春秋の彩を添えて
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石榴倶楽部 会報

春秋の彩を添えて

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《御品書》


【食前酒】
梅酒

【前菜】
河豚の煮凝り

【椀】
小枝と菜の花の茶碗蒸し

【肉寿司】
ボタン モミジ ザクロ

【甘味】
雪塩氷菓子



河豚の皮から出たゼラチンのみで作られる煮凝りは、舌の上でさらりととろける上品な味わい。
新芽にも似た細く柔らかな小枝を使用した茶碗蒸しには、春の訪れを感じさせる菜の花を添えました。
三種の肉を用いた肉寿司には、それぞれの素材の風味を引き出す味付けをいたしました。ボタンは香草と粗塩で野性味を引き立て、モミジは甘醤油風のタレでまろやかに包み、ザクロはクコと根皮を用いた調味液に一晩漬けることで味を染み込ませました。三種の肉の奏でる和音は当倶楽部の晩餐会には珍しいものだったと思われますが、美しい調和であったと秋津様に賞賛していただけたことが記憶に残っています。
晩餐会の最後にはさっぱりとした雪塩の氷菓子とともに、生前のザクロの主への感謝と追悼をさせていただきました。


去る二月二十六日、京都は大宮、私橋詰主催にて晩餐会を執り行いました。

供しましたザクロの主は、齢は八歳と二ヶ月、血液型はB型、大病に冒されたこともなく、伸びやかな体を持つ健康体の少年でございました。若いザクロの柔らかさには他にはない格別のものがあります。突然の事故で奪われた彼の命に、ここで改めて冥福を祈らせていただきます。

昨年に倶楽部に加えていただいてから、皆様の素敵な晩餐に御相伴させていただいておりましたが、主催という大役を担うのは初めてでしたので、ひどく悩んでしまったことが記憶に新しいです。

皆様にザクロを楽しんでいただくためには何をお出しするべきか、若輩者の頭を捻りまして、このように種々の肉と共にお出しすることに致しました。
ザクロそのものの味わいの特長は、他との違いによって引き立つこともありましょうから。

このような趣旨のもと、複数種類の肉を比較可能な料理として、肉寿司を供させていただきました。
私事で申し訳ありませんが、幼少の頃、落ち込んでいた私を慰めるために祖父が土産に下さった料理として、モミジの肉寿司は非常に思い出深いものでもありました。この素晴らしい場で再び食すことのできたことへの感謝をここに綴らせてください。

本晩餐会ではもう一つ、慣例破りをさせていただきました。

晩餐会の初めには、供されるザクロの生前について語られることが多くあります。当倶楽部の食すザクロは同族の体であることから、文脈を重んじる方がいらっしゃるのは至極当然のことでしょう。彼ら又は彼女らがどのような技能を有しており、何に価値を感じており、どう生きていたのかという情報は、社交の場でもある当倶楽部の晩餐会において非常に興味深い話題の一つです。

けれども当倶楽部の主たる目的は、あくまで美食としてザクロを楽しむことにあるのだろうという拙考に基づきまして、この度は趣向を変えてザクロの主のご紹介は最後の甘味と共にさせていただきました。食物としてのザクロと故人の人格の切り離しを試みた次第でございます。
情報は時に雑味になることもございますから、本晩餐会では肉の一種としてのザクロを楽しんでいただくのも一興ではなかろうかと考えたのです。
若輩者の慣例破りを快諾してくださった皆々様には頭が上がりません。

もう一つ、皆様にお詫びをしなければならないことがございました。
肉寿司の紹介時に、モミジとザクロの取り違えをしてしまいました。当倶楽部の晩餐会主催として、これほどの失態はございません。初の主催であるからと、笑い話にしてくださったことに感謝を申し上げます。

さて、会報を書くのも初めてでありますので、この倶楽部に至るまでの昔話も綴らせていただきましょう。
子供の頃の体験というものは、年月と共に輪郭を失い、輝かしさばかりが残るものです。私にとっては、最初に書きました祖父の肉寿司の思い出もその一つでした。
口の中で蕩けるような柔らかな食感、豊かで芳醇な香りと味わいはまさしく極楽の宝玉に等しく、幼いながらにその美食に胸を打たれたことを覚えております。
もう一度食べたいと祖父にねだったのですが、「モミジはなかなか手に入らないから」と、結局亡くなるまであの肉寿司を土産に持ち帰ってくれることはありませんでした。

弟の喪失という悲しみに寄り添い、癒してくれたあの至高の肉の美食を探し求めて方々を渡り歩き、石榴倶楽部に巡りあったという次第であります。

皆様の晩餐会にお招きいただき、探し求めていた美食にようやく辿り着くことができましたが、申し訳ないことに、私は献体の紹介の時間が少々苦手でございました。
私の舌にとって情報は雑味となるようで、ザクロの生前を知るほどに、奥深く玄妙なザクロそのものの味と向き合うことが難しくなるのです。特に、数ヶ月前に古い会報を拝読してからは、ザクロを食すたびに、あの日の二日前に喪った小さな弟の顔と、私の服の裾を掴んでいたあの子の紅葉のような手がちらちらと瞼の裏に浮かぶようになりました。

あの晩餐会から欠席しておりますのは、そういう次第でございます。

欠席に関しまして、空くようになった席は一つではなく二つなのだと聞いております。
早瀬様も同じように、私の主催した晩餐会から顔を見せていないようであると、私を倶楽部へ招いてくださった六角様から伺いました。
古参の早瀬様はほとんど欠席したことのない頑健なお方だったそうですので、突然の欠席を不安に思っている方もおられるでしょう。

主催させていただいた晩餐会にて、早瀬様の膳にのみ特別に、河豚の煮凝りの中には刻んだ肝臓を、ボタンの香草の中には鳥兜を仕込ませていただきました。
獅子身中の虫を殺すのは牡丹の朝露と言います。祖父と共謀して私の弟を手にかけるという禁忌を犯し、倶楽部を危機に晒し品位を下げてしまった彼にはこの上なく相応しい一膳であったことでしょう。

河豚毒と附子は拮抗作用であるため毒の効果が遅れること、検死をした医師が私の友人であり、かつ適切に拮抗させるための毒の量を定めた共犯者であることから、この会報を晒す方がいない限り、当倶楽部の晩餐会が疑われることはないと保証いたします。

早瀬様と並んで、私も当倶楽部の橋詰の席を辞させていただく予定です。
皆様と過ごした時間とザクロの味わいは素晴らしいものでしたが、今後はザクロを断つ心持ちでいます。
記憶の中の至上の美味にまで罪悪感の雑味が及んでしまうことが恐ろしいのです。
これからは皆様とは別の方向から、私なりの美食の追求をしていこうと考えている次第です。

また、どうか皆様も、良き美食のために禁忌には触れぬようお願いいたします。
知ることによる雑味に耐えられなかった私に言えることではないかもしれませんが、知らずに罪を口にすること、偽ったものを口にさせることほど恐ろしいものはありませんでした。美食との向き合い方はそれぞれであっても、食への誠実さについてはきっと皆様と同じであると信じています。

新たな橋詰として、友人の医師をご紹介いたします。彼ならば禁忌を犯すことなく倶楽部のためのザクロを手配することができることでしょうから。

半年という短い期間ではありましたが、今までありがとうございました。
辞する前に晩餐会を主催させていただけたのは幸運なことであったと感謝しております。あの晩餐会を経て、自分にとっての美食を見つめ直すことができました。
ようやく、思い出の中のあの子の紅葉の手と肉寿司の味の両方を愛でられるようになった気がいたします。


(記・橋詰)


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