昔、貴族の館で
評価: +40+x
blank.png

わたしがその華族の家に下女として買われた冬の日に最初に命じられたのは、とある植物の世話をすることだった。
なんでも一族の繁栄を約束するありがたい木らしく、千年以上も大切に受け継がれてきたらしい。木の世話以外にも仕事はあったが、これだけは絶対に欠かすなとの言いつけだった。
わたしは貧乏な農民一家の末娘で、当然木の世話などしたことがなかったが、追い出されてしまうわけにはいかない。毎日丁寧に水をやり、害虫を取り除き、枝を整えた。

春になるとその木はきれいな花を咲かせた。
植物には詳しくなかったが、家の人々が話しているところによるとどうやら桃の花であるらしい。美しく咲いた花たちを見ると自分の仕事の成果が表れたようでうれしくなり、愛着もわいた。
もうしばらくすれば実がなるだろう。桃の実というのは甘いものだと聞いた。もしかしたら少しくらいいただくことができるかもしれない。そんなことを考えると少し胸が躍った。
暖かくなったことや世話に慣れてきたことも重なって、日々の仕事が少し楽しくなった。

花が散ってしばらくして、わたしは木に小さな実がついているのに気が付いた。
大喜びで近寄ってみると、そこにあったのはどう見ても人の頭部であった。桃の実というのがどのような形をしているのかは知らないが、まさか人の顔であるというのはありえまい。わたしはあわてて女中頭に報告した。報告してからとんでもない失敗をしてしまったのではないか、暇を出されてしまうのではないかと恐れたが、女中頭が旦那様に確認したところあの植物はああいう実をつけるので問題ないらしい。洛中には不思議な植物もあったものである。
ひとまずは安心したが、あの不気味な顔の生る、得体のしれない木の世話をし続ける自分を想像し、軽いめまいに襲われた。

世話を続けると、実は日を追うごとに増えていった。
そういうものなのであろうか、生る頭はすべて同じ顔をしている。男性で、この国の人間とは異なる顔立ちをし、不思議な模様が入っていた。人の頭が大量に木に生っているというだけで気味が悪いが、しかし一番の問題は、この頭たちがずっとわたしのことを見つめてくることであった。顔の向きを変えてまで見てくることはないが、顔の先にわたしがいるとこの実たちは何も言わずに見つめてくるのである。背を向けていても視線を感じるため、仕事がやりづらいことこの上ない。悪意はないようであるが、気になるものは気になるのである。

ある日、思い切って実の一つを観察してみることにした。
わたしの顔と同じ高さにある実に近づいて、見つめてみる。わたしが見つめられることはいつものことだが、わたしが見つめるのは初めてである。よく見てみるとこの顔にはまぶたがないらしい。そして何より、とても整った顔をしていることに気が付いた。まぶたがないのと模様のせいで不気味に見えるが、そこを気にせずみれば中性的な顔立ちで、優しそうな印象を受ける。
触れてみると口を開いたが、声を出すことはできないらしい。言葉を投げかけてみても、聞こえているのかいないのか、反応することはなかった。
それでも実と見つめあっていると、だんだんと愛しさのようなものを覚えてきた。そもそもわたしが世話をして実らせたものである。自分の子のようなものだと思うと、とたんにかわいらしく見えてくるから不思議である。

あの日以来、木の世話を終わらせた後、実と見つめあい、言葉をかけるようになった。
屋敷に年の近い友人も話を聞いてくれる年長者もおらず、わたしは知らぬうちに自分の言葉を受け止めてくれる誰かを求めていたのかもしれない。彼らが言葉を返してくれることはなく、表情一つ変えることすらなかったが、なんとなく自分のことをわかってくれているような気がした。わたしを愛してくれているような気がした。
彼らが日々少しずつ大きくなっているのを見て、得も言われぬ喜びを感じていた。彼らから離れて他の仕事に移らなければならないのが口惜しく、殊更に丁寧に木の世話をした。

好きなものの話、仕事が辛いという話、そして彼らのことが愛しいという話。どんな話も彼らは静かに聞いてくれた。わたしは毎日毎日彼らに愛を語った。その目も、鼻筋も、唇も、神秘的な模様も、寡黙な性格も、そのすべてが素晴らしく思えた。彼らとの語らいに時間をかけすぎて、他の下女に叱られることもあった。しかし、そのことがよりわたしと彼らの愛を深めるように思えた。彼らだけがわたしの理解者であった。

実が木全体に実り、大人の男性の頭部と同じくらいの大きさになったある日、女中頭から明日収穫を行うようにと言いつけられた。
収穫した実はどうするのかと問うと、いくつかは旦那様のご友人に贈られ、残りは食べるわけにもいかないので燃やして処分するとのことである。燃やさなければ頭部から新しい木が芽生え、今ある木の栄養を奪ってしまうから、と。その答えを聞いてわたしは我が身を切られるような悲しみに襲われた。

その夜、わたしは部屋を抜け出し、木の前に立っていた。
まぶたのない彼らは眠ることもないのだろうか、月明かりに照らされて、いつもと変わらないその顔をじっとわたしに向けていた。
明日彼らは収穫され、燃やされてしまう。きっと、そういうものなのだろう。千年以上もの間、そうやってこの家で受け継がれてきたのだろう。そもそも、彼らに意志があるのかさえ分からない。それでも、わたしには彼らが哀れでならなかった。
どれだけ考えても彼らを救う方法は思いつかず、部屋に帰って布団にこもり、泣いた。

次の日、木の下へ向かうと、一人の身なりの良い男性がじっと果実たちを見つめていた。この方が例の旦那様のご友人なのだろう。いくつか頭部をもぎ取っては、そばに置かれた籠のなかにそっと入れていく。
声をかけることもできずただ眺めていると、視線に気づいたのか男性がこちらを振り向いた。

「こんにちは、今年はあなたがこの木の世話を?」
突然話しかけられるなどとは思っていなかったため、慌てて頭を下げる。
「は、はい! その通りでございます!」
驚いて、声が裏返った。
「そうですか、よく実っている。見事なザクロです。ありがとうございます。いくつかいただいていきますよ」
「ザクロ? これは桃の木じゃないんですか?」
男性の言葉に、つい口から疑問が漏れる。
「ふふ、そうですね、桃の木です。でも、ザクロなんですよ」
よくわからないことを言う男性。雰囲気といい言動といい、どうにもつかみどころのない不思議な人である。

「その、失礼ですが……彼らを、どうなさるおつもりですか?」
思い切って尋ねてみる。なにか予想もつかないような答えが返ってきそうで恐ろしい気持ちもあったが、それでも好奇心と、何より彼らがどうなるのかという不安が勝った。
「いやなに、木の実なんて目的は一つでしょう? 食べるんですよ」
「えっ……食べられるんですか!?」
思わず声を上げてしまった。男性の顔は大まじめで、おそらく本当に食べるつもりであるというのが感じ取れた。
「食べられるなら、処分しなくても……」
「ああいえいえ、食べるのは私や、私のような者だけですよ。普通の人はザクロなど食べませんから」
そう否定する男性。その口ぶりはまるで、自分は普通の人間ではないと言っているようだった。

「……お願いがあります。大変無礼なのは承知の上です。どうかわたしにも、彼らを食べさせていただけませんか? このままじゃ、彼らはただ焼かれてしまうんです。それなら、少しでも彼らを食べてあげたいって思ったんです。わたしが大切に世話してきた大事な大事な彼らを、このまま無為に燃やしてしまうよりも、わたし自身で食べてあげたいんです。お願いします!」
そう言って頭を下げる。もしこの男性が怒れば、わたしはこの屋敷を追い出されるだけでは済まないだろう。だが、彼らをただ焼いてしまうことが、それよりも何よりも苦痛に思えたのだ。わたしが彼らを食べることで、彼らをわたしの一部とすることができたなら。それはきっと、わたしにとっても、彼らにとっても、少なくとも炎に焼かれるよりはよい結末であろう。そう思った。

男性は少しの間考えているようなそぶりを見せ、言葉を発した。
「……ふむ、いいでしょう。今夜の会合に、あなたを招待しましょう。また後で、この屋敷にあなたを迎えに来ます」
その言葉を聞いて、わたしは本当にうれしくなった。この男性が何者で、なぜ彼らを食べようとするのかなどどうでもいい。少しだけでも彼らを救うことができる、そのことだけが大事だと思った。

「そうだ、あなたの名前を聞いておきましょう。私は手塚といいます。あなたは?」
「ユウ、ユウといいます。あの、本当にありがとうございます!」
「いえいえ、いいんですよ」
そういった男性の顔には、優しい笑みが浮かんでいた。

首ザクロと若ザクロの親子煮
毎年この時期には首ザクロをいただいておりますが、今年はそれにこの首ザクロを育てた少女のザクロを合わせてみました。肉質の違いをお楽しみください。その少女、最近働きぶりが悪かったそうですんなりと譲っていただけました。売られた娘で友人もいなかったようなので、騒ぎになる心配はないとおもわれます。彼女も愛しい首ザクロたちと一緒になることができて、さぞうれしく思っていることでしょう。                                         手塚

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。