春の陽光が差す北アルプスの山麓で、ある家族に写真撮影を頼まれた。ええ、いいですよと快諾しレンズ越しに彼らを覗く。八歳くらいの男の子はまだ元気そうだが、五歳くらいの女の子はもう退屈して疲れているようだった。こりゃ帰りはおんぶ確定かな、と自分が娘を育てていたころを思い返しながら苦笑いした。
が、当事者であろう父親もグローブで額の汗をぬぐう様子から見るに結構疲れていそうだ。休みの日を家族サービスに捧げた、って感じだな。それでも家族にバレないよう顔は笑っている。母親はともかく、子供達は彼のこの顔以外を知らないんだろうな。うーん、家族の時間は限られているのだから、私もあのころ自分に鞭を打って幸せな時間を作るために行動するべきだったんだなぁ。彼はその年でもう気づいているのだろう。その誠実な顔を真正面から見れば、同じ父としてその強い信念が伝わってくる。
そんなちょっとした尊敬を抱きながら、シャッターを切ってから、家族は登山を、自分は下山をするのですぐに別れた。遠くで聞こえるトビの声が、今日は特別晴れやかに聞こえる。いい気分だ、家族に何か買っていこう。
新しいバイトがやってきた。上京したての十九歳で、珍しくもない貧困の大学生だろう。ひょろっとした体つきだが、熱心に体を汚しながら作業を進めていく。ただ指示を聞くだけのロボット人間ではなく、自ら次にやるべきことを考えて行動している。既に軍手がかなり似合うぐらいには仕事にも馴染んだようだ。
どうだ、ここで働かないか、と誘ってみたが自分には夢があるので、といって丁重にお断りされた。大物になるぞ、と仲間同士で言い合ったが、誰も馬鹿にしていなかった。みなあいつの温柔でありながら、隠しきれないほどの熱量の籠った顔を信じた。きっと今だけではなく、日中俺たちが寝ているときもその顔を崩すことなく夢に向かって勉強しているんだろう。その瞳は目の前の物事を捉えているようで、その先の人生をしっかりと見据えている。未来を動力として、生きることに妥協しない。あいつの顔からは、熱意という単語だけに収まらないほどの想いが伝わってくる。
大きな勇気に感銘されて、俺たちは休憩を打ち切って夜に輝くおっつきさんの下で作業を再開した。別に新しい挑戦をする、という訳ではないけれども、自分の生き方を見つめ直してみようと思う。俺の生き方が誰かに伝播して、そいつの生き方がまた誰か伝播して、この国はもっとよくなる。そうなったらいい…うんにゃ、そうするんだ。
席替えで君の隣にしばらくいれるようだ。英語の時間とか、君か僕が消しゴムとかを転がした時にしか話せないんだろうけど、それでもいいんだ。君はゴルフ部で活躍していて、頭もよくて、クラスでも人気で、なにより可愛くて、そしてこんな僕にも優しくしてくれた。別に君と仲良くなってやろうとかその白い手袋をつけた手に触ってやろうという気は微塵もないんだけれども、ただ君の顔をちょっとでも長く見れるようになったのが凄く嬉しいんだ。どうみてもよくあるただの勘違いオタクだよなぁ、やっぱり。
まぁ、僕がオタクであろうが、絶世のイケメンでお金持ちだったとしても結局は変わらない。だって知ってるんだよ?君には彼氏がいるんだもん。忘れもしないよ、先月の21日、彼と一緒の君の帰路。学校から駅までは一直線だったから図らずとも僕はストーキングをすることになってしまった。夕日が照らす君の顔色はいつもより明るくて、そしていつもとは間違いなく違う輝きを持っていたんだ。これが愛の結晶ではなくなんなのだろう?君の輝きは駅に近づくほど強くなって、そして別れ際に君はどうしようもなく暗い顔をしたんだ。暗い顔なんて見たこともなかったから、僕は彼がひどいことをいったんじゃないか、って一瞬思ったけれども、それは違った。最後は君は笑顔になったんだ。そう、僕にとっての非日常である君のその顔は、君達2人にとって、別れ際に起こりうる哀愁という日常の一片でしかなかったわけだ。そこで僕の僅かながらの野望は自分の身を守るためにも打ち砕いた。僕には無理だ、ってね。
彼は、君の世界を彩ることができる。君とドラマチックで、素晴らしい日々を共有できる。そして、普段の君にはない顔を引き出すことができる。僕には全部できない。正直言って完敗だし、そもそも同じ土俵にすら立てていない。彼が君の彼氏で本当に良かったと思うんだ。嗚呼、僕は君の好きな人にしか見せることはない顔を一生見ることなく死んでいくんだろうね。
だから、僕が望める範囲で最高の幸せだよ。ありがとう、神様。
「対象を発見した。確保する。」
騒々しいショッピングモールのゲームセンターにヤツはいた。ご老体の方々は固い椅子に座り腰を曲げてメダルゲームに熱中していた。それ自体は異常ではない。現代において高齢者が限られた余生と僅かに余る年金をこれに浪費するのは別によく見る光景だ。異常なのはあの手袋をつけた白髪交じりの老婆だ。といっても危険性はない。現実改変者であればヤツか俺は今頃もう消えているだろう。
「すみません、お話を聞かせてください。ここではお店にご迷惑になりますので、外にまでついてきて頂けますか。」
ヤツは、細い目でメダルゲームを見つめていた。しかし垂れた瞼の奥には鋭い瞳孔がメダルの細かい動きを捉えている。たまに震えるそのしわくちゃの両手は加齢と酷使の証であり、言い換えれば今まで生きてきた長い時間を証明するものであった。警官に扮した俺が声をかけると反抗することもなく、店外に連れ出すことができた。しかし、間違えて一般人を連れてきたのかと思ったほどに、対象は今まで見てきたどんな人型よりも落ち着いた顔をしていた。もちろん多少の不安も感じれたが、それは逆にリアリティーを帯びていた。そしてメダルをバンクに戻していいですか、とまで言った。帰れる前提でこれからのことを考えている。本当に一般人として振舞っているのだ。いや、対象は自分のことを一般人だと思い込み、人としての道を歩いている。この顔と、そしてこれ以外の数多の顔でこれまでを生きてきたのだ。
付録████-JP
以下の内容の文がSCP-████-JPの右手の甲に刺青されていました。
おーっと!ワンダーテインメント博士の日本進出記念版コレクションのミスターを見つけたみたいだね!キミの"ミスター・かおだらけ"はいろんな顔をもっているんだ!会うたび変わるミスター・かおだらけと一緒に楽しい思い出を作っちゃおう!
01. ミスター・おやすみ(発売未定)
02. ミスター・かおだらけ
03. ミスター・ずぶずぶ
04. ミスター・くらやみ(発売未定)
05. ミスター・にんじゃ(発売未定)
06. ミズ・きみのだいじなひとを(発売未定)
07. ミスター・ひきさかれる(自主回収中)
08. [判別不能]
09. [判別不能]
10. [判別不能]*日本国内にて、ワンダーテインメント博士の正規製品の悪質な類似品が多数出回っているとの報告を受けています。お客様各位におかれましては、そのような製品に充分ご注意ください。
鏡を見せられていた。これが主人格の私なのかと問いかけられた。こんなことをされている理由を聞いたが、訳が分からない。…と言いたいけれどもそれが事実なのは右手の甲が物語っている。困惑する私を見た研究者は今までの「私」を教えてくれた。主人格の私は一家の大黒柱なのかもしれない。未来を夢見て努力する若者なのかもしれない。青春を生きる女子高生なのかもしれない。メダルゲームを心から楽しむ老人なのかもしれない。
考えれば考えるほどわからなくなって、嫌になってしまう。過去への嫌悪と絶望が私を包んでいく。それらは全て偽物で、嘘だったのか。虚構だったのか。ひどく冷たい汗が、頬を伝ってこぼれていく。無くなってしまったのか。最初から無かったのか。回想した事実は湧き上がるが、泡のように消えていく。無駄だったのか。意味なんてなかったのか。死んでいたも同然だったのか。全ての顔は貼り付けられたものだったのか。
誰が知っているのだろうか、私の顔を。私も知らない私の顔を。