お別れ会
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夕暮れの赤い廊下を走る。
教師としてこんなことは恥じるべきなのだろうが、このはやる、いや、結果を急ぐ気持ちを抑えられない。出席簿とラジカセを脇に抱え、「愛」や「優」の習字が視界にちらつくのを無視して、1階から2階への階段を駆け上がる。あの█年█組へとひた走る。

今日は、 田中先生のお別れ会だ。先日亡くなった先生の遺書にあったように、クラスの歌と共に、遺品である赤ペンと花瓶を教卓に乗せ、みんなで先生を送るお別れ会。副担任である自分が進行を任せられていたが、生徒達への恐怖と、先生への後ろめたさから、準備係と学級委員に全てを押し付けて今日まで来てしまった。

僕は、何度も先生の苦しみを目の当たりにしてきた。先生の気持ちを理解できない生徒達による、常軌を逸した嫌がらせ──いや、最早暴力としか呼べない行為の数々を。その度に、自分を含めた教師達は、その横暴を見なかったことにしてきた。次の「生け贄」になる勇気は、大人達の誰にも無かったのだ。
そうして、いつか彼女は学校に来なくなった。良かった、とその時は思った。これでもう、あんないじめを受けることはない。もう、先生のあの、崩れかけの作り笑顔を見ることもないんだ。僕は、担任教師がいなくなった埋め合わせの大変さも忘れて、愚かにもそう安心した。




先生の訃報は彼女の母親によって伝えられた。あの時の異様な職員室の静けさは、未だに脳裏に焼き付いている。いつも彼女への暴力を豪快に笑って許していた体育教師の顔も、あの時ばかりは白く凍りついていた。そんなことになるなんて思っていなかった──皆がそう思っていただろう。そんな静寂の中、母親は先生の机の上の、クラスの集合写真を取り、無言で頭を下げ帰っていった。

自分が憎い。
先生の身代わりになろうとしなかった自分が憎い。自分の身可愛さから先生を庇おうとすらしなかった自分が憎い。先生の死後もなお、お別れ会の準備すらしなかった自分が憎い。お前は何も傷ついていない癖に。お前は何も苦しんでいない癖に。
この1か月、毎日毎日そうやって自責に逃げてきた。しかし、もう逃げる訳にはいかない。せめて、せめて先生を送る時だけは、彼女が笑顔になれるようにしなければ。みんなの明るい歌の中、カラフルな紙花と輪飾り、そして黒板の絵で彩られた教室で、最後に「ありがとう」と言ってもらえるような──最早、先生が何かを言うことはないけれども──そんなふうな会を、先生に贈るんだ。

コンクリートの階段を駆け上がり、3階へとやって来た。廊下の向こう、█年█組の教室から明かりが漏れている。ああ、しまった。みんなより遅れてしまったみたいだ。再び自責へ逃避しようとする自分を強引に引き戻しつつ、あの明かりへと走る。抱えたラジカセを落としそうになりながら、乱暴な足取りで、教室の扉の前に立つ。そして、取っ手に手を掛けて、みんなの待つ教室を──










誰もいない教室。

いつも通り並んだ机と椅子。

ぐちゃぐちゃに汚れた紙花の山。

散乱する短く千切られた輪飾り。

黒板に汚く書かれた、
「クソ教師ざまあみろ!!」
の文字。

そして、

割られた花瓶と、

真っ二つに折られた、赤ペン。





僕は。
膝から崩れ落ち、泣き叫んだ。

ペンの断面から、赤黒いインクが血溜まりのように溢れていた。

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