フェルナンドとの会食
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 収容室の中は、これまで歩いてきた無彩色の施設とは比べ物にならないほどに暖かだ。僕はワゴンを押しながら前に進んだ。僕の身長の2倍くらいの高さに天井があり、床面積も申し分ない。快適そうな居住空間である。オレンジランプの光がうっすらと目に入るのが分かる。気分が落ち着いていくのを感じた。それと同時に背後では、スライド式のドアが独りでに閉まっていってカチリと音を立てた。

 部屋の主の大男は眠っていたようだが、僕に気が付いて飛び起きてきた。さっきまで横になっていた3mのベッドが大きく弾み、ギシギシと鳴っている。

「来てくれたか、オレンジの君よ。私は退屈していたぞ。テレビも同じことの繰り返しでうんざりしていたところだ」
 男は部屋の隅に置かれたブラウン管を尻目に見た。
「左様でしたか、フェルナンド陛下」
「はっは、さぁディナーとしようじゃないか」

 フェルナンドという名のこの男は歯を食いしばったまま話した。常にこの状態である。給餌担当兼インタビュアーとして一週間が経とうとしていたが、やはり恐怖を感じずにはいられない。どれもナイフみたく鋭く尖った歯が僕のすぐ近くにある。ピラニアと対面しながら話しているようなものだ。

 そうして僕がワゴンを盾にして食器を並べている間、フェルナンドは豪勢な装飾が施された―310kgある彼の体重を見事に受け止めている辺り、機能性も抜群だろう―木製椅子に座して、ワゴンからナプキンを拝借して首元に着用していた。そして、準備が完了するのを今か今かと待っている。礼儀正しく、見た目の割に狂暴そうな感じはしない。
 が、財団の正規職員からは十分注意するよう僕は言い渡されている。その理由は、彼が人間の頭蓋を噛み砕く食人鬼だからという単純なものだ。
 けれど、顎の力の凄まじさ以外に驚く点はないし、人肉に魅了されてしまうのも理解はできる。そこで恐れる必要はないだろう。

「おまたせしました、陛下」
 食事の準備は完了し、ずらりとフランスで以前一度だけ味わった高級店のフルコースばりの料理が卓上に並んだ。獄中の飯がこれほどのクオリティだったらどんなにいいことか。僕は唾を飲みながら対面する椅子へ座る。
「今日もご一緒してもよろしいでしょうか」
 今から僕はこの男の情報を探る指令のため、『畏れ多くもフランス国王の食事中に談笑相手となる召使』の役を演じねばならない。これはフェルナンドが自分をフランス国王と思い込んでいる奇人だからであり、この妄想を崩すと命を落としかねないからである。収容室が財団の他の施設と比べて豪華に飾られた挙句にテレビまであったり、餌がフランス料理であったりするのはそのためである。
「あぁ、構わん」
 歯をむき出しにしたまま、フェルナンドは笑う。手許では50cmを超えているだろう腕の太さに対しては随分とちんまりとした―僕からしたら特大サイズだが―フォークとナイフで肉を切断していた。皿とナイフとの接触音はまるでしていなかった。

「昨日までの繰り返しになりますが、僕は陛下にとても興味があるんですよ」
「それは、嬉しいな」
「ですので。もっと陛下について知りたいんですね」
 僕はワゴンにおいていたボードを引っ張り出した。聞き出すべき情報を確認する。
「メモまで取るのか、感心だ」
「それでは、まずは健康状態はどうですか?」
「おおむね良好さ!ただ、首を少し寝違えている。あのベッドはどうにかならんかね」
「今日はテレビで何の番組を視聴しましたか?」
「プログラムの名前はなんだったかな。空飛ぶ円盤が大群を成していたが。ま、あんなものが確認されていてもここに避難している限りは安心だがね」
「そうですね。僕は外から来ますが不安でしかないですよ」
 適当に相槌を打つ。おそらく見たのは再放送のチンケな映画か何かだろう。

 その後も質問は続いていった。しかしこれは前座の質問だ。何度も何度もはぐらかされている本命というものがある。

「それでは陛下。あなたの出生について教えてくれません?」

 フェルナンドは食事の手を止めた。巨大な両目がこちらを向く。そして口角を少しだけ上げてから、歯を食いしばったまま喋った。

「生まれはコルシカ。今はフェルナンドという名だが幼き頃はナブリオーネと呼ばれていた。その後親元を離れてフランスに渡り、軍隊に入った。軍の司令官となると数々の遠征に赴き、そこで戦果を。革命後の混乱の中、民衆の望みにより総統となり、やがて皇帝に――」
「そりゃナポレオンじゃないですか」

 僕はフェルナンドをまじまじと見た。とても申し訳の無さそうな顔をしている。
「仕方ないだろう。歯を食いしばっているときは嘘しか言えぬクセなのだ」
 フォークを空気をかき混ぜるように動かしていた。歯は未だ食いしばったままだ。この言い訳に何日質問から逃げられてきたか。僕はため息をついた。

「人に話せぬ素性というのがあるのは分かります。しかし、そうまでして避けますか」
「それが分かっているなら聞かぬがいいとも分かるだろう」
「では、僕にも人でなしのような過去があります。それを僕が話すとその理屈は成り立たなくなります。ですから、今一度聞いてください」

 相手が何かを言いだす前に、僕は何でもない口調で話し出した。

「現在僕はD-████、あなたからはオレンジの君と呼ばれていますが、本名はサガワという名前があります。そしてこのサガワめは、人を殺して犯し、食した経験があります」

 フェルナンドは持っていたフォーク・ナイフを皿の上に置いた。

「前から食人に興味はあって、友人のオランダ人の女で試してみたのですが、どうにも旨いと言い切れるほど旨くはありませんでした。残りを池に捨てようとしたところを逮捕され、あえなく極刑です」
 犯行や生い立ちの供述で検察官が内容を誤訳してくれたら希望はあったかもしれない、オレンジライトを見ながら思う。

「で、人は僕を異常者だと糾弾するわけですよ。明確な情報源を当たったのではないですが、あの裁判所にいた人間の目はそんな感じでした」
 フェルナンドの肉料理の皿にはまだ肉が残っていた。財団へ輸送され監禁生活の中で失われていた行動力が戻ってきた気がする。ひょいとつまんでやろうかと思ったが、やめておいた。

「でも僕は自分を異常だとは思わんのですよ。一つの価値観ですから。まぁそんな僕ですから、陛下の素性がなんであれ、僕には受け止めてやる自信があります」

 一連の演説を語り終えると、フェルナンドは拍手した。パンッ、パンッ、パンッ。間隔を空けて、風船が破裂するような単発が五回は続いた。
「サガワくん、君は人肉が旨いかどうか分からなかったと言ったね」
彼は木製椅子から立ち上がると、卓に両手をついて僕に顔を近づけた。

「じゃあ君が私に食べられて、私が君の感想を聞かせるというのはどうかな?」

 その歯が身に突き刺さる光景を僕は目の裏で考えた。頭蓋は砕けて首はもげ、頸動脈が断たれたことで大量の血がまき散らされるだろう。肋骨は小魚のように小気味良く折られ、心臓はいくら脈打っても状況が変わらないことに絶望し停止するだろう。四肢は玩具の人形みたくバラバラと外されて鮮度の高いうちに踊り食われるだろう。その連想は一種の走馬燈であった。

 フェルナンドは食人鬼である。高貴で陽気な悪鬼である。僕は一月のDクラス職員契約を生き抜き、現世へと帰らねばならない。僕は生きて自分が異常者ではないことを世間へ伝えねばならない。

 しかし。
 当初は忌避していた歯が魅力的に思えた。僕自身が食人鬼であるが故の被食欲求なのだろうか。ゆったりと接近する歯に僕は呑まれそうになった。

 しばらくして、フェルナンドは顔を曇らせた。
「そんなに怖がらないでくれ。そんなに嫌がるなら私も嫌だ」
 嫌だったかな、そう呟いてから彼はよっこらしょと席に着いた。彼にジョークの概念はない。光悦を読み取られていたら、命は無かっただろう。

「しかしなるほど。君の理屈も一理ある」
 フェルナンドは大きな頭を縦に一回振るった。

「だが、残念。私は君とは違う」
 皿に置いたナイフとフォークを手に持つと、彼は食事を再開した。残っていた肉は分解されて消えていく。
「私は異常者さ。だから、異常でないと受け入れてもらうために話す気はない」

 僕は黙って皿の上の料理が消えていくのを見ているしかできなかった。フェルナンドが御馳走様をすると、僕は淡々とワゴンの上に空になった皿を運び、食卓を布巾で拭いた。最後にボードを一瞥してこれもワゴンに置いた。『正体について』の欄は空欄だった。彼の誤魔化しにナポレオンがあったことを記しておいた。

「今日の夕食も最高だったとシェフに伝えておいてくれ」
 僕が収容室を去ろうとするとき、フェルナンドはそれだけ言ってベッドに横たわった。スライド式の機械戸が自動で開いてくれると、それを操作していた財団の職員が僕にボディチェックを開始した。

 僕は異常者ではない。何かを食べたいという人間の基本的欲求に忠実になっただけだ。
 彼は異常者だと答えた。巨大な図体、違うのはそれだけだ。それ以外は同じだ。共通点に不思議な縁を感じるほどだ。
 何に差があるのか、結局僕には分からなかった。しかしそれならそれで踏ん切りがついた。改めて、僕は僕として自分の思想を優先させていこう。
 もしこの財団という施設から生きて帰れたならば、僕は食人鬼であることを個性としよう。ふっ、と僕は歯をむき出して笑った。それを不審に思った職員が僕の尻を叩き、僕は自分の収容房へと戻らされていった。

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