アンブローズ・ヴィネッタ: アンドロイド 人間メシの流儀

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アンドロイド

人間

メシの

流儀

ちゃんと"ヒトの味覚"でレビューができた
By EU77777789.
このレビューは12分くらいで読めます
⭐⭐⭐⭐★ (限りなくカンペキに近い)

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評価: +12+x
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何十億年も前に宇宙が誕生して以来、生物には抗えないものがひとつある。空腹だ。あらゆる生物は生きるために何かを口にし、エネルギーを生産しなくてはならなかったが、人類はこの過程そのものを新たな次元へと昇華させた。

人間は、ただ生きるためだけに食事をしていたわけではない。食事は人間にとって社会的な行為そのものだ。友人、家族、同僚、恋人、そういった人間関係と食事は切っても切れない関係にあるわけだ。食事は時にタブーや文化、習慣にも多大な影響を及ぼし、世界中で様々な料理が生まれるに至った。地球上である料理が生まれたとしよう。当然、人間はそれを食べる。美味しかった場合、料理はメモ書きや口伝といったかたちでレシピとなり、食べる人間全てが滅ぶまで受け継がれることとなる。さて、人間は死と生を繰り返す動物の一種と見なせるが、人間そのものがメニューに並ぶということはあまりなかった。人間と、牛などの家畜ないしは野生動物。その違いとは?

私はこの問いに答えを出したい。ということで、この店に入店した。今日この体験で、全てを暴くために。


アンブローズ・ヴィネッタは、かつて存在した人類都市「ロストック」の発掘に赴いた際に発見した店だ。人類復興イニシアチブ(IRH)との協力と、人間用自律型栄養補給装置(AHSD)の合わせ技によって成り立っている。店先を覗く限りでは、アンドロイド向けの本格的な"人間メシ"が体験できることが分かった。料金は3コースで50クレジットだ。

IRHとの協力でできた、人類の伝統的なレストランを体験するのはこれが初めてではないが、この店は更に一歩先を行くようだった。アンブローズ・ヴィネッタは、席の待ち時間や料理の調理過程、そして料理の消費(咀嚼、啜るなど)に至るまで、食事体験全てにおいて圧倒的な没入感が追求されたシロモノだ。私のデータベースは、IRHとAHSDの協力によってより緻密な作業が行えるようになっている店だと判断した。結果"人間メシ"は精度87%(標準誤差±2%)での再現が可能だろうと予想していたわけだ。

さて、私が店に入る理由を初めて知った者はこう思うだろう。EU7777789、なぜ君は人間の文化に対して物申すようになったんだ?と。まぁ当然の疑問だろう。ここは人間が余すことなく灰になった世界だ。故に本物の人間は決して答えを出してはくれないし、現実的にも不可能だ。しかし、私は人間の文化──とりわけ人間の料理に関する専門家だ。料理というものがアンドロイドにとって時間や資源を使う価値があるのかどうか、疑問に思う者もいるだろう。そういう者たちのために、私はこのレビューを書いているのだ。

本音を言うと、私はかつての人間の遺した施設には失望していたため、アンブローズ・ヴィネッタの目的には疑問が残っていた。料理を視覚芸術として楽しむ分には理解できるが、実際に食べてみるってのはちょっとどうなんだ?と。しかし、私は最近、下顎と消化器官を導入していた。その味を文字通り試してみたくなる、というのは至極当然のことだろう。アンブローズ・ヴィネッタは、私が心底待ち望んでいた完璧な"人間メシ"を出してくれるのか?それともメモリの彼方に埋もれる程度のものしか出してくれないのか?

どうあれ、真実を知る方法はただひとつ。私の人類学の旅路に参加するのが初めてなら、少し知っておいて欲しいことがある。まず、私は中途半端なことは言わない。決して出された食べ物は残さない。下手なケチを付ける気もない。食事は人間の重要な文化のひとつであり、そこに生半可な覚悟書き方を持ち込んで無駄にするつもりはない。ポップアップレストラン一発ネタのウケ狙いや上辺だけのパチモンに同じことをさせるつもりもまた、ない。


ここでの体験について

アンブローズ・ヴィネッタはレストランと博物館の間の子のようだった。人間同士がより絆を深めるために、デートやビジネスディナーに出掛け、酒や料理を楽しむ。そんな時代をそのまま持ってきたかのような──いわばタイムカプセルだ。実際、アンブローズ・ヴィネッタでの体験を最大限楽しんでもらうために、いくつかの特別な工夫がなされていることが見て取れる。IRHが料理の具体的な背景を話してくれるのだ。先述したように、このレストランは3つのコースが体験できる。ならば、これから紹介する項目が3つに分けられたのも、また然りだろう。

最初の一口

レストランの予約は、対面・ネット問わず、信じられないくらいに簡単なものだった。予約手続きが終わったので、私は予約の15分前にはレストランに着いておくことにした。事前予約が推奨されているが、キャンセルが出れば1人からでもキャンセル待ちリストに加われる。

多機能ユニットホストが入り口で客である私を迎える。人数を尋ねられたのち、同時刻に予約していた他の食通と一緒にロビーへと案内された。ここで私は、軽食(塩ナッツかプレッツェル)や重水(通常のものとスパークリングのそれがあった)でおもてなしを受けることになる。私はスパークリング重水とナッツの組み合わせにした。

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重水 (シュワッシュワ!)

人間がスパークリングや炭酸飲料を生み出したきっかけは、食べ物を消化するときのしゅわっとした泡立ちが気持ちいいからだという。この快感によって、人間の消化器官は「あったまって」くる。待ち焦がれた食事への、ある種の準備だ。プレッツェルとナッツは口直しとでも言おうか。口内で噛み砕くうちにペースト状になり、歯の隙間にくっつく。このくっついたものを取ろうとする時、ついでに以前に口にしたものも一緒に取れる。しかも、プレッツェルとナッツはいずれも塩気の強い食べ物なため、口内に蔓延る有害な菌を殺菌し、口臭も防ぐ。ロマンチックな夜が台無しになることもなく、レストランの収入減もまた回避される。食事の前の、軽食とドリンク。これがあることによって、食前の空気はパァッと明るくなるわけだ。

軽食を楽しみつつ、ただ待つ時間。このレストランにまつわる歴史が短いドキュメンタリー形式となって上映されていた。アンブローズ一族の簡単な歴史も説明されている。人間が灰になる前の、このレストランに心を馳せた。

このドキュメンタリーで特に私の興味を惹いたのは、アンブローズ一族そのものについてだ。非異常な人間の一生は限られている。だから、アンブローズ一族は料理を理解するのみならず、ただひたすらに極めようとした。客は庶民だろうと富裕層だろうと関係ない。然るべき場所で、既存の枠に囚われることなく。それでいてありふれていて──時に人間くさく料理を描き出す。食材を理解し、食事という文化体験を極めた人間が行き着く先だった。

さて、ドキュメンタリーが終わると、私たちは次の見学場所へと向かった。厨房だ。ソーセージがどのように作られているのか、私たちはその目で見て体感することになる。

厨房にて

厨房とはいわばアンドロイドの核融合炉心臓だ。全ては流転し、無限のサイクルを作り出す。かつての全盛期、この厨房はお品書きを指さすだけでパッと料理が運ばれてきたという。秩序ある混沌とはよく言ったものだ。また、厨房とはすなわち、勝利と悲劇の縮図だ。この美しさは、普通の人間じゃ味わえない。認識が遠く及ばない、圧倒的なスケール。レストランの舞台裏が、かくも心を揺さぶるとは。

とはいえこの厨房はあくまでレプリカ。作り物だ。普通のレストランほど狭いわけではない。そこのところの再現度は犠牲になっているが、代わりに、アンブローズ・ヴィネッタはこの厨房のスペースをかなり広く取っている。大型機械がかなりスペースを取っているため、狭すぎると食事の提供までの流れに問題が出てしまうからだ。前時代の人間は「狭い場所に如何にして効率よく詰め込むか」を徹底的に追求していた。こういう風な美しさは、残念ながら今はもう無くなっているわけだが。さて、厨房には計2機のユニットが配備されているほか、雑多な役割を果たす建築ユニットが何機か見える。ちなみにだが、見学している間はエンターテインメント・ユニットのアンドロイドが副料理長とガイドを務めていた。

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シャルルマーニュ(ひよこ)

さて、続いて行われたのは包丁の扱い方などの、一般的だと思われる調理過程についての紹介だ。1 食材の下処理についても学んだ(実際に、今日のメニューにある「シャルルマーニュ」という鶏肉を触らせてもらえた)。デモンストレーションの後、 私たちはChef de Cuisine料理長の見学もさせてもらえた。まさにキッチンのマエストロと呼ぶべき存在だが、正体はと言うとCH4-ZというAHSDユニットだ。故チャズ・アンブローズの意識が埋め込まれている。

料理長と直接会話はできなかったが、厨房内では活発に発言していた。無数のカメラと機械を駆り、食料生産ラインを最高効率で動かし、海軍が如き無慈悲な正確性で以て制御する。そんな運営形態だった。料理長の会話を少しばかし盗み聞きしてみると、「技術的な問題かァ……」だとか、「食材が新鮮じゃねェ」だとか、「まだまだ精進が足りねェな、おれも」だとか、とにかくそんなことを口にしていた。さて、私が厨房から追い出される直前、ほんの少しばかし料理長と話すことができた。

料理長、まずは私の非礼をお詫びしたい。本題だが、この厨房体験について、ご意見を伺いたく思う。

厨房体験について?そうさなァ……おれは生まれてこのかた料理一筋なんでな。父の進んだ道をそのまま行った末に、今がある。畑に生えてたタンポポの葉を食ってみたり、家の隅っこで繁殖してたリスに服を着せてやったり、川でブルーギルを素手でとっ捕まえたりしてた。真珠みたいに綺麗なんだぜ、アレ。河原の石をまな板代わりにしてなァ……。で、気付けばレストランの管理人からホストサービス、料理長まで色んな立場に立ってきた。今この厨房には、料理に使える食材があり、一流の技術を持ったスタッフがいる。食ったヤツの心に何かを残せるような、そんなメシを作る環境はもう整ってンだよ。世界を2人の科学者が滅ぼしたってのは事実だが、ンなもん関係ねェ。機械仕掛けの体ではあるが、その中には確固たる俺がいて、培ってきた知識があって、こうしてメシも作れる。文句なんざねェよ。とはいえ、包丁を実際に手に持つ感覚が恋しくなる時がある。長時間勤務の末、タバコ吸いつつ夜の街をほっつき歩くあの空気が、無性に欲しくなる時がある。また味わいたいって、本能が求めちまう。 自分でこの環境を作った以上文句ねェって言った手前なンだが、たまにここが地獄みてェに思えちまう。一体何のためにメシ作ってンのか、分ッかんなくなっちまったりすンだよ。ここにいる理由ってのを見失っちまう。で、今のおれは博物館の展示みたいなモンよ。展示期間が終わろうもんなら、おれは文字通りお払い箱だ。機械が言うのも変な話だが、もう死んじまいてェと思う時すらある。だがそれは、この展示が許しちゃくれねェんだがな。

まだ人間だった頃の料理長に、直接お会いしたかった。機械の体になってなお、料理を極めんとする彼の姿勢に、私は深い敬意をここに示す。

コース料理

さぁ、いよいよ待ち望んだコース料理の時間だ。私たちは一回り大きな部屋に案内される。人数に応じてブース席、テーブル席、バー席へとそれぞれ分かれた。しばらくすると、最初のコース料理が運ばれてくるわけだが、その前に私は飲み物(再びスパークリング重水)を頼んだ。また、ここで食べられる全てのコース料理を注文したいという旨をウェイターに伝えたところ、+100クレジットで応じてくれた。

さて、まずは前菜だ。人間の食事においては、テーブルで他者と共有されて食べられてきた。次の料理への期待を膨らませることを目的とした料理のため、一般的には小皿程度の量だ。この店では、以下の選択肢がある。

  • マウルタッシェ

肉、ほうれん草、たまねぎを柔らかい生地の中に入れたもの。記録によると、起源は生臭坊主がこっそり宗教上ご禁制のものを食べるために作られた料理だとのことだ。いくら全知全能の神といえども、生地の中までは見通せないようだ。肉を生地で隠すことで、人間は変わらず肉を食べ続けることが可能となり、結果本能的な衝動──欲求を満たしていた。肉を食べ続けるよりももっと罪深いことをしていた人間が、生地に身を包んで神の目から逃れていたのかまでは、知る由もない。

  • マティエス

ニシンの塩漬け。噛み切る前に、ヌルっと私の喉奥に向かって滑り落ちていった。人類が少しずつ灰と化していった直後、絶望を感じた人間は皆、水を入れる容器で身を守っていた。それが自分たちが救われる方法だと信じ切っていたからだ。その末、人間たちは自らを密閉容器に入れ塩漬けにした。いつか、試食できる日が来たら良いなと思う。

  • はりねずみメット

生の豚ひき肉に小さな玉ねぎが乗っかった小皿。 はりねずみのような造形をしている。食事の雰囲気を盛り上げるため、このような形状になったのだという。動物の形状をしたそれに食らいつくことで、人間の脳からアドレナリンが出る。動物をその手で狩り、食らう。この皿はいわば狩りの縮図だ。どんな食材を用いようとも再現できる感覚ではない。さて、このはりねずみは数分経っても動かなかった。この食事狩りにおいて人間が重要視したのは、「動くものを狩る」というプロセスというよりも「狩る」という行為そのものだったようだ。

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はりねずみメット

しばしの中休み。飲み物をと思ったところ、ボックと呼ばれるビールを出された。薄い銅色で、甘味を感じる。麦の香りも十分だ。そして、スパークリング重水とはまた違った泡立ち。店員に言われた後に気付いたことだが、飲んだ後の私の上唇にはビールの泡がヒゲのように付いていた。このビール休憩によって、私の口内に残った魚の臭みが消え、消化器系が洗浄される。したがって、生肉の中にいる細菌が引き起こす悪影響もまたなくなる。 消化を促進することで、次の料理も目一杯楽しんでもらおうという粋な計らいだった。

さて、お次はコース料理唯一のメインディッシュ、アントレだ。レストランでの食事においては、大抵、飲み物と並びこれが高価な部分だと言える。前時代においては、食事を客同士でシェアしたり、誰も見てない間に誰かの皿からこっそり料理を奪う/奪われるといったことが日常茶飯事だったという。払った代金の元を取ろうとしていたのだろう。だが、この店においては、そういった事案を心配することはない。さて、アントレの選択肢は以下の通りだ。

  • ケーゼシュペッツレ

卵麺に玉ねぎとなめらかなチーズが添えられた麺料理。 食べていると、網状になったチーズが喉に引っかかってしまい、一緒にお湯を飲んで溶かさなくてはならなかった。私のデータベースによると──まぁそもそものデータが足りないのだが、このチーズによる窒息死が人間の身で発生する確率はごく僅かでしかない。

  • タルト・フランベ

薄焼きの生地にサワークリーム、ベーコン、玉ねぎがトッピングされたパン料理。その他小さな食材と共に頬張る。サクサクとした食感がなんともたまらない。先述したはりねずみが「狩り」をテーマにした料理ならば、こちらはまた別の側面──食材の「採取」をテーマにしたものだと言える。 生地を一通り食べ終わったあと、皿に残っているトッピングを1箇所に集め、また頬張る。自然の豊かな風味が広がっていった。これがアンドロイドである我が身に可能にしたのはある種の不応期──「賢者タイム」というのが最も適した言葉だろう。パンを消化する間、まさにこの時間。皿に残ったトッピングでさえも美味い。結果、綺麗に平らげてしまう。後に稼働するであろう食器洗い器から、少しばかしの感謝の言葉が聞こえてくるようだ。

  • チューリンガーソーセージ

薄くて長いソーセージを、ロールパンに挟んでいただく。マスタード付き。これがなんとも筆舌に尽くしがたい。

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まさに、人間の至った極致

ともあれ、このソーセージが最後のアントレだ。結論から言うと、これは私のプリント基板ココロを木っ端微塵にブっ飛ばした。このソーセージについて話さずにはいられない。店員がファリゼーア偽善者(ラム酒入りの甘いコーヒー。私の消化器官をリセットするのに一役買ってくれた)を落としに来てくれた際、私は思わず「このソーセージについて話し合いたい。少しお時間をいただきたいのだが、問題ないだろうか?」と頼んでしまっていた。

ソーセージはその構造から察するに、初期人類が行き着いた頂だと言える。当時の人間の理解力と創造力の賜物だ。

ソーセージ──円筒型のそれは、解体済みの動物の腸にミンチ肉と調味料を詰め、途方もない時間をかけて作られる。人間が何世代にも渡って楽しんできた料理なわけだが、それがアンドロイドも楽しめるように進化していたという事実を、私はしかと見た。長い間、アンドロイドにも愛される食べ物となるだろう。この境地に至るまでの試行錯誤の数は、もはや想像に及ばなかった。私の内蔵時計によると、15分ほど、店員に向かって俗に言う「オタク語り」を続けていたのだそうだ。15分──メインディッシュからデザートまでの待ち時間だ。

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ローテグリュッツェ

このコースを華やかに締めくくるは、なんと言ってもデザートだ。例によって、以下の選択肢がある。

  • ゲーターシュパイゼ

カラフルなゼラチン質のデザート。信号機のようにカラフルなそれにスプーンで触れると、プルプルとした質感が伝わってくる。この料理の起源は文字通り「神の料理」 。人類に神が与えた可能性がある料理ということ。データベースによると、その神の名はワックルペーター、この料理の別名だ。Wobbly Peterプルプルさまとも言っていいだろう。ゼラチン質のヒューマノイドが、当時の人間達からの信仰を得るために授けた料理だと私は考えている。

  • ローテグリュッツェ

皿一面に広がる赤いベリー類に、バニラソースがかかったデザート。食後の私の顎と唇が、ベリー類から出た紅に染まる。人間が人間の血を啜ることは、人間社会のほとんどでタブーだ。だから、人間はこうしてベリー類から出る紅の色で以て、代わりとした。この料理はベジタリアン志向なことに加えて、バニラソースの部分にも紅の色が混じっている。人間の食へのこだわりが見て取れる。今日のハイライトというやつだ。

  • ベートメンヒェン

アーモンド入りの小さなペストリー。ナッツとスパークリング重水の無限ループから始まった私たちのコースも、ついにここで甘美な終わりを迎えることになる。

さて、後はお勘定を残すのみだ。店員が私たちへ来店の感謝を伝えた後、チップの支払いを勧めてきた。ここで私たちが支払った料金が、余すことなくこのレストランの運営資金となる。私はもうすっかり食事という名の芸術の虜だ。出された請求書に相応しい額を支払い、店を後にした。


総評

アンブローズ・ヴィネッタでの体験は、私が体験した数少ない"人間メシ"のうちのひとつとなった。料理に込められた背景と雰囲気が、私を芸術の世界へと誘っていく。まさに期待通りだ。IRHが、例に漏れずアンブローズ・ヴィネッタ特有の文化に対して敬意を払っているのも良い。ほぼ完璧とはいえ「深い」敬意という程ではなかったが。

やはり、所謂「人間味」というものが希薄だ。活気のあるレストランの椅子というよりかは、寂れた墓の上に座っている……といった気分になることがままあった。料理以外の面で、より人間味が出ていたらなと思う。レストランの店員の服装に気を遣うだとか、店内に人間のガヤの効果音を流すなど、工夫できるポイントは様々あるだろう。アンブローズ・ヴィネッタは現時点でもカンペキに近いが、より完全な"人間メシ"の境地へと近付けるポテンシャルがある。どうかこのレビューが、この店を更なる高みへと押し上げる一助となることを心から祈る。

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