人類文化に関する簡単なエッセイ
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私のサイトを歩いていると、我々の保護する異常存在の幾つかについて、それらが如何に身近な存在であるか話しているのが耳に入ってくる。幼少期に聞いた物語を思い起こさせる、想像力を搔き立てる獣や生物であると。事実、財団の保護する異常存在には、人類の伝説・伝承に現れるような、社会に広く知られている生物や概念も少なくない。そうすると、次のような疑問が現れてくる。何故一般大衆はそのような生物の存在を知ることができるのか。それらは異常存在であり、世界の自然秩序に反するものであり、あらゆる手段を以て秘匿され、決して誰も知らぬものとされねばならないのではないか。財団は一般大衆の意識下よりこれらの存在に対する一切の知識を取り去る手段を有しているのに、何故それを行わないのであろうか。

Websterは「文化(culture)」を「特定の国家、民族、その他の社会集団における慣習、芸術、社会制度、業績。1」と定義する。文化は我々を人たらしめ、そしてそれは各人に固有のものである。文化はあなたが生きてきた経験に依っている。あなたの出自、成育の過程、人生で経験してきたことの全てが、あなた個人の文化とアイデンティティの形成を助け、ひいてはこれらの文化・アイデンティティがあなたを取り巻く人々の文化・アイデンティティを形成するのである。文化とは我々が人間として、相互に、或いは我々を取り巻く世界と如何に関わるのかについて、統一的理解を生み出すための手段である。文化は、我々の信条を、慣習を、理解を、その他の諸物を創造するのだ。

それで、これと異常に何の関係があるのであろうか。

今ひとたび書類を開いてみると、よく知る名や説明が目に入る。それらは、南アメリカのヤ=テ=ベオから中国の龍まで、世界各地の諸文化を象徴する生物である。事実としてこれらの幻獣のほとんどは、ある時点まで実在していたか、或いは今なお現実に存在している。事実に由来するものであるのに、なぜ一般大衆がこれらの物語を手にしたままなのであろうか。

文化は多面的なものである。諸生物が各個に、我々の文化における役割を果たしている。人間が初めてコミュニケーションというものを知って以来、彼らを取り巻く世界を基として物語を語り継いできたことは広く知られている。バリバリと鳴る雷は怒れる神であり、赤い目の獣は恐れるべきものである。これらの物語が理解を生み、内面化されるべき道徳・教訓譚となった。

幾度となく耳にした「なぜ我々は一般社会の記憶からこれらを取り除かないのか。」という疑問への答えは簡単である。そうしてしまえば、我々は人間としての重要な要素を根底から全く失ってしまうからだ。我々は我々を人間たらしめ、自己を取り巻く世界を理解する援けとなっている物語を損なうことになるだろう。我々の社会やアイデンティティーは、全くの別物となるはずだ。これらの物語は我々に畏怖の念を抱かせる役割を持っている。それが故に、人間らしさの意味が根底から変容することなく、これらを排する術はないのである。

それに、世界が少しでも摩訶不思議に感じられるのは、素敵なことではないだろうか。

~ファラン・キャラウェイ博士

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