ビッグ・サプライズを見る目無し
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第1話: 状況が悪化する時

「グウェン! 私ちょっと雲隠れするよ!」 アイリスはそう叫びながら寮室のドアを勢いよく開け放った。ルームメイトのグウェンフィヴァル・シスルブランチ - 妖精シー族王家の王位継承順位11位、シスルブランチ出版社の資産相続者、ディア大学亡命学生自治会長 - は金切り声を上げ、ベッドシーツを顎まで引っ張り上げた。

「ドアに靴下が掛けてあったでしょ?! いきなり入ってこないでよ!」 グウェンが叫び返した。明らかにシーツの下にいるのは彼女一人ではなかった。

「緊急時は例外のはず。やっほ、モーティ」

「業火ノ仔ヨリ汝ニ挨拶ヲ送ル、定命種ヨ」 モルデカイ・ディアボルス - 将来の反キリスト候補者、ディア大学終身学生自治会長、グウェンの“複雑なのよね” - がグウェンの腰の辺りから唸り声を返した。その声の響きは、一千もの苦悩する魂が一斉に絶叫しているようでもあり、教会の屋根が大勢の信徒の上に崩れ落ちるようでもあり、戦争犯罪と大量虐殺を否認する政治家のようでもあった。彼は咳払いしてから再チャレンジした。「あー、すまん。よう、アイリス。ホントは顔出して挨拶したいんだけど、今ちょっと、うん」

アイリスは溜め息を吐いた。「知りたくない。その下でどんな変態プレイに興じてたか知らないけど、いったん中断してね。今言った通り、これから身を隠すんだからさ」

「どうして隠れるのよ?」 今はグウェンもシーツの下に潜り込み、シーツに覆われて見えない手錠だかロープだか足枷だかを弄っている。「二次会で何か恥ずかしいことでもやった? 二次会で誰か恥ずかしい子とでもヤった?」

「ううん、冗談じゃなくて真面目な話」 アイリスはベッドの下からダッフルバッグを引っ張り出し、服を放り込み始めた。「さっき誘拐されかけた気がする。あと、逃げるためにとっても違法なローラーブレードの技を使った。だからある意味じゃ法の手からも逃げることになるかもね? そゆこと」

「ちょ、ちょっと待てよ、誘拐されそうになった?」 モーティは既に解放されて上体を起こしており、シーツのおかげで品位も辛うじて守られていた。まだ首輪を付けていた。「でもお前 - できるだけ良い意味で言ってるつもりだけどさ - お前は一般人じゃんか」

「分かってる!」 服はこれで十分だろう - 黒Tシャツ6枚、黒ジーンズ数本、黒靴下と黒下着がどっさり。アイリスは本棚に向かった。「シジル・パイの裏手にある近道を通ったんだ。そしたら、ドーン、リムジンが“道”の真ん前に停まってて、キザなイギリス人のお坊ちゃまが出てきて、『おぉぉぉ、ミス・ブラック、君を待ってたんだよお』とかなんとか言って、横にはヘンテコなチンピラボディーガードが控えててさ…」 彼女は二冊の魔導書を掲げて見比べた。「この二冊、要るかな?」

「んー… “クラヴィキュラ”は要らないかもね。そんな面倒臭い儀式やってられないし、本当に必要になったらインターネットでメイザーズ版の翻訳が見つかるわ」 Tシャツを着たグウェンがモーティの横で身体を起こし、彼の首輪を外した。「だけど“現代奇跡術”は古典だし、スキャンしようとすると腫れ物ができるDRM保護が掛かってる。そっちを持って行きなさい。相手の名前は分かる?」

「うん。『クリソフィラス・マーシャル、しかし友人たちはスキッターと呼ぶ』だってさ。そう、友達もいた。鮮やかなピンク色のロールスロイスに乗ったフランス人の男」 更に数冊をバッグに投げ込む。試薬セットとポータブルラボは壊れやすいのでバックパックに入れるしかないが、杖は丁寧に三分割して服の中に滑り込ませる。「勝負下着どうしよっか? 潜伏中に必要になると思う?」

「も… もしかしてそのフランス人って、こう、バケットハットを被ってトラックスーツを着てたか?」 モーティは普段よりも一層蒼褪めているように見えた。平時の顔色が既に溺死体並みに悪い男なので、これは偉業である。

アイリスは一番セクシーなブラとパンティのセットを畳む途中で硬直した。「そうだよ。どうして分かった?」

「知ってる奴だと思う。個人的にじゃなく、評判で。そいつらの家族は俺の親父と取引してる」

「それって…」 アイリスは身振りで漠然と下を指した。

「違う。いやまぁ、そっちとの付き合いもあるかもな。でも今話してんのは人間の親父の方。親父は… 輸出入スペシャリストなんだ」

「密輸業者のことよ」

「そうなんだ。ありがとよ、グウェン、うちの家族のヤバい秘密をそこら中で言いふらしてくれるそんなお前にマジ感謝。サンクスギビングデーに秘密保持契約にサインしたはずだよな? まぁそれはどうでもいい。そのフランス人はアルフォンス・カルティエだ。カーター家の親類だよ。マーシャル・カーター&ダークのな」 アイリスとグウェンはポカンとした表情でモーティを見た。「あー、そうか、そうだよな、知らねえよな。アイリスん家は貧 -」 グウェンがきつい肘打ちをかました。「えっと、労働者階級? 社会経済的地位が低い? どちゃクソ大金持ちじゃない? あのな、グウェン、お前は貴族としておかしいだけでなく富裕層としてもおかしいぞ。だってホラ、お前にはモラルとかがあるじゃん」

「早めに本題に入ってくれる?」 セクシーな下着も一応持って行くことにした。若き日のジリアン・アンダーソン演じる色気たっぷりのUIU捜査官と遭遇して、留置所から逃げるために誘惑しなければいけない場合に備えて。

「マーシャル・カーター&ダークってのは… 紳士のクラブ、なのかな。いや、ストリップクラブとかとは違うぞ。年寄りが葉巻を吸ったり、ウィスキーを飲んだり、ワイフの愚痴をこぼしたりしに行く場所だ。というか、昔はそうだったんだが、今はオークションハウスと仲介業者も兼ねてる。ありとあらゆる奇抜なもんの仲買人さ。カネも、権力も、コネも死ぬほど持ってる」

「マジかよ」 とっておきのハッパ、ヨシ。(グウェンが去年のユールタイドにくれたジョークプレゼント、内側をくり抜かれた肩をすくめるアトラスの本に隠してある。) ホルモン、ヨシ。(エストロゲン、プロゲステロン、スピロノラクトン。高校時代からチューリング通りのマクスウェリスト無料診療所で処方してもらっている。) 「でもそいつら、私をどうしたいのかな? スキッター、マーシャルの奴、あいつは“ビジネスの提案”があるみたいなこと言ってたけど、あの時は私を車に乗せる口実だと思った」

「ええ、多分そうでしょう。あ、ノートパソコンの充電器はここよ、ちょっと借りてたの。私のはちょっと爆発しちゃってね」 グウェンは充電器を投げてよこした。「それで、これからどこに向かうつもりかしら? もし私の実家に滞在したければ、王室警備隊に頼んで見張ってもらうこともできる」

「グウェン、気持ちはとっても嬉しいけど、コーギーに乗ったピクシーたちが儀式用のハルバードで武装した程度じゃ -」

「あれはグレイブ! ハルバードじゃありません!」

「儀式用のグレイブで武装した程度じゃ、恐らく自分好みの民間軍事会社を雇えるタイプの人間には歯が立たないかもよ」 アイリスは俗悪ペーパーバック本の最後の一冊をダッフルバッグに押し込み、ジッパーを閉めた。「それとモーティ、申し出る前に断っておくけど、私は妖魔界、奈落、黄泉、その他の地獄みたいな場所には隠れたくないんだ」

「俺が言おうとしてたのは -」

「ニュージャージー州は“その他の地獄みたいな場所”だよ」

「アトランティックシティも?」

特にアトランティックシティ。大丈夫、アリオットに助けてもらうつもり」

「アリオット・チャオ?」 グウェンはきょとんとした。「ファッションデザイナーの? スリー・ポートランド最弱のダービーチームで主将をやってるあの人よね?」

「待て待て、俺もアリオット・チャオは知ってるぞ。彼女は…」 モーティはいったん口をつぐんだものの、婉曲表現が見つからなかった。「オーケイ、彼女は武器商人だ。ファッションデザイナーでもあるけど、そっちは隠れ蓑だと思う。その逆じゃない限りはな」

「そう、その人」 部屋の中を最後にざっと確認すると、ヘッドホンの充電器とアメリカのパスポートが見つかった。イギリスのパスポートほどの役には立たないが、念のため荷物に入れるべきだろう。「深みのある人なんだよ」

「まるでタマネ -」

「モーティ、太陽神ルーに誓って、もしベッドの中で“シュレック”の台詞なんか引用したら、あなたをヘッドボードに手錠で繋いでから -」 グウェンの言葉は尻すぼみになり、彼女は気まずそうにアイリスを見やった。「ごめんごめん。こっちの話」

「それじゃあ、私は出発するから。何か役立ちそうな情報が入ったら教えてね」 アイリスはドアに向かう途中で立ち止まった。「ねえ、ところでさ、まさか君たちが学生自治会長の座を争ってるのってプレイの一環なの? 勝った方が責めになるとか? “ああっ自治会長様、イケない扇動者だった私めを罰してくださいませ”みたいな?」

グウェンの顔は真っ赤に染まったが、モルデカイはニヤリと笑うだけだった。「馬鹿なこと言うなよ、アイリス。自治会長になったら俺の飼い犬根性はいよいよ剥き出しになるぜ」


ケモノミミ財閥 スリーポートランド支店は、プロメテウス・プラザの近場にある高級ブティックであり、トランスヒューマニスト・サイバーファッションの最新作を取り揃えている。全く以て公明正大な商売をしており、地元のオタクどもに愛されていて、アリオット・チャオが死んでも近寄らないような店だった。普段、スリー・ポートランドにいる時のアリオットは、カリスティー - その名前と彼女の宗教的信条を考慮すると、恐らく彼女自身がオーナーだと思しきクラブ - で過ごすことを好んでいる。しかし、今日は金曜日なので、彼女の居場所は一ヶ所しか考えられなかった。

「第三の戒律! ディスコルディア信者ディスコーディアンはその啓蒙の初期段階において、金曜日に一人きりで出かけ、ホットドッグを嬉々として食べるべし!」

スリー・ポートランドで一番美味いホットドッグ屋台の経営者はアイスランド人の中年男性で、名をハリーという (ハーラルの略) 。

「この敬虔なる儀式は、今日流行している異教主義に抗議するために行われる!」

彼はもう二十年近くホットドッグを売り続けており、そのうち十七年は、毎週金曜日になると、着実に増え続けるディスコーディアンの集団に取り囲まれて過ごしてきた。

「ユダヤ教は豚肉を禁じている! ヒンドゥー教は牛肉を禁じている!」

厳密に言えば、ハリーのホットドッグは100%羊肉で、コーシャとハラールの認定を両方とも受けているので、様々な信仰を持つスリー・ポートランド市民たちから好評だった。

「カトリック系キリスト教は金曜日の肉食を禁じている! 仏教はあらゆる動物の肉を禁じている!」

ちなみに彼は豆腐ドッグも売っていた。金曜日が訪れるたびに、ハリーはその日の演説を担当する狂人にこれらのことを説明しようとしたが、彼らは決して耳を傾けなかった。

「そしてディスコーディアニズムにおいては! ホットドッグのパンを食べることが禁じられる!」

しかも、彼らはハリーの急所を突いてきた。パン無しのホットドッグは絶対に売らないというのが彼のこだわりだった。グルテンフリーでも、オーガニックでも、放牧場で育てたやつでも、どんな種類のパンを求められても、彼は要望に応えるだろう。しかし、剥き出しのホットドッグは売らない。卑猥だからだ。

「第四の戒律! ディスコーディアンはホットドッグのパンを食べてはならない、何故ならばそれは我らの女神が“最初の冷遇”に直面した時の慰めだったからである!」

金曜日の説教師の中では、アリオットが彼の一番のお気に入りだった。彼女は大文字で記されている部分をしっかりそう分かるように発音した。ディア大学から来る教皇帽の若者は必ず幾つか取りこぼすというのに。

「そして第五の戒律! ディスコーディアンは読んだものを信じることを禁じられる」

そしてチップ! いやはや、アリオットは実に気前良くチップを支払った。必ずしも簡単に使える種類の金銭とは限らなかったが - まだ展開すらされていない暗号通貨や、クルーガーランド金貨や、ICSUTの学部長名義の借用証書だった時もある - いつも多額ではあった。ハリーには、自分の子供たちの大学教育費があの女性のチップだけで賄われたという確信があった。

「そのように記されている! そうあらしめよ。ディスコルディア万歳! 告訴する者は違反されるであろう」

最後に群衆から「エリス万歳!」の歓声が上がり、誰もが各々のホットドッグにかじりついたので沈黙が訪れた。遅れてやって来た者たちに更に幾つか売った後、ハリーは小さな電動モーターを始動させ、その場を後にした。今夜はICSUTで社交パーティーがあるので、騒がしくなる前に芝生に陣取っておきたかったからだ。

「ヘイ、アリオット?」 アイリスはダッフルバッグを荷台に乗せたまま、自転車を木に立て掛けて止めた。バランスは自転車が勝手に取るはずだ。「ちょっといいかな?」

「ヘイ! アイリス!」 アリオットの口はホットドッグで半分塞がっていた。しかも両手にも一つずつ持っている。「要る? ハリーはたった今帰ったみたいだけど、今日は一個余分にくれたんだ」

「あー、その、ありがとう、うん」 アイリスは差し出されたソーセージを一口かじった。それはマジで超絶めちゃうまホットドッグであった。「これマジで超絶めちゃうまホットドッグじゃんよ」

「ハリーはミシュランの星を貰って然るべきだと思う、ホントに」 アリオットのホットドッグが口元に運ばれる途中でピタリと止まった。「おい! そのシャツ見たことあるよ。やるじゃん、やっぱステラってパないよね」

アイリスは差し出されたグータッチ待ちの拳をじっと見つめた。「えっ」 ゆっくりと、しかし着実に理解が追い付いてきた。「あ! いや。違くて。このシャツは今朝、天井ファンに引っ掛かってたのを盗んだだけ。あと、ステラは私のタイプじゃない。なんかこう“めっちゃ庇護欲煽ってくるけど煽り方が下手くそ”みたいなオーラがあってさ。やたらキースマッシュしたり、小文字のオメガ使った絵文字連発したり、安っぽい首輪付けて自撮り上げまくったりしそうな感じあるじゃん」

「んー。それは言えてるかも」 アリオットは五個目のホットドッグを完食し、ボート型の紙皿をゴミ箱に放り込んだ。「さて… なんでアンタはホットドッグ・フライデーに来たのかな? 二次会で何か、アタシに知らせときたい事件でも起きたかい?」

「あっ! そうだった。違うよ、ダービー関係ではない」 アイリスは緊張気味に周囲に目をやり、ディスコーディアンの群衆は恐らく - 平均して考えると - マリファナにすっかり酔っているので聞き耳を立てはしないだろうと判断した。「ちょっと隠れる場所が必要でさ… しばらくの間。私、誘拐されかけたんだ」

アリオットは一瞬にして、のほほんとしたディスコーディアニズムの導師から、冷ややかな顔つきの必殺仕事人へと変貌した。それは恐ろしくもあり、官能的でもあった。いや、アイリスが自分の心に正直に評価するなら、恐怖1に対して官能3だった。「誰に?」

「えっと。モーティがね、つまり、モルデカイ・ディアボルス、暗きものの仔、ディア大学終身学生自治会長の -」

「オッケー、もしまた別なディア大生ディアリーがアンタを攫おうとしたらすぐキャンパス警察に行けよ? あのさ、もし気乗りしないならその時は手伝うけど、アタシでさえディア大のコミュニティ保安部は怖くてたまんないんだ。あの連中なら三下の反キリストぐらいちょちょいのちょいだと思うけど」

「違う違う、話を最後まで聞いてよ。モーティは、私のルームメイトの… カレシ、なのかな? 絶対にセフレ以上の関係ではあるんだけど二人とも付き合いを秘密にしてるんだ、バレたら政治スキャンダルになっちゃうから、それも三つか四つぐらい、だから本当は多分アリオットにも話すべきじゃなくてあと間違いなくSM系のアレなんだけど二人ともそういうプレイが好きなだけなのかそれとも -」

「アイリス。落ち着こうか。まずは一緒に深呼吸」

「ごめん。ストレスの多い一日だったから」 アイリスは数秒間呼吸に集中してから、改めて話し始めた。「モーティの話では、多分マーシャル・カーター&ダークの仕業だって」

「ああ。成程ね」 アリオットには驚いた様子も、特に心配した様子もなかった。それ自体が驚くべき、心配すべきことだった。「そいつは… 実際、かなり筋の通った話だ」

「どゆことすか」

「アタシんとこで教える。ほら、自転車持ってきな、近道があるからさ」


一方その頃、一つ上層の宇宙の、北東に三時間ほど離れた場所で、二人の青年が古めかしいオーク材の扉の前に立っていた。この扉にはルーン文字の束縛も、生贄の血を流し込む溝も、遥か昔に賢者たちが隕鉄から鍛造した錠前も無い。しかし、二人の青年にとって、この扉の奥に待ち構えているものは、自分たちの足元から六階分下にある別な扉の奥に潜んでいるはずのものよりも恐ろしく感じられた。

「なんで逃がしちゃったんだよ」と最初の一人が言った。彼は長身痩躯で、緑と金の格子柄のスーツを着ていた。彼のネクタイには、解剖学的にあり得ない体型の女が白目を向き、口をあんぐり開けて絶頂しているアニメ調のイラストが印刷されていた。

二人目は背が低く太っていた。彼のトラックスーツはピンクの迷彩柄で、バケットハットを被ったその姿には“世界一のおばあちゃん”という肩書きがよく似合いそうだった。かすかなフランス語訛りで、彼は言い返した。「一度は追い詰めといて、そっから全部しくじったのはお前だろうが」

「彼女は腕を炎の剣に変えたんだぞ! どう反応すればよかったんだよ?」 小柄な方の青年は、無闇に整髪ジェルを塗り付けた髪を手櫛でなぞり、相方を睨みつけた。「僕はてっきり、あの子がごく普通の大学生だと思ってたんだ。ローラースケートニンジャだなんて聞いてない」

「お前さ、事前に調べるとかしたか? ディアは魔法使いの大学だ。ICSUTに似てるけど、ポストモダニズムが何なのかを知ってる奴向けの場所なワケよ」

「どうでもいい。とにかく、とっとと済ませよう」

おうOui

彼らは前に踏み出し、滑らかな真鍮の握りを各々一つずつ回した。扉が軋みながら開くと、家具調度品の整ったオフィスが見えた。二人は目と目を合わせたが、ドラマチックに頷き合う間も与えず、中から老人の声が飛んできた。

「丸一日待たせるつもりか、とっとと入ってこんかい」

若者たちは小走りに入室し、恐ろしく高価な金属の椅子に腰かけた。三つの学位と二十歳年下の妻を持つ禿げたフィンランド人のデザイナーが、このオフィスのためだけに設計した特注品である。(途轍もない座り心地の悪さは特色であり、欠陥ではない。) 椅子の正面に据え付けられた二脚の巨大なデスクは、盲目の宦官たちが経営するイスタンブールの工房で数世紀前に作られたものだった。どちらもモノグラムが彫られていて、左側は“M”、右側は“C”だった。デスクの向こう側には、勿論、マーシャルとカーターがいた。前者は太っていて赤ら顔、後者は蒼褪めていて細かった。

訪問者たちが着席すると、カーターが怒気を含んだ声で言った。「ブラック家の小娘を回収する時、どう上手くいかなかったかを正確に知りたい。何一つ省略せずに話せ」 どちらも返答しないので、彼は続けた。「クリソフィラス、お前からだ」

スキッター・マーシャルは悪趣味なアニメ柄ネクタイを神経質に整えた。「えーっと、もうその件はメールで送ったと思 -」

年上のマーシャルが発言を遮った。「おお、メールは読んだとも、小僧!メールに書いた話を今この場で繰り返せと言っとるんだ! そこまで難しいことを頼んだか?」

「はいっ! はい。あの、彼女は - えー、アイリス・ブラックのことだけど - 情報屋から聞いた通りの“道”を抜けて…」


「…そして、カルティエ家の倅はあの下品な車をトラックに衝突させ、彼女を見失った」 エイモス・マーシャルは額の汗をハンカチで拭った。「お前の孫娘は大したもんだよ、パーシヴァル。若造どもが彼女を、あー、解体しなければいかんのが無念にすら思えてくる」

パーシヴァル・ダークは片眉を吊り上げた。「全くその通り」 顔の他の部分は全く変化しないまま、唇に薄い笑みが浮かんだ。「時が来れば、彼女の姿を存分に楽しませてもらうつもりさ」

「そうだろう、そうだろう」 ルーパート・カーターは緊張した面持ちでマーシャルを見た。彼らは入室前にくじを引いていた。彼は問題の質問をしたくなかった。「うん。男の姿が何千年続いたか分からないが、良い気分転換になると思うよ。うん」

「バーティー、僕に訊きたいことがあるのは分かってるよ。さっさと言いな」

「ああ。実はだね」 足元に目を落としたカーターの胸に、小学生の頃にラグビーの八百長試合がバレて校長室に呼び出しを食らった時以来、縁が無かった感情が湧いてきた。「私にはとんと分からないんだが… いったいどう…」 彼は溜め息を吐いた。「私たちは君のキンタマを切り取らなきゃならなかったんだ、パーシー、それは儀式の一環だ。卵巣で間に合わせようったって無理なんだぞ」

パーシヴァル・ダークの笑顔には毒気が滲み出していた。「君も知っての通り、僕は君たちに嘘を吐くことができない。だから、あの子が条件を満たしていると言う限りは信用してくれたまえ。ああ、それと忠告を一ついいかな? くれぐれも時代に置き去りにはされないように」 彼はカーターが口を開こうとする直前まで間を置いた。「話はこれで終わり」

「しかし -」

部屋が暗くなった。「話は終わりだと言ったはずだがな」

「はいっ! その通りです。また改めてご報告に伺いますっ」 マーシャルとカーターは慌てて出て行った。そしてようやく、ダークの微笑みは、その双眸が細まるところまで広がった。

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