怪力乱神と常徳治人

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怪力乱神と常徳治人

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朝鮮半島術法史叢書 第壱巻より抜粋

概観

秋晩瑤潭霜氣淸
天風吹下紫簫聲
靑鸞不至海天闊
三十六峯秋月明


晩秋の玉ように美しい潭に霜の氣は清いのに
空から風が吹く尺八の紫朱色の聲が下れ送る
靑鸞鳥が来ない海と天だけ空闊い開いたから
三十六個の峰上にそれでも秋の月は明るいね

田・禹治、サムイル

知識

怪力乱神と常徳治人の定義:

朝鮮半島の術法史上、最も文献が豊富な李朝時代の文献でよく見られる表現が「怪、力、乱、神」である。本来、この言葉は『論語』「述而篇」に出てくるもので、「孔子様は怪力乱神を語らなかった」という意味である。これは儒教の現実志向的、政治哲学的な面を示す断面で、たいてい「君子不語、怪力乱神、述而不作」1の脈絡で使用されたりした。 「怪力乱神」に当たるものは、そもそも存在しなければいいで、たとえ存在するとしても、陰地で静かに処理するだけで、それについて公然と語ったり使ったりしないこと、それがまさに超常現象に対する儒教的「済世安民」の態度だった。

李朝時代の肖像機関の従事者たちはこの「怪力乱神」という言葉を分解して、自分たちが処理しなければならない「異物」または「凶物」、「妖物」などを分類する基準として使用した。『朱子集注』によると、「怪力乱神」の反対は「常徳治人」という。不語都監ブルォドガム異禁衛イグムウィで解釈したその意味は以下の通り。

  • 「常」Normalとは、奇怪でなく平常的なものである。ひとの生産的な活動はその平常的な活動から生まれるものであるから、その平常心を守るようにしなければならない。
  • 「徳」Virtuousとは、道徳として、世の中を変化させるができるちからである。この道徳とは絶え間ない内面的な省察を通じて地道に積み重ねる事が重要だ。
  • 「治」Orderlyとは、秩序正しいおさめである。秩序が崩れれば、民が患乱に陥ることを歴史はいつも傍証する。
  • 「人」Humanとは、文字通りひとである。 儒学のすべての教理の最終目的は、「世の中を救い、ひとの面倒を見ること(済世安民)」に帰結する。

『異禁録』イグムロク2より抜粋
(英称は訳者注)

そして怪力乱神の正義は、この常徳治人を覆すことと同じだ。

  • 「怪」Abnormalとは、平常的でなく奇怪なものである。 奇怪さはひとの生産を続けられなくし、苦しみに陥る事でひとを害するようになる。
  • 「力」Powerfulとは、徳と同様に世の中を変化させるができるちからである。しかし力は、ひとが自らの内面的な省察と修養を通じて得た徳とは違って、ひとの外部から突然与えられるものだ。自分の精神的な器に溢れるちからが与えられた時、ひとは必然的に愚かさを犯し、我と非我を全て害するようになる。
  • 「乱」Disorderlyとは、無秩序な世に起こりそうな悖倫的な事で、正義を欠くて正道に反する事だ。 乱が横行する世の中を乱世と呼び、乱世にはひとがひとを信じられなくなり、お互いを害する事になる。
  • 「神」Spiritualとは、いわゆるMonsterGodDeitySpritSoulGhostUndeadなどを一切合切引っ包めて、人ではないのにひとに成り済ます存在たちの全般を指す。中国の戦国時代、魏国の鄴城で水神河伯に処女を生け贄に捧げたりした。孔子様の孫弟子である西門・豹が太守として赴任し、人身御供を主管した巫女たちを却って河に投げて殺すまで、その弊端が絶えなかった。このように、神が興れば人間を害する。

『異禁録』より抜粋
(英称は訳者注)

このように解釈された「怪」、「力」、「乱」、「神」各文字は、一文字ずつさらにくっついて「怪異」ゴィイ「勇力」ヨンリョク「悖乱」パィラン「鬼神」グィシンと通称されるようになったが、いつからこの通称が普遍化したのかはまだ確かでない。異禁衛営は1個の騎兵隊と4個の司で構成されたが、各司とその幹部たちをそれぞれ「怪異司・怪異把摠・怪異従事官」、「勇力司・勇力把摠・勇力従事官」、「悖乱司・悖乱把摠・悖乱従事官」、「鬼神司・鬼神把摠・鬼神従事官」と称した。3

観察と物語

李朝時代の能力者に対する処遇:

第壱巻で前述したように、李朝の最初の制度的な超常機関である不語都監は、チョン禹治ウチの遺訓によって建てられた。しかし、国家権力の一部分として組み込まれるのは、一生涯を権力と対決してきた田・禹治4が望んだ方向では決してなかっただろう。田・禹治の死後、ヤン士彦サアン之菡ジハムが田・禹治の志を多くの道士に伝えて説得したが、個人主義が広がっていた道士たちは余り反応を見せず、結果物が直ちに得られなかったことが、こうなった根本的な理由だ。 李・之菡と梁・士彦が実を結ばないまま死に、李・之菡は死ぬ前、甥の山海サンハィに自身の腹案と田・禹治の志を伝えた。

日本との七年間の戦争が終結する間際の1598年、李・山海の政敵である戦時領相のリュ成竜ソンリョンが失脚した。李・山海が領議政に再任用された1600年、李・山海は国王宣祖と単独面談した。5この単独面談によって建てられた不語都監は、当然ながら田・禹治の本来の意図よりも、国家官僚だった李・山海の意図と設計が大きく反映されるかなかった。このような点で不語都監は初めから官と能力者たち(道士など)間の葛藤の素地を含んでいた。

不語都監の運用様子は、現代の看守たちと焚書者たちのそれを合わせて半分して算術平均を求めたものと同じであった。済世安民という儒教の理想は極めて高潔に聞こえるが、その「世」と「民」が何かについての定義は狭小に堪えなかった。不語都監の行動方針は「物件Artifactは取り、存在Entityは排する」に要約できる。この方針が最も明確に表れているのが「力」をめぐる行態だ。

まず第一に「力」に含まれるものは、有用な可能性はあるが世の中に普遍化するには早すぎると思われる物件たちだった。これらは一種の戦略物資のように禁制所グムゼソ6に保管された。そして「力」に分類されることのできるもう一つの範疇が、能力者である人または人間に相当する知性を持った非人間の存在だった。

不語都監が組織された後、真っ先にやったことが、全国の道士たちの身元を把握する事だった。その次に彼らに対する引き入れる作業が行われ、引き込まれなかった者たちは「力」に準じて要注意扱いされた。その後、中期を超えると不語都監に編入されなかった道士などの能力者はすべて「力」として扱われ、殺害の対象とされた。ほぼ集団殺害Genocideのレベルといえる執拗な弾圧が行われた。李朝前期では極めて豊かだった道教的な伝統や口承談が、李朝後期にはほとんど枯渇していた理由がここにある。

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原註: ただし、古來のシャーマニズムである「巫俗」ムゾクは、支配階級に賤視されてはいるが、その危険性は高く評価されず、組織的な弾圧の対象にならなかった。むしろ「巫堂」ムーダン7「判数」パンスゥ8など巫俗従事者たちは、一種の巫医Witch Doctorとして民衆にサービスを提供し、時には両班ヤンバンたちも彼らを雇用した。

このような様相が不語都監の内部の能力者たちに何らかの不安を植え付けることで、それが粛宗の在位の中の破局9につながった可能性も十分にある。しかし、まだそれを確証するだけの証拠は十分に累積されていない。


編集者註
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