Agt.野町のケースファイル 奏上庭園
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サイト-81E9の福利厚生はやたら手厚かった。食堂は1日に一食無料で、有給休暇に関する規則が他のどこよりも多く定められている。また、体調管理やトレーニングが必要なエージェントや運動不足の研究員のための簡易ジムも併設されている。これに至ってはいたれりつくせりだろう。Agt.野町はその恵まれたジムで今日もトレーニングに励んでいた。彼女は他のエージェントに負けてはいられないという気持ちが人一倍強かった。実際、もうすでにランニングマシンで走り通した時間はゆうに2時間を超えている。潜入任務には何時間でも走ろうと思えば走れるほどの体力が必要なのだ。Agt.野町はエージェントとして働くと決めた時から、このような自己研鑽を毎日欠かせていない。

彼女のする潜入任務というのは、財団の仕事である。それが生半可なものであるはずはなく、あの財団が潜入する必要があると認識している相手と場合によっては仲良くなったりしなければいけないのだ。もちろん普通のフロント企業などに正体を隠して入り込む場合もあるが、Agt.野町が仕事としていたのは大抵危険な要注意団体への潜入だった。それによって心がすり減らされることもあった。正体を隠して財団の利益になることをしなければいけない。それはいくら財団職員とて辛いものなのだ。だから体力だけではなくメンタル面での調整も大事だとAgt.野町は考える。彼女はこの後たっぷり福利厚生が充実したサイト-81E9の食堂で、グランドパフェを食べることを予定していた。

Agt.野町がそろそろトレーニングを打ち止めにしようとした時である。常に隣に置いていたスマートフォンがバイブレーションをした。彼女の直属の上司、伊佐課長からの電話だった。

「夕、いま大丈夫か?」
「どうしましたか?」
「次の任務が決まったぞ」

確か彼は先ほどまで会議を行っていたはずだ。サイト-81E9にはエージェント派遣課が第一課から第四課までがあって、今日の会議は全員の課長が集まって次に誰を派遣するか決めていたのだ。このような会議は割と頻繁に開催されている。今回はどうやら私の出番であるらしい。私は長期間潜入してそれに応じた休暇をもらえる業務パターンを繰り返しているので、そろそろ次の任務が入るころではないかと思っていた。

「了解です。」
「ああ、SCiPネットを通して団体の概要を送っておくから見といてくれ」

要注意団体資料 奏上庭園概要

エージェント閲覧用


閲覧区分: セキュリティクリアランスレベル2

ファイルコード: 25867-A


概要: GoI‬-2555「奏上庭園」は"完全思想"として知られる思想によって結びついた小規模共同生活コミュニティです。‪GoI‬-2555は一般的に「奏上庭園」あるいは単に「庭園」として呼ばれます。しかしながら、他にも確認された限り13の呼称を持ちます1

‪GoI‬-2555は広島県那名市に小規模な拠点を有しています。那名市の東南部に位置する比具山に異次元空間と基底現実を接続するポータルが存在します。おおむねこのポータルの入り口は所属自治体の登記にないトンネルとして現実に存在しています。‪GoI‬-2555の拠点のほとんどは当該次元の内部に収まっています。この例外は緑間事務所と呼称される施設です。この事務所は‪GoI‬-2555を外界から遮断するために監視と警備を行なっています。しかしながら、実際は外部からの侵入者を防ぐ目的というよりかは、内部からの逃走者を防ぐための施設であると考えられています。

‪GoI‬-2555は何をおいても議論を重んじる性格を持った団体であることが知られています。団体の運営上発生した問題は全て議論によって解決される他、現在進行系の社会的な問題について話し合うこともあります。‪ ‪GoI‬-2555は指導者の存在を公式に否定しており、財団も現在指導者的立ち位置の人物を確認していません。創始者として知られていたPoI-2594("‪神枷孫仁かみかせそんじ‬")は13年前に目撃されて以来失踪しています。組織運営の観点上何かしらの管理者が存在する可能性は高いですが、現状GoI‬-2555に関する情報の不足から判断は留保されています。

ケースファイル 奏上庭園

執筆者: Agt.野町

前文: 私が要注意団体「奏上庭園」に派遣されたのは2031年6月17日から7月1日までの約15日間です。比較的短期間の潜入任務であったのはよかったのですが、団体の構成員と話し続けることにかなりの精神的な苦痛がありました。この報告書には後から私が書いた文章と潜入当初に書いたものが混在していますが、ひととおり矛盾がないように訂正してあります。情報的な正確性については(私が洗脳されたりしていなければ)2おおむね信頼できるものであると考えています。結論から言って、この団体はヴェールの崩壊や世界の危機に直結するようなポテンシャルを持っていませんでした。

設定: 横崎悠。19歳の学生です。

装備: 潜入任務にあたって以下の装備を身につけています。基本的なコンセプトは、年頃の少女として違和感のないような装備です。‪表立って記憶処理端末や撮影機器を持ち込むのに苦労しました。

  • 網膜カメラ

コンタクトレンズ型カメラ。900万画素。まばたきの特定のパターンで写真撮影および動画撮影が可能。常時データが転送される。

  • 小型記憶処理端末

スライドで針を展開して静脈注射で速やかに記憶処理が可能。頭痛等の副作用があるので使用は最小限に留めておきたい。

  • スマートフォン

これといって特別なところは何もないただのiPhone。

  • 緊急嘔吐剤

靴底に常備。食べてはいけないものを食べた時に嘔吐するための薬剤。解毒は行えない。

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無条会館 正面入り口

1日目: 奏上庭園の持つ異次元空間の面積はおおよそ2.5km2、構成員はこの土地のことと団体のことを併せて庭園と呼んでいます。エリア侵入地点から歩いて2分ほどの場所にある無条会館と呼ばれる施設があります。私は持ってきた荷物のチェックを受け、まずここに案内されました。会館の壁には以下のような文言が書かれていました。

一、リアリティのある想像をしよう(想像力)
ニ、頭の中の思考を言葉にしよう(表現力)
三、前提と仮定から結論を導こう(論理)
四、人の真意を掴もう(理解力)
五、良い結論を導こう(結論)

私はここで雪野吹雪と名乗った女性から全体の案内を受けました。ここでは知識を深める行為は推奨され、来るべき話し合いのために常に自己修練が行われています。この会館にも小規模ながら図書室があり、学問的な内容も広くカバーした蔵書を取り揃えているようです。雪野はこのままこの場所を案内すると申し出ました。

庭園の建造物の構成を簡単に描写します。先ほども述べた通り、無条会館は入り口から歩いて数分のところにあります。無条会館から車で10分程度の場所に中心棟が位置しています。中心棟は6棟の別館によって囲まれており、それぞれ北を0°(鳥館)として、60°(林館)、120°(川館)、180°(火館)、240°(風館)、300°(神館)と並んでいます。これらは渡り廊下で中心棟とつながっています。

その日は「一般修行」というイベントがあり、中心棟には多くの人々が集まっているとのことでした。私は廊下の1番奥にある中心から離れた部屋──それほど広くない和室に案内されました。そこには13歳〜18歳くらいまでの少女たちが集まっていました。

見ろと言われた方向にはダルマ人形が出現していました。合計6体の目に墨が入っていないごく一般的な形式のダルマ人形であり、道玄坂や学修院が言うところの「倫理問題」に関係しています。ダルマ人形は小刻みに震えたり跳ねたりした後、老年男性の声で発声しました。

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出現したダルマ人形に似た実体

「修業中の少女たちにおかれましては〜〜。大変ご苦労と言って遣わす〜本日の議題を奏上させていただきます〜倫理問題: 双剣を正当化せよ


一般修行記録-01

ファイルコード: 53838-A


日付: 2031/6/13

参加者: Agt.野町、道玄坂珠紀、学修院乙矢、登別幡子、公文‪ひさめ

議題: 倫理問題: 双剣を正当化せよ


道玄坂: 手短にいきましょう。十全です。ダルマ、状況の説明をお願いします。

ダルマ: はい。[ダルマの頭上にスクリーンが出現する。それには以下の内容が記述されている]

問題: 2つの日本刀がある。このうち短い方を日本刀-A、長い方を日本刀-Bと呼ぶ。日本刀-Aは3日に1度併せて3人の人物の心臓に転移する。これを防ぐ為にはしかるべき手順を踏んで、日本刀-Aを用い1人分の犠牲を捧げなければならない。日本刀-Bもほとんど同じである。日本刀-Aと異なるのは儀式に必要な人数が3人分であることと、日本刀-Bは3日に1度、1人のみに転移することである。なお、儀式の手順に用いられた人物と日本刀が心臓に転移した人物は必ず死亡するものとする。この条件下で、日本刀-Aと日本刀-B両方のパターンで儀式を行うべきであると答えた人がいる。その理由を答えなさい。

登別: ふふ、犠牲に捧げるって。魔術めいているな。

学修院: 何これ?非常識にも程があるわ。トロッコが分岐してどちらかが死ぬって状況は理解できなくもないけれど、これはまるで意味不明。心臓に転移する日本刀はこの世に存在しないじゃない。

道玄坂: いえ、議題としてこれが出た以上、現実として存在する可能性があります。私たちの選択によっては誰かの心臓に日本刀が──みたいなこともあるかもしれません。

学修院: そうだけどさ。

道玄坂: まずは質問していいですか?ダルマ、刀は分裂して3人の心臓に刺さるのですか?

ダルマ: はい。心臓に刺さった刀はその後ひとつを残して消失します。これは超常的現象によるものと捉えていただきたい。

学修院: なるほど。やっぱイカれてるわ。トロッコ問題の時みたいにトロッコが出現するんじゃない?

道玄坂: それは2度とやりたくないですね…。

登別: これ単なるトロッコ問題じゃないぜ。これは変則的トロッコ問題だ。ああ、知ってるか?デブを突き落とすやつだ。

公文: [呻き声]

道玄坂: その説明では誰もわかりません。横崎さんも聞いてることだし、ここはしっかりと説明しておくべきでしょう。

登別: トロッコ問題にはいくつかのバリエーションがあるんだけど、言うなればこれはトロッコ問題 ver.太った男編というべきものなのだぜ。これは基本的なところでは普通のトロッコ問題と同じで、違うのは乙矢の言う通り、作為と不作為、つまりわざとやってるかやっていないかそこに尽きるぜ。例えば、暴走したトロッコが5人の作業員の方へ向かっている。このままでは全員死んでしまう。あなたは偶然線路の分岐点に居た。ここが異なる点だ。歩道橋の上からデブを突き落とすことができるんだぜ。

道玄坂: デブを突き落としたらトロッコが止まるって随分とご都合主義ですね。倫理問題ってのは。失敗するかもしれないじゃないですか。デブの起動が逸れるかもしれないし、なんならデブが意外な力を発揮してトロッコを止めるかもしれません。

登別: 新幹線アタック?

学修院: そうかもね。デブが超人だったら止められるかも。

登別: [笑い]

学修院: そういう冗談は置いておいて、えてして倫理問題ってのはそういうもんなのよ。命の価値を語るのにご都合主義が必要ってのは歪なものかもしれないけれどね。

学修院: それで、この問題の要点は作為と不作為ではないわね。この問題では1人を殺して3人を助けることが正しいのか、それともあらゆる人間を手段として使うことが間違っているのか?功利主義と義務論のどちらかが正しかったとして、2つの日本刀を倫理の矛盾なきように保管できるか。そういう風なことを問うているのではないかと思うわ。故に双剣問題。ふさわしい名前ね。

登別: まあいきなり全てを解決するのは無理だ。「困難は分割せよ」この言葉の通りに考えていこう。刀は順番に壊すのに尽きる。じゃあ俺から分割案を提案するがいいか?

道玄坂: ええ、それで構いません。

学修院: それでいいわ。

登別: いくぜ。小問(1)「日本刀-Aはどのようにして扱うのがいいのか?」これは各個人の直感で答えてくれ。

道玄坂: 悲しいことですが1人の犠牲を捧げる他ないでしょうね。トロッコ問題と違ってこれは定期的にやらなきゃいけないというのが厳しいところですが。なんなら私がまず最初に犠牲になりましょう。打首にさせられる恐怖もありますが、いつか心臓に飛んでくるかもしれないという恐怖もあるものです。それを考えれば私の選択も妥当です。

学修院: それも正しいわね。

道玄坂: あなたもどうぞ。

学修院: 当然。何もしない。人間を何かの道具として使うことは許されないわ。3人を助けるために他の人を見殺しにするのは良くないに決まっているじゃない。これは割と一般的な感性で、さっきの話でいうならば自分がわざわざデブを突き落とす必要はないと思うの。自分で罪を被りたくないからってのは、悪びれたような言い方だけれども、トロッコに殺されてしまうデブだって見知らぬ人を助けるために死にたくはないと思ってるはずだわ。だから私は3人の犠牲が出たとしても1人を助けるようなことをしない。

道玄坂: ええ、それも正しい。

登別: お互い回答は出たみたいだな。けどこの話はこれだけじゃあ終わらないんだぜ。「双剣問題」はトロッコ問題より一歩先に進んだ問題なんだ。もういっちょいくぜ。小問(2)「日本刀-Bはどのようにして扱うのがいいのか?」

道玄坂: 日本刀-Bは3人を殺して1人を助けます。ですから、私はそれを放置しなければならないでしょう。作為かつ1人を助けるなんて誰も選ぶはずがないと思います。わざわざ犠牲を捧げてまで少数を救うなんてことは私にはできません。

学修院: 人を手段として使ってはいけないのだから、当然、何もしないでいるに決まっています。これに関しては一貫した態度をとることができるわ。もしかしたら、こんな態度が取れる時点で私の回答はより倫理的なポテンシャルを持っているのかもしれないわ。

登別: なるほどな。その回答の不均衡がもしかしたら解決の糸口になるかもしれないな。とりあえず全てのパターンを表にしてみたぜ。

道玄坂 学修院 問題の人物
日本刀-A 1人の命を犠牲に捧げて3人を救う 刀を放置して3人を殺す 1人の命を犠牲に捧げて3人を救う
日本刀-B 刀を放置して1人を殺す 刀を放置して1人を殺す 3人の命を犠牲に捧げて1人を救う

道玄坂: 確かに乙矢は刀を放置するということに関しては一貫した態度を取っていますが、私も大多数を救うという点では一貫した態度を取れていますよ。

登別: これが言うなれば「倫理」の違いだぜ。道玄坂は功利主義を志向している。学修院の言っていることは義務論という。そして根幹の問題を解くためには、その差を理解しなければな。

登別: 双剣問題で答えなきゃいけないのは問題の人がなぜこれを選んだかってことなんだぜ。

道玄坂: 彼はあたかも被害者を増やそうとしているみたいですね。儀式をやろうということに固執している。

学修院: そうなのかな。

道玄坂: 私はこれを「日本刀-Aで実践された倫理が日本刀-Bになると適応できなくなる」からだと思います。

公文: [呻き声]

登別: 道玄坂、詳しく説明できるか?

道玄坂: ええ、説明しますよ。十全に。言うまでもなく、私は功利主義、乙矢は義務論のパターンを選びました。しかし、日本刀-Aと日本刀-Bが存在するとき、数学的に言えば4パターンの選択肢が存在するのです。問題の人物は私たちが選ばなかった選択肢を選んだのです。彼は最初、多くの人を助けるために儀式の遂行を決めたんだと思います。ここまでは功利主義と同じです。しかし、そこで日本刀-Bが現れます。日本刀-Bは1人しか殺しません。実のところ、日本刀-Aで殺せるような選択肢を選ぶ人が日本刀-Bでもそうだとは限らない。そこが話のミソなのです。人のために人を殺すということを認めてしまった以上、日本刀-Bでも殺さなければ矛盾してしまうのです。

学修院: ちょっと待って。それは日本刀-Aが最初に現れた時の話だよね。逆の場合もそれは成り立つのかしら?

道玄坂: 順番が逆でも同じことは成り立ちます。すなわち、日本刀-Bで殺さないことを選択した人は、日本刀-Aでも殺さないということを貫かないといけないのです。

登別: なるほどな。確かにその意見は通る。トロッコ問題と違ってこれは順序があるというのが肝だな。順番を大事にする道玄坂らしいぜ。

学修院: まって、道玄坂。あなたの意見はこれっぽっちも理が通ってないわ。なんで日本刀-Aで肯定された方法を日本刀-Bでも肯定しなきゃいけないの?もしかして、私以外わかってる?

道玄坂: いや、ごもっともな意見です。便宜的にそれを説明するならばこれは、功利主義を選択した人間は義務論において破綻するということなのです。人を殺した理由が説明できないのです。しかし簡単に理解できるものでもないですわ。

登別: 納得したか?学修院。

学修院: 逆義務論ってことなのね。ルールを守るべきことが重要だというか。

登別: 双剣問題故の課題だな。2つの物事に両方対処していかないといけないからな。よくわからないのも仕方ないぜ。じゃあ次は────

Agt.野町: [割り込んで]ちょっと待ってください!

登別: どうしたんだ?

Agt.野町: わ、私は意見があります。途中からになりますが、いいでしょうか?

道玄坂: ダルマ、横崎さんの途中参加を認める?

ダルマ: 認めます。

道玄坂: 問題ないようです。これが認められるか認められないかは恣意的なところがあるようですね。ええ、でも私は今身体中が歓喜に満ち溢れていますよ。横崎さん、あなたが自発的に意見を言ってくれるようでよかったです。リーダーとして、それが心配でしたが、あなたにはここに入る権利があるようですね。では、どうぞ。

登別: [笑い]

Agt.野町: …わかりました。私はこれを「収容主義」と呼ぶことにします。この問題の焦点は如何にして日本刀を「収容」することです。

道玄坂: なるほど。収容とは一体どのようなものなのでしょうか。被害は増えたり減ったりするのになぜ一貫して日本刀を制御しなければならないのですか?それを維持することには一体なんの意味があるのでしょう。私はそこが疑問に思います。

Agt.野町: この倫理では「日本刀が制御できない状態」を防ぐことを重視しています。それは人事的にも能力的にも制御できるか否かという問題とつながっています。例えば、日本刀の儀式に使われる人は自分で選ぶことができます。日本刀の転移に任せてランダムに死亡する人が増えるよりも、犯罪者や自殺者などを犠牲にする方が有益です。

学修院: 倫理問題のセオリーとして、命の価値は平等であるというものがあるのよ。あなたの言っていることはまるで暴論。

Agt.野町: 現実には重要な人とそうでない人が存在します。トロッコ問題なら、どちらかにレバーを引く人の知り合いがいるかもしれない。つまり命の価値を最大にするならば、これを選ぶべきです。

学修院: そもそも命の価値なんて話をし始めたらキリがなくない?私たちはそういう前提で話してたわけだし。

道玄坂: しかし、これは新しい考え方であると思います。確かにそうやって説明することは暴論であるとはいえ論理です。

Agt.野町: この問題はおそらく命の価値に差があることを前提に作られています。そうでなければ、誰かを犠牲にするとかそんなことはわざわざ書きません。

学修院: それは解釈しだいじゃない?

登別: 2人とも話したな?オーケー。細かいところ言ったって進まないから一気に現状の問題を並べようか。

  • 道玄坂はそれが功利主義として整合性があるか疑問だぜ。日本刀-Aで殺すことを選択した問題の人は功利主義者なはずなのに、なんで日本刀-Bで「殺す」という選択肢を選べるんだ?確かにさっきも言った通り、殺すという行為を手段として認めた以上、次の機会にも殺すことを手段として入れることができるというのは、一定の正当性があるぜ。ただ、それが主義主張の混乱を招いているのは本当だぜ。
  • 横崎はやはり命の価値についての課題が残っているな。結局、犠牲になった人を手段として使うわけで、その辺は義務論のデメリットを引き継いでいるし、功利主義のように多くの人を救うこともできない。それだけの価値が「収容」することにあるのかという問題だな。

道玄坂: さすが幡子です。単なる反論とは異なりますね。その流れるような内部破綻を指摘するお姿はまるで厚生経済学におけるアローの不可能性定理のようでした。鮮やかな反論でしたよ。

登別: それはいいすぎじゃないか?

道玄坂: そんなことはないですよ。でも、やはり反論はあります。

登別: じゃあ聞いてもいいか?なんで功利主義は多数派を犠牲にできるのか?

道玄坂: ええ、それはもちろん問題の人間が功利主義者ではないからです。

登別: 一貫主義者は日本刀-A→日本刀-Bの順番のとき、最初功利主義を選択したんだよな。だったら、日本刀-Bのときも功利主義的選択をしなきゃいけないんじゃ?

道玄坂: しかしそれは可変なのです。最初に選んだ選択が次の選択と同じであると考えるとき、問題の人は功利主義的に考える必要はないのです。そうですね。彼の思想を仮に「一貫主義」とでもいいましょうか。

登別: そういうことになるのかな。その単語は聞いたことがなかったぜ。

登別: 横崎はまだ「収容主義」の道徳的正統性を説明できてないぜ。私が思うにこれはより大規模な状況になってくると有効になってくると思うんだぜ。例えば、刀が殺す数が1000人とかで、犠牲に捧げる数が1200人とかなら、刀がどこにあるかを探したり、回収するのにも手間がかかるんだし、それならば「収容」が大事になってくる。だからまあ「収容」することか価値があるというのは納得できるぜ。大事なのはその直感を論理的に説明できるかだな。

Agt.野町: [沈黙]はい。まさしく私の言いたいことはその通りです。これが広い場面に適応できることは確信しています。ただ、これを論理的に説明できるかというと…。

登別: まあ、初めてだしそこは仕方ないと思うぜ。

Agt.野町: 私はまだそれを説明できません。道玄坂さんの意見は修正を聞いて納得しました。今のところは、それが正しいように思えます。

学修院: 私も道玄坂よりかな。ちょっと悔しいけど意見が重なるような問題だったってことかな。

公文: [呻き声]

道玄坂: 本当ですか?では双剣問題の答えは「一貫主義」そういうことで良いでしょうか。

登別: 俺としてもそれは問題ないと考えるぜ。

公文: [呻き声]

登別: 霈もそう言ってるところだし、じゃあ文章をまとめるぜ。

[しばらく沈黙]

登別: よし、これでどうだ?

回答: 登場人物(一貫主義者)は日本刀-Aで見られた倫理的実践が日本刀-Bで矛盾することを拒否する。日本刀-Aで選択された行動は、人を作為的に殺す/殺さないという形で明確に分岐する。例えば、人を意図的に殺さないという選択を日本刀-Aで選んだ時、それは少数派を義務論的に救済するという選択だが、日本刀-Bで同じように少数派を救い多数の人を殺すということができない。なぜならば、日本刀-Aの段階で人を殺さないという方法が肯定されたからである。これは人を殺す行為を選んでも同じである。

登別: こんなもんかな。

道玄坂: それで良いです。

学修院: ああ、「功利主義を選択した人間は義務論において破綻するということ」というのはそういうことか。悔しいわね。

道玄坂: 理解できたのなら重畳です。さあ!ダルマ。これが私たちの答えです。奉ります。どうですか、この「結論」は。

ダルマ: それが最終結論ですか?

道玄坂: ええ、はい。十全です。

ダルマ: 拝領いたしました。

[カァー!という高い声が部屋に鳴り響く]

ダルマの消失を持ってイベントは終了したと見做されました。雪野吹雪がトビラを開けると、私は初めて部屋の鍵が閉められていたことに気づきました。時はすでに7時でした。雪野は彼女たちの「修行」を褒めました。これがどの程度良かったのかは判別しかねますが、雪野の褒めっぷりを見る限りなかなか良い結果を出したようです。本来のスケジュールであれば、もう食事の時間が始まっているものの、突然「修行」が始まったせいで予定が遅れてしまったと雪野はいいます。

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鳥館で網膜撮影された写真 廊下

食事は中央棟の大きな部屋で集合して食べるようでした。少なくとも50人くらいがその時間には集まっていましたが、通常のスケジュールならさらに人がいるとのことでした。椅子の数は150ほどで、混雑時にはそれが全て埋まるそうです。メニューの内容はそこそこに充実していました。日替わりのバイキング形式で、この日はハンバーグでした。正規のスケジュールでは18:00には夕食が、19:00から交代で入浴の時間が始まります。


探索記録の書き起こし
日付: 2031/6/13
探索部隊: 機動部隊戊-4("イマヌエル")
対象: ‪GoI‬-2555 奏上庭園 異常次元
部隊長: 熟田津
部隊員: 蒲生、手児名、野守、‪十市


熟田津: 任務開始。

蒲生: チェック。

手児名: オーケー。

野守: チェック。

熟田津: 全員が事前に通達した地点に到着し次第巡回行動を開始する。連絡は密に行っていこう。なお、今回は隠密行動であることが前提だ。痕跡は残さないように。

蒲生: 了解。隊長、それにしても面積に対して建物が小規模すぎません?

熟田津: あー、これは手児名が詳しいはずだ。確か異常次元を作る時に起きる問題だったはずだ。どうしてもこのくらいの規模になってしまう。そんなはずだ。

蒲生: そうなんですか?手児名。

手児名: そうっすよ。ここはこの空間だけ普通よりも「落ち込んだ」位置にあるわけですが、そうするとどうしても広くなってしまうんです。イメージ的には惑星の周りでは質量が重すぎて空間が歪むみたいな感じ。

[以降定期的に会話が行われていく。割愛]

野守: 隊長。こちらA3地点。未詳実体を視認しました。何か大型の動物みたいに見えます。

熟田津: 用心しろ、野守。

野守: 大丈夫です。かなり遠くから見てますが、もう少し近づいても良いですか?

熟田津: こちらから合流するまで待て。遠くから観察を続けてくれ。くれぐれも戦闘に入るんじゃない。

野守: 了解です。

[しばらく沈黙]

手児名: いやあれ、大型の動物みたいに見えるっていうか大型の動物じゃないですか。熊ですよ。あれ。俺見たことありますもん。

熟田津: そうなのか?

野守: え、あれ。本当だ。熊ですね。

熟田津: [ため息]あー、元の位置に戻るように。野守は熊から離れてくれ。なるべく怒らせないようにな。 

野守: 急いで離れます。普通の生き物に襲われて死ぬなんてまっぴらです。

蒲生: こんなところに熊がいるのも変じゃありません?

手児名: まあ異常次元の話だからな…。一応報告しておきましょう。

[銃声があたりに響き渡る。野守の近くにある音であるように聞こえる]

熟田津: 撃つなっていっただろうが。

野守: いや、撃ってないですよ。どこかに発砲主がいるはずです。

蒲生: 私たちの銃はもっと違う音じゃないですか。

熟田津: そうなのか?すまん。

野守: 発砲した人どこだ…?

[省略]

熟田津: 野守どうした?

野守: いや、さっきの発砲主と見られる人物を発見しました。熊を火縄銃で斃したようです。手持ちのナイフで肉を剥いでいますね。

手児名: そりゃ、とんだ銃の名手もいたものだ。

女性: 肉が潰れている、肉が潰れている、飯を食わないと。そうだ空へ行こう!いや、飛べないんだった…。


2日目: 私は6:00には起床しましたが、他の班のメンバーはもうすでに起床していました。そこが共同生活の辛いところです。私はこのような任務の時に眠れたことはありませんでした。やっと起き簡単に身支度を済ませ、朝食のために下へ降りました。何か騒ぎが起きていると思うと、食堂の部屋に人だかりができていました。味噌汁が入っていた鍋がぶち撒けられており、その人だかりの中央に日本刀に心臓を突き刺された女性の死体がありました。

人のざわめきが広がり始めるとウサギ人形が出現していることに皆気づきました。それがおそらく「修行」の合図です。ウサギ人形は小さな少女のような声で発声し、以下の内容を発言しました。

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出現したウサギ人形に似た実体

みなさん聞いていますか。「修行」の時間だよ。よく聞いていてね。今回の問題を説明するよう。推理問題: 誰が彼女を殺したか


一般修行記録-02

ファイルコード: 53839-A


日付: 2031/6/13

参加者: Agt.野町、藤捻りんり、澁谷華恋、須賀輬子

議題: 推理問題: 誰が彼を殺したか


須賀: さあ!始まりました一般修行のお時間です。解説は私須賀が…

澁谷: いやいや、違うじゃないかー!解説じゃなくて司会進行だろ?

須賀: 華恋ちゃん。解説も進行も同じようなものだよ。ふふふっ、じゃあ早速解いていこうか。ウサギちゃんカモン!

ウサギ: はい。[ウサギの頭上にスクリーンが出現する。それには以下の内容が記述されている]

推理問題: 食堂で1人の女性(氏名:四坊‪諷由よんぼうふうゆ‬)の死体が発見された。第一発見者は食堂の料理人であり、5:30に食事の用意をするため部屋の鍵を開けている。それまではきちんと施錠されており、食堂はいわゆる完全な密室であった。死体の胸には日本刀のようなものが突き刺さっており、あたりに撒き散らされた血がこびりついている。日本刀が心臓に突き刺さっているという点において、この状況はE1班のメンバーが事前に取り組んでいた「双剣問題」に酷似している。捜査に関係するプロファイルは以下の通りである。

  • 彼女はB2班のメンバーであり、自室の1人部屋を持っている。
  • 死亡してからおおよそ6時間経過している。
  • 食堂は5:30まではきちんと施錠されており、いわゆる密室であった。(証人A)
  • 胸には日本刀が突き刺さっており、それは正確に対象の右心房を貫通している。
  • 日本刀は無条会館に置いてある飾り用のものであると考えられる。監視カメラの記録は昨日23:30〜1:30までの間に途切れており、その際に消失したと考えられる。
  • 心臓に日本刀が残留していること以外は死体に欠損はなく、日本刀に指紋も確認されなかった。
  • 最後に彼女と話した人がいるのは昨日の22時ごろ。(証人B)
  • 彼女は知り合いから嫌われていた。

Agt.野町: 日本刀は無条会館にあるものらしいので、犯行には入念な準備が必要なはずです。何せ無条会館からここまで、バスで10分かかる距離あるんですから。歩きなら30分はかかります。密室という壁を破壊する前に、距離という壁を破壊しなければいけません。

藤捻: 23:30〜1:30の間に刀が消えたとすると殺害時刻に果たして間に合うのか?この死体は0時くらいにはもう死んでいるからな。

須賀: 現場は凄惨な状況です。皆口に手を当てて臭いに閉口しています。死体からはもう腐敗臭がしているようです。輬子ちゃんはこの人のこと知ってる?

澁谷: 知らない。ただでさえ上の班になるほどあまり話す機会がないからな。B2なんて雲の上の人だよ。

藤捻: はっはっ、そんなランクの話ばかりしていたら横崎くんがかわいそうだろう。その話はここでやめたまえ。まあ私はC1だけどね。故に彼女のことも聞き及んでいるさ。彼女、四坊諷由は稀代の殺人鬼なのさ。多分10人くらいは殺したんじゃあないかな。だからといっては私たち庭園の名誉が失われる気がするけども、あえて言えば実社会で居場所を失ったからこそここに来たんだろうね。しかし、別にここでも人間関係がうまくいくということは全然なくて、普通に殺人鬼だから嫌われていたんだと私は思うよ。人が人を殺さない理由は嫌われたくないからだ。

須賀: 四坊の殺害レパートリーは多岐に渡ります。刺殺。焼殺。毒殺。私たちはそれをたくさん報道してきました。

Agt.野町: 5:30に料理人が鍵を開けるまでここの部屋は密室であったようです。まあノックスの十戒に則って言えば、全てこれが倫理問題におけるなんらかの超常的な現象でないとすれば、というような注釈が付くような話ですが。ということは最後にこの部屋を出た人が彼女を目撃しているはずです。

藤捻: そうか、それはもっともだがまずは証人とやらから色々聞いてみないことには話は進まないだろうな。ウサギ、証人A。

ウサギ: はい。[Agt.野町のとなりに座った状態で女性の料理人が出現する]

藤捻: まずは自己紹介から始めてもらえますか。マダム。

納谷: あっ、もう「修行」始まってますか。私は納谷梅子です。よろしくお願いします。

Agt.野町: それではあなたが食堂に入ってきたときのことを教えてもらってもいいですか?

納谷: わかりました。でも、あまり特筆すべきようなことをないと思いますよ。いつも通りに5:30に部屋を開けてキッチンを掃除して、そっからみなさんが食べるところの掃除に入ろうとしたわけですが、そこには諷由さんの死体があったんです。私驚いちゃって腰を抜かしてしまいまして。鍵は開けた時にちゃんと閉めていたことを確認しています。食堂が閉められた23:00から、私はしばらく後片付けでここに残り続けていましたが、その時にも別に死体があったとか、そんなことはなかったはずです。

Agt.野町: 最後にまで残っていた客の顔を覚えていますか?

納谷: 覚えていますが…言ってもいいんでしょうか?

藤捻: まあ、みな庭園の仲じゃないですか。それにこれは修行の案件です。別に罪に問われたりなんかしませんよ。

納谷: 確か、藍田愜子さんだと思います。彼女は夜遅くまで本を読みながらここに残る習慣があるのでなんとも…私はいつも通りのことだと思って彼女に何もいいませんでしたし、彼女も夜の11時になったら勝手に出て行きましたよ。

Agt.野町: わかりました。これでもう大丈夫です。

須賀: ええ!もう終わらせちゃうんですか?

Agt.野町: これで聞けることは聞いたはずです。

須賀: じゃあ私から聞いてもいいかな?おばさんは何時まで残っていたの?

納谷: 11時半くらいまでですね。そこまでは死体はなかったと断言できます。

須賀: なるほど。じゃあ、ここで殺されたかというよりも、どこかで殺されて放り込まれたって考える方が妥当なのかな。その時間に被害者がここにいる正当性ってのが、全然ないわけだし。だから、「犯人はこの中にいる!」なんてことは迂闊に言えないねえ。極論、私たちの全く知らない人が殺したなんてこともあるかもね。

澁谷: さすがにそれはないだろう。今の庭園のメンバーは261人、いや、横崎さんが増えたから262人かな。細かいところはわからないけど、確かそのくらいだったはずだ。その中で考えていくのが妥当だと思うよ。

Agt.野町: それではあまりにも数が多すぎます。問題に「知り合いから嫌われていた。」と書いてありますが、どのような人から嫌われていたか調べていく方針ではどうでしょう。

澁谷: ああ、そっちの方が容疑者が減っていいね。

藤捻: うーん、それでいくとしたら同じ班のメンバーかなあ。ウサギ、B2のメンバーのリストを出せる?

ウサギ: はい。

  • 四坊諷由
  • 田中太郎
  • 勘解由小路大五郎
  • 温水无流

澁谷: 誰も話したことはないなあ。温水さんは聞いたことがあるけれども。彼、神父なんだってね。

Agt.野町: 神父。キリスト教徒ですか?

澁谷: そうじゃないかな。庭園には教会もある。

Agt.野町: 他には何か知っている人はいますか?

藤捻: 勘解由小路はゴリゴリのフェミニストだよ。会ったことはないけれどね。

須賀: 田中さんは聞いたことがないなあ。こんな名前初めて聞いたよ。そもそもいたっけこんな人。

藤捻: 私も聞いたことがない。横崎。じゃあこのうち誰かでも呼んでアリバイを確認してみるかい?

Agt.野町: まずは1人から彼女に対する感情を聞きたいですね。どのような動機があるのかも気になりますし。

藤捻: ウサギ、温水さんをよんでくれ。

ウサギ: わかりました。[温水が藤捻の背後から出現]

藤捻: 君が温水无流ぬくみずなるう‬だね?

温水: 私が温水ですよ。これは修行ですか。

藤捻: そうだよ。四坊諷由が死亡したことで話し合いの最中だ。

温水: ええ?!アイツ死んだんですか?

藤捻: そうだ。

温水: あー、でもその話だったら心当たりが一応ありますよ。まず勘解由小路ですね。彼は四坊をそれこそ殺したいほどに恨んでいたので。いや、四坊が殺人鬼であるってことはもう開示された情報だと思うんですが、さらに言えば四坊は女だけ狙ったと言われてるんですよね。だから勘解由小路は四坊を差別主義者だったと思ってますよ。私も四坊に思うことがないわけじゃないですし。傲慢不遜といいますが、話し合うような気がないやつなんですよね。だからここの人間に排斥されたとしても仕方がありません。まず、話し合ってこそ全てが始まりますから。

Agt.野町: 昨日の夜のアリバイ…0時より前の時間、何をしていましたか。

温水: 何って私疑われてますか?自室で寝ていたに決まっていますよ。

Agt.野町: その間、一度外に出たことは?

温水: そんなこと──いや、あります。アリバイが崩れるわけではないですが。昨日の夜中、多分0時半くらいに何か銃声みたいなのが聞こえませんでしたか?あれを確かめにいったんですよ。といっても、ほんの数分外に見に行っただけで。

須賀: そんなことあったっけ?すっかり寝ていたからわかんないな。

澁谷: ああ、確かにバァン!と音が聞こえてたね。一体何だったのかな。

藤捻: あれは多分星降のだ。アイツ、夜な夜な狩猟に出て行く癖があるんだよ。私にはイマイチわからないが、自分で狩った肉を食べないと自分の生を実感できないらしい。

Agt.野町: つまり、星降さんにもアリバイがないことになりますね。それも凶器である銃を持って。

藤捻: ああ?今回のは銃じゃなくて日本刀だろう?日本刀の他に傷がなかったはずじゃないか。

Agt.野町: 対象の右心房を正確に銃で撃ち抜いた後、日本刀を差し込んだという線がないわけでもありません。

澁谷: 多分、その人には勘解由小路や田中に匹敵するほどの動機はないんじゃないか?

須賀: やはり動機がないとね?

Agt.野町: ここの天井は吹き抜けじゃないですか。上の階から紐か何かで死体を結んでここまで下ろしてきたという線はありませんか?

藤捻: だとしても周りがガラスで覆われている。ガラスが割れていないことは確認済みだ。

[沈黙]

澁谷: 容疑者、減るどころか増えた感じがあるな。

Agt.野町: 待ってください。まだ証人Bがあります。

ウサギ: はい。[Agt.野町の背後から証人Bが出現する]

丹波: 諷由の友達の丹波凛です…。

Agt.野町: 22時ごろまではあなたと話していたらしいですが…。

丹波: はい。諷由は夜眠れないタチなので部屋で話してるんです。昨日の諷由は落ち込んでいて。皆には酷い人間だったかもしれませんが、私にとっては貴重な友人だったんです。殺人を起こした人間は語るべくこともできません。いや、むしろ言葉の力に頼るしかないのかもしれませんね。社会から逸脱して、だからここに来たんです。私が抱いてる感情は不遜ですか?殺人した人が殺されて悲しむのはいけないことでしょうか。

Agt.野町: 今はそれが本題ではありません。あなたは別れた後、どこへいきましたか?

丹波: [沈黙]ゔっ…。すいません。取り乱しています。証拠はないかもしれませんが、私の部屋にずっといましたよ。

Agt.野町: 四坊さんはなぜ落ち込んでいたのですか?

丹波: え?そうですね。実のところ私にはわからないんです。彼女には何か人殺しの正当性のようなものがあったらしいんです。

Agt.野町: わかりました。これで大丈夫です。

藤捻: 横崎、何かわかったのか?

Agt.野町: 私は今のところ納谷さんを疑っていますね。今のところ彼女しか犯行可能ではないですし。

藤捻: しかし彼女には日本刀を無条会館まで取ってくることはできないぞ。

Agt.野町: そこがミソです。だって日本刀を取ってきたのは四坊諷由その人なのですから。

澁谷: 四坊諷由は殺人鬼。それはわかるけど、しかしここでもまた殺害をしようとしていたっていうのか?一応言っとくけどこいつがここまで人殺しをこの庭園でしたことはないよ。

藤捻: でもそれならば話の整合性はつく。四坊は刃物の扱いについては長けているんだから、日本刀を使うのもおかしくない。

Agt.野町: 四坊の持つ人殺しの正当性とはおそらく「食べるため」でしょう。刺殺というのは包丁で切り込みを入れ、焼殺というのは肉に火を入れるかのようで…毒殺というのは調味料のような。そのような意味を持つのです。星野さんが食べないと生きる理由がわからないというのと逆でしょう。四坊は生きるために食べるのです。そして食べるために殺すのです。納谷さんは調理人で、まさしくその料理の象徴でした。故に狙われた。

藤捻: ああ、なるほど。四坊は納谷を殺そうとした。だけど殺し返された?

Agt.野町: そうです。その証拠は…納谷さんが「臭い」に言及しなかったことです。私たちは音や臭い、さまざまなものを感覚として捉えています。しかし、納谷さんだけは潔癖症のように死体などなかったと述べています。それは虚言なのではないでしょうか?

藤捻: なるほど。じゃあまとめよう。

回答: 犯人は納谷。日本刀は被害者である四坊が取ったもの。食堂で四坊は納谷を殺害しようとしたが、納谷に逆に殺し返された。あとは現場から自身の証拠を消しつつ、平然と嘘をつくだけ。

藤捻: どうだ?ウサギ。

ウサギ: [沈黙]

須賀: んん?

ウサギ: 拝領しました。

ウサギ人形のような実体は宙に浮かび消失しました。この後開示された情報では真犯人は納谷ではありませんでした。これが純然たる超常現象によるものだったのか、それとも別に犯人がいるのか、今でも判明していません。以下に私の潜入期間の中で発生した「修行」イベントについて簡単に記載します。

種別 名称 概要
管理問題 タトゥーがこわい 「庭園」の共通浴場は原則タトゥーのある人間の立ち入りを禁止している。 各部屋に風呂があるため、これまでいくつかの住人はそれを利用してきた。しかし、彫り師の西園寺天音とかつて指定暴力団の組員であった五島灘の両名がこれを不平等であると訴えた。タトゥーを入れた人間が共通浴場を利用することに関する可否についての議題。賛成派と否定派の対立論争。結果的に賛成派の勝利。
究理問題 老化するべきか 「庭園」の 特殊な薬草によって老化しない人間がいる。老化には様々な問題と利点がありその性質は議論に値する。老化しない人間はその状態を継続すべきか?という議題。D3班の議論。
経理問題 私たちに金は必要か? これまで全ての財産観念が排除された上で共同生活を送ってきた「庭園」の状況下において、これから「食品の提供などに金銭を支払うべきか?」という議題。B2班とB3班の対立論争。B3班にとっては昇級が、 B2班にとっては防衛がかけられたディベート。結果的にB2班が現状を維持。
代理問題 イデオロギーと握手! 「庭園」の統治機構に関する議題。これまで「庭園」は序列によって待遇が分かれるなど、徹底的な階級制度を敷いているが、果たしてこれは正しいのか?という話し合い。A2班とC1班の対立論争。結果的にA2班が現状を維持。

観察された結果から「一般修行」がいくつかのパターンに分けられることが判明しました。1つ目は単一班が適当に提示された議題について議論する形式です。2つ目はなんらかの訴えによって生じた「問題」を解決するための議論です。これには対立相手が存在する場合とそうでない場合があります。また、複数の班が対立している議論を行うとき、その話し合いの趨勢によっては昇格の可能性があります。


GoI‬-2555 歴史記録
76725-B

これまでに行われた図書室での調査や聞き取りでえられた情報をできうる限り簡潔にまとめます。まず「庭園」の歴史を語るには神枷一族について説明しなければなりません。神枷一族は分家の分家のようなもので、特に歴史の表舞台に現れるようなことがありませんでした。より詳細にこれを説明すると、神枷一族の本家は海人族‪わだつみぞく5の系譜である三輪氏、あるいは神氏にあります。三輪氏は修験道の開祖として知られている役小角、神氏は中世に入ると笛の名手と知られる山井景光などを輩出しています。神氏はやがて山井家と名乗りを変えましたが、神枷一族はこの中で「神枷」という大層な名前を持ちました。山井家は蒐集院と関わり続けていきます。

神枷一族は一般に知られるより多くの歴史的事象に関係していることが資料に記載されています。図書室の資料を全て信じるならば、南北朝の合流を実質的に行ったのも彼らであり、他には元寇や関ヶ原、江戸開城、第二次世界大戦にも関係しています。これらは歴史の編纂の際に隠されているか、そもそもその活動が表面化していません。

奏上庭園が設立されたのは1960年代のことだと思われています。創設者PoI-2594("神枷孫仁")は1939年に兵庫の一般家庭で生まれました。大規模農家を営んでいた父親「宗次」と「たえ」の間に生まれ、父親からの土地を引き継いでいます。6彼は自分の出自について何も知らなかっただけではなく、その能力について自覚していませんでした。孫仁が1番最初に能力を発揮したのは先祖から引き継がれた土地に対して帰属問題が生じた時のことでした。彼の住んでいた広島の土地「地々寺」7には2つの地主が存在していました。そのもう1つの係累が「雪野家」です。雪野家は2つの山の間にある4km2ほどの領域を自分たちのものであると主張しました。この土地は長い間耕作放棄地であったため、その帰属が彼らの3代前の時代から明らかになっていませんでした。それを解決したのが神枷孫仁の能力であると言われています。詳細は省きますが、この時神枷孫仁は一旦全ての土地を雪野家に譲渡しており、その後にさらに土地を借りるという形で養鶏事業に取り組み、事業で出た利益で土地を買い戻しています。また、これらの土地は雪野家も囲い込んだ共同事業体の管轄になっています。この共同事業体は奏上庭園の原型となります。

共同体の最初期においてものごとの決定プロセスは直接的な多数決にありました。これは孫仁がまだ能力について半信半疑であったからだとされています。しかし、直接多数決は次第に人数が増えるにつれより困難なものになっていきました。次に提案されたのが孫仁以外に多数決で決定された管理者を置くという案でした。孫仁は管理という事柄に積極的ではなかったため、その他の代理人を立てるということでした。しかし、これは却下されています。理由はおおむね個々の意見を蔑ろにしないためといってもいいでしょう。孫仁の性格が伺えます。

多数決の時代が終焉を迎えると、孫仁が人前に姿を表さなくなります。彼には息子もいなかったため、次の指導者を‪大庭御厨汽子おおばみくりやきこに託しました。


7日目: 私は創始者の神枷孫仁をよく知る人物の1人、奏上庭園2代目の指導者である‪大庭御厨汽子おおばみくりやきこ‬にインタビューを試みました。このインタビューには学習院と公文が同席していました。学修院は「興味本位」で、公文がなぜここにいるのかは理由がわかりませんでしたが、これから別の「修行」に参加する登別に強く頼まれたので断ることができませんでした。

大庭御厨は2代目の指導者となった時点で16歳(正確な生誕年月日は不明)であり、現在は100歳ほどであると考えられています。彼女は私たちが住む鳥館からさらに10分ほど離れた一軒家に住んでいました。この建造物はかつて神枷孫仁と大庭御厨が一緒にくらしていた家であるとの説明がなされました。家は丁寧に整備されており、庭にはバナナの木が植えられていました。

日付: 2031/6/20

登場人物: Agt.野町、大庭御厨汽子、学修院乙矢、公文霈


[部屋内は木目調の家具、内壁、用品で統一されており、それらは十分に経年劣化が感じられる様子であった。人物らは木製の机を間にして向き合って座っている。学修院は公文を膝の上に乗せて着席する。大庭御厨はコーヒーを(暖簾で隠されていて中は窺えない)キッチンから取ってくる。ひと息ついたあと、持っていたコーヒーを机に置いて大庭御厨は会話を開始する]

大庭御厨: 私は。古物商の娘でした。私の曾祖父は大層な商才に溢れた人物で、一代で財を成しました。その息子である爺様もそれなりに才能がある人物で、彼の財産を維持し続けました。問題だったのは私のお父様だったのですが、彼は酷いギャンブル中毒でした。最初の方は割と悪くなかったのです。しかしだんだんと、勝率が低くなっていき、お家の財産はみるみるなくなり、借金を背負うようになりました。ギャンブルというのは最初に成功して、あとから失敗していくというのが常です。まあ元から大金持ちというわけではありませんでしたからね。

大庭御厨: そしてこの話で肝要なのは、私にはギャンブルの才があったことです。私にはおそらく商才はないでしょう。父もそうでしたから。

学修院: そうやって、私たちの指導者だったあなたが卑下しないでくれる?

大庭御厨: それはすいませんでした。ともかく、私にはギャンブルの才がありました。私がお家の借金をどう片付けたか。もちろんギャンブルでです。この発想に至る時点でもう父親の血を色濃く引き継いでいるということも言えたかもしれませんが、徐々に他の知り合いや親戚からの連絡が途絶すると──最後に残されていたプライドのようなものが無くなっていくのです。そんな曖昧な感情が私をギャンブルに走らせたのかもしれません。1試合目は丁半博打でした。ヤクザが喧々騒々と犇めいている穴蔵になんてことのない少女が1人。これではカモにされてしまいますね?さっきもいいましたが、ギャンブルというのは最初の方はうまくいきますが、後からだんだんと失敗が積み重なってきて、気がついたときには後にひけなくなっているのです。パチンコなんかは最初に成功させて十分に楽しさを味合わせておいてから、後から引っ込ませるなんていう噂もあります。まあそれは根拠のない噂でしかないのですが。

Agt.野町: [沈黙]あなたがいくつかのいかがわしいコネクションを持っていることは知っています。果たしてそれは噂なのでしょうか。

大庭御厨: 驚きました。そこまで知っているのですか?吹雪から聞いていましたが、なみならぬ人間のようですね。良く見てみると年相応の目をしていない。

Agt.野町: 勘違いでしょう。私のことはどうでも良いのであなたの話を続けてください。パチンコのことはもう聞きませんから。

大庭御厨: 心配しなくてもいいですよ。今はやめさせていますから。確かに私にはその手の知り合いが多いです。しかし、あなたの知り合いと比べたら全然でしょう。まあここで追求はしません。

Agt.野町: ありがとうございます。この手のことには慣れていないもので。

大庭御厨: 話を戻すと、私の穴蔵でやったギャンブルは正真正銘イカサマ塗れの嘘八百でした。そこで現れたのが若き日の孫仁ですよ。彼はまさしくヒーローです。丁半博打と言ったってその本当のところで大事なのは運。それとコミュニケーションの能力です。彼はその辺がずば抜けていたというか、いやはや、別に今風に言ってパリピというわけではなくてですね。これは単純に私が彼のことに見惚れていたというべきなのか…。

Agt.野町: 惚れていた?

大庭御厨: 見惚れていたです。横崎さん。そこら辺の感情は[笑い]そうですね。ここは修行にしてしまいますか。私は修行をどんな人に割り当てるか自由に決められるのです。作為的に。

学修院: え?私たちのも?

大庭御厨: その通りですよ。学修院さん。あなた方の班は倫理問題を得意としていましたよね。私もあなた方の倫理の話し合いが見たくていつも割り当てていたのです。

学修院: じゃあもしかして、先月の「トロッコ問題」を出したのもあなた?ダルマとか…ウサギとかが決めているのかと思ってたの。それは多分気まぐれで、災害みたいなものだと思っていた。だからこそトロッコ問題なんて…1人の人間が、独断で話し合いもせずに決めていたなんて簡単に信じられない。

大庭御厨: あのダルマやウサギは私の意思を伝える人形です。これは指導者にしか伝えられていないことですが。

Agt.野町: それで、修行の議題はなんですか?

大庭御厨: そうですね。ではテディベアを呼びましょうか。

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出現したテディベア人形に似た実体

あなたたちには今から話し合いをしてもらいます。題して「心理問題: あなたの過去を振り返ろう

特別修行記録

ファイルコード: 53849-A


日付: 2031/6/20

参加者: Agt.野町、大庭御厨、学修院、公文

議題: 心理問題: あなたの過去を振り返ろう


大庭御厨: テディベア。

テディベア: 問題を提示します[スクリーンが出現]

心理問題: 14歳の時の大庭御厨汽子は家の借金を返すために中国地方の穴蔵で行われた「無業博打」と呼ばれる定期開催イベントに参加した。丁半博打において彼女は10万円の持ち金を失いかけた。これはイカサマによるものとする。その時、神枷孫仁が現れた。彼は共同体の新しいメンバーを募るために超常を知るコミュニティに足を踏み込みました。神枷孫仁は身ぐるみを剥がされそうになっている大庭御厨を見事イカサマを見抜き助けました。この時、大庭御厨が得た感情は何によるものだったのか。

大庭御厨: とはいえ私だけ昔の話をするのもずるいですね。この問題が「心理」であるならば、自分自身の心理状況に答えてこそだとも言えましょう。どうですか。学修院さん、横崎さん、公文さん。自分自身の過去についてのお話をしてもらえないですか?

学習院: 私たちはあなたが出した問題に答えなきゃならないのよ。そんな暇ある?

大庭御厨: ありますよ。いや、むしろこれを考えることによって問題の答えにたどり着けるのかもしれません。

学修院: 答えが自分自身の中にあるってそんなベタな。私は自分のことについてあんまり話したくない。横崎は?

Agt.野町: 私も自らの過去について話したくありません。大庭御厨さん、それは本当に必要なことなのですか?その質問は確かにベタです。

大庭御厨: ベタでもなんでも言いますよ。問題の答えは「私たちがここにいる理由」です。

学修院: ここにいる理由?そんなものあるの?

大庭御厨: それこそランダムで選ばれたようなものではないでしょう。当たり前です。私が今こうしてあなた方と修行に取り組んでいるのも、それについて考えればわかりますよ。もちろんあなたもね。

[記録中で確認されていた雨の音が止む。全員はそのまま沈黙を続け、次に学修院が声を発するまで微動だにしない。時折、コーヒーを置く音が入る]

学修院: 生まれた場所は確か広島の呉で、確か私には姉がいた。

大庭御厨: そのお姉さまの話が鍵になるかもしれませんね。そうやってあなたは自分のことを訥々と話してればいい。それを踏まえて考えましょう。私、気になります。乙矢さんの名前に違和感があるのです。そのあたり説明してくれませんか。なんというか、乙矢と言いますと男っぽい名前ではありません?

学修院: 失礼なヤツ……まあ仕方ないか。私が乙矢という名前なのは和弓が得意だった早矢姉さんの妹だったから。和弓では2本弓を引く時に最初に引く方を‪甲矢はや‬って呼んで、次のを乙矢って呼ぶのよ。2番目に引く弓だから、乙矢。わかった?というか、みんなもこのことを知っているんじゃない?私の姉のことを知らない?アナウンサーやってるんだけど。

大庭御厨: ああ、そういえばそうでしたね。確かに聞いたことがあります。

Agt.野町: 四本テレビで朝のニュース番組をしているアナウンサー。私もそれは聞いたことがありますね。珍しい名前ですが、まさか親族関係にあったとは。

学修院: 学修院なんて名字の人、全国にそうそういないわよ。

公文: [呻き声]

学修院: それで……私がここにいる理由だったっけか。生存競争に負けたからかな。姉はすごい人間だった。才色兼備って言うのかな?弓道もできたし、勉強も、本当になんでも。だからこそ次の矢にも期待がかけられていたのかもしれないけれど。実際、そこまでよく出来た射ではなかったわね。私に才能がなかったなんて傲慢なことは言わないけれども、本当によく出来た人間、1000人に1人ってレベルの人間に勝てるわけがない。いつも比較されて、有り体に言ってしまえば差別されて生きてきた。

[沈黙]

学修院: だから私がここにいる理由は「差別された、比べられたから」これで満足した?才能で劣る人間は言葉でしか自己を保てないのよ。

大庭御厨: [拍手]ええ、満足です。私たちがどのような理由で話しているのか。まさしくその1つの例でしょう。ちなみにお聞きするのですが、早矢さんとは仲が悪いのですか?

学修院: …いや、そこまででもないかな。姉さんはいつでも優しかったし、結局私の被害妄想だったのかな。

大庭御厨: 了解です。それでは横崎さんも話してください。

Agt.野町: 私は話したくありません。それでもお聞きになりますか?

大庭御厨: 別にあなたの所属がどうこうって話はしないと、さっき言ったはずです。私が聞いているのはあなたが話す理由。言い訳をする理由。負けていた理由です。

Agt.野町: 私が……負けている?私は負けていません。

大庭御厨: それならそれでも良いのです。別に負けたとか負けてないとかは言葉の綾でしかありません。

Agt.野町: これが「負け」であるならば酷い差別的発言をしたことになります。学修院が両親から比較されて差別されたという境遇の持ち主ならば、私はそれすら存在しないということになりましょう。 ……私は両親がいません。幼少期を孤児院で過ごしました。8

大庭御厨: それは申し訳ありませんでした。決して差別的な意図があって言ったわけではありません。

Agt.野町: だから私の言葉というのは身を守るための武器であるとも感じています。学修院のように常日頃から特定の対象に加害されていたというわけではなく、言うなれば親無しの子供にとって全てが敵です。故に私はここにいることができる、そういうわけです。

大庭御厨: [沈黙]…わかりました。「言葉こそが唯一の武器」だったからということですね。もうこのことを聞くのはやめましょう。次は公文さん。

学修院: さっきからわかってると思うけど公文は喋らないの。

大庭御厨: ええ、それも知っています。公文さんが喋らない理由もわかります。

Agt.野町: それですが私にもわかるよう説明できますか。これが聞いていいことなのかわかりませんでした。

学修院: 説明するよ。公文は言葉を失ってしまったの。正確にはまともな意味のある言葉を言うことができなくなってしまった、というべきなのかな。公文はいじめられていて、それは暴力によらない暴言による制裁だった。

[先ほどから呻き声を定期的に発していた公文が動きを停止する。これまで目をぼんやりと細めていたが、目をはっきりと開け短い言葉を発する]

公文: 私は悪くない。

学修院: 言葉を奪うのも言葉。もちろん公文も反論したよね?

公文: うん。

学修院: しかしどうしようもない現実というのは、反論したところでどうしようもないし何かが変わるわけではない。言い訳したところで事実は動かない。今、こうして話しているのは公文自身のことを話しているからよ。

公文: 私は怖い。

学修院: なぜ話せないのかって聞かれれば、話したことが否定されてしまうのが怖いとしか答えようがないでしょうね。不安。自分が否定されることへの恐怖。このことは横崎以外の班のメンバーが全員知っていることだったんだけどね。横崎、ここまで説明してなくてごめんね。

Agt.野町: ええ、大丈夫です。

学修院: それで、ここまで私は自分や友人のあられもない個人情報を無遠慮に開示してきたわけだけど、これが問題のどういう風な解決に繋がるっていうの?もう1つ言わせてもらうとあなたの感情って恋愛よね。何明らかにしろって話なんだけど。

大庭御厨: それを決めるのはあなた方です。もちろん今すぐ恋愛であると回答しても良いのですが。

Agt.野町: 恋愛が負けだと言うつもりはありませんが、私が思うにそれは「負け」ではありません。指導者に推挙したのも孫仁なんですよね。

大庭御厨: 彼は私を庭園の指導者に指定しました。その時は本当に嬉しかったです。

Agt.野町: 大庭御厨さんはむしろ「崇拝」負けを認めて崇め奉る行為に及んでいたのではないかと…。

学修院: 「負け」ではないんだよね?

Agt.野町: 崇拝というのは実際、加害を加えるという行為にもなりうるのです。大庭御厨汽子は助けられていましたが、むしろ助けられた人間にできることが崇拝なのでしょう。すると逆に崇拝する人間が加害者としての性質を帯びる。

学修院: 恋愛と崇拝以外にだって「怠惰」とか「嫌悪」…いろいろあるんじゃない?崇拝と恋愛だけとは言えないよね。

Agt.野町: それもそうです。しかし一旦負けを認めるためには「嫌悪」では不十分です。1番強いのは崇拝が恋愛ですよ。

学修院: じゃあ私が恋愛を支持するとして、あなたは崇拝を支持するのね。

Agt.野町: そういうことになります。

学修院: 私が恋愛って考えた理由は主に2つ。吊り橋効果と「負け」の価値観よ。吊り橋効果については言うまでもないね。要は危険な場所にいる男女は恋愛に陥りやすいという心理学でよく言われることだわ。「負け」の価値観というのは、大庭御厨汽子が負けた勝ちというのをやけに気にしているなという感想から。私の直感から言えば恋愛というのは「負け」ではないけれども、彼女にとっては負けを認めた上で相手に乞う行為じゃなかったんじゃあないかと。負けは嫌いなんじゃないかな。

Agt.野町: 私が崇拝であると考えたのは、2人の間に恋愛関係など存在できないからです。明らかに2人の間には助けた人と助けられた人の関係がある。被害者と加害者という以上に。それなのに恋愛ってできないですよね。崇拝というのは心の防衛機能の1つでもあって、自分の矮小さが知られないようにその人を過剰に上げて心を守るんですよ。

学修院: 私は横崎の考え方が冷酷に過ぎていると思ってるよ。

Agt.野町: しかし簡単な直感を並べたところで人の心理なんて誰にもわかりやしないだろうというところが、私の偽らざる本音です。おそらくこれは理由を問う問題なのでしょう。恋愛であれ、崇拝であれ、どちらにせよ今ここにいる理由にはなりますからね。だから[中断]

学修院: ちょっと待って、横崎。公文が…何か話そうとしてる。

公文: 理由ならまだある。それが「嫉妬」。

Agt.野町: なるほど、嫉妬。 崇拝と似ていますがそれと同時に羨ましがるような気持ちが出ている単語ですね。

学修院: 大庭御厨、神枷孫仁はギャンブルで勝ったの?それとも、何か別の魔法みたいな技術で勝利を手にしたの?

Agt.野町: ええ、嫉妬だとしたらどこに嫉妬しているのかを知らなければなりませんから。答えてくれませんか?

大庭御厨: 孫仁はギャンブルの問題を指摘しました。「何故その手にサイコロが握られているのか?」実際はサイコロは3つあって、そのうち1つがシゴロ賽、もう1つがピンゾロ賽、そして最後に普通の賽。彼らはクライマックスでどうしても外せない時、それを使いました。だから気付くことができたのは孫仁だけでしょう。私が嫉妬したのだとすれば、それは彼のギャンブルの才能だったに違いありません。

学修院: この場合「嫉妬」だとしたら大庭御厨はそのギャンブルの才能に嫉妬したことにならない?だとしたら嫉妬というのは検討外れで、あとは何に感動したとしてもいい「恋愛」とか「憎悪」とかの方が的を射ているといえない?

Agt.野町: いや、その心配はありません。これで2人を縛っていた加害者と被害者の関係が壊されました。彼らは純粋に助けた人と助けられた人なんだろうと思います。だからやはり「嫉妬」なのだと思いますよ。

学修院: ……大庭御厨は他人を助けれるような人に嫉妬していた?

回答: その感情は「嫉妬」。他人を助けれる人間への嫉妬。だから大庭御厨は庭園を作った。

テディベア: 受領しました。

大庭御厨: 正解です。


日付: 2031/6/27

登場人物: Agt.野町、道玄坂珠紀、学修院乙矢、登別幡子、公文‪霈


[Agt.野町は霧の中にいる。そこはコンクリート造りのただ直線に進んでいく1本の道のみが続いており、いくつかの道路標識以外に人工物はない。Agt.野町は200mほど前に進む。そこにはE1班のメンバーが立っていた。道玄坂は目の前にいる霧の中を道から外れて歩き回る群衆を指差した。この群衆には全員の目が何かの方法で塞がれているということ以外は共通する特徴がない]

道玄坂: 横崎さん、これ以上彼らに近づいてはいけません。彼らは攻撃的でやたら自己主張だけは激しいですから。

Agt.野町: はっ、はい。

道玄坂: 彼らがなんだかわかりますか?

Agt.野町: あの人たちですか?

道玄坂: あの意味もなく道から外れて歩き回る人々は一体どんな存在なのかわかりますか?彼らは私たちが軽蔑して止まない…あるいは愛して止まない存在です。彼らがいるからこそ庭園があるかもしれない。彼らのような人こそが私たちの土台なのです。

Agt.野町: 土台…?もしかして何かのメタファーなのでしょうか。あなたが功利主義を標榜するように。「数が多い」「軽蔑されている」「愛されている」つまりは人間に普遍的な感情、それでいて何かしらこの提案の人から嫌われるような立場ではないといけませんね。思想の擬人化であるとすれば、例えば‪悲観主義ペシミズム‬とかですかね?しかしそれでは「数が多い」というところに納得できない…。あ、‪虚無主義ニヒリズム‬ですかね?

道玄坂: まあおおむね正しいです。正確には「消極的ニヒリズム」と言います。

学修院: その言い方は正しくないってさんざん言ったでしょ。

道玄坂: そうでしたね。1番近い言い方が単にニヒリズムというだけで、これではニヒリズムに失礼でした。ニーチェはニヒリズムを2種類に分類しています。大雑把に言えば、それは消極的か積極的かという違いに縮約されます。消極的ニヒリズムは絶望に囚われてしまった人間が、ただひたすら無感動に受動的に身を任せ、川を流れるように生きていくという発想です。それに対して、積極的ニヒリズムは「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命に生きようとする態度のことです。

学修院: それで、私たちが見ているこの人間が何かという話をするのだけれども、これはいわゆる盲目の民衆というやつなのよ。私たちが話し合いをするための団体であるということを考えれば、すぐさま答えが出てくるはず。私たちはそれと常に戦っていて、そしてなによりもそれに1番負けそうになっている。それだけには打ち勝たないといけないの。もし「彼ら」になってしまえば、最終的には選択権限が奪われてしまう。選択権限が奪われてしまった人間の末路については知ってるよね?

公文: 盲目的な人類。

登別: そういう人間には誰かが命令を与えるんだぜ。何でもいい。例えば宗教とかな。でも私たちが怯えているのは別に宗教ではないな。宗教が恐れを成している時代は、もうその時で終わっているからな。もちろん1つの集合でもあるがな。

Agt.野町: じゃあ、彼らを操作する存在は一体なんなのですか?

[沈黙]

学修院: 彼ら自身、あるいは‪庭園SNS‬ そのものだよ…。

Agt.野町: だから私たちは問答を繰り返しているんですか?

学修院: …うん、思考を止めてしまわぬように。

道玄坂: ねえ皆さん。私の決死の思いを聞いて欲しいのです。私たちは思考を止めてはなりません。私も自分の考えを更新する必要があったのです。もちろんこの世に「真理」なんてありません。だからこそやらせてもらえませんか?「真理問題」を。

14日目: この日が調査記録の最後になるはずですが、私が興奮したせいなのか何か異常な影響を受けたからなのか記憶がほとんど残っていません。確かな記録は断片的な情報を思い出させますが、特に真理問題が終わってからの出来事は全く思い出せません。また、記録には情報部門の許可を得ていくつか削除した部分があることに注意してください。

この時の「真理問題」ではE1班のメンバーは中央棟の最上階に集まりました。中央棟の7階以上の空間は完全にブラックボックスであり、これまで出入りのなかったエリアであることを付記しておきます。私は雪野氷山を名乗るスーツ姿の男性に案内され、階段を50段ほど上り、そしてエレベーターで20秒間ほど下がり、そこからさらにエレベーターを使って最上階「月夜の間」に到着しました。「月夜の間」は全面が窓ガラスに覆われた円形の部屋です。この部屋の中央に設えられている円卓とその椅子にはもうE1班のメンバーが揃って座っていました。彼女らは雪野を名乗るスーツ姿の男女にそれぞれ案内されたと言います。

一般修行記録-03

ファイルコード: 56321-A


日付: 2031/6/27

参加者: Agt.野町、道玄坂珠紀、学修院乙矢、登別幡子、公文‪霈

議題: 真理問題


[部屋には赤い絨毯が敷かれている。円卓には6つの椅子が用意されている。E1班のメンバーは合計で5人であるため、そのうち真南にある席は空席である。円卓の中央にはキャンドルに火が灯してあり、それぞれの席の前には紅茶、あるいはコーヒーが置いてある。メンバーは一向にそれに手をつけない。雪野霙が「そのキャンドルの火が消えたら終わりとなります」と述べると道玄坂は口を開く]

道玄坂: 私たちはいつも答えを見つけられなくて泣いている。時には心理を看破したようにうそぶいたり、真理を見つけたかのようにのたまうけれど、それは本物ではない。だから話し合う。

Agt.野町: 議題は誰に聞けばいいのでしょうか?さっきまでいた人形がいませんよね。

道玄坂: 最後の問題は人間がやるのです。「真理問題」それは誰が考えようにもダメな問題であるはずです。それこそ大庭御厨氏にも。

学修院: だけど、申し訳ないことに問題がなければ議論は始まらないわ。

道玄坂: 問題はもうあるのです。議論もね。藤捻氏が私の功利主義をはっきりと否定したとき、私はこれまで信じてきたものが失われたような感覚に陥りました。しかしそれも庭園。いや、故に庭園。昨日の夜正しいように扱われていたことが、次の日の朝には間違っている。

学修院: 藤捻は私たちをサイコパスだと言った。そういうこと?

道玄坂: その通りです。私の功利主義にしても乙矢の義務論にしても、それを自明の如く選べるような人間はサイコパスです。でもその文句に対して私はもう少し建設的な議論をすることができます。

Agt.野町: つまり私たちが抱えている問題に対して反論する準備ができたということですか?

道玄坂: そうです。横崎さんが今まで見てきたものもそうですが、これまでの一連の流れ自体が既に議論なのです。

学修院: [笑い]じゃあ私が悪魔の代弁者やってあげる。登別、司会頼める?

登別: ああ?どんな議題なんだぜ?

学修院: そうね…。名付けるなら。

道玄坂: やはり倫理問題から引用するのが妥当でしょう。

学修院と道玄坂の両名: 「真理問題: 双剣を正当化せよ」

[道玄坂は以下の内容を手元のノートに記述した]

真理問題: トロッコ問題の回答は「功利主義」「義務論」に大別される。しかしそれは功利主義にせよ義務論にせよ何かしらの犠牲が必要であるということは一貫している。そしてこれらはある種の状況においては正常に働くものの、例題によっては破綻をきたす。以下に功利主義の問題点を示す。これらについて議論をし、回答せよ。

  • 「嫉妬」や「崇拝」というような歪な感情が元でも、善をなすことはなぜ素晴らしいのか。
  • 殺人鬼と固い友情を結んだ人間が、死んだ殺人鬼のために泣くことは許されるのか。
  • 幸福は単に定量化できる存在ではない。人によって価値判断の基準は異なり、幸福が一体なんなのかわからない人もいる。
  • そして、盲目的に陥った人を救うべきなのか。

道玄坂: こういうことです。腕は悪いが人を救うという気持ちだけは人一倍強い医師と、人を救う気持ちなんて微塵もないが技術は超一流の医師、どちらが多くの善を成しているでしょうか。大庭御厨は嫉妬で今の庭園を運営しています。これは正しいのでしょうか。

道玄坂: 多くの人を殺した人間のために働く人は悪でしょうか。あるいは多くの人に善を成すための行動で約束を破ってもいいのでしょうか。

道玄坂: 星降よだかのように幸福が何なのかわからない人がいます。その時、幸福を最大化するためには何をすればいいのでしょうか。

道玄坂: 最後に、こうして倫理的な議論をすることは人々に多くのことを要求してはいないでしょうか。信じたいものがあることも、そして人に頼りたくなるものも人の自然な心理です。これを批判することは正しいのでしょうか。これらのことが私が考えるべき問題です。

学修院: なるほどね。それは私たちの経験で導き出された問題だ。珠紀は功利主義を解決するための挑戦をしようというわけか。

Agt.野町: 1番目はどうなのでしょうか。私の直感から言ってしまえば、後者の「心はなくとも技術はある」というような医師の方が多くの善を成しているといえるでしょう。

道玄坂: それがこの問題の妙ともいえるところで、善意なき医師は本質的に害を与えるものなのです。なんらかの影響によって、普段彼は結果的な善を成しています。しかし外部環境の変化によって悪に転じてしまう可能性があるのです。金のために働いている医師は貧乏人を救うでしょうか。善意があれば貧乏人も救えるはずです。要するに倫理的とは言えない。

Agt.野町: 状況によって転じるということであれば、それは多くの人々を救うという功利主義的発想でも同じことでは?

学修院: 医師における善というのが、人を救うことであればその理屈は成り立つかもしれないわ。だけども、人によって善の種類が違うというのも事実よ。善意なき医師の善が金銭であるだけかもしれない。

道玄坂: 乙矢の言うそれは、金銭を得ることは「快楽や単純な幸福を得ることが人間である」というような利己主義にしかすぎないのです。私が目指すべきは「最大限に倫理的な行為とは、自分自身がより利を得ることである」と言い切ることです。「幸福が人によって違う、だから金銭を得ることが倫理的な行為である」というのは違うことです。

登別: まとめた方が良さそうだな。道玄坂の言っていた「快楽や単純な幸福を得ることが人間の幸福である」というのは、心理的利己主義というぜ。逆に「幸福が人によって違う、だから金銭を得ることが倫理的な行為である」というのは倫理的利己主義といって、それを目指すことが功利主義的に望ましい結果をもたらすと考えられているぜ。

心理的利己主義 倫理的利己主義
人間は自分自身の快楽や単純な幸福を目指すようになっている 人間は自分自身の快楽や単純な幸福を目指すべきだ

道玄坂: だから学修院の言っていたことは違うんです。

公文: 現実的には…。

*学修院:** 公文?

登別: つまり公文はこう言いたいんだぜ。「現実的には人を救うためだけに働く医師なんて存在しない。無給で働けと言われれば誰でも嫌なのでは?」とな。

道玄坂: これも確かに筋の通った意見で、私が金銭目当ての医師は倫理的ではないと言い切るならば、必ず受けるであろう批判です。しかし大事なのは全体の幸福を最大化することなのだから、医師自身の幸福も考慮しなければなりません。そこから導き出せる結果は、医師が自身の幸福を維持するべきである。そして患者の幸福も維持するべきであるという倫理的利己主義の回答です。

公文: 答えは倫理的利己主義。

道玄坂: これはかなり答えに近づいたんじゃないでしょうか。

Agt.野町: でも、大庭御厨にとっての幸福とはなんだったのでしょうか。彼女は、嫉妬でこの庭園を運営しています。私が想像するに嫉妬で運営されることでの実際的なデメリットは薄いような気もするのですが。彼女はちゃんとここを運営してましたよね。

道玄坂: 彼女にとっての幸福とは神枷孫仁に近づくことだったのでしょう。

学修院: 実際に彼女に会ってきた私もそう思う。だから既に医師の側である大庭御厨の幸福は満たされていて、後は私たちの幸福が満たされているかということなのだけれども、それはとっくに話すことまでもないわね。


登別: 次いくぜ。

Agt.野町: 四坊諷由、殺人鬼です。「推理問題」の時に殺されてしまいましたが。

学修院: これはトロッコ問題に似てるわね。

道玄坂: そうですね。

学修院: そもそもなんで「殺人鬼の死に対して泣いてはならない」なんてルールがあるのよ。

Agt.野町: この問題が感情的な動きに対して倫理的な要素を問うているのでいささか内面に踏み込みすぎであると思います。

登別: みんな、道玄坂の言っていたことを思い出してくれ。実際のところこう言っていた。

多くの人を殺した人間のために働く人は悪でしょうか。あるいは多くの人に善を成すための行動で約束を破ってもいいのでしょうか。

道玄坂: ええ、こういう話があります。無人島に遭難した2人が肉を奪い合って喧嘩になった。喧嘩はいろいろ暴力だとかなんとかやった結果、片方が折れてこう約束させた「もし無事に帰れたら俺の財産を全て競馬クラブに寄付してくれ」と。男は結局イカダを作り辿り着くことができたのですが、ここで1つの倫理的な疑問が生じます。より多くの人が幸福になるべく手段を選ばないといけないのだとしたら、競馬クラブなどではなく、病院や孤児院などに寄付した方が有益ではないでしょうか。

学修院: 私の個人的な感覚から言わせてもらえれば、約束はなんとしてでも破るべきではない。競馬クラブに寄付すると思う。でも最大多数の幸福を重視するんでしょう?

道玄坂: 私も違和感がありました。私が乙矢や横崎さんからその類の約束をしたならば、なんとしてでもその思いを守りたいと思うでしょう。

学修院: 四坊もそんなこと思ってたわよ。友達のために泣くこともできないなんてね。公共の利益とかの前に大事なのがあるでしょ。

道玄坂: 友情とか努力とか勝利とかですか?

学修院: 特に友情はね。ちなみに珠紀はトロッコ問題で1人を犠牲にするって未だに思ってる?

道玄坂: ええ、想像してしまったんです。乙矢が1人にいたときのことを。そんなものは私に受け入れられない。だから純然たる自分のために乙矢を助けるのではないかと、そう考えてしまいます。

登別: 愛だけが倫理を超越すると──誰かが言ってた気がするぜ。

道玄坂: まあそれもそうですが、やはり私は「愛が全てを解決する」などという思考停止を望みません。それに私たちの友情は議論によって発展してきたという経緯を持ちます。だからそれを捨てるわけには両方の面でもいけません。

登別: じゃあどうやって結論をつけるのか?殺人鬼をそういう意味で擁護することはできるのか?

Agt.野町: そもそも泣いちゃいけない理由なんてないですよね。何かそれで実害が及びますか?

登別: だからこれは心理問題に近いのかもな。被害者の遺族がそれで納得できるのかという…。

登別: 私たちの心情は泣くことを許しているけど、批判的な心理では間違いだと指摘している。

Agt.野町: 殺人鬼のために泣くことは倫理的に社会全体の幸福を減らす可能性を秘めているが、直感的にはそれをしかたないと思っている。

道玄坂: 2人の言う通りです。つまりその2つの考えを区別するべきなのです。感情的なレベルでは正しいが倫理的なレベルでは間違い無論、友情が超越するというアイデアも悪くはありません。


登別: 星降よだかは詩人みたいなことをやってる奴なんだぜ。食堂で見てる限り、飯も食べる量が少ない…茶碗一杯と漬物くらいしか食べない。そうなのは他の場所で何か食べてるからとも言われている。

登別: 星降は「何が幸せがわかっていない」らしい。例えば「食事」。食事は人間が飯を食べて生きていく以上喜びがあるものだが、彼女はそれよりも前に食べているものの犠牲が目について純粋な幸福として楽しめないらしい。まあ彼女の場合気にしすぎというか、食べるたびに罪悪感を感じるようなほど思い詰めたら病気だと思うけどな。

道玄坂: 星降よだかは私たちにこういう議題を教えてくれます。「幸福は数値化できるのか」「その人は功利主義に対してどういうスタンスをとるべきか」幸福は数として扱えませんが、比較することは可能でしょう。私たちは知らないうちにそれをやっていますよ。登別がプリンか羊羹かで悩んでいる時もそうです。

登別: なっ、何を言ってるんだぜ。せっかくここまでクールなデータキャラで押し通してきたのに。

道玄坂: あなたがその口癖を始めたのはいつからか忘れました。クールな口癖のつもりだったんですか…。

登別: 止める気はないぜ。

Agt.野町: 最終的にプリンを選んだならば、プリンの方が幸福度が高いと計算したのに違いないはずです。

学修院: なら星降はプリンか羊羹かどちらか選べないんだ。

道玄坂: そうなります。ただ彼女がそれによって考えていることと言えば、プリンに使われている卵がどのような生産過程で育てられたものであるかといったようなものなのでしょう。

登別: 食べることって、確かに罪なものだぜ。日本では鶏は自然界にはない異常な環境で育てられている。鶏の自然寿命が7年間はあるのに対して、私たちはわずか7週間で鶏を太らせて食べている。これがどれだけ非道徳的かは議論するまでもないぜ。他にも豚なんかは怪我するといけないから、個体ごとに豚のサイズと同じくらいのケースに入れられているんだが、そうなると当然みじろぎすることくらいしかできない。牛は人間のための搾乳をするために子供はすぐに引き離されてしまうし、その子供を育てるのはヤギの乳だったりするぜ。これらの非道徳的な行いがベジタリアンになることでなくなるならば、良いことと言えるのかもしれないな。

学修院: 庭園にベジタリアンなんていたっけな?

登別: いた、いたはずだぜ。有島さんが宗教上の理由でベジタリアンだったはずだ。

Agt.野町: でも星降の場合、逆ですよね。私は彼女が夜な夜な庭園の敷地内で肉を仕留めていたことを知っています。野生の肉を食べれば登別の言うところの「非道徳的な行い」をしていないことになりますから、それは彼女にとって大事なことなのでしょう。

道玄坂: 彼女には彼女の幸福の追求の仕方があるということでしょうか。でもそれは彼女の個人的な範囲の中で解決した問題であって、他人との比較はできません。私のプリンと幡子のプリンは幸福の質が違うはずです。

学修院: そんなこと考えなくていいんじゃない?確かに幸福を正確に量り取ることなんて無理に決まってるけど、別に分析化学の実験じゃないんだから有効数字とかそういうことを気にする必要はないと思う。

道玄坂: でもそれに命が関わっていたとしたら?確かに鶏の苦しみと私たち肉を食べる時の喜びが、絶対値でどちらが大きいかという問いには死んでいる鶏の方が大きいと言えますが、とっさに判断しなければならない時に曖昧では困ります。

学修院: 時に間違ったりすることもあるとは思うよ。でも最大限の努力をした上で行われた判断なら、例え間違っていたとしても許されるべき。功利主義ならね。それが全体のためになるから。

登別: 幸福は数字として扱えない、それに判断の努力は最大限に行われれば良い。そういうことだな?だがそれは結局直感でしかないんだぜ。「幸福が数値化できない」という事象自体は星降の存在非存在に関係ない論理的な批判として使えるが、「最大限の判断が行われるなら無効化される」というのは感情的な反論…と言わないまでもちょっとだけ論理的とはいえないんだぜ。

Agt.野町: その幸福は数値化できないという問題は別に今私たちが話していることだけに限らないと思います。であれば、一度議題から外しておくのもその手の内でしょう。

[沈黙]

道玄坂: そうするしかないようです。ここで星降と決着がつけられないのは残念ですが。

登別: しかしこれが通用すれば既存の倫理が覆る可能性があるな。


[扉から雪野達磨が現れる。雪野達磨は菓子を載せたお盆を持っている。公文はキットカットを受け取る。さらに雪野気色が現れる。雪野気色は新しくコーヒーと紅茶を入れるポットを持っており、空になっていたカップに入れて回った。雪野達磨が「あと少しでお時間になります」簡潔に述べた。雪野気色は手持ちのベルを鳴らす。すると天井が開き、星明かりと夜の月が見えるようになる]

道玄坂: こ、こんな機能があったんですね。そもそも私はここへきたことがなかったのですが。星が綺麗です。

学修院: 星かあ…私にとっても星は懐かしい。

道玄坂: 自分自身の話をしても良いですか?今回の議論の本懐に端にもかけないという話ではないのですが、ただ議論に役に立つが立たないかという点は置いといて…今ここでふと話しておきたくなったんです。

学修院: [沈黙]するならさっさっとしてよね。

Agt.野町: 聞きます。珠紀がそういうなら。

道玄坂: 私は貧乏でした。最初から救われていない人間といっても過言ではないでしょう。

[沈黙]

道玄坂: 私は弱者でした。薄暗い押入れの中で両親の喧嘩を見て育っていました。いつ殴られるか心配で仕方がありませんでした。眠れない夜しかありませんでした。私にとってその時全てが敵で、あらゆる大人は暴力を振るうような存在でした。相手に乞い願うから、その時はまだ慣れていなかった敬語が、未熟なまま身についてしまったのです。貧困がもたらす格差というのは確実にあります。

学修院: 私はね。家はそれなりに金があったからそういう苦労はしてない。だから珠紀の言ってることに実感がないんだ。珠紀は知っている。格差がどんな被害をもたらしうるか。

道玄坂: 私は道から外れて彷徨う人のことを横崎さんに見せました。ああ、あれこそが貧困の1つなのかもしれません。彼らは自ら選択して話し合いを拒否してるわけではないのです。そういうやり方を知らなかったから、本当に必要ないと考えているからこそそこにいるのです。私は彼らを愛しているし、憎んでいる。感謝もしています。

登別: この国の持つ格差。それは機会によるものが大きいぜ。これは場所による問題とも言えるが、やっぱ何と言っても「人」の違いだぜ。俺もそうなんだけどな。そういう苦しみがあるんだぜ。親から頭のいい人とだけ付き合いなさいって言われてきたからな。やっぱそういうのは確実にあって、当然だけど貧乏な地域には貧乏な人間が多い。裕福な地域には裕福な人間が多いんだ。貧乏な人の多くは貧乏な人同士で話している。

道玄坂: その格差は依然としてあります。実在する。疑問に思うのです。‪彼ら‬を救うことはできますか?

Agt.野町: 私は珠紀のことも含めてなんだって知らなかったんです。功利主義や義務論や喋れない人のことだって、こうやって知り合ってから初めて知ることができたんです。知識としては知っていましたが、ここまで実感したのは初めてです。「彼ら」のことを見た時はまさか世界にこんな人間がいるなんてことを驚きましたが、まず知るということはそれ自体素晴らしいことなんです。知れてよかった。それができたのも私がこうして話しているからです。つまり、協力するってことは革新の王道なんです。

学修院: うん、まったくもって同意見。

公文: うん。

登別: 俺の意見もそーなるぜ。

Agt.野町: もちろん即座に役に立つようなことはできないかもしれません。しかし、わかり合うことはいつもできます。庭園の人々がいつもやっていることです。功利主義者も義務論者も喋れない人も情動主義非実在論者も幸せがわからない人も殺人鬼とその友人も野次馬もキリスト教徒もフェミニストも嫉妬に狂った女性も…。私たちは言葉の力を信じたいた。しょーもない言葉だけで生きています。だから、言葉の持つ真の力とは…理解しあえることであると思います。

Agt.野町: 今はただ、皆さんのことが知りたいです。

Agt.野町: 理解することは救うことの第一歩だと思います。理解しましょう。今度は…彼らとも話していきたいです。

登別: これはそう簡単に「結論」なんて出せないぜ。それでいいのか、真理問題は。

道玄坂: 最後に横崎さん、あなたの本当の名前を教えてくれませんか?

[削除済み]





















終了報告書:

いくつかの「修行」イベントにおける音声記録と機動部隊の探索記録、GoI‬-2555における簡易的な歴史的記録についてを記述しました。9報告書に載せるまでもないような記録については私ではなくエージェント派遣第二課の伊佐課長か記録部門に問い合わせてください。最初にも書いた通り、この団体にはヴェール政策および現代社会に影響を与えられるような能力はなく、保有している人材的な資産にもあらゆる問題は見受けられません。

しかしながら、彼らの言う「議論」が複雑極まりない倫理的な問題に言及していたことには意味があります。彼らは真剣に話していましたが、それを実際に実行に移してしまうことはないでしょうか。その危険性から、私は最後の「真理問題」における結論を相互理解の可能性を示しておくので精一杯でした。

また、これまで財団の記録に「神枷」あるいは「奏上庭園」についての情報が限りなく少なかったことについても憂慮すべきです。今回の調査で少しは相手の事情を把握するに至りましたが、今現在神枷の子孫がどこにいるかも把握できていません。それらの調査も可能であれば行うべきです。

議論における修行が何かしらの異常な性質を有している可能性も脅威となっています。言語論的な異常性を持っているかについてはミーム学部門の解析結果を待つしかありませんが(一応私自身の精神的テストはクリアしています)、私の確信としてはこの話し合いには人を変えてしまう何かがあります。

任務から帰還したAgt.野町は伊佐課長に報告を行なっていた。伊佐課長はAgt.野町の直属の上司である。彼のせいでとも言えるのだが、伊佐課長がロクな仕事をしないがためにエージェント派遣第二課は立場が弱いまでもある。今回の任務は彼女にとっては大した苦労がともなうものではなかった。確かに精神的な苦痛はあるにはあったが、普通より理知的な少女たちと会話するのはストレスが少なかった。それに滞在時間も短かった。

「────報告は以上です。私としてはこの団体がやはり脅威に値するものとは思えません」

伊佐課長はそれまであまり真剣に話を聞いているようにも見えなかった。だからいつも通りにこの報告を終えようとしていたのだ。

「んー、"何も脅威に思えない"ね。俺には不気味でしょうがないけどな」

可及的すみやかに休暇モードに移りたいと考えていた脳みそが呼び覚まされる。何度もその危険性については検討したはずだ。他のエージェントとも意見の共有を行った。それでも「まあ普通の異次元にいるタイプの団体だね」くらいの感想だったのだ。もちろん、掴みどころがないというのは恐怖だが、そちらから手を出すのも難しいという証左なのだ。にも関わらず、上司は気怠げにそうやっていってみせる。

「野町がやってきた"修行"ログを見直したけどな。これはやっぱ怖いよ。何かうまく説明できないけどな。実際、議論する能力のトレーニングは財団も取り入れてる」

Agt.野町もそれをやったことがある。しかしそれは教育所時代の話のことだ。大したことではない。潜入エージェントとは幅広い分野に通じていなければならない。だからそれは幅広い分野の1つにしか過ぎなかったのだ。それが特別に辛いトレーニングだったりしたら別だが、そこまで特異的なものであったとの記憶はない。

「現実改変、過去改変、ミーム学、言語論、哲学、歴史的経緯、調査能力、異常性の及ぶ範囲、ヴェールへの懸念、あらゆる面から検討しました。その結果そこまで危険だとは思いませんでした。他の要注意団体に所属している人物もいませんでした」
「アタマ固いなあ。お固い仕事はつまらないぜ」
「じゃあ何が危険だって言うんですか?」
「この"修行"な。自分を高めるための修行ってか何か特異的な人材を産み出すための機械学習って感じがするなぁ」

「何やろうとしてんのかはわかんねえけどな」と付け加えて押し黙った。そこから彼は手癖で指をいじり続ける。Agt.野町は厄介に思った。これは私の業務範囲だろうか。確かに一応調査者の所感として感想を述べたが、分析は学者の仕事ではないだろうか。

「まあいいか。じゃあ野町には後輩に軽く引き継ぎまではしてもらうぜ。疲れただろうし、十分に休めるよう取り計らっておくよ」

ああ、解放されたとAgt.野町は思った。しかしあの真理問題が何も意味のないことではなかったと、どうしてもどうしても思えないのだった。休暇中もそれを考えさせられてしまった。じゃあ今度はそのことをエージェントの後輩たちと話し合っておくかと思ったのだ。

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