異常とは何か。
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記事のコンセプトや、書きたい事、書くべき部分を書くところです。いわゆる自著語りです。ネタバレ注意。
タブを見ただけじゃ何の記事か分からないと思いますがご安心ください、タブを開けばすぐそこにメタタイトルが書いてあります。
「インタビューのない記事を書きたい」という思惑の元で書いた記事です。
当時の私は実に新進気鋭で、そして愚かでした ― 私は入りたての頃、「最近の記事はインタビューばかり使っている」と思っていました ― もちろん実際にはそんな事はありません。とにかく、当時の私はインタビューに辟易していました。インタビュー等に頼らず、理論的かつ客観的に構成された記事こそがかくあるべき姿だと思っていました。
そんな気持ちから書いたのがこの記事です。ちょうど記事を書く前にSCP-2050-JP - 誰とSCP-5140 - エベレストを読んでいた事に影響されました ― いずれも、最後の一文で強く読者を惹きつける構成です。私はその構成を模倣して記事の最後の一文を書きました。
私は伝承系SCPも当時好きでした。そういった経緯から、異常性を都市伝説である人体自然発火現象と組み合わせる形で記事を書いていきました。当時は記事の構成や物語構造などについて全くの無知でしたが、上手い事記事が完成し、そして著者ページを制作してから劇的に評価が伸びた事を嬉しく思っています。
アイテム番号のSCP-2150-JPは、2050-JPをモチーフに近付けるために数字を近いものにするためにしました。
タイトルの「メルティング・ホワイト」は、東方projectより霊烏路空(れいうじ うつほ)のスペルカード、"熔解「メルティングホワイト」"に由来します。タイトルに使うくらい、当時は東方が本当に好きでした(今も好きです)。
実話SCP。これは私の実体験を基に書いています。が、別に私と母の間にある確執は深くはなく、むしろ良好な関係を築けているといってもいいです。しかしともかく、見られる事に対する恐怖と不安は、実に抗い難いものなのです。そしてそれと同様、見る事に対する背徳感というのもまた、抗い難いものなのです。
テーマは、「正常とは何か?」です。正常と異常を分けるものは何か、どこまでが正常でどこからが異常なのか、というものを題材としています。故に、この記事において誰が異常だったのか、真に異常だったのは何か、それは明示していません。私は読者にそれを考えてほしかったため、そのような構成にしました ― 描写を曖昧にしているため、読者によって何がこの記事における異常だったのかは異なる解釈となるでしょう。もちろん自分の中で回答はありますが、それを明示する事はありません。
本来私はこの経験をSCPにするつもりはありませんでした。ですが近年、インターネットの普及によって私と似たような状況に追い込まれている人がいるという事や、私の中にある恐怖や不安を誰かに伝えたいという目的から、これを書く事に決めました。一般的に、インターネットの普及で人と人との距離はかなり近くなったとよく言われますが、それは見知らぬ人同士の距離だけでなく、親子の距離さえも近付けたと思います。
この記事では、インターネットの普及と親の過干渉をテーマにしています。インターネットの普及により人と人との距離は実に近くなりました ― それは見知らぬ人同士の距離だけでなく、親子の距離もです。親子とはいえ、互いに侵すべきでないプライバシーの領域はあります。自由であるべき外出時の行動や、自室での行動などが挙げられます。これまで、そういった領域は物理的な障壁や距離によって侵されずに済んでいました。しかしインターネットは、その領域にいとも簡単にアクセスできるようにさせたのです。子を見守りたい親は、倫理や配慮の壁を越え、見守りを越えた"監視"を無意識に行うようになります。この記事は、そのケースの1つです。
こういった事例は将来増えていくでしょう。誰しも見られる事に辟易していると同時に、誰かを見たいという欲求を持ち合わせています。インターネットやAIなどの統合的な技術はその欲求に応えるのです。それはとても静かな狂気であり、何者も気付けない孤独と共に侵食していきます。この記事で描写されたもの以外にも、近代技術を介した精神的圧迫は実に多様に存在しているのです。
将来こういった事例が浮き彫りになり、社会問題として提起されるような事があれば。そんな時、この記事を見返してほしいと思っています。この記事は社会問題の提起を意図して書いた訳ではありませんでしたが、記事を通して多くの人がこの現実に確かに存在する問題を知ってくれたなら、それは私にとって嬉しい事です。
狂気的な展開、不自然な会話、演技的な行動、異常な実験記録、派手なCSS。実際のところ、これほど妙な要素を沢山入れたために評価は得られないだろうと予想していました。ですが結果的に2日でテレキルを越えた異例の作品となり、良い方向性で話題を獲得できた事は本当にありがたいと思います。この記事は私にとって名声を広げ、今後の財団での活動を変える分岐点となりました。改めて、この記事に関わってくださった皆様に感謝を申し上げます。
アイテム番号のSCP-2299-JPは、何かいい感じにXX99があいてたのと、2299が打ちやすいのでここに登録しました。
タイトルである『正常恐怖症』の意味は、読者にお任せします。作品を読む前後で意味合いが変わるでしょうし、どんな感想を抱くかでも捉え方は人それぞれでしょう。
Karathh氏との共著作品になります。
6000コンテストが開催されるという情報がTwitterを飛び交い、感嘆していたら、Karathhさんから共著のお誘いがきたため、困惑しながら引き受けました。私が共著なんて本当にできるのかと思いながらDMでブレスト等を行ったのを覚えています。Karathhさんは実に熱意とたくらみのある方で、実際のところアイデア考案や原案はほとんど氏が行って下さいました。
勢いのまま原案を批評に出しましたが、幾つかの問題が指摘されたため、改稿の必要性が出てきました。そこで私は、Karathhさんに頼りっぱなしじゃまずいなと思い、どうにかこうにか改稿を1人でやり切りました。結果として締切4日前くらいに記事が完成しましたが、英訳していただくKarathhさんに申し訳なかったな、と今でも思い出します。
この記事は最終的に90作中70位を獲得しました。奮った結果ではなかったものの、共著の過程を通して大きく成長できたと思います。ほとんどKarathhさんの尽力によるものが大きいのですが、初めての共著、そしてENへの投稿というハードルの高い作業を乗り越えた達成感は凄いものでした。
記事のコンセプトについて。6173のナンバーが示す通り、彫刻 ― そしてそれを包括する芸術の原点(Origin)です。古来より、人間と芸術の関連性は深く人類史に根強く残っていると思います。また、芸術というものは、あらゆる生物の中で人間だけが有する固有の概念であるとも思います。
古来より、ヒトと芸術は深い関係性を以て人類史に刻まれています。そして芸術は、あらゆる生物の中でヒトだけが有する固有の概念です。ヒトは芸術と共に歩んできて、そしてこれからも歩み続けます。時には芸術と支え合い、芸術に絆され、芸術に救われながら、未来永劫朽ちることなく歩み続けるというものをテーマに据えています。芸術はヒトに担保された権利であり、そして普遍的で誰でも表現する事のできる概念です。その方向性やブーム、在り方は時代と共に変容するでしょうが、芸術はヒトが滅ぶまで続いていくでしょう。
また、記事に使用した画像はトリックスター、日本の彫刻家である浅野 暢晴氏のものです。浅野氏の作成したトリックスターを収めた画像は1084-JP、1730-JP、1731-JP、2173-JPに使用されており、今回はそれにSCP-6173が追加される形です。この場を借りて、改めまして画像を使用させていただき誠にありがとうございました。
アイテム番号であるSCP-6173は、SCP-173「彫刻 - オリジナル」からです。
タイトルである「芸術 - 原点」は、そのまんまの意味もそうですが、173がオリジナルOriginalである事から、それをモチーフとして原点Originとしました。
正常性が崩壊する記事です。
1度くらい世界滅ぼしときたいなと思って書いた記事です。なので、作中で全生命と宇宙を滅ぼしています。目的達成。
「正常であるという恐ろしさ」をコンセプトにしています。財団世界には異常が溢れており、職員はそれをよく知っています。ですから、異常が半ば当たり前のものになっている、という事です。そして、それを加味した上で「現実除外」という、あらゆる異常を受け付けなくなる「超正常」の空間に居たとしたら。そして、その空間で強大な異常が猛威を振るっていたら?
猛威を振るうのを安全な場所でただ傍観する事になるでしょう。絶対に安全で、絶対に正常であるからこそ、異常が空間外を嬲り、撃滅していく様を、無力感や罪悪感と共に長く味わなければならないのです。
オブジェクトそのものの解釈は読者に任せます。「オブジェクトは単なる正確な正誤判定機であり、職員は絶望の面持ちで、死を待ちながらそれに縋っている」と解釈するも良し、「オブジェクトが実は過去改変を引き起こすオブジェクトであり、職員の不用意な行動で世界が滅んでしまった」と解釈するも良し。
ただどちらにせよ、現実除外サイト-VOXという正常空間にいた人物の誰もが、避けられない死に怯えながら2980-JPを使用していたのは変わりないのでしょう。
アイテム番号であるSCP-2980-JPは、見やすいであろう位置だなと思ってここにしました。あと打ちやすい。
タイトルの『正常崩壊』は文字通り、世界から正常性が崩壊するという意味です。
これは物語ではありません。
これは怪異ではありません。
これは民俗学ではありません。
これはホラーではありません。
これは最初で最後の、あなた方に捧げる呪いです。
呪いとは何でしょうか?悪意があるもの?悪影響を及ぼすもの?楔となるもの?定義は人によって様々でしょう。ですが私にとって呪いというのは、「知る」事です。知ろうとする事は近付く事であり、そしてそんな無責任な行為の先に仕掛けられているものを、私は呪いと言います。
元々考察させる事を目的としてるので、ここで話せる事はあまりありません。この記事で意図した事、仕掛けた呪い、そしてその末路、それをここで表明する事は難しい事ではありませんが、説明してしまうと記事の不可思議さ、玄妙さ、想像性を損なわせてしまいます。ですから、ここでは多くは話しません。
ただ言うなれば、これは物語でも、怪異でも、民俗学でも、ホラーでもなく、そしてSCPですらないかもしれないのです。ただただ純粋に、これは私が貴方を呪うために構成した文章で、記事全体を合わせて1つの巨大な呪詛であると言ってもいいでしょう。情報が錯綜しているのも、一見しただけではよく分からないのも、話に結び付きが無いのも、「財団」という文字列が無いのも、意図的な表現です。
もし考察目的でここを訪れた人には申し訳ないですが、考察に役立つ情報はここにはありません。すみません。
この記事は、実に賛否両論でした。ディスカッションを見ればお分かりかと思いますが、数多くの賞賛と批判が寄せられています。ですがそんな中でテレキルを達成できたのは、実に嬉しいことです。動画化も沢山していただけて嬉しい限りです。
もしこの記事を読んで本当に体調が悪くなったり、長期間にわたって不合理な現象が続いた場合、お祓いを検討してください。流石にもう大丈夫だと思われますが、この記事は悪意を持って呪う事を意図して投稿しましたし、そしてその呪いを機能させる文字列が過去、含まれていました。現在は改稿により問題のある文字列を削除しましたから大丈夫だと信じたいものです。
アイテム番号であるSCP-2520-JPについては、9が関係しています。
タイトルである「玖虞攣」は、その名の通りです。
初の未解明異常(URA)ファイル記事です。元々は普通にSCP報告書記事だったのですが、複数人からURAの方が良いとの指摘を受け、URA報告書として大幅に改訂しました。
ところでURAというと昨今はウマ娘のURAファイナルズが思い浮かびますね。私の推しはセイウンスカイです。毎朝髪を梳かして、膝に乗っかってもらって一緒にお笑い番組でも見ていたいな、と思わせる魅力があります。
話を戻しますが、この記事のコンセプトは「限界集落×近未来」です。集落だからこそのお話はないかと思っていたところ、縁あって「限界集落の課題を解決するために最新技術を持ち込んだ支援を行う」という話を聞いたため、「これだ!」と思いました。集落といえば特有の風習や習わし、儀式や文化などがよく創作の題材として挙げられますが、集落と近未来という複合的テーマは中々前例がない、新しい創作テーマだったと思います。
結果、URAに改稿するまでは+40程度でしたが、改稿して情報を加えたら+60まで上がりました。私はいつも+50越えを目標としているのですが、今回も越える事が出来て嬉しく思います。ちなみにこの記事は、初めて私が精神を不安定にさせずに書けた記事です。2150-JP、6173、2980-JPの時は締切に追われてましたし、2520-JPは鬱状態で書いた記事でしたが、URA-2722は思いついて2時間で書いて勢いで投稿しました。楽しかったです。
粟之村とは何でしょう?粟之村という村を構成する人、物、風景、建物、そういったものはデータ化され、維持という概念に基づいて機械的に構成されます。思うに、この村は維持に支配された空間なのでしょう。そこには明確な敵もおらず、ただ何も知らない住民と、データとなった空間、自動維持システムがあるのみです。
維持と近代は密接な関係にあります。例えば、脳に刺激を与えて感情を平坦化させる実験。村全体に光ファイバー網を形成する地域活性計画。適切な交通網を形成するためのインフラ整備。近代技術は、何かを維持するために用いられます。衰退していく地域の維持や、会社の地位を維持するための新商品の開発。挙げようと思えばいくらでもその例を挙げられます。
もしかすると、維持と近代というテーマは、創作においてまだまだブルーオーシャンなのかもしれません。
アイテム番号であるURA-2722は、出来る限り人から覚えやすい数字を選びました(2772でも良かったかもしれない)。
タイトルである「停命」は、文字通り「命が停止する」という意味です。「終わる」でもなく、「息を引き取る」でもなく、ただただ「命」という維持機構が機械的に停止してしまう、という事です。
「玖虞攣」や「正常恐怖症」と同じく『見る』という概念をテーマとしています。玖虞攣は『見るという無意識』、正常恐怖症は『見るという狂気』、そして今作の捌縁は『見るという無責任』がテーマです。
人間の五感について考えてみましょう。これらを動詞にするなら、「見る」「聞く」「触る」「嗅ぐ」「味わう」と言い換える事ができるでしょう。この中で「味わう」「嗅ぐ」「触る」の3つは無意識にも出来るものの、ある程度そこに意識を向ける必要のあるものです。味合うには口に物を入れ、嗅ぐにはその媒体に鼻を近づけ、触るには物に手を近付ける必要があります。
では、「聞く」「見る」の2つは?先に述べた3つと比べると、実に無意識に用いている事がお分かりになるでしょう。聞く、見るという行為は、受け身で成立するのです。私達は聞こうとせずとも車が風を切る音を聞けて、見ようとせずとも目の前に広がる風景を見ることができますから。
ここでは、そんな無意識な行動の1つ、「見る」事に基軸を当ててみましょう。「見る」というのは、最も安易な行動です。そして安易な行動の割に、「聞く」事と比べて脳に大きな負担がかかります。これは視界が高画素数の多彩な色と立体で構成されているためであり、無意識でも見た情報を処理するのに多大なエネルギーを消費する事になります。
そして見るという行為は、継続するのが難しいものでもあります。私達は常に視野に集中し続けることが出来ません。見るという行為は無意識になりやすく、意識を向けにくいのです ― そしてそれは、視覚として認識した危機に対し脆弱になりやすいという事を意味します。
例えば、爆発が近くで起こった時の事を考えてみましょう。その事象は、視覚だけでなく聴覚や触覚と併せて感じる事で即座に危機を認識できます。では逆に、道端に人が倒れている時は?その事象は聴覚や触覚では感じられず、視覚でしかそれを感じる事が出来ません。そのような状況の時、道端に人が倒れているという危機に対し、気付くのに大幅に時間が遅れる事になるのです。これは私の実体験なのですが、私は人が倒れているのを認識して10秒ほど後に初めて目の前で起きている危機に気付きました。要するに、視覚情報だけでは危機に対し実に気づき難く、反応が大幅に遅れるか、気付かない事さえありうるのです。
自著にある最初の警告文、これがこの記事の狙いです。先程「視覚情報だけでは危機に気づけない」と述べましたが、それを体現するために配置した文章になります。警告文には「適切なクリアランスを持つユーザにのみ下に"閲覧"ボタンが表示される」と書かれていましたが、貴方はクリアランスを持たないのに閲覧ボタンが表示されていました。それが読者にとっての危機です ― 危機を避けるなら、指示通りブラウザバックするのが正解ですが、読者はそれを意に介さず先へ進みます。
そしてその行動が、読者を災禍に引き摺る事になります。最後のインタビューで「適切なクリアランスを持たない(=安全な閲覧方法を知らない)人は捌縁町の犠牲となる」事が示され、クリアランスを持たない読者はその通りに犠牲になるのです。
見るという行為は無意識であるがゆえに無責任さを伴うため、たとえ「先に進んではいけない」という文があっても、それが目に入らない、入ったとしても気に留めない可能性があります。そして気付かぬうちに、いつしか抜け出す事の出来ない、手遅れな災禍の中心に辿り着くのです。これは、「見るというのは安易で、そこに何かを感じ取るのは難しい。逆説的に、そこに何かしらの怪異を明確に感じ取れるならば、既に手遅れである」という最後のセリフが示唆する通りです。
もちろん、メタ的に言えば本当に実害のある記事じゃないので、危機がどうこうというのもあまり身のない話にはなってしまうのですが ― 「見てはいけない」と釘を刺されていた記事を読者が見ることに対し、最後に「見るという行為は、無責任な行為なんですよ」という言葉で締めくくっています。
見るという行為をなぜ無責任と形容したのかについてですが、私は見るという行為の浅さに焦点を当てているつもりです。見ることは安易ですが、みな視覚表現に優れたイラストや、より安易に理解できる情報、見栄えの良い文章に傾倒しがちです。どこの誰とも知れぬ個人ブロガーによって恣意的にまとめられた情報ばかり見て、訳の分からぬ論文や、複雑で在らざるを得ない正確な情報には見向きもしません。
最も問題なのは、そのような経緯で見た情報は、大抵の場合拡散される ― つまり"話す"という行動を含むという事です。現実社会において、捏造ギリギリの見出しでアクセス数を稼いだ記事が拡散されて広がるという光景が毎日のように広がっている事からも伺えると思います。
見る、話すという行為は、責任の必要ない行為です。特に、何の実績も地位もない人にとっては。仮に発言のせいで責められようと、失う地位が無いのですから。実績や地位の如何に拘らず、後先考えずに自分の意見ばかり言う人は後先考えずに沢山の事象を見るでしょうし、見た事実についてそれを深く考える事もしないでしょう。ですから、見る、話すという行為は思慮なしだと無責任極まりないものへと様変わりしてしまうのです。
私は常に、それを感じています。SNSの引用リツイートで有名人のツイートに噛みつく人や、余計な行動・発言を避けて謙虚に生きる人、自分を批判している掲示板をわざわざ見に行く人。そんな人達の行動を左右するものこそ、「見る」という行為に他ならないのです。
アイテム番号であるSCP-2688-JPは、"捌"が8の大字である事から、下2ケタが8、上2ケタの2と6は足すと8、そして2688それ自体が割り切れる数字であり、あと覚えやすそうな数字ですのでこれにしました。
タイトルである「捌縁」は、本文中に書かれている通り、手を以て縁を引き裂く事の意です。
この作品は、物語の否定です。
物語性、劇的性、必然性、合理性。これを包括して、「意味」と呼びます。そしてこの作品は、意味を否定するものです。
私達は意味の奴隷です。何かするにも「そうする意味はあるのか」と問われ、答えるのに難儀します。「それをSCPでする意味ある?」「その研究をする意味ある?」「生きてる意味ある?」などなど、誰かから行動の意味性を問われる人生です。
ではなぜ、私達はその問いに対し答えようとすると言い淀んでしまうのでしょうか?その理由の1つに、「意味がないから」が挙げられます。私達は何かをする時、その意味を重要視していますか?そんな事しませんし、毎回してたら疲れます。私達は特に意味もなく、何かをするのです。ですが他人から「それやる意味ある?」と問われたとして、正直に「特に意味はない」「やりたいからやった」と答えたとして、相手は納得するでしょうか?する訳がありません。
お分かりでしょうか?意味を問う人間は、実際には意味など求めていないのです。結局のところ、真に求めているのは崇高性のある答えや自分が納得のいく答えに過ぎません。
何と無意味な事でしょうか。私達はこのような事を問われると、存在しない意味を考えようと苦しみますが、相手は大抵の場合何も考えていません。それなのに答えがない事は御法度で、相手を増長させる因子となるのです。実に馬鹿らしいです。
私達は、意味という概念を合理性と同一視するか、それに近い概念として解釈しようとします。特に物語において顕著で、AがBをする意味は合理的である必要があり、非合理的な行動や許容できないほど逸脱した不合理は「リアリティがない」と揶揄されます。Aが変な行動をしたとして、その理由に「精神病だった」だの読者が納得いく理由を挿入しなければなりません。不合理な行動は非現実的なもので、合理的な行動こそが現実的だと言われている気さえします。
では、リアルに目を向けましょう。私達は、そんなにも合理的な存在でしょうか?間違いのない行動をして、不合理を排除して、"リアリティのあるリアル"を送ってますか?そんなわけ無いでしょう。最近の政治情勢1つ例に挙げても『リアリティがない』行動が散見されてるでしょうし、私達自身に目を向けても、とても合理的な考えや行動をしているとは言えないでしょう。
さて。意味や合理性は、そんなにも重要で、誰しもに適応できる絶対的な概念でしょうか?意味や合理性が予想以上に意味と合理性を持たないという事実を見れば、よく人生や思考・行動のテーマになる意味と合理性は、本当に価値があるのか疑いたくなります。
ではこの話が自著とどう関わっていくのか、という話ですが、2049-JPはモンスターです。時々起き上がり、無差別に人を殺すモンスターでしかありません。ですが2049-JPはジェルヴェーズ一族という血族によって目撃され、封じこめられてきました。その過程で言い伝えが生じた ― つまり、単なるモンスターでしかなかった存在に、物語が付与されたという事になります。
物語が付与されたという事は、2049-JPの行動に意味が付与されたという事です。私達は超自然的存在・超意味的存在を『神』や『悪魔』と呼び、寓話にしたりする事で理解の範疇から逸脱した事物を理解可能なものへと落とし込んできました。とりわけ『意味が分からないもの』は不安や恐怖を煽るため、例えば火山の噴火を『神の怒り』と理由付け・紐づけする事で意味ある行為へと昇華してきました。
2049-JPもその一例です。仮に2049-JPがジェルヴェーズ一族と関わってこず、初めて遭遇したのが財団であったならば、2049-JPは単なるモンスター以上の意味を持たなかったでしょう。ですがそうはなりませんでした。そしてメロディ氏は2049-JPを『彼』と呼ぶ事で死への恐怖を取り除こうとし、彼と呼べるように言い伝えと空想で物語性を付与しました。
言い伝えは真実と虚構の両方を含むでしょう。神や悪魔が近しい昔の時代では特に顕著で、言い伝えには恐らくジェルヴェーズの血を半ば神格化するような考えも含まれていたはずです。しかしながらメロディ氏は血族の特別性を否定し、言い伝えを直接伝えるのではなく、自分の立場から分析してジル博士に言い伝えを語っています。
先程言い伝えが真実と虚構の両方を含むと言いました。その例は複雑ですが、真実の中に虚構が含まれたり、真実を虚構によって大きく改変させたりするなどが挙げられます。虚構とは真実に物語性を付与するものであり、物語性が付与されたという事はその物語を付与した人物の目論見が含まれる、つまり恣意的なものが含まれるという事でもあります。伊勢物語や今昔物語集など、妖怪やオニが出てくる作品には宗教への勧誘を意図したり、当時の天皇やその側近の力を誇示する意図を持っていたのがその例でしょう。
昔から、王朝が滅んだ原因は傾国の美女だったとか、卜占で凶兆と出た號を周囲の反対を押し切って自国に付けた事で最終的に国が滅んだとか、人々はある物事の終焉や始原にストーリーや意味・合理性がある事が好まれてきました。そのストーリーは『歴史』と呼ばれ、滅亡という壮大な事象に壮大な原因をつけ、後々天下を取る国の興りに壮大なバックストーリーをつけ、人々はそれに触れて『この人は名君だった』『この人はクズだった』などと結論付けます。
ですが実際には、滅んだ原因は政治的不和だったかもしれませんし、特別な意味もなく自然瓦解したのかもしれませんし、真実は誰にも分かりません。しかしながら人々は事象に対して壮大さという『価値』を求め、それらの価値を生むような意味性を求めます。『考察』なんかも、その一例と言えるでしょう。実際には特別な意味のない場面に『実はこういう関係性や対比があったんじゃないか?』というのを見出すのは、まさに『意味性の付与』なのかもしれません。
では自著に戻りましょう。作中でも示された通り、言い伝えは不合理な部分が多いものでした。不合理な部分が多いという事は事実には近しいかもしれずとも物語としては不十分であるという事であり、説得力を持たせるにはここから合理的になるように意味やバックストーリーを付与しなければなりません。ですがメロディ氏は不合理な部分に物語を付与して合理的にするのではなく、不合理は不合理だと割り切り、私達は合理的な生き物ではない、必ずしもすべての物事に意味がある訳では無いというスタンスを取る事で不合理を押し通しています。つまり、意味や合理性という概念から脱却したという事を意味します。
ですがメロディ氏は不合理を押し通すだけでなく、不合理を合理性にする(=物語性を付与する)事に否定と肯定両方の意志を示しています。彼女が2049-JPを"彼"と呼べるようになるまでには言い伝えだけでなく自身の空想に頼る必要があった、つまり2049-JPを理解できるような物語を付与したため、彼女は意味の無い事実に対して"自分が理解するためだけ"に意味を付与する行為を、否定しながらも許容しています。
そして彼女はジル博士に『真実が何かなんて分からない、だから考えるのは自由だ』という考え方(視点)を伝え、その視点で物事を見る事を提案しました。そしてそこから、彼の姿がどのように見えるかという話と、そして彼の弟がどんな姿だっただろうかという話に発展しました。これが『物語性の付与』という行為であり、最終的に『ペスト医師』との繋がりを示唆する事で報告書は終了します。これは要するに、2049-JPにSCP-049 - ペスト医師という存在との関係性が紡がれた、つまり新しい物語がここに発生したという事を意味します。同時に、メロディ氏の考え方というミームがジル博士に継承されたという事をも意味しています。
ですから、極端な話、2049-JPがSCP-049との関係性を持っている必要なんてありません。何ならむしろ異常性だけ見ればSCP-076 - "アベル"の方が関係性がありそうですから、そっちに繋がっても全然おかしくないと思います。最後のセリフにリンクが付けられていないのも、タグにペスト医師タグが付けられていないのも、そういう意味があります。
私達は意味の奴隷です。ありとあらゆる行動に意味や崇高性、合理性、必然性を求められ、意味に絆されます。
ですがたまには、"意味の無意味性"という視点を持ち、『このような理解不能な行為を取ったのには崇高な理由があるはずだ』とか『このような劇的な行為を取ったから劇的な終焉になるはずだ』とか、『人間は合理的な生き物であるはずだ』とか、『このような行動にはこのような意味があるはずだ』とか、そういった不合理な思い込みから脱しても良いのではないでしょうか。
この作品は私にとって、創作の1つの終着点です。
アイテム番号である2049-JPは、ペスト医師のナンバーであるSCP-049にあやかって付けました。
タイトルである「救道者」はwatazakana様が提案してくださったものです。誠にありがとうございました。
私達は、忘れる生き物です。
溢れんばかりの怒りも、心臓が張り裂けんばかりの哀しみも、手が震えるほどの恋慕も、目に焼き付いて離れないはずだった風景も。
そして、凄惨で息を飲む事すら憚られるほどの経験も。
何もかも、いつか薄れ、消え、忘れ去られるのです。
私は数え切れないほどのトラウマと後悔を抱えています。それらの多くはここで話すことさえ出来ない内容で ― 話せないからこそ"トラウマ"なのでしょうが ― それらのトラウマ・後悔の背景には、当事者である私自身ですら未だ理解できない、私の狂気、欲望、罪過が渦巻いていました。
私は中学時代、ある人に酷い事をしてきました。その内容は明言しませんが、中学を卒業して以来、自分がそんな「酷い事」をしてきたという事実と、それによって人生が狂ってしまった人がいるという事実、いつか私が告発されるんじゃないかという恐怖で、どうにかなりそうになりながら毎日を生きてきました。
そしてある日、私が酷い事をしたその人物が自殺したという連絡が入ってきました。私を呪いながら、荒れた自室で首を吊って、自殺したのだと。もうこの世にはいないんだと、私はどうしようもない事をしてしまったのだと、私が人を殺してしまったのだと、私はより一層罪の意識を強めていきました。
しかし、そんな中迎えた成人式の日。自殺したはずのその人物は当たり前のようにそこに居たのです。友人と笑いながら話し、私に酷い事をされた事の見る影もない表情で、あろうことか私を見て手を振って微笑みかけてきたのです。私は混乱しました。自殺したはずのあの子がどうしてそこにいるのか、私を恨んでいるはずのあの子がなぜ微笑みかけてきてくれるのか。
私は統合失調症だったのです。「あの子が自殺した」という連絡は実際には入ってなどいませんでした。何年も孤独に抱えたトラウマがやがて虚像を生み、存在しない「自殺」という記憶を脳内に生み出していたのです。これを、幻覚と言うのでしょう。
何はともあれ、私は存在しない記憶を生み出し、空想と現実の見分けすらつかない状態になるレベルで過剰なトラウマを抱えていました。
この記事は、そんなトラウマに苛まれる中で思いついたものです。ある日いつものようにトラウマでどうにかなりそうになりながらスマホを弄っていると、流れていたテレビから「核爆弾の脅威」に関する特集番組が聞こえてきました。番組内で高齢の方が述べる、克明な恐怖の体験、凄惨な戦争の描写、当時の人々の慟哭、絶望、恐怖……
それを聞いて私は思いました。
「どうでもいい」と。
今の私が抱えているトラウマ、絶望、恐怖と比べて、戦争や核の脅威なんてどうでもいいと、今の私の辛さに及ぶものかと。止まらない吐き気に苛まれながら、私はテレビを睨みつけました。
そう、過去に起きた戦争やどれだけ激甚で悲惨なものであれ、それに対する共感は、自身の抱える悩みよりも程度が低いのです。私達はウクライナで起きている侵略より、明日の期末試験の動向の方が心配で気になってしまう。なぜなら、当事者ではないから。
実に恐ろしい事だと思います。遠くで見知らぬ誰かが10000人虐殺されるより、近くで知り合いが怪我をする方が、私達にとっては気になるという事なのですから。
それが何を示すか、お判りだと思います。核爆弾の脅威という、自身が当事者ではない、遠い過去に起きた事象に対し、私達は本当に共感できるでしょうか?
この記事は、核という非人道的な兵器によって発生する凄惨な経験が形骸化する事をテーマにしています。この記事での異常性は、「核を見て誰もが"なぜか"言いようもない恐怖を抱く」ことです。核を利用する事によってどんな影響があるか誰も知らないまま、なぜ使用してはならないのかを誰も具体的に説明できないまま、ただとにかく核は怖い、使ってはダメだと誰もが思う。
この現代において、「なぜ核兵器の使用はダメなのか」を正しく説明できる人がどれだけいるでしょうか?大抵の人は、核が非人道的だから、凄惨な光景を生み出すから、人が大量に死ぬから、大地が死の土地になるから、と答えるでしょうが、それは真の経験に基づいてはいません。ただ、そう教えられたからそう答えているだけに過ぎません。これが、形骸化なのです。
核の脅威が電波越しに語られ、その恐怖を伝える人もいなくなり、言い伝えが形骸化したまま時代だけが経過した将来。テクノロジーが加速度的に進み、核よりも悍ましい兵器が果たして本当に開発されないと言い切れるでしょうか?
その時、核は使われないが核よりも強力な兵器が各国で大量に生産・使用される可能性は、私はあると思います。もちろん国際的な平和の推進などがあるので実際にそうなる確率は低いでしょうが、技術が進んで、核よりも非人道的な兵器が生産できて核の使用禁止が形だけのものになってしまう段階にはいつか行き着くでしょう。そんないつかやってくる「核が形骸化した未来」を描く事が、この記事の目的でした。
私達は共感できない生き物です。自分には無関係の事に共感することができません。先程私は自身のトラウマについて語りましたが、読者の中には、「私の苦しみに比べたらどうでもいい」と思う方もいらっしゃるかと思います。
そういうものなのです。自分とは無関係の事柄に共感させられるほど、言語とは、文章とは、言葉とは、克明ではないのですから。だから、激情も、凄惨も、愛も、夢も、狂気も、恐怖も、希望も、未来も、情景も、戦争も、人生も、言葉に落とした時点でただの在り来たりな記号に過ぎなくなるのです。
どんなものも、時が流れれば所詮ただの無意味な記号に過ぎません。
アイテム番号である3102-JPは、この記事と同じく「遠い未来で忘れ去られたもの」をテーマに据えたSCP-6102を意識した数字です。
タイトルである「恐怖の形は骸と化した」は、「形骸化」を文章にしたものであると共に、恐怖を伝えるものが全員骸と化した(=死んだ)事を示すという二重の意味を持っています。
お恥ずかしながら、正直なところ、この記事には対して思い入れがなく、作成経緯もほとんど覚えていません。
私はいつもSCPを書く時に何かしらの個性や「たくらみ」を持って書くのですが、この記事を書く時はそんなものを抱かずにただ書いたような覚えがあります。
いつもなら、「この記事は○○をテーマにしています」と堂々と言えるのですが、この記事にはどうしてもそういうものが無いので、果たしてここに何を書けばいいのかと狼狽しているところです。
作成経緯を思い返すならば、恐らく、「地球にこれだけ沢山のアノマリーがあるなら宇宙から地球を見たら色んな影響に曝露してしまうんじゃ?」という疑問を抱いたのがきっかけだと思います。そんなきっかけから、「宇宙から地球を見た時に守るフィルターがオゾン層近くにある」という発想に行き着くまでにそう時間はかからなかったでしょう。
それで、最後に宇宙から見た地球の画像を置くことで何となくエモさっぽいものを出す。安直ですが、私達はそういうのが好きなんですよね。エモさがあるというよりは、そこに画像を置くことで読者に想像力を働かせられるというのも効果として大きいと思います。
これは私だけだと思いますが、何のたくらみも無く執筆した記事って、評価がある程度高くなっても何も心が動かされないですね。+80ってとても高い数字で、本来なら満足して然るべきなのですが、何も自分事のように思えなくてもどかしいです。
ただ高い評価を得るためだけに記事を書いたところで、それだけじゃダメなんだなと気付かされました。もちろん読者の多くはただ面白いだけの記事が大好きでしょうが、私はもっと創作に向き合い、語り得る何かを残したいとずっと思っています。
私は「たくらみ」や「個性」を持った記事が好きですが、そんな記事には滅多に出会えません。特にJP記事を見ている時にはそう思います ― たくらみを持っているなと思えるのは大抵、ENとかCNのような他支部の、ほんの一握りの僅かな記事だけです。だからこそ私は、これからも「たくらみ」を多分に持った記事を、作品を、世に残していければと思います。
結局、ほとんど自著語りじゃなくなりましたね。たまにはこういう文言でも許して下さるとありがたいです。
アイテム番号であるSCP-3994-JPに、特に意味はありません。読者が見てくれやすい39XX番台の中で目に留まり易い位置に配置しただけです。
タイトルである「地球は青かった」も、有名なセリフを引用しただけです。
確か、ENっぽい記事を書きたいと思って書いたような気がします。というよりは、Tanhonyさんのコンテクストを意識して書いた覚えがあります。
ENっぽい記事を書くためにはENっぽさが何なのか、という点を突き詰めなければならないのですが、結局未だにどうあればENっぽくなるのかはイマイチよく分からないままです。この記事の場合、神学と鳥という、人間の入り込む余地のない記事を書く事で人間関係がどうこうという概念を排除する事でENっぽさを出そうとしたのですが、別にENにも人間関係がどうこうって記事はいっぱいありますからね。何をどうすればJPらしさから脱色できるのか分からんです。
後は、異常性と展開についても人文的にならないように意識した節はあります。異常性についてはなんかちょっとENっぽさはあると思います。本当になんとなくですけどね。補遺の書き方などの展開についてはもっぱらTanhonyさんの形式を参考にしてます。
何はともあれ、こういった記事が書けた事は私にとっては嬉しいです。一番嬉しいのは、「興味深い異常性」が描けたという感触があった事です。これまでの私は、後半の展開を作るためだけに配置された異常性ばかり書いてきましたから、異常性それ自体がフックになりうる文章を書けたのは良い成長であると感じます。
アイテム番号である3601-JPなんですが、これなんでこの数字にしたんでしょう…ちょっと覚えてないです。
タイトルである「深罪、遠天より」は、なんか脳内で反芻して「カッコイイ!」ってなったから付けたタイトルです。
削除予定ですので、書き得る事はありません。
更新予定。
言葉に何の価値も見出せなくなった世界へ。
創作に何の意義も見出せなくなった私達へ。
自殺に何の深意も見出せなくなった文章へ。
この作品は、「創作の死」をテーマにしています。
元々、この作品を書くにあたっては色々な経緯がありました。ちょっと長くなりますが、記録のためにも記載していこうと思います。
まず、この作品を書くきっかけとなったのは、SCP-3102-JP『恐怖の形は骸と化した』の自著語りを書いている時でした。3102-JPでは、「どんな激情を含んだ言葉も、やがて無意味な、在り来たりな記号に成り果てていく」という事象を描いていました。それを言語化していくうち、「何か劇的なものを伝えたいはずの文章がどんどん冷めたものになっていく」という記事のアイデアが思いついていきました。
そして、「自殺の記号化」というコンセプトへと行き着きました。ディスカッション欄にも書いてある通り、創作では自殺という劇的な要素さえも暴力的に記号化され、物語を展開するための道具にしかならなくなります。特にSCP-JPでは、いじめ、虐待、ハラスメント、自傷、自殺、そういったものが記号として扱われがちです(もちろん別に、全部が全部そうって訳じゃないですよ)。そしてそんなものを、私自身もよく書いている。都合がいいから。物語を展開する上で、ネガティブな要素というのはあまりにも御し易過ぎる。
そんな自分が、私は大嫌いです。元より私は記号化とは真逆の「リアル」を書きたくて創作をしてたはずのに、物語的に面白いから、読者に受け入れられないからと理由を付けてネガティブな要素をそのまま描く事を避けてぬるま湯のようなぼやけた創作をしていた。
クソ喰らえ。
SCPはそういう創作をするのに不向きな場所です。でも、私にとってはだから何だ、って話です。何かと理由をつけて多様性を頑なに否定する人間を、原理主義の人間を蹴り飛ばしたい。新しい試み、新しい意義からしか未来は拓けないんだよ、クソが。…別に特定の誰かに言ってる訳ではないですが、怒られそう。でも、私の正直な気持ちはこれです。蹴り飛ばしたいヤツ、ムカつくヤツ、イライラするヤツを否定するために創作で体現する。そのために、私はSCP-JPに居ます。メルティング・ホワイトも、正常恐怖症も、正常崩壊も、玖虞攣も、捌縁も、救道者も、誰かを、何かを否定するために書いた。
でも、これらの作品も、そんな気持ちは脱色されていて、ただ面白いだけの文章に成り果てている。誰かを否定する意図も、誰にも伝わらない。そんなんじゃダメだという焦りも、この記事を書く際のインスピレーションとなりました。
後は、SCP-3994-JP『地球は青かった』やSCP-3789-JP『危険思数』を書いた時の気持ちも、この記事を書く起点となりました。どちらも+90を越えていて、高評価と言えるでしょう。
でも私は、大して嬉しくありませんでした。
特に3994-JP。+90越えの記事なら満足して然るべきです。でも私は、何も感じなかったんです。その時初めて気づきました。何のたくらみも新しさを求める心も抱かずに記事を書いたところで、どれだけ評価を得ても何の充足感も得られないと。
この時点で、私の創作の意義とは、「単に面白い記事を書く事」では無く、「語り得る何かや企みが多量にある記事を、誰かの価値観を変え得るような記事を書く事」なのだなと気付かされました。それを自覚したからこそ、私はそれに取り憑かれたのだと思います。そして、気持ちを何も脱色せず、毒を毒のまま出す記事を書くに至りました。
この記事は、「創作」という要素の記号化をしてきた人間が、人生さえも記号であると気付いていくという過程を描くと共に、記号になっていく文章に抗おうとして、喚きながら自身の綴った文に溺れていく過程の2つを描いています。
記号とは何か。ここでは「模倣可能なもの」と定義してみましょう。模倣可能なものであるとすれば、記号であることが「唯一無二ではない」という事を示します。例えば記号化を巧みに扱うものである創作とは、細かく見れば見るほどオリジナリティに溢れているように見えますが、それとは逆に巨視的、マクロ的に見れば、どんな作品も同じような要素の組み合わせで成り立っている事が理解できると思います。例えば「起承転結」は、あらゆる創作物に共通する要素を記号にした好例であると言えるでしょう。大きな視点で見れば、聖書だろうがSFだろうがファンタジーだろうが、その大部分を記号化する事ができるのです。
では、人生はどうでしょう?人生を記号化する事はできるのでしょうか?結論から言えば、これも創作と同じく、マクロ的に見れば見るほど記号化する事が可能になっていきます。人生を超巨視的視点でまとめるなら、「生まれ、生き、そして死ぬ」とできちゃいますから。ですが創作と違うのは、こと自分の人生においては、それをマクロ的に見ることが困難であるという点です。私達は人生のミクロ的な部分 ― 友人と食事するだとか、恋人と毎日電話するだとか ― そういう点にばかり目を向けがちですし、人生は創作物よりも遥かに超ミクロ的な要素が複雑に組み合わさった集合によって成り立っていますから。
マクロ的に見ることが困難な人生を「記号化」できる人間は限られています。例えば、普段から常にあらゆる事物をマクロ的に見て分析しているような人間。そんな人間なら、他人の人生はもちろん、自分の人生さえも記号化できる可能性があります。
本文中に登場した真桑友梨佳は、それが可能な人間でした。本文中の描写を見れば分かる通り、彼女は長い創作経験と読書体験を通して、「自殺」という要素が創作において記号的である事を見抜いていました。創作を巨大な記号の集合体である事を理解できたなら、必然的に「自分の人生も『そう』なのか」を考える余地ができます。
彼女は、創作におけるあらゆる要素が記号的である事を理解してしまったこそ、それを自分の人生と重ね合わせる事ができてしまいました。理解しさえしなければ、自分の人生が記号である可能性なんて考えずに済んだはずなのに、彼女の創作者としての思考は、彼女をその領域に引き摺りこんでしまったのです。
最初に言った通り、記号とは模倣可能なものであり、醜悪に言い換えるなら「在り来たりなもの」と言ってしまう事ができます。ゆえに彼女は、自分の人生が記号的である事を、「在り来たりでチープである」とネガティブに解釈してしまった事で、その事実を受け入れられなくなりました。
そして「記号」には、もう1つの特性があります。記号化というものがミクロ的な要素を排して1つのマクロ的な要素にしていく過程であるとするならば、そこには「排除」という特性がある事を示します。それを踏まえた上で、人生を記号化していく行為とは、そこにあったはずの感情や背景を排除されるという過程である事を意味しているのです。
彼女にとって、それはあまりにも耐えがたいものでした。というより、誰にとっても耐えがたいものであるはずです。自分の行為の真意が、激情の果てに出た言葉の背景が、「排除」される。貴方が仮に自殺する時、そんな行為に至った背景を全て排除されてただ「自殺した」とだけ他人に言い伝わって欲しいですか?…人によってはそれも嬉しいかもしれませんが、私は嫌です。ちゃんと誰かに、自殺に至った背景を伝えたい。
それはさておき、記号化という行為が排他的な性質を含むという事がお分かりになったかと思います。彼女は、自分の人生の過程が排他され、記号になっていくのが嫌だと思っていました。ですがそこに立ちはだかったのが、「報告書」という壁です。報告書は、記号化の極致です。言うまでも無く、報告書には感情を記載しません。ただ「自殺した」という結果を伝えるのみです。
これを理解した時点で、彼女は正気ではありませんでした。本文中で描写された通り、彼女は自分の人生も遺書もチープな記号に過ぎないと解釈しており、だからといって報告書で自分の自殺を描写されるのも別の意味で記号になっていると気付いてしまっています。
これらの複合的な要素が、彼女の言葉を滅茶苦茶なものにしていきました。本文を通して、彼女の言葉はだんだんと一貫性が無くなり、何を伝えたいのか分からなくなり、まるで喚き叫ぶような滅茶苦茶なものへとなっています。彼女の綴る言葉に、もはや彼女の意図した事を達成できる余地などありませんでした。言葉さえも記号である事に気付いた時点で、人生や遺書を記号ではないものにするという目的は達成できないほか、自分の綴る文章が遺書としても物語としても不完全であるという事も相まって、彼女はもう、自分の言葉にどんな価値と意味があるかも理解する事ができなくなりました。最後にはただただ惰性で言葉を連ね、そして筆を置いています。
だから、遺書としても物語としても、この記事は不完全なものになっているのです。
そしてその不完全さこそ、私が表現したかった「リアル」に他なりません。
不完全で滅茶苦茶で、でもその中に確かに何かを伝えようと藻掻く姿がある。私が描きたかったのは、そういう姿でした。記号化をテーマに据えてはいますが、裏のテーマに、何かを伝えようと藻掻く姿という、「記号ではない熱」がありました。私は、滅茶苦茶になりながらも鬼気迫る何かを伝えようとする姿を描きたかった。それは、彼女が本文を通して絶望していた「記号」ではないもので、確かに価値あるものだと言えます。
それがちゃんと読者に伝わったかどうかと言えば、私は充分に伝わったと思います。「全員に伝わる」なんてことはあり得ない話で、私としては読者の10~20%にそれが伝わればいいなと思っていました。そして感想を見る限り、それは達成できたように見えます。
伝わらなかった人にとって、彼女の文章は「駄文」として解釈されています。私はそれでもいいと思っています。この記事は、明らかに読者によって解釈が真逆になりうる構造になっていますから。この記事はDVも多いです。でも、私はそれでいいと思います。
「自分の価値観を変え得る可能性があるような創作は、他者に拒絶されやすい傾向にある」。この評価結果がそれを示していると共に、この記事が誰かの価値観を変え得るような、そういう構造になっている事も示しています。
色々な感想を見るに、この記事が読者の価値観を変えたり、バイブルとなっていたりする様子が確認されました。それがいかに少人数であろうと、「誰かの価値観を揺るがすような記事」を書きたかった私にとって、それは本当に嬉しい事です。
私にとってこの記事は初めて、DVがたくさんついてもどこか清々しく晴れやかな気分になれるものでした。価値観を変え得る事を目的としたような記事は、そこに生じる恣意的なアレコレも合わさって、評価が二分するものだと事前に覚悟していたからかもしれません。
本当はもっと深いことを書きたかったんですが、どうにも上手く書けないものですね。結局のところ、私の文章それ自体が駄文なのかもしれません。それでも、私にこんな動機と意志があって、こんな記事を書いたよ、という事を貴方が理解してくれると嬉しいです。
お読みいただきありがとうございました。
アイテム番号のSCP-3113-JPは、なんかいい感じに覚えやすいのが無いかなと思っていたら、たまたま投稿日が11/3だったので3113にしました。覚えやすい!
メタタイトルの『創作依存症』とは、同じ病気と不自然さ、リアルさを扱った作品である『正常恐怖症』になぞらえて付けました。
ここでは、過去に開催されたコンテストの結果を提示します。
破絶とは、“何かが壊れ絶える事”という意味を持つ造語です。
今から貴方達には、その『破絶』という単語をテーマに、記事を書いてもらいます。
破絶とは、
“何かが壊れ絶える事”
という意味を持つ造語です。
今から貴方達には、
その『破絶』という単語をテーマに、
記事を書いてもらいます。
評価: 71 / 著者: ponhiro
評価: 39 / 著者: yoruno_tobari
評価: 38 / 著者: leaflet
コメント: 心臓を穢れた爪でなぞられているかのような、罷り知らぬ所で蔓延る狡譎な愛を見せつけられているかのような不快感のある文章でした。緻密かつ大胆な愛の描写は、幸福な家族像の陰に確かに蠢く醜悪な無関心と無責任を想像するに足る生々しさで、自身の家族関係について考え直してしまうほど読んでいて私の中にある価値観が動かされました。総じて、奸凶で避け難い愛に絆されて心壊に至る1人の人間がよく描かれていると思います。
参加作品
SCP-3150-JP - 落詠叙 (35) by ponhiro
SCP-3177-JP - 目覚めの音がやってくる (23) by teruteru_5
SCP-1761-JP - 完璧な飾りを身に纏えば (39) by leaflet
暗黒の此岸、翠緑の彼岸 (43) by Tutu-sh
SCP-3789-JP - 危険思数 (125) by ponhiro
薔薇模様の蛹は夢を見る (51) by yoruno_tobari
信念、忘れるべからず。 (11) by Kajikimaguro
SCP-3909-JP - 日曜は便槽の血をすすって (15) by OwlCat
レギュレーション: "scp" "tale" "goi-format"タグのいずれかが付与された記事のうち、「破絶」が記事の中で描かれていることが参加条件です。参加の際はディスカッションに参加表明を行って下さい。なお、上に「破絶」の定義を“何かが壊れ絶えること”としていますが、それ以外の定義を自分で解釈して記事を書いても構いません。また、例えば「途絶」「破壊」など、上に示した定義に近い単語をテーマにしても良い事とします。