その日私たちがいたのは、晴れた日の草原、あるいは私たちだけの遊び場。
共にかけっこをした。
共にお絵描きをした。
共に美味な果物を食べた。
私について多くの事を教えた。
いつのまにか眠っていたアイリをそっと撫でた。
アイリは非常に安らかに眠っている。
昔と比べると明らかにアイリは成長している……
やはり、きみはいつか別の宝石を見つけるのかもしれない。
そんな事を考えながら、殻にこもる。
やはり私も動けば疲れる。
殻の中で、だんだんとまどろんでいった……
「あぁ、これはこれは……」
アイリではない、誰かの声で目が覚めた。
ふと視線を向けると、そこには古風なスーツ姿の男がいた。
直前まで、周囲に人の姿は無かった筈だが。
「珍しいゲストだね、ヤドカリを相手にしたのは流石の私も初めてだ……」
「貴様、私の名を今何と 」
「ねぇ、おじさんはこの世界について何か知ってる?」
いつの間にかアイリも起きていた。
このような事態でも、アイリは全く怖気づかない。
「この世界は私の世界だけど、特にそうとも限らないね。」
「なるほど……?」
「お嬢さんはともかく、マキガイには少し難しい話かな?」
わざと聴こえていないふりをする。
この発言に関しては、アイリも少しムッとした。
スーツ男は1人でハハハと笑うと、逆に私たちに質問をする。
「じゃあ、君たちはこの世界は何だと思うんだい?」
「どこか知らない外国とか」
「違うね」
「ヤドカリさんの王国とか」
「違うな」
「もしかして……天国?」
「違う違う」
「なんてこと無い、貴様の夢だろう」
「正解!君、ヤドカリなのにカンが良いね」
「私の名前は『深き海とそびえる山を統べる偉大なる王』だ」
スーツ男はまたハハハと笑いながら受け流す。
「まぁ、正しくは、君たちの夢に私がいる感じだね。」
「それはどういう……」
アイリが口を開いた直後、地鳴りのような音が周囲に響く。
「私も君たちを助けてあげたいんだが、私は伝える事しか出来ないんでね。」
男の声が少し小さく、どこか悲しげな物になる。
ちょっと目を凝らすと、泣いている様にも見える。
その向こうから、大きな津波がこちらに向かってきている。
「おい貴様、これはいったい……」
「何故こんな事が起きているのか、私にも分からない。ただ……」
スーツの男は少し言いよどむ。
「あまり良い目覚めではないね。」
その日私が目覚めたのは、曇天の博物館、そして倒壊した瓦礫の山の影。
私は困惑した。
懸命に思案し、何が起きたのかを思い出す。
その日もいつも通り、展示室で多くのライトを浴びていた。
それが突如、全ての照明が消され……
非常灯だけが灯る中、アイリを探しに……
アイリのすすり泣く音が聞こえる。
ふと音の鳴る方向を見ると、瓦礫の隅でアイリは涙を流していた。
アイリを見つけ出した所で、財団の者どもから攻撃を受けた。
奴らの攻撃は銃に留まらず、火炎放射器、爆弾……と多岐に渡った。
アイリを必死に庇いながら、博物館……だったものの瓦礫の片隅で、それらの攻撃から逃げきったのだとようやく理解する。
直後、瓦礫が崩れ落ちてきた。
すぐさま貝殻を脱ぎ捨て、ハサミでアイリを庇う。
無事を確認する為に目を向けるが、アイリの姿がぼんやりとしか映らない。
嗚咽の音だけがやけに近かった。聴覚はまだ生きている。
……どうやら、瓦礫の向こうで、奴らは張り込んでいたらしい。
「正面に人類への友好的実体を確認。偶然的事故によりSCP-120-JP活性化前の処分に失敗。プランBに移行します。航空支援の用意を。」
集中射撃の一発一発が正確に私の外殻を捉えている。非常に煩わしいが、さして致命的ではない。
私がハサミを振り上げ、大理石の床に叩きつける。凄まじい轟音が廃墟と化した博物館に響く。
奴らは攻撃を止めない。
重火器の明かりがフェイスガードを仄かに照らしている。
重火器の向く方面は私の正面ではない。
「第一目標はSCP-120-JP-2。対象を優先するように。」
銃撃の合間を縫い、私は少女を殻で守る。
すぐさまアイリに目を向ける。
それと同時に、少女はうなずく。
それを視認し次第、アイリをかばいながら銃器を持った人間共をなぎ倒す。
人形のように倒れていくその姿は、生きていないようであった。
一通りの制圧を終えた後、崩れかけた壁の一角へと突進する。
瓦礫ごと人間一人を轢き潰したがこの程度で私が止まることは無い。
上空から降り注ぐ爆弾、金属片に私は気づいた。
すぐさまアイリを掴み、壁を突き破り廊下へと避難する。
壁の赤い非常灯だけが私たちを照らしている。
「目標を発見。一斉射撃用意。」
まだ残党が残っていたとは、諦めの悪い奴らだ。
刹那。幾筋かの光が私の手元へと襲いかかる。
ああ。もし、時を止めることができたなら、私はきみの時を止めるだろう。
大きく固い私のハサミは、裏返せば隙の多いモノだった。
アイリを守るため振り下ろされたハサミ。
ほとんどの弾丸からアイリを守った。
そのわずか数センチ下。
銃口から放たれた弾丸の一発がアイリの胸を貫いた。
アイリは私を見上げると弱く、弱く笑った。
きみはいつか大人になる。
きみはいつか子供を生む。
その子供に私との思い出を語るときがやってくる。
そして私は本当の価値を手にする。
きっとそうなる。
そうでなければならない。
アイリ、君もそう思うだろう。
アイリは目を閉じていた。
アイリ、君は分かって黙っているのか。
それとも、まだ君には分からないかい。
「SCP-120-JP-2の死亡を確認。攻撃対象をSCP-120-JP-1に変更。」
銃口が私に再度向けられた。
私は世界で一番の宝石になれるだろうか。
アイリは何と答えるだろうか。忌まわしい彼らは何と答えるだろうか。
私の片脚に血が流れつく。
「一斉射撃用意。対象上空からの攻撃用意。」
ここの奴らに私の価値は分からない。
君なら、もう分かっていただろう。
奴らの撃った銃弾が、私の体にキズを付けた。
あぁ、もう私は世界で一番の宝石になれない。
私は目を瞑った。
私の殻を絶えず切り裂く銃弾。
再度、空から降り注がれた爆弾。
熱を帯びた光で目が焼ける。
最期の一瞬、あのひと時の夢が脳裏に浮かぶ。
再度、アイリとの日々を思い出した。
私にとって、あれは、確かに。
世界で一番の宝石。
ただ、何よりも欠けやすく、壊れやすい。そんな宝石だった。