とあるエージェントのバカンス漫遊記
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温度差に悶える5月が終わり、間もなく6月を迎えようとしている。山間のサイト-81██は今日も研究、訓練、取引、様々な業務をこなす財団職員たちを腹いっぱい詰め込んでいる。このくたびれたワイシャツの男、エージェント・福留は今日も朝から北向きの研究室でコインの表裏をにらみ続けている。液晶が男の目を乾かし、数10秒に1度瞬きをさせる。男の中では「確保、収容、保護」の理念などすでに形骸化し、厭世的な感情によって埋め立てられている。


この福留という男はすでに勤続年数25年、44歳で初老も過ぎ去り独身、サイト-81██の宿舎と研究室の往復の日々を過ごしている。フィールドエージェントとしての全盛期はとうの昔で、今は研究者達に「少し動ける」雑用としていいように使い回されているが、では他に仕事があるかと言われれば「あまり動けない」エージェントに割り当てられる任務などない。

それなら一体どうしてフロント企業に移籍したり退職して新たな人生を歩んだりしないのかというと、理由は簡単、機を逃したのである。財団にスカウトされたころは、インターハイの陸上競技800mで準優勝したこの脚力と少しの精神への汚染作用なら弾ける胆力が世界を救うと興奮したものだが、その有り余るパワーでやる仕事といえばやたら大きな機械の設置や作戦現場の連絡係と男にとって地味で不本意なものばかり。職場に入って数年で学んだことは「所詮人間の運動能力ではどうにも相手にならない」「最前線で異常と戦うのは科学者の作った珍妙な機械である」ということである。男は非常に落胆したものの、彼のこれまでの起伏の小さな人生になにか盛り上がりを与えてくれるのではないか?という財団への淡い期待を捨てきれず、体力の落ち始めた同僚が次々去っても居残り続けたのだ。その結果がこれである。もう仕事への熱意はかけらも残っていないし、異常性だなんていう酒の肴にもならないつまらないものからさよならしたい気持ちで一杯だった。だが、仕事を辞めて隠居するにはまだ早い。一般企業に勤めようとも高卒で25年間指示されるがまま珍妙な仕事ばかりやらされたせいでいまさら社会に溶け込めるはずがない。フロント企業に行こうとも取引の経験も体力もあまりない社員に割り当てられる仕事がここと何か変わるとは思えない。


Dクラス職員がコイントスをしてエクセルに記録する。男はDクラス職員の手の甲とエクセルのに画面を見て間違いがないかチェックする。望月博士とかいう自分の倍は給料をもらっているだろう同い年の博士の部下の部下が男にさせている仕事である。男は屈辱すら感じず虚無に包まれている。だが、オレンジ服の男以外にその腑抜けた顔を見られないという点ではましな仕事である。Dクラス職員の「表」という入力が男の目を素通りしてどんよりと部屋全体に流れ出る。Dクラスも災難だな。男は半目でそう思った。ただのコイントスとはいえ何百何千回もやれば指が痺れる。この作業が始まって2時間ほど経つが、そのDクラス職員はコインを今左手の薬指で弾いている。なんで機械にやらせればいいことを人にやらせるんだ。男は次にそう思った。こういうのは異常性自体や研究規則が原因なのだが、そんなことを考察しても意味がないことを勤続年数25年の男はとっくに知っている。異常だの研究だのといらないことを考えるより不満を浮かべる方がずっと楽なのだ。このような不満とコイントスの反復作業が昼飯時まで続くのである。


くだらない財団、くだらない異常、そんなものから逃げてしまいたい! 男は静かに嘆きながら食堂へ向かった。






前任者の退職に伴う

SCP-████-JPの担当職員の募集


勤務地: ██県██村出張サイト-81██。
民間人の別荘に偽装しています。
勤務期間: 7月1日~7月31日
勤務内容: SCP-████-JPの監視と毎日の報告。 緊急時の対応のための出張期間中のスクラントン現実錨の運搬と管理。

募集人数:1人
応募要件: 大型一種免許取得済み
     スクラントン現実錨の利用研修の受講経験がある者
     人事課との相談の上、スケジュールに余裕のある者
応募方法: サイト-81██の内部メールシステムで石破管理官までに申請の旨を記載し送信してください。
備考: 期間中に使用するスクラントン現実錨はサイト-8181からの貸出品です。担当職員は慎重に取り扱ってください。
                                      石破管理官




天啓である。食堂の掲示板にあるのはまさに福音。男はスプーンに掬ったカレーが落ちるのも気付かずこのA4用紙を見つめていた。このサイトに何年も勤めている職員ならこの千載一遇のチャンスが分かるだろう。SCP-████-JP、オブジェクトクラスはEuclid、とある漁村に出現する局地的だが強力な現実改変能力を持った霊的実体。昔はそれはもう相当な被害を出したそうで、開発されたばかりのスクラントン現実錨をアメリカからはるばる持ってきてやっと封じ込めることができた大物である。しかしその幽霊さんにはスクラントン現実錨が「効きすぎた」らしく、その後みるみる衰弱してどこかに消えてしまったそうだ。いわゆる「無力化された」オブジェクトだが、当時管理官になりたての石破には相当なトラウマを残したそうでその後も念のために監視役を従来のオブジェクトの活性化期間に置き続けている。それがずるずる続いて30年。もはやこのサイトで活性化されたSCP-████-JPを見たことがあるのは石破と一人のエージェントに限られていた。そのエージェントがずっと監視役を担い続けていたのだが、なかなかの曲者であったようで、幾度となく議論されたSCP-████-JPの分類見直し案に石破経由で却下を繰り返したのである。いつしかこの任務は「漁村」「別荘」「夏」「暇」という要素から「バカンス」と呼ばれるようになった。というかそのエージェントがそう呼び始めた。

「秦泉寺のジジイがやっとどいてくれたか」

男は心の中で前任のエージェントに悪態をついた。自身を客観的に見る目が男にあれば、エージェント・秦泉寺もエージェント・福留も長らく財団内で居残り続けていた同族であることに男は気付けただろう。石破管理官の胃痛に付け込んでSCP-████-JPのNeutralized入りを先延ばしした秦泉寺は男にとってはむしろ同族どころか恩人なのだが、男は無意識に同族嫌悪をするようなちっぽけな奴だった。


食後の反復作業を終えた男は久々に目にハイライトをこめて帰路についた。


数日が経ち、男は今日も無機質な反復作業に打ち込んでいた。だがいつもの生気のない顔ではない。青髭をきれいに剃り、よれよれだったワイシャツはぴんと伸ばされている。普段話しかけることのないDクラスと気軽に雑談をした後、男は早めに「呼び出しがあったから」と仕事を切り上げ、背筋を伸ばして管理官室へと歩を進めた。


いよいよ最終選考である。人事課に臆面もなく自分の仕事の雑用加減を見せつけ、「代わりはいくらでもいるんだぞ」と立場が逆にも思えるアピールをこなした男にとってこのステージにたどり着くのはそう難しいことではなかった。何人の福留亜種がかかってこようが男の勢い(の無さ)は止められない。唯一気がかりな点はこの江村とかいう研究員だ。一見若く真面目そうな研究員の風貌であるが、江村は途中選考をすっとばしてこの最終ステージの参加権を直談判で奪い取る暴挙に出た。SCP-████-JPの資料なんか持って、真剣な面持ちで江村は男とともに管理官室の前に立っていた。男にとっては完全に異分子だが、ラスボスにしては弱っちい小僧だと高を括っていた。管理官の「入れ」という言葉を聞いた二人は覚悟を決めて管理官室に入っていった。


ここで最終選考のルール説明をしよう。ルールは簡単、バカンスの権利を心配性の石破から貰えたほうが勝ちである。そのためには石破老年に自分が監視役に適任であることを伝える必要があるのだが、福留が培ったサイト-81██での年の功とエージェントという肩書が男に十分な勝算を与えていたかのように見えた…が、


「募集しておいて悪いが、SCP-████-JPはもうNeutralizedに分類しようかと思ってね。君らを今日呼んだのは選考ではなく連絡が遅れてしまったお詫びのためだよ。」


すぐさまルール変更だ。このフェーズは今から青年との奇妙な共闘となる。財務部門に無駄遣いを指摘されたのか、度重なる胃痛を引き起こしてきた秦泉寺の退職が心配性を治したのか知らないが管理官はバカンスを取り潰そうとしている。そんな管理官にどれだけオブジェクトが脅威的な異常性を持っているのかを二人はでっちあげなければならない。


「30年も異常性の発現がないオブジェクトの為に貴重なSRAを持っていくのは馬鹿馬鹿しいと財務部長に指摘されてね、まあ、私もそんなオブジェクトは聞いたことがないし。」


そういう理由か。そう思ったが普段喋ることにも面倒を感じている男にはこの状況を覆せるほどの実力はない。男の頭の中をSCP-████-JPの情報が駆け巡り足掛かりとなる道具を探している。確か山の神様みたいな奴だったか、30年前の被害はどうだったか…。男は焦った。


「Neutralized?私は断固反対します。報告書にもある通り、SCP-████-JPの出現には当該地域の地殻変動と関係があります。私が分析してみたところ…」


やるじゃないか江村。助かったぞ。男は心の中でガッツポーズをする。研究員ではないため江村の説明はちんぷんかんぷんだが、それでもその説明が十分具体的で一貫性があり、管理官の不安を煽ることができたのが男には分かった。同時に男にも不安がよぎる。それは江村のバカンスへの並々ならぬ執念である。説明を始めた途端江村の目はぎらぎらし始め、口調も熱気が籠り、演技とは思えないほどである。ただのこじつけにも研究員ならではの理論武装は見事としか言いようがない。男の目には江村が自分と同じほどに異常のない安穏な生活への渇望を持っている様が映っている。


「ではやはり、今年も監視役を派遣しようか…。江村君、どうかな。」


第2フェーズだ。管理官の指名先は江村に傾いている。それを福留側に返さねばならない。幸いなのは、長い説明をやり切った江村は今安堵の表情を浮かべ、もう話そうとしていないことである。きっとバカンスは自分のものだと思って慢心しているのだろう。つまり男のターン。男は機を逃さずここで自分の持ちうる最大の切り札を切った。


「待ってください。私は██村で対現実改変者用の訓練を受けたことがありあの地域の地形には精通しています。現地には私と顔なじみの者もいるので非常時の対応にもスムーズに行える自信があります。」


「お、そうなのか。まあ江村君は確かSCP-████-JP以外のオブジェクトの研究もいくらかしているようだし、福留君に任せたほうがいいかな。」




勝負は決まった。江村は「それなら福留さんに任せたほうがいいでしょう」と素直に引き下がり、バカンスへの切符は男の手に渡った。勝負を決めたのは「滞在していた」という要素である。やはりオブジェクトが特定の地域にある以上、その地域の実地経験があるのは大きなアドバンテージである。地域住民から怪しまれないということも怪異から市井の人々を遠ざけるのに非常に役立つ。客観的な視点から見てもエージェント福留が適任であることは明らかだった。ちなみに発言は一部嘘である。訓練をしたのは確かだが、たった一週間のキャンプ訓練であり土地にも人にも精通などしていない。嘘には一部真実を混ぜることでずっとごまかしやすくなる。Neutralized延ばしの天才、秦泉寺直伝の狡い手段である。



「では、出張前にSCP-████-JPの報告書と前任者の引継ぎメモに目を通しておくこと。」


「委細承知しました。石破管理官。この業務については以前エージェント・秦泉寺から詳しい話を伺っております。私に全てお任せください。」


「現地に到着したらすぐにSRAの準備をして、いつでも起動ができるように。」


「もちろんです。重要な任務であることは私も分かっています。」


「あと、念のため追加のエージェントとSRAを送ろう。任務の開始には手配が間に合わないだろうがなるべく早く送る。それまでは君一人だけになるが頑張ってくれ。」


「ありがとうございます。助かります。」



男は江村とともに管理官室を出た。退室するまで平静を装うのに必死だった。男は口角を上げる脳内信号を理性で抑えながら、華麗なる相槌で管理官の不安事をいなしていった。それにしても小言が多いな、と男は思った。だがバカンスの権利を渡してくれた偉大な石破管理官の小言など、男にとっては讃美歌である。男は管理官をそこまで不安にさせた江村の弁舌の妙なリアルさに感心した。


「では福留さん、気を付けて行ってきてください。危険な任務ですが、無事に戻ってくることを祈っています。」


安心しろ江村。お前が頑張った分も俺がバカンスを楽しんでくるよ。本当にありがとう。男は江村の潔く負けを認める力強い言葉を真摯に受け取った。男は、いや、勝者は靴底で軽快なリズムをとりながら宿舎へ帰っていった。


男はすでにバカンスの妄想にふけっている。退屈でたまらない反復作業から解放され、くだらない異常から離れた安全地帯で平穏な生活を享受できるのだ、と。












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