今日は朝からずっと雨が降っていて、天気と同じように気分まで落ち込んでいってしまう。
傘を少し傾け、空の様子を伺う。
ぱらぱら、ぱらぱらと。
灰色の空からは、雨の音しかしない。
周りを歩く人々は皆同じように陰鬱で、暗然な表情をしていた。
暗い空が、どこまでも広がっている。
ぱらぱら、ぱらぱらと。
灰色の空からは、雨の音しかしない。
その時、自分のすぐ横を小さな傘を持った少女が追い抜いて行った。
その少女の足取りは軽やかで、周りと比べて不釣り合いなくらいに明るく、楽しげだった。
まるで、彼女の周りだけ晴れているかのようだった。
ぱらぱら、ぱらぱらと。
灰色の空からは、雨の音しかしない。
自分にもあんな頃があったのだろうか。純粋で、美しい心を持っていた頃が。
最近は何をしても、昔ほど感動しなくなった。
もしも。
この雨音で演奏が出来たのなら。それなら、こんな日でも少しは美しくなるだろうか?
信号が変わるのを待ちながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
ぱらぱら、ぱらぱらと。
灰色の空からは、雨の音しかしない。
信号が青に変わり、さっきまでの想像を捨てる。そんな事、ある訳がない。
ぱらぱら、ぱらぱらと。
灰色の空からは、雨の音しかしない。
雨音に混じって、誰かが曲を口ずさんでいるのが聞こえた。
それに気を取られ、ほんの少しだけ歩き出しが遅れた。
次の瞬間。
すぐ前にいた小さな背中が、いなくなった。
持ち手を失った傘が高く飛び上がり、地面に落ちた。
一瞬で、音が消えたかのように辺りが静まり返った。
「おい!大丈夫か!」
「救急車!早く救急車呼んで!」
誰かが叫び、世界に音が戻ってきた。それを合図に、その場にいた全員が雨の音すら聞こえない程に騒ぎ始めた。
自分は、何も出来ずに立ち竦んでいた。
もしも自分が、向かってくる車に気づけていたら。
真後ろにいたのに、何も出来なかった。
自責の念が次から次へと湧き上がってきた。
━━━━━━━━━━━━━それと同時に。
地面に落ちた傘から、ピアノの音色が聞こえてきた。少し乱れがちだったが、凄惨な事故現場を明るい演奏会に変えてしまうくらいに楽しげな、軽やかな音色だった。
まるで、この演奏を心から楽しんでいるかのようだった。
そんな事を言うなんて不謹慎だ。あの子は今、死にかけているんだ。
そんな事はわかっていた。けれどその音色は、そう言わずにはいられない程に━━━━━━━━━━━━━━
「………綺麗だ。」
遠くの方で、救急車のサイレンが鳴っている。
灰色の空から、あまりにも美しいピアノの音色が降っていた。