蒐集のあと
評価: +35+x
blank.png
19635335918_9df239063f_c.jpg

 穏やかな晴天の下で、川辺に沿って伸びる堤防の上を一台の車が走っていた。中に乗っていたのは、2人の財団職員である。

「ここ、もう少し早かったら桜で綺麗だったでしょうね」

 助手席に座る若手の職員である浅野修あさのおさむ研究員は葉桜の並木を横目にそう言った。

「だろうな」

 浅野の先輩である砺波直弘となみただひろ研究主任はハンドルをゆるやかに傾けながら答えた。2023年5月、初夏の陽気に包まれた世界を行くのは、「蒐集院蒐集物収容局」の2人である。

 かつて日本において超常的存在を蒐集していた組織、蒐集院。1945年に日本がポツダム宣言を受け入れたのと同時に蒐集院は解体され、その蒐集物のほとんどが財団によって吸収され管理されることとなった。

 さて、外国の━━それも、昨日まで敵国であった国の組織が急にやってきて、蒐集院は「はい分かりました」と簡単に全てを受け渡すことができるだろうか? もちろんそんなことはなく、蒐集院の財団への反発は大きかった。とはいえ、財団にとって戦後日本の正常性を維持する上で蒐集院の把握するオブジェクトについての情報は必要不可欠。そうした背景から"譲歩"が蒐集院に提示された。

 譲歩の内容とは、蒐集院がこれまで管理してきた物品の多くをそのまま蒐集院の職員が管理する部署を作るというものであった。つまりは、ある程度権限を剥ぎ取った状態の蒐集院を財団に埋め込むという案だ。財団による傀儡化だと批判し離反した人間もいたが、多くはそれを受け入れることで妥協した。そうして設立されたのが現在の蒐集院蒐集物収容局なのである。

 今日は新人浅野と付き添いの砺波が担当するオブジェクトが収容されている神社の管理者への挨拶を行おうとしていた。都心から高速を使って4時間程度かかる田舎にその神社はあるらしい。
 
「この川沿いをずっと走ってる気がしてきました」

 扇状地に2級河川はゆるりと弧を描くようにして伸びている。二人を乗せた車は時速50km前後のスピードで前へと進んでいく。無言の車内に耐え切れなくなった浅野は軽く言葉を零す。

「そうだ。目的地まではこのまま道なりに進めばいいから楽だ。それに県道は交通量が多いし信号もある。案外こっちの方早かったりする」
「この川まっすぐにしちゃえば、もっと最短で動けるのでは」

 浅野は地元の友達と話すときのようにおちゃらけて言った。

「川の役割ってのはただ山から海へと水を流すことだけじゃない」
「と、いいますと」

 砺波はアクセルを軽く踏みながら、ゆっくりと語り出す。

「川が屈折していることによって、流速の遅い"淵"と速い"瀬"ができる。淵と瀬があることで多様な生物が生息できる余地が生まれる。多様な生物がいることによって自浄作用が高まり、水質が向上する」
「ん~、なるほど生物多様性ってやつですか」

 砺波は少し眉間に皺を寄せてから、出かけた言葉を飲み込んだ。

「……まぁそれに川が直線であれば流れは速くなる。もしこの地域一帯に大雨が降ったら、この川自体で氾濫することはなくてもこの川が繋がる本流の方で急に増水してしまうだろうな」
「一見不合理に見えるものの裏にも合理があるってわけなんですね」
「とりあえずその認識で良い」

 そしてまた車内は無言に戻る。砺波が口下手なことも相まって、浅野はこのドライブが悠久であるかのように思えた。浅野は何とか砺波との話題を捻り出そうと脳を動かす。

「えっと。今から神社行くじゃないですか。そこで収容されているオブジェクトについて砺波さんの所見が聞きたいです」
「SCP-8SE-JP。Euclidクラス。広義でいうゲニウス=ロキ1だが、その力はないに等しい。記録によれば枯れ木に花を1輪咲かせるぐらいはできるみたいだが。一言で纏めるのであるならば『知性があるだけのEuclid』」
「いやぁ、同感ですね。簡易報告書を昨日軽く読んだ感じ、それ以上のことは思いませんでした。こんなしょうもないオブジェクトのために往復8時間のドライブだなんてふざけた話ですよ!」

 浅野はだはは、と笑って見せる。しかし砺波は眉一つ動かさない。

「仕方がないだろう。土地神ゆえ、その地にその存在を依拠している。他のオブジェクトとともに収容サイトのセルに押し込むこともできない」
「いやまぁ、はい、そうですね」

 車内にまたもや静寂が訪れる。ただし、もう浅野はここから神社につくまで口を開くことはなかった。


6508843555_dcbfdb8f43_k.jpg

 針葉樹が取り囲む山間に伸びる一本道を40分。既に太陽は頂点に上り、谷間に流れる川の表面を照らす。その神社は集落の外れ、さらに専用の石橋を渡って川の対岸に渡った場所にあった。風景を眺めつつ石橋を進む浅野は、河原で子供たちが遊んでいるのを見つける。

「子供が育つにはいい環境ですね」
「あそこ、オブジェクトいるな」

 砺波の指摘を受け、浅野は目を凝らす。しかし特に妙な点を見つけられない。

「え?普通の子供たちにしか見えませんが……」
「少しその手の術に心得があってな」

 砺波はその目で"子供"の1人が発する僅かなアスペクト放射を捉えていた。

「え、オブジェクトがあんな風に一般市民の中にいていいんですか?」
「子供たちは"いつもの遊び仲間"としか認識しないらしい」
「だとしてもなぜそんなことを?」

 食い気味に浅野は聞く。

「なんだ、報告書を読んだんじゃないのか」
「いや、確かに『子供とオブジェクトを接触させ、信仰心を持たせるプログラム』があるということは読みましたが、まさかこんな直接的なものだとは思いませんでした。もっとやりようがあるんじゃないですか?」

 矢継ぎ早に質問する浅野を嗜めるように、砺波はゆっくりと口を開く。

「それについてはおいおい話そう。まずは挨拶からだ」

 浅野は疑問に思いつつも、黙って境内に続く階段を登る砺波の背中を追う。20段ほど登ったところに、装束を着た老人が箒で落ち葉を掃いていた。

「はじめまして、4月から蒐集院蒐集物収容局に配属されました、浅野修と申します」
「あぁ、あなたが浅野さんか。既にお話は伺っていますよ。権藤です、これからよろしくお願いしますね」

 神主の初老の男は頭を下げる。浅野は気のよさそうな人物であることにほっとした。

「それで、これから砺波さんは担当から外れてしまうんですかね?」
「いえ、担当でなくなる予定は現在ありません」
「そうですか、そうですか。それならば安心です。砺波さん家にはずっとお世話になっておりますから」
「砺波さん家?」

  浅野は4月から収容局に転勤してきた新入りであるのに対して、砺波は祖父の代から家族ぐるみで収容局に関わる古参の研究員だ。もっと言ってしまえば、砺波家は代々蒐集院において中堅の地位を保ってきた一族である。奈良時代の地方豪族にルーツがあり、朝廷に仕える中で蒐集院との関わりを強めていった。このような砺波家の話は知っていたが、今回のオブジェクトと砺波家が関係があることは知らなかった。後ろで会話を聞いていた砺波が一歩前に出る。

「浅野くんにはまだ話していなかった。砺波は蒐集院時代から代々この神社の収容に関わっていて、私の曽祖父の代からは収容局という立場でここに携わっている」
「そうそう、お父様には特にお世話になったんですよ」

 砺波久親となみひさちか局長。収容局のトップを務める、砺波直弘の父親だ。浅野も4月に1度挨拶に向かったことがあった。

「お父様は財団の非情なやり方で弱ってしまった神様を助けてくださった恩人なんですよ」
「財団の非情なやり方?」

 権藤は石段に腰を下ろし、ぽつりぽつりと昔話を始める。

「終戦後、財団は蒐集院を乗っ取ったことはご存知ですね?」

 浅野は人聞きの悪い言い方に不信感を感じつつも堪えて、はいと相槌を打った。

「その際に収容という名目で私たちの神様も四角い鉄の箱に押し込められてしまったのです。村人と土との繋がりを断たれた神様は次第に"掠れて"いきました」

 浅野は固唾を飲んで次の言葉を待った。

「40年前ぐらいでしょうか。そこで現れたのが砺波さんだったんです。砺波さんは神様の様子を見て、神様を牢から出して、ああやって神様と村の子供が触れ合えるように財団に掛け合ってくれたんです。その結果神様はまた元気を取り戻して、のびのびとこの村に豊穣をもたらしてくれるようになったのですよ」

 権藤は河原ではしゃぐ子供たちの集まりを手で示す。

「なるほど。興味深いお話をして頂きありがとうございました。これからも神様に配慮した収容ができるように善処致します」
「はい、よろしくお願いしますね」


「財団への敵意すごいですね」

 車の前で、対岸の子供たちを眺めながら浅野は言った。あの中にオブジェクトが混ざっているということを知っていても、浅野は他の子供と見分けがつかなかった。

「まぁ、それが収容局が必要な理由の一つではあるな。財団嫌いに対しては蒐集院ヅラして話すのが一番だ」

 蒐集院が財団に替わることを嫌ったのは蒐集院そのものだけではない。日本全国津々浦々において蒐集物の管理を行っていた関係者も同様であったのだ。彼らに対し、蒐集院の名を冠した部署の元蒐集院の職員が関わることが必要だった。

「でも権藤さんが話してたことはホントなんですか?」

「だいたいは合っている。が、財団も合理的な判断に基づく収容であったよ。なにせ蒐集院時代からオブジェクトは村の子供の前に平然と姿を現して自ら布教するようなやつだったからな。こんな山奥の村だったから戦前までは大衆に知らされることはなかったにせよ、戦後においてはヴェールを維持する上ではその収容体制はリスクが高すぎると判断された。だから『鉄の箱』に押し込める必要があったんだ」

「でもそれでオブジェクトが村人たちからの信仰を得られず無力化してしまうのは財団にとっては望むことではないんじゃないでしょうか」

信仰。浅野も研修においてその力の強さを理解していた。人の認識、つまりは「それがそうである」という認知。それは時に異常な力を実体に与える。認知の中でもっとも強固で、揺るぎようのない世界観。それこそが信仰であり、多くの神格実体の源になるという。SCP-8SE-JPにおいても同様であることを浅野は知っていた。

「もちろん。財団はオブジェクトの存在の確立に信仰心が関わっていることは分かっていた。だから、財団は代わりに学校の社会の授業で地域の伝統についての授業を行うことで神の認知に繋げようとした」

 砺波はペットボトルに入ったお茶を飲み干し、ホルダーに差し込む。

「それは確かに20年程度のスパンで考えれば十分なものだった。子供は確かに神の存在を認知し、村と神の存在を結びつけたのだろうな。だが、それは"信仰"には至らない微小な認知にすぎない。結果として信仰の総量を減らしたオブジェクトは衰弱したというわけだ。子供にとって授業での座学は神を十分に信じるに値するようなものではなかった。子供の心に残るのは実体験としての神秘なのだろう」

「実体験としての神秘?」

「ほら、あそこで今は魚釣りをしているだろう。『どうやら神社でみんなでお参りをした後だとなぜかよく釣れるらしい』だなんてオブジェクトが子供に吹き込むんだそうだ」

 子供の一人が釣り竿を振り上げると、小ぶりな魚が水面から飛びあがる。その子供は河原を喜んで駆け回る。浅野はなるほど、とその様子に頬を緩める。

「それに、蒐集院時代においては子供は大人に自身の実体験と神の存在について話していたんだろう。大人はそれを聞いて、子供のときの自身の体験と照らし合わせることで神を信仰し続けることができていた。しかし現代においてはこれが行われなかった。こういった子供の影響力を評価できなかったことが財団における大きな見落としだ。財団は自分以外の要因の正の方向への力を低く見積もってしまうものだ。それが一般市民で、それに子供であるなら尚更だ」

 浅野は財団に入ったときのオリエンテーションに聞かされた「保護」の理念においては、一般市民は庇護の対象としか見なせないものだ。この見落としは自分でもしてしまうだろうと浅野は思った。

「そこからは権藤氏が言った通りだ。俺の父が子供の前に限定して姿を現してもいい、というふうに特別収容プロトコルを改定することでオブジェクトの状態は回復した。もちろんオブジェクトに対してギアス2を用いての行動の拘束は行っているがな」

 疑問点が解消した浅野は川のせせらぎに足首を浸して水を掛け合う子供たちを見て、先ほどの車内での川の機能についての話を思い出す。

「あ、緩やかな流れの川だからこうやって子供たちの遊び場にもなりうるってこともあるわけなんですね」
「分かってくれたか」
「はい、それはもう。でも、なんというか子供と普通に遊んでるだけにも見えますが」
「案外そうかもしれないな。"神様"にとって布教ってのはついででしかなくて、実際は子供たちと遊ぶことのほうが大事であるのかもしれない」

 いつもと違って"合理的でない"ように見える推論を述べる砺波の顔を見て、浅野は少しぎょっとしてから、なんだかおかしくて吹き出す。

「何だ。俺の顔に何かついているのか」
「へへ。飯行きます?」

 砺波は会話が成り立っていない、と指摘することもできたが、そういう気分ではなかった。

「そうだな。いい時間だ。サイトに戻る前に国道沿いの適当なチェーン店にでも入って手早く済ませるか」
「え~。せっかくですし何かここでしか食えないもの食ってきましょうよ! そうすることにもきっと理由があるはずですよ」
「やっぱり分かっていないようだな」

 車が走り出すのと同時に、窓越しに浅野は子供の一人と目が合う。その子供は浅野に向かって手を振った、様な気がした。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。