漂流物の追懐
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「海が見たかった」
 彼女は瑠璃色の玉座に腰を下ろしていた。天蓋に散りばめられた、ソールの息子達の輝きを受け継ぐその髪を、私に櫛で丹念に梳かせながら、吐息と共に言葉を生んだ。
 海。
 この帝国が勃興する前、古き巨人達が互いの躯を揺するより昔、Idna期の遺物は今や私たちの記憶の中にだけ揺蕩う。
「枯れてもなお遠い彼方にあると信じていた。私はきっと、海に恋をしていた」
 ニクロフテスの流涙に恋慕していたのだと、彼女は言った。
 ならば私は、貴女に恋慕している。指通りの良い髪に金の糸を編み込みながら、密かに沈吟した。
 陽射を映すその瞳は全てを見透し受け入れ、艶やかな唇は泥濁でさえも飲み干す。最も聖にして清らかなるPanna-giani、永定女宰たる我等が光芒。下賤な私は不届きにも、だが否応なく彼女に惹かれてしまう。我々臣民の心臓に彼女の記憶が刻み込まれているのを思えば、当然の憧憬だった。
「未だ、海をお求めですか」
「故にこの箱庭imperiumはある」
 愚鈍な私の浅はかな問いに彼女は笑う。時折、疲れたように視線を伏せて微笑むのを私は知っている。恐らく私だけが。
 永きに渡って陽の拡大を見守り、掘り起こされる銘記の数々に息吹を与えてきた、その心労は計り知れない。幼い体は幾度となく四肢を取り換え、臓器を一新し、血を入れ替えてきた。傍目には豪奢な衣で取り繕ってこそいるものの、今や首の繋ぎ目は朽ちかけており、白粉の下に隠された肌は所々が青黒く、全身が明確な悲鳴を上げていた。
 
 助けたかった。小さな肩を支えられる、強大な足が欲しかった。
 無論、宙に浮きそうなほど無力な此の身で、何が出来るわけでもない。
 それでも呼吸さえ苦しいほどに、狂おしく貴女を愛していた。悪魔に魂を売っても構わないと思った。
 
 
 
 
 
 
 その結果がこれか。
 
「少しは頭に血を巡らせて考えろ。長い鼻の下を伸ばし、利己的な強欲を膨らませて力を望んでおきながら、『誰かのため』だなんて綺麗ごとを抜かす。お前のような馬鹿が、オレは一等嫌いでね」
 折れ曲がった金属のような声が脳内に響いた。黒い影男は、宙に裏返った不自由なこの骸の周りを、幾度となく飛び回って嘲笑う。
「Fugolの聖柱に囲まれ、粗大ゴミ級のインテリアに成り下がった気分はどんなものだ? 可哀想な”像”、出来損ないの弟子は、一生そこで喚いていると良い。安心しろ、お前の後釜も既に料理人共が連れてきた。寒さに弱い菖蒲1みたいな青白いツラだったが、暫くは光芒あいつの良い玩具になるだろうよ」
 そう言うアンタはどうなんだい、魔法使い先生。
 凍てつく冬半球から逃れてきた、腐りかけの道化。国のため、主君のためと嘯きながら、誰かの願いがなければ存在し得ず、憐れに延命を乞う姿は、強欲以外の何だと言うのか。この虚ろな帝国は、手前の利己心エゴで出来た玩具なんだろう。夢見る心臓を貪る悪魔。霞の様なアンタは、究極の慈善家パトロン
 Gidico執政官。誰もが逃げ出すほど強大で凶悪で、中身は伽藍堂の、魔法使いの男。
 
 私は知っている。俺はずっと知っていた。
 この光翼の国が有限だと。夢には果てがあると。アンタが彼女を喰らい尽くしかけているのだと。
 ああ、何処かから貴女の泣き声が聴こえる(I can hear the cry)。
 
 
 
 
 
 
 
 

1995/06/12: オブジェクト回収記録
無認可法人████████に対して行われた、サイト-8119戦術対策チーム(TRT)による強行制圧に於いて発見。以降、当該異常実体をSCP-711-JPと識別する。転売元の「埜木商会」については依然調査中。

 
 
 
 

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