注目
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俺の人生は「注目」のせいで、おかしくなった。





……最初に「注目」の出現に気づいたのは、確か小学生1年か2年の時。発表会というか、学年ごとに分かれて劇をやるのが俺が子供の時にもあった。演目は流石に忘れたが、俺は数人の同級生と一緒に「悪役のイタズラに困るモブ」みたいな役だったと思う。

で、本番。さぁ、俺のセリフが来るぞ来るぞって所で、前の奴のセリフが途中で止まった。どうした…?とそいつを見てみると、じーっと無表情で誰も人が居ない舞台袖の方を見ていた。は…?と思った瞬間、異変に気付いた。

舞台上の俺以外の全員が。劇を見ている別学年の生徒や保護者、後ろで立っている先生達も。とにかく皆で、その舞台袖の方向を見ていた。目線の先には何もないのに。変な物も見えないし、気配も無いのに。

劇は完全に中断していた。不安になって、俺は少しキョロキョロしながら体を動かした。そしたらだ。嫌な感覚に襲われた。ジェットコースターに乗った時のように内臓が浮いた後、叩きつけられるような感覚だった。それは激痛を伴っていて、とにかく強烈な”不快で痛い”感覚だった。

地獄みたいな苦痛は、皆が注目している所を見てピタッと止まっていたら治まった。それから……たぶん時間にして30秒~1分位だっただろうか。そのまま見続けていたら、突然皆の視線が普通に戻った。劇は何事も無かったように再開した。俺はセリフを言えなかった。




劇が終わった後、同級生や先生なんかに聞いてみたが、「注目」の事は誰も覚えていなかった。都合が良すぎるホラー創作みたいに俺しか覚えていない。そのまま、俺は「妙な事を言いだした頭おかしい奴」と言う扱いになり、卒業までイジられ続ける事になった。

俺の学校生活を躓かせた「注目」は、それから年に1回くらいのペースで不定期に出現するようになった。授業中に皆で窓の外を眺めたり、白熱したバスケの試合中に皆で天井を見上げたりする事もあった。卒業式の際中に出現した時は流石にビビったけど。

完全に慣れだった。「注目」が出現して驚きはしても、恐怖心は無くなってきた。皆と同じように、何もない所をたった数十秒見てれば、不快で胃酸が込み上げてくるような感覚に苦しめられる事も無い。

また、「注目」は基本的に屋内に居る時だけ。5秒ほどの短い時間で終わった事もある。だから、大丈夫だと思ってしまったんだ。中学生になってから、家族と一緒に談笑中に「注目」が出現しても。

心を失ったかのように一点を見つめ続ける両親と共に、何故か砂嵐になったテレビ画面をボーっと見て、それで終わらせてしまった。「注目」が自分の人生を侵して来ている事の恐ろしさを想像できていなかった。




「注目」の出現は、高校生になっても、大学生になっても変わらず出現し続けた。定期考査中に皆で教室の端を見つめたり、合コンで女の子と飲んでる時に皆で居酒屋の床を凝視したりする事もあった。就活の時に面接のタイミングで出現して、そのせいで落ちた時もあった。

小学生の時にイジられ続けたトラウマから誰にも話さずに過ごしていたけど、この時くらいからかな。自分なりに色々と調べたりするようになってきた。

図書館に通って色んな本を読んだり、ネット上で情報を漁ったり。そのおかげか、それなりに色んな知識はついたと自分では思ってる。だけど、「注目」の正体についてストライクゾーンに入ってくる情報を入手する事は出来なかった。

働き始めて給料を貰うようになってからは、ダメ元でお祓いを依頼してみたり、病院で見てもらったりした。だけど、手ごたえは無かった。……どうにもならなくて、そのうち仕事が忙しくなってきて。どんどん「注目」に対して考える時間を割けなくなってきた。

というのも取引先にがむしゃらに何度も顔を出しているうちに親しくなってきて、初めて大口の仕事が取れたんだ。その仕事を成功させて、皆でお疲れさんの飲み会をした時、本当に幸福だった。それからドンドン仕事のやり方を覚えてきて、色々こなしていくうちに自信がついてきて。

一番ノッてた頃に彼女が出来て勢いで結婚して。娘が生まれて自分は人生のピークに居た。みるみる大きくなっていく娘を見守りながら、これからの人生、根拠なく上手くいく気がしていた。自分が頑張れば、このまま何とでもなると思ってた。




自分の人生が目まぐるしく動いている間も、ずーっと変わらず「注目」は年に1回ペースで俺の前に現れ続けた。いつしか、「注目」の正体を突き止めたり、何とかしようというのは諦めの境地に入っていた。

ただ、なんで自分だけ「注目」が現れても、“見なくてもいい自由”があるんだろうかと考えるのは継続してた。もちろん、見なきゃ内臓をかき混ぜられて、頭と腹がガツーンガツーンという痛さの波に襲われる。だけど、俺には其れを受け入れる自由が有る。

俺以外の奴は、あらゆる行為を強制的に中断され、思考も奪われて無理やり「注目」しなきゃいけない。そこに自由は無い。

答えが出ることは無かったが、いつしか「優越感」という根拠の無い結論でまとめようとしている自分が居た。どこか、俺は選ばれた特別な人間なんじゃないかと思ってた。

そう考え始めたのは、たぶん仕事が上手く回らなくなってきたのもあったと思う。中間管理職の仕事は想像以上に難しかった。上司はもはや若くない俺に過剰に期待をしてくる。良い奴なんだけど引っ込み思案で営業に向いてない性格の部下のケツを拭く毎日。数字が出なくなってきた俺に、長年の取引先は足元を見るようになった。

家庭もそうでも無かった。娘は年頃で容赦が無い。反抗期だと分かっているが、邪魔な汚物のように扱ってくる言動にどうしても傷ついてしまう自分が居た。勢いが無くなってきた俺に妻は関心を失い、俺の方を見なくなった。話しかけると、一瞬嫌な顔をした後、普通に話をしてくれる。その一瞬の顔が堪らなくて俺は妻に話しかけなくなった。

ただただ漠然と、生活が楽しくなくて。でもやらなきゃいけなくて。

そうして、愚かにも「注目」を心の支えにした直後だった。




ある朝。歩いて通勤していたら、少し前の小学生低学年くらいの女の子が3人くらいで固まって歩いてた。モタモタ歩いて、それでいて歩道の幅を目一杯とっていて、邪魔くせぇなぁなんて考えていた。子供が居る大人の考える事じゃないけど、それくらい余裕が無くてムシャクシャしていたんだ。

もしかしたら、顔に出てたのかもしれない。女の子たちはチラッと冷ややかな目で俺を見た後、向こう側の歩道に渡ろうと思ったのか、いきなり車道の方に飛び出した。

危ないとか思う前に、けたたましい急ブレーキ音を鳴らしながらバスが目の前に現れて、女の子の一人が視界から消えた。視界を下に向けると、女の子を歯止め代わりにしているバスの前輪が見えた。

完全に下敷きになっていて、下半身が腰の辺りから完全に潰れて、マヨネーズの容器を踏んづけたみたいにブチューッと、半固形状のぐにゃぐにゃした内臓が顔の方まで押し出されてきている。排気ガスの臭さと、キンと来る誰かの叫び声と合わさって、流し込まれるように鮮明に頭にその光景が焼き付いた。

目を逸らそうとした。だけど、明らかに悪意を持って狙いすましたかのように、初めて屋外で「注目」が起こった。ワンテンポのタイミングで助かったらしい一緒に歩いていた女の子も、不安そうに窓の方に顔を近づけていたバスの乗客たちも、そこらを偶々歩いていた人たちも。全ての人間が。


女の子の死体を、無表情でじーっと見つめ始めた。


即死したであろう女の子の目は、よりによって自分の方を見ていた。何を訴えかけるでもなく、不自然に苦しそうで引きつった顔をしていた。気持ちが悪いでは済まない死体の状況と、娘の小さい時が重なって、喉と口の中に酸っぱい塊が逆流してきた。女の子の方を見続けたまま、口を開いてスーツにかかるのもお構いなしに、吐き出した。

今回ほど、早く終わってほしいと思った「注目」は無かった。だけど明らかに長かった。感覚の問題じゃなくて、本当に立ち疲れるほど、じっくり女の子の死体を見せられた。

明らかに「注目」は悪意を持って、俺の前に現れていたんだと悟った。でなきゃ、こうなるわけがない。やっぱり「注目」は現象じゃない。「注目」は出現するものだったんだ。……ふと、初めて「注目」が俺の前に現れた時のことを思い出していた。


今の俺は間違いなく「悪役のイタズラに困るモブ」そのものだった。


「注目」に翻弄されている俺の人生に注目して、何が楽しいんだろうか。目線の先には女の子の死体しかないように見えるけれど、実は「注目」は俺の目の前に居て、ニヤニヤ笑っているような気がした。きっと俺に自由をワザと与えて、狼狽する様子に注目して楽しんでいるんだ。

耐えがたい恐ろしさを感じて、俺は静かに目を瞑った。押し寄せてくる苦痛の方がマシに思えて、俺はそれを受け入れた。




ふと目を開けると、俺は病院のベッドで寝ていたようだった。既に世界は動き出していて、忙しなくあちらこちらを歩き回る看護師さんが見えた。どうやら、目の前で事故を目撃したショックで気絶した事になっているようだった。それで一緒に病院に運ばれたらしい。

俺は少し安心していた。「注目」は年1回ペースで現れる。これから暫くは「注目」は現れない。

根拠の無い安心を噛みしめていると、妻が見舞いに来てくれた。会社から事情を聞いたらしい。妻は看護師から、その日の内には退院して、明日には会社復帰できると聞いて、心底ホッとしていた。まぁ、家族で働いているのは俺だけだから当然だ。俺も家や車のローンを考えると、会社を休みたいとは思えなかった。それに、仕事をしてない俺に家での居場所は無いのだから。

状況が分かると妻は自分に背を向け、さっさと帰ろうとした。だから、何となく「なぁ…」と話しかけた。なにか用事があるわけでも無かったが、何となく心細くて帰ってほしくなかった。妻は返事することなく、無言でこちらに振り向いた。あ、また微妙に嫌な顔をされる…って思った。

でも、妻は無表情だった。何を言うわけでもなく、ただ俺を凝視している。不安になって、何かを言いかけた時、妻の奥に居る看護師も俺を見ていることに気付いた。横に居る患者も、他の見舞客も、俺を見ていた。


俺は皆に「注目」されていた。


いつか絶対に恐ろしい状況で俺は皆に「注目」されるのが確信できて、だけどそんな自分の想像を易々と超えてきそうな気もして。本当に怖くて許してほしくて、子供みたいに泣きそうな自分が居た。

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