哀に染まる
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”彼女”と出会ったのは、梅雨入り前、5月下旬。
時刻は夕方4時半頃。
傘をさす程でもない雨がパラつく、肌寒い日だった。



その日も馴染みのスーパーで晩飯の弁当と安ビールと朝食用のパンを買っていた。
いつものようにパンを掴み、カゴに放り込む。

習慣化された毎日の流れ作業。


ふと、隣の通路から人が出てくる。
ほとんど反射的に、斜め後ろへ視線を動かす。


そこに“彼女”はいた。

母親と一緒に来ていた“彼女”は、無意識に僕の視線を奪った。

紺色のブレザー、チェック柄のスカート、グレーのパーカー、……
胸ポケットから雑に顔を出すiPhoneさえも、お洒落なアクセサリーのように見える。

顔も、髪型も、着こなしも美しい。
恐らく、声や性格や頭脳さえ、何もかも“彼女”は理想であるように思えた。

3回程盗み見た後、僕はレジへと向かった。



駐輪場に向かう時も、“彼女”が頭から離れることは無かった。
上の空な気持ちで、自転車のロックを外す。
自動ドアから出てくる親子に自然に目が動く。
遠目に見る“彼女”も、美しい。

駐輪場の反対側に行ってしまい、姿が見えなくなった後でも、“彼女”は頭から離れない。

今まで気づかなかったが、雨はいつの間にか止んでいた。



信号待ちの時も、アパート前でも、玄関でも、弁当を食ってる時も、風呂の中でも、スマホをいじっている時も、“彼女”の事を考えていた。

……しかし“彼女”は赤の他人。
何の関わりも無ければ、これから関わることも無い。

そんな事を考えながら、ベッドに突っ伏せた。
アパートの外では、息を吹き返した雨風が窓を叩きつけていた。



深夜3時、目が覚めた。

別に今日は大学もバイトも無い。
目が覚めるまでゆっくり寝ようと思っていたのに、なかなか寝付けない。

理由は明白だった。

ベッドから立ち上がる。
枕元のスマホを握る。
実家から持ってきたクッションに腰掛ける。

近所にある高校は3校、そのうち私立校は2校。
自分の経験から考えて、県立高の制服はあれ程お洒落ではない。

実質2校に絞られた。


もう、戻れなかった。



最近は高校のホームページも充実している。
公式のTwitterやInstagramアカウントを持つ高校さえある。
特定にそれ程時間は掛からなかった。

ここから少し離れた私立校で、部活の盛んな強豪校だった。

あいにく、部活動紹介の画像から“彼女”を見つけることは出来なかった。
何か部活をやっているようには思えなかったので、想定内ではあった。

深夜の後悔は、高揚に変わっていた。



ここ数日はレンタカーを借り、例のスーパーの駐車場に張り込んでいた。
張り込む時間は午後4時から午後6時。
学校の終了時刻を考えると、このくらいの時間が妥当だった。


張り込み6日目、午後5時半。
自分が哀れに思えてきた。

そもそも、こんな事の為に免許を取ったんじゃない。

毎日毎日3000円弱で車を借りて、
一体僕は何をしているのか。


もう、やめよう


そんな事を小さく呟いた時、
隣に車が止まる。

“彼女”   正しくは母親と“彼女”が、車から降りてきた。
“彼女”の服装はあの時と同じ、ブレザー姿。
前は特に気にならなかったが、“彼女”の母親の服装は普通だった。

“彼女”の姿に、思わずサイドガラスに頭をぶつける。

……幸いバレていない。
少し痛みが走ったが、そんな事はどうでも良かった。

思わずドアを開けて後をつけたくなる。
伸ばした手をぐっと引っ込め、助手席のメモ帳とボールペンを掴む。


黒色。
車種は。
ナンバープレートは。

ふと、フロントスペースに置かれたぬいぐるみが、じっと僕を見つめているように感じた。



親子が自動ドアをくぐる。
隣の車に近づく、乗り込む。

少しだけ開けた窓からは、
想像以上の綺麗な声と、母親の声と、ドアの閉まる音、エンジン音が聞こえる。

“彼女”が離れて20秒、車は出口付近。
それを確認した時、僕もエンジンをかけた。



車間距離は充分。間には車を1、2台。
信号に何度か足止めされたが、長距離離れることは無かった。

着いたのは自分のアパートからは少し離れたマンションだった。

外観を見て思い出したが、
数年前、家賃が高すぎて諦めた場所だった。

玄関がよく見える場所に車を移す。

1階、2階、3階。
301、302、303、304、305、306、307。

307号室。



部屋の後は、登下校道を調べた。

例え徒歩での登校でも、いつもの道にレンタカーが止まっていたって何も疑問に思わない。
目に付きにくい場所であれば尚更。

数日間で“彼女”の登下校道を知ることが出来た。


面白い程早く事態は進んだ。

“彼女”について、まだ知りたい。まだ足りない。


もう本当に戻れない。
そう心が語り掛けてくる。
それでも、それでも強い高鳴りを感じた。

理性の声なんか、聞こえなかった。



6月上旬。

梅雨入りして数日経った頃、僕はレンタカーと共に“彼女”の下校道にいた。

大通りをちょっと逸れた先の、住宅地。
その中の、子供からも距離を置かれているような、雑草の生い茂る広場。

そんな広場から、公民館手前までの数十メートル。

車も滅多に通らなければ、人も通らない。隠し通路のような区間だった。

雨音を耳に捉えながら待つ。
黒色の傘をさした”彼女”が現れる。

“彼女”が視界から外れたのを確認した時、
事前に少しだけ開けておいたドアから飛び出した。



時間は掛からなかった。
首を絞めるロープを緩めると、“彼女”の体から何の力も感じられなかった。

……こんな所でもたもたしている暇は無い。


“彼女”を支えながら左の後部座席に乗せる。

傘から雨粒を飛ばした後、車内へ入れる。

濡れた地面から恐らく学校指定のスポーツバッグを抱え、“彼女”の隣に置く。

タオルで自分の髪を拭きながら運転席に乗り込む。

ふと思いついて、シートを倒す。
“彼女”の髪から滴り落ちる水滴を拭き取る。
“彼女”の閉じられた瞳からは、永遠の奥行を感じた。

昨日からホルダーに入れてある、飲みかけのペットボトルを手に取る。
“彼女”の華奢な口元に近づける。

未だほんのりと桃色の唇を滑り落ちる麦茶は、
唇を、顎を、首筋を通り、後部座席に染みこんだ。

ペットボトルを飲み干した後、
水溜まりを撥ねながら帰路を急いだ。




“彼女”を乗せてアパートの駐車場に止まる。

こんな事なら、2階じゃなく1階にしておけば良かった。

扇風機の画像が印刷された段ボールを抱えながら、そんな事を思う。
細身の高校生とはいえ、部活を辞めて久しい自分の体には中々重労働だった。

階段を登り切り、部屋の鍵を開ける。
あらかじめ用意しておいたスペースに段ボールを置く。

横になった段ボールの中には、まだ髪の乾ききっていない“彼女”がいた。



どんな事でも成り行きに任せてしまうのが自分の悪い癖だと、改めて思う。
父親から何回も注意された記憶が掘り起こされた。

とっくに冷たい“彼女”に見とれながら、これからの行動を考える。
こんなアパートの一室に冷凍室なんてあるわけ無いし、こんな事を伝えることの出来る友達も流石にいない。

時刻は午後7時過ぎ。
母親は娘の帰りを学校に尋ねているだろうか。
警察に情報が渡っていたとしてもおかしくはない。

夕方より酷くなった土砂降りの雨に、部屋ごと覆い潰されるような。
逆に急かされているような。

そんな心地だった。



最初スマホでその情報を見た時には、誰かの悪ふざけかと思った。

「お客様に特別な味を提供するレストラン」
「お一人お一人に専用のメニュー」
「どこにでもいてどこにもいない」

料理を食べた人、の友達や親戚を名乗る人達の証言は、あまりにも現実離れしたものだった。


ただの都市伝説。そんなレストランあるはずがない。所詮、ネットの書き込みだ。

そう思えば思うほど、縋る思いで情報を欲した。

何の為に、レストランを調べているのか。

分かっていたのかもしれない。
ただ、分かりたくは無かった。



その店は、アパートから少し離れた所にある駅の裏道にあった。

駅近、といっても人通りはまるで無く、小雨の中シャッターの落書きが寂しく佇み、野良猫が我が物顔で占領していた。


レストラン「弟の食料品」

裏通りの一番奥に、明らかに異質な洋風建築があった。

木製のドアを開けると、カランカランとベルが鳴る。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」

ウェイター風の男性は、来店を予期していたかの様に正面に立っていた。



「こちらのお席へどうぞ……」
ウェイターは丁寧に案内する。
荷物を下ろし、赤色のベンチソファへと腰掛ける。

内装も立地と不釣り合いなほど綺麗だった。
クラシック音楽が何処からか流れ、天井のシャンデリアは煌々と空間を照らしている。


「本日はどのようなご注文にいたしますか?」

気の抜けていた所に突然言葉を掛けられ、少し狼狽する。

「こちらにいたしますか?」

2人の目線はベンチソファ横の“段ボール箱”に移動する。

「……はい、お願いします。」

僕の返事を聞いてからか、もう分かっていたのかは知らないが、ウェイターは慣れた手つきで箱を抱え店の奥へと姿を消した。



ウェイターの後ろ姿を見送った後、何となくショルダーバッグを開いた。

自分のスマホ、自分の財布、花柄のクリアポーチ。

クリアポーチの中には、生徒証、小物、文房具などが入っていた。

教科書や問題集に混じってスポーツバッグに入っていたそのポーチからは、“彼女”の普段の学校生活を感じる事が出来た。

厨房らしきスペースからウェイターが出てくる。

慌ててバッグを閉め、座席の上に置いた。



「こちらアペリティフです」

テーブルの上にシャンパンが置かれる。
浮かぶ真っ赤なライチは溺れている様にも見える。

アペリティフが何を表すのかよく分からないが、恐らく食前酒みたいな物だろう。

フランス料理のルールもマナーも知らないが、とりあえずシャンパンを一口頂いた。

口の中に幸せな何かが優しく広がった。

ウェイターはまた厨房の奥へと入っていった。



「こちらオードブルです」

目の前に小料理が置かれる。

オードブル、と聞いて盛り合わせみたいなのを連想したが、どうやらそれとは別物のようだった。

ここに来る前に、少しくらい勉強した方が良かったかな。

そんな事を考えながら一口サイズの何かを頂く。

緊張の所為か味付けの所為か、あまり味は感じなかった。



「ポタージュスープです」
「オマール海老のポワソンです」
「葡萄のソルベです」

知っている単語も知らない単語も、次々と運ばれてくる。

周りに他の客が居ない事に救いを感じながら、ぎこちなくナイフ、フォーク、スプーンを使う。

葡萄のソルベはあまり口に合わなかった。シャンパンで口直しをした。




「こちらアントレです」

肉料理が目の前に現れた時、少し、緊張した。

今皿の上に乗っているのは、“彼女”なのだろうか。

ミディアムで焼かれたステーキからは、魅惑と同時に疑念の風味。



慣れない手つきでフォークとナイフを動かす。

少し大きめに切り取って、口へ運ぶ。

ゆっくりと噛み締める。

笑ってしまった。



少し前まで、赤の他人だった“彼女”は、いま目の前にいる。

それを切り取り、僕が食べている。

こんなおかしな恋物語があってたまるか。

笑いが出ると同時に、涙も出てきた。
これが笑い泣きか、悲しみか、僕には分からなかった。


ぐちゃぐちゃの感情を他所に、手と口の動きは止まらない。止められなかった。

何回手を止めようとしたか、何回吐きそうになったか、分からない。

それでも、目の前の“アントレ”を絶え間なく欲している。
気づいた時には、完食していた。

「おかわりはどうなさいますか?」

いつのまにかウェイターがテーブルの横に立っていた。

思考がグラグラ揺れる。
脳が拒否している。体も拒否している。胃袋は。


「お願いします。」

“おかわり”が運ばれてきた。




もう、何切れ食べただろうか。

少しずつしか飲んでないシャンパンも、だいぶ減っていた。

出されては下げられる白い皿も、もう何回も見たような気がする。


“最後の一口”をフォークで取り、ゆっくり、ゆっくり味わう。

残りのシャンパンで流し込む。

まるで、溶けていくようだ。

上手く説明出来ない心地だったが、それで良かった。



「おかわりは、どうなさいますか?」

またウェイターが聞いてくる。

ペーパーナプキンで口元を拭きながら、呼吸を整える。

「いえ、もう大丈夫です。」

ウェイターは少し驚いた反応をした後、すぐに今までの優しい笑顔に戻った。


ウェイターと次の応答をする前に、先に発言する。

「“残りの肉”は、廃棄してもらえますか。」



その日も馴染みのスーパーで晩飯の材料と、いつもより高めのビールと、朝食用のパンを買っていた。

今日は味変でレーズンパンを掴み、レジへ向かう。


流行りの曲を鼻歌で歌いながら、自転車のロックを外す。

突然強く降り始めた雨は憂鬱だったが、気分は良かった。


部屋に戻って、髪を拭き、何気なくテレビをつける。
夕方のニュース番組では、アパートから少し離れた場所が映っている。

  付近に住む70代の男性が山で遺体を発見し  
  警察によると先週から行方不明となっている  
  他に証拠が無いか調査活動は続けられ  


ニュースを見ながら、高いビールを喉に流し込む。

いくら高いと言えども、シャンパンには敵わなかった。


  雷雨のため作業は午後6時に中止され明日も中止の予定  

見覚えのある女性が、泣きながら娘について話す様子が映し出される。


番組を変えると、動物番組をやっていた。
灰色の可愛らしい猫が、今話題の俳優と一緒に遊んでいる。

もう一度、ビールを喉に流し込んだ。


ニュース番組のアナウンサーによれば、明日も雨が降るらしい。

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