栗花落海祢の遺書
評価: +37+x
blank.png

拝啓

天宮 麗花様

黒南風の候、雨上がりのしっとりした風の中に梔子の香りが漂う季節となりました。ブラウス1枚ではまだ肌寒く、衣替えはもう少し先といった所です。

貴女は、そちらに居るのでしょうか。私にはわかりかねますが、どうか川のせせらぎを聞きながら待っていてほしいという、浅はかな願望から筆を執りました。

こうして貴女の事を考えると、私はいつも初めて会った時のことを思い出します。私の宝物である人体の数々を見せた時、他の研究目的の方々が顔をしかめる中、貴女だけは嫌な顔一つしなかった。七色に煌めく瞳で、純粋に私を見ようとしてくれましたね。

貴女と出会って私の世界は明るくなりました。

解剖しか能の無い私を部屋から連れ出し、色々な景色を見せてくれた事、とても感謝しています。海に山に、本当に楽しかった。私は感情を表に出すのが苦手だから、もしかしたら貴女を不安な気持ちにさせたかもしれませんね。でも、信じてください。私は貴女に心惹かれていました。一緒に出掛ける度に思いを告げようとしていたんです。でも言えなくて。いつも後悔しながら家路についていました。



そして、財団の依頼で貴女の腑を選り分けた時に、その後悔は最大の物となりました。



ある日、当然のように霊安室からストレッチャーで貴女が運ばれてきました。体は酷く損壊していて、どんな目に遭ったのか想像するのが怖かった。

白くて艶やかですべすべだった貴女の皮膚を、筋肉と共に下腹部まで真っすぐ切開すると、食べてしまいたいほど愛くるしい心臓や肺が見えてきました。そっと心臓を取り出した時、私はやっと貴女の死を受け入れる事が出来ました。

右耳後部から頭頂を経由して左耳後部まで皮膚切開して、電動鋸で開頭している最中、貴女は私をどう思っていたのか考えました。でも、貴女の鮮やかで美しい脳は、私が取り出してしまったから永遠に分からなくなってしまった。

貴女を解剖しながら、浅はかにも満たされている自分が居ました。私という人間の性なのか、好きな人の中身を感じる事が出来た事に恍惚を覚えていました。後悔と悲しみよりも、それが上回っている事を自覚して、私は何と罪深くて強欲な女なんだろうと思いました。そして、まだ解剖の余韻を噛みしめていた時でした。



生きた肉体を持った貴女が元気よく話しかけてきたんです。



その時、初めて胸の肉を切り取られるような喪失感がありました。生きた貴女が話すたびに貴女が死んだことを意識させられて、とても辛かった。私が愛したのは、今はホルマリンに漬けられている貴女で、生きている貴女じゃない。

貴女は一度死んで、私に解剖されている事を記憶していなかった。貴女にクローンが居る事なんて何度も聞かされていたし、頭では理解しているつもりでした。でも、心で理解できていなかった。肉体がどんなに同一だろうと、私の愛しい人の魂を真似した肉の塊としか思えなかった。

私が自死を考え始めたのは、その時からです。

生きている貴女が私に解剖以外の楽しみを教えようと付きまとう度、私は辛さを解剖で紛らわせました。貴女が自分の肉体を差し出すような発言をするたび、強い悲痛さと怒りにも似た感情を覚えたけれど、私はそれを必死に隠しました。

本当に自分の心の中を整理できなかった。クローンという存在自体に嫌悪感を感じている訳ではないと思うんです。でも、私の手にある貴女の臓器と、私の前で笑顔を見せる貴女が同一である事をどうしても認められなかった。私は子供の頃から、人が”生き物”として生きていた生命の証として人体を集めるのが好きだったはずなのに、私は再び貴女が死体で現れても二度と解剖したくない。きっと、貴女だったからそう思ったんです。貴女は私に解剖以外の幸せを教えてくれたんです。

そして、つい先日届いた私の宝物の返還通告。私の心の拠り所が音もなく崩れていくのを感じました。確かに、私の人体を集める趣味は褒められたものではないでしょう。でも、財団だって貴女を使い捨ての便利なクローンのように扱っているじゃないですか。それなのに、何が「死者の尊厳は出来る限り保たれるべき」なのでしょうか。でも、もう抗う気力は残っていませんでした。

本当にごめんなさい。貴女は私の異質さを認めて受け入れてくれたのに、私は貴女の異質さを受け入れられなかった。

私もそちらへ向かいます。貴女は、川のほとりで待ってくれているでしょうか。私は貴女と一緒に地獄に堕ちたい。灼熱か極寒か分からないけれど、貴女と共に行けるならどこだっていい。もしかしたら、貴女と同じ姿のクローンが何人も待っているかもしれませんね。でも私が選ぶのは、たった一人の貴方なんです。

この手紙が無事に貴女の元に届くかは分かりません。むしろ、届かない可能性が高いでしょう。

無事に届いたとしても、これを読んだ貴女はきっと深く傷つくのでしょうね。でも、私は貴女に真実を知っていてほしいんです。財団は私に関する記憶を貴女から完全に消去するかもしれませんが、どうか抗ってください。貴女を置いていくのに、いつまでも覚えていてほしいなんて、本当に自分勝手だと思います。

でも、どうか覚えていてください。そして、貴女の命を大事にしてください。貴女は決して、替えの効くクローンなんかじゃないんです。

かしこ



栗花落海祢

・・・

「天宮博士の記憶継承プロセス、問題なく終了いたしました。栗花落海称に関する記憶の完全な消去、及び疑似記憶の挿入も滞りなく」

「よろしい。しかし、栗花落医師を追って博士が自殺するとは予想外だ。カウンセラーからの報告書を見たが、博士の精神状態は至って良好だったはずだが……」

・・・

・・・


時折、見たことも無い女性の顔が頭をよぎるのです。



左目下の泣きぼくろが特徴的な、美しい女性の顔です。



大抵、浮かんではすぐに忘却の彼方に行ってしまいます。



けれども、浮かんでいる間は何故か、死にたくないと強く感じるんです。



貴女は誰なのですか?私にとって、かけがえのない人だったのでしょうか。



ああ、待って、置いていかないで。忘れたくない…。貴女の事を忘れたくない…のに…。

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。