愛は試される
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 なあ、俺は28人も殺したんだぜ。

 D-05522はそう言うと得意げに鼻を鳴らした。
 
 正直言っちまえばまあ、誰だって良かったが…女なら、尚良いなあ。あいつらの悲鳴はゾクゾクするし、弱っちい腕力で必死に抵抗してくるんだぜ。何にも出来ゃしねえのにな。女なんて所詮口先ばっかの雑魚、要するにクソったれってわけだ。──で、ここに呼び出されたってことは…またわけわかんねえバケモンか何かに引き合せるつもりなんだろ? それとも危ねえ場所に連れて行くのか? ま、別に何だって良いぜ。早く詳細を教えてくれよ。

 D-05522はそこまでを一息に言い切ったが、机を挟んで座る犬吠埼いぬぼうざき研究員はその能面のような顔を微塵も動かすことなく書類の束を捲る。
 D-05522の素行はいつもこんな調子だった。筋肉質で健康的、それでいて丈夫な男で、多少の任務や実験であればぴんぴんした状態で生還する。自身の殺人歴を誇示する傾向、やたら雄弁な性格、職員に対する砕けすぎた態度を除けば───財団にとって有益な働きをする人的資源だと言えた。
 
 
「いいえ、今日はあなた自身に用があります。D-05522。」
「俺自身にだって? あー何だよ、まさか解放してくれるってんじゃねえだろ、美人博士さん?」
「私に博士号はありません、D-05522。……あなた自身───厳密にはあなたの親御さんについての話ですが……。」
 
 犬吠埼研究員の言葉を聞くと、軽薄な笑みを浮かべていたD-05522の表情は次第に強張り、聞き終える頃には苦虫を噛み潰したようなものから明確な怒りへ変容していた。しかし愚かにも職員に手を上げ“強制終了”されていった者たちの話はDクラス間で有名な噂であり、D-05522は握り込めた拳を膝の上で震わせるだけに何とか留めた。
 
 D-05522の殺意、取り分け女性へのそれは彼の生い立ちに起因していた。D-05522は母子家庭で育ったが、彼が11歳になる頃、家に新しい父親がやって来た。新しい父親は「目付きが気に入らない」という理由で、D-05522に“躾”を施すようになった。
 最初は母親の目の届かない範囲で軽く身体を叩いたりする程度。しかし徐々にエスカレートして行き、火のついた煙草を押し付ける、腫れ上がって人相が変わるまで顔を殴り付ける、眠っている時間に部屋にやってきて大声で怒鳴り散らす、突然家から締め出して真冬の屋外に放置する────それらは次第に母親の目の前でも平然と行われるようになり、D-05522の心身は衰弱しきっていた。

 母は、義父の虐待を止めなかった。離婚することも、D-05522を連れて家を出ることもしなかった。何度か助けを求めた時も、黙って首を左右に振るだけ。けれど頻りに繰り返していた言葉がある。「必ず守るからね。」───嘘つき。真意はどうであれ、D-05522はそう思わざるを得なかった。何が守るだ! 目の前で見てたって何もしてくれないくせに! D-05522の憎しみは直接暴力を振るう義父よりも、寧ろ母親へと向いていた。軽蔑に近い感情だった。

 高校生になったD-05522は、所謂非行少年の仲間入りをした。学校をサボって少し歳上の不良たちと遊び歩き、家には自然と寄り付かなくなっていった。母は幾度か心配の電話を掛けてきたが、“お前、おふくろから電話くんの? ダサい”という仲間の言葉を受け着信拒否をしてからは一度も話していない。

 知り合いや行きずりの女の家を転々とする生活を送りながら、成人した後は先輩の誘いで暴力団に入った。──が、すぐに辞めてしまった。あの憎たらしい義父と似たような性質の男たちにへこへこと頭を下げる生活にうんざりしてしまったのだ。
 それから暫く経って、何とは無しに実家の様子を見に行った。会ってどうこうしようというつもりは微塵もなく、ただ、本当に何となく。家の窓から中を覗くと、年老いて白髪の増えた母が蹲りさめざめと泣いている姿が見えた。何だか分からないがいい気味だ。清々しい気分でその場を立ち去った事をよく覚えている。

 初めて殺しをやったのはちょうどその次の日だ。少し母親に似た女と、その女の子供が手を繋いで歩いていた。ねえ、今日の夕飯何にする? なんて、平和ボケした顔で平和ボケした会話をして。喉がむず痒くなるような、はらわたがぐつぐつと煮え返るような感情がD-05522を襲った。それからは、あまりよく覚えていない。気付くとD-05522は2人分の血塗れ死体を見下ろしていた。
 それからは女、特に子供と連れ立った女親を狙って殺した。この子だけは助けてください! だなんだと言いながら、最後は自分だけが逃げおおせようとする母親。母親を見捨てて必死に逃げようとする子供。そういった光景を見られると、D-05522は胸の中のどろどろとした感情が消えていく感覚を覚えたのだった。どうせどんな綺麗事を吐いたって、人間誰しも一番大切なのは自分なのだ。我が身可愛さに肉親だって平気で裏切れる、それが汚い人間の本性だ。
 
 
「親だと? あのゴミどもの話かよ。あんたらに話すようなことは何もねえ、」
「先日、あなたのお母様が亡くなりました。お悔やみ申し上げます。」
 
 眉ひとつ動かすことなく犬吠埼研究員は淡々と述べる。室内にはD-05522が生唾を飲み込む音と時計が秒針を刻む音だけが嫌に響いた。

「……ああ、死んだのか。……せいせいする。」
「お母様がご生家で亡くなられ、この2つがあなたへの遺品として遺されました。お渡しすることは規定上出来ませんが、確認してください。」

 テーブル上に置かれていた小型のアタッシュケースが開かれる。その中にあったのは茶封筒と、それから精巧な薔薇の彫り細工が施された金色のロケットペンダントだった。犬吠埼研究員は白手袋を嵌めた手で丁重にロケットを取り出だすと、蓋を開いてD-05522に向けた。

「これは亡くなる以前、故人が肌身離さず身につけていた物だそうです。この品に見覚えは?」
「いーや、ねえな。にしても……はっ! 自分の写真を入れとくなんて随分ナルシストだったんだな、あいつ。趣味悪いわ。ババアのくせに。」

 ロケットの内側に挟み込まれていたのは、かなり若い頃に撮影されたものと見られる母親自身の写真だった。手ぶれがひどく、ピントすら合っていないが、この目元と口元のほくろは間違えようがない特徴だ。目を細め、かろうじで自分の母親であると認識できたD-05522は眉を顰める。自分の写真をロケットに入れた上、肌身離さず持ち歩くだって? とても考えられないほどの自己愛者だ。

「────そうですか。ではこちらの手紙の方を確認して、書かれている内容に相違があれば教えて下さい。」
 
 
 犬吠埼研究員は手紙をD-05522に差し出す。D-05522はしぶしぶといった様子で受け取ると、中から数枚の便箋を抜き出し、読み始めた。思えば誰かから手紙をもらうなんて初めての経験だ。その文字は時折歪んで、何箇所かには涙と思しき痕も見られた。
 
 

恵太郎ちゃん1
 
 
これをあなたが読んでいる頃には、きっとお母さんはこの世にはいないと思います。
 
恵太郎ちゃん、あなたにはたくさん苦労かけましたね。本当に駄目な母親だったよね。どうやって謝っても謝りきれないと思っています。本当にごめんなさい。
 
俊憲2さんとは、もうお別れしました。
恵太郎ちゃんが家に帰ってこなくなってすぐ、俊憲さんは私にも暴力を奮ってくるようになりました。
お母さんが2回も離婚なんてしたら恵太郎ちゃんに悪影響だと思って我慢していたけれど、今思えば早く別れた方がきっとずっと良かった。ごめんなさい。
俊憲さんが出かけてる隙を見て、お母さんは家から逃げました。今は実家で暮らしています。
もしこれを読んでいる時、恵太郎ちゃんが住む場所や生活に困っていたら、頼りに行ってね。きっと力になってくれるはずです。

██県██市██町
█丁目 █-██3
 
 
そういえば、恵太郎ちゃんが暴力団に入ったって風の便りで聞きました。小さい時はお巡りさんになりたいって言っていた恵太郎ちゃんが、本気で根っこから悪い人になってしまったなんて思いません。
お父さんとお母さんが悪かったんです。今からでも遅くないから、暴力団なんて辞めて、まっとうなお仕事に就いてね。

 
恵太郎ちゃん。このお手紙と一緒に入ってたロケット、もう見ましたか? キレイでしょう?
蚤の市で購入したものです。一番大切な人の写真を入れておくと良いよと言われたので、そうすることにしました。
お母さんが死んだ後はこの手紙に同封しておくように、じいじとばあば4によくお願いしておいたからね。

本当はあなたの写真を入れたかった。
でもアルバムは全部あの家に置いてきてしまったし、恵太郎ちゃんが写っている写真はなかったので、5歳の時にはじめてカメラを持ったあなたが撮ってくれたお母さんの写真を入れました。この写真だけはお財布の中にずっとしまっておいたんです。
つらい時、悲しい時は、いつもロケットを開いて恵太郎ちゃんのことを考えています。写っているのはお母さんだけど、恵太郎ちゃんとの大切な思い出だから。

これは恵太郎ちゃんに持っていて欲しい。
お母さんがいつも見守ってるからね。

だれより愛しています。私のいい子。
いつか天国で会えたら、また謝らせてね。
 
 
仙水 成美5

 
 
 
「手紙の内容に相違は無いですね?」
「……。ああ。」
「わかりました。……年代測定の結果、このロケットペンダントが紀元前2世紀頃には既に存在していたことが判明したんです。」
「……難しいことは分かんねえ。」
「異常な品だと言うことですよ、D-05522。今日あなたを呼んだのは、このロケットについて何か知っていないか聴取する為なんです。それから、」
「……博士。」
「博士ではありません。──インタビューを続けます。この写真についてですが、」
「博士。」

 なあ、俺は28人も殺したんだぜ。
 天国へなんて行ける筈もないよな、……くそ。
 
 D-05522はそう呟き、瞳を潤ませて黙り込んでしまった。

 それにしても、あなたのお母様は随分と────思わず出かけた言葉を飲み込む。
 概ね満足のいく結果を得た彼女はロケットの中で微笑む恋人の顔を一瞥し、静かにボイスレコーダーを切った。

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