アルカディアは何よりもまず最初に、アルカディア・エレクトロニック・ソフトウェアでした。将来有望な新規事業としてのアルカディアが具体的にいつ創設されたかは誰も知りませんが、その先鋒がノーラン・ブッシュネルだったのは誰もが知っていました。アルカディアは - あるいは、ブッシュネルが呼ぶところの“アルカディア・プライム”は - 彼がまだユタ州立大学に在籍していた頃に興した企業でした。1964年、ブッシュネルとそのベンチャー事業はユタ大学工学部に転入し、そこで志を同じくする者たちと出会うことになります。
1964年こそ、アルカディアがアルカディアになった年です。
1964年、同学年の中でも一際優秀なブッシュネルは、何かにつけて自分の事業アイデアを自慢しました。ブッシュネルが大学で作った友人たちがアルカディアを知り、そこに加えてほしいと言い出すまで、そう長くはかかりませんでした。そんな友人の1人がテッド・ダブニーです。2人はスタンフォード大学人工知能研究所で学んでいる間に出会い、囲碁とオカルト儀式に対する共通の好みで結束しました。ノーランとテッドは研究所の人々を魅了する電子ゲームにチャンスを見出し、それに飛び付きました。
大学キャンパスで一番人気だったのは、単純な宇宙戦争ゲームの“スペースウォー!”でした。2人は容易くそれを打ち破りました。けれども、彼らが打ち破ろうと計画していたのはそれだけではありません。きっと真夜中に一緒に座って呪文を唱えている間に思い付いたのでしょう。テッド・ダブニーは、地下社会の悪しき魔術を使いこなすための秘密をアンロックできる技術革新を考案していたのです。彼らの知識と興味はすぐにアルカディアへと反映されました。
同じ年、アメリカ合衆国大統領リンドン・B・ジョンソンは冷や汗まみれで目を覚まし、夢に見た恐るべき光景を無我夢中で走り描きし始めました。絶え間なく打ち返され、深宇宙を永遠に行ったり来たりする白い四角の夢です。これに続く一連の出来事の末に、ラルフ・ベアという名前の温和なエンジニアが大統領のスケッチを手に入れ、星間通信・制御装置を作成しました。ベアはこの装置を“茶色の匣”ブラウン・ボックスと名付けました。その後数十年余り続く勝利と恐怖の長い旅路オデッセイの始まりです。
SCP財団はあらゆる場所に耳を持ち、ダブニーとブッシュネルの企みを知っていました。一方のブッシュネルは、ブラウン・ボックスのごく平凡な側面が一般大衆に公開されたのを見て、ベアが何を発見したかを知りました。この相互受粉が組織を最初の大成功に導きました。財団はブラウン・ボックスに堅実に対処できる人材を育成するため、経験者を起用する集団実験に資金をつぎ込みました。見返りに、アルカディアは技術力とオカルトの専門知識を提供しました。財団が求めたのは技術だけでしたが、抜け目のないビジネスマンのブッシュネルは両方提供すると言い張りました。
お金が湯水のように流れ込んできました。
1967年から本格的に事業を開始したアルカディアは、コネを使って速やかに最初のオリジナル製品を開発しました。ダブニー-シジギ抑制機構。市販コンピュータゲームの開発という偽装の下に、ナッチング・エンジニアリング社と提携して作られた抑制機構は、いずれ“コンピュータスペース”と呼ばれる物の内部に仕込まれました。こうしてノーランとテッドは、自分の魂を25セント硬貨に両替することの悪影響を理解していない半ば酔っ払ったピンボール・プレイヤーたちを相手にして、己の技術に磨きをかけていきました。
地獄の秘密をアンロックした彼らは新たな難問に直面しました。地獄への門は双方向の通り道です。ドアを開けたならば、悪魔側の条件を受け入れる準備ができていなければいけません。しかし、その入口を通り抜けるエネルギーを調整する手段があればどうなるでしょう? ほんの少しだけ扉を開き、破滅を解き放つことなく堕落の力を流出させる。魂を送り返す時に放たれるエネルギーを制御して、悪魔の取引から1回で2度の利益を得ようという腹積もりでした。
程なく、財団はプロジェクト資産を引き上げ、ブッシュネルやその手下たちの暗い心との関係を断ち切りました。メン・イン・ブラックから無尽蔵のお小遣いを貰えなくなって、他の財源を探し求めるうちに、ブッシュネルはアルカディアが自らに課した制約にうんざりしてしまい、独自のプロジェクトを追求するために1969年に辞めました。彼のささやかな魔術結社も一緒になって去りました。アルカディアは、つい最近雇われたばかりのビジュアルデザイナー兼ストーリーライター、ダン・“ウルフ”・ダンの手に押し付けられました。
ダンの経営の下で、アルカディアは業界に知らぬ者の無い大物に成長しました。退社した後も、ブッシュネル一味は事あるごとにアルカディアとの共同事業を手掛けました。ダンはその類のプロジェクトを都合よくダシにして評判を高めました。ビデオゲーム・ブームが巻き起こると、アルカディアは自社プロジェクトを無我夢中で外注している企業のためにゲームを作り始めました。彼らの人気は急上昇しました。全盛期のアルカディアは独自に、数千とまではいかないにせよ、数百ものゲームを開発しました。
当時のアルカディアで働くのはなかなか難しい問題でした。自分の隣に座っている男女がごく普通の従業員なのか、ビジネススーツに身を包んだ悪魔崇拝者なのかは絶対に分かりませんでした。ドラッグの勢いは弱まりましたが、完全に消え失せることはありませんでした。全員が安心できるほどの資金は決して手に入りませんでした。社内の気風は累卵の危うきにありました。
それだというのに、ダンもアルカディアもすっかり自惚れていて、開発された全てのゲームからエゴがにじみ出る有様でした。市場に溢れかえるほどに、彼らのゲームのクオリティは低下し始めました。悪魔の影響が顔を覗かせようとしていました。
全体としてのアルカディアは、1983年のビデオゲーム市場崩壊に全く備えていませんでした。この“アルカディアショック”によって市場価値はかつての数分の1まで落ち込み、会社を猛烈な死の苦しみが刺し貫きました。彼らにはまだ諦める覚悟がありませんでした。
1985年にアルカディアがロゴを変更したのは、ひとえに“ウルフ”・ダンも他の重役たちも、アルカディアの凋落の始まりをまだ信じていなかったからです。大半の従業員はこの年の始まりに辞職して、社員をちゃんと気遣ってくれる企業に移るか、さもなければ独自のプロジェクトを開始しました。パーティーの回数とドラッグの消費率がうなぎ上りになり、その支払いのために給料の準備金に手を付けるという体たらくでした。
ダンは1985年も半ばになってようやく、ドラッグで前後不覚になっている間にアルカディアがどれほど深刻な損失を被ったかを悟りました。彼はまた、20年近くアルカディアに及んでいた悪魔の影響に倦んでいました。“ドン・ジョヴァンニ”の初演を観に行ったダンの心を襲った恐怖は、それを完全に矯正するのに十分でした。魂を収穫するべくして作られた大量のコンピュータ製品を通して、アルカディアはとっくの昔に返済期日を過ぎていた借りを返し、悪魔たちはダンの首根っこから手を放しました。
アルカディアの残りを救うため、ダンは“企業パーティー”に割り当てられた残余資金で昔のゲームを片付け、会社からマイナスの影響をこすり落としました。彼らはアルカディアの原点に戻り、ソフトウェアを製造して、かつてのアルカディア帝国の維持費を賄おうと試みました。それでも足りませんでした。1985年の終わりまでに、アルカディアの影響力はほんの5年前の7%まで落ち込んだのです。重役たちは納得せず、アルカディアから実質的に“ウルフ”・ダンを追放しました。彼は1986年に会社から離れました。
新生アルカディアのアイデアは、ダンの頭から離れませんでした。
1986年、アルカディアは自社ロゴを強豪だった時期のデザインに差し戻しました。ただそれだけです。もうアルカディアには生き残る以上の目的などなく、楽して儲けたい企業からの胡散臭い依頼だろうと藁をも掴む思いで請け負いました。帝国も設備も資金も抜きんでた立場も奪われて、アルカディアはもう二度と取引条件を指図する側には立てません。生きていられるだけでも幸運でした。
会社は買収の話を持ち掛けられるようになりました。アルカディアに残っていた従業員たちは、遥かに貧弱な資金源にもかかわらず大望を抱き続け、会社に腰を据えようと試みました - 彼らのプロジェクトはどれ一つとして試作段階から先に進みませんでした。一方その頃、アルカディアを辞めた元従業員たちは、無認可で非公式で危険なほどに悪魔的なゲームを、相変わらずアルカディアの名前を付けたままで開発していました。彼らは恐れませんでした。何しろ相手は既に自転車操業状態で、積極的な法律違反を抑え込む暇などほとんど無いのです。アルカディアが80年代後半にとうとう沈黙した時、その死を嘆く者は多くありませんでした。
アルカディアは1991年に装いを改めてまた現れました。あまり知られていない一般消費者向け製品企業、プリズム・プロダクツ・コープとの合併は、アルカディアを新たな市場に参入させたばかりでなく、死の淵から帰還させました。アルカディアの刷新は、何十年も務めてきた従業員たちに衝撃を与えました。彼らが手掛けたプロジェクトが再びビデオゲームの世界で勢いを増し、他社のデベロッパーたちはかつて独立ゲームデザイン業界の頂点だった彼らへの外注を求めるようになりました。
成功にもかかわらず、それがいったい何の、もしくは誰のおかげかを知っているアルカディアの従業員はいませんでした。新しい経営陣は情け容赦ないほど能率重視でしたが、気前よく給料を払いました。プロジェクトを完了したところで、それが一般社会での会社の影響力を高めることは全く無いようでした。おまけに、彼らが調整していた低レベルの契約は、アルカディア社外には決して公開されないと思しき大規模プロジェクトのために切り捨てられました。'85年に抱いていた展望を新しいアルカディアに根付かせるために、ダンが帰ってきたのだという噂が流れました。証拠も否定材料も一切ありませんでした。
もっと人気のある企業の影に隠れていたとはいえ、1990年代はアルカディアにとって良い時期でした。アルカディアは自らの居場所で満ち足りていました - 存在してはいても、完全に場に出ているとは言えない。影響力はあっても、強力ではない。アルカディアの一部が失われても、その意義は全く欠けていない。会社は星を撃つような馬鹿げた高望みをしていましたけれども、自らが何処から来たかを決して忘れてはいなかったのです。
アルカディアは2006年に公共事業部を閉鎖し、ロゴを変更しました。もう誰もこの会社が具体的に何をやっているのかを知りませんが、アルカディアの名前は今でも時々ビデオゲームコーナーの棚に姿を見せます。彼らは対価さえ払えば何でもするという噂もあります。
現代のアルカディアは在りし日の姿とは違うのかもしれません。それは最早アルカディアですらないのかもしれません。真実を見定める唯一の手段? アルカディアを見つけてプレイすることです。いかがでしょう、皆さん…
アルカディア、してみませんか?