レストランの奥にて
アンブローズ・タイペイの店の奥の小さな扉を潜ると、初めての人は目の前の光景に驚くはずだ。
店の内装がヨーロッパ風の洋食店なのに、扉の向こうでは完全に寿司屋のそれになっている。一文字で形容するならば、「和」そのものである。
しかし驚くのも束の間。彼らはすぐ、この光景は変でもなんでもないことに気づく。彼らは寿司を回すためにここに来たのであって、寿司を回す場はこうでないとならないのだ。
胸のドキドキが多少収まると、店長の闘志を掻き立てる掛け声が聞こえてくる。「へいらっしゃい!」
そう。これがアンブローズ・タイペイに隠れる、ある秘密の回転寿司屋の日常風景である。
そして、こんな日常風景は今日も例外ではない。
「へいらっしゃい!」
しかし店長は元気よく掛け声を発すると、すぐ顔から笑みが消えた。
扉を潜ったのは、黒いトレンチコートを羽織り、シルクハットをかぶるサングラス姿の男性だった。
「まさかこんなところに隠れているとはな……ヒロシ。」
「お前は……闇寿司の刺客?!」
「いかにも。我々から逃げられるとでも思ったのか?」
男性は店内を見渡すと、冷笑を浮かべた。
「『風刃のヒロシ』は強い相手だと聞いていたが、まさか尻尾を巻いて国外逃亡した上に、他人の店に閉じ籠もっているとはな。伝説はただの伝説だったようだ。」
「伝説かどうかは……」
「戦いで決める、ってか!」
間髪入れずに、両者は寿司を取り出す。
「「3、2、1、へいらっしゃい!」」
双方の寿司は白と黒、二筋の光と化し激突する。
突如現れた闇寿司を相手に、ヒロシは冷静に状況を分析した。相手が使ったのはどうやらマッハイクラリオンのようだ。イクラを撒き散らし、相手の回転速度を落とすタイプだ。
闇寿司の者なのに正規の寿司を使っていることに違和感を覚えるが、ヒロシはマッハイクラリオンの弱点を知っている。イクラによる攻撃を耐えきれば、相手の回転速度が下がる時に攻撃すれば勝算はある。
やはりというか、相手はすぐにイクラを発射し、攻撃を仕掛けてきた。ヒロシはスシブレードを回避させしつつ、ダメージを抑えようとしたが――――
「パッ!」
……相手が射出する丸い物体はイクラみたいに弾けずに、ヒロシのスシブレードにくっついた。
「これは……まさか?!」
「ふん…気づいたようだな。そうだ!俺が使ったのはイクラなんて軟弱なものじゃない。タピオカだ!」
「タピオカだと?!」
大きさはイクラとさほど大差ないが、タピオカは外層のネバネバと内層のプリプリが持ち味だ。ダメージはイクラより遥かに大きいだけでなく、相手にくっついて動きを妨害することもできる。
「観念しろ!『風刃のヒロシ』!」
刺客は勢いに乗じてタピオカによる攻撃を畳み掛ける。だが……!
「なに?!俺の攻撃が……!」
ヒロシのスシブレードは回りながら移動しつつ、ネタの部分で飛んでくるタピオカをすべて弾き返した。
「バカな!俺のタピオカは魚にくっつくはず!」
「普通の魚ならな。」ヒロシが答えた。「だがこいつは、俺が台湾に来てから新しく開発したスシブレードだ……その名は、『サバヒルバー』。ネタは台湾産のサバヒーさ!」
「サバヒーだと?そんなもので……!」
「日本から来たばかりのお前には知らないだろう。サバヒーの特徴は、ツルツルの皮とうきぶくろだ。このツルツルで、お前のタピオカの接触する角度が小さければ、粘着せずに弾き返される。そう、戦車の傾斜装甲のようにな!」
「小癪な真似を!」
「終わりだ!」
サバヒルバーが一気に間合いを詰め、タピオカ寿司にとどめを刺そうとした矢先に、側面に一撃をくらい、軌道が外れてしまう。
「なっ……?!」
いつの間にか、土俵の上にはもう1個、回転するスシブレードが現れた。そして室内に、黒ずくめの男性がもう一人。
「油断したな。刺客は一人だなんて言ってないだろ?」
ヒロシは大打撃を受けたサバヒルバーに目を落とす。その側面にくっついているのは、タピオカよりも一回り大きい球体だった。
「パール?!」
「そう。パールミルクティーのパールさ。ダメージこそ大きいが、生憎命中率が低くてね。だからこそタピオカで動きを止めてから、パールで重い一撃を食らわせてとどめを刺す。もうまともに動けないだろ?」
「くっ!」
相手の言う通り、サバヒルバーは回転こそ続けているが、速度が大幅に落ちており、次の攻撃で持たなくなるだろう。
「トドメだ!タピオカパールアタック!!」
漆黒の軌跡が二筋、サバヒルバーに襲いかかる。
と思いきや、2名の刺客は突如として何者かの殺気を感じ取り、慌てて2個のスシブレードを急転回させる。球状の物体がその元の軌道上に降り注ぐ。目を凝らすと、それは十数個の青い玉だった。

「あこや真珠?!」
2名の刺客は扉の方向に振り返り、そこには赤黒いスーツを纏った、オールバックの男性が立っていた。
「誰だ貴様!」刺客の一人が誰何した。「邪魔するならお前もまとめて潰してやる!」ともう一人の刺客も叫ぶ。
「邪魔…ですと?お客様はどうやら何か勘違いされているようですね。私のほうこそ、他のお客様の食事を邪魔しないようにお願い申し上げたいところです。」
スーツ姿の男は軽蔑の笑みを浮かべながら指を鳴らした。彼の背後からは、コックコートを羽織る身長190センチ以上の巨漢が現れた。
「もしや、ここがアンブローズ・レストランの店内であることをお忘れで?」
「サバヒルバーは無事か?」
床に倒れ込むヒロシに対し、スーツ姿の男が心配そうに声をかける。
「大丈夫だ。これぐらいの損傷はすぐ直せる。でも……」ヒロシは憤った様子で床を叩いた。「きっと俺が弱いからこうなってしまったんだ!」
「ヒロシ……」
「家龍ジャーロン、やつらの言う通りだ。俺は闇寿司の攻撃を耐えきれずに、名前を捨てて台湾まで逃げてきた。臆病者みたいに隠れて、仲間もまともに守れなかったんだ。力……もっと強い力があれば……」
家龍はゆっくりと立ち上がり、店の奥から一本の日本酒を取ってきた。そこから一杯の酒を注ぎ、カウンター席に座る。
「今夜、閉店後に残ってくれ。悪いが、営業時間内にはオーナーとして店の面倒を見なきゃならない。」
「何をする気だ?」
家龍は答えるよりも前に、まず酒を飲み干す。
「俺たちの出会いはまだ覚えてるか?」
「覚えてるさ。九州だったろ。お前は横浜の中華街から逃げてきたばかりだったな。」
「あの時、俺は暴力以外に生きがいのない男だった。拳、ナイフ、テッポー、寿司。俺にとっては武器でしか無かった。あこや真珠を寿司のネタにするぐらいに、落ちこぼれてたもんだ。」
家龍は青色の玉をいじりながら言う。
「だがな、俺はある口うるさいやつに出会った。そいつは友情がもっとも強い力だと言い張る、鬱陶しいほどの熱血漢だった。そして、俺が負けた。」
家龍は一気に残りの酒を喉に流し込み、ヒロシに向かって歩き出す。
「俺はボロクソに負けた。そして俺は、眠りから目を覚まされたんだ。『ああ、これが本当の力だ』ってな。あれ以来、俺にも寿司の声が届くようになった。お前がいなければ、俺は暗闇の中で盲目でありつづけていた。」
そして、家龍はヒロシの襟をつかみ、顔の近くまで引っ張ってくる。
「あの時お前が俺の目を覚ましたように、今度は俺がお前の目を覚ます番だ!『風刃のヒロシ』!!」
「家龍……」
(To be continued…!)