ひどく暗い水中に、私は生まれた時のことを覚えている。
しばしの滑空ののち水面にすべり落ちるとそこにいた微小な生物たちが少しの悲鳴をあげて一目散に私の足の間をすり抜けどこかへと消えていった。
哀れな生き物たちだと思いその場を離れるが、そうなるとこれからどこに行けばいいのかわからない。
しばらくその場に留まり今後を考え、少しの時がたった。足元の痒さで我に返ると、いつかの哀れな生物たちが自分の足、詳しく言えばそこに生えた藻をついばんでいた。これではいよいよ動けん。
水中に浮かべた二本の脚を可能な限り動かしてはみたが、この哀れな生物らにとって私は最高の餌場でしかなかったというわけだ。
また時がたち、私は一つ価値のある物へと変化した。
彼らは私からの恩恵を享受しつづけ私によって一生を終えていった。あるものは一定の大きさになったとたん私のもとからた立ち去り、あるものの最期は私によって与えられた。
あまりおいしくはなかった。
そしてあるものは(これが一番私と多くの時間をともにした)最期に私に一つの入れ物を残した。
彼の外殻であったものは大きさ、質ともに私に相応しくなによりその側面の幾つかの突起が美しかった。
「とげとげ。」
殻の中での時間は非常にゆっくりとしていてそれでいてとても複雑なものだった。
時折臣下たちのために殻の外へと脚を一本なげだしてやると彼らは一斉に飛びつき表面の藻だったりなにかだったりをついばんでいった。
その時間は私の中の一番の平穏であった。
またしばらくの時を殻の中で過ごした。次に外へ出た時、私がいるのはもう暗い水底ではなかった。
海面がとても近く頭を突き出し空気を入れてみると少し懐かしい味がした。
脚を出した先がザラザラとしていて瞬時にここが砂の上だとわかった。そして何かが私をのぞき込んでいた。
おそらくヒトデの亜種であろうソレは私を持ち上げると私がもとよりいた場所から少し離れたところに私を置いた。
図体は大きいが私にはこいつが幼体であることは容易に理解できたし、そうとなれば私の身の振り方も決まっていた。
「少年よ。私は『深き海を統べ
口の中に大量の砂が入ってきたのだ。よく周りを見ると私を中心とした周りの砂地は凹んでいて、いや、私が置かれた中心のみが盛り上がっていたのだ。
私はその時私がこの山の中心に位置していることを理解した。そしてこの山は今私の存在により保たれているものだと。
私が本当の私の存在を認識したのはその時からであった。
ここからの別れは早く、唐突なものであった。
波は我が城を襲ったが、それら残害が臣下たちのもとへと流れて行ったのを見て少し安心した。
正統な王である私には臣下たちへ気を配るのも務めであったしそれにそろそろここから移動したいと思っていた。
しばらく岩上を移動しているとまたヒトデの亜種にまた出くわすこととなる。
そいつは前みたヒトデより幼く見え(小癪なことにそれでも私より彼女は大きかった)、動きも前のより煩かった。彼女は私を手に取りその手の平に乗せると、私の顔をじっと見つめた。
「ヤドカリさん?」
「少女よ。私は『深き海とそびえる山を統べる偉大なる王』だ。」
「ヤドカリさんってむずかしいことばでしゃべるのね。」
「少女よ。『私は深き海とそ
「しょーじょじゃないの、わたし、アイリっていうの。ヤドカリさん。」
「なら私のことも『深き海とそびえる山を統べる偉大なる王』と呼ぶのだアイリよ。」
「ヤドカリさんあのね。私おうちに帰らないと。ママがホットケーキを焼いてくれるの。」
「ホットケーキ?」
「ヤドカリさんホットケーキ知らないの?」
「偉大なる王である私がそのような低俗な名を知らないわけがないだろう。そしてアイリ、私の名は
「ヤドカリさんも食べにくる?」
「うん。」
偉大なる王の車役を買って出た彼女はその後私を彼女の家にまで連れて行くことになるのだが、そこからはまた複雑な日々が続いた。
しかし私の尊厳が失われることは一日もなかった。
アイリは私をアイリの持つ部屋で一番高い場所に置いた。初めて私がその場に座ったとき私はそこから見える部屋の全てを見ながら、ヒトデというものは藻は食べるのだろうか、それを必死に思い出していた。