アンダーアキバ・ルネッサンス
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新世紀四拾八年

2月11日 07:31:22

日比谷線、秋葉原駅

ニクデンシャ・ハンター詰め所


気温21℃、湿度55%。毎日変わらない、空調の効いたアングラ・アキハバラの一角。駅お抱えの狩人たちが、仕事前の装備点検を行っている。彼らの肌はいやに蒼白いが、それは地下に囚われた東京市民にとって、ある意味では身分証に等しいものであった。

「なあコトブキ氏よ、一つ疑問があるんだが。ここって本当に"聖地"なんかねぇ?」

「……んだよ、急に」

一段落して暇になったのか、ハンターの1人・タイトーが不意に問いを投げかけた。コトブキと呼ばれた男は切削刀を研ぎながら、タイトーの話を聞いている。災害用ブランケットを粗雑に着回した、リーダー格の無骨な男である。タイトーは緩んだ古眼鏡を直しつつ、早口で持論をまくしたてる。

「いやあね、アキバってよく"聖地"って呼ばれるだろう?"聖なる地"で聖地、他の路線からは特にだ。響きは凄いけどさぁ、ぶっちゃけそこまで良いとこじゃないよなあ。人はよく死ぬし、大した名所もない。わたしゃねぇ、東京駅の方がずっと聖地だと思うんですよ」

「そりゃあ、お前さんの勘違いだ。聖地ってのはな、地上の秋葉原のことを指すんだ」

「地上ゥー?地上といったら、何もかもがメチャクチャで、地獄みたいなとこなんだろう?何かおかしくないかい?」

「疑うなら、試しに上がって見てきたらどうだ。ほら、そこにエレベーターがあるだろ」

コトブキは気怠げに、アゴで地上行きエレベーターを指す。手前には、くすんだ色のカラーコーンがいくつも並んでおり、物々しい雰囲気を放っていた。タイトーはギョッとして、すぐさまかぶりを振る。

「いーやいやいや……。メロブの兄貴みてぇに、ぽっくり薄い本にされちゃあたまらんすよ」

これまで、エレベーターには数多の命知らず達が乗り込んでいったが、帰ってくるのは死体か、死体のようなモノか、死体ですらないナニカのみであった。年長者のコトブキは諦念し、けたけたと笑って吐き捨てる。

「けっきょく俺たちアングラにゃあ、聖地に行く資格はないってこった」

実を言うと、彼の認識にもいささか間違いがあった。秋葉原駅は太古の昔、地下世界における先進文化サブカルの聖地として確かに繁栄していた。地上の"大災"を逃れた避難民の多くは、趣味の逸品をしこたま持ち込んできており、それらをシェアすることで、高度な文化が維持されてきた。しかし時代が下るにつれ、電子媒体は破損し、本は虫食いが猛威を振るい、淫魔像は邪神像に変貌を遂げた。複製を作れるほどの技術も資源も無いため、今では歪んだ残滓を除き、かつての文化は見る影も無くなってしまっている。

「先輩先輩。僕んとこの爺ちゃんは『メイド服のネーチャンがいっぱいいる』って言ってましたよ」

タイトーの脇で、バンダナを巻いたハンター見習いの少年・ゲマが口を挟む。

「メイド。メイドか。……悪くない」

コトブキは成人の儀式を思い出していた。ここアキバでは、16歳になると"勇ある者"として独り立ちしていくのだが、このさい新成人は晴れ着として、"メイド服"なる衣装で着飾る風習があった。機動性は皆無で、地下での生活にはまったく適さないものの、あのフリフリした意匠はとても良いものがあった。

「しかし、俺の聞いた話だと、聖地にはカガミンってのがいるらしいが」

「カガミンって……何?鏡?」

聞き慣れない言葉に、タイトーとゲマは眉をしかめる。

「さあ……?でもなんか、女の人らしい。エンギが良いとか、何とか。たぶん、女神様的なやつだろう」

「なるほど、神様ですか……」

「女神ならやっぱり、お美しいんだろうなあ」

秋葉原の信仰はある種の多神教である。集落の成立以来、各個人には思い思いの"オシ"がおり、親から子、友から友へと、独自の"神話ヘキ"が語り継がれていた。太古の昔には、アナログ/デジタルを問わず様々な教典バイブルが存在したものの、先述したような劣化や戦乱、語り手の語彙不足などにより、神話を十全に知る者は殆どいなくなってしまっていた。

「女神様ならあの、青髪ショートの御方に会いたいなあ。先週の壁画に写ってたやつ」

「……ああー」

「ゲマ君に完全同意ですな」

ゲマの言う壁画とは、コンコースにあるデジタルサイネージのことだ。"大災"が起きて以来、地下ではエントロピーやら現実性やらに著しい乱れが生じており、ことさら駅に関しては、水や電気が未だに使えたり、破損箇所が自然に修復したりする等、"普通の駅"へ戻ろうとする力が慢性的に備わっている。広告といった類も勝手に更新を続けており、そこから垣間見える地上時代のあれこれが、地下都民の数少ない娯楽となっていた。

「あれ、なんて名前だったんだろうな。チクショー、書かれて無かったのが悔やまれるぜ」

「……アンタらバカ言ってないで、終わったならメシ食いなさいよ」

秋葉原ハンターの紅一点、ベルサが一喝する。ここいらでは珍しい、丸ノ内線からやってきた流れの何でも屋であり、パーティには次の旅までの腰掛けとして加わっていた。髪を後ろにまとめ上げながら、彼女は男衆の世話を焼く。

「もうすぐデンシャが来るっつーの。ホームで動けなくなっても知らないわよ」

彼らが狩る獲物・ニクデンシャは線路を爆走する電車のような生き物で、通過時刻にはある程度の規則性が存在する。今度の通過はおおよそ40分後だ。それまでに少し、腹ごしらえをしておかねば。

「へいへい。分かりましたよ。それじゃあ……モエモエキュン」

「モエモエキューン……」

「モエモエキュン…っと」

今日も食事にありつけたことに感謝しながら、一行は味の薄いモヤシの駅弁を貪った。


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2月11日 08:15:28

日比谷線、秋葉原駅

1番線 中目黒方面ホーム


ニクデンシャ狩りで重要になるのは、ソレの到着時刻を的確に読み切ることにある。日比谷線の彼方・中目黒からはるばるやってくるデンシャよりかは、2駅先の上野で立ち往生し、戻ってくるデンシャを待つ方が楽に済む。上野から先には本来、あと5駅ばかり存在するのだが……荒川の浸水が激しく、水没の危険があったため、隔壁によって切り離されていた。

たった2駅といえど、線路の闇では何が起こるか分からない。コトブキは鉱石ラジオを回し、周辺路線の情報収集を始める。

"皆さんこんにちは。秋葉原アングララジオ、本日もMCサトムでお送りいたします。"

"さてまずは、当駅周辺の路線情報についてお伝えしましょう。近隣の物見によりますと、岩本町-小川町間で電車賊の痕跡あり、神田-末広町間に新規ガス溜まり発生、入谷防壁で異音、水天宮前防壁に軽度亀裂被害、となっております。ギンザ同盟のキャラバンは現在、八丁堀駅を通過しており……"

"それではここいらで1曲。『恋愛サーク……』いや、昨日もやったなこれ。『初めてのチュー』……これも飽きたな。『オノデンボーヤ』うーん……今日はオノボーの気分じゃない。そうですねぇ、たまには新しいレパートリーでも披露しましょうか。これはですねぇ、私の家に伝わる子守唄で、『ロッコーロシ』といいまして……"

"『オォウ オォウ オッオーウ ハァーシンタイガーゥ… フレェーッフェッフェッフェッ……』"

「何の呪文だ?」

「消せ消せ、耳が腐る」

この時代、各地の駅では放送設備を流用したラジオ局がいくつも誕生していた。彼らは路線情報を伝えるのみならず、下世話なトークをしたり、音楽を流したりと、地下空間をささやかに彩る存在であった。ただ、音楽に関しては記録メディアの問題もあり、多くは局員の生歌に取って代わられていた。このため、各局で曲のマンネリ化が激しく、ここ秋葉原では野太い声の野郎が歌うことから、不満がたいへん高まっていた。

「いい加減、誰かに変わってほしいよなあ。ベルサ氏とかどうなのさ。歌上手いじゃん」

「『ムーンライト伝説』と『ビックカメラの歌』だけでやっていけると思う?」

「厳しいな」

「でしょう?」

「そこは追い追い、誰かに教えてもらう感じで……」

なにはともあれ、中目黒方面のダイヤは乱れてなさそうだった。4人は狩りの準備に取り掛かる。


秋葉原駅ホームの様相は、地下住民の目から見ても奇妙なものだった。駅中からかき集められた自販機が十数台、ディスプレイを上に向け、横倒しになっている。これだけなら、食用自販機の解体現場として納得できなくもないが、ホームドアに立てかけられたAEDとマジックハンドは、ことさらに場違いな雰囲気を放っていた。AEDのケースからは太いケーブルが伸びており、壁際のコンセントに繋がれていた。コトブキ達は道具に指を差し、狩猟前の最終確認を行っている。

「アンビリカル、よし。ロンギヌス、よし……」

「防護盾、よし!サスマタ、よし!」

男衆に続き、ベルサも自分の得物をチェックする。アキバの狩人パーティにおいて、彼女はニクデンシャの攻撃を受け流す、タンク的な役割を担っていた。

「さて、と」

チェックを終えたコトブキは、天井のデジタル時計を見やる。白く無機質な数字は8時17分を示していた。人身事故でも起きていなければ、おおよそ2分で到着するだろう。

「来たわ。補正マイナス30。構えて」

鼻の効くベルサが、いち早く気配を察知する。今日は機嫌が良いのだろうか、若干早足でのご到着になりそうだ。

(さあ、来い……)

甲高い鳴き声を上げながら、ニクデンシャがこちらに向かってくる。日比谷線のニクデンシャは銀色の外殻が特徴で、汗腺が発達し、舐めると塩っぽいことから、"ギンザケ"の渾名で長らく呼ばれてきた。ギンザケが何であるかについては、もはや地底人の知るところではないが、味付けをせずとも十二分に旨いギンザケは一つのブランドとして、他の路線にも知れ渡っていた。

銀色のデンシャは荒々しく減速し、ホームに急停車する。ピロロンピロロン……電子音にも、ヒトの輪唱にも聞こえる鳴き声を発した後、ニクデンシャの胴体にぽっかりと大穴が開いた。開口部からは座席や吊り革の紛い物が顔を覗かせている。

(今日も頼むぞ、相棒──)

ドア裏に隠れたコトブキが、AEDのスイッチをそっと押し込む。音声ガイドは流れない。いや、流れないよう改修がかけられていた。代わりに、画面の表示に従って操作を進めていく。

『成人モードです。ただちに救急に連絡して下さい。衣服をどかして胸をはだけてください。』

『パッドを袋から取り出します』

コトブキは病人がいないにもかかわらず、袋からパッドを取り出すと、器用な手付きでマジックハンドに取り付け、ニクデンシャの開口部に差し出した。デンシャの脇腹から、てらてらと光る触手が2本伸び出し、床に置かれたパッドに取り付く。触手は新たな乗客を歓迎するかのように、柔らかな動きでパッドを体内に仕舞った。

『電気ショックが必要です。患者から離れてください。オレンジ色のショックボタンを押して下さい。』

(……ポチッと、な)

AEDに言われた通り、オレンジのボタンを押す。ケーブルを通じて高圧電流が流れ込み、ニクデンシャの車体がビクンと跳ね上がった。先頭車両のヘッドライトが消える。先程まで盛んにうねっていた触手も、ホーム上に無秩序に投げ出されていた。

『電気ショックが行われました。心肺蘇生を始めてください。患者に触れても大丈夫です。』

ゲマとタイトーが開口部に入り、デンシャ肉の収穫にかかる。心臓マッサージをしなくとも、デンシャはしばらくすれば勝手に復活し、駆け足で駅を去っていく。ダイヤを守ろうとする本能の賜物であり、安全に収穫できるのは良くて十数分程度に過ぎない。それでも、停車する1分少々の間に狩らねばならない他駅に比べれば、AED猟法はかなり実入りの良いやり方であった。開口部が閉まり、そのまま胃袋に消える事故も滅多に起こらなくなった。

「よっこら、せっと……」

「これで2週間はしのげますね」

大型犬くらいの肉株を切り出すと、自販機の扉を開け、冷え切った庫内に詰め込んでいく。部品の大部分を換装し、冷凍庫に生まれ変わった自販機のおかげで、アキバの食糧事情は大幅な改善を果たした。日持ちしないデンシャ肉を冷凍することで、デンシャが来ない非常時においても、ある程度のリカバリーが出来るようになったのだ。

高電圧AED猟法に、自動販売機型冷凍庫。それらを可能とする給電システム。古のアキバが持っていた、もう一つの顔……電気街の叡智の結晶であった。

ギィ

ギギギ

ガチャリ

(……! マズい!)

作業から8分が経過した頃。ニクデンシャの車輪が、ゆっくりと動きを取り戻した。随分と活きが良い個体だ。少々早いが、致し方あるまい。

「総員撤収!撤収ゥー!」

コトブキが声を放ち、階段への退避を促す。採集班は急いでホームに引き上げるも、遅れたゲマのすぐ背後を、復活した触手が名残惜しそうに追ってきていた。

「はいはい!そこどいて!」

サスマタを手にしたベルサが割って入り、殿を務める。彼女は脚に力を込めると、鬨の声を上げて飛びかかった。

「イケマセン!オキャクサマ!ヤアー!」

触手の底にサスマタを差し入れ、一気に突き上げる。進路を邪魔された触手はベルサに狙いを改めるも、彼女は右へ左へとステップを踏み、確実に躱していく。そうこうしているうちに、ダイヤを思い出したのか、触手は車内へと引っ込み、慌ただしく発車していった。コトブキたちは彼女に近寄り、声をかける。

「ベルサ、ゲマ、大丈夫か?」

「僕は、はぁ、へっ、平気です。べ、ベルサ先輩は、おケガありませんか?」

「まったく、獣の血を見くびるんじゃないわよ。新宿のツーキンラッシュに比べちゃあ、こんなの養殖のローチみたいなものよ」

ふふん、と鼻を鳴らすベルサ。混血が進み、ヒトと遜色ない見た目をしているものの、切れ長の瞳孔と足裏に隠れた肉球が、彼女が地上世界でいう"動物的特徴保持者アニマリー"であることを裏付けていた。

「わたしゃあ思うんですよ。ベルサ氏みたいに夜目が使えたら、どんなに楽できるかってねぇ」

眼鏡に付いた脂身を拭きながら、ため息をつくタイトー。過酷な地下世界において、アニマリーの性質は生存にむしろ有利に働くことが多く、羨望の対象になることがある。……少なくとも、アキバにおいては特に気にせず、許容される存在であった。

「うちにきて半年もしないのに、ほんとバリバリ働きますよね。せんぱーい、このまま居着いてくれたら良いのに」

「有り難いけど、保証はできないわねぇ。お金が溜まったら、東京の南、りんかい線にも行ってみたいし」

「りんかい線って確か、メトロからじゃ直接行けなくないすか?」

「それって大昔の話でしょう?今の時代ならきっと、トンネルで何処かと繋がってるはずよ。アキバの駅だって、何年もかけて周りの駅とくっ付いたじゃないの」

日比谷線・秋葉原駅は単体で見ると小さな駅であり、生活空間の拡張が必須だった。そのため、早いうちから近隣駅との合併を模索してきており、都営新宿線・岩本町駅とつくばエクスプレスTX・秋葉原駅とは手掘りの横穴で繋がっていた。

「あるとしたら、有楽町線あたりでしょうかねぇ……」

(ふむ……)

仲間達の路線談義を、リーダーは一歩引いて眺めていた。不意に、ベルサと視線が合った。

「ねぇ、コトブキもそう思うでしょ?」

「ん?……まあ。開通まで、300年くらいはかかりそうだが」

「アンタねぇ、もっと前向きにフォローしなさいよ……」

「おっ……黒目が丸まった」

「……ちゃんと聞いてる??」

(コロコロ変わる瞳孔、良いな)

獣の血が受け継がれている一方で、オタクの血もまた、アキバの民には色濃く受け継がれていた。

(良いというか、尊い、だな……)

コトブキは数少ない、"動物的特徴愛好家ケモナー"の生き残りであった。


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2月11日 19:46:57

ヨドバシAkiba、B6F

地下駐車場街区


  • モヤシ
  • ギンザケのつみれ
  • オオネズミのスジ肉
  • ブラックローチのすり身
  • カマドウマの抜け殻
  • ガガンボ
  • イトミミズ
  • サカマキガイ
  • コンブチャ

以上をポットで煮込み、皿代わりの空き缶に取り分ける。秋葉原名物「おでん缶」の完成だ。

メトロの幸にありったけの感謝を込めながら──モエモエキュン。

「「「モエモエキュン」」」

地下駐車場に軽やかな唱和がこだまする。外様だったベルサも、今ではすっかりアキバ方言に馴染んでいた。

ハムッ、ハフハフ、ハフ……。コンブチャの出汁がギンザケの旨味とマッチして、なかなかにうまい。ローチの苦味もちょうど良いアクセントになっている。コリッとした抜け殻には、味の染み込んだカマドウマのハラワタが詰まっており、存分に食感を楽しめた。

「飲めや歌えや!今日はコトブキ隊長のおごりだ!」

「いや、違うが」

「ホントですか??それじゃあゴチになりますね、センパイ!」

「断る」

駅長に納品を済ませると、まとまった額の報酬が手に入る。狩りの後は奮発し、盛大に打ち上げるのが秋葉原ハンターのルーチンであった。

「あら、遠慮しなくて良いのね?今日は本気出しちゃうんだから」

「お前らなあ……」

モヤシ酒を引っ掛ける面々。どう見ても酒向きではないため、味は散々なものだったが、安価に酔えるという点だけで、ありとあらゆる駅で生産されていた。コトブキが4杯目、ゲマとタイトーが3杯目に突入する頃、へべれけになったベルサがアルミテーブルに突っ伏した。コップは半分も行っていない。普段と変わりないスコアだった。

「はぁぁ……しんど」

「あー……ゲマ君、あれだ。いつものやつ頼む」

「了解っす」

ゲマに食券を預け、気付け薬を買いに行かせる。武闘家の体躯で暴れられたらたまったものではない。バラック小屋が壊されぬうちに、早いところ正気に戻す必要があった。ベルサがうわ言を呟く。

「なぁーにが"聖地"よぉ。ブクロからはるばるやってきたってーのに、キョーテンもセイガも残っちゃいない。これじゃあブクロと、たぁいして変わらないじゃないのお。マモもアーサンも、どーこいっちゃったのよおぉぉ…」

「なんというか、いつになく出来上がってるな」

「無理もないですよ。東京のずっと端から、命がけで来たんだもの。裏ではけっこう苦労してるんすよ、ベルサ氏は」

ブクロ──丸ノ内線・池袋駅──はかつて、主に淑女向けの先進文化が脈々と受け継がれていたものの、やはりアキバと同様、経年劣化による衰退に悩まされていた。"声の神セイユウ"を信ずる家系に生まれたベルサは、神の御声が聴けないことをたいそう歯痒く思っていた。

「今までのカネとろぉーりょく、返しなさいよぉぉ~!」

ある日、行商から"聖地"の噂を聞きつけた彼女は、サスマタを担いで単身秋葉原へと向かった。怪物退治や用心棒で日銭を稼ぎながら、やっとのことでアキバに辿り着くも、現状がこの通りの、惨憺たる有様だったことは、彼女にとってあまりにもショックであった。

「あーもう決めた、今から穴掘りまーす。穴掘ってりんかい線までブチ抜く。伝説の国際てんじじょー駅で、今度こそオシに会っちゃうゃうぅ~」

「先輩、配給です」

「あぐっ……」

ゲマが問答無用で大葉を詰め込み、独特な香味で覚醒させる。ベルサは「タイチョーのおごりだからねぇ……」と念を押し、千鳥足で仮住まいの痛車に帰っていった。当のコトブキは、懐よりも別のことで考え込んでいる。ベルサはサシで化け物とやりあえる重要な戦力であり、リーダーとしては是非とも駅に引き止めたい人材だった。……というのは建前であり、実際はドチャクソ好みだからもっといてほしいという、個人的理由によるところが大きかった。

だが、ベルサを引き止められるような魅力は今のところ、秋葉原駅構内には存在しない。場所がダメなら人間だ、魅力ある男になれ、と訴えたいところだが、コトブキらはアキバオタクの中でも相当ダサい美的センスを継いでしまっており、一朝一夕で脱せるものではなかった。

どうにかして、アキバに魅力を産み出せないものか……。彼女の夢見た聖地や教典を、再現する方法はないか……。

コトブキは火照った脳みそをフル回転させ、アイデアを漁る。アキバには怪しい噂や言い伝えが山のように存在した。偶像が鎮座する地下劇場、変幻自在の怪人"コスプレイヤ"の伝承、異邦人の聖画工房……どれもこれも、実在性が大いに疑われるものばかりだった。

だが、中には検証に値する話もちらほらと混じっていた。コトブキに電流が走る。アレとコレを組み合わせれば、アキバに新たなランドマークが出来るかもしれない──

「皆の者。ちょっと、相談があるんだが……」

コトブキは酒盛りを止め、神妙な面持ちでタイトーとゲマに語りかける。

「最近のベルサ氏、結構ストレス溜まってる感じだろ?それで、俺たちで何か、まあ……その、癒やしてあげられないかと、そう思ってだな……」

「へぇ、柄にも無いこと言いますね。食あたりでも起こしたんじゃないですか?」

「大体、俺たちが癒やすって何だよ。腹踊りでもするってのかい」

「違う違う。噂を思い出したんだ。TX側のコンコースには"開かずのロッカー"があるのは知ってるか?」

「ああ、アレか?珍しく動かないけど、ネジ一つ分解できない、クソ頑丈なロッカーだろう」

地下世界において、ロッカーは脚が生えたり、子連れだったり、人を襲ったりするのが普通だが、TX秋葉原駅のロッカーは大災以前と変わらず、生真面目に直立不動を保っていた。

「神保町の賢者曰く……あのロッカー、ずっと昔は開けることができたらしいんだ。何でも、中には願いを叶えるお宝が入ってるんだと」

「胡散臭いなあ」

「まあ聞け。それで、ロッカーを開けるには"ニホンエン"ってのが要るらしい」

「ニ……ホンエン?」

「略して"エン"とも言ってたな。大昔のお金だ」

地下世界において、旧時代の通貨は絶滅危惧種だった。電脳革命でキャッシュレスが普及し、そもそもの流通が少なかったのもあるが、ケツを拭く紙として真っ先に消費されてしまったのも大きな要因であった。硬貨なら多少は残ってそうなものだが、アキバでは不思議なことに、1円玉すら見つかることは稀であった。

「宝の御恵みを得るため、先祖はロッカーにエンを捧げまくった。そのせいで、アキバのエンは取り尽くされてしまった。アキバだけじゃない。小伝馬も、仲御徒町も、ここいら一帯からエンは姿を消したんだ。これが原因で、古代アキバ文明は崩壊した……らしい」

「ご先祖様、欲深かったんだなあ」

「逆に言うと、エンさえ見つけてくれば、ロッカーはまた使えることになる、ということだ」

「それじゃあ、遠くの駅でエンを探してみるか?」

「タイトー先輩……上野すら行ったこと無いのに?」

なまじAED猟法が優秀だったせいもあり、アキバは他駅との交流がいまいち希薄だった。タイトーもゲマも、ダイヤと路線図にはやたら詳しい一方で、隣駅より先に行ったことはロクに無かったのだ。怪異だらけの線路を予習なしで進むというのは、客観的に見て自殺行為に等しかった。

「遠征はリスクが高いし、不確実だ。そこで、一つ試してみたいことがある」

「と、いいますと?」

コトブキは一呼吸置いてから、大真面目な顔で言い放った。

「女神様に頼み込むんだ」


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2月12日 11:05:13

都営新宿線、岩本町駅

B1Fコンコース


翌日。男衆はATMの前に立っていた。岩本町駅に置かれたATMには、相当な量の紙幣がそっくりそのまま残されていた。尻拭き目的で引き出されてもおかしくはないのだが、現在に至るまで、ATMからはびた1円も払い出されることはなかった。というのも、ATMの"中身"に厄介なバグが生じていたからである。

「ああっ女神様、液晶に住まう女神様。我らアキバの貧民に、恵みのエンを与えてくだされ」

ATMの画面には、銀行を擬人化した少女のモデルが写っている。萌えキャラを客寄せに使うのは、かつてのアキバではよくある戦略だった。人の存在に気付いたのか、女神は可愛らしい声で案内を告げる。

いらっしゃいませご主人様。
ご希望のお取引を押してください。
余に折衝の余地は無い 欲に塗れた豚共よ
地獄の業火に焼き焦がれ 朽ち果てるが良い

「いらっしゃいませだって。歓迎されてるみたい」

パラテクノロジーが興隆を始めた大災以前、電子ハックへの脆弱性を克服するために、銀行各社はATMへこぞって女神……悪魔を住まわせた。ATMと融合した悪魔は、利用者の契約関係を瞬時に判別し、詐欺や不正利用を見抜く頼もしい存在であった。が、大災により駅のあらゆる概念が歪められた結果、ATMの悪魔は精神に異常をきたし、一切の引き出しを受け付けなくなってしまったのだ。

女神様は何か大事そうなことを仰っているが、難しい表現は分からないのでスルーする。神と取引するにはまず、カード挿入口に捧げ物を入れる必要があるらしい。コトブキは手始めに、挿入口にキャッシュカードを突っ込んだ。駅のゴミ塚から拾ってきた、旧時代の産物だ。サイズ的にはちょうど良いだろう。

いらっしゃいませご主人様。
ご希望のお取引を押してください。
阿呆め 銀行との契約はとうに切れておる
そもそもソレは期限切れだろうが 価値など無いわ

「まあ、こんなよく分からん板じゃダメだろうな」

「次はコレ、いってみますか」

タイトーはパスモで作られた食券を入れてみる。今でも価値を持つカードだ。少しは期待できるだろう。

いらっしゃいませご主人様。
ご希望のお取引を押してください。
やめろ 異物を入れるな 壊れる
余はATMだぞ 気でも狂ったのか

「なんかダメっぽいな」

「次いこう次。こうなりゃ総当りだ」

コトブキ達はアキバ中を巡り、カードというカードをかき集めていた。クレカ、身分証、定期券、ポイントカード、カードキー、トランプ、花札……

いらっしゃいませご主人様。
ご希望のお取引を押してください。
貴様らの預金を凍結してやる
永劫に口座を作れぬ呪いを掛けてやる

「どうする?ほとんど入れきっちゃったぞ。分解するか」

「いやいやコトブキ氏。相手は神ですよ?流石にそれは、バチ?ってやつが当たるんじゃないかねぇ……」

噂は噂だったか。神保町駅の知識も、いまいち信用ならんものだ。……諦めようとした頃、ゲマが忘れ物を思い出し、一旦その場を離脱する。小休止の後、戻ってきたゲマは興奮気味に、背嚢から古びたバインダーを取り出した。

「見てくださいよこれ!うちのご先祖に、そこそこ有名な商人がいましてね。色んなモノを集めてたんですが、そーいやコレもカードだなあと、ついさっき思い出したんですよ」

バインダーにはキラキラと輝きを放つカードが、所狭しに並んでいた。未知の怪物に美麗な肖像と、ちょっとした美術館のような様相を呈している。

「おおお、綺麗な聖画が、手のひらサイズに……こいつめ、こんな凄いの持ってたのか」

「『地上へ帰ったときに役立つから、誰にも打ち明けるな』と、口酸っぱく言われてきたんですけどね。でもやっぱり、ベルサ氏の笑顔が見たいじゃないですか」

「ゲ、ゲマ君……!」

「良いんです、センパイ……!」

コトブキとゲマは見つめ合い、堅く握手を交わす。タイトーも何か感慨深いものを覚え、ウンウンと頷いている。闇に閉ざされた地下世界は、隙を見せた者から狩られる無法地帯である。だが、この時ばかりは高潔な精神が闇に打ち勝っていた。さながら、姫君を慕う騎士団のような──

「うーん、何から入れようかな。まあ適当に、これで良いか……」

ゲマはバインダーの中から、比較的地味なカードを抜き取ると、挿入口に入れた。怪物でも肖像でもない、地下では見慣れない花が描かれた、PSA10-GemMintのアルファ版《Black Lotus》だった。

いらっしゃいませご主人様。
ご希望のお取引を押してくださああ!
これは!
ああああ!!



…あっ
あの、まタ、いらシてくだサイねっ。

暫しのフリーズの後、ATMの支払口が数百年ぶりに開け放たれる。試行錯誤の末、つれない彼女の攻略に成功したのだ。溜めに溜め込んだ万札が、堰を切ったように吐き出された。


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2月14日 14:52:30

つくばエクスプレス、秋葉原駅

B1Fコンコース



「ちょっ、ちょっと、どこ連れてく気?」

「まあまあベルサ氏。ここに来てそろそろ、半年は経つだろう?これはお祝いの、えーと、オモテナシってやつだ」

「今から私たちが、本物のアキバを見せてやりますよ。着いてからのお楽しみです」

「何よ、その変な服といい、気持ち悪いわね……」

野郎共にエスコートされ、薄暗い通路を進んでいくベルサ。礼服で精一杯オシャレした──ヨドバシのB1Fにはオーダースーツの店があり、この手の習慣だけは無駄に健在だった──男達はかえって不格好であり、とても滑稽に見えた。

「これですよ、これ」

通路の途中で立ち止まる一行。前方には何の変哲もないコインロッカーがそびえている。

「はあ?よくあるロッカーじゃない。腕試しってこと?」

ベルサは狩人的マインドから抜けきれていない。

「このロッカーはただのロッカーじゃあない。人の願いを叶える"魔法のロッカー"なんだ」

「分かりやすく言うとですね、神話に伝わる"モシモシボックス"ですよ」

「さあさあこれより、イニシエの呪文を唱えましょうぞ」

タイトーは勿体ぶりながら、備え付けのタッチパネルを弄くる。入力フォームが出てくるので、一語一語、拙い日本語を打ち込んでいった。

"セイチ アキバ サイコウ マシマシ 5ジカン 4ニン"

"注文を受け付けました。基本料金は 29800円 です。"

パネルの表示に従い、ニホンエンを入れる。

"お会計ありがとうございます。 12 番のロッカーをご使用ください。"

ピーッと電子音が鳴り、12番ロッカーの施錠が解除される。

「よし……皆、準備は良いな?」

「応」

「はい!」

「な、何が起きてるの……?」

「行くぞ、俺たちの聖地へ──」

コトブキがロッカーの扉を思い切り開くと、4人の身体は歪み、箱の中に吸い込まれた。昇る。昇る。エレベーターに乗って、地上へ向かうような感覚。やがて、光が見えてきた。照りつける陽射し。ごちゃごちゃとした看板。中央通りのホコ天に置かれた、高級ソファーとカラオケマシーン。ビルの巨大ディスプレイには、ロッカーの正式名称が記されていた。

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TH-K-024-2017

東弊重工社 エキナカラオケBOXES

(ロケテスト機)

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5月25日 12:03:32

日比谷線、秋葉原駅

B1F屋台村 スターケバブ前


"皆さんこんにちは。秋葉原アングララジオ、お昼の放送はMCサトムでお送りいたします。"

"今回はスペシャルなゲストをお招きしております。最近アキバのフロアを賑わせている、池袋出身・ニクデンシャハンターのベルサ氏です!"

"えーと……はい、ベルサ、です。よろしくお願い、します。"

"ベルサ氏って、実に沢山の曲を知ってらっしゃいますよねぇ。どのように学んだんでしょうか?"

"まぁ……それはちょっとヒミツで、言えないんですけど……駅の女神様と、ハンター仲間のおかげ、ですかね?"

"それで、今日は何を歌うんです?中毒者続出の『巫女みこナース』?燃えるソウルの『勇気vs意地』?あえて渋めに『東弊重工社歌』?"

"色々ありますけど、今日はアキバの皆に、馴染み深い歌を贈ろうと思います。ここの駅メロ、『恋するフォーチュンクッキー』を、フルサイズで!"

「ほら早く来いよ、"歌姫"の生歌だぞ!」

「へえ、彼女が噂の……」

「あの曲、歌詞があったのか」

「何だ何だ」

(ベルサ氏の歌は格別だ。気張っていけよ……!)

毎日変わらない、空調の効いたアングラ・アキハバラの一角。屋台前のラジオに人だかりが出来る中、コトブキたち3人は少し離れた壁際で、腕を組んで誇らしげに頷いている。錆びついた時計の針が、ゆっくりと逆向きに動き出そうとしていた。

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