廃村:58 - 継記"その背に続くのは誰か?"
アンソロジーハブ-JP » SCP漢字ドリル ハブ » 廃村:58 - 継記"その背に続くのは誰か?"
カノンハブ-JP » 共異廻歴 ハブ » 廃村:58 - 継記"その背に続くのは誰か?"

評価: +44+x
blank.png

空から鉤爪が降ってくる。

黄昏に全てが染まる頃合いだった。どこまでも長い一本の街道を、一人の少女が息を切らして走っている。その頭上で、ゆったりと一羽の鷲が空を舞っていた。遠目から見れば、のどかな光景に見えるかもしれない。だが少女の表情はひどく切迫したものだった。足を止めれば、隙を見せればすかさずその嘴と鉤爪が襲い来る。それを彼女は嫌というほど思い知らされているところだった。

人が制空権という概念を記憶からすらも手放して久しい今、空を速く駆ける覇者といえば猛禽類である。翼を畳んでの急降下は、速いものでは時速400 km近くまでに至るという。今の人類に、それを捉える手段はない。

走り続けていた少女が足をもつれさせ、地に膝をつく。顔を伏せたまま少女はそこから動かない。待っていましたと言わんばかりに翼が風を撃って、弾丸のような急降下が襲い掛かる。槍のように突き出された鉤爪が晒された首筋に食い込──もうというその瞬間、銀色の軌跡が鋭く弧を描いて閃いた。少女が抜いたナイフは空を切り、巨大なイヌワシは身を翻して空へと逃れゆく。それでも、まだ獲物を諦めるつもりはないらしい。一定の距離を置きながら、イヌワシはゆっくりとした旋回へと戻った。警戒しながらも、本当に力尽きる瞬間が来るのを待っているのだ。通常ではみられない執念深さ、体躯、ヒトを襲う習性。異類であることは間違いないが、まだそれがどういったものかはわからない。

舌打ちが一つ、地上に響く。渾身のカウンターを躱された少女は苛立ちを隠しきれない様子で忌々しそうに鳥影を睨み、それから手と膝についた砂埃を溜息交じりに払った。そうしてから己の手首、正確にはそこに巻き付いた一つの端末に視線を落とす。視線を受けた端末はちかちかと光り、声を発した。

「惜しかった。怪我はしていないな?」
「今のところはね。でも、このまま歩きつづけるのは無理だよ。あいつ、わかってるんだ。休む隙を与えずに追い回し続ければ日が暮れる前には餌にありつけるって。だからさ、やっぱりそこに行くしかないって。多少危険とはいえ──」
「イザヨイ」

端末は少女の声を遮るようにその名を呼んだ。少女は唇を尖らせて黙り込む。小柄な体躯、丈の余ったコート、雛鳥のように前髪を跳ねさせた色素の薄い髪。今の行動とあいまって、どうしたって幼い印象を与える風体。

「……そんなに私は頼りなく見える?」

沈黙に耐えかねてか、拗ねたような高い声。「これだから」と言いかけた言葉を消去して、端末は地図をその画面に表示させた。一つの三差路と、それを過ぎた所に光る現在地の表記。

「違う。そこに行くんなら通り過ぎていると言いたかったんだ。ほら、とっとと戻ろう」
「いいの!? その村に行って」
「そうするしかないと自分で言ったところじゃないか。それとも今になって怖気づいたのか?」
「そんな事ない! 戻るよ!」

少女は先行させていた馬をすぐさま口笛で呼び戻す。“気難し屋の端末”の気が変わらないようにと急いでいるのだろう、馬が追い付くのも待たずして来た道を駆け戻り始めた。今まさに捕食者に追われている最中には見えないような、どこか浮足立った動き。その手首で揺られながら端末は言葉を並べる。

「いいか。わかっているとは思うが、今一度言うぞ、イザヨイ。きみは探訪者じゃないんだ。何かを解き明かす必要はない。自分の身を守る事を第一に、そして積み荷を守る事を第二に考えるんだ」

なるべく説教臭くならないように、端末は「わかるな」と続けた。客観的に見れば心配しすぎなのだろう、という認識は自分でも有している。イザヨイが普通の子供ではないという事を、おそらく彼女自身よりも端末はよく知っている。

財団はかつて、保有する複数の異類を駆使して「完璧な人材」を量産しようと目論んでいたらしい。その試作品たちのはるか遠い末裔、それがイザヨイだ。時代を経て血は薄れている筈だが、それでも一目見た瞬間オリジナルの遠い記憶がその起源を叫んでいた。だから、集村で孤立気味だった彼女は同盟へと入る事になったのだ。

試作品の末裔といえど、財団が造り上げた存在である。完璧ではないにしても、強化された身体機能はイザヨイにも備わったものだ。だからこそ、急降下して襲い掛かる猛禽の攻撃を寸前で躱して反撃を試みるなんて事も出来るし、今だって荷物を積んだ馬と並走するような真似を続けていられるのだ。通常の子供はおろか、成人でも難しい事を彼女は軽々とこなしてみせる。

わかっている。彼女は並の人間よりよほど強い。それでも廃墟と化した村に彼女を行かせるのは、捕食者から逃れて休むためとはいえどやはり不安だった。その村が廃墟となった理由がそこにまだ居座っていないことを、そして居座っていたとしてもせめてそれがひどく凶悪な異類以外のなにかであることを、ただ願わずにはいられなかった。端末の演算機能は考えられる不安要素をひたすらに並べ続けている。捕食者の羽ばたきが頭上を牛耳っているあいだは、特に。

何故ならば。

「大丈夫だよ、テッド。私はファビアンさんみたいになろうとしないし、その必要もないんだってこと、ちゃんとわかってる。だからそんなに心配しなくてもいいよ」

その端末、テッドが主を喪った日の朝もこんな風に捕食者たちが空を舞っていたから。



◇◇◇



廃れた村へと向かうイザヨイの足取りは、率直に言うと浮ついたものであった。ようやく休めそうだから、というだけではない。ついに未知のルートを進むことができて、あまつさえ未知の異類と出会えるかもしれないのだ。勿論不安がないわけではなかったが、好奇心の方が圧倒的に大きい。

その村が見えて来た時には、日は随分と傾いていた。日没に間に合って良かった、というのがイザヨイの最初の感想だ。もう少しぐずぐずしていたら、きっと夜闇の中を彷徨う羽目になっていたに違いない。村の門は固く閉ざされていたが、村を囲う簡素な壁はところどころ崩れて破れている。馬が入れる程度の綻びを見つけるのに時間はかからなかった。

それでも、どう見ても正規ではない入り口から侵入するという事には少しばかりの後ろめたさがある。罪悪感というほど大層なものではないが、何となくいけない事をしているような感覚がつきまとって離れない。イザヨイは意味もなく背筋を丸めながら、むなしく虚空に狙いを定めている大弩の隣を通り過ぎて村へと入っていった。浮ついた足取りも、多少は重たくなろうというものだ。

夕闇に沈みゆく廃墟には、当然ながら人の気配はどこにもなかった。ただ荒廃が広がるばかりだ。ごろつきや盗人の類が何度も金目のものが残っていないか探し回ったのだろう。破壊と略奪が繰り返された痕跡がそこかしこに広がっている。村から人がいなくなった後に起きたものであってほしいとイザヨイは願わずにいられなかった。

「戦闘や抵抗の痕跡はないな。空き巣と見る方が妥当だろう」

イザヨイの胸中を見透かしたように、手首でテッドが告げる。

「そうだといいんだけど」
「ああ。それに、最後の略奪からもかなり日が経ったように見える。差し迫った危険はなさそうだ」

どこか安心させるような響き。危ないから気をつけろとか油断するなとか気を抜くなとか、そういった警告ばかりを小言のように並べるテッドがこう言うという事は、今の自分はよほど不安げに見えるのだろうか。そんなことを思いながら、村をざっと見て回る。探索を目的としていないのだから、まず探すべきは自分と馬が休める安全な場所だ。この村に逃げ込んだ経緯を考えれば、必須なのは破れていない壁と屋根である。そして、頑丈な建築といえども怪しげな物品が収められていそうなところは除外する。今いるのはどうやって滅んだかわからない村なのだ。

それでも、イザヨイは何か異類の痕跡を探してみたいという気持ちを抑えきることはできなかった。

テッドが指摘したとおり、イザヨイは探訪者ではない。今回の旅は決まりきったルートで物資を調達する、それだけのものだった。共同体としての『同盟』を維持するための活動。探訪でないなら協力する、というのが相方の探訪者を喪ったテッドの言い分で、そして旅に出るだけの体力があっても相方がいなかったのがイザヨイだった。いつもの調達、変わりのない取引、それがイザヨイの日々である。それでも環境は常に移り変わりゆくものだ。少し前に起きていた集村同士の諍いは、ルートの変更を余儀なくさせた。そして、ひとつルートを変えたらこれだ。異類かもしれないが人とは共存していなさそうな猛禽類に付け回され、廃墟となった村へと駆け込んでいる。

生きる者のいなくなった廃村に同盟が向ける関心はさほど強くない。リスクとリターンが釣り合っていないからだ。異類と人との共存を探るうえで、滅んだ以上成功例が見つかることはまず期待できない。共存のためには失敗例を知るべきだという考え方も当然ありはするのだが、滅んだ経緯をその結果だけから推測するのは困難だ。加えて滅ぼした要因がまだそこに残っているかもしれない上に、集村を滅ぼしうるのは決して異類だけではない。リスクがつりあうという勘定はまず降りないのだ。だからこそ、その廃村は同盟に認知されながらも手つかずのまま残っていたのである。

自分の足でも寄れる程度の場所にある廃村。何かがあるかもなんて期待はきっと実らないし、探訪者でもない自分がそんな期待を持つべきでもない。イザヨイだってそんなことはわかっている。わかっていても、こんな緊急事態のなかでは、少しばかりの夢想を許してほしいと思った。もしもここで異類を見つけ出す事が出来たなら、ファビアンのような、テッドと組むに足る探訪者として認めてもらえるのではないか。もしも自分がその危険に耐えうるだけの強さを有していると認めてもらえれば、テッドもまた共に探訪に出てくれるのではないか、という夢想を。

「あの家とか、悪くないんじゃないか。……イザヨイ?」
「あ、うん」

テッドの声に我に返って、イザヨイは目の前の家屋を改めて見上げる。どこも破れていない家屋を見つけるのはさほど難しくはなかった。むしろ難しいのは、何も奇妙なものがない家だ。どういうわけか、この村には奇妙な人工物がそこかしこに転がっている。異類というほどの異様さは漂っていないが、あまり見ない造りのものばかりだ。統一感があるわけでもなく、多種多様な創意工夫の残骸という印象だった。発明家の集団でもいたんじゃないのかというのがテッドの推測である。

そしてその創意工夫の痕跡こそが、頑丈な家を見つけるのに困らなかった理由でもあった。あちらこちらには独創的な補強がなされていたからである。結局イザヨイは、その中では一番おとなしい補強がなされた家を選んだ。近くの他の村でも似たものを見たことがあったからいくばくか信頼できると思ったのだ。もっとも、他の村で見たもののほうが洗練されていたように見えたが。ここにあるものはどれも手探りで造っているという印象がある。他の村にあったものを見様見真似で造ったのかもしれないな、とイザヨイは思った。

馬を繋いで、荷物を下ろす。一夜を明かす目途がついて、イザヨイは大きく四肢を伸ばして敷布の上に横になった。ここまでずっと狙われながら走り通しだったのだ。その緊張が解けて、思ったよりも蓄積していた疲れが出たらしい。一瞬で意識が飛びそうになる。あるいは、本当に飛んでいたのかもしれない。

「おい。イザヨイ。起きろ。このまま気絶して夜中に空腹で目を覚ますつもりか? 朝まで飢え続けになるぞ」

けたたましい電子音の連打に、重い瞼を持ち上げる。

「一瞬くらい休憩させてよぅ……」
「きみにとっては一瞬かもしれないが、20分は経過しているぞ」
「えっほんと」

重力を振り切るように身を起こす。少しは休まっているはずだが、却って疲れたような気がしないでもない。

「休まった気がしないんだけど」
「アドレナリン切れだな。ある意味では正常な状態に戻ったとも言える」

特に反論も思いつかなかったので、イザヨイは黙って旅糧を荷物から取り出した。実際のところ、何も食べずに床で倒れていたところで体が休まる筈はない。朝になればこの相棒を言いくるめてでもこの村のことを調べたいイザヨイとしては、今は言うことを聞く以外の選択肢はなかった。

幸いなことにこの家には かまどが残っていて、火を使っても大丈夫そうだ。イザヨイは転がっていた家具の残骸から使えそうな木材をありがたく調達して薪とした。長く燃やし続ける訳ではないから、必要最低限の量だ。焚きつけになりそうなものを探してみれば、干からびたスターチスの花が飾られていた。イザヨイはそれを一本だけ有難く拝借する。火打石を鋼に叩きつけて火花を飛ばせば、空気を含む小さな花の塊は簡単に煙を上げて燃え始めた。

何度も見てきたように、組んだ薪の下に火をつけた焚きつけを差し入れる。空気が乾いていたおかげだろう、少しすれば暗がりの中に赤々とした火が灯ってぱちぱちと爆ぜる音が響き始めた。準備しておいた鍋を火にかけて、イザヨイはひとつ息をつく。焚火を見ると落ち着くのは古来からの人間の習性だという。少々出自が独特なイザヨイとて、それは例外ではなかった。

「この村をきみはどう思った」

鍋が煮えるのを待ちながらぼうっと火を見つめていると、出し抜けにテッドが問いかけてきた。質問の意図を掴みかねて首を傾けていると、「少しはここを見て回ったわけだ。何か所感は得られたか」と言葉を重ねられる。イザヨイは首をひねってここまでの事を思い起こす。テッドは何を言っていたっけ。

「まず、変わった仕掛けがいっぱいあった。村人がてんでばらばらに作っているもの。異類ではなさそうだけど……発明家集団、だっけ」
「それは私が言ったことだな。他には?」

ばっさりと切り捨てられ、唇を尖らせて考え込む。しばらくもごもごとやっているとテッドが呆れたように助け舟を出した。

「まあ、あるものとしてはそんな所かもしれない。なかったものはどうだ」
「えーっと……人がいないね」
「廃村だからな。他の廃墟と比べてみて、特徴は感じられたか?」
「争った形跡も、なかった」
「よく覚えていたな。後は、取り立てて大規模な破壊の痕跡なども見られなかった。異類による直接的な破壊の線は薄そうだ」

淡々と並べられたテッドの言葉に、探訪は既に始まっていたのだとイザヨイは気づく。テッドから見れば今更なのだろう、という事にも。そしてイザヨイが今言った事は、全て既にテッドが指摘したことだ。こみ上げる焦りに奥歯を噛みしめて、それでも言葉を絞り出す。

「あとは……統一感がなくて、それで……作ったものがあまり大事にされてる印象はなかったな。壊れた後に同じものを作るという感じでもないし、ぼろぼろだし。……ぼろぼろなのは、ここが廃村だからかもしれないけど……」

イザヨイの言葉はだんだん勢いを失って尻すぼみに消えていった。テッドは短く「そうだな」と返す。

「テッドはどう思ったの」
「劣化は経年のものもあるだろうが、そうだな。確かに同型機というものがない。そして長年使われていたというようにも見えなかった。使い込まれた時間よりも放置されていた時間の方が長いとみるのが妥当だろう」
「……そうだね」

イザヨイの手首から見ていただけなのに、それだけの事を見て取っていたのか。同じかそれ以上のものを見ていたはずの自分は何も気づかなかったというのに。自分も何か意味のあることを言わなくてはと思うのに、何も思いつかない。そうして黙り込んでいると、不意に「煮えてるぞ」と告げられた。思い出したように腹が空腹を訴えて、イザヨイは急いで鍋を火からおろす。煮えているのは簡素な雑炊だ。息を吹きかけて冷ましながらイザヨイは無心にそれを口に運んだ。さほど味がいいわけでもないのだが、暖かい食事が取れるというだけでも有難く思うべき局面である。

吹き抜ける風の寒々しさに、何で自分はこんな所でこんな事をしているのだろう、と思いそうになる。それを振り払うようにして、イザヨイは具の少ない雑炊を掻き込み続けた。

「おそらくは人の行動に影響を及ぼすんだろうな」
「何が?」
「この村に異類がいるとすればの話だよ。そりゃあ、単なる一人のカリスマがいただけの話かもしれないがな。それは調べてみない事にはわからない」
「……いいの? 調べても」

イザヨイは手の動きを止めて問い返した。少しして、テッドは答える。

「まあ、悪い方の異類であったとしても即座に異常な執着を植え付けてくるわけではなさそうだからな。見に行くくらいはしてもいいんじゃないか。どこから見ればいいかはわかるな?」
「うん。……あの教会だよね」

この村のほぼ中心、入ればどこからでも見える場所には堅牢な教会が建っていた。他の家屋同様に荒れ果ててはいるが、それでも教会であったと一目見てわかる程度にはその輪郭を留めている。村人がいたころにコミュニティの中心になるとすればそこだろう。そして、何か奉られるような存在を置くとすれば。自分達もそれはわかっていたから、一晩の宿にすることを避けて後回しにしたのだ。その程度のことならばイザヨイにだってわかる。

「まあ、行くとしたら朝だな。今日はもう食べ終わったら寝てしまえ」
「うん。そうするよ」

ほとんど空になっていた器をさらって片づける。寝る支度をして薪を崩してしまえば、あっという間に暗闇が残ってきた。手元をテッドに照らしてもらいながら砂をかけて最後の火を消し止める。万全を期すなら水でもかけるべきだが、水も乾いた薪も貴重なものだ。テッドが火の番をしてくれるなら残しておくに越したことはない。イザヨイが使わずとも、後から他の誰かがここに逃げ込むかもしれないのだから。

もそもそと寝袋に潜り込むと、思い出したようにテッドが言った。

「もしも怖いのなら、明日すぐにここを発っても問題は──」
「いや、行くよ。勿論、行くに決まってる」

言葉を遮るようにしてイザヨイは答える。半ば意地であったかもしれない。

「そうか。なら、また明日。おやすみ」
「うん。おやすみなさい」

横たわったまま答えて目を閉じる。疲れていたから眠りに落ちるのはあっという間で、イザヨイは夢の一つすらも見なかった。



◇◇◇



多少の失意を抱いて夜を迎えたとしても、ひと眠りして朝を迎えてしまえば少しは気分も軽くなるというものだ。幸いなことに、イザヨイは漠然と沈んだ気分を一晩持ち越せるほど複雑な性格をしていなかった。

朝日の気配に瞼を持ち上げて、のそのそと寝床を這い出る。身支度を整えて馬に食事をとらせて、その合間にイザヨイは破れた窓から空を見上げた。夜は明けたが、空は雲に閉ざされていてさほど明るくはない。垂れこめた雲を衝くように、廃教会の尖塔が険しく聳え立っている。これからそこに乗り込むのだ、とイザヨイは深呼吸を重ねた。不思議と恐怖はなく、ただ緊迫感だけがあった。

行くよ、と短く声をかけて、教会の門に手をかける。鍵はかかっておらず、ただ錆という形に積み上がった年月だけが障害だった。全力で体重をかけて押し込むと、重々しく耳障りな音をたてて細い隙間が出来る。口を開いた空洞に身体を滑り込ませれば、扉の内側は朝だと言うのに寒々しく薄暗かった。灯りをつけようとするテッドを制して、イザヨイは目を閉じて感覚を研ぎ澄ませた。

人を含めた獣の気配はどこにもない。そこかしこに張り巡らされた蜘蛛の巣の向こうに小さな気配が蠢いているが、その程度だ。廃墟に虫はつきものである。逆に言えば、彼らがこぞって逃げ出す──あるいは死滅する──ような存在は此処にはないという事だ。

埃っぽい空気がかすかに頬を撫でていく。空気の流れがわずかにあるのだ。深く吸い込んでみれば、少しばかり外で嗅いだ草の匂いが混じっていた。少なくとも一か所、どこかで壁が破れているのだろう。扉が開かなくなっても閉じ込められる心配は少し減ったという訳だ。

閉じていた眼をゆっくりと開く。暗闇にも目が慣れて来ていて、内装のほどが明らかになる。ここを訪れた野盗は、教会だからと加減するような敬虔さは持ち合わせていなかったらしい。これまで回ってきた家屋とそう変わらない荒廃が広がっていた。イザヨイはテッドに問いかける。

「このぶんだと、もしかすると異類も持ち去られてるかもしれない。痕跡から正体を洗い出すってことも出来るものなの?」
「見てみない事にはなんとも。そっちでも気づいた事があれば教えてくれ」
「わかった。進むよ」

床板を踏み抜かないように慎重に歩を進めて、奥にある扉をさらに押し開く。その先に広がっているのは礼拝堂のようだった。長椅子の残骸が並ぶ先には元講壇とおぼしきスペースがある。何もかもが持ち去られた後の空洞には嵌め殺しの窓から一筋の陽光が射し込んで、それだけが静謐な神聖さの名残だった。その光に照らされて、暗闇のなかにぼんやりと浮かび上がるものがある。

赤備えの甲冑と一条の槍。西洋式の教会には不釣り合いなはずの存在が、光の中で祀られている。それがこの村の異類なのだろうという事は一目で理解できた。あまりに異様で、そして馴染んでいる。

「……あれ、だよね。何なのかは、わかる?」
「ある程度は絞りこめたが確証が持てない。注意を払って話しかけてみてくれ」

緊張した面持ちで頷いて、イザヨイは数歩進み出た。自分にとっては初めて見る異類。初めての、未知との遭遇だ。

「こんにちは」と声を張ってみる。何も応答はない。さらに進み出て、ゆっくりと手を伸ばす。「あなたは何?」と問いかけてみる。やっぱり何も起こらない。面頬についた土埃を指先が拭って、イザヨイが触れた跡を残す。

何も起こらない。

少しだけ大胆になって、兜をそっと持ち上げてみる。眼のところに空いた空洞を恐る恐る覗き込むが、何の気配も感じられない。人間一人ぶんの狭い暗闇が収まっているだけだ。拍子抜けするくらい、そこにあるのはただの古い甲冑だった。

「何も起きる気配がないよ、テッド」
「そうだな……」
「どうする? というか、検討はついてたりするの?」
「一応はな。データベースにあるもので一番外見が近いのはあるのだが」

一番槍を称揚する武者。目の前にある崩れかけた甲冑は、それが着ていたものによく似ているらしい。周囲の人間の心のありようによって末端を喪失したりしていたというから、村が滅ぶ過程で中身が消え失せてしまったのかもしれない、とテッドは語った。

「……そっか。じゃあ、ここには何も居ないんだ」
「試せることはまだ残ってるぞ。上手く行けば、どう滅びたかはそいつから聞き出せるかもしれない。見込みは低いがな」
「いいよ、やれることはやってみよう。何をしたらいいの?」

テッドは短く「一番槍になることだ」と答えた。

「はい?」

「その異類の前で先陣を切るものが現れた時に調子を取り戻した記録がある。もしかしたら、誰もやった事がない行為をしてみれば、こいつは戻って来るかもしれない」
「誰もやった事がない行為……」

小さく呟いて、目の前の赤い鎧と向き直る。この鎧は今まで何を見てきて、何を見て来なかったのか。まあ、試せばわかることだ。やれる事をやってみよう。

廃れた教会、誰も動く事のない空間。どこまでも静謐な空気の中で、彼女の初めての"探訪"が始まった。



◇◇◇



一時間後。

「イザヨイ、そろそろ止めよう。見ているこっちが居た堪れなくなってきた」
「一人でコントやって地獄みたいになったあたりで止めて欲しかったよ……」
「すまない、一人二役でどこまで行けるのか興味が湧いてしまったんだ」

荒れた床に座り込んでイザヨイは大きく息をついた。巨大な鷲に追われながら走り通しだった昨日のほうがはるかに肉体負荷は高かった筈なのに、それ以上に疲れた気がする。歌ったり踊ったりをはじめ、思いついたことをずっとやり続けていたのだ。何一つ反応を示さない鎧に向かって奇行に及び続けるというのは、イザヨイにとってはなかなかにつらい経験だった。他の探訪者もこういうことを潜り抜けて来たのだろうか。それとも、他の人なら──たとえばファビアンならこんなところで手を煩わせることもなく切り抜けていたのだろうか。

「これだけやって何の反応もないということは、きっと異常性を喪失したのだろうな」
「そういう事もあるの?」
「人より長いといえど寿命がないわけじゃない。そういう異類も少なくはないんだ」
「そっか……」

もう一つの可能性──すなわち、イザヨイが今やった奇行の全ては既にやりつくされた事であって「一番槍」などではなかったかもしれないということ──については、テッドもイザヨイも口にはしなかった。これまでの経緯を知らない自分が思いつけることなんて、既に誰かが思いついている可能性が高い。その事にはイザヨイも薄々途中から気づいていた。それでも、それを確かめる術なんて今の自分達にはないのだ。鎧は動かないという事実だけが、イザヨイたちに判る全てである。

「テッド。これからどうしたらいいかな」
「日が高くなる前に撤収しよう。次の村はおそらくあの鳥の縄張りの外だろうから、その後は普通に帰れる。この異類の事だって、後から何か調べる事も出来るかもしれない」
「そっか」
「なに、気落ちすることはない。歴戦の探訪者だって外れを引くことの方が多いんだ」
「わかってるよ……」

慰められたところで、他の探訪者もそうだと理解したところで、徒労感が消える訳ではない。それに、ここを出れば待っているのはあの執念深い捕食者である。気落ちしない要素なんてどこにもない。せめてあの鳥への対策が打てないものか。そう考えて、ふと思いつく。

「ねえテッド」
「どうした」
「異常性がもうないんならさ。これ、借りていけないかな。首を守れた方がいいと思うんだけど」
「この兜を被るということか?」
「うん」
「そうだな……まあ、いいんじゃないか。持ち出した先で何か聞けるかもしれない」

しばらくの演算を経てテッドが出た答えに、イザヨイは息をつく。そうして、彼女は甲冑の兜にそろそろと手を伸ばし、そっと外した。何事もなく、呆気ない音を立てて兜が外れる。

首を失った甲冑と、胴を失った兜。煤けたそれらは最初に見た時に比べると随分と小さく汚れたものであるように見えた。自分はこれが動くと信じて一時間も奮闘したのか、という気分になる。そして、それでもまだこれを着ることで動くのではないかという望みが自分の中に残っていることも、イザヨイは自覚せずにはいられなかった。

本当に何もないと確かめるのを先延ばしにしたくて、イザヨイは伸ばした袖で兜の内側を拭う。あらかた汚れを拭き終えて、ようやくイザヨイは意を決して兜を被った。

その兜はイザヨイの頭よりも大きかった。視界が覆われて、外の音も遠くなる。外界との間に隔たりが出来て、隔絶されたような感覚。何もない、静かな暗闇。

そう、何もなかった。鎧を被ってなお、何もなかったのだ。そうなることは事前に予測はついていた。ついていたはずだけれども、落胆は拭えない。眼を閉じて、溜息を一つ呑み込む。そうして、未練を発つようにイザヨイは講壇に背を向けて歩き出した。

「……ごめんね。借りていきます」
「そうだな。借りていくぞ」

小さな呟きに呼応して、テッドもそう答えた。かつて村の中心にあった異類をただの防具として扱うという事には、何かしら思う所があるのだろう。そう思いながら第二歩を踏み出した矢先、

「一番槍!!!??」

耳元で大音声が鳴り響き、驚いたイザヨイは咄嗟に兜を全力で投げ、そして高々と投げられた兜の角は教会の屋根に深々と突き刺さった。

「見事なり! 喜べ、娘よ。そなたは、この世で最初に我が甲冑を纏うてこの場を連れ出そうとした者、すなわち一番槍である!」

異様な光景であった。甲冑の頭部が、その角を天井付近の梁に深く突き刺したまま高らかに叫んでいる。それを見上げるイザヨイとその手にいるテッドは、呆気にとられて立ち尽くしていた。沈黙の中で、鎧はさらにその大声を廃教会に響かせ続ける。

「付け加えるならば、この身を投擲したのもそなたが初めてである! いやはや、見事な腕力であった!」

甲冑の朗々とした大声だけが響き渡る。それに答える声はない。答えたとしても、きっと届かないだろうという確信があった。

「褒美を遣わそう……と言いたいのだが。儂としても頭部のみが切り離されている状態というのは落ち着かないし、そなたらにとってもそうであろう。それに、距離も遠い。すまぬが、我が頭をここから下ろしてはもらえないか?」

教会の天井とはえてして高いものだ。それはこの廃村においても例外ではなく、その高さは優に10 mを超えている。

どうやってその高さに突き刺さった兜を回収するか、それが目下最大の問題であった。



◇◇◇



「ふむ、惜しいな! 気を落とすでないぞ、挑戦とはいつでも偉大なものなのだからな!」

投げ上げた石が放物線を描いて落ちてくる。その頂点は目標の兜には遠く届かない。石を投げて兜にぶつけようというイザヨイの試みは、うまくいっているとは言い難かった。

「届かないものだな。先ほど刺さったのだから同じ高さまで行けるかと思ったのだが」
「さっきは狙いをつけずに全力でぶん投げちゃったからね……」

言葉を交わすテッドとイザヨイの遥か頭上では、突き刺さった異類の頭が励ましの言葉を投げかけてくれている。天井に突き刺した挙句石を投げつけるという中々の無礼を働いているが、それについては気にしていないらしい。

「このぶんだと投げてても届かなさそうだね。やっぱりよじ登って近づいてみるしかないんじゃないかな」
「いつ崩れるかわからん足場だぞ。どうにかしてもうちょっと勢いをつけたりはできないのか?」
「今でも全力だからなあ……そうだ、あの門の前にあったアレを撃ったら届くかも」
「屋内で兵器は流石にまずいんじゃないか」

落ちてきた石を拾い上げ、手の中で弄びながら考える。このまま放置して帰る訳にもいくまい。投げてしまったのは自分なのだ。まったく、どうして自分の怪力はこういう時にだけ余計なことをしてしまうのだろう。それでいて、やってしまった事をもとに戻すのは出来ないと来た。まったく気が滅入る。

「だが、この村で誰かが似たような事をもっと穏便にやっているかもしれない。ちょっとあの兜に聞いてもらえるか?」

「この村に小規模な射出道具はないのか」という意味の言葉を、テッドに教わった通りに大声で復唱する。基本的にテッドが通訳と会話をしているが、イザヨイの声のほうがよく通るのだ。投石紐を使っていた者がいたが持ち出されてしまった、というのが甲冑の答えだった。

「スリングか。ダビデがゴリアテを殺した時の武具だな?」
「いかにもその通りである!」

イザヨイには何もわからなかったが、テッドにはそれで充分であったらしい。持ち出されているのなら仕方ないと肩を落とすイザヨイに、テッドは「難しい造りじゃない」と答えた。どういう訳か、妙に乗り気になっている。

「え、作るってこと? ここで?」
「ああ。要するに、振り回して加速するための紐と石を保持するソケットがあればいいんだ。私のデータベースにも前例はある。やるぞ」
「わあ……」

廃屋を巡って麻紐と革を拝借する。野盗たちが不気味に思ってか手を付けなかった機構の残骸があちこちに残っていたのは幸いだった。滅んだ理由がわからない村の異物を警戒するのは同盟の探訪者だけではないという事だ。イザヨイはテッドの表示した図面通りに革を切り抜いて紐を結び付けた。誰かが既に引いた図に従うだけの作業だから、さほど難しいことでもない。テッドが言った通り簡単な造りで、10分もしないうちにイザヨイは投石紐を完成させて振り回していた。

麻紐の中央に据えられた革のソケットのくぼみに石を乗せ、ゆらゆらと紐を揺らして安定性を確かめる。そうしてから紐の両端を握ってそれを回転させ、速度を上げていく。振り回された石が風を切る音が高くなったところでそれから紐の片端を手放せば、飛び出した石は真っ直ぐに上に向かって飛んでいった。天井の梁を叩く鈍い音がして、イザヨイの足元には石が落ちてくる。

「素晴らしい! 右にあと一尺といったところだが、実に申し分ない速度だ!」
「飛ぶものだな。この村のものを拝借するのはいいアイデアだったな、イザヨイ」

頭上から手元から、兜とテッドの歓声が口々に上がる。自分が天井に突き刺した兜から褒められるのはさておき、この口うるさい相棒が素直に褒めてくれるのは中々悪い気はしない。イザヨイは元気よく頷いて、もう一度石を拾い直す。投石紐が風を切る音が再び心地よく響きはじめる。

手を離すタイミングをテッドが観測し、実際の着弾地点は兜が教えてくれる。適切なフィードバックを得たイザヨイの上達は速かった。元々身体の制御能力はトップクラスである。程なくして、放たれた石が兜を撃ち抜いた。

硬質な澄んだ音が教会中に響き渡った。空洞の金属は楽器のようにその内側で音を共鳴させて、その音に驚いた野鳥たちが屋根の向こうで一斉に飛び立つ気配がする。お見事、という声が頭上からも手元からもあがった。澄んだ響きの余韻が宙に消えていくのを、イザヨイはどこかすがすがしい気持ちで見上げながら聞いていた。

とはいえ、当初の目的は兜に石をぶつける事ではなく、屋根から取り外す事である。

「イザヨイ殿。言いにくいのだが、下から石をぶつけられたが故に、前より深く刺さってしもうた。やはりどうにかして外しに来て貰えぬだろうか?」
「あちゃあ」

おずおずと声をかけられ、イザヨイは床に転がって天を仰いだ。

「気を落とすな。最初の試行錯誤とはそんなものだ」

テッドのかけた声も、今は空しく響くだけだ。



◇◇◇



「いやはや、助かった! 礼を言うぞ!」
「めちゃくちゃ疲れた……」

結局壁をよじ登ってどうにか回収した兜を甲冑の首の上に戻すと、甲冑は即座に全身を動かして恭しく礼をして見せた。確かに甲冑のためにあれこれ苦労したのは事実だが、そもそも勝手に兜を取り上げた挙句天井に突き刺したのはイザヨイの過失である。丁重にされると逆にいたたまれない。

「先程の一番槍の栄誉もあわせて褒美を遣わしたい所だが、生憎見ての通り手持ちがなくてな。何かしてほしい事はあるか?」
「じゃあ、良ければ教えて欲しい。あなたは何者なのか。この村でどうしていたのか。そして、この村はどのように廃墟になったのか」
「それでそなたが満足するのならば、何なりと問うがよい。……ああ、こう答えるのは二度目だな」

単刀直入なイザヨイの問いに、甲冑は笑って答える。さほど意外でもないが、この問いをした者が既にいたのか。

「二番目だとまずい?」
「いや、今となってはそう思わんな。さて、最初の誰何から答えようか。我が名は 穂先一番守初宣ほさかいちばんのかみはつのぶなり。侍である」

甲冑改め穂先一番守初宣が語った内容は概ね概ね事前にテッドが言っていた内容と一緒だった。一番槍を称揚する武者。聞いていたよりは少し「一番」への拘りが薄れているようだが、その程度だ。イザヨイの目の前で喋っているのは、古のデータベースに記された存在そのものだった。

「どうやってこの村に?」
「実を言うと、あまり覚えておらんのだ。戦禍のさなかはほぼ意識がなくてな」

秩序が壊れて恐怖が蔓延する中で、彼はその影響を受けてほとんど動けなくなっていた。動けなくなり、声を失い、そして鎧の中にあった「侍の魂」も消えて空洞になり、もはや多少頑丈な鎧でしかなくなっていたのだという。要するに先ほどまでの状態だな、と彼は言った。意識もない状態では何も認識できないから、どれくらいそうしていたのかはわからない。ただ、気付けば積み上がる瓦礫の中から自分を取り出した者がいて、その者は先陣を切って未知の廃墟に踏み込んで自分を見つけたのだと解った。だから、己が何のために在ったのかを思い出して「一番槍」と叫んだのだという。それが彼の再起であり復活であった。

「嬉しかったのだよ。人はまだ先に進んでいたという事が。知らぬ領域に踏み込み、道を切り拓かんとする者を再びこの目で見られた事がな」

だから、彼はことさらにその発見者にして先駆者を称揚した。発見者は喋る甲冑にたいそう驚いたが、その甲冑が過去の知識を蓄えていることに気付き、己が住む村へと持ち帰って丁重に祀った。穂先一番守初宣はその村で先駆者となる者を讃え続けた。

確かに、村は活気づいた。少なくとも最初は、村は豊かになっていたのだ。昨日と同じ日々を繰り返す事に終始していた村人たちは、競って新しい事に挑むようになった。前例がないからと諦めていたアイデアを我先に実現させようと動き始めた。あらゆる画期的なアイデアが試されるようになった。

「村のあちらこちらに転がっていた機構はそういう理由だな」
「いかにも。あらゆる試作品が造られた。最初はそうやって栄えたのだ」

テッドの指摘に彼は頷く。しかしその口ぶりはあまり誇らしげではなかった。村の荒廃を、そしてテッドの指摘を思い出す。イザヨイはおそるおそる口を開いた。

「でも、それらはあんまり使われなかったんだね?」
「いかにも。……いつの間にか、目的は何かを便利にする事ではなく、第一人者となる事にすげ変わっていたのだ」

彼の語った経緯は、イザヨイにも覚えのあることだった。他の誰もがやっていない事をやるという事を目的に据えれば、人はどんどんと奇抜な方向に傾いていく。既に何が試されたのかを知らなければ猶更だ。そして、それらの行動は皮肉にも互いに似通ったものになっていく。先程まで鎧を目覚めさせようと四苦八苦して奇行に走っていたイザヨイには身につまされるほどその過程と心情がよくわかった。ただ第一人者になろうとしていれば、「誰もやったことがないことをする」を目的として動いていれば、蓄積されていたアイデアはあっという間に使い果たされてしまう。第一人者になることだけを目的に据えて動き続けられるほど、村の土壌は豊かでも広くもなかったのだ。自嘲の滲む声で彼は呟く。

「気づかなんだ。切り拓かれた道とて、征く者がなくては寂しいだけだとな」
「だが、それだけで村が滅びる訳ではないだろう? ……何が起きたのか、聞いても構わないか?」

かける言葉をイザヨイが探しているうちに、テッドが問いかける。お前のせいだけではないだろうという意味のこもった問いかけに、甲冑の籠手が上を指差した。具体的には天井の向こう、空を舞う存在を。

「あの鳥だ。あれが滅びの決定打であった」

初宣曰く、あの鳥はいつしかこの村に訪れ、教会によりつき、そして村の外で孤立して作業する者を攫って食い殺すようになった。むろん村の者だって何もせずに喰われていた訳ではない。さまざまな対策が考えられ、試された。しかし結局のところ、防衛とは持続と保守の連続である。その村は既に、高度な防衛をずっと維持できる状態ではなくなっていたのだ。

「夏のある日、村を出て南へと旅立つと宣言した者がいた。あの鳥は南からやってきた。ならば、その対処を知る者が南に在るかもしれないから、とな」

それは初めての試みであったから、もちろん彼はそれを称揚し褒め称えた。村人たちは彼の帰りを待ったが、夏が冬になってもその者はまだ戻らなかった。その間にも犠牲は出続けた。

「翌年の夏、今度は家族を連れて北へ旅立つという者たちが現れた。あの鳥がいない場所、移り住める村を探して」

それもまた初めての試みであったから、彼はその旅路を祝福した。移り住む先でもまた道を切り拓けるように。

村が辿る道筋はその時決まったのだろう。あらゆる者が散り散りに、まだ誰も行ったことのない方角へと旅立った。その先に行き着く結末がうっすらと見えてきても、彼は旅立ちを寿ぎ続けた。それ以外の言葉を彼は持っていなかったから。

最初に北へと旅立った一族が戻ってきて「移り住める村が見つかった。自分たちを受け入れてくれるそうだ」と意気揚々と叫んだ時には、村に残っていたのは細々とした共同生活を維持できる最低限の人数くらいしかいなかった。これ以上ここにしがみついている訳にはいかないという事は誰の目にも明らかだったから、最後の村人たちは一斉に旅立った。物言わぬ甲冑をひとつと、それに向ける醒めた視線だけを残して。

「そうして儂は人の絶えた村で眠りについた。そなたが訪れるまでずっとな」

そう締めくくって、彼はそれ以上何も語らなかった。村が廃墟になった顛末は全て語り終えたという事だろう。そうか。だからこの村には争った形跡がなかったのだ。ものものしくて珍しい防御装置は使えずとも牽制の役割を果たす。だから、村人がいなくなるまで、この村は「持ちこたえた」のだろう。そうして誰もが去ってから夜盗が訪れるようになった。荒れ果てても争った形跡がないのはそういう理由だ。

村の顛末については納得したが、イザヨイには二つ、問いたい事があった。一つはもちろんあの人を喰らう鳥についてのことだ。村人や彼にとって重要な情報でなくとも、テッドならその意味を読み解けるものがあるかもしれない。そして、もう一つ。イザヨイは、問いかけずにはいられないことがあった。

「……その。一緒に連れて行ってとは言わなかったの?」
「ああ。大勢が移動するとなれば忙しいからそんな暇はなかったし、儂としても彼等と共に出ていきたいとは思わなんだ。行ったとて、同じことを繰り返してしまわんとも限らない。儂は第一歩を称揚する為の存在だからな、それが繰り返しを選んでしまっては本末転倒というものであろう」
「それでよかったの? 寂しくはなかったの?」
「おい、イザヨイ」

不躾にもなりうるイザヨイの質問に、諫めるようにテッドが声を上げる。意に介した風でもなく、初宣は低く笑い声をあげた。

「構わんよ。確かに全く寂しくないと言えば嘘になろうが、ここに残った事を後悔はしとらんのだ。おかげでそなたのような者に相見える事も出来たのだからな」
「……」
「それに、儂のような者からすれば、人との別れなどそう珍しいものでもない。……テッド殿、お主もそうなのだろう? 人の腕を渡ってきたとお見受けするが」
「そうだな。前の主は死んで、私は副葬品となることを拒んだ。そうして今は彼女と共に旅をしている。……そう珍しい事ではないんだよ、イザヨイ」

そうだ。それはイザヨイもわかっている。人と器物がそう長い時間を共にする事は難しい。イザヨイは同盟の外のことを殆ど知らないが、その彼女ですら相棒の死を経験した端末の例を他にも知っている。ポールスターという端末がいま共に旅をしている探訪者のシリウスは、ポールスターにとっては亡くなった相棒の息子だ。死した探訪者の形見と旅をしているのはイザヨイだけではないし、共にあった人間を喪ってもまだ人とあり続けるのはテッドだけではない。

黙り込むイザヨイをよそに、人ならざる器物たちは語らいを続けている。
 
「儂には人と共に葬られるという発想はなかった。貴殿は装身具の姿をしている故にそのようなことも出来るのだな」
「私も提案されるまで思い至らなかった事ではあるがな。だが、そうだ。私はやろうと思えば永い眠りに就く事も出来たさ」
「だが、選ばなかったのだな」
「ああ。彼はそれを望まなかったし、私にも私の矜持というものがある」
「そうか。……そうだな」

テッドの持ち主は、テッドが土の下に眠る事を望まなかった。彼は最後の力で相棒を日の当たるところに置いた。彼がそれを願ったから、テッドは同盟に在り続ける事を、旅を続けることを選んだのだという。初宣はそれで深く納得したらしい。だから、納得していないのは生きているイザヨイだけだった。それでも何も言葉が出てこなくて、イザヨイは俯いて拳を握るしかできない。何が悲しくて何が納得できないのかは自分でもよくわからなかった。ただ、承服できないという感情だけが喉の奥で言葉にならずに渦巻いている。何も言えずにいるイザヨイの肩を、籠手が柔らかく叩いた。

「君は優しいのだな。だが、そう肩を落とさんでくれ。全ては遠く過ぎ去った事だ。それに、ここに残ったからこそ君達と話が出来た。先陣を切ってこの地を訪れる者がある事を知ったし、それに同じ器物と言葉を交わす事すら成しえたのだ。何を悔やむ事があろうか」
「でも私達が出ていったらまた一人になっちゃうんだよ!?」

叫んだ自分の声は思ったよりも上ずっていて、自分が思ったよりも冷静ではいられなくなっている事に気づく。テッドも初宣も落ち着いたものだ。彼らはとっくに自分の中で結論を出しているのだろう。イザヨイだけが納得できない。他人事でしかないとわかっているのに、かつていた村で異端として孤立していた幼い頃の自分の記憶が、彼らの孤独を受け入れたくないと叫ばせている。

「いずれは別の誰かが訪れるであろう。そうでなくても、別に皆死に絶えた訳ではないのだ。どこかで生きているし、何かは受け継がれてもいるのだろう。それを信じていまだ見えぬ者、そしていずれ来る者を待つ日々というのはそう悪くない」
「……」
「まあ、彼らが今どうしているか全くわからんのは少々歯がゆくはあるがな。私を恨んでいるかもしれぬし……まあ、息災であるのなら別に構わないのだが」

諭すような声色の中に、少しばかりの不安が滲む。それでも、構わないのだと彼は言い切って見せた。だからイザヨイが納得できないのは、自分の中にある蟠りが原因だ。たぶん、自分は彼に一人きりになってほしくないのだろう。自分が勝手に感傷的になっているだけに過ぎなくて、そして今のイザヨイには現状をどうする事も出来ない。それだけは確かなことだ。半ば悪あがきのように言葉を探すイザヨイの手元で、ふとテッドが声を上げた。

「ハツノブ。彼らは散り散りになったと言ったな」
「然り」
「移住先にはこれらの村があるか?」

すらすらとテッドはこれまでにイザヨイが交易で訪れた村の名前を挙げていく。知らない名前が混じっているのは、別の呼び方かもしれない。複数の呼ばれ方をしていたり、昔は別の名前で呼ばれていた村というのも珍しくない。

「おお、おお。確かにその村の名を聞いた。そうか、滅んではおらんのだな」
「ああ。……何なら、そうだな。イザヨイ、教えてやれ。ここに来る前に何を見て来たか。君も気づいていただろう」
「えっ? ……あっ!」

促されて、交易先の村で見たものを、そして今朝も目にしたものを思い出す。屋根の補強構造だ。そうだ、それで自分たちは夜を明かす家を選んだのだった。最も頑丈で、そしてその構造は見た事のあるもの、すなわち「得体の知れない謎の物体」ではないものを。そうだ。他の村で見たものの方が洗練されていたから、自分たちは「見よう見まねで真似したのかもしれない」と考えていた。逆だ。こちらにあるものが先で、試作品だった。彼らは移住先で、かつて考案し試作したものを完成させて広めていたのだ。

「初宣さん! この村にある発明品、向こうの村でもちゃんと使われてたよ! 完成品になって、多くの人に!」

思い返してみれば、この村には他の村で見た機構の原型が多くある。あれらはここで生まれたのだ。ここで生み出された機構が持ち出され、方々で育まれ、芽吹いている。彼が示したものは、確かに彼らの中に根付いていたのだ。そして、それらが生み出した恩恵は同盟にも届いている。だからこそ自分たちはこの地域を交易先として選んでいるのだ。

イザヨイは自分が知る限り、あるいは思い出せる限りの外の村で見てきたものを並べ立てた。イザヨイの記憶力はかなり高い。その全てを並べ終える頃には、初宣は面をその籠手で覆って肩を震わせていた。

「そうか…そうか。良かった。私のしてきたことは、何も生まなかった訳ではないのだな」
「勿論だよ。だから私たちはここに来たんだよ。ここで作られた工具で作られたものを買って、誰かの拓いた道を辿って」
「ありがとう。……知ることが出来て、本当に良かった」

そう言って、初宣はしばらく顔を覆っていた。イザヨイたちは黙ってそれを見つめる。ステンドグラス越しの色づいた光が静かに降り注いでいた。



◇◇◇



少しして、話題を戻したのはテッドだった。事務的にすら聞こえる淡々とした調子が、場の空気を引き戻す。

「さて、現在の話をしよう。我々の頭上に飛び交うあの鳥だ。せめてあれの正体を知らなくてはどうにもならない」
「さっきの投石器で何とかならない?」
「相手は異類だ、動く的に当てるには君といえども相応の訓練期間が要るだろう。相手は異類なのだから。……初宣、あれについてどれほど知っている? あれはこの村に住み着いている訳ではないのか?」

初宣は顎に手を当てて考え込み、ゆっくりと答える。

「この村に巣を作っている訳ではなかった。あれは村の外で眠り、そして定期的に……そうだな、定期的にこの教会に訪れる。そうして、その帰りに孤立した人間を襲っていたのだ」
「ふむ。……その鳥が来るようになったのは、この教会が教会として使われなくなった後だったりはしないか?」
「そうとも言えようが……この建造物は、私が来たときには既にもう宗教施設としては使われてはおらんかったぞ」
「そうなのか? 結構時間差が大きいな」
「テッド、心当たりがあるの?」
「候補はある」

放棄された宗教施設に定期的に滞在する習性を持ち、ヒトを捕食するイヌワシに似た大きな鳥。テッドのデータベースに載っているものの中で、一番近そうなものはそれだという。他にも特徴的な行動はあるのだが、そちらは巣の近くでしか行われないから確かめようはない。初宣もかつての村人たちも、その鳥が村を離れた所でどうしているかなど知りようもない。

「ここを見つけるまでに時間がかかったんじゃない?」
「そうかもしれないが……」
「どうしたらやっつけられる?」
「仕留めるのは難しい。宗教上の儀礼等が再開された場合は、戻ってこないらしいがな。それと司祭などは襲わずに逃げ出すらしいぞ」
「今から司祭になるのは無理だね……」
「ならば宗教儀式のほうだな。何がそれにあたるのか、今となっては見当もつかないが」

自然とイザヨイの視線は甲冑のほうに向けられる。村でこの施設が使われているのを見たことがあるのは彼しかいないのだ。少しして小さく「鐘楼」という声が上がった。

「しょうろう?」
「ああ。時を報せるのに、あるいは合図として、かつてはそこの鐘を鳴らしていたのだ。その時はみな、手をとめてそれを聞き入るのが習わしだった。いつだったかの地震で鐘楼へ至る階段が壊れて以来、時を告げるのには別のものを使うようになっていったのだが……。そうだ。あの鳥が来たのは、鐘の音が途絶えてからだった」
「……じゃあ!」
「その鐘を鳴らせば、あいつは飛び去って戻ってこないかもしれないという事だな。……仮にそれが宗教儀礼として見做されなくても、村に響き渡るだけの音を拠点の間近から打ち鳴らされれば、多少の恐怖は覚えるかもしれない」

テッドの言葉で、屋根に刺さった兜に石を放った時の事を思い出す。あの時も響き渡る衝突音の向こうで鳥が飛び立つ羽音がしていた。それと同じことをより大きい規模でやるのだ。一時的な恐怖であっても、自分たちが安全にこの場を立ち去るには十分だろう。不確実かもしれないが、やってみない理由はどこにもない。イザヨイは頬を叩き、立ち上がった。

「それじゃあ、これまではどうやって鳴らしていたのか見てみようか」

教会の内側には階段が殆ど残っていないことはもう、兜を回収しようとした時に確認している。外側を見に行くほかに手段は残っていない。

教会の扉を開けば、乾いた空気と少しばかり傾きはじめた陽光がイザヨイたちを出迎える。教会の中にいたのは数時間程度であったはずだが、随分と久々に太陽の光を見るような気がした。もっとも、後ろにいる初宣からすれば何年振りなのか数えることも出来ないほどに久々なのだが。目元に手をかざして空を見ている彼にイザヨイは尋ねる。

「大丈夫? 眩しくない?」
「いや……問題はないぞ。さあ、行こうぞ」

高くを見上げるには距離を置く必要がある。イザヨイたちが教会から離れて見上げてみれば、問題の異類が教会の屋根で羽を繕っていた。イヌワシはイザヨイたちをちらりと一瞥し、また羽繕いに戻る。どうせいつかはこちらに背を向けて出ていかなくてはならないのだから、その道中に襲撃をかければよいという腹積もりだろう。

イザヨイはつとめてそれを無視して、初宣の籠手が指さす先に意識を向けた。そこにそびえる鐘楼の中には、確かに大きな鐘とそれを衝く撞木が収められているのが見えた。イザヨイの視力は人と比べてかなり良い。見えたものを伝えれば、テッドが少し意外そうに声をあげた。

「棒で衝くのか。教会というよりは寺のものに似ているな」
「ああ、一度壊れてしもうてな。余所から貰って来たのだ。不都合あるだろうか?」
「いいや、むしろ都合はいい。そうだろう、イザヨイ?」
「うん。……狙いがつけやすいからね」

イザヨイは小さく笑みを浮かべて答える。自分が何をなすべきかも、自分に何が出来るかも、自分でもうわかっている。そうなれば後はやるだけだ。



◇◇◇



その機構は、この地域に限らず方々で見かけたことのあるものだった。同盟にだっていくつか、敵襲があった時のために置かれている。この村で最初に開発された訳ではないのだろう。きっと、前の文明が滅ぶよりもはるか前からあった機構だ。文明が幾度途絶えようとも、人はそこにたどり着き、さらなる改良を目指すのだろう。初宣によって「最初の第一歩」へと駆り立てられたこの村の民がその例外であるはずがなかった。

飛び道具の性能とはいつだって戦力に、ひいては人の生存戦略に直結するものだ。

イザヨイは駆け、その機構のもとにたどり着く。青銅で出来た曲線と直線。弓のようにも銃のようにも見える無骨なそれは、照準を村の外に合わせたままひっそりと土埃を被って佇んでいる。鎧をも撃ち抜くその威力を、その名をイザヨイはよく知っている。

「……初宣さん! このクロスボウ、まだ使える!?」
いしゆみで撞木を撃つつもりなのか!?」
「うん。このサイズで、ここの人たちが改良したんだもの。届くでしょ?」
「いや、そうだが。壊れてはおらんようだから、錆さえ落とせば動くだろう。……だが、本当にそんなことを?」

その村で開発された武器の一つは、据え置き型のクロスボウだった。バリスタとも呼ばれるそれは、勿論村の外に向けて据えられたものだ。間違っても村に向けるために作られたものではないし、勿論教会に向けて撃つ事なんて誰も考えなかっただろう。困惑した声を上げている初宣に、テッドが笑い声を漏らした。

「前例がない事は突拍子もなく聞こえるものだ。だが、さきがけというのはそういうものだと君はよく知っているのではなかったか?」
「……ああ、そうとも。矢は足元に備えられているはずだ。だが、気を付けるのだぞ」
「もちろん!」

あちこちに巣食う錆を落とし、倉庫の片隅に転がっていた機械油をさしていく。何一つ目新しいところのない、地道でありふれた作業だ。それでもイザヨイは満足感を覚えていた。

「ねえ、テッド。最初にクロスボウを思いついて作ったのってどんな人だったんだろう」
「わからないな。私のデータベースでは紀元前5世紀の中国には既に使用されていたとあるが、どのような者だったのかまでは何とも。それに」
「記録に残っていないだけで、それより前に誰かがいたかもしれない?」
「ああ。発案から投入までには時間がかかるからな」

誰かが思いつき、誰かが作り、誰かがそれを戦場へと持ち込んだ。その後にも多くの改良があったはずだし、その前にも多くの発明があったはずだ。クロスボウの前には弓がある。その弓もまた、誰か最初に思いついた人間がいるはずなのだ。連綿と続く第一人者の道のりの果てに自分が立っている。

「いろんな一番乗りがいたんだね。このクロスボウひとつをとっても」
「そうだな。そして君もそのうちの一人だ」
「ファビアンさんもそう? 何かのはじめてだった?」
「ああ。あれほど異類の視点に立とうとするやつは初めて見たな。……今となっては、そう珍しくもないが」

エナ、シリウス、スタンチーク。イザヨイが知っているだけでも、同盟には新しい探訪者が増えている。そうなれば、彼がはじめた事もまた引き継がれて「普通」になってゆくのだろう。イザヨイは手を止めないままに呟く。

「ファビアンさんみたいな探訪者になりたいって思ってたんだよ。ずっと。だから、その背を追わなきゃって思ってた」
「ああ」
「今思うと、ファビアンさんも誰かの後に続こうとしてたのかもね。ある意味では、みんなリーダーとエキシディの真似なのかもしれないけど。……それとも、リーダーの前には、誰かいたのかな。流石にそれはない?」
「……」

自分の手元からなんとも形容しがたい電子音がして、イザヨイは覗き込んだ。言葉でもなければ通知音でもない。何かを迷っているような、あるいは長い溜息のような音。

「テッド?」
「ああ。私たちのようなものを相棒と呼んで行動を共にしていた者は、リーダーよりもはるか前にいたよ。リーダーが……あるいは我らが祖、君たちがエキシディと呼ぶかれがその事を知っていたかはわからないがな」
「知らなくても、同じところにたどり着くこともあるんだね」

テッドは小さく笑うような音を鳴らす。

「ああ。時代を超えてもな。きっと、当人たちも嬉しく思うだろうよ。それを考えれば……後に続く旅というのも、悪くはないものだ」

それきりテッドは何も言わなかった。だからその場に響くのは、イザヨイが錆びた青銅を磨く音と、黙した甲冑の具足が風に揺れてかちゃかちゃと立てる音だけだ。具足の音に、イザヨイはちらりと視線を向ける。彼は一言も発さないままに、誰もいない村を見つめていた。

「初宣さん。言ってたよね、せっかく切り拓かれた道も、辿る者がなくては寂しいだけだって」

イザヨイが沈黙を破ったのは、それからしばらくしての事、あらかたの錆を落とし終わった頃合いだった。突然の言葉に、初宣は少しだけ間をおいて「ああ」と答える。

「そうだ。あるだけの道は、虚しいよ」
「私が辿るよ。何度だって、私はいろんな人の作った道を辿りなおす。歩き始めは誰かの後追いでも、一番目じゃなくても。その先で、何かの初めてが見つかると思うから。私はそれを探してみたい」
「それは……頼もしいな」

イザヨイは大弩の台座からひらりと飛び降りて初宣に向き直った。そうして甲冑の眼孔を、その奥に広がる暗い空洞を正面から見据える。その暗闇はもう怖くない。

「私だけじゃない。その後も、きっといろんな人がそれを辿ると思うんだ。そうして、道を敷いた人のことを考える事もきっとある。それを示した存在を想う事も。私はそう信じる」
「……」

イザヨイはゆっくりと照準を村の中央、教会の方向へと向け始める。ひどく鈍い動きだが、動かない的を狙うには充分だ。ぴんと張り詰めた弦が震えて、唸るように小さな音を立てる。矢が装填される前から、その響きは既にはじまっているのだ。

「ねえ、初宣さん。やっぱり、ここを出て見に行こうよ。村の外で、あなたの指し示した道の先にいま何が続いているのか。知らないままで独りで廃墟にいるのは、寂しいよ」
「……そうだな。それも、悪くはない。……君の旅に同行させてもらえるか? 途中までであっても」
「もちろん!」

差し出された籠手をイザヨイは握る。そのイザヨイの手首で、テッドが静かに告げた。

「ならば、さっさと終わらせてしまえ。今の風向きがベストだぞ。後方に十メートル下がって仰角三十度だ」
「了解!」

水準器代わりにテッドを弓床に備え付け、角度を調整する。何重にも布を巻いた矢を装填して、撞木に狙いを合わせる。スクリューで巻き上げて引き絞った弦を弦受けにかける。トリガーを握って、テッドの合図を待つ。

「三」

眼前を一陣の風が吹き抜けて、尖塔の風見鶏を揺らす。その他には何の音もない。初宣もイザヨイも、息を詰めてテッドの声を待っている。

「二」

イザヨイはひとつ唾を飲み込む。教会に向かって矢を射かけるという行為は、いかなる宗教儀式にも似てはいないだろう。それでも、彼女はこの行いが、人々の積み上げてきた歴史に対する信頼からなるものだと信じている。それはある種の信仰であり、祈りであろうと思うのだ。

「一」

教会の屋根で羽を休めていたイヌワシが、何かを予感したように翼を広げる。しかし、飛び立ったところでもう遅い。矢は解放の刻を待っている。

ーッ!!」

風を切り裂いて白い矢が放たれる。その軌道は吸い込まれるように鐘楼に飛び込んで、直後、低い金属音が村中に響き渡った。屋根に止まっていた鳥たちが一斉に飛び立って、慌ただしい羽音を立てて遠く去っていく。

重々しい鐘の音が、暮れはじめた赤い空を震わせる。立ち尽くしたまま、どこか清々しい気分でイザヨイはそれに耳を傾けていた。

音そのものを記録に残すことは出来ない。空気の震えは通り過ぎて消えていくだけである。再現することは出来ても、それは当時の音ではない。それでも、響き渡る鐘の重い音色は、昔からきっと変わらないものなのだろう。それはずっと同じ音色で時を、一日の始まりを告げていたはずだ。歴史の彼方にあったはずのその光景を、手を止めてその音に聞き入る村人たちの面影を、イザヨイは鮮明に思い浮かべる事が出来た。

動き出したものは簡単に止まらない。鐘も撞木も揺れ続け、小さな鐘の音がいくつも重ねられていく。その音は回を重ねるごとに小さくなっていき、やがて風の中に消えていった。後には静けさだけが残っている。

飛び立った鳥たちが少しずつ戻ってくるが、イヌワシの姿はそこにはなかった。

もう戻ってくることはないだろう。



◇◇◇



夕暮れの中、どこまでも長い一本の街道。

遠い過去に誰かが敷いたその道を、一人の少女と一体の甲冑が馬を駆って進んでいく。その道を阻むものは何もない。順調に馬を駆れば、日が沈み切るよりも前に隣の村へと辿り着くだろう。

「いやはや! 数多の一番槍を讃えて来たものだが、こうして先頭で馬を駆ることになろうとは! まことに起きておれば奇特な事もあるものよ!」
「でしょ! きっと、もっといろんなものを見ることになるよ! 村の外は広くて、いろんな人がこの空の下でまだ見ぬ何かを生み出そうとしてるんだから!」

高揚した調子でイザヨイは背後の初宣に声をかける。違いない、と初宣は笑い声をあげた。

「まことに、そなたからは学ぶことが多い。……そうだな、ささやかな礼だが、先駆けの口上というものを教えよう──」

イザヨイは馬を駆りながら、借りた槍を掲げ、高らかに叫ぶ。

「やあやあ、我が名は同盟のイザヨイ! 欠けてなお天照らす月を名乗るもの、敷かれた道に続くもの──」

雲を裂くように掲げた槍の穂先が、昇りはじめた十六夜の月を受けて輝く。旅路の前には何も阻むもののない道が延びるばかり。口上の後を引き受けるように、穂先一番守初宣の大声が響く。

「──この背に続く者は、誰か!」

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。