大江山士郎かく語りき
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アオの話は……それは祖父から聞いた話か?いや何、60年程前にも似たような話を聞いた記憶があってな。確か大陸から帰った元日本兵たちが広めた話だったかと。……そう落ち込むな、君を来歴や血筋で判断するような奴はここにはいないさ。それに古典的な話というのは、そう、面白さが保証されている。何にせよこの青大将怪談の会の最初の語り手としてはよくやったと思うぞ。

デッキの話は、そうだな、君らしい話だと思った。郷土愛を感じるというか、本当に琉球の地とそこに暮らす人々への愛情に満ちていた。話そのものへの感想?うーむ、実は"キジムナー"は現物を見たことがあるからか、あまり怖いという感じはしなかったな。すまない。……ああ、京都の本院でな。彼ら — 蒐集院は、まるでカラスかカササギのように、光るものは何でも巣に持ち帰るんだ。

ケーの話はなかなか怖かったな。素晴らしい。いや、お前を褒めてるわけじゃないぞ。その話はインタアネットで聞いた話なのだろう?その、"房総奇譚放送局"とやらの連中が素晴らしいな、と言ったんだ。まあしかし、お前の語り口も悪くはなかったさ。本当だ。


……

さて、それでは私の番か。私の話は……そうだな、私がこの体になってすぐに遭遇したモノについて話そう。

あの忌々しい村は上野国、今でいう群馬の山中にあった。異性の体になり、かの忌まわしき神の束縛から解き放たれた後、私は村に滞在しながら元に戻る方法を模索していた。結局のところそれは見つからなかったがな。

村の側の森にも例の宗教 — 陰陽反転教の祠があるらしかったので、その調査のために森に入っていった。そうして草木に紛れて、いくつかの石碑が見つかった。しかし、今思えば、重要そうな祠なのに周囲の手入れがされていなかったのは地元の者達がこの場所を避けている事の証だったんだろう。

私は碑文の調査に夢中になってしまった。何せ、元に戻る方法への最大の手掛り、女性を男性へ変える術についての記述だったからな。そうこうしていると日が落ちて夕暮れになってしまった。暗くなってしまえば文字は読めないから、調査も中断だ。しかし、帰り道も暗く、また明日ここへ出直すのも少々面倒に感じたので、獣や虫から身を隠す簡単な結界を張って野宿をすることにした。

何? ケー、"フラグ"というのは何だ? なるほど、コンピュウタの用語か。それではピンと来ないな。ふむ、"状況が整う"といった感じか。であればそうだな。まさしく、怪異に出会うにはうってつけの状況を自ら作り出してしまったことは認めねばならない。

夜の森というのは不思議な場所で、危険と隣り合わせであると同時に、妙な心地よさもまた存在する。私は獣避けも虫除けもしていたものだから、少しばかり心を落ち着けてもいいかと思って横になった。風が木の葉を揺らす音や、スズムシの声に耳を傾けながら、無心になれた。……正直な話、不安だった。変わってしまった自らの姿形と向き合うのが堪らなく怖かった。だから、その事をしばらく忘れたかったんだ。

しばらく経った頃、風の音とも虫や獣の声とも違う、明らかに異質な音、いや、声が聞こえた。今思い出しても — あれから100年以上は立っているはずなのだが — それでも鳥肌が立つ。"時が全てを解決する"というのは真っ赤な嘘だな。声の主が近づいてくるにつれてそれは鮮明になっていき、最終的に泣き声のようだということが分かるようになった。

それが何であれ、出会うべきでない存在であることは明白だった。虫除けの結界では身を守れないと判断した私は護符を貼り直し、それから経を唱え始めた。随分と古典的なやり方に聞こえるだろうが、蒐集院というのはそういう組織だったし、あの場で咄嗟に用意できる手段の中では恐らく最も効果的だっただろう。欠点は夜明けまで読経を続けるのが少々大変というくらいで。

暗闇の奥から姿を現したそれは、黒く、大まかに人間の形をしていた。大きさは子供、いや赤子だった。這いずる赤子の霊だ。すすり泣く声に混じって、「かかさま母様」と呼ぶ声が聞こえた。大方生まれてすぐ亡くなったか、流産したか……。あの時代では全く珍しい事ではなかったからな。

それは私の周囲をくるくると周り始めた。そして時折立ち止まってはこちらを見つめるんだ。黒ずんだ顔の中だけで眼だけが爛々と光っていた。その眼に何か恐ろしいものを感じ取って、私は徐々に平静を失いつつあった。経を唱えているのは口だけで、頭の方は恐怖と狼狽が支配し始めていたんだ。

そして、結界を構成する護符が、角の方から黒く、焦げるかのように変色し始めたのを見た瞬間、冷静さは完全に失われてしまった。後のことはほとんど覚えていない。走って逃げようとして、何かに躓いて、意識がなくなって、気づいたら村で介抱されていた。

その後村人に聞いたところでは、あれの正体はやはり、幼くして死んだ子供の亡霊だろうということだった。しかし不思議なのは何故実の母親に憑きに行かなかったか、という点だ。あのように母親を呼ぶ声を発しているのに、母親本人を探しているようには見えなかった。

これについても多少興味深い話を聞くことができた。曰く、あれの母親は存在しないのだ。いや、死んだ訳ではない、生きていた。しかし母親とは呼べない存在になっていたんだ。つまり……"父親"になっていた。ああ、その通り、例の祠と石碑だよ。話の冒頭に出てきたな、覚えているか?

あくまでも状況と証言からの推測に過ぎないが、あの祠で母は男になり、母を見失った子はあの場所を彷徨い続けるようになった。時が経つにつれてそれは変質し、女子であれば無差別に憑こうとする存在へと成り果てた……という所じゃないだろうか。無論、自分を女子と認めたくはないものだがな。

さて、そうすると新たな疑問が1つ生まれるな。結局私はどうなったのか?ということだ。あの時、あれに触れられたのは間違いないだろう。しかしこうして100年も生きている程度には健康体な訳で、本当に憑かれてしまったのかは分からない。例えば、複雑な気分ではあるが、この女給服にも神の加護が付いているのだから、それで守られたのかもしれん。まぁ元はと言えばこいつのせいな訳だが。

何?院に帰って検査を受けなかったのかだと?なるほど、そうしていれば良かったかもしれないな。しかしあの時は自分でも自分の身体を把握できていなかった頃なんだ、ましてや他人に弄らせるなど絶対に嫌だったに決まっているだろう。……ああそうだ、これが出奔の理由の1つだよ。それに当時は私だって研儀官だったんだ、私に分からなくて院の連中に分かったかといえば、どうだか。まあ高位の連中なら或いはという所だが、そういう連中は政に熱心で忙しかったから、私の"健康診断"に付き合ってくれたとは思えないしな。

まあ何にせよ、これと言った問題もなかったし、新しい身体、新しい環境、新しい時代、そんなものに慣れるためには昔のことを思い出している余裕などあまり無かった。そういう訳で数十年間は、この事は忘れて過ごしていたのさ。

しかし、最近になって気がかりな夢を見るようになった。その夢の中では、私は母親になっていて、赤子を抱いて幸せそうな笑みを浮かべているんだ。赤子の顔は分からない、しかし眼は、眼だけはハッキリと、あの時に見た眼とまるっきり同じ眼でこちらを見つめて微笑むんだ。そういう夢をみた日の朝はいつもひどく汗をかいていて、目覚めが悪い。

もしかするとな、もしかするとだが、私のの中には悪霊の切れ端が貼り憑いていて……そして100年という歳月をかけて成長していたのかもしれんぞ。……なんてな。

これで私の話は終わり。さて、次はユウキの番だったか?とびきり怖いのを期待しているぞ。

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