親愛なるアルテュール・ベルジュローへ
手紙、ありがとう。そして、突然君の元を去ってすまなかった。
まさか、わざわざ手紙を寄越してくれるほど、君が私のことを好きだとは思っていなかったよ。あのコンペティションの頃、私は確かにアーティストとしてのキャリアハイを感じていた。私の作品を見て君がアートの道に進んでくれたのなら、私がアートをやっていた意味も少しは残っているのかもしれないな。
正直に言おう。
私は、君の作品が嫌いだった。
君も私のファンならよく知っているだろう。私は、先人たちが残してきたものを踏襲し、日常に潜む矛盾や悪意を描き出すことを目標としてアートに没頭していた。君と同じく、私も先人たちのアートを見て彼らに憧れ、この世界に足を踏み入れたんだ。わかるだろう?私にとって、これこそが自分が信じるCoolの姿だった。
君と初めて話した時、何よりも君の熱意を感じた。君は本当に私や先人たちのCoolな作品が大好きで、これはいい後継者ができそうだと思っていたよ。
だが、私の予感は外れた。君の作るアートはとても叙情的、感傷的で、私のコンセプトとは程遠いものだった。
初めて君のアートを見たとき、私は出来るだけ君を傷つけないようにアドバイスをしたが、心の底では失望していたよ。こんな奴、私の後継者ではない。Coolの履き違えも甚だしい。そういうアートがやりたいんなら他所でやってくれ、と。そして、どうせ君はすぐに淘汰され、ここを去っていくだろうと予感していた。
しかし、君の作品は大いに評価された。これが新しいCoolの形だ、と持て囃された。恐らく、彼らは私が作るような古典的なアートにはとっくに飽きていて、作風のマンネリ化を打開するアーティストを待ち望んでいたのだろう。その様子を見て、私は自分がわからなくなってしまった。私が好きだったAre We Cool Yet?はどこへ行ってしまったんだ?私の努力は全て無駄だったのか?いや、私の頭が固いだけなのか?と。とにかく、私のアーティスト人生全てが否定された気分だった。
私は冷静に考えた。アートというのは移り変わるものではないか。デュシャンもマルコスも、より古い芸術を打ち破ってCoolの境地に辿り着いた。時が変わればCoolの形も変わる。だから君の作品があれだけ受け入れられるのも、時代の変化と言ってしまえばそれで片付くことなのだろう。しかし、私はどうしても許せなかった。同時に、いつまでも古い価値観に縛られる老いぼれは、さっさとここを去るべきだろうという結論に至った。あのまま無理してアートを続けていたら、いつか私は君の絵をビリビリに破いていたかもしれないし、これは正しい判断だと思ってるよ。
申し訳ないが、私があそこに戻ることはもうない。君の作品はおろか、私の作品を見ることすらストレスになってしまった。私がいくつかの自分の作品を壊してしまったのは、確かに大人気ない行為だったかもしれない。でも、そうするしかなかったんだ。
私のファンがまだ沢山居ることももちろんわかっている。だが問題はそこではない。とにかく、君の作品を評価している人々があれだけいるという事実が受け入れられないだけなんだ。しかし、気を落とさないでくれ。君こそが、新しいCoolなアートを引っ張っていく存在だ。こんな老いぼれの意見を真に受けて、君までアートを辞めてしまったら、私が辞めた意味がなくなってしまう。
そして、君がくれたあの筒だが、私はまだ開けるわけにはいかない。本当なら粉々に壊して捨ててしまいたいところだが、今や君は新進気鋭のアーティストだ。黎明期の作品を潰してしまうのは勿体ない。数年後、もっと私の頭が冷えた頃に開けたら、きっといい思い出として君のことを思い出せるだろう。
さようなら。願わくは、次はアートではない場で君と会わんことを。
You Are Cool Yet.
ヨルク・ザンケッタより
答辞
ページリビジョン: 4, 最終更新: 10 Jan 2021 17:30