豪州式ルールのドラッグレース
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Three Portlands
Augur-Haruspex

The End Is Nigh


終焉は近い
スリー・ポートランド 2020/3/13(金) $3.25/£2.50/₿3.5e-5

AUSTRALIAN RULES DRAG RACING

AUSTRALIANS RULE AT DRAG RACING


豪州式ルールのドラッグレース
ドラッグレースにおける有力な豪州人たち

(非公式)スポーツ特派員 ソフィア・ホーゲン


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豪州人達は本当にACDCが — 現地のガイドは「アッカ・ダッカ」と呼んでいた — 好きらしい。

ニューサウスウェールズ州シドニーより — モータースポーツを私の性的パートナーに例えるなら、ドラッグレースは高校時代のボーイフレンドであるグレン・ロバートソンとのプロムの夜にあたるだろう。期待はずれで、あまりにも早く終わってしまったあの夜は、私を日和見なバイセクシュアルから本格的なレズビアンへと変貌させた重要な転換点の1つだった。読者はこの比喩が最後に私から逃げ出したのだろうと思うかもしれないが、それは間違いである。私の出身地はワシントン州東部の小さなクソみたいな町で、10代の若者がヤクをキメて妊娠する以外にすることといえば、時間とお金をかけてクラシックなマッスルカーを修理している男達がメインストリートをクルーズしているのを見ることくらいしかなかったのだ。その男達の中の1人が、実は男ではなかった。彼女の名前はカイリーといった。まさにその言葉から連想されるような、煙のように熱いブッチなメカニックだった。グレンと別れたのは彼の早漏が私のコサージュを台無しにした約18時間後、そして、その3時間後には、私はカイリーの車の後部座席で、性的絶頂による体外離脱を体験していたのだった。

カイリーとは大学進学と同時に別れた — 険悪な別れではなかったし、実は今でも帰省した時、かつ他にパートナーがいない時には体の関係を持つことがある — しかし、私のこのスポーツへの欲求は消えることはなかった。残念ながら、普通のドラッグレースは、どんなにセクシーなドライバーでも、どんなに速い車でも、私にとっては物足りないものだった。この話は、編集者と私がスリー・ポートランドの見窄らしいダイブバーで大いに盛り上がっているときに出てきたものだ。私たちはアルティメット・ワームウッドプリンセス・デスバスタード・セブンという、アメリカの全州とカナダの殆どの州で禁止されている程の強力な日本のアブサンを飲みながら、より厄介な変態について議論していたのだ。丁度編集者が、なぜトラックとファックするドラゴンの性的なイラスト1を依頼するのか、40分間に渡る独白を始めるところだった。フレンドリーなサイボーグが、私たちの正気を救うために割り込んできて、 — レイキャビク経由グラスゴー訛りだろうか、全く理解不能なアクセントで — オーストラリアではドラッグレースがサッカーと同じように行われれるのだと私に教えてくれた。つまり、突然、激しく、あちこちで。

当然、私は興味をそそられ、それについて更に聞き出そうとした。すると彼は、太平洋を遠く超えた先にある、ビラボンとバニップとボーガンの住む、暖かい海と温いビールの国について話し出した。その国こそ、唯一無二の豪州ドラッグレース協会、即ち、物理学やら秘密主義やら道徳といったものは些細で狭量な問題だと考える連中の集団の本拠地なのだ。それは何としてでも見に行くしかない。もしそうしないのなら、それはジャーナリストの誓いへの、そして、改造ヒュンダイで性的霊知体験を得る自分自身の若さへの裏切りである。翌朝、編集者も私も当然このことを全く覚えていなかったが、私は前もって、J・ジョナ・ジェイムソン・ジュニア・ジャーナリストのテープレコーダー2にこの会話を全て録音しておいたのだ。その夜、編集者は口頭で許可してくれたので、私は尋ねるまでもなく彼の財布から会社のカードを取り出し(彼はいつものように私のソファで気を失っていた)、OZ行きの次の便に乗るためにポートランド国際空港に向かったのだった。3

二日酔いの2日目にシドニーに降り立ったのだが、15時間ものフライトの前半は、飛行機酔い用の袋に何度も空吐きを繰り返して過ごした。隣の席に座っていたカナダ人の若いカップルは、非常食のプーティンを快く分けてくれた。この素晴らしく思いやりのある心遣いに、私はケベック人に対する強烈で不合理な憎悪を考え直すところだった。しかし、着陸の時、彼らはお揃いのフルール・ド・リスのロザリオを取り出し、偽のカトリックの神に対し似非フランス語で祈り始めた、このことは彼らの本性を私に思い起こさせた。飛行機を降りるとき、私は彼らに口内炎が出来るよう呪った。(もちろん、これは気持ちの上でだけのことである。もし私が飛行機の出禁リストに載るとしたら、その原因は民間航空会社での非認可の魔術行使よりもっと刺激的なものであってほしいと思う。)

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ブレンダ。美しいと思わない?

私は生意気で小さなカメレオンチャームを使って税関をスキップした。というのも、手荷物の中にアルティメット・ワームウッドプリンセス・デスバスタード・セブンの余った1本が入っていて、それはオーストラリアでは法的に化学兵器として分類されているからだ。そして、空港からオーストラリアの明るい太陽の下に出て、ADRAの担当者に会った4。担当者は紳士的な男性で、競技用の名義を「スリー・ソング(Three-Thong)」と言った。名前の由来を尋ねると、彼が好んで使っているレーシングギアからきているとのこと。「足には2つのソング、尻には1つのソング5」。幸いなことに、私が彼に会ったとき、彼はズボンを履いていた。実際には、ジッパー付きのカーゴショートパンツで、片方の裾にジッパーはなく、もう片方の裾にはまだついていた。これなら殆どズボンと言っていいだろう。彼は私をゴミのような古い「ユート」で迎えに来た。これはピックアップトラックとセダンのハイブリッドみたいなもので、このような物は他には存在しないと思う(それには理由がある、見た目が悪いのだ)。本当のことを書くが、メーカーと車種は「スバル・ブランビー」、TTは彼女を「ブレンダ」と呼んでいた。サウンドシステムでスラッシュメタルを鳴らしながら、私たちはサーキットに向かった。

シドニーに最も近いADRAの競技場は、ニューサウスウェールズ州のブラックバットとクイーンズランド州のブラックバットの両方からアクセスできる超次元空間、ツー・ブラックバットである。世界一ヤバい都市の住人達にとっては、これはちょっと鼻につく、皆さんお気に入りの英米のミニ宇宙の南半球版のパクリだと思うかもしれない。だが、名前というものには常に力があり、スリーポートのような次元は想像以上に一般的だ6。ヨーウィー7が出没して一時は閉鎖されたらしいが、オオヒキガエルを導入して退治したそうだ — オーストラリアでは昔からよく使われているもので、今後も問題になることはないだろう。

ブラックバットに到着する頃には、2人ともクスリがキマってしまっていた。TTは、中指ほどの太さと長さのある大きなマリファナ煙草を瓶いっぱいに持っていて、シドニーからの道の途中、それを何度も受け渡していたのだ。1時間半くらいで4、5本は吸っただろうか。当然のことだが、窓は閉めていたので、刺激的でねっとりした霧に包まれて、吸い込むたびに粘膜がTHCでコーティングされたような感覚を受けた。運転はブレンダがなんとかしてくれたし、彼女がやらかしたのも数回だけなので、心配ご無用だ8。とにかく、私たちは郊外のストリップモールの裏にある林に向けて車を走らせ、煙の立ち込めるドアを出て倒れこみ、TTの仲間が迎えに来て実際にサーキットに向かう時が来るまでの1〜2時間だけ、その芝生の上で軽く昼寝をした。

ツー・ブラックバットに入り込むには、運び入れたいものの周りにユーカリの枝で輪を作り、火をつける必要がある9。ユーカリは簡単に燃えるし、それをガソリンに漬けておいたとしても"道"は機能するので、輸送の限界量を決めるのは輪の大きさだけだ。実際、火をつけるまでの間に — 駐車場に移動してから行ったので安心して欲しい — トラック2台分の枝で作った輪の中に十数人の人間と、ほぼ同数の車が詰め込まれた。この時点ではまだかなり酔いが残っていたので、いつ転移したのか気づかなかった — ブレンダの中に戻って追加の昼寝をしていたような気もするが、定かではない。意識が戻ったとき、私たちは競技場にいて、何も通り抜けられないほど密な木々の壁に囲まれていた。

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ツー・ブラックバットのドラッグ・ストリップ。左の男は「ゼフォ」と名乗ったが、これが(酔っ払っているせいで)不明瞭に発音したのでないことを祈る。

最初の数レースは、残念ながら平凡な車のレースだった。ほんの少しのアミューズドゥーシュ10、あるいは高級レストランで最初に出される、どんなに美味しくても一皿丸ごとは食べさせてもらえない一口料理と言ったところだ。私はこれらのレースに殆ど関心を払わなかった。理由の1つは — 先にも述べたように — 通常のドラッグレースにはもう興味がなかったからだ。もう1つの理由は、飛行機で食べたチキンパルメに復讐され、トイレに20分も閉じ込められることになったからだった。この時ばかりは人を殺すことを考えた。しかし、私は(他の誰もがそうするように)この排泄を生き延び、本番のアトラクションが始まる時間に合わせてスタンドに戻った。

最初に魔法を使ったレーサーの1人は、我が友人スリー・ソングだった。彼は約束通り、ビーチサンダルにパンティーという出で立ち — 安全のためにドライビンググローブとヘルメットも装着してはいたが — で現れた。そして私は、彼がなぜ半裸の状態でやって来たのかを理解した。彼の顔以外の皮膚の全ての1インチ四方、或いは1センチメートル四方かも知れないが、ともかく、その全ては複雑な魔法のタトゥーで覆われていたのだ。その後、彼にそのことを聞いてみた。曰く、「コイツはタイで入れた。僧侶がタダでやってくれるんだが、何かを諦めるという誓いを立てなきゃならねえ。この腕の為に諦めたのはマックだ。それから、背中に入れる時はラガーを断つと誓った。そのあと…あー、その、アソコに入れるために、他の全ての酒を断つことを誓わされた。ラガーだけというのはチョイとインチキだろうと言われてな。そんで左足はウォークラフトだ。まるでケブラーで完全防護してるみたいだろ?全く完璧に守られてる。それでも内臓の傷は心配だが、まぁそれに関しちゃ普通のレース用防具使っても意味ないしな。それに、ズボンを汚したくないから服は着ないんだ。分かるだろ?Tバックは安いんでな。」とのこと。ハードコアという他ない。

TTのドラッグスターが古き良きブレンダであると聞けば、読者の皆はさぞ驚くことだろう。その醜いユートの中に、TTは特注の5気筒アブラメリン-ウラム式タービンを搭載していた。これにより、驚くべき効率で悪魔の共鳴を純粋な運動エネルギーに変換することができるのだ。エンジンをかけるには、その心臓部の格納容器に悪魔を呼び出さなければならない。学生時代に悪魔学の講義を受けたことがあるが11、彼のやり方はディアの神聖な学び舎で教わったものとは全く違っていた。それらは、悪態をついたり、物を蹴飛ばしたり、時には鉛と銀のスパナでエンジンの一部をつついたりといった行為に見えた。そして、満足いくまでエンジンが落ち着いたところで、彼はボンネットの下に生きたニワトリを放り込んで、バンと閉めた。すると、恐ろしい肉の音が響き、羽毛が舞い散り、エンジンが轟音を立て始めた。テールパイプからは黒い炎が吐き出され、硫黄の煙がコース全体を臭気で染めた。

彼の対戦相手は黒いレザーに身を包んだ謎の人物だった。カーボンファイバーのヘルメットから鋼鉄のつま先のブーツに至るまで、1インチたりとも肌を露出させていないのだ — 唯一の例外は、指抜きのドライビンググローブから覗く指先だった。彼女が乗り込むのは、1970年モデルのプリムス・バラクーダ。その車は上品なラベンダー色の外装に、リサ・フランク風の虹色のチーター柄プリントと金色のヘビ革をアクセントにした内装が施されていた12。彼女が車から降りた瞬間から、私は自分自身の同性愛的視線を彼女から外すことができなくなった。感想は詳しく述べないが、グラフィックだったとだけ言っておこう、しかもその時、彼女は指抜きグローブを着けたままだった。その時、実況がレースとドライバーを紹介し始め、私の夢想は中断された。「続いて、悪魔の部!右手のクラシック・スポーツ・ユート、ドライバーはご存じ、スリィィィィ・ソォォォォング!」拍手喝采は耳をつんざく程だった。我が友人TTは、明らかに皆のヒーローだった。「左手に控えるのは、我らが美しき海岸にやってきたニューカマー!遠く離れた異国の地、北イングランドから現れた1970クーダ、ドライバーはザ・ルーキィィィィ!

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実はルーキーの車の写真を撮るのを忘れてしまった。この車はかなり似ているので代わりに載せておく。

この「ルーキー」に対する観客の歓声は、スリー・ソングに負けず劣らず大きかった。彼女は既にここで評判になっていたのか、それともただ速い車と無料のビールのお陰で興奮した気分だったのかは定かではない。2人のレーサーが観客に手を振ってから車に乗り込むと、再び歓声が上がり、そして彼らはエンジンをかけた。まあ、TTのエンジンは既に始動していたのだが。では言い直そう。ルーキーはエンジンをかけた。ここで言う「エンジンをかけた」というのは、彼女が注射器を腕に刺して発泡性のオレンジ色の液体を静脈に流し込み、テープカセットをデッキに手のひらで叩きつけたということだ。モトリー・クルーの「ドクター・フィールグッド」の最初の伴奏が窓から吹き出し、車が変形した。

運転席のドアを起点として車体表面に波紋が広がり、光沢のある金属がざらざらとした鱗に変化していった。ヘッドライトから飛び出した角は、上へ上へと曲がり、ボンネットに突き刺さり、血を流した。フロントグリルが裂けて、ギザギザの歯が並んだ壊疽にかかったような口を見せた。その隙間からイボのついた舌が伸び、モーターオイルの唾液を下のコースに垂らしていた。タイヤは黒い骨に、バンパーは灰色のキチン質に。そして、その中で、シートというより肝臓のようなものに収まっているのはルーキーだった。彼女の目は、彼女自身の — そして彼女の愛車の — 静脈を流れる悪魔ドラッグと同じオレンジ色に輝いていた。ここに明記しておこう、私の今までのクソッタレな人生の中で、あんなにセクシーなものは一度たりとも見たことがない。とにかく、変形が完了すると、実況がお決まりの「位置について、用意、スタート!」を言い、彼らは走り出した。

レースはスタートからゴールまで約13秒。次のセクションの大部分は、私が後日集めたスマホ撮影の映像と、目撃者の証言(ほら、私は本物の記者だから!)で構成されている。私はスタートラインの近くに陣取っていたので、その殆どを見逃してしまった。さらに、私は足が遅い上に、ハッパのせいで遠隔視の超能力が効かなかったので、追跡することもできなかった。それに、そもそも私には超能力なんてなかったのだから。私の自覚する限りでは13。ここからはシートベルトを締めて(私は読者諸君のママではないし、そうなりたくもないので、締めたくないならご自由に)、ハードコア・レーシング・アクションに臨んでほしい。

両者ともテールパイプから黒い炎と硫黄のような黄色い煙を吐き出しながらスタートラインを通過していった。その間に明確なリードはなく、1秒半ほどで明らかな妨害工作が始まった。スリー・ソングは何処からともなく吹き矢を取り出し、ルーキーの開いている窓に向かって超音速に近いスピードで矢を放った。彼女はそれをキャッチして、彼に投げキッスをし、自分の首筋にそれを刺した。どうやら、彼女はこれによってスピードアップしたようだった — 彼女の体内にあった他のあらゆるゴミとの間で奇妙な薬物相互作用が起きたのだろう。お返しとばかりに、ルーキーは巨大なハンドキャノンを取り出し、スリー・ソングに向かってぶっ放した。彼はブレンダの車体にダメージが入る前に手のひらで弾を逸らし、呪文のようなものを唱えはじめた。するとルーキーの前のコースは、まるで皮膚の下にミミズがいるかのようにうねり始め、携帯電話のカメラには、アスファルトから触手が立ち上がり始めた様子まで写っていた。しかし、ルーキーの車が跳ね上がり、地上0.5メートルほどで浮遊し始めたので、TTは呪文を諦めた。そして、ルーキーがロケットランチャーを取り出したときだった。

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約束しよう、これが最後の車の写真だ。ポミー・ピートのジェームズ・ボンド・カー。とてもお洒落。

彼女はクルーズコントロールのボタンを叩き — 残りの距離を考えると不必要だっただろうが、ドラマチックな演出ではあった — そして窓から身を乗り出し、TTのボンネットに向かってロケット弾を1発、完璧に至近距離から発射した。ブレンダのエンジンは煙を吐き、ルーキーは約1/4車身の差でリードし、レースの勝敗は決したかに見えた。しかし、スリー・ソングはその名に恥じず、まだパンツの中に秘策を抱えていたのだった。彼は助手席のバッグから — つまりは私のバッグから — アルティメット・ワームウッドプリンセス・デスバスタード・セブンを取り出し、センターコンソールに隠された小さな漏斗に注いだ。そして、ここまでのドライブの最中には触らせてもらえなかった、超セクシーな赤いボタンを押すと、ブレンダのトラックの荷台から、巨大なロケットエンジンが持ち上がったのだ。液体酸素、違法な強烈アブサン、そして黒い羊の血、それらのカクテルがロケットの点火室から噴出し、2人のレーサーがゴールに迫る中、ブレンダは最後のスピードを出した。その結果、ゴール直前で両車は息を呑むほどの接戦を繰り広げ、アスファルトの上にゴムと骨の燃える軌跡を残しながら停車した。写真判定の結果、ブレンダの排障器が、ルーキーの昆虫バンパーに対し、髪の毛の太さ程の差で先にラインを通過していた。

ルーキーは潔い敗者だった。薬物が体内から消えると、ゆっくりと元の形状に戻っていく車から身を起こし、スリー・ソングと握手を交わした。今にして思えば、この握手は必要以上に長く、しかもかなり含みのあるアイコンタクトだった。しかしその時、私の頭の中では指抜きグローブのビジョンが踊っていて注意散漫だったので気がつかなかった。私はルーキーに簡単に自己紹介をした。彼女は後で簡単なインタビューをすることに同意してくれた。私はウインクをしながら「プライベートで」と指定したが、彼女は目を逸らしていて、私の挑発に気づかなかったのだと思う。他の可能性について考える場合、私自身の驚くべきレズビアン的カリスマ性に対する評価を見直す必要が生じるが、私の自意識はその種の自己反省に対して余りにも脆弱である14。ともかく、次のレースに向けてコースが清掃された後、約束のインタビューをするために彼女を探しに行くと、仮設トイレの列の後ろで彼女を見つけた。

ルーキーの立派な車の横で、ブレンダが前後に揺れていた。窓は鏡張りで、プライバシーを守るためのものだろうが、時々、窓を押さえる手によって、その効果は一時的に損なわれた。ある手は神秘的なタトゥーで覆われており、またある手は黒いレザーの指抜きグローブを着けていた。その後、1日の残りの時間を放心しながら過ごしていた所、「ポミー・ピート」というレーサーに乗せてもらうことになった。彼はイギリス上流階級訛りの英語を話したが、偽物としか思えないほどハキハキしていた。ピートはアストンマーティンに乗っていたが、これは元々「映画のボンドではなく、本物のジェームズ・ボンドが持っていた」ものだったと言う。当然、私は彼の言うことを信じなかったが、この車には脱出シートがあったのだ。もしかするかも知れない。

ピートは私をオーストラリア式ルールのドラッグ・ストリップに猛スピードで連れて行ってくれた。そこで見た不思議な光景は、新聞のスポーツ欄1ページ分にもなるだろう。1881年頃のパースの街角を幽霊動力の骨格ワゴンが吠え進み、クラッシュしたポンティアック・ファイヤーバードから本当にフェニックスが飛び出して100メートル四方の塩田を黒いガラスに変え、一卵性双生児のサイボーグ同士が競争して勝者が敗者の肉片付き部品をトロフィーとして選ぶ、そんな光景だ。しかし、私の抗議にもかかわらず、アウグル・ハルスペックス紙では毎号、スポーツジャーナリズムの高尚な作品を紹介するスペースが限られているので、ここで全てを紹介しきれない15。ソフィア・ゴーズ・ダウン・アンダーの他のエピソードは、私の秘密のブログで見ることができる。このブログは、素数の日付の日の間、公立図書館のコンピューターからのみアクセスできる。

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