前原愛の誕生日
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その日、地球のあらゆる通りという通りが笑顔の人々で溢れ、店という店は無料で酒や食事を振る舞い、Dクラスですら終了ではなく恩赦という形で解放された。紙吹雪と空砲がすべての国の空を飛びかい、皆同じ言葉を叫ぶのだった。
「万歳!前原博士万歳!誕生日おめでとう!」
財団史上最高の女科学者である前原愛博士の誕生日は、財団だけでなく世界中で共有されている。こればかりは、O5も情報の隠蔽を断念、いやむしろ積極的に公表したのだ。
日本国総理大臣、アメリカ合衆国大統領、イギリス女王、その他各国首脳のみならずGOC事務総長、サーキックカルトの枢機卿、カオスの叛乱のトップからすら祝電が届く。
なにが彼女をこれほどの人物たらしめたのか。それはダーウィン、ノイマンもかくやという頭脳、"財団イケてる美女ベスト10"堂々トップとなった美貌、そして不可能とされてきたことを可能とした実行力だ。
ジパング諸島の故郷オキナワ、人口よりもゴリラの生息数が多い島で育った経験を活かしSCP-1000とヒトの歴史的和解に成功。SCP-231-7を普通の少女へと解放する完璧かつ完全なプロトコルの発案。そういった偉業の一つが、今日、また一つ生まれる。
全世界に生中継されている実験室の中で、前原博士は手元のボタン、そしてスクリーンを睨む。画面に映るのは、祖国中華人民共和国ジパング諸島の中心に大きく穿たれた虚無の穴。これを埋め、ジパングを一つの国家として独立させるのが彼女の悲願だった。
そして彼女の主導で財団は、穴を処理し物理的な空間を取り戻す装置を作り上げたのだ。
カウントダウンが始まる。
「5…4…3…2…1!スタート!」
その美しい指が、ためらいなく作動ボタンを押した。

「イヤーッ!」
エージェント・マエハラ=アイの財団真拳がアベルに無慈悲なダメージを与える!致命傷を与えられたアベルは爆発四散!塵へと還り、彼の棺で再び眠りについた。すぐさま機動部隊が彼女の回収に急ぐ。
彼らが到着するまでの間、マエハラは乱れた髪のセットとメイクを整えていた。
Keterクラスオブジェクトに対する圧倒的な物理抑止力として君臨する彼女にかなうものはいない。SCP-682はかわいらしいトカゲとなってしまったし、SCP-444-JPは彼女専用の郵便ハトと化してしまった。
「遅いわね…パーティーに遅れちゃうわ」
今日は所属するサイトのメンバーが誕生日を祝いささやかなパーティーを開くと約束していた。だからこそ、こうしてアベルとの戦いを100分ジャストで終わらせたというのに。心の内でそう思った瞬間、空中から落ちてきたバースデーケーキが彼女の頭に直撃した。
「……調教し直しが必要ね」
マエハラは宙で円を描く緋色の鳥を見て、そう呟いた。


実験動物の飼育を任ぜられている下級研究員が、そっとフルーツを盛った皿を檻に差し入れた。仲間内でいくらか出し合って買ったそれには、バナナやらリンゴやらメロンやら、"彼女"の好きなものが入っている。
物理的効果をもたらすオブジェクトの実験に長年用いられながらも生き残ってきた彼女は、研究員から少なからず尊敬を受ける、アイドルであった。
「お誕生日おめでとう、アイちゃん」
檻の中、今日17歳になるマウンテンゴリラのアイちゃんは-ゴリラ故に表情がわかりづらかったが-嬉しそうにバナナをむさぼった。


Dクラス職員、情夫とポン引きを殺して死刑になった前原愛はとある高層マンションを登らされ、そして墜落した。
コンクリートに激突する瞬間、彼女は今日自分が誕生日だったことを思い出した。


婚約者のジャックを待つアイ・マエハラは膨れた腹を抱えながら、一人きりで誕生日を過ごしたが、息子の胎動を感じ幸福だった。


O5の一員となった、かつて前原愛という名前だった者は誕生日を迎えた。彼女の曾孫より若い部下たちはそれを誰も知らなかった。


一般人の前原愛は誕生祝いに入った喫茶店で衰弱死した。


カオスの叛乱エージェントである前原愛は


前原愛は



「痛ッ!」
前原愛は共同研究室の机に頭を打ち付けることで目を覚ました。どうも居眠りをしていたらしい。伸びをすると体がバキバキと音を立てた。時刻をみると午前0時を回ったところ。ちょうど自分の誕生日だ。だが、周りには山積みのレポートとスリープモードに入ったパソコン、冷め切ったコーヒーしかない。ついでに言えば、上司の小言メールが大量に入った携帯端末も。
「あれ…ケーキは…祝電は…パーティーは…?」
ほんの一瞬見た夢で、彼女は今の──下級研究員として雑用ばかりの──女ではなく、もっと偉大で、愛された存在であったような気がした。そうではなく、もっと惨めで、孤独な存在であったような気もした。
「なんなんだろ…疲れてんのかしら…うわっ!」
半分寝ぼけていた頭をたたき起こす、メタルのけたたましい音を携帯端末が鳴らした。慌てて画面を覗くと、

コノクニノナマエハナンデスカ?-A.M

「はあ?日本に決まってるじゃない」
針山辺りのいたずらかな、と彼女はそのメールを消去し再び仕事に取りかかった。

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