人を殺したことがあるだろうか。
普通の人間なら余程のことが無い限り人を殺すなんてことはしないだろう。人としても、倫理的にも至極当然の事であるから。
俺も普通の人の筈だった。でも、今日生まれて初めて人を殺した。殺したのは唯一の親友だった。他愛のない話をしていたときに、些細なことから口論になってしまったのである。そして、頭にきて、その場にあった鉄パイプで親友の頭を思いっきり殴った。
何度も、何度も、何度も、何度も。
湧き出る怒りをぶつけるかのように、親友の頭を無我夢中で殴り続ける。殴るたびにうめき声が漏れ出るが、そんなことは気にせずに殴る。
うなじに振りかざした鉄パイプが直撃する。短く小さな悲鳴を上げ、親友は動かなくなった。
それからしばらくして気がつき、ふと我に帰ると、親友は血と骨と肉の塊になっていた。
「やっちまった……」
腰が抜けてその場に座り込む。親友の頭はパカリと割れており、傷口からはとめどなく血が流れ、その場に紅の池を作り出していた。手にはべったりと血のついた鉄パイプを握っていて、服には返り血が付着している。
──どうする? 自首するか?
そう考えるが、死刑になるのではないか、捕まるのは嫌だ、捕まるわけにはいかない。そういった考えが頭の中に溢れる。結局、親友を隠すことにした。
「でも、どうやって隠せばいいんだ」
独り言を呟く。ドラマやサスペンス映画等では海に沈めたり、土に埋めたりする描写が良くある。しかし、そんな誰でも思い付くことではいずれバレてしまうだろう。
思考を、脳をフル回転させる。
──どうすればいい? どうやったら証拠が残らない?
等と考えている最中
「.ソレ、どうするんですか?」
と突然後ろから声を掛けられる。
驚き、鉄パイプを両手で握りしめ、後ろを振り向く。バレてしまったという焦り、どうすればいいのか、という困惑が心の中を支配していく。
後ろにはフードのついた黒のパーカーを着た170センチ程の男が立っていた。そして、男は俺に対してこう言った。
「もしよければ、私どもでソレを処理しますが」
「……は?」
思わず声が漏れる。死体を処理する、だと。ドラマなんかでは良くある展開だが、現実でも起こるとは。そう思いながら、男に声をかける。
「何故そんなことを?」
男がニヤリと口角を上げて答える。
「知りたいですか?」
男はそう言うと共に、死体をどこからともなく取り出した大きな袋に詰め込む。詰め終えると男は振り向き、笑みを浮かべてこう言った。
「付いてきてください。ご馳走しますよ」
「ああ……」と声を漏らす。何が何だかさっぱり分からないが、結局男の後をついていくことにした。
歩いて数十分。男のあとについてきたが、驚いた。
赤煉瓦造りの壁の、まるで中世の貴族の屋敷のような建物がこの町外れにあるなんて俺は知らなかったのだ。庭には沢山のバラが植えられていた。十分に手が加えられてるであろうそのバラ達は美しく咲き誇っていた。
「中へどうぞ。ご案内させていただきます」
男はそう言い、屋敷の扉を開ける。少しおそれ多かったが入ることにした。建物の内装は綺麗で、レトロな雰囲気が漂っていた。天井に吊るされているシャンデリアがいい雰囲気を出しているのだろう、と人を殺しているのにも関わらず俺は呑気にそんなことを考えていたのだった。
屋敷の中を少し歩くと、そこには吹き抜けの厨房とカウンター席が並んでいた。男が俺にカウンター席に着くように促す。促された通りにカウンター席に座る。
「本日は、当店にお越し頂き誠にありがとうございます。ささやかながら、お客様にお楽しみ頂けるよう努めさせていただきます」
男はそう言い、奥に消えたかと思えば、車輪のついた奇妙な器具を引いて戻ってくる。それは肉を吊るフックと、下に血を受ける盆がセットになったようなものであり、そこにはかつて親友であった死体が無造作に吊られていた。
鉄パイプで割った頭の傷の他に、首がざっくりと切り開かれておりそこから時折、ぽたりと血の雫が滴った。血を抜いているんだと思った。あたかも豚や、牛のように。
そうした視線を気にも止めず男は手にしたブッチャーナイフで左腕、右脚、左腕の順に勢いよく叩き切っていく。
滴り落ちる血液の色は鮮やかだが、その様子はフックに吊るされた食肉のように無機的だった。
湧き出る吐き気を抑えながら、しかしその工程から目を逸らすことができなかった。
「今回の調理は豪快さを意識して行わせて頂いております。本来でしたら、このようなことはしませんが──お客様の豪快な食材調達方法に合わせて行うこととなりました」
食材──それは死体のことだったのだ。親友が食い物になるということにかなりの抵抗を見せる。しかし、心のどこかでは親友はどのようになっていくのか、という好奇心が出てきつつあった。
「なあ──その、アイツはどうなってしまうんだ?」
男に問いかける。
「気になりますか?」
口から「ああ」という小さな声が零れ落ちる。男はその慣れた手つきを止めることなく答えるのだった。
「そうですね──まずは心臓をソテーにさせていただき、肝臓はレバーパテに──パテと合わせて焼きたてのバケットはいかがです?ああ、あとは腿肉から始まるステーキのフルコース、中でもとろりとした頬肉は絶品でございますよ。あとは腸詰めを山ほど。肉も腸もいくらでもありますからねえ」
「──そうか。アイツも、ほんとに死んじまったんだな」
小さな声で呟く。確かにあいつを──唯一の親友を殺した。でも、殺したくて殺したわけではないし、こうなることなんて考えてはいなかったのだ。
「思い出に浸っていましたか?」
男がこちらに問いかける。「少し、昔のことを思い出していた」と答える。
「思い出と言えば、いじめや憂鬱な気持ちからあなたを救ったり、毎日何気ない会話をしたり、くだらないことで笑いあったりしましたよね」
男が抑揚のついた声で優しく語りかけてくる。どうしてそんな──知り合いしか知らないであろうことを知っているのかは分からなかったが、答えずにはいられなかった。
「ああ。いつも馴染めなくていじめられていた俺を救ってくれたのはアイツだったし、いつもくだらないことやどうでもいいことを話し合って笑っていたんだ」
「ですが、今後はそういったことはもうないでしょう。彼はあなたの唯一の心の支えであり、親友でしたから」
そういって男は親友だった肉塊の左足を叩ききる。男が親友の四肢を切断し終えた後に、メスを持って下腹部から胸に掛けて切り裂いていく。メスを通したところからチラリと、鈍い赤紫色の内臓が顔を覗かせる。完全にメスを通し切ると、男は肉切りはさみを持ち出し、腹の中に手を入れた。
──たしかに俺は大事なものを失ってしまった。その喪失感は計り知れない程のものであった。そして俺を襲う孤独感。一人、犯してしまった過ちの大きさを改めて痛感していた。そんな中、男が声をかけてくる。
「ですが、それこそがこの料理──そしてこの食材の真の妙味を引き出すのです。素晴らしい食材を提供してくれたお礼に、あなたのその虚ろな心を満たして見せましょう」
男はそう言い、腹の中に入れた手を動かす。手を動かす度にパチン、パチンという軽快な音が厨房に響く。しばらくして男は手を腹の中から出したのだった。手に持っていたのは、おそらく心臓であろう萎びた肉の塊である。
男はその肉塊を両手に持った二又のミートフォークに突き刺して運び、十分に加熱した鉄板に乗せ、焼いていく。
鉄板から立ちのぼる香ばしい脂と肉の焼けていく香りは、それが人のものだというのにぞっとするほどに食欲をそそり、手際よくソテーされた肉にはみただけでカリカリとした食感を想像させる焦げ目が付いていた。
男はキラキラと光る品のよい包丁を取り出す。ハンドルは磨き込まれて黒檀のような艶を放っている。その包丁で心臓だった肉をスライスしていく。スッと通る切れ目が美しい。間違いなくレアだろう。薔薇の花のように麗しく盛り付けられた一皿のソテーが目の前に出される。最初に抱いていた吐き気や嫌悪感は気がついた頃にはなくなっていた。
「心臓のソテーでございます。プリプリとした食感と、上質の人脂──もちろん男を知らぬ乙女の脂肪を精製したものですが、その香りをお楽しみください」
そう言って男はこちらを向いた。その顔は笑っているが、どこか無邪気な恐怖を感じるような表情だったのだ。
ソテーを一つ口に運ぶ。それを見た男が話を始める。
「少々固く、噛みごたえがきになるかと存じます。人の肉を初めて食べる方はそう感じることがままございます。ですが、その食感をこそお楽しみくださいませ。そして、食べ進んでいく内にこうとも思われるはずです。"仲の良かった友人を食べることで私の血肉となる。友と友の親愛というのは本来こういうことである"と」
「確かに──少し臭みがあるが美味いな」
食べながら答える。初めて食べた人肉の味は懐かしい味だった。一口噛むごとに口の中でプチプチと弾け、あたかもザクロの果実のようで、一口味わうたびに、口の中に血の味、そして肉汁が溢れ出す。これほどまでに美味い肉は食べたことがないほどだった。
「どうですか? ──友人の心を、感じませんか?」
「友人の、心」
急に目頭が熱くなり、瞳からは熱いものが零れ落ちる。口論になったのは元々、俺の身を案じてくれていたがためだった。いつでも親友は俺のことを気にかけてくれていた。そう思うと涙が止まらなかった。
「これが今回のメニューの味、"友情の味"です」
男が一言呟く。
「"友情の味"……確かにそうだな……」
初めて食べた人の肉の味。初めて味わった友情の味。
それらを噛み締め、その後も親友を食べ続けながらながらその場で泣き崩れるのだった。
──あれから数ヶ月後。頻繁にあの店に訪れるようになった。様々な身内、知り合いを騙して連れ込むのは些か心苦しいことだったが、人を食べることの喜びには抗えなかった。
家族、友人、恩師。どれを食べても異なる味わいがする。飽きることも、懲りることもなく俺は肉を食べる。
今やあの店の常連になっていたのだった。
だが、"友情の味"を超えるほどの味わいには未だ出会っていない。
友人を、家族を、恩師を食いつくし、信頼も、友人も失ってしまった。
しかし、それでもまだ物足りない。
まだ見ぬ味を求め、今日もあの店を訪れようとしていた。
しかし、かつてあった筈の館は廃れており、中には人気が無かった。
友情の味を超える味を味わうことが出来ないことを知り、俺はその場に蹲った。
親しい人を全て捧げても届かなかった味。
どうやってでも届きたかった味。
欲望に、抗えなかった。
独り、静かな館の中で後悔を味わった。