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超常フリーランスなんて本当にロクなもんじゃない。


何を掲げて何を携えようとも一度名乗ったが最後。何処で何をしようとも命は保証されず、行く先々で敵にも味方にも疑心の念を抱かれ、あらゆる不条理を受け入れながら生きる事を強いられる。

この業界で嘘を吐かないのは預金残高と死人くらいで、得られるものと言えば金と孤独の2つだけだ。
















「──お前だなニット帽」



弱小宗教団体の軽い内輪揉め。それだけ聞いて軽く飛び入り参加したのが運の尽きだったらしい。


残弾0。左脇腹から多量の出血。貧血が効いているせいか上手く立ち上がれない。


フリーランスと教団員の混成部隊同士で地獄のような乱戦を演じた結果がコレだ。ヘタクソな奇襲をヘタクソな待ち伏せで返された挙句、数秒足らずで敵味方とも壊滅した。



残存戦力は俺1人。現在進行形でVz61の銃口をこちらに向けているハゲは一応敵陣営の教団員らしい。確かに襲撃前の顔合わせの時点でこんなハゲはいなかった。

俺を見下したまま動かないハゲの鼻の穴を銃口を見比べながら薄ら笑う。それだけしかできないからそれだけやっている。失血が長引きすぎた。形勢は決していた。鼻の穴と銃口の暗さはどこか遠くで似通っている気がした。


「お前だよな」

ハゲは再び口を開く。ウンコ臭くて鉄臭い吐息で顔面がいっぱいになる。

「クソガキ。たった1人で4人も殺しやがって」
「5人目にされてえかウンコハゲ」
「……しかも女と来たか」
「バイオロイドと呼べ」

あからさまに顔をしかめるウンコハゲに血痰を吐き掛けた。顔から少し逸れて胸元に付着する。


衝撃。当然の如く顔を蹴り上げられる。何も抵抗できないまま仰向けに倒れる。

「派閥抗争も!クソも!あったものか!!」

ご愁傷様。シンパも含めて全員死なれちゃ勝利もクソもあったもんじゃなかろう。お前らに相応しい最後だ。弱弱しいサッカーボールキックを顔いっぱいに浴びながら、吐き出せる限りの皮肉を脳裏に羅列する。声帯にも血が絡み始めていて明瞭に声が出せないのが惜しい。

しかしまあ、ハゲのくせによく動く脚だ。的確に顔面ばかり蹴りつけられて徐々に視界もボヤけてきた。余裕ぶるのもそろそろ限界らしい。





超常フリーランスなんてロクなもんじゃない。あなたの言った通り本当にロクでもない生き方だったよ。先生。



殺したり殺されたり、騙したり騙されたり、死んだり死なれたりが常のくせに、そういう単純な2択の繰り返しは根本的な問題を何も解決してくれなくて。事実俺は何も変われなかった。自他の不条理を疑うことなく受け入れ続けて、こんなところまで生き残ってしまった。


これから俺が死んだところで何も変わらない。何も変えられない。俺は俺自身の死ですら無条件に受け入れるはずだ。

本当にロクなもんじゃない。



途中から聞き取れなくなっていた罵詈雑言もようやく終わったのか、顔面を踏みつけられたまま再び銃口を向けられた。ド素人の構え方。遥か彼方に黒々と眠る薬室が俺を見つめていた。確かに鼻の穴に似ている。


最期の光景。32口径の湿気た豆鉄砲。見るに値しないから目を閉じる。





銃声









「…………あ?」


それは確かに鳴り響いた。

意識が残っている。何故俺は死んでいない?



思わず顔を上げる。ウンコハゲは鼻の穴を広げて仰向けに倒れていた。




残る力を振り絞って状態を起こす。仰向け死体の向こう側に人影。硝煙。

発砲直後の拳銃。そのやけに整った顔立ちと華奢な体格が物語る。


少女だった。上下黒ジャージ姿で拳銃握りしめたボサ髪の少女。こんな血生臭い場所には到底似合わない年頃の少女が1人。拳銃を両手で真っ直ぐ構えて。寸分たりとも微動だにせず。


「……お前──」



「うわああああああああああ!!!!!!!!!!!」



唐突の絶叫。

黒ジャージの内腿を徐々に何かで染め上げながら膝をガタガタと震わせ、少女は尚も叫ぶ。


「うわあああああっっっはぁぁぁぁああ!?!?!?」
「……!?…………はあああああああ!?」




水音。否。水滴音。


拡散する水たまり。それはまごうこと無き、正真正銘の大失禁であった。



垂れ流しの尿がジャージを伝い床を伝い、ウンコハゲの撒き散らした血液と濁り合い、螺旋を描いて溶け合い


少女は撃ち終えた拳銃を手放すわけでもなく、ただ独り泣き腫らしていた。






「ご、ごべんなしゃ……」


“廃桃源”。別名“横浜の抜け道”。


日中韓台の4ヶ国に未知数のポータルを持つ余剰次元都市であり、アジア圏の超常犯罪組織における緩衝地帯。桃色の空とコンクリ造りの廃墟街で構成される街。


日系自治領北区3丁目の半地下アパートメント。その2階。6畳一間の片隅。

ボロボロ泣きながら温い麦茶を啜る少女から目を逸らし、ニット帽のズレを正す。替えの服も持ち合わせていなかったらしいから一時的に私物のツナギを着せてみたが、ほぼ同じ身長なだけあって大した違和感は無かった。少なくとも首から下だけは。首から上が場違いすぎる。

「お風呂と服も恵んでいただいてこんな……こんなぁ……」
「一晩経ったら追い出すからな」
「うわあぁぁっっ……ふぁぁぁ~~~~…………」

号泣失禁少女の肩を借りてセーフハウスへ転がり込んでから2時間程経つ。

残弾の買い足しと晩飯を予定していたが、尿に濡れたジャージを洗濯機に叩き込んで血まみれの私服を捨てた直後だ。何も食う気になれない。手持ちの人工血液パックでどうにか難を逃れたが、左脇の負傷と極度の貧血もそれなりに後を引いている。少女は相変わらず泣き腫らしていた。


しかしまあ、何でこんな場所にいるのか理解できない程度にはツラが良い。風呂に叩き込むまで血と埃と尿にまみれてたのが信じられないくらいだ。ツラが良いというかモロに育ちの良さが滲み出ている顔立ちである。


「色々質問したいんだけどまだ落ち着かないか」
「……フタツキです」
「本名出せや面倒臭い」
「名乗ったら駄目って斡旋の人がぁぁ〜〜っ……!」


見るからにといった具合ではあるが、やはり一般人出身のフリーランスらしい。物心付いた頃から反財団の側にいるような連中の回答じゃなかった。ひょっとしたらストライプの類かもしれない。

実際のところ「名乗ったら駄目と言われた」という情報そのものがブラフの可能性もあるが、見た限り歳は16、7といったところか。同じ年頃の本物は揃いも揃ってとっくに涙腺を枯らしているし、一部方面での手練れでも無い限りはこの状況下で泣き腫らしたりなどしない。というかハゲの射殺程度で小便を漏らすことはない。正真正銘のド素人と仮定して間違いないだろう。


じゃあ暫定的に、コイツが元一般人で業務経験もロクに詰んでない正真正銘のクソド素人だと仮定しておこう。何であんな最前線業務に叩き込まれていた?どう考えても新人に務まるような内容ではないだろうに

「資源化刑か何か食らっていきなり投入されたか?」
「そ、そういうのじゃ……」
「どこの斡旋から回された」
「アクトク人材派遣……初めてならここがオススメって無理矢理……」

最近急に復活し始めたクソ斡旋業者の1つだ。ロクに現場経験を積んでいないフリーランスを高額で叩きつけ、人的ロス発生時の賠償請求で二重に大金を啜るような連中である。一時期は傭兵派遣会社を自称していた。文武両方面とも対した戦力にならないと判断された新入りをポンポン投入して肉壁を作り上げる様から「レンガ屋」とも呼ばれている。

となると

「口座確認しても遅いな」
「……?」
「恋昏崎神託銀行の普通口座あるだろ。1日本円も振り込まれてないから確認してみな」

少女は若干落ち着きを取り戻しながらスマホを取り出す。しばらくすると表情ごと全身が固まって動かなくなった。的中したらしい。

「わ、わた、わっ私どうしたら……!」
「言う通りにしてきたお前が悪い」
「私こういうの本当に初めてで……!!」
「というかお前さ、今更だけどさ」

そう。本当に今更な上に本当に言いづらいんだが

「……味方殺して敵助けてるっぽいんだけどさ」
「はぇ!?」
「俺みたいなニット帽そっちの味方にいたか?」
「……!?……!!?……!!!」
「多分さっきまで敵同士。多分。俺とお前」

両陣営とも教団員だけは敵味方の識別処置を怠っていた。起こるべくして起きた事故である。フリーランスだけは左上腕にテープを巻いているか否かで判断し合ってたが、どちらも教団員だけは見分けの付かないフード付きマントを羽織って戦ってた。本当に馬鹿な連中だ。

誤射したところでとやかく言われるものでもない。鉄錆の果実教団に関わるのは初めてじゃなかったが、馬鹿さ加減は半年前よりも更に加速している気がする。

「私どう謝ったら……」
「……忘れちまえ。俺も忘れる」

それ以外に何ができるわけでもない。間接的に殺し合っていた事実が変わらないにしても直接的には撃ち合っていないのだ。それで良かった。それだけで済んでよかった。

それだけで済んで良かったから、これ以降は綺麗サッパリ忘れるに限る。絶対に不可能である点については兎も角これで手打ちに出来るならしておきたい。


少しの沈黙。少女は少し申し訳なさそうにした後

「……あの、今更ながらお名前をお伺いしても?」
「賽。サイコロの賽」
「サイ……さん?」
「何だいきなり」


また黙りこくる。両手で腹をさすり、フタツキは恥ずかしげに顔を上げた。

なるほど。


「当ててやる。今日何も食ってねえな」
「あっ、昨日からです」


:


「──賽か」
「賽じゃ悪いかよ」
「良くはねえな。そっちのお嬢さんは?」
「さっき拾った」


ドブガワ。会社員時代に借金2000万円を抱えた末に家族全員を捨てて逃亡した後、何故かこの余剰次元空間でラーメン屋“げろまみれ”を経営するに至った男。一応コイツも超常フリーランスと定義される男である。

「生2本?」
「未成年に酒飲ませんな畳んで埋めるぞ」
「怖ぁ。お嬢さん飲まないのね?」
「あ、え、結構、です」
「良い娘だ~奥の席行きな」

舌打ち気味にカウンター席へ腰掛け、フタツキには左隣に座るよう促す。それなりに遅い時間帯のせいか、店内には俺たち以外誰もいない。

傷は痛むが食わなければ体は修復できない。人間もバイオロイドも食って寝れば治る。食事は業務の一環で生存の根幹だ。無理のない範囲で無理やりにでも食う必要がある。

「餃子と醤油ワンタン。チャーシュー追加。」
「えと、同じやつを」
「あとコーラ2本」

セルフのお冷を注いで渡す。出会った当初と比べればかなり落ち着いてきたらしく、フタツキはさして指先を震わせるわけでもなくこれを受け取った。

「奢る。返さなくていい」
「本当に助かります……」
「アクトクには二度と近づくな。抗議しに行ったところで1円も帰ってこないし俺にも飛び火する」
「うぅ……」
「そもそも何でこんな稼業始めたんだよお前」

資源化刑でも決まらない限りはこんな少女がフリーランスになるような事態はまず無いと言い切れるからこそ、何だかんだでそれなりの興味はあった。

それなりに躊躇った後、ついに観念したらしく口を開いた。

「……父を探しに来ました。探しにというか、探してもらうために」
「ここにいると?」
「母の遺品を整理してたら色々解って。高校退学して」
「じゃあさっさと戻って警察か財団に保護してもらいな」

「先に餃子ね〜」とカウンター越しにドブガワが割って入る。5個盛りが2皿来た。2人同時に醤油を小皿に分け始める。

JAGPATOが2016年に制定した条約知ってるか」
「……国内超常個人営業者取締条約」
「反財団の界隈じゃ通用しないけどな。20歳以下のガキが親の同意無しでフリーランス化するのはそもそもこの条約で禁じられている。無理矢理やらされましたって弁明しときゃ無条件で保護してもらえるぞ」
「……」
「今日見た通りだ。超常フリーランスなんてロクなもんじゃない。」

酢とラー油を混ぜた後、割り箸を割って最初の1個を貪る。つい数時間前に初めての殺人を犯した割に、フタツキはそれなりのペースで餃子を食らっていた。肝が据わっているのかそうじゃないのかよく解らない。

「探すために金貯めてたのか?情報集めてたのか?」
「どっちもするためにどっちもやってます。あと講習の費用を払わなくちゃいけなくて……」
コブウェブ主催の」
「です。台湾で基礎的な訓練だけ受けてきたので」

ワンタンが来た。麺より速く食えるから麺よりも好きだ。蓮華に1個掬って啜る。

フタツキは少しばかり箸を止めた後、再び続けた。

「元は警察官でした」
「……まあよくある話だな」
「資源化刑で拉致されたらしいことは掴んでます」
「尚更よくある話だ」

ただし「肉親がフリーランス化したから」という理由からいきなりフリーランスを始めるケースはそこまで聞かない。少なくともその実例を生で見るのは初めてだ。




フリーランスの出自やフリーランス化の経緯、及びその理由はに多岐に渡る。


余剰次元での大麻畑開設を目論み天下りした警察OB。
「本物の戦争がしたい」と格好つけて分隊単位で離職してきた陸自崩れ。
一匹の趣味人として生きることを選んだ正常性維持機関からの脱走者たち
帰還資金確保のため一時的に雇用された次元漂流者。
有村組に敗北した敵対組織の幹部。
無条件に爆発物を生み出すイカレた現実歪曲者
中国の人身売買市場で売れ残ったロヒンギャ。
研修目的で投入された蛇の手準構成員。
超常社会に多少の縁があっただけのハッカー崩れ
正体不明のロシア人発明家
刑期短縮をエサに超常の初期調査に駆り出された異国の政治犯
財団による収容を逃れて保護された超常性保持者。
恋昏崎に拉致られた元機動隊員etc。


しかしてこの業界に辿り着く人間の本質は概ねして一貫していた。



ほぼ全員が、何らかの形で孤独を抱えている。



超常性故の孤独。出自故の孤独。本人の性格、性質故の孤独。経緯故の孤独。孤独故の孤独。


フリーランスをフリーランスたらしめる第一要因は当人たちの孤独にある。元来、超常社会とは一般社会以上に社会的弱者の淘汰が常であり、そういった淘汰から逃れるための最低条件こそが群れること、いわゆる要注意団体に属することだった。


その最低条件すら満たせないような、しかし一概に無益と称するには中途半端に有益性を内包するクズ共の受け皿こそが、反財団の界隈における超常フリーランス制度である。

私兵を持たない企業系団体が傭兵として雇用したり、脚の足りない蛇の手分派、日本国内で言えば青大将などが現地の連絡員として一時的に徴用したり。鉄錆の果実教団のような弱小団体の弱小派閥が抗争の予備戦力として寄せ集めたりと、実際こういったクズ共の需要はそれなりにあったし、制度そのものが受け皿としての役割を為していることは確かであった。



根本的に孤独な個人は群れることを知らない。知ったところで群れることは敵わない。群れたところでその本質は変わらない。俺がそうだったし、先生も結局はその1人だと自嘲していた。今まで業務を共にしてきた連中も概ねしてその部類に入っていた。

フタツキもまたその手の炙れ者なのだろう。本質的にはまともな人間じゃない。まともな生き方を知っている奴は親父探しのためにわざわざ高校を中退したりなどしない。

しかし今なら引き返せる。逆に言えば今しか引き返せないのである。そのチャンスを逃して死んだ心優しいクズ共を何人も見てきたが、流石にこんな年若い少女を野垂れ死にさせるなんてのは御免だ。明日以降の飯が不味くなる。少なくとも先生ならこんな不条理を許さないだろう。



「悪いこと言わねえから明日にでも帰んな」
「…………7年前に資源化刑を下されて生きてる人がいるって聞いたので、多分その人かなって……」
「もっかい言わねえと──」


思考より先に箸が止まる。



元機動隊隊員?

7年前に失踪?



「父と最後に会ったのが7年前のことですから、それ以外は──」
「──警視庁警備部、第9機動隊付銃器対策小隊」


フタツキも箸を止める。


信じられない。

というかあまり信じたくもない話だが


「……娘か。雑賀イズメの」
「…………雑賀イツキ、です。本名」


同時に箸を置き、初めて互いに見つめ合う。フタツキは目を見開いて静止していた。多分俺もそんな具合で固まっている。

本当に信じられない話だ。



「“賽”はイズメ先生から授かった名前だ」


:


先生。



誰がそう呼び出したわけでもない。しかして彼を知る者は皆口を揃えて通称した。


本名『雑賀イズメ』。

元は警視庁の第9機動隊に所属していた銃器対策部隊の隊員。資源化刑からの生還者としては4例目にあたる元ストライプ。その後の資源化刑生還率を大幅に上昇させた張本人でもある。


主に超常性保持者の早期奪還や護衛、護送を得意としていたが、それ以外にも施設警備や弱小団体同士の抗争の鎮圧、賞金首の捕獲、悪質な斡旋業者の討伐、大陸系超常犯罪組織の駆逐、そして新人向け対超常行動訓練のインストラクター等、前線フリーランスとしては他に類を見ない何でも屋、もとい独立単身戦力として活躍していた。1世代前のフリーランスでイズメの名を知らない者はいない。


斯く言う俺も先生に保護された超常の1個体である。

ニッソと東弊の共同開発プロジェクトで国外向けに開発されていた警邏用生体兵器の試作型であり、本来搭載されるはずだった火器管制システム、及び網膜投影型の視覚補助機構を完全にオミットされた中途半端極まりないバイオロイドだ。廃棄直前で先生に拾われて今に至る。


「……じゃあ私の父ですね」
「どういう納得だよ」
「保育園の運動会で保護者対抗の綱引きした時にほぼ1人で勝つ父でした」
「じゃあ先生だな」
「道路で死にかけてたクマを背負って山に返しに行く父でした」
「先生だな」

2人してニヤニヤと笑う。なるほど先生だ。なるほど先生の娘だ。口角の上がり方がどことなく似ている。射撃姿勢の癖も今思い出せば少し似ている節があった。

ほぼ空になった食器を寄せ、頬杖をついて久しぶりに過去を回想する。

「先生……先生かぁ」
「俺にとってはな」
「どんな事教えて貰ってたんですか」
「……歩き方と走り方。逃げ方と隠れ方。あと応急手当とか。他にもいろいろ」

意外そうな顔をしている。もう少し泥臭い何かを想定していたのだろう。現場慣れしていないらしいから仕方なくはある。

「別にフリーランスってドンパチするだけが全てじゃないからな」
「てっきりこう、格闘系とかそういうのを」
「逃げたり隠れたりが出来なきゃ死ぬ時死んじまうからな。射撃は安全管理だけ教わった」
「もしかして専門は戦う系じゃなかったりしますか?」
「護衛と傭兵。頭使わない方の業務じゃ一番稼げる」
「……護衛」
「半日2万の格安護衛な。そこのドブも1回護衛したことあるぞ」

閉店まではまだ時間がある。空になった食器をドブガワに引き渡し

「コーラもう2瓶追加」
「あいよ」

再びフタツキと向き合い、差し出されたコーラを注いで渡した。


しかしまあ奇妙な話だ。こんなドブ臭い世界に頭突っ込んだ親子に2度も命を救われるとは。実際には2度どころの話じゃ済まないわけだが。流石に実の娘にまで助けられるとは思っていなかった。

「これまでの事実陳述について謝罪するつもりはない。お前が先生の娘であってもあの事実は変わらないからな」
「お構いなく。父は父で私は私ですから」
「親父さんの教えか」
「……父の教えです」

フタツキに何を感じているのかは自分でもよく解っていない。先生と似すぎているが故の嫌悪感か。それとも高揚か。哀愁か。いずれにせよ奇妙な感覚だった。




改めて思えば先生以上に妙な奴だ。


聞いた限りではアレが初めての殺人らしい。その絶対的な体験から半日も経っていない割にはやけに落ち着いている、というか平静過ぎる。アッサリ目とはいえど、こうして醤油ワンタン1杯と餃子1皿をしっかり平らげてるのはある種の才能と言っても差し支えない。大抵の新人の場合2日間程度は何も口に出来ないし、結果的に患った栄養失調が祟って病院送りとなるケースもザラである。というかそれが普通だ。コイツは普通じゃない。


凡そ3年。業界に居座り続けたせいか感覚がマヒしかけていたが改めて確信した。確かに普通じゃない。泣き腫らしたり尿漏らしたり言い訳かましたり油断したりと一見すればパンピー上がりのカモなくせに、生殺与奪の一線を状況次第では軽々超えて、受け止めきれずに精神的なダメージを抱えたと思ったらいつの間にか平然と割り切っているあたりは普通じゃない。一般社会や世間で言う「普通」を忘れかけていた。フタツキはある意味フリーランスらしくはある。


そう。フリーランスらしくはあるのだ。そういう意味ではある意味俺と同類ともいえる。

では俺と同類の、本質的にはフリーランスに近しいらしい、一般社会から到底受け入れられないであろう類の孤独や欠落を抱えているらしいこの少女を。少女の皮を被った殺人経験者を。潜在的脅威を。果たして本当に野に放って良いモノなのか?記憶処理して一般社会に解放とかやりかねない財団に預けて良いモノなのか?それを先生は良しとするのか?

良しとしないならどうするべきだ?無条件で引き込むべきか?パンピー上がりのド素人にそんな真似を許せば確実に業界全体から舐められるというのに?




小銭の音。自問自答から覚める。

フタツキはいつの間にか財布を手にしていた。


「何で通帳?」
「……半日2万でしたよね」
「やめとけ」

反射的にそう答えた。数秒後に物凄く面倒くさい何かが降りかかってきそうな予感がしたからだ。

いや、確かにコイツの野放しはあらゆる意味で危険すぎる。衝動的な殺人がトリガーになった挙句、その後取っ捕まるまでに4人殺して死刑判決を受けた未成年犯罪者などが過去に実在する以上、コイツ自身にそういった潜在的脅威が一切存在しないなんて保証はどこにも無い。先程そう思慮した通りだ。

少なくとも俺は、一般社会が超常の余波によって荒れることを良しとしていない。先生が守って来た世界だからというのもあるが、超常社会に僅かに残された俺たちの市場を何としてでも守りたかった。じゃあこれからこの危険因子かつ命の恩人かつ、先生の娘にしてある程度は役に立ちそうな情報源である失禁女をどう扱えばいいのかというと


「預金額。450万円しか無い、んです、けど」
「待て。止せ。やめろ」


本当に単純で簡単な話なわけで。


「父の捜索に際して護衛を依頼させてください」


自覚できる程度に顔を顰める。フタツキの判断は概ね間違っていない。というか大正解だった。

フリーランスの根底とは根本から矛盾する話だが、結局どこまで墜ちてもフリーランスは人間なのだ。人間は群れてる瞬間が一番強い。自分より力のある存在と組んでいる時なら尚更のことである。


「信頼できる実力者」としての面を見せつけ過ぎた。別に実力者と自称できるほどの実力は持ち合わせているわけじゃないが、ここでキッパリと断った場合結構な弊害が生まれる。


「……もしかして最初から護衛雇うつもりだった?」
「それ目的でここに来たはずが……」
「いつの間にやら鉄砲玉にされてたわけね」


クソッタレだが依頼とあらば受けて立つしかない。

敵も味方もクソも無い墜ちたてホヤホヤなガキ1匹の護衛を断るなんてのは、ガキの素性を差し置いてもフリーランスとしての名折れだ。プライドとかそういうクソどうでもいい話ではなく、「その程度のガキの依頼を受けるような底辺」と指さされる方が断るよりよっぽどマシなのである。「ガキ1人の護衛もロクにこなせない雑魚」と噂されれば今後の斡旋に大きく響いてしまう。実に面倒くさいが噂は時に真実よりも重く作用する。


もう一つ厄介なのは目的の合致だ。失踪から1年、自力での調査を続けてきた結果先に訪れたのは限界だった。俺がせめてもう2人いればと何度も逡巡した。仮にコイツを単なる護衛対象ではなく作業のリソース元とした場合、資金集めと情報収集、及び日常生活の効率化が図れるかもしれない。


が、正直コイツから得られる先生の情報についてはそこまで期待していない。7年前の先生がこの先手掛かりになるなんて線は最初から薄いし、ましてや戦力増強なんてのは以ての外だ。増えたのは足手纏いになりかねない謎の元一般人であって増援じゃない。フタツキにはこれといった利用価値を求めているわけではなかった。しかし──


「先生が見つかるまでの間だけでも護衛を……」
「考えてるから少し黙れ」


──先生なら引き取る。そう判断した上で射殺の恩を返す。それはそれとして「敵の誤射で生き残った」という何となく後に引きそうな屈辱と失態を塗り潰しつつ、界隈内で甘ちゃん扱いされないためにも「正式な契約の下で履行された護衛」という形で身柄を預かる。これらの条件がある程度達成される以上、現状では一番確実な気がしてきた。

やるしかないかもしれない。護衛という形でイズメ先生の娘を囲い込み、先生捜索のための戦力として動かす。他のフリーランスじゃできない話だ。コイツでしか実現できない。マジでやるしかない。


「……承諾した」


窓の外で日が落ちた。ピンク色の空に青黒い影が降りる。






「起きろ」

翌日。セーフハウス居間。

布団を顔まで被って寝こけるフタツキを爪先で小突く。3回目あたりで勢いよく飛び起きた。

「おはようございます!」
「飯作ってあるからゴミ出してこい」

部屋の隅にまとめた黒いビニル袋を指さす。盗品の高校ジャージを翻し、フタツキは颯爽と扉を開けて廃棄炉の方に突っ走る。世間の高校生というのは起き抜けにあそこまで動けるものなんだろうか。

六畳一間。風呂とトイレとキッチンが付いてる分それなりに贅沢な賃貸ではある。おまけに基底現実への帰還用ポータルにも近い。そして6部屋もある癖に現状俺とコイツしか住んでいない。

家賃も毎月4万程取られるから、それなりのインテリか最前線フリーランスでもない限りは居座れない物件ではあった。恋昏崎へ移住すればもう少しマシな部屋をもう少し安めに借りられるらしい。

「──終わりました!」
「布団干しとけ」
「はい!」
「返事は了解」
「了解!」

その隙に卓袱台を展開して飯を並べる。かぼちゃのポタージュとピザトーストとヨーグルトとミカン。いずれも廃桃源経由で中華自治領から仕入れたものだ。緩衝地帯の貿易市場までは若干遠いが、安い上に中国製とは思えないくらい美味いから重宝している。


本当に久しぶりに2人して食卓を囲む。以前は先生に作ってもらってばかりだったから少し新鮮な気分だ。

「……」
「口に合わなかったらスマンな」
「久しぶりに父を思い出してます」
「そうかよ」

先生が作ってくれた朝飯を真似ているから当然か。フタツキはずっと前から先生の飯を食っていたし、今日に至るまでの7年間は先生の飯を食ってなかったのだ。懐かしんで感極まったのか既に目に涙が浮かんでいる。

それはそれとして何か無性に腹が立ってきた気がしなくもない。これが嫉妬というやつなのだろうか。馬鹿馬鹿しい。俺は俺でコイツはコイツで、先生は先生だろうに。何を今になって境遇の違いに妬かねばならんのだ。

トーストを貪り、きちんと正座して飯を食うフタツキを睨みつけながら切り出す。

「サカキに次の斡旋頼むまで2週間近い猶予を設けた。それまでにやるべきことをやる」
「サカキ……さん?」
「手放しで評価していい斡旋」
「アクトクの人からサカキだけはやめとけって言われてて」
「去年の今頃に先生とサカキにボコされて店畳んでるからな」

コーンクリームスープを飲み干し、フタツキが急に詰め寄る

「その人も父を知ってるんですか」
「先生を中央裁判所から託された張本人だ」
「いつ会えますか」
「食ってからにしろ」
「食べ終わりました」

本当に全て食べ終わっていた。何も答えずに1人用の冷蔵庫から牛乳の500mlパックを取り出し、コップに注ぐことなく直飲みする。

「……食器片づけとくから着替えろ」
「ごちそうさまでした。美味しかったです」

今の嚥下で何となく自覚した。脇の傷はある程度修復してきたが、念のため医療用ナノマシンを塗布しておきたい。台湾自治領まで買いに行く必要があるが背に腹は代えられない。

寝巻代わりに貸し出していた高校ジャージを脱ぎ畳み、フタツキは一度下着姿になった後、昨日のツナギに手足を通し始める。傷1つない綺麗な背中だった。見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらい日焼けしていない。


:


さて本題だ。業務の受注前に色々と試しておきたいことがある。結果によってはサカキへの斡旋依頼を更に数日間先延ばしにするかもしれないからしっかりとこなしておきたい。ひとまずコイツの今現在の実力を測るべきだ。

「コブウェブのフリーランス向け講習で獲った認定証あるか?」

昨日使っていた皮財布を取り出し、各資格証を一枚一枚卓袱台に広げた。昨日保護した時点での持ち物はこれしか確認していない。他には何も持たずにここまで来たのだろうか。

「あの、こちらになります」
「応」

というか基礎射撃Ⅳの資格保持者なんか初めて見た。検定の内容はうろ覚えだったがアイアンサイトのみ搭載したバトルライフルで100m先の人型標的を2発以内に撃ち抜くとかだったか。

現場で頻発するような「走りながら走る標的を撃つ」といった高難易度の業でないにしても、コブウェブ主催のフリーランス向け講習会でこの手の資格をわざわざ入手しに行くなんてのは、元々軍事的な訓練経験があって修了後もドンパチ専門で食っていくつもりの奴でもない限りあり得ない。

しかしこの認定証が本物だとするならあのウンコハゲを一発で仕留めたのも納得だ。フタツキはあの瞬間、ウンコハゲの凡そ25m後ろから1発だけ発砲して後頭部を撃ち抜いていた。うなだれる形で俺を狙っていたから余計に狙い難かっただろうに。照準にどれだけの時間を要したかは知らないが、初の業務で地味にこんな離れ業をやってのけていることは特筆に値する。本当に護衛必要なのかコイツ?

「つーか日本人規格の方で基礎体力Ⅲ取ってんのか」
「です。吹奏楽部だったけど走り込みとかあったので……」
「6週間コースでよくもまあここまで」

因みにこれらの認定証が参照性を保持する期間は本当に少ない。あくまで界隈とコンタクト→講習受講→帰国からの初斡旋という、いわゆるメジャールートでフリーランス化した新人を仕分ける際に指標として使われるだけのもので、2、3回も最前線の現場に出ればほとんど意味を為さなくなる。その後の実力の指標は8割方が噂や前雇用主からの評価、所謂口コミというやつで決まっていくのだ。

「ワケアリなガキ1匹の護衛すらケチった臆病者」といった事実無根の噂が一瞬でも流布すれば実力云々抜きにこちらとしても商売あがったりなわけで、実際そういった悪意あるデマで食い扶持を失ったフリーランスは何人もいる。追い詰められた挙句財団に投降して正式にエージェントとして雇用された奴までいるくらいだ。


とりあえず講習終了時点での大まかな実力の程は理解した。ツナギに着替え終えたフタツキの方へ身を乗り出す。

「正式に護衛担当として雇用された身だ。お前から片時も離れるわけにはいかん」
「はい」
「ただし今回のケースに関しては特殊で、昨日の夜に改めて契約した通り『先生が見つかるまでは俺と行動を共にする』という条件が追加されている。勢いで1日1万までマケる羽目になったしな」
「本当に何とお礼を言えば……」

お礼如きで済ませるわけが無い。金と成果でキッチリ取り立ててやるつもりだ。舌打ちを全力で押さえながら続ける。

「只ひたすらセーフハウスに閉じ籠っていてもお互い金は増えん。お前の450万なんぞすぐに尽きる」
「ですね……」
「というわけで現場に出て貰う」

納得はしているらしい。嫌な顔しやがったらぶん殴ってやるところだった。う少し事実確認と現状説明をしておこう。

「“ラブラ”ってフリーランスには会ったか?」
「お噂は聞いてます。最初はその人も探してました。特定個人の捜索発見なら一流って」
「一流っつーかこの界隈じゃ一番だな。だが結局先生は見つけられなかった」
「むむ……」

先生の暗殺を目論む連中が何度か彼女の元を訪れたらしいが、結局めぼしい成果は上がらなかったとのことだった。日頃からPAMWACなんぞに入り浸っている奴ではあるが、仮にも業界内屈指の人探し専門フリーランスだ。奴で駄目なら俺達が愚直にやるしかない。

「ということで地道に情報収集しながら足跡追うしかなくなっている。お前の護衛費用とかは兎も角として資金がいくらあっても足りん」
「むむむ……」
「でも2人でなら目標金額行けるぞ」

携帯端末を取り出し、何度も修正されたスプレッドシートのスクショを見せる。

「日本円で4000万円。今俺の手元にあるのは1000万。あと2年以内に2人で3000万円溜めたい」
「溜めたらどうなるんですか?」
「この国に潜んでいる捜索、探偵、情報収集専門のフリーランスや組織を片っ端から雇って、人海戦術とゴリ押しで先生を探す。依頼金額と仲介斡旋の費用を元に割り出した必要経費がコレだ」

携帯端末をしまう。廃品を再利用する形で作ったAndroidらしい。耐久力と操作性がそれなりに好調で重宝している。

「親父さんの尻尾掴むための最短ルートで、唯一のルートだ。護衛はやってやる代わりにお前も働け。というか働かせるぞ。良いか?」
「了解です……やるしかないですね」


フタツキは何度も刻々と頷く。

嫌な話だ。一般社会への放流を渋った結果今度は幼気な少女を死と超常の最前線で連れ回す他なくなっている。昨日自分で割り切った話だからこれ以上の迷いや後悔も意味を為すことは無いだろう。きっと何度も後悔する羽目になるんだろうけど。


「実質的には俺の予備戦力として俺の指示に従ってもらう。それが一番確実で一番安全だ。返事は了解で統一しろ」
「……了解!」


ふと見上げたフタツキの両目に迷いはなかった。殺人1日目。ひょっとしたら寝ている間に何もかもを忘れてしまったのかもしれない。そうとしか思えないくらい澄んだ目をしている。



:


では実証開始と行こう。押し入れからショルダーバッグを取り出し、フタツキに投げ渡した。

「お前のSIG P230-JPと予備弾倉4本、その他基底現実用の基本装備が詰まっている。全部開けろ」
「はい!」
「了解だっての」
「了解……」

昨日の晩、フタツキを自分用の布団で寝かせてから準備したモノだ。慌てず丁寧にジッパーを開け、少女は内容物を1つ1つ確認し始めた。次々とその内容物が畳敷きの床に展開される。


MCF製汎用救急救命キット……双眼鏡……ヘッドライトと替えのバッテリー……500mL飲み水……MCF製戦闘糧食1食分……60Lの黒ビニル袋?と銃と予備弾倉ですか」
「ちゃんと入ってるな」


総重量は2kgにギリ届かない程度。一番嵩張るのは救急キットだが、業務によってはこれに加えて虫よけスプレーや発煙筒、チョークセットが、更に嫌な業務の場合は手榴弾等の爆発物が追加される。

今はこれでいい。これ以降の試行の結果によってコイツの運用方針を決める。

「元通りに収納しろ。ホルスターはそれ使え」

慌てて元通りに戻し始めるフタツキを他所に自分用のバンダリア型バッグを装着し、ドアを開ける。今日も今日とて空はピンク色だった。この空が原因で精神を病む者も多いとのことで、ニッソかどこかの企業が廃桃源専用の認識改変薬を開発中らしい。本当に需要があるのかについては大いに議論の余地がある。

午前7時。外気温は16度程度。中国自治領側の送風装置が作るそよ風のおかげでそれなりに心地良い。灰色の廃墟と桃色の朝焼けが生み出す狂気を中和するにはこれで十分だ。この乾いた優しい風さえあれば認識改変薬なんて必要ない。


「ごめんなさいお待たせしました──」

フタツキは2分程度で降りてきた。昨日着せたツナギの上に寝る直前で譲ってやったウィンドブレーカーを羽織り、先程くれてやったショルダーバッグをしっかり引っ提げてポテポテと階段を下りてくる。

3分以上かかるようならもう1回中身をぶちまけてやる予定だったし、割とそのつもりで靴を履きかけにしていたのだが、昨日も悟った通り「変なところでフリーランスに向いている」という予想が現実味を帯びてきたかもしれない。手先が器用とか云々以前に判断と行動が速いのは現場向きだ。こちらとしてもその2つを備えていない奴よりは余程有難い。

来たなら来たで次に進もう。何の合図も無く背を向けて走り出した。

「えっ、え~~!!!」
「同じペースでついてこい!!!」

数秒遅れてフタツキも走り出す。


:


時速12km。急勾配や階段の登り降りも含めて20分程走った。


10代後半の、女性ではなく男性の平均的なフィジカルに合わせたランニングのペース。

あくまで「衣服以外何も身に着けていない状態」を想定した速度。昨日ドサクサに紛れてウンコハゲから鹵獲したVz61、その予備弾倉、その他諸々の追加装備や移送対象を伴って走れば更に走行効率は落ちる。

まずはどこまで出来るかを試す。実際の現場では俺がフタツキの速さに、というか生身の人間に合わせた速度で動くつもりであるため、フタツキが俺に付いて来れるか否かについてはそこまで問題にならない。が、これはあくまでフタツキが「生身の人間」として最低限動けることが前提の話だ。

仮に俺が人間の味方に合わせたところで、敵や環境がこちらの都合に合わせて動いてくれることは無い。一切無い。敵が雇われのフリーランスや財団職員といった普通の人間ならまだしも、ここは超常社会。ガチの超常存在やホワイト・スーツ装備のGOC排撃班を相手する可能性もある。正面から撃ち合って確実に勝てる相手が格下の雑魚しかいないような底辺フリーランスの俺たちにとって、逃走能力と都市機動能力は必須だ。戦闘用バイオロイドの俺とて例外ではない。


この段階で及第点にすら達していなければ業務受注は延期する。たとえコイツが先生の娘であろうが、コイツ自身が昨日そう宣ったように、先生は先生でフタツキはフタツキだ。忖度も同情も挟むわけにはいかない。邪魔と判断したら絶対に現場には出さない。サカキの事務所に預けて留守番させるしかなくなる。


「──おっ、終わりっ、ですかっ!?」

……というつもりで走ったわけだが、フタツキは結局一度もペースを落とすことなく食らいついてきた。良い意味で期待以上だ。元吹奏楽部とか聞いていたから一時はどうなる事かと思っていた。


申し分ない。車両やヘリ等の脚を考慮しなければフル武装の財団部隊相手でも逃げ切れる可能性がある。逃げ方やフィールドにもよりけりではあるが、体力負けするよりはよっぽどマシだ。明日からは別の機動も試すとして今日のところは合格としておこう。スタミナとその他の逃走技能については追々叩き込む。

「終わりじゃない。検問前にセーフティ確認しとけ」


:


午前7時半。非戦共同中立地帯“白街”南門へ到着。連合自制軍の検問所でボディチェックを受け、射撃訓練場までの間有効となる銃器類の封印措置を挟んで街へ入る。ドサクサに紛れて胸に触れてくるような連中だったのも1年前までのことで、自制軍も2度の大規模変革を経て非常に統率の取れた民兵組織として成長してしまった。ある意味脅威ではある。

有村組傘下の土建屋と、それらが使役する土木作業用の西洋流ゴーレムによって急発展した街並み。それぞれの国家別自治領が手を取り合って整備した各種生活インフラ。無所属フリーランスのみで構成された自制軍が日夜闊歩する、廃桃源屈指の人口密集地帯。反社会の根性と努力が産み落としたクズ共の街。今日はその更に奥地まで足を踏み入れる。


白街中央区に佇む半地下の巨大施設。中立総合訓練所“RUN&GUN”にランニング終了後間もないフタツキを引き摺り込み、訓練用の耳当てと射撃レーン1本を貸し切って奥の方へ突っ込む。早朝故に人影はない。Gpエクスプレスの社員連中が合宿に来ているらしいことは貸し出し表から辛うじて読み取れた。


「指示通りに撃てるか?」
「固定標的への射撃なら大丈夫です。いっぱい練習してきました」
「見せて貰わん限り何とも言えん」


体力の次は現在の射撃能力、特に銃の安全管理についてチェックする。

当たるか否かなんてのは二の次だ。敵味方識別措置もロクに出来ないような奴への友軍誤射ならまだしも、不意かつ意識外の事故を銃器で引き起こすようなアホは増強火力要員として連れ回せない。アホだけに留まるならまだしも俺に致命傷が入る可能性だってあるのだ。



先生に関する情報もそうだが、フタツキには第2火力要員としての期待もしていなかった。仮にも護衛対象にそんなモンを期待すること自体まず大間違いだ。

防御性能よりも機動力と隠匿性を重視した結果、現在の俺の装備は秋葉原のサバゲーショップで購入したバンダリア型プラットフォームに落ち着いている。胸部と背部に追加装着するポーチによっては市街地でも目立たない、全力疾走しても体の表面からそこまでズレない、あらゆる銃器のマガジンポーチを装着可能といった利点はありつつも、所詮はショルダーバッグの延長線。やはり単純な積載能力には欠けていた。特に背部ポーチに手が届き難いのは難点だ。

ここで「予備の弾倉やツールを搭載した自走背嚢」としてフタツキを運用するのだ。

先ほど見せてくれたフィジカルを土壇場でも発揮してくれるなら使い勝手の良い弾薬ポーチとして利用できる。出会って間もない頃の先生とも同じ戦法を使ったし、結局それで一定以上の戦果を収めた。多少の条件の差異はあれども「動ける素人の有効な運用法」としては確実性が高い。それ以外の運用法に走る理由がないし、結果的に現場での護衛任務がギリ成立する形にもなる。



「それはそれとして銃使えるなら使ってほしい。何度も言うがただの護衛とはワケが違う」
「な、なるほ……なるほど……?」
「随伴歩兵だけで輸送車両を防衛するよりも輸送車両自体が撃ちまくってくれた方が有難いしな」
「……?」

家に帰ってからミッチリ詰め込んだ方が良いかもしれない。いくら有用性があったとしても戦略上の駒としての自覚や目的が解っていない奴は論外だ。荷物持ちとしての自覚を徹底的に叩き込む。一応護衛対象ではあるんだけど。

「さっさとやるぞ。距離20m固定。待機姿勢からの即応射撃用意!」


:


モーター音。頭部と胸部にだけ穴を開けた人型標的がワイヤーに吊り下げられ、ゆっくりとこちらに向かって移動してくる。

「あの、撃ち終わりまし……た」

マガジン除去。薬室確認。ハーフコック化後のトリガーロック。

綺麗な動作だ。その手の短編アニメーション作品でも見ているような気さえした。ヘッドセットを外し、フタツキは不安げな目でこちらの様子を伺う。


SIG P230-JP。日本の私服警官向けに特注デザインで製造されたP230の派生形。32.ACP弾対応の7+1発装填オートマチックピストル。

俺が普段使いしているワルサーPPK/Sとは同じ口径のモデルで、奇しくもVz61もこの弾薬に対応している。どこぞの地方警官かSPがフリーランス化後どこかに流したらしい品が、巡り巡ってここまでやって来たのであろう。使用弾薬自体は時代遅れで威力不足な部類ではあるものの、2人とも共通弾薬で統一できるのは有難い上にそれなりの強みも持ち合わせている。

32.ACP弾は比較的安い。9パラや45口径と比べれば低反動で撃ち易い弾薬でもあり、その歴史もあって信頼性も十二分だ。「現代の防弾装備には無力」なだけであって、そういった防弾装備を一切身に着けていないような同業者連中や、弱小要注意団体の構成員が相手ならしっかり斃しきれるだけの威力が保証されている。

廃桃源や恋昏崎の界隈で未だに32口径や38口径の需要が絶えない理由の1つだ。防弾装備は出回らない上に高い。連合自制軍も恋昏崎製のデッドコピー品であるMAC11やVz61を共通装備としている。


ともあれフタツキの実力は垣間見えた。

1度の射撃で3発か4発撃つ癖は現地インストラクターによる指導の影響もあるのだろうが、固定目標への射撃に関しては単純に練度が高い。速くて正確だ。呼吸器系と頭部を集中的に銃撃できている。

日本の警察機構向けにセーフティを1段階増やしたモデルであるにも関わらず、いざ射撃を開始すれば機械的にそれらを解除して、迷わず撃つ。弾倉5本が空になるまで合計35発撃って3発しか外していない。銃口管理もある程度は様になっている。射撃直後の視界確保や周囲確認も熟練者一歩手前のそれだ。


もう1つ特筆に値する点もあった。例えただの人型ターゲットだとしても、一度銃火器で殺人を犯した人間は再度銃を発砲するにあたって精神的な壁を乗り越えなければならないケースが多いが、コイツにはそういったハードルが一切存在しないか、或いは存在した上で自力で飛び越えているのか。何にせよ精神的な立ち直りの速さに関しては見習うべきタフネスがあった。同時に人として何か重要な欠落があるんじゃないかという不安もより一層増した。

「あの、先程からインストラクターさんは何と……?」
「ミャンマー語が解るわけねえだろ」

浅黒い肌のスタッフが手を叩いて笑っている。

内輪の軍閥抗争で敗北し、中東や中央アジアから遥々流れ着いた軍人崩れの成れの果てが始めたのがこの店だ。インド人やパキスタン人も多い。一応英語と中国語、限定的ながら日本語で言語が統一されている。たまに世話になっている安全管理役のミャンマー人インストラクターもその1人だった。最もただのミャンマー人ではなくイスラム教徒の被差別民だったらしいが。

「Excellentだとよ」
「あっ、あの、ありがとうございます……」
「英語喋れよ」
「勉強苦手で……」

何となく予想はしていたがそのレベルで勉学に適性が無いとは思わなかった。俺ですら1年死ぬ気で勉強したら喋れるようになったというのにコイツは義務教育9年と高校の数年で一体何を得てきたというのだろうか。

考慮したところでどうにもならない。32口径弾の詰まったケースを取り出して投げ渡す。

「次平行移動する的な」
「了解です」
「撃って走るのもやってもらうからそのつもりで」
「了解…?です」
「終わったら俺と合わせて動いてもらう」
「……今日中に終わるんですかコレ?」
「お前次第だ」


:


事前に全力で疾走させた影響もあるのだろう。模擬戦形式の訓練には若干の不慣れさとスタミナ切れを垣間見たが、それでもフタツキはかなり良い線の結果を叩き出した。後は2人で行動することに慣れてくれればどうにかなりそうだ。銃器の取り扱いにのみ注目して評価するなら「日頃から相手にしている実力帯の連中なら問題なく捌ける」といったところか。ひとまず随伴戦力としてギリ使用可能と判断する。

後は再装填の際に銃口を正面に向けたまま行う癖さえ作ってくれれば問題は無いだろう。立射の時点でそんな悪癖は確認できなかったのだから。



しかし何事も順調に行くなんて甘ったれた展開がこの未確認ポテンシャル失禁少女にあり得るはずもなく。ここに来てようやっと問題は発生した。


「ちょっと待っ──」

顔面に1発。ヘッドギアで覆われていない鼻っ柱をモロにぶん殴る。少女の華奢な体躯が宙を舞った。

畳敷きの屋内修練場。その場に倒れ伏したフタツキは半泣きで上体を起こす。



徒手格闘がてんで駄目だ。

射撃と都市機動は並み以上なくせに、どれだけ傷つけられようとも他人を1発も殴り返せない。殴るための構え方も知らなければ殴り方も知らず、殴った経験も恐らくは皆無であり、更にはこの期に及んで殴る気すら起こせない。ここに来てようやく育ちの良いお嬢ちゃんっ子気質が表れた気がする。どうも直接的に人を傷つけられないようだ。

冗談じゃない。対人格闘は万年金欠の底辺フリーランスとして常に磨いておくべき技能だ。死に物狂いで臨んでもらわないと困る。

「待ってって言ったのに……!」
「待つわけねえだろ立て」
「本当にやらないと駄目ですか……!?」

胸を蹴りつけてもう一度転がした。怯えて小さな悲鳴を上げるフタツキの背中を勢いよく蹴りつける。


昨日以来の号泣が始まった。側頭部を素足で踏みつけたまま一気に体重をかけて黙らせる。

「このまま死にてえか」
「……っ!!……っ!!!」

足を退ける。数秒挟んでフタツキは立ち上がった。立ち上がることを許されたから立ち上がっただけという具合の風体であり、未だその姿勢から殺意や生存本能は感じられない。ふらつく足を外側から蹴りつけてもう一度その場に崩す。

声も上げずにボロ泣きするフタツキの襟首を掴み、もう一度立ち上がらせた。気道と血管を同時に強張らせて嗚咽を漏らす。埒が明かないから右の頬を平手打ちした後、顎を引っ掴んで無理矢理目を合わせた。

「前線フリーランス同士の格闘戦については昨日お前が見た通りだ。予備弾もマガジンも不足してる俺らみたいな底辺は事あるごとに強いられる」
「……」
「いつまでも俺に守られる前提で動くな。名目上は護衛だろうが実質は共闘だ。お前が動かなきゃお前自身が死ぬ」

静かに涙を流し、ゆっくりと平時の呼吸を取り戻す。フタツキは両手を胸の前に掲げたまま刻々と頷いた。

一応落ち着いてくれたらしい。ヘッドギアを装着させておいて良かった。素顔のままやっていたらしばらく基底現実を歩けない域まで加工してしまうところだった。


これを。この一連の流れを、あろうことかコイツ自身に助けられた俺本人が、やってるのが、本当に癪に障るが。一々キレたところで仕方がない。青筋おっ立てながら腰に手を当てて説教を続ける。

「逃げ隠れと射撃戦闘の技術が前線フリーランスの生死を分かつ要素の8割。残り2割の内1割がソレだ。いきなりブッ転がした理由解ったか?」
「……理解しました」
「“死ぬ可能性がある”と“死ぬかもしれない”の違いを覚えろ。目的があって生きているなら軽々しく命を手放すんじゃない」

意気消沈しつつも必死に納得しようとしているらしい。顔のせいか年齢のせいか出自のせいか、胸中に渦巻く罪悪感をフリーランスとしての自覚で押しつぶし、フタツキの肩を小突く。

「死なれるのが一番困るからな」



本音だ。


使える使えない云々ではない。こんな形で知り合ってしまった以上、そしてこんな形でしか身の安全を保障できなかった以上、簡単には死んで欲しくなかった。

俺はフタツキに死んで欲しくない。ただし最前線でフタツキを完全に守り切れる自身も実力もあるわけじゃない。人間より多少足が速くて、素手で頭蓋骨を叩き割る程度の力しか持ち合わせていない警邏用バイオロイドには荷が重すぎる。


「ミット打ちから教える。最低限打撃はしっかりやってもらうぞ」
「……了解」



あの日と立ち位置が逆転しているようだった。満身創痍のフタツキを俺が見下ろしている。最初に出会った時のドス黒い気配が微塵も残っていない。中退済みのか弱い女子高生が顔面殴られてメソメソしているだけだ。


よし。1度コイツの殺人について、引き金を引くか否かの線引きについて聞いておこう。出来ることなら出会ったその日の内に問いただしておくべきだった。このラインを把握していないと後々とんでもない事故や事件に繋がりかねない。


「何で俺のことを助けた?」


「何で殺した?」とは聞かない。重要なのは目的であって手段じゃなかった。あと単純にこういう質問でメンタルやられると俺が迷惑する。

真正面から見つめられていても回答に詰まるだけだろうから横に座って待った。フタツキは少しばかり考え込む。


「友軍っぽかったからとかそういうのは無しな」


そんなシンプルな話じゃない。これは勘だ。彼女の射殺には俺の知らない行動原理がある。


「落ち着いたらでいいから」
「死のうとしていたから、です」


何て?


「死のうとしていたァ?」
「いえっ、その、私じゃなくて賽さんが」



「ミット打ち行くか」と強引に話を遮り、フタツキの手を引いて修練場の奥に進む。


原理は理由は解らないが物凄く、気色悪かった。

俺は確かにあの瞬間、自分の死を受け入れていた。抵抗に抵抗を重ねた結果成るべくしてなったと勝手に結論付けて、それを無条件に受け入れてウンコハゲの鼻の穴を見つめていた。それを勝手に、俺にしか解らないモノだと決めつけて。フタツキにはあえて打ち明けずにここまで付き合ってきたつもりだった。


コイツが今までどんな生き方をしてきたかなんてわかったもんじゃない。だが少なくとも、少なくともこれまでの17年間は、一般社会の家庭と、一般社会の環境に生きてきたはずだ。生きてきたはずなんだ。父親の失踪や母親の休止が彼女を変えたわけじゃない。もっと深いところで彼女は狂っている。真っ直ぐに狂っている。



気色悪い。その一言ですべてを表せた。

現状唯一にして無二。俺はコイツに、自分の孤独と死を覗かれている。






ミット打ちと帰りの体力作りも終わり、16時。ピンク色の西空が紫がかった赤に染まる頃、帰宅を開始する。

明日からが本番だ。


帰りがけに“げろまみれ”に寄る。今日は麺と餃子も封印だ。代わりに具材ドカ盛りの肉丼を食らう。

油分少な目でタンパク質マシマシな上にチャーシューが美味い。一度チャーシューとして完成させた後に炭火で二度焼きしているそうだ。

「業務開始2日前までは今日ほどキツくないトレーニングを日替わりで回して練度を維持する。やれそうか」
「賽さんとならやれます。徒手格闘が一番キツいですけど……」
「慣れてくれよ本当に」
「賽さん鼻が整ってて殴ったらどうなっちゃうか……!!」

「アホか」と後頭部を一発引っ叩く。ドブガワはいつにも増して上機嫌に丼を持って来た。

「イズメさんには世話になったからなぁ」

フタツキの丼にだけ特製メンマが追加トッピングされていた。俺には何も盛っていない。ムカついたのでフタツキに寄って告げ口してやった。

「……アイツ元々大麻の売人目指してて」
「え~っ……」
「先生に私的にボコされてラーメン屋始めたんだわ」
「え~~~~……」

ドブガワは満面の笑みでダブルピースを返して来た。フタツキが困り果てたらしいので代わりに中指を立てて追い返す。

フタツキがまたモソモソと揺れ始めた。何か話したがってる時はこの予備動作が来るらしい。何となく聞く姿勢に落ち着いた。

「父……イズメ先生ってどんな人だったんですか?」
「聞きたいか」
「もちろん」

結構唐突だし結構今さらだったが、そういえば空白の7年間を賽は何も知らないのだ。得の有無に関わらずモチベーション維持のためにも教えておいてやった方が良い。一呼吸置き、俺が知り得る限りのエピソードを可能な限り脳内に羅列した。

「……拾われたのは3年前。そこから2年間だけ一緒にいた。その期間の先生しか知らん」
「ふむ」
「出会いに関しては長くなりすぎるから端折る」
「そこ端折っちゃうんですか」

無視してコーラを注ぐ。「どれだけ凄かったのか」を一発で示す逸話ならこれだ。

「現在この国で活動中の海外系超常犯罪組織、100人以下の規模ならどれくらいあると思う?」
「ご……じゅう?」
「惜しいな。凡そ60だ」

「昔はその3倍いたんだよな~」と、唐突にドブガワが割って入る。無理矢理押し返して話を続けた。

「残りの120を撤退か壊滅に追い込んだのがイズメ先生だ」
「……冗談ではなく?」
「10人そこらって規模の組織が大半だったけどな」

フタツキは一瞬でスタミナ丼を食い尽くしていた。昼飯抜きで運動させた分をしっかり補給して欲しいところだ。未開封のおしぼりを差し出す。

「“一国民としての利権を取り戻すため”って大義名分と依頼があった。人数に問題が無ければ1人で壊滅まで持って行ったし、規模的に太刀打ちできない場合は半壊させてから財団や特事課にぶつけて」


後半からは俺も加わったし、その一連の流れで実戦のやり方を身に着けたのだ。

本当に色んな奴らを追っ払ってきた。遥々チェチェンから戦争史にやって来たヘモマンシー使いたち。台湾から来た自称傭兵団。川崎の工業地帯を乗っ取るべく送り込まれた某企業の手先。テロ目的で某国から送り込まれてきた余剰次元の開設業者。挙げ始めればキリが無いが、先生はその一切を悉く駆逐した。

実際に手を下したのは50組織程度ではあったが、何にせよそれだけの数の組織を非異常かつアーティファクトにも奇跡術にも頼らない人間がほぼ単身で潰したのである。結果的にあらゆる海外系の超常犯罪組織が日本国内から脱出する羽目になった。

「クソ壁」「非異常代表」「即日決戦兵器」。あらゆる異名が業務の度に追加されるその姿はまさに鬼神。本当にただの警察官だったのかとあらゆる組織が内偵を回すも、マジで元々ただの警察官でしか無かったがために伝説は過剰にも加速し続けた。


「一番タチ悪いのは単独で戦うことに固執してなかったことかな。1人じゃ対処できないって判断したら正常性維持機関を投入するためのきっかけを作って、一般社会への被害を押さえながら自分だけは生きて帰ってくる。あの人のせいで今のフリーランスの間じゃ結構メジャーな戦術になってるし」
「な……るほど」
「この辺は追々話していこう。一気に語るもんじゃない」


その後俺が目にしてきた事件も、ある程度割愛する形で話した。

有村組の人身売買ルートの摘発を切っ掛けに両者の関係が悪化し、抗争の結果有村の幹部がフリーランス墜ちする形で事が収まったこと。大陸から流れ着いた妖怪を遥々東北の僻地まで送り届けたこと。悪性ミーム媒介者として野に放たれたホームレス軍団を片っ端から殺して回ったこと。全てが昨日のことのように思い出せる。


「お前の知ってる親父さんじゃないだろ」
「私の知ってる父では……ないですね」
「……フリーランスってのは、基本的に全員孤独だ」


最後の肉を食らう。そういえばナノマシン剤買うの忘れてた。明日は購入しないと不味い。


「社会性のあるなしとか性格の良し悪しとかじゃなくて。研修目的で一時的にやってるような奴でも無けりゃ皆何かしらが欠けてる。欠けているから群れることを知らない。群れたところで何もできない」
「……賽さんもですか?」
「俺もお前も先生もだ。ドブ!!」

肉だけお代わりを頼む。フタツキもそれに倣う。

「何で先生が、ストライプ身分返上した後に財団や警察に戻らなかったか。考えたことあるか」
「……出会ったらまずはそれを聞くつもりです」
「俺と出会って早々に特事課の刑事とやり合った挙句、殺した。結果的にあの人は2度と正常性維持機関の側に帰れなくなった」
「……それが父の孤独ですか」

頷き、空になったお冷を再び満たす。フタツキの眉間には若干の皴が寄っていた。

「それで自死やら投降やらを選ぶほど自分を軽んじていた人じゃなかったし、保護して間もない俺を放っておくわけにもいかず。結局この世界に留まることを選んだ。そん時出来た傷と貰った帽子がこれな」


フタツキの前で初めてニット帽を外して見せる。


「家ン中でも被ってたのはこれが理由だ」
「……ッ!!」


火傷後の残るハゲ散らかった頭を凝視して、フタツキが固まる。瞳孔が縮こまる様を観察しながらコーラを飲み干した。再びニット帽を被る。

長く伸ばしたモミアゲ以外は枯れ山そのものになって久しい。俺は3年前からずっと中途半端ハゲだった。


「俺が先生についてった理由はまあ……語らなくても良いだろ」
「あの」
「何か」
「賽さんの孤独って何ですか」


単にデリカシーが無い奴よりは余程マシな質問だ。それはそれとして反射的に青筋が立つ。

一呼吸、深く置いて答える。


「先生に置いていかれた」


げろまみれ店内の秒針だけが音を鳴らす。ドブガワはしばらくその様を凝視していた。


追加の肉も食い切り、後は会計を終えて帰宅するだけ。財布に手を伸ばした瞬間。



「父には独りで死んで欲しくないから、私はここにいます」



フタツキは小さく呟いた。

ドブに現金で丁度の額を渡してフタツキの後ろを通り過ぎる。


「無理な話だな」





フタツキが帰って来たのはそれから2時間後のことだった。明日からも訓練があるんだからさっさと寝ろと促し、その日は日誌や帳簿もつけることなく寝落ちした。






開始2日目。朝っぱらから白街の内周を2周し、その後は午前をフルに使って体力向上のための基礎的なトレーニングを行う。昼飯休憩を挟んだ後は座学だ。奇跡術と超常についての理解を深めてもらいつつ、「逃げてどうにかなるなら逃げてどうにかしろ」という教訓を叩き込む。

結局対処法や理屈を知った上で干渉せずに逃げる奴が一番生き残りやすい。干渉してしまった際は特にそうだ。特にミーム災害と情報災害については重点的に仕込んでおくに限る。



3日目。白街内周ランニングの後は、トレーニングルームを貸し切って現場での連携について学ぶ。視覚外で動かれるよりも常に見えるところにいて貰った方が助かるという点から、何とフタツキが前衛、俺が後衛という、もはやどちらが護衛担当なのか解らん配置で動くことが決まった。

Vz61の利点であり問題点でもあるエジェクションポートの配置、つまるところ左右どちらでもなくいきなり直上にぶちまけれられる空薬莢の管理については以前からどうしたもんかとも思っていたが、水平方向の射撃においては基本的に後方へ排出されるらしい。仮に俺が前衛に出ても薬莢の衝突事故等でフタツキの行動を阻害しかねない。

あと単純にこの配置の方がフタツキのバッグを有効活用し易かった。現状一番怖いのは真正面で発生する不慮の接敵だ。敵はさておき俺たちは2人とも防弾装備を有していない。真っ先にフタツキが撃ち抜かれればすべてが終わる。



4日目。人んちの屋根を伝ってパルクール紛いの都市機動を行った。極端に狭い道、極端に急な階段、急斜面、未舗装道路、住宅密集地帯の閉所とあらゆる環境を走り回り、飛び続ける。それも只走るわけではなく鬼ごっこ形式で。

序盤はフタツキが鬼だ。地味に胸骨を圧迫し易い肩紐に苦しめられながらもフタツキは俺を追って来たが、この日ばかりは警邏用バイオロイド本来の運動スペックを発揮させて貰うことにした。階段の手すりを突っ走ったり壁面を駆け上がってショートカットしたりといった技術に付いて来れるわけが無かった。

後半は俺が鬼を務める。人間相応、というか歳相応のスタミナ切れを起こして死にかけるフタツキに容赦なく、何度も襲い掛かった。前後方向にしか道が伸びていない一本道の直上から唐突に飛び降りて逃げ道を塞いだり、並走しながらニヤニヤと嘲笑ってやったり、趣味と性格の悪い攻め方で統一しながら恐怖と逃げ方を刷り込み、最終的にはフタツキの号泣と飯で1日が締めくくられた。この日の肉丼は味が薄かった気がする。





7日目。フタツキの新しい下着と服の購入、及び弾薬の補給やVz61用マガジンの入手などに午前中いっぱいを使ってしまった。流石にツナギのまま基底現実に叩き込むわけにもいかない。私服として使用してもそこまでの違和感は無いらしい細身のタクティカルジャケットと耐久性重視のジーンズ、その他数点を購入し、午後はもっぱら徒手格闘訓練に打ち込んだ。

当て勘と距離の掴み方がクソすぎて本当に難を擁していたが、閉館間際でいきなり右のハイキックだけ上達するというワケ解らん成長を遂げてその日は終わった。





9日目。鬼ごっこでフタツキに一本取られた。取らせたわけじゃない。毎日その様子を見ていた連合自制軍の連中はいつの間にかフタツキの初勝利する日付で賭けていたらしく、中央公園で不意打ちのタックルを浴びた瞬間に一斉に歓声が上がった。マジモンの屈辱である。

ボロ勝ちしたらしい連中から日本円の現金束を押し付けられてフタツキは困惑していたが、これまで滞納していた飯代と家賃、そして護衛の費用は全てここから差っ引く形となり、結局彼女の手元に残ったのは2000円程度だった。帰りがけに食パンを買っていた。





11日目。フタツキの打撃精度が急激に上昇する。モノのついでに俺のピッケルを貸して武器アリの近接格闘を少し齧らせた。様になっている。





13日目。サカキから連絡が入った。出来ればもう1日休息を取りたかったが、いよいよ明日から業務再開である。







令和6年 10月30日
MC&D 日本支社東京支局


実地調査業務/発注確認書


  • 登録組合番号 : ゐ680311/ゐ680456
  • 姓名     : 賽 / フタツキ
  • 生年月日   : 抹消済/抹消済
  • 派遣地域   : 千葉県安房郡鋸南町
  • 危険区分   : 別紙記載

別紙記載の施設内を探索し、以下の調査とその結果報告をここに依頼する。

調査対象目録
対象 特徴 備考
施設内外 立ち入り痕と監視機器の有無 侵入経路となる山道2箇所の調査も含む
危険手当一覧
障害 該当区分 備考
異常存在 遭遇 別紙参照
異常現象 遭遇 別紙参照
未確認組織 遭遇 別紙参照
機関介入 特別規定 別紙参照
情報災害 別紙規定 別紙参照

  • 委託業者名  : サカキ斡旋
  • 発注責任者  : [非公開]


問合先:
    
     +82 108 566-99-XXX



「──何も無いことを確認しろ……ってことですか?」
「正解。早い話がちょっとハードな廃墟観光ってこった」

サカキに頼って正解だった。これならフタツキに1発も撃たせること無く業務を終えることだって可能だ。銃器を携帯したまま現場慣れさせるにはうってつけとも考えられる。

「悪い組織の悪いオッサンたちが会合で使ったりする場所だ。準備集合の前日にフリーランスを送り込んで正常性維持機関の目を調べる。その動きで会合場所が割れるなんてのもザラだけどな」
「……これ、もし私たちの敵?が張り込みとかしてたら、捕まる可能性って」
「ある。あるから捕まっても問題ないフリーランスを使う」

言葉に詰まる前に両肩を叩き、少し揉んで解す。先生の真似をしたつもりが父親の真似になっていたらしい。フタツキはキュッと目を細め、小学生女児のような速さで反射的に身を寄せてきた。思わず手を離してド突く。

「あっ、ごめんなさ……」
「……仮に財団に捕まったとしてもお前は助かる。警告1発目で投降したらな」
「賽さんは?」
「靴でも舐め回して向こうさんの遣いっ走りに転身かな。お互い2度と先生追えなくなるけど」
「じゃあ捕まらないつもりで動きます」
「当たり前だ。バッグ重くないか?」
「手榴弾と虫よけスプレー追加されただけなのであんまり……使う幼児あります?」

基底現実。東京都墨田区錦糸町。ここから総武快速線を経由して県境を越え、鋸山の方まで遥々動くこととなる。電車内が比較的空きやすい午前10時頃の千葉行きを狙う。

フタツキの体幹が以前よりかなり強くなっている。2週間前ならさっきので2、3歩後退していただろうに。

「あるね。撃ち合いの可能性が極めて低いからこそ今の内に慣れておいてもらう必要がある」
「なるほど……」
「俺のメインも突っ込んでんだ。荷物持ちとしての自覚忘れんなよ」

死んだ死なれたからは極力遠ざけつつ現場には何度でも漬け込み、確実に回数を重ねて前線に慣れてもらう。フタツキもそのつもりで挑んでいるらしいから俺も気を引き締めなければならない。


丸2週間。ぶっ通しで運動させたし、ぶっ通しで知識と技術を叩き込んだ。発想や行動の方向性と速度は幾分か向上している。俺の努力は一応無駄には終わっていないらしい。問題はこれからだ。実戦で使えるか否かの証明は実戦でのみ成り立つが、その実証に初回投入される奴が問題なく動けるか否かについては神や仏ですら保証してくれない。揺らがないのは「訓練していない奴よりは動ける」という事実だけだ。


「気張りすぎるな。挙動不審になるくらいなら俺の方でも見て落ち着いてとけ」
「了解です」
「胸をまじまじと見つめるんじゃない」


額に手刀を入れる。両手で生え際を押さえながら震えるフタツキを引き連れ、改札を抜けた。


:


サラリーマン5、6匹の群れ。平日の癖にゲーム機片手にほっつき歩くガキ共。

客の入れ代わり立ち代わりと乗り換えを挟んで2時間半。東京湾の淵をなぞる形で突き進んだその先。房総半島は南、岩井駅に到着する。


アクアラインを使えば都内からでも1時間弱で到着可能だが、生憎俺の見かけ上の年齢とフタツキの実年齢や素性から考えても免許取得は絶望的だ。足を雇うにも金がかかるし、何より車は足が着きやすい。おとなしく一般人を装って動くに限る。

「食いながら動くぞ」

駅最寄りのコンビニで購入したサンドウィッチ1パックを2人でシェアし、手掴みで食らいながら移動を開始する。ゴミはフタツキのバッグにねじ込んだ。

「何を!?」
「バンダリアの付けた外したは億劫だからな。さっさと歩け」

不満そうに唇を尖らせるフタツキの背中を叩く。触感からして全身の筋肉も少しずつ出来上がり始めていた。拳銃にプラスして模擬専用のトレーニングライフルを担がせて走らせた成果だ。

筋肉だけじゃない。貧弱な二の腕に溜まっていた脂肪もある程度は削ぎ落されている。元からかなり痩せ気味ではあったが、順当に転がしまくった結果アマチュアの軽量級総合格闘家みたいな絞り具合で全身が引き締まった。特に足腰の主要な肉には目を見張る成長がある。

「筋肉痛や体調不良は?」
「問題なしです。本当に痛み抑えられるもんなんですね」
「肉丼が大体解決してくれる。ドブに感謝しときな」
「賽さんは傷の具合……」
「ほぼ全回復してる」

通行人は少ない。ド平日の真昼間だから当然だろう。寧ろド平日の真昼間に高校生と思わしき年齢層の女2人が私服で出歩いていること自体が疑わしきに値するかもしれないが、今考えたって仕方の無いことだ。文句は明日に会合を控えたどこの何とも知らん団体に言いつけてやる。

久しぶりの基底現実。青い空。フタツキには少しばかりの気分転換になってくれたのだろうか。何となく表情が穏やかそうだ。

「ショルダーホルスターって、腰痛くならなくていいですねぇ」
「野郎ならまだしも俺らは骨盤の形状がな」
「でも夏場とか絶対につけられませんね」
「夏は基本的に前線出ないぞ」
「あら」
「高温多湿に負けてコンシールドキャリーが出来ないって理由で夏場だけデスクワークに転身する奴が多い。同じ理由で夏は超常団体同士のドンパチがちょい少ない」
「なるほど……」

万が一誰かに聞かれたら不味い会話ではあるが、解像度低めの一般人を装って下手に演技しても寧ろ怪しさは増すだけだ。声量だけ落としてそれっぽく話せば誤魔化しは利く。誰かとこうして雑談しながら歩くこと自体がほぼ1年ぶりなせいもあるか。何となく会話を辞める気にはならなかった。





20と数分程歩いたか。目的地が所在する小高い山の麓に到着した。結構手入れ不足らしく、腰丈まで延び切った雑草が目立つ。

ド素人複数人でこの手の山に侵入すると痕跡を頼りに財団から人数規模を特定され、場合によってはその情報を軸に一斉捕縛されるとも聞いていたが、正直どうだっていい。俺たち自身がが取っ捕まらず、生き残ってクライアントから確実に入金してもらえるならそれで良しとする他無い。この場合悪評や馬鹿話が追加されるのは基本的にクライアントの側だ。

鉄錆の果実教団とかがまさにその典型で、クライアントとしての悪評が広がりまくった結果前線フリーランスを募るときも「大陸系宗教団体」としか名乗らなくなったらしい。サカキも俺も完璧に騙された結果まんまと鉄錆に雇われ、フタツキと出会った。

「左側面と前方を警戒。単独行動は厳禁な」
「あっ、もう開始ですか?」
「とっくに始まってる」

特事課や財団の気配は無い。人の気配を察知することに関しては一応それなりの実績と自信があった。デフォルトで両耳に搭載されていた収音機能を買われて哨戒任務に回されたことだってある。

「このまま進んで大丈夫ってことですか?」
「大丈夫だからさっさと行け」
「ちょっと怖い……」
「俺の方が怖い。行け」



更に3分近く歩く。木々の隙間から錆びれたコンクリの色が漏れてきた。目的地だ。

「間取り図くらい渡せよな本当に」
「調査の手順は入ったとこ勝負ですか?」
「サカキがわざわざ手に入れてくれた。先に出入口を外から見て回って、そのあとは正面玄関から侵入が安泰かな」

立ち止まってポカンとしているフタツキを後ろから押し、とりあえず時計回りに外周を確認した。


『岩井荘』。横2階建て。木造。南に面した壁の西側に正面玄関、北面東側に対を為す形で裏口。正面玄関から少し東方向奥に進むと西側階段、裏口も同じような構造の東側階段が設置されている。

元は社会人向けの合宿用施設だったと聞いているが、それにしたってやけに窓が少ない。中途半端に塀が設けられていた痕跡も見受けられるし、一般的な合宿用施設として評価するにしてもどこか違和感の拭えない構造をしていた。聞けば有村組傘下の土建屋が建設に携わっているとのことだ。元からそういう集まりに使われる物件として作られた可能性がある。

壁の汚れ具合に反して窓ガラスの破損が少ない。電気ガス水道のメーターに動きは無かった。あったら困る。


「……本当にサカキさんって信用できるんですか?」
「重要情報を一部与えてくれないし~ってか?」
「まあ、はい」
「俺らの食い扶持をある程度確保しておくためだ。斡旋がフリーランスを過度に優遇してると使い潰し前提のクライアントが減る」
「賽さんはそれでいいんですか……?」
「昨日も言ったけどそれが常だからな」


周辺確認は終えた。直近数日間以内に人の立ち入った形跡は見当たらない。


「死ぬ前提だろうが捕まる前提だろうが最終的に生きて帰ればそれで良い」
「……」


正面玄関の施錠の有無を調べ、完全に開錠されていることを確認したら数センチだけ引き戸を開ける。ポケットに突っ込んでおいた歯医者用のデンタルミラーをその隙間からねじ込み、ブービートラップの有無を調べた。それっぽい仕掛けは無さそうだ。当然電気が付いていないから真昼間でも薄暗い。埃がかなり堆積している。

フタツキのバッグからVz61を取り出す。ストックを展開してセーフティの状態を確認した。セレクターの配置が地味に不慣れなタイプで嫌になるが、装弾数や集弾性能からしてもPPKよりは幾分マシにはなるだろう。フタツキもP230-JPを取り出し、セーフティを一段階だけ解除する。

最後にヘッドライトを装着。点灯状態を相互にチェック。異常なし。


「1階からクリアリング。2階まで終わったら精密探査して終了。経路はこっちで指示するから扉開け頼む」
「了解。前方と左側面……」
「今は進行方向だけに集中しろ。用意」


突入。

出入り口の通過と同時に扉を閉め、胸部ポーチに仕込んでおいた警報機を引き戸の取っ手に取り付ける。振動を感知すればこちらの端末に情報が入る。出入り口を張ってくれる味方がいない以上、闖入者への対処などはこういったガジェットに頼らざるを得ない。フタツキを立哨とするなど論外だ。


「右手前の部屋」
「右手前了解」


手当たり次第だ。外開きのドアをフタツキが手早く開け放ち、一瞬の隙も与えずに俺が侵入する。侵入後は右手側の壁に沿い、射撃姿勢を維持したまま横歩きで室内を見て回る。フタツキは左手の壁に沿って同じようにする。友軍誤射が発生しないよう銃口管理は互いに徹底し、室内の死角という資格を潰すまで奥に進んでいく。窓が小さくて少ないせいか、本当にどこもかしこも暗い。


フタツキは練習通りに動けている。俺は実戦通りに実戦をこなしている。室内からの銃撃を想定した低姿勢で勢いよくドアを開け放ち、その隙に俺が突入して室内の安全を確認、確保。終わったらフタツキを先頭に廊下へ移動。向かい側に位置する部屋でまた同じようにクリアリング。その繰り返し。

共用の風呂場や男女用のトイレも開け放って確認した。危険要素無し。裏口にも感振センサーを取り付け、2分足らずで1階全部屋の安全を確保する。


「階段は俺先頭で移動」


やけに広い幅の階段が施設の東西にそれぞれ1本ずつ。行きは正面玄関から最も遠い東階段を使う。上方警戒を維持しながら階段を上がるのはかなり難しい上にフタツキには教えていない。危なっかしいからただ後ろに引き連れて行動するだけに留める。後方警戒なんかやらせたらそのまま転びかねない。

2階到着。1階に比べて多少は外部の光が差し込んでいる。


「シフト」
「了解!」
「声がデカい」


後頭部に軽く手刀を入れて前進させる。1階のそれとほぼ同じ速度で宿泊用の個室を見て回った。合計10部屋程度。1階よりも早く終わった。全部屋異常なし。

西階段を下りて正面玄関付近まで移動する。安全を確保。一度行動を終了した。上出来だ。


「……ッッふぅ!」
「お疲れ」
「大丈夫でしたか!?」
「我流でやってるから大丈夫もクソも無いけどな。良く動いてくれえた」


良く動いてくれた。もっと褒めてやりたい気分だがせっかく作ってくれた緊張状態を崩してやるのも可哀そうだ。敢えて黙っておくことにする。

鏡を使ったチェックの時点で予想していた通り、埃の体積具合から直近数週間の侵入者は皆無と判断する。危惧していた危険要素、それこそ張り込みの財団職員やブービートラップが1人もいなかったのは有難い。尾行の気配も無かった。後は精密調査を挟んで別ルートから帰るだけだ。業務の半分は終わったも同然である。


「2階からですか?」
「1階からな。入口見張っとくから言われた手順でチェックしてみな」
「了解です」


とはいっても実際に会合が開かれるのは1階の広間だろう。窓が1つも無い上に部屋の3方に出入口がある。逃げやすくて監視しにくい。正常性維持機関が罠や耳を貼るにしてもそういった会合向けの部屋か、そこに隣接している部屋等に限定されるはずだ。

とりあえず大広間から行こう。正面玄関に一番近い出入り口からフタツキを侵入させる。ドアは開け放ったままだがそれにしたって暗すぎる。うっすらとソファや接待用と思わしき机の影が見えるだけで他は本当に何も見えない。当然通気効率が悪すぎるせいで室内全体がカビ臭くなっている。


「設置可能な光源とか無いですかぁ……!?」
「ビビんな。まずドア付近確認しろ」
「流石に怖いんですもん……」
「ヘッドライト貸してやるから部屋の隅にでも置いて作業しな」


正直埃の体積具合さえ調べちまえばそれで十分な気もする。余程高性能の極所用ドローンか小動物、或いはアポートでも使わない限り、この放置環境を一切崩さないまま監視装置を配置するなど人間には不可能だ。


「それはそれとして現場慣れチャンスだ。どうにかしてこい」
「暗くて広いのは狭いやつの次に嫌~~~……」
「変な声出すな」


飽きれて振り返ったその時。

携帯端末が振動した。





同時に正面玄関の引き戸が勢いよく開く。

ギシギシとした足音がゆっくりと、しかし確実にこちらへ近づいてくる。



「フタツキ」


呼ばれるまでもなくやって来た。俺を先頭にする形で射撃姿勢を取る。


正面玄関からの光を右半身にのみ浴び、“それ”はようやく前進を現す。


ボロの古着を着たオッサンだった。オッサンというかモロの浮浪者だ。

身長はやたらと高い。どこも見ていない目で俺たちを見ている。


「業務は破綻した。俺たち目的の襲撃だ」
「何すべきですか?」


後方警戒のハンドサイン。まずはコイツを利用して死角を潰す。フタツキは無言でそれに応じる。


「2回以内に従わねえなら撃つ。手を頭の後ろに組んでその場に伏せろ」
「……」

フタツキを後ろに下げる。白昼の光を右半身全体に浴び、黒々と玄関先に聳え立つ浮浪者は依然微動だにしなかった。


タイミングは偶然じゃない。更に言えば下手人は正常性維持機関じゃない。

やり口と仕掛け時から想定して同業者か、或いはその上位互換である線が濃厚だろう。完全に奇襲された。この後何がどう動こうが、俺たちは後手に回る。唯一絞り込めないのは「俺とフタツキのどちらが目的か」くらいか。

「後方警戒を維持。ケツ叩いたら一度階段の方まで逃げろ」
「了解」
「会敵時は即時無力化で」

万が一を考えるべきだ。仮にコイツを先鋒とした不特定多数人の徒党が施設を完全包囲していた場合、裏口から別働体を差し向けない理由が無い。フタツキは今や唯一の死角補強要員だ。使ってどうにかなるかではなく、使わないと不味いからしっかり有効活用しておくに限る。

目的は俺か、或いはコイツか。まさかの人違いか。恨まれる理由ならいくらでも挙げられるがフタツキに関しては何も知らない。ともあれ

「両手を頭の後ろに組んでその場に伏せろ」
「……」

このまま“敵”の思い通りになってやるつもりは、無い。

発砲。脳天に1発。男は膝から崩れ落ちて俯せに倒れた。無力化自体は完了したがどうにも嫌な予感がする。

「クソが」
「まだ後方警戒ですか!?」
「一度奥まで退く!可能なら裏口経由で脱出の──」










「──賽さん!!!」


遠くなっていた意識を引き戻す。


しばらく呼吸が止まっていたらしい。気が付けば両脇に手を回されたまま仰向けに引き摺られていた。胸部が死ぬほど痛むのは死んでいない証拠だ。フタツキがこうして無事なのは俺の陰に入ったせいで爆風をそこまで受けていない影響か。

訓練通りの救助姿勢。腰への負担を軽減しつつ、患部の悪化よりも危険地帯からの撤退を第一とした効率重視の運搬方法で俺を引き摺っている。フタツキに救護関連の技術と優先順位を叩き込んでおいて正解だった。教えていなければ俺は死んでいる。


「……爆発か?」
「死体が爆発して玄関が吹き飛びました!!その後2人突っ込んできたので無力化してます!!出血は!?」
「無い。自分で立てる」


無関係の一般人を現地徴用して作った人間爆弾。存在自体は前から認知していた。爆風や熱の割に破片が全く発生しないせいで殺傷能力自体はが低いと聞いていたが、まさか本当にこの目で見る日が来ようとは。

Vz61は手放していない。チャンバーチェック。装填済み。爆煙の向こう側、正面玄関のすぐそばに、既に何人かとりついている。フタツキも気づいたらしい。互いに頷き、とりあえず西階段手前の曲がり角まで退いた。歩行と走行自体は問題なくこなせる。


俺が気絶している間に制圧したのか。廊下には確かに私服姿の2人と、何故か両手剣が2本転がっていた。フタツキのポケットからは燃焼後の火薬特有の匂いが立ち上っている。


「敵主要武装が奇跡術ユニットである可能性も捨てきれません。1人目と違って爆発の気配はしませんでした」
「どっちもまだ生きてるぞ」


フタツキからの返事は無い。まだ殺人に迷いが残っている可能性もある。

生き残っている方の頭部に3発撃ち込んで完全に無力化する。もう片方にも1発撃ち込んだ。


「無力化ってのは事が済んだ後じゃなきゃ判断できん。せめて頭部は破壊しろ」
「……」
「お前は別に間違っちゃいない。確実に仕留めるならいつも通り3発使え」


相変わらず判断自体は早い。味方1名の生命保護を最優先に動きつつ、その途中真正面からやって来た危険要素は早急に排除している。おまけに今回は失禁も号泣もしていない。前回との相違点といえば「正しいことをした」と肯定してくれる誰かが隣にいることだろう。一番危惧していたパニック化と、それに伴う大幅な戦力喪失は回避できている。

殺人に正しいもクソも無い。殺人が齎した結果に正と不正が宿る。結局俺がトドメを刺したにせよ、フタツキの選択は俺とフタツキ自身を生かした。俺たちを誰がどうやって扱き下ろそうが、その結果と正しさが変わることは無い。彼女自身がそれを自覚しているかはさておき、少なくとも最初期のような動揺や迷いは見受けられなかった。


「裏口からの別働隊はほぼ確実に来る。2階に上がって敵の侵入経路を絞るぞ」
「階段2本ありますけど大丈夫ですか!?」
「登り切ったら1本爆破する。東階段側に敵を集中させて火線を重ねるぞ」
「……それって袋のネズミになりませんか?」
「本当にネズミ扱いできるような実力帯じゃない。そんで脱出目当てに外で撃ち合っても警察か財団が乱入してくる可能性が捨てきれん」


反財団フリーランスの辛いところだ。俺たちは何時だって敵の膝元で生きることを強いられる。事を大きくし過ぎれば最寄りの駐留部隊に緊急出動の要請が懸かり、廃桃源に帰る暇もなく完全包囲されたてしまうだろう。2週間前、内部抗争の後に難なく帰還できたのはポータル付近で殴り合っていたからに他ならない。

玄関の向こう側は何やら騒がしい。そろそろ煙が晴れる頃合いだ。このまま人数で押し切れば勝てる相手だというのに何をそこまで手間取っているというのだろう。


──と、逡巡していた瞬間だった。ドタバタとした足音。これまた浮浪者風の男を先頭に、ロングソードで武装した私服が2人。煙を突破してこっちに突っ込んでくる。2人で射撃体勢に移行する。


「賽さん!!!」
「奥の奴から撃て!!!」


人間爆弾の発動条件は爆弾本人の死と仮定しておく。今射殺しても足元に転がり込んでから自爆される可能性がある。というのをフタツキが考えているかどうかは解らん。故に俺が撃つ。32口径で統一されたショボくれた一斉射撃が始まった。低反動な割に発砲音はやはり相当甲高い。

腹部に数発打ち込み、とりあえず人間爆弾の方は廊下の中腹で転倒させた。が、それを軽々飛び越え、半狂乱で剣を振り回しながら突進してくる連中は──


「制圧します!」


フタツキが倒す……つもりだったらしいが今回は一発も当たらなかった。交戦距離5m。Vz61の近距離掃射で1人斃し、今まさにフタツキ目掛けて刃を振り下ろしにかかるもう1人の横っ腹には回し蹴りを叩き込む。

崩れ落ちた下手人に制圧射。フタツキのすぐ足元で脳味噌をブチ撒け、男は完全に事切れた。一瞬でも後悔や迷いの隙を与えないために、相棒の襟首を引っ張って階段へ促す。平時なら常にクレーバーでいてくれる以上何が何でも平静を保たせてやるべきだ。


「時間を稼ぐ!!上でバリケードの構築にかかれ!!」
「了解!!」


クソッタレ!!本当に嫌な賭けになるがこれしか打開策はあるまい!!バリケード構築なんか一度も練習させていないが、階下から迫る脅威に2人して、またはフタツキだけで対抗するには無理がありすぎる。ドタバタと階段を駆け上るフタツキを尻目に、弾倉内に残る10発程度を玄関先目掛けて一気に吐き捨てた。終えた瞬間から4人がいっぺんに押し寄せてくる。

やはり数で圧倒すれば一発でどうにかなる状況だというのに小出しに送り込みやがって。ふざけた連中だ。人の事を言える程出来たフリーランスでも無いが、少なくともこんなド素人集団相手に犬死になんてした日にゃ死んでも死にきれない。


「──ニット帽!?」
「フタツキどこだよ──」


こちらと目を合わせるなりいきなり動揺し始めやがった。空の弾倉をジャケットのポケットにねじ込み、ケツポケットに仕込んでおいた予備のマガジンを手早く差し込む。斉射。敵が利用できるような遮蔽物は無い。パーカー野郎が血を噴いて倒れる。慌てて外へ逃げ出そうとしたもう1人のケツをハチの巣にする。

屈辱ではあるがフタツキ程冷静に照準を定められない。20発入りマガジン1本をほとんど使い切って2人しか無力化できなかった。再び装填。その隙を狙って突っ込んできたらしい2人をまとめて撃ち殺す。


人員を小出し送り込む策自体がド素人のものであってくれることを願うばかりだ。窓が少なく常に薄暗い屋内からでは玄関周辺の外壁沿いに待機している敵の予備戦力を把握できないし、フタツキの言った通り俺たちは袋のネズミだ。袋の仕掛け主が強ければ当然やられる。加えてこちらは銃火器装備。「敵と弾薬のどちらが先に尽きるのか」という不安に終始晒されながら戦う羽目になる。

予備マガジンで俺が持っているのはコレが最後。フタツキのショルダーバッグには4本預けてある。トータル140発も携行して動くなんてのは地味にコレが初めてだが、それでも弾薬が足りるかどうかは怪しい。本当に勘弁願いたいものだ。


「──賽さん!!」
「何かァ!?」
「バリケード完成してます!!」


ほぼ同時に携帯端末が振動する。今になって裏口が突破されたらしい。未だ騒がしい玄関方向へ再度3発ほど叩き込み、まだ生きているらしい人間爆弾の位置を再度確かめる。


この位置なら問題なさそうだ。


「上がるぞ!」


廊下の中腹で突っ伏していた爆弾の頭部を角越しに、撃つ。今度は着弾と同時に大爆発した。衝撃と熱で顔が焼けそうになる。急いで階段を駆け上がる。足場は崩れていない。手すりが若干変形した程度で留まっている。玄関側に続く廊下のフローリングは結構な範囲で消し飛ばせた。

裏口に通じている通路からは既に複数の足音が近づいてきている。PPKやP230-JPのような小火器と、それに合わせた弾薬量でしか武装していないことを想定して作戦を練っていたのだとしたら、恐らく通常のフリーランスなら弾切れが発生するであろうこのタイミングでの強襲にも若干納得はするが……


「フタツキ!!」
「こちらに!!」


今はどうだっていい。クソッタレ。出来ることなら道に迷え別働隊。

バリケード内での籠城を想定してか、フタツキは取り出しにくい武装をある程度床に並べていた。良い判断だ。金属製の雑に溶接された、手のひら大の球体を2階到達と同時にひったくり、そのケツから延びていた布切れを取り外して踊り場へ投げた。壁で跳ね返り、踊り場を越えて階下に落下する。


「──上に逃げたぞ!!」


視認は敵わなかったが別働隊が真下に到着したらしい。直後に衝撃音。手榴弾が起爆した。怒号と呻き声がひっきりなしに聞こえてくる。

日系自治領製奇跡術式爆薬D型。破片を撒き散らす従来の手榴弾とは異なり、爆発範囲内のあらゆる事象に破壊作用を齎す術式を施された名品。定価2500日本円。火災や投手への被弾を極力抑えてくれる上に、コンクリだろうが鉄筋だろうが効果範囲内なら何でも破壊してくれるというかなり美味しい特性がある。例の人間爆弾にも同じ類の術式が施されているらしい。


血と焼け焦げた臓物の臭いが充満する。階下からは未だに混乱の声が聞こえてくる。フタツキは第一に俺を助けた。それもあの状況下に置ける最良の方法で。新人で経験不足で自分の命は一丁前に惜しい癖に、真っ先に人命救助に走った上に立ちはだかる脅威にはたった1人で立ち向かった。それに比べてお前らは何だ。一周回って見てるこっちが辛くなってきたぞ。


「ド素人が!!」


人の事は言えない。俺だって階段の破壊を目的としていながらその成否を判断できていない。

これでまだ階段が辛うじて使用できた場合、敵が体制を立て直して一斉にここを上がってきた場合、寝室から寄せ集めた机で構成されたバリケードに逃げ道を塞がれている状況で大規模突撃を食らい、このエリアから踊り場までの遮蔽物無し数m間で互いに死に物狂いの撃ち合いが発生してしまう。装填の暇すら与えてくれない以上近接戦闘も起こりかねない。本当に詰みだ。


念のためもう一発手榴弾を投げた。これで最後だ。東階段の側から改めて敵が上がって来た場合はVz61とフタツキの拳銃でしか対応できない。




複数の怒鳴り声が次第に遠ざかって行った。完全に聞こえなくなったわけではないが、聞き耳を立てた限りでは「もう一本の階段で上に行くしかない」とか何とか。ひとまず作戦は成功しているらしい。今のところ一番デカい規模の足音が階下から次第に離れていく。


「……階段使えなくなったみたいですね」
「降りる分には問題ないと思いたいところだな」


バリケードを見やる。勉強机と椅子で構築された簡素なモノだったが、腰の丈より少し高く積み重なった厚みのある構造はかなり美味しい。敵が銃火器ナシで奇跡術と剣に頼り切りな弱小武装集団であるなら尚更だ。それに2人で籠城するには丁度いい広さとなる位置に張られている。

一息つこう。そうでもしなければやってられない。壁に背を預けて一度ベタ座りになった。一気に体が熱くなってくる。


「……悪かったな」
「……何がですか?」
「いきなり教えてもいないことを」
「合宿してた人たちの真似したら意外とどうにかなりましたね……」

俺以外からもキッチリ学んでいやがった。思わず笑って肩を叩く。

「お前本当にフリーランス向いてるよ」
「初めてそんなこと言われました」
「言ってなかったからな」

束になってまとまっていた予備のマガジンをズボンの隙間にねじ込んでいく。ついでに今の弾倉も交換した。

「言ったら取り返しが効かなくなる」
「どういう意味ですか」
「今一度聞きたい。一般社会に帰るつもりはあるか?」
「ありません」

廊下を走り回る音が遠く響く。ここに来てようやく静かな時間が訪れた。


フタツキは黙々と予備弾倉の状態を確認していた。その横顔は未だに真人間のようにも思えて、壊れて久しい少年兵のようにも見える。


昔の俺。先生と共に生きていた頃の俺のように。


それを錯覚した瞬間、意図せず言葉を発していた。

「2週間かけて俺はお前を変えた。捻じ曲げたともいえる」
「……私が望んでやったことです」
「俺も望んでやったことだ」
「何が言いたいんですか」

俺の影響なんだろうか。慣れ親しんだ奴にはいきなりこうなるのだろうか。フタツキの返しを少しだけ恐れた俺がいる。

それでもこれだけは言うべきだった。

「この先で本物の孤独を手にしたら、二度と戻れなくなる」

ついにその手元が止まる。


フタツキは無表情に自分の獲物を見下ろしている。

悲し気な顔だった。当たり前だ。その孤独が自分の父親を変え、現状唯一の頼りとしている俺をここまで捻じ曲げた。



無限にも思える沈黙。それを打ち破るかのように、はるか前方から複数の足音と罵声が聞こえてくる。

お互い余計なことを考えている暇は無かった。切り替えて立ち上がる。

「斉射したら下がれ」
「了解」


フタツキが牽制射を開始する。それが一段落したあたりで


「弾が尽きただとォ!?」


わざと聞こえる声で叫んでやった。びっくりしたフタツキが軽く悲鳴を上げる。

敵は愚直で経験不足。案の定一斉に突っ込んできた。5、6人程度。全員素人とはいえど本当にとんでもない規模の部隊だ。10人以上の頭数を揃えて俺達2人を狙っているらしい。

上等だ。来るなら全員ブッ殺してやる。剣や魔法が32口径に勝てると思うなよ。


身を乗り出してセミオートの斉射を開始する。バリケード手前で2人倒れた。交戦距離凡そ15m。フィジカル次第では5秒程度で走り抜けられる間隔。

大きな音を立ててバリケードに伸し掛かって来たもう1人に残弾全てを叩き込っむ。再装填。腰を抜かして撤退を始めた残党のケツを撃つ。5人近く殺したがまだ声は聞こえる。1階の時点でも6人以上殺した。残弾は60発程度。これだけ発砲音を撒き散らしている以上いつ警察が介入してきてもおかしくないが、考えたところで無駄だ。目の前の脅威を可能な限り潰す。


頃合いだ。フタツキの肩を叩いてシフトする。


「釘付け頼んだ!」
「賽さんは!?」
「階段のチェックだ!行けそうなら隙を見て撤退する!」
「了解です!」


Vz61を投げ渡して踊り場まで駆け降りる。

1階から踊り場まで凡そ4段ほど削れていた。その周辺に血塗れ死体が3つ。踊り場以降の段は一度踏み締めれば確実に崩壊しかねないが、フタツキのフィジカルと装備なら1階までギリ跳べなくも無さそうだった。もう一度2階まで駆け上がる。


「どうでした!?」
「イケる。一呼吸入れたらやるぞ!!」
「了解です!!」


弾切れのVz61をこちらに投げ渡し、フタツキはP230-JPでの射撃にシフトした。床に散らかった使用済みのマガジンを回収し、装填中の相棒の肩を叩く。


「俺から行く!!撃ち切ったら降りてこい!!」
「……駄目」
「は!?」



「──賽さん駄目!!!」








階段を折りかけていた瞬間。聞き返す暇も無かった。





背後。フタツキの真正面。幾重にも重なり合った爆発音がほぼ同時になり響く。



足裏の圧が消える。













意識が回復する。本日3回目の起床。標準装備された即時回復機構が身体の全機能を再起動する。どうやらガチの気絶をやらかしていたらしい。

胸部に加えて体の節々が痛んだ。四肢の欠損は無い。床が床じゃなくなっている。瓦礫の上に寝転がっていたらしい。


「……崩落したのか」


2階床に転がっていた連中の死体が一斉起爆したらしい。結果的に2階床、もとい1階の天井は一部区画が完全に崩落し、階段を駆け下りかけていた俺はその余波を食らう形で1階に転落したらしい。頭がグラグラする。出血はしていないらしいが後に長びきそうな打撲箇所がいくつもある。


「……フタツキ!!」


怒鳴る。返事は無い。周囲にそれらしきモノは落ちていなかった。

最悪だ。最悪に最悪が重なっている。俺が暫定的に『戦闘員』と定義していた連中もまた人間爆弾だった。俺たちの中から「浮浪者を使用した人間爆弾」のカードが完全に消えるまで戦闘員を送り込んでからの一斉起爆。弾切れをエサにおびき寄せて射殺しまくった結果がコレだ。カオス・ゲリラみたいな真似しやがって。ここまで人員ロスが発生したらもう絶対に採算なんか取れないぞ。


違う。今はフタツキのことだけを考えろ。回収してさっさとこの場を引く。敵わないようなら安全が確保されるまで戦う。それしか道は無い。Vz61はどこかにすっ飛ばしたがまだPPKが残っている。予備弾倉も3本。合計28発と近接戦闘用の兵装でフタツキを守り抜く。


「どこだフタツキ!!!」
「──上ですよ上」


良く通る男の声。

反射的に廊下の奥に振り向く。PPKを構えて待機した。



「貴女の真上です」


射撃待機姿勢を維持したまま直上を見上げる。辛うじて残っている2階廊下の一部区画、先程までバリケードで守られていたエリアの淵から、見慣れた足が2本揃ってぶら下っていた。

フタツキだ。


生死は確認できない。そしてこのまま放置するのは本当に不味い。万が一心停止でもしているようなら今すぐ蘇生しないと取り返しのつかないことになる。爆破によるダメージをどこまで受けているのかも不明だ。バリケードに凭れ掛かる形で死んだ奴が1人いたが、アレの起爆で椅子やら机やらの破片が撒き散らされていた場合、既に死んでいる線もある。


「『ニット帽でギョロ目でモミアゲが長い奴』……」
「……?」
「賽。イズメの教え子ですか」


何はともあれ位置が位置だ。コイツをどうにかしない限りはフタツキを回収できない。廊下の奥から徐々にその輪郭を表し、Tシャツ短パン七三分けのクソメガネはその姿を露わにした。


「女性だったとは驚きです」
「バイオロイドと呼べ」


クソメガネがメガネの位置を直す。壊滅的に似合っていない水色のシャツと柄物のズボン。そしてサンダル。アホみたいにワックスを塗りたくったテッカテカの七三分け。

そして全長30cm程度の小ぶりな杖。恐らく、というか十中八九奇跡術ユニットだ。


「どっちが目的だか知らねえけど好き勝手やってくれたな」
「賽、フタツキ両者の殺害を作戦目標としています。好き勝手はさせていただきました」
「大赤字扱いてまでやるかよ普通」
「殉教刀の導入以外は1銭たりとも使用していませんよ」


ムカつく野郎だ。いつでも確実にフタツキを屠れるであろうこの局面で平然と俺に話を吹っ掛けている。舐めやがって。

そしてよく見れば装備品の企画が違いすぎる。フリーランスの奇跡術者が揃えているような武装じゃない。使用杖は以前カタログで見かけた200万円相当のモデルだ。加えて人数分の洗脳用アーティファクトと、赤字覚悟であの頭数を揃えるだけの余裕。本人の練度。予想される答えはただ1つ。


「……フリーランスじゃねえな?」
「申し遅れました。わたくしトラロック傭兵団第三特務小隊所属の」


言い終える前に1発ブッ放す。弾丸が着弾手前で爆発した。敵は無傷だ。


「……砂利め」


敵はフリーランスじゃない。広域指定超常組織。要注意団体だ。


何だって俺達2人相手に天下の要注意団体様がこんな大規模攻撃を、と事情を知らない奴ならツッコミかねない。事情を知った上でツッコんでやりたかったのはさておき、大部隊を投入したがるような連中とその理由については腐るほど心当たりがある。


おおかた「7年前に行方不明になった元機動隊員を探している少女」の遭遇情報そのものが巡り巡ってコイツらを寄せ付けたのだろう。イズメの娘が界隈に殴り込んできたと解釈されても不思議じゃないし、実際それは先生の娘だった。ついでに俺達はほぼ毎日早朝の白街を走り回っている。顔や素性がいつ特定されたっておかしくは無かった。

非異常最強の伝説。その血を継ぐ実の娘が最後の生徒を伴い、1年間の空白を破って突如この世界にやって来た。危険因子と判断するのも当然だ。イズメ先生が齎したパワーバランスの変遷、それに伴う各組織の勃興や壊滅、改革は、アジア圏に蔓延るあらゆる悪へ少なからぬ辛酸をドカ食いさせることとなった。連中にとって先生はトラウマの根源だ。過剰火力を以てしても消し去りたいのは解らんでもない。


コイツらもその類だ。広域指定超常組織“トラロック”。拠点は台湾。主な稼業は傭兵と用心棒とフリーのパラテロリズム。コブウェブ・インターナショナルグループの宿敵。強力な資金源を有しているらしいが、進出後間もなかった日本支社は先生の襲撃と財団による追撃で壊滅している。


やるしかない。何もかもが桁違いってわけじゃない。奴は奇跡術者で俺は超常兵装を多数搭載したバイオロイドだ。超常性を武器にしているという点では同じ土俵に立っている。


「フリーランスってのはどうにも苦手でしてね。貴女みたいな中途半端に強い弱者は特にそうだ」
「そのフリーランスが怖くて人間爆弾の大量投入に踏み切ったってか呪術師」
「商売敵も処刑出来て一石二鳥でしたからね」
「商売敵?」
「貴女方も良く知っている会社ですよ」


術師傭兵が何かをこちらへ投げ込む。

フローリングを凹ませてこちらへ転がり込んでくるそれを注視した。そして目が合う。


「……マジか」


アクトク人材派遣の社長じゃねえか。



開け放たれたままのドアに飛び込む。爆風を壁越しに受けながらPPKを再装填した。残弾数21発。ヘッドライトを点灯状態のまま部屋の片隅に投げ捨て、半開きのドアのすぐ横に待機する。


「貴女がたのおかげでこの十年、アジア全域の傭兵稼業は市場を十二分に圧迫されて久しい!!我々は認可済み企業による傭兵業市場の整備と独占を目指す!!貴女がたの抹消を布石としましょう!!」
「上等だいつでもかかってきやがれ」


久方ぶりの対超常戦。セオリーはただ2つ。「全力で逃げる」か「火力で押し潰す」の2択。今回は両方とも敵わないから経験則頼りの一発勝負で戦う他なくなっている。

半強制の肉体操作はアーティファクトによるもの。敵本来の能力は人体と遺体の爆弾化。そして当然のように持ち合わせている弾丸の無効化術。以前単独で仕留めたスシブレーダーも似たような技を使っていた。指向性を持った一定値以上の速度と質量が射程圏内に入ると自動発動する類の技。同じ理屈で作動しているならブレーダー同様に近接格闘が刺さるかもしれない。拳速なら術の発動条件を満たさずに済む。


フタツキの情報収集ついでに用済みと判断したのだろうか。今まで殺して来た連中はアクトク人材派遣の社員やその周辺人物だったらしい。トラロックなら一斉に拉致して徴用なんて真似は朝飯前だ。連中はシリアやカザフスタンでガッツリ訓練された人攫い専門の特殊部隊をいくつも抱えている。


ドアを蹴破る脚。先程ぶん投げたヘッドライト目掛けてクソメガネが杖を構える。見事に釣られやがった。真横から手首を蹴り上げて獲物をハジく。


「あっ」


単純に弱い。そして実戦慣れしていない。銃口や術ユニットを出入り口からそんなに露出すれば奪われて当然だろうに。フリーランスへの私的な恨みはほぼ逆ギレなんじゃねえのかこれ。

顔面を1発ぶん殴る。辛うじて防がれた。しかし右の前腕は派手に折ることが出来たらしい。

次で仕留めてやる。土手っ腹に蹴りを叩き込んで押し返し、背中に隠し持っていた登山用ピッケルを握って突っ込む。


壁に凭れ掛かった標的の脳天目掛けて一振り。互いにガタが来ているせいか頭蓋は外れた。外れたが左鎖骨のくぼみには深々と突き刺さってくれた。


「フリーランス如きがこの私を……」
「痛覚遮断術かよビビりメガネ」


流石に焦り始めたか。傭兵はまだ動く左腕でこちらを掴みにかかる。その指先に噛み付き、手のひら側の肉を顎の力1つで引き千切った。

ピッケルを引き抜き、中段前蹴りで胸骨のすぐ下を叩き潰す。動きが止まった。次で本当に仕留めてやる。


「大間違いだ!!」







膝の力が抜け落ちる。







「……?」
「……舐めないでいただきたい」




クソメガネの腰元。硝煙。コルトガバメントの銃口。

至近距離で45口径弾2発を叩き込まれた。ここに来て初めてご登場らしい。


全員に剣を装備させて“銃”というありふれたカードを思考から完全に消し飛ばし、このタイミングで確実に致命傷を叩き込む。浮浪者爆弾のブラフとミスリードを食らっておいて読み合いで負けた。弱いくせに心理戦じゃ俺の1枚上手かよ




──フタツキ










「じゃあ詰みってことで」



違う。まだだ。まだ意識を飛ばすな。

銃口と目が合う。腹から下の再起動はまだ間に合わない。ウンコハゲの時ほど復旧に時間はかからないらしいが、それでも全力で走れるように構造変更が為されるまではあと30秒近くかかる。


銃口に手のひらを押し当てた。舐めた握力で握り込んでいたせいかすぐに手のひらから抜け落ちる。引っ掴んで廊下の向こう側にぶん投げてやったが、代償として顎に膝蹴りを食らう。今ここで平衡感覚を失うわけにはいかない。

いや失ってもいい。しかしどうせ俺が失うくらいならコイツにも同じデバフを吹っ掛けてやるべきだ。




左腕武装解放。光音波複合型鎮圧ミームエージェントを執行。




小規模な空気放電のような音を放ち、俺とクソメガネは同時に頭を抱えて跪く。


プロトタイプで失敗作の俺には抗ミーム措置が施されていない。対人用の暴徒鎮圧ミームを一度使用すると俺にまでダメージが入る。とんだクソ設計だがクソなりにクソミームの性能は良い。クソメガネがしっかりゲロを吐き散らかしている。俺も負けじとゲロを吐く。2人して撒き散らしたゲロがマーブル模様を描いて床を舞う。


修復終了。腹の傷は痛むが神経系と循環系のバイパスは最適化された。立ち上がり、目の前でゲロを吐き散らかすゲロメガネの頭を蹴り上げた。眼鏡が宙を舞う。マジで似合っていない水色のシャツにゲロの飛沫がプリントアウトされる。ゲロメガネからただのゲロに成り下がった。ザマア無いぜゲロ野郎。これでトドメだゲロ野郎。


「死ねやゲロカス!!」
「お前が死ねェ!!!」


頭部を踏み潰しにかかった瞬間だった。顔面に肉っぽくて骨っぽい何かが撒き散らされる。

計5体分。死後間もないハツカネズミの死体。



死体。



同時に起爆したそれは俺の顔面を漫勉なく温め、周辺酸素を巻き込む形で奇跡術的破壊作用を齎した。

形成が逆転する。もう互いにゲロまみれで形勢逆転もクソもあったもんじゃないが、2週間前のアレと同じだ。僅差で敵が勝っている。僅差で俺が負けている。


完全に詰んでいた。次のネズミ爆撃、或いはそれに相当する攻撃で、俺は完全に斃される。

万策尽きた。拳銃弾は恐らくこの距離でも防御される。ピッケルを振る余裕も体力も無い。Vz61も無い。D型手榴弾も中盤戦で全て使い切った。



フタツキは来ない。







超常フリーランスなんて本当にロクなもんじゃない。


何を掲げて何を携えようとも一度名乗ったが最後。何処で何をしようとも命は保証されず、行く先々で敵にも味方にも疑心の念を抱かれ、あらゆる不条理を受け入れながら生きる事を強いられる。



あなたの言う通りだったよ先生。俺の言った通りだったろフタツキ。

ロクでもないよな本当に。散々偉そうな口叩いておいてコレなんだから。



目の前の脅威から逃げ隠れするだけで根本的な原因に抗うことを知らず、自分で抱え込んだ孤独と不条理を疑わず、環境と時間に流されるだけ長されて今日まで生きてきた。それが俺だ。それが超常フリーランスだ。俺たちは何時だって孤独に戦い、孤独に解釈し、理解し、孤独に死ぬしかない。



そんな世界にお前を引きずり込み、引き返せない場所まで共に歩み、ここまで来てしまった。




フタツキ。俺は死ぬ。お前に一生続く孤独を刻んでしまう。先生が俺に刻み付けたような孤独を。お前に。







俺はお前を守り切れなかった。





「──ざっっけんなッッ!!!!!」





瞬間。

術師傭兵の右眼孔に、灰色の銃口がめり込む。



P230-JP。鬼神の如き風体で鮮血を撒き散らし、術師傭兵の肩に覆い被さる形で


“それ”ははるか直上から飛来した。




マズルフラッシュ。術師傭兵の右目が消し飛ぶ。短く野太い絶叫と共にふらついて後退する。同時に強襲者も俺の真横に飛び退く。


まだ生きている。術師は脳死に追い込まない限り純粋な脅威であり続ける。最悪の場合外界観測手段とその認識機構だけが残っていれば術が撃てる。今ここで確実にブッ殺さなければならない。


「フタツキ!!!!」


無意識にそう叫んでいた。無意識にピッケルを投げ渡していた。

視線の交差も無ければ、口頭での打ち合わせも無い。無自覚に完成された連携と判断。1つの戦闘機構としてその真価を発揮する、2者間の信頼。




味わうのは1年ぶりだ。孤独以外の感情。利用や誘導ではない他者との関り方。


今、俺の隣にはコイツがいる。




同時に駆け出した。フィジカルの都合から先に俺が接敵する。大量出血しながらも予備の奇跡術ユニットを構える術師傭兵の顎を掠めた。平衡感覚を奪ったのち後方から組み付き、頭部に絡みつかせた両腕を無理矢理広げる。術師の顔面は180°回転した。後頭部が身体の真正面に晒される。観測範囲を極力潰すように顔面を極力胸に押し当てる。



一閃。すれ違いざまにピッケルのブレードは首の付け根から深々と突き刺さる。




術師は即死した。死亡後の爆発も覚悟していたが、どうやら自分自身の爆弾化は怠っていたらしい。遺体をその場にほっぽり出して大きく息を吐く。




ボロボロに千切れたタクティカルジャケットをマントのように羽織り、フタツキは頭部からの流血を押さえながらこちらに振り返る。無言で右手を上げてこちらに近づいてきた。


「フタツキ、ごめ──」
「馬鹿か貴女は!!」


思いっきり左頬を引っ叩かれ、軽く後退した。

眩暈がする。何だコレ。高くなった天井が回って見える。ハイタッチとかそういうのじゃなくて?そもそもアレだけ床が崩落してるのに何で直上から奇襲なんか出来たんだ。というか


お前ちゃんと生きてんのかよ。


「1度ならず2度までも!!私の目の前で!!!」
「待て。待てって」


再び左頬にダメージ。予想外のグーパン。追加の肘。鼻血を吹き出して床に倒される。

胸倉を掴まれ、そのままお構いなしに引き起こされた。びっくりしすぎて腹の傷の痛みを処理し切れていない。フタツキは額の殆どを血で染めながら一気に顔面を寄せる。



「貴女はもう孤独じゃないだろうが!!!」



返す言葉が見つからない。

彼女の言葉が正しいと、少なくともその瞬間は、そう思えてしまったのだから。

少しだけ嗚咽した後、フタツキは俺の患部スレスレの位置に腰を下ろす。



「やめてくださいよ。独りで死ぬなんて」



言い終えたとたんに顔をうずめて泣き出しやがった。反射的にその頭を抱き寄せてしばらく固まる。



クソメガネの血で濡れた手の平。埃と出血でボロボロになった後頭部をさする。

初めて触った自分以外の女の髪の毛。抱き寄せた他人の体躯。鼓動。




温かい。

先生とは少し違う。コイツは何か生きている感じがする。



誰かと生きている感じが、する。






:


超常フリーランスなんて本当にロクなもんじゃない。



何を掲げて何を携えようとも一度名乗ったが最後。何処で何をしようとも命は保証されず、世界の全てに疑心の念を抱かれ、あらゆる不条理を受け入れて生きることを強いられる。



そんな世界でただ1人。嘘も吐けないまま銃を手に取り、他人の生き死如きに泣き腫らすような奴を守らなければならないとするなら。







金と孤独の連続しか知らない俺は、どうやってそれを抱き締めるべきなのか。

死臭とカビの臭いに包まれ、埃っぽい暗がりの中で座り込むだけの俺には、まだ何も解らない。







── 01 ──

ENCOUNTER-S


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