていたのです。妙な違和感に少し息苦しくなりながら机に座りました。そこでもまた嫌なものを見つけてしまいました。僕の机の周りだけ普通より広めに空間が広がっていたのです。ソレは遠くから見る分にはほぼ分からないような、絶妙な「隔離」でした。その時気づいたのです。ああ、自分は避けられているのだと。

皆さんはもちろん知っているでしょうが、2025年に異常性保持者保護法が改正され、動物特徴保持者も保護法の対象となりました。僕たちは人権を得たのです。今では小学校でも生活の時間に習いますよね。僕は小学校のころ人権というのは殺人罪や強盗罪のようにしっかりと形を持った強いものだと思っていました。しかし、現実はそう優しいものではありませんでした。僕は学校に通い始めてから少しずつ虐められるようになりました。すれ違いざまに軽く「臭い」と言われたり、教室内に僕がいるのに、アニマリーの悪口を大きな声で話したり。そう言った軽いものでした。だから我慢していたんです。ですが、いじめる人は相手の反応を喜ぶものなので、僕の反応は彼らにとって面白くないものだったのです。

ある日僕は学校の自転車置き場の陰へ彼らに連れていかれました。そして、はさみで引き裂いたような体操着を突き付けられ、「お前がやったんだろう」と問い詰められました。もちろん僕は知りません。やる意味も力も僕は持っていなかったからです。でも、その答えは彼らにとっての正解ではなかったのです。お腹を蹴られて、もう一度問われました。それでも否定をすると、耳を引っ張られました。そしてもう一度問われました。暴力と質問を数回繰り返した後、僕は耐えきれず「やった」という彼らにとっての「正答」を口に出しました。すると彼らは金銭の要求をしてきました。最初は紙幣1枚、そこから次第に増えていき、僕は学校に行くことができなくなりました。怖かったのです。人間だったころに笑いあっていた彼らの笑顔と全く違う、邪悪で汚い笑みを見るのが。

でも、僕にはその時心の支えとなっていた人がいました。それは、ある女の子でした。僕は獣人化する前から彼女と付き合っていました。帰るときも手をつないだり、夏祭りに一緒に行ったりと、それなりに楽しい日々を過ごしていました。でも、僕の姿が変わってから学校で話すことは無くなっていました。それは僕自身の行動のせいでした。彼女と話せば彼女がいじめられてしまう。ソレは僕にとって自分が傷つくより嫌なことでした。だから僕は彼女を無視していました。しかし彼女は僕の姿が変わっても優しかったのです。帰ってからメッセージアプリを使った会話はいつもやっていましたし、いじめられている僕を心配し、止められない自分自身が恥ずかしいと、甲斐甲斐しく励まし続けてくれていました。僕にはもったいないくらいいい人です。……今日は、僕にとっての決意の証を皆さんに見てほしいんです。

……残酷なものやグロいものが苦手な方はすみません。どうしても、伝えたかったのです。今僕の指でつまんでいる袋に入っているものはおもちゃでもゴム製でもない、人間の耳です。彼女の左耳です。

彼女は友達から隠れながら僕との交流を続けていたのですが、ある日彼女の友達にばれてしまい集団で、えー、暴行をされてしまったのです。現場には猫耳のカチューシャと裁縫ばさみ、おもちゃのしっぽに布団針、釣り糸など、学校内にある設備からツギハギで作った手術セットが落ちていたらしいです。首謀者は……えー、彼女に恋心を抱いていた同級生でした。彼の証言を引用します。

『俺の方が正しい人間であり人望もあるのに、あいつは俺を振った。そしてその上、あの糞みたいなヒトモドキの駄犬と楽しそうに交流をしていた。許せなかった。それならばあいつも同じようにヒトモドキになればいいと思った。衝動的だった。』

暴行現場の発見が早かったおかげか、彼女は左耳を裁縫ばさみで切られただけで他に外傷はなかったようです。無くなった耳も、彼女自身の軟骨形成細胞から培養された耳によって普通よりも聞こえづらいようですが移植治療が成功しています。しかし、初めて入院していた彼女を見た時、彼女の目には光が灯っていませんでした。口も息を吸うためだけに開いているようで、指の先まで生気が届いていないようでした。話しかけても一言だけしか返してくれません。彼女の外傷は現代の進歩した超技術でほぼ完全に完治しました。しかし、心の内に刻まれた傷はすぐには癒えてくれませんでした。

僕は、獣人です。顔が犬で、体に毛がいっぱい生えています。確かに普通の人とは違う見た目です。しかし、僕は走ることができます。ものを食べることができます。水の中を泳ぐことができます。こうして言葉をしゃべることができます。辛ければ涙も流します。心臓が動いています。息をしています。そして、愛という感情を抱いています。

僕は、人間と何が違うのでしょうか。僕が一度でも人に牙を立てたでしょうか?一度でも鋭利な爪で嫌がらせをしたでしょうか?理性を失い狼男のように人を貪ったりしたでしょうか?

皆さんにも聞きます。あなた方は、一度でも故意に人を傷つけたことがありますか?今回は挙手は必要ありません。胸の中で静かに自分に問うてみてください。

僕は今信じています。いつか彼女が僕に笑いかけてくれる日が来ることを。クラスメイトが僕に屈託のない笑顔を向けてくれることを。フードを被って隠れなくても外を堂々と歩ける日が来ることを。コンビニの店員さんから手渡しでお釣りを受け取れる日が来ることを。道を歩いている時に突然消臭剤をかけられることが無くなることを。

そして、全ての異常性保持による差別やいじめが無くなるときを。

先程伝えた僕の信じていることが、実は一つ実現したんです。今日、僕は彼女の病室でこのデモでスピーチをすることを伝えました。すると彼女がこちらを向いて「頑張ってね、冬くん」と呟いたのです。彼女の口角はわずかに上がっていました。彼女が笑顔を向けてくれたのです。ソレはより合わせた糸をほぐしたような繊細なものでしたが、笑顔に変わりはありません。

僕は今日、その日、その瞬間。大切なことを知りそれを信じることにしたのです。

今辛い境遇にいる人。いや、辛い境遇にあっている友人がいる人もいるでしょうね。とにかく、今このスピーチを聞いている皆さん。胸に手を置いて、静かに握ってください。そう、今僕がやっているようにです。できましたか?では、間もなくこのスピーチは終わりますが、僕が降壇するまでに僕が知り、信じ始めた言葉を静かに唱えて覚えてほしいのです。是非、拍手の代わりに皆さんの美しい願いの音が聞きたいのです。よろしくお願いします。では。

信じることは報われる。それがいかなる形でも、わずかだとしても。

ありがとうございました。3年F組、橋本冬でした。

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