Agents "Class D"
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「……貴方たちは専用の寮に入り、そこで生活をしながら我々の実験へ参加することになるでしょう。複数名で寝起きを共にしますから、面倒事は起こさないように。懲戒の対象になります。24時間、例えトイレの中であっても行動は監視されているということに注意してください」
とりあえず概要は以上です、と白衣を着た男はマイクを通して告げた。何度も同じ説明を繰り返してきたのだろう、いかにも慣れた口ぶりであり、同時に至極つまらなさそうでもあった。
 
そこは講堂のような広い部屋だった。揃いのオレンジ色のつなぎ服を着た者たちがざわつきながらひしめいている。老若男女、他国出身であろうかと思われる者も交じっており、青年はその息苦しいただ中にいた。柄の悪そうな隣の男と肩がぶつかり萎縮しながら、彼は先刻から事務的な口調で説明を続ける檀上の男を見上げた。
「それでは説明したとおり、このあと手首と胸元に番号識別のためのタトゥーを入れます……ざわつかないで!指示が通らない。今日から貴方たちは割り当てられた番号で呼ばれることになるのです。タトゥーを入れた者から寮へ案内します。……ああ、移動中に暴れたり逃げようとすれば、どうなるか分かっていますね?」
白衣の男の言葉に、講堂の隅と中二階の窓越しにずらりと控える銃を携えた屈強な守衛たちを見やりながら青年はため息をついた。こんなことならあの退屈な死刑囚独房にいたほうが何倍もマシだったかもしれない。少なくとも死など怖くはなかったのに、自分はどうしてコチラを選んでしまったのか。いや、同意と書類へのサインは半ば強制だったような気もする……何もかも無気力な囚人生活を送っていたせいで、それが昨日のことであってもぼんやりとしか想起できなかった。もたつきながらゆっくりと移動を始めた周囲に倣って、彼は歩き出した。
 
 
 
 
「お前が下のベッドか。ってことは『D-63493』か?俺ぁ『D-63492』になった。連番のよしみだ、仲良くしようぜ」
二段ベッドがずらりと並べられ、その間を騒がしく人が行きかう巨大な共同部屋の片隅。支給された寝具を整える青年に向かって、ひとりの中年男が馴れ馴れしく声をかけてきた。持っていた寝具を二段ベッドの上に放り投げると、たった今青年が敷いていたシーツの上にどっかりと腰を下ろし皺を作る。男の図々しさに青年は眉をひそめた。
「悪いけど、馴れ合いって好きじゃねーんだ。ほっといてくれれば良いよ」
「今時の若い奴はつれねーな。良いじゃねーの、いつモルモット役が来るか分かんねぇんだし。話し相手になってくれや」
「他の奴に頼めば良いだろ」
「お前が一番いじりがいがありそうなんだよ」
飄々と語る男を前に青年は露骨な舌打ちをした。この大部屋で恐らく一番年下だからだろうが、完全に舐められているのが癪に障る。苦々しげに口を曲げる青年を見て男はへらへらと笑った。
「まぁ犯罪者同士、水入らずさ」
「……犯罪者、ね」
そんなくくりで連帯感を持ちたくはないのだが、考えてみれば今後最長でも1か月は顔を合わせるのだ。まったくの無干渉ではいられないだろう。青年は支給されたスニーカーを脱ぐと男の隣に座り、布団の上であぐらをかいた。
「……オッサンは何して捕まったんだよ」
なにげなく聞いてから、遠慮の欠片もない発言をしたと気づく。だが、隣でくつろぐ男はまるで気にしていない様子で口を開いた。
「俺?俺ぁ、殺し屋さ」
「は?」
ドラマやアニメでしか聞いたことのない言葉にぽかんと口を開ける。唯一と言って良い青年だけのテリトリーを陣取ったままの男は、面白そうにくつくつと笑った。
「とってもアンダーグラウンドなお仕事してたのよ~お兄さんは」
「……それがなんで捕まったの、オッサン」
「可愛くねーなクソガキ。……ありゃ俺自身の粗相さ。どうせろくな死に方は出来ねーだろと思ってたが」
まさかこんな馬鹿でかい秘密組織の奴隷になれるたぁ思ってなかったぜ、と男は付け足して目を細めた。所属していた裏世界への郷愁にでも浸っているのだろうか。殺人を犯してしまった以外ごく一般人だった青年には、その表情の意味は計りかねた。
「奴隷か。確かにそうかも」
「で、クソガキは、何しでかしてこんなとこにいんだ?」
「俺、は」
殺人を。
「人を、殺した」
「待てよ、そんだけで死刑になるわきゃねーだろ」
「アンタつくづくひっでーな。……殺して、バラバラにしたんだ」
「……それで?」
続きがあることくらいお見通しだと言わんばかりの口ぶりに、青年は顔をしかめた。
「バラバラにして、埋めて。……でも見つかったから、見つけたやつも殺した。またバラバラにして、埋めた。……そいつの親にばれそうだったから、それも殺した」
「……っ、おいおい」
人のこと酷いとか言えた義理かよ、と男が呆れたように肩をすくめた。
「お前相当頭アレだろ」
「自分でもそう思う。なんであんなことになっちまったのか分かんねーし。でもさ、段々感覚がマヒしてくんだよな。全部流れ作業っていうか」
それで結局……7人?あれ、もっとだっけ?思い出せない。
ただ法廷での宣告と、罵倒と、刑務所で受け取った親からの勘当の手紙と。そう、それから、
「――財団」
「あ?」
「なんなんだろうなって思ってさ。ここ」
死刑囚独房の中から連れ出され、説明にもならない話を聞かされ、気が付いたらこんなところにいる。彼はベッドの上で、居心地悪そうに足を組みなおした。
「俺が知るかよ。なんかヤバイ実験?してんだろ。オリエンテーションで言ってたじゃねーか」
「なんだ、意外とちゃんと聞いてんだな」
「あったりまえよぉ、俺すげー真面目なんだから」
仕事熱心でさ、と男はへらへらと笑った。こんな奴が殺し屋稼業だったなんて、嘘かホントか――いや、どうでもいいか。もうそんなこと、ここでは関係がない。
ただのD-63492とD-63493、なのだから。
「なぁ、D-63492」
「その呼び方やめねぇ?やっぱ呼びにくいわ」
「じゃあなんて呼べば?」
「本名でいいって。俺の名前は、テイゾー。差前鼎蔵だ」
「嘘くせぇな。ホントに本名か?」
「るせーな、細けぇことは気にすんなよ。それに今は、こっちで呼ばれるほうが慣れてんだ」
改めてよろしくな、と男は片手を差し出し、わざとらしい満面の笑みを浮かべる。彼の表情がどれだけ欺瞞に満ちていようと――その手が何人殺していようと、握りしめたときの温かさに青年は何故かほっとしてしまった。
「で、お前は?」
「え?」
「ばっか。名前だよ。何て呼ばれたい?」
「……ジンイチロウ。速水神一郎、です」
「なげーな。ジンでいいだろ?」
「そ……それは、嫌だ」
その呼び名は。家族や友人が使っていただけに、思い出したくない色々がフラッシュバックするのだ。……今更そんなことを思ったところで何もかも遅いのだが。
「やめろと言われると俄然やりたくなるね」
「……アンタほんとひっでーよ」
クソッタレ、と青年が忌々しげに悪態をつくと、男は愉快そうに、引きつったような笑い声を漏らした。
 
 
 
 
「ほんと何この食事!」
大食堂の中央。見るからに場に不釣り合いな少女は、いらついた様子で声を荒げていた。
「味は悪くないけど、少ない!少なすぎ!」
「嬢ちゃんうるさいぜ。皆同じ量なんだよ、我慢しろっての」
向かいに座ってサラダを咀嚼していたD-63492が呆れたように声をかける。少女はキッと彼を睨みあげると、顔をしかめたままプレート上のトンカツを箸で突き刺し、大きく開けた口に放り込み始めた。
「なぁ、君いったい幾つなんだ?」
D-63492こと元殺し屋の男の隣に座っていたD-63493こと元殺人鬼の青年は、味噌汁の碗を取りながらもっともな疑問を尋ねる。D-63492以外のDクラスとも幾人か会話を交わしたが、ここにいるのは殺人やテロなどの重大な犯罪行為をした者で、しかも見る限り成人ばかりだ。目の前で昼食をがっつく少女は中学生くらいの容姿をしている。着ているつなぎは明らかに寸法が合っていない。
「25だけど、何?」
「え、俺とほとんど変わんねーのか。もっとガキかと……い゛い゛ッ!?」
足上に走る激痛に顔を歪ませて身体を椅子から浮かせた。味噌汁がたぷんと揺れるのを見て慌てて碗を持ち直す。
「何すんだよ!」
「あのきっつい監視も机の下までは見てないでしょ。君はひとりで急に変な声を出した変な人だ。良かったね」
そう言われて辺りを見渡すと、監視の守衛も含め何人かがじろじろと立ち上がったままの彼を見ている。解せないものを感じながらも青年はしぶしぶ椅子に座りなおした。
「まぁ、失礼なことを言ったのは俺だ、悪かったよ」
「犯罪者のくせに礼節はきちんとしてるんだね」
もりもりと口を動かしながら少女(年齢を明かされても外見はやはりそうとしか呼べない)は青年を観察するように眺め回す。
「なんだよ、君だって『犯罪者』だろ?」
「うるさいなぁ。他国に頼まれて政府要人を暗殺しようとしただけだよ」
「何その見た目に反したスケールのでかさ」と元殺し屋の男が口をはさむ。
「ぼく、表向きは自衛隊の諜報だったんだけどさ。まぁ色々あって」
用なしになった挙句手切られてこんなところに放りこまれたんだよね。男の茶化しを無視し、少女は無表情のままそんなことを語った。
「ごちそうさまでした。また会えたらよろしく」
空になった皿を重ねると、プレートを持って立ち上がり返却口へと行ってしまった。
「……色んなのがいるなぁ」
「色んなのがいるねぇ」
青年と男はしみじみと言って、出汁の薄い味噌汁をすすった。
 
 
 
 
「ここの奴らはいったい何の研究をしてんだろうなぁ」
寮へと戻る廊下を連れだって歩きながら、男が頭の後ろで手を組んだ。
「気にすんのか。意外だな」
「他に気にすることもやることもねーからな。お前だって気になんだろ?」
「……それは、まあ」
時おりすれ違う白衣を着た人々を横目で流し見ながら、青年は自身の好奇心を認めた。研究しているのは何かの兵器か、未知の生物かエネルギーか……それとも。
「まぁそのうち実験材料として呼ばれたら、分かるんだろうな」
「生きて部屋に戻れれば良いがなー」
「やめてくれ、考えないようにしてたのに……」
大きく息を吐く青年を見て男が意地の悪い笑い声をあげる。
判断や注意を誤れば死ぬ危険のある研究なのだと説明はされていた。だからこそ死刑囚を使うのだろうし、彼らは『財団』にとって貴重な人材なのだろう。24時間監視の元同じ服で集団生活をさせられる以外はわりと自由な行動が許可されていることに、青年は少なからず驚いている。
「1か月生き残れば解放されるんだ、それまで粘るっきゃないさ」
「だな。がんばろーぜ」
そう話しながら、彼らは曲がり角を曲がった。すると、
「うおっ、びっくりした」
なんだあれ、と男に先ほどまで張り付いていた笑みが引きつった。立ち止まった2人の6メートルほど先には、昨今流行る地方自治体のマスコットキャラクターのような着ぐるみがいて、白衣姿の男女1組と話し込みながらこちらへとやってくるところだった。
「おいおい、『財団』にはゆるキャラもいんのか?」
「可愛いな。じゃなくて、マジでなんだよあれ」
ひそひそと言い合う2人のDクラス職員を、その着ぐるみもまた視界に捉えたらしかった。はたと立ち止まったその表情は無論変わらないが、着ぐるみは何かにショックを受けたように見えた。
 
「あ……貴方たち、は」
 
そう呟くと、ふいに着ぐるみは傍らの男性職員へと向き直り両肩を力強く掴んだ。
「な、どうなさったんです桑名博士……?!」
「今すぐ彼らの個人名簿を……いえ、現在在籍しているDクラス職員とフィールドエージェントたちの名簿を全て私に読ませてください!!」
桑名博士は男性職員を揺さぶって叫んだ。
「世界が改変されている可能性があります!!」
 
 
 
 
「よう、おかえりジン」
「……ただいま、テイゾーさん」
結局昼食ののち、青年が共同部屋へと戻って来ることができたのは夜8時を過ぎた頃だった。先に帰っているところを見ると、男の拘束時間は青年より短かったらしい。しかし昼までの飄々とした笑顔はなく、いささか憔悴しているようにも見えた。
「で、どうだった?何を訊かれた」
ベッドの下段に男が座っているのにはもう突っ込まず、青年はその隣に重たい腰をおろした。
「本名から始まって、来歴とか、趣味とか、どうして犯罪をやらかしたのかとか色々」
まるで逮捕されたあとの事情聴取のようだった。大声で怒鳴られなかっただけマシか。ただ淡々と個人的なことについて質問され、ひたすら答えた。身体検査や技能テストも行われ、それでずいぶん時間を取られてしまったように思う。
「そういや、二輪車免許を持ってないのかって、やたらしつこかったな」
「持ってんの?」
「いや。そりゃバイク乗れたらかっこいいけどさ」
「そうか。……俺は出身地を何度も確認されたな。何故か分からんが、九州じゃないのか?つって。俺ぁじーさんの代から東京住みだってのに」
「やっぱ妙だよな。帰ってくる間、他にも連れていかれてる奴らを見かけたし」
「あとあの着ぐるみだ。質問コーナーの間ずっと部屋の隅で俺をじろじろ見てやがった」
「俺んときもそうだったよ」
「……世界改変、か」
そう呟いて、男はベッド上で仰向けに倒れこんだ。青年は男の思案する様子を見降ろし、同じ言葉を脳内で反芻する。世界改変……SFかファンタジーか、そんな現象がこの世にあるとは到底信じられなかったが。
「質問攻めにあってたときに、相手の研究員が言ってたことから推測なんだけどさ。『財団』ってのは、こう……いわゆる、超常現象でも調べてるとこなんじゃないかな」
「ああ……俺もそう思ってた。じゃなけりゃ、あんな言葉がパッと出てくるわきゃねぇ」
男は眉間に皺を寄せて唸るように言った。超常現象。オカルト。未知の何かを収集し研究しているのが、この『財団』という組織ではないのか。
「俺たちを見て着ぐるみが何を思ったかは知らねえし推測しかできねーが……いや、やっぱやめだ」
もう寝る、と男はむくりと起き上がり、二段ベッドの梯子を昇っていく。おやすみクソガキ、と力のない声が言って、あとは静かになった。青年はスニーカーを脱いで、ベッドの上に寝転がった。結局その晩、消灯されたのちも、彼はほとんど寝れずじまいだった。
 
 
 
 
「本当なのですか、桑名博士。その……彼らが財団のエージェントだったかもしれないというのは」
「昨日までの私にとっては、そちらのほうが正しい日常でした。それが今は……どうしてこんなことに」
机上に高く積まれた資料の山を手当り次第読みながら、桑名博士は焦りを含んだ声で男性研究員の問いに答えた。
「越前さん……それと、こっちの餅月さん。厚木さんや、この西塔って女の子もです。今月雇用されたD-63400からD-63500までのうち、今見ただけでもざっと50余名のDクラス職員が、私の記憶では財団のエージェントとして働いていました。とはいえ全てのエージェントと面識があったわけではないですから、実際はもっと多いのかもしれません。今いるエージェントたちは……知っている方もいれば、まったく記憶にない方もいて。こちらに資料を分けた人たち――木場さんや串間さんなどは、エージェントではなく別の形で財団に雇用されていたはずです」
「弱ったなぁ……これでは真相が分かるまで、D-63400番台のDクラスを用いた実験が不可能になりますね」
「実験だけじゃないでしょう。Dクラスがいないと遂行出来ない収容プロトコルもあるんです、人手不足が過ぎれば収容違反にも繋がりかねませんよ」
部屋に入ってきた女性研究員が、追加の資料を机上に置きながら厳しい表情で言う。2人の言葉に、桑名博士は黙りこくった。資料を持つその手が微弱にだが震えていることに、男性研究員ははたと気づいた。
「……すみません、博士」
「いえ、大丈夫です。さし……いえ、D-63492と、それからD-63493のインタビューにも立ち会わせていただきましたが……彼らは、私の知っている彼らとは経歴も性格も少しずつ違う人物でした。もしかしたら、私自身が何らかのオブジェクトによる影響を受けて、認識災害に見舞われているのかもしれませんし。準備が整い次第、私自身の精密検査ができるよう先刻申請をしました。理事会にも緊急報告をしてあります。……とにかく、真相解明を急がないと」
 
 
 
 
「殺し屋か、ホントにいるんだなぁ。おっそろしー」
「ガキさらって殺して食った小説家に言われたかねーよ」
「ガキじゃないよ、彼女たちは俺のお姫様であり今では身体の一部だ」
「うわーきもいきもい」
「何を!」
「底辺の争いだよオジサンたち。見苦しいからやめてくださいよ」
「そういえば何でキミ男性寮にいるの?何して捕まったの」
「男だからですよ!……水商売してたんですけど、何人かの客がうざかったので。完全犯罪イケると思ったんですけどねぇ」
「外面から何となく予想はしてたが、怖ぇー」
「若い子は血気盛んやねぇ」
「そういうジーさんは何しでかしてこんなとこにいんだ?場違いすぎるぜ」
「ボクか?とある研究所で半世紀ばかし、人間相手に生体実験させてもろててな、」
「オーケー、どんな実験かは訊かないでおく」
元気な人たちだ。背後で繰り広げられる茶番劇に近い応酬を聞きながら、青年は肩身狭そうにベッドの上で座り直した。やることがないのも、話し相手が欲しいのも分かるが、自分たちの犯罪歴を語って盛り上がれる神経が彼には理解出来ない。関わらないでおくのが一番だ。
「ここ3日間音沙汰がないとはいえ、そのうち俺らにも回ってくるんですかねー、ラット役」
中性的な顔立ちをした元水商売の青年が、話題に不釣り合いな明るい声音で言う。
「そうだな。2日前に突然呼び出されて質問攻めにあったりもしたけど、何だったんだろうアレは」
人食趣味の小説家が、昨日までの出来事を思い出すように腕を組んだ。背を向けながら話を聞いていた殺人鬼の青年はその言葉に目を見開き、壁に寄りかかり会話に加わっていた元殺し屋の片眉はわずかながら持ち上げられた。
「アンタも呼び出されたのか」
「君もか殺し屋くん。ここの職員は実に妙なことばかり言ってくるよな」
「俺も呼ばれましたよ。そもそも何を研究してるのかすら分からないですよね、あの人たち」
「なんや、君ら知らんの?」
「知ってんのかジーさん」
「ボクみたく秘密裏に活動しとる研究者にとって『財団』といえば、科学の英知が及ばれへん妙なモンを収集して、その効果を調べとる機関として有名やったで」
やはりそうか。老人の言葉で推測が確信に変わり、青年は奥歯を噛みしめた。となるとあの言葉――
 
『世界が改変されている可能性があります!!』
 
――自分たちを見て、桑名博士が発した言葉。その後の面談と数々のテスト。それらから想像せざるを得なかった、突拍子もないと思われた可能性が現実味を帯び始めている。
 
俺たちは、元々Dクラス職員ではなかった?
殺人を犯すこともなく、死刑囚でもなく、実験用の消費財でもない速水神一郎が存在していたということか?
『財団』の『エージェント』として……?
 
なおも盛り上がる男たちの会話から耳を遠ざけ、考え込むD-63493の丸まった背中を、D-63492は静かに見つめていた。
 
 
 
 
「桑名博士!」
焦燥に駆られ、桑名博士は自身の検査結果を待つ間も惜しんで資料を読み、あらゆる可能性と対処法を模索し続けていた。その研究室に、早朝から1人の博士が飛び込んできた。
「ああ、奥山さん……どうしました?」
「針山です!……そんなことはどうでもいい、聞いてください」
前のめりでゼイゼイと息を切らせつつも、よろよろと身を起こした針山博士は、桑名博士に向かって伝言を告げた。
「異空間接触探知デバイスの情報信号が通常と異なっていたそうです。ごく小さいものですが、別次元からの介入跡が見つかったんです」
「ええと……」
ほとんど寝ることもなく資料を漁っていた桑名博士は、疲れと睡眠不足からか、まくしたてるように告げられたその言葉をうまく咀嚼することが出来なかった。
「……それは、つまり?」
「ですから――桑名博士、あなたが!」
針山は声を大きくし、一言一句を強調するように言葉を浴びせた。
 
「あなたが、その痕跡なんです!我々が改変されたのではない。あなたのほうが、異世界からの訪問者なんですよ!」
 
 
 
 
「D-63492、D-63493、来てください。……貴方がたの配属される実験が決定しました」
食堂で朝食を摂ったのち、寮へ戻ろうとしていた青年と男を呼びとめたスーツ姿の男性職員は、短くそれだけを告げた。へぇ、と男は目を細め、青年は茫然とその場に立ち尽くした。
「ということは。俺たちゃやっぱ、何もなかったんだな」
「……3日前の『調査』について言っているのなら、ええ、そうです」
何かに気づいているかのような発言をする男に、職員は首肯しながら答えた。
「望むなら、我々は記憶処理という形で貴方がたの記憶を消すことも出来ます。希望しますか?」
「そんなことも出来るのか、すげえな『財団』は。……いや、俺はいいわ」
男は片手をひらひらと振った。「貴方は?」と職員は青年のほうを向く。
「……俺も、いいっす」
青年は少々考え込むように視線を泳がせたのち、そう言って唇を噛んだ。
「よろしい。ではついていらっしゃい。実験場へ案内します」
「もう『実験』に参加するんスか?」
「ええ。通常貴方がたDクラスに、実験の予定日は事前通告されませんので」
「はっ、しょせんは使い勝手の良い道具かよ」
男の言葉にも青年のため息にも反応を返さず、職員は黙々と廊下へと歩き出した。
 
 
 
 
「あの人は、どうなったんスか」
「あの人?」
「着ぐるみの。……桑名さんだっけ」
「桑名博士については、君に教えられる情報などないよ」
「……そっすか」
なら良いっス、とD-63493は薄く笑った。
「では君には、今からこの部屋に入って、置いてある材料を化合してもらう」
この度の実験の計画者であり立会人でもある三宅博士は、顎をしゃくって目の前にある扉を示した。
「化合?混ぜ合わせるってことっスか?」
「ああ、緑色の粉末と、炭酸水が卓上に置いてある。それを混ぜ合わせてくれればいい。我々はガラス窓越しにその様子を観察する」
「はぁ……分かりました」
予想していた危険なものとは異なる『実験』内容に面食らったが、D-63493はぎこちなく頷いた。
そして開かれた自動ドアから実験室へ、彼は一歩足を踏み入れた。
 
 
 
 
「D-63492、そのまま部屋で待機していたまえ」
「わーったよ。ここにいりゃいいんだろ」
D-63492は退屈そうに収容室の真ん中で立っている。
「再度確認するが、君には妹がいるのだな?」
「いるよ、2人。実家出てからは会ってねぇけど。それがどうしたってんです?」
「君が知らなくてもいいことだ」
スピーカーから発せられる研究員の言葉に、D-63492は「そうかよ」と不服そうに呟いた。ぶつりとマイクの切られる小さな音に、彼は気づいていない。
「……準備はできた。これより実験を開始する。ドアスコープは塞いだまま、ドアの鍵を自動開錠してくれ」
 
 
 
 
 
……ああ、
ああ、死ぬのか。
混濁する意識の中、彼は頭の片隅でぼんやりと考えた。
静かだ。自分の身体が『それ』に浸蝕されていく音以外は。
我ながら酷い死に方をするものだ。こんなところでわけの分からない実験につき合わされて、孤独に果てようとしている。
――もしも、
もしも違う人生を、歩んでいたなら……いや、「もしも」なんて都合の良いものは存在しない。
別の世界にも俺と同じ名前、同じ容姿のやつがいたとして、そいつと俺が同一人物なわけでもないのだ。
死を畏怖するには遅すぎて、過ちを後悔するのも諦めた。
抱いた一抹の期待も泡のように潰え、俺はここで消えてなくなる。
――けれど願わくは、
 
かすむ視界の中伸ばした手は虚空を切って胸の上に落ち、
 
 
そして彼の眼は何も映さなくなった。
 
 
 
 
 
 
 
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