Abwesenheit

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ideological-imbroglio 18/10/31 (水) 03:15:47 #21676943


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Nichts (1951年)の静止映像。

ベイジル・オッティンガーの最近の失踪(そしてそれに続く彼の個人コレクションからの“ロストフィルム”数本の発見)は、“ヨーゼフ・ヘルムート”の名で知られるアンダーグラウンドの独立映画監督の革命的作品で、シネマの魅力に再び火を点けた。

映画界におけるこの隠棲的な監督の名声は皮肉である。ヘルムートは有名になるのを望まなかったことで最も有名だ。彼の映画のうちエンドクレジットがあるのは僅か1本(Schweigen、1953年)であり、そこで彼は“meine lieben Wohltäter”(僕の親愛なる後援者たち)に謝辞を述べている。彼の作品はパノプティコン・ピクチャーズを通して、1962年に同社が破産を宣言するまで個人的に配布されていた。ほぼ全てのフィルムは倉庫火災で失われている。

ヘルムートの作品は、希薄な構造、感情的孤立、ネガティブスペースへの魅惑、対話の欠如、そして単一の並外れて長い映像で特徴付けられる。彼の最初の作品(Nichts、1951年)は老朽化し、放棄された弾薬工場の2時間の探査記録である。この映画が非凡なのはその撮影技法にある — たった1本だけの滑らかに移動する映像が入口から始まり、数階分の階段を下り、地下の一室で終了する。判別できるカット部分も、カメラ移動用の線路やレールも(階段沿いにすら)存在しなかったため、この映画の公開は映画撮影技師たちの間に、どのようにこれが撮影されたかを巡る果てしない憶測を呼び起こした。

Nichtsはヘルムートが撮影した最も“型通りの”映画だが、それでも彼の作風の特質となるシュルレアリスムの要素が含まれている。工場の地下は信じがたいほど広く、本来そうあるべきよりも遥かに多数の階層から成っている(そして奇妙な正体不明の機械が置かれている)。何度か、カメラは場違いな物体に焦点を合わせる(ピンクのリボン、入れ歯、木製のドレイドル)。開始から70分頃の時点で、戸口を通り過ぎてゆく1つのシルエットが一瞬映る。最後の場面(カメラは暗闇に包まれた部屋を探索している)は15分続く — この間には、荒い呼吸音しか聞こえない。

孤立と空虚のテーマはヘルムートの第五作、Doppelgänger (1953年)でさらに入念に描写される。90分間の移動映像から成るこの映画で、視聴者はカーニバルの“鏡の迷路”を移動しつつ、ぼやけた不明瞭な姿から追いかけられる(鏡の反射にしか映っていない)。追跡者がカメラの正面に現れ、視界を遮った時点で映画は唐突に終わる。

多数の根気強いヘルムートのファンがカメラの動きを基に迷路の見取り図を作ると、カメラはしばしば固体の鏡であるべき場所をすり抜けて動いていることが判明した。現在も尚、どのようにしてヘルムートがこの撮影や他の効果(カメラの反射像が迷路内にある数百枚の鏡のいずれにも映り込んでいない理由など)を達成したかについては激しい議論が続いている。

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Schuld (1954年)の静止映像。

Schuld (1954年)は恐らく、ヘルムートの最も悪名高い映画だろう。この映画は3時間の長さで、単一の固定された視点から構成される。積み薪の上で焼かれる4体の人影と、それを下から見上げる群衆の映像である。1965年のオルデンバーグ映画祭で上映された時の詳細は曖昧模糊としている。視聴者は苦痛、不安、健康状態の悪化を表明した — これは最終的に、観客たちが映写室に殺到して映画フィルムを全て破壊する騒動にまで発展したとすら伝えられる。

ヘルムートは口が堅く、自作について一度も公にコメントしていないことで知られる。しかし、1961年、メルツ大学に通う1人の学生が大学の書庫から彼の手紙を発見した。以下の抜粋(原語のドイツ語から翻訳)が、作者の役割に関するヘルムートの見解を詳しく述べている。

“作者の死”は余りに多くを推測し過ぎている。あれは作者が存在するものと仮定している。でもそんな事は許されないんだ。作者はその基本構造、本質、まさしく核と言うべき状態まで消されなきゃならない。作者が存在する痕跡を地球上に残してはならない。作者は存在を止めなければならない。

芸術は自然の、決定できない出来事の排泄物としてのみ理解できる — それは意図や目的や理性を欠き、統制者のいないプロセスを介して形作られる。頭上を覆う葉の間から落ちてくる雨粒。枯れ木の枝でしなびてゆく林檎。死んだ鳩の胸から噴き出す蛆。

作者は“無関係”どころの話じゃない。彼らの無関係さたるや、無関係であると言及するだけでも分不相応な関係性を与えることになる。作者が死んだと言うためには、かつてその作者が生きていたと仮定しなければいけない。でも作者はそもそも生きていなかった。作者は存在すらしなかった。

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Abwesenheit (1962年)の視聴記録から抽出した写真。

この手紙は幾つかの映画雑誌に掲載された直後、ヨーゼフ・ヘルムートはあらゆる手紙や電話に応答しなくなった。以来、何者も彼からの連絡を受けていない。1962年、彼は最後の映画を撮影し、公開した。Abwesenheit である。

全6本のAbwesenheitのコピーは1962年の火災で焼失したと考えられていた。しかし、1987年、ベイジル・オッティンガー(ヘルムート研究に心奪われた著名な芸術収集家)の自宅から私的な鑑賞記録が回収された。不完全ではあるが、この記録は間接的に、映画監督ヘルムートの最後の傑作のごく一部を捉えている。

映像の長さは数分間で、Abwesenheitを再生しているテレビ画面に焦点を合わせている。テレビの映像は著しく歪んでいる。観客(画面外)のこもった啜り泣きが聞こえ、オッティンガーは繰り返し謝罪している。映画が結末へ近付くにつれて、観客たちの苦悩は増していく。1人の視聴者が祈り始める。オッティンガーはそれを止めてくれと懇願する。

手がカメラの前に降りて、テレビ画面を映すのを遮る。記録は唐突に終了する。

ベイジル・オッティンガーの失踪(と現存が疑われるAbwesenheitのフィルムの所在)に関する調査では、何の結果も得られていない。だが、オッティンガーの視聴記録の映像がKodak 5247(ヨーゼフ・ヘルムートが好んで使用したフィルムストック)で撮影されている点は特筆に値するだろう。

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