男は、冷たい檻の中で、己の半生を振り返っていた。
いままでの人生で、自分は他人に救われたことがあっただろうか。
思えば、子供の時から違和感があったのだ。両親が自分に向けるのは、いつも仮面のような笑顔か、理不尽な怒りだった。家庭環境からして、自分は他人と違っていたのだ。周りの人間は、みんなから愛をもらい、そしてそれ以上の愛を返して育っていった。自分はどうだろうか。愛なんてものは生まれた時から持ち合わせていない。あるのは、ただひたすらに明日を生きようという思いだけであった。
すくすくと成長して、私は小学校に入った。背中に背負ったランドセルは、まるで枷のように冷たく私を「拘束」していた。家と学校をただひたすら往復する毎日。親は寄り道なんて許してくれるはずもなかった。ひたすら家の中に閉じ込められ、外の世界から遮断された。家に私の居場所はない。
学校はどうだろうか。その時の先生は、良く言えば余計な深入りをしない、悪く言えばひたすらに怠惰な人間であった。私はここでも、愛を向けられることはなかった。同級生と遊ぶのは楽しかった。鬼ごっこをしたり、サッカーをしたり、虫捕りをしたり、ジャングルジムで遊んだり。それらの「遊び」に飽きることはなかった。だが、それは愛ではない。私は、愛をもらえないという現実を、何か他のもので埋め合わせようと必死だった。いや、正確には、「何か足りないもの」だ。私は愛なんて知らなかったのだから。
中学生になった時、父が亡くなった。別に不幸でもなんでもない、飲酒運転による事故だった。父が死に際に放った言葉は何だったか覚えていない。おそらく自分のことでないということは確かだった。私は最後まで、父に愛されることはなかった。父がいなくなってからというもの、母は一層ヒステリックになり、よく喚き散らしては家のものを徹底的に破壊し尽くしていた。それが治ったかと思えば、今度は新しい男探しを始めた。実に母らしい行動だった。母はとにかく必死で、誰かれ構わず家に連れてきては男に愛想をつかされ逃げられていた。
母に、愛はなかった。誰でも良かったのだ。自分を養ってくれるなら、誰でも。
特に何も無い中学校生活と高校生活を送り、私は進路選択を迫られた。といっても、私達には大学に行く資金など無い。母は口うるさく「とにかく金を稼ぎなさい」と言っていた。ああ、私は子供ではなく、金だったのだな。そう自覚した。
経緯を話すと長くなるので省くが、結果的に私は財団で勤務することになった。といっても最初は下っ端としての雇用だったのだが。下っ端なりにゆっくりといくつかの功績を作っていき、私はやっとの事でエージェントになることができた。こんなことができたのも自分が今まで「道具」として使われてきたおかげだろう。
エージェントとなってからの人生にはある程度満足していた。仕事内容にも、給料にも文句はない。とても素晴らしい毎日を過ごす、はずだった。
しかし、自分には何かが足りない。いくら他のもので埋めても、どうしても目をそらすことができない大きな空洞があった。どうしても埋められない穴が。
愛。愛を。愛だけを。愛が欲しい。愛が欲しい!愛が欲しい!
そんな時だった。SCPの観察を終え、収容房を歩いている時であった。
私は、突如収容房から脱走したSCP-███-JPに殺された。
別に大したことでもない。財団内では普通のことだ。未知のものを研究する集団として、このようなことが起きるのは当たり前だ。
しかし私の場合は違った。
胸に鋭い痛みが走り、意識が薄れて行く。普通ならそこで終わりだ。だが私は目覚めた。胸の痛みは消え、傷口もふさがっていた。まるで何事もなかったかのように。
しばらくして博士達がやって来て、私に対してインタビューをした。私は異常物品となったのだから当然のことだ。
それから何回か殺害され、観察され、収容された。私の体に投与された鎮痛剤からは財団側の僅かながらの優しさを感じられたが、基本的に財団は冷酷なものなのだ。
ボロボロになりながらも、私はなんとか己を保って生きていた。そうでもしなければ頭がおかしくなってしまいそうなほど過酷な環境だった。
それは、2回目のインタビューの時だった。思えば、あれが人生で最高の時だったかもしれない。
<記録開始>
██博士: 実は……あなたのご家族、ご友人の2█名が死亡した状態で発見されました。
そう言われた瞬間、私の頭は真っ白になった。
子供の時、一緒に遊んでいた友達が。
部活の時に、辛い練習を共に乗り越えてきた友達が。
放課後にこっそりと寄り道をして、一緒にゲームをした友達が。
大人になっても飲み明かして、酒の席で馬鹿らしいことを語り合った友達が。
愛は無くとも、楽しい日々を過ごしていた仲間たちが。
「なんで死んだんですか?」
私は、そう聞き返さずにはいられなかった。そして博士は答えた。
「彼らはあなたが今まで死んできた状態で死んでいました。恐らくは……」
「恐らくは」異常性のせいだろうか。
私は実験の後、あのモニターに映る文字を見ていたのだ。
「残機が半分消費されました」
その時は何のことだかわからなかった。こういう事だったのか。
全てを知った私に生まれた感情は、これまで感じたことのないものだった。
…………………素晴らしい。
私は、これまで誰にも愛される事はなかった。
愛を受けず、愛を与えられず、愛を知らず、育ってきた。
授業や辞書で習うような無機質な愛でさえ、わたしには愛おしく感じられた。
そんなわたしが今、本物の愛を受けている。
自己犠牲の上で成り立つ、本物の愛を。愛を受けることのなかった、この私が。
南 ██も。奥村 ███も。内山 █も、三宅 ██も、そして、あの母でさえも!
皆、私のために命を散らしてくれた。
私に、愛を与えてくれた。
だから、私は叫んだ。
エージェント・時田: 本当ですか!
██博士: (驚く) 大丈夫ですか?
エージェント・時田: 大丈夫もなにも!僕は嬉しいですよ!まさか本当にみんなが支えてくれていたなんて!
██博士: 落ち着いてください。
エージェント・時田: これが落ち着いていられますか!みんな……みんなぁ!(何度も机に頭を打ち付ける)
██博士: 誰か!誰か来てください!
エージェント・時田: 嬉しい!嬉しい!嬉しい!嬉しい!嬉しい!
(職員3名が入室)
██博士: 取り押さえてください!
エージェント・時田: 離してくださいよ!(机に頭を打ち付ける)僕は嬉しいんです!僕は(意識を失う)
██博士: 記録を終了します!
エージェント・時田:ああ、愛を!私に全ての愛を!全てのあ
<記録終了>
そこまで追想してから、男はゆっくりと眠りについた。
枕元には、赤い線で大きくばつ印がつけられた、友達と、家族の写真が置いてあった。