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好きでもない人とのランチに付き合わされている。
「だから言ったじゃないですか。元気になったら改めてお礼しますって。」
なら、もう少しグレードの高い店でもよかったんじゃないか?俺がまだ高校生とはいえ。行きなれたファミレスで流れるクラシックが、嫌いなジャンルの音楽みたいに思考を邪魔してくる。
あの女が来たらオニオンスープを顔にでもぶっかけて帰ってやる、とか考えていたのだが。思ったより、それをされる側のショックを想像してしまう。店内BGMはずっと平坦で、俺から熱を奪っていく。
「退院後でお金がなくって、こんな落ち着かない場所でごめんなさい。でもすぐにお礼を言いたかったんです……私が立って歩けるようになったのは、貴方がたご家族のお陰です。」
「お姉様の心臓を提供してくださって、本当にありがとうございました。」
姉さんはまだ生きていた。交通事故に遭い、植物状態になってから一年近く経っていたけど、俺は諦めなかった。どれだけ回復が困難だと言われようと、俺は姉さんがまた話せるようになるのを、信じて待っていた。先に医者からの説得に負けたのは両親の方だった。
脳死。いくら理屈を並べられても、俺には医者たちが「死んだってことにしてこいつの面倒を見るのを終わりにしたい」と言ってるようにしか聞こえなかった。姉さんの体に継げられた無数の管も、俺たち家族が大切な姉さんの元気な姿を再び見るためのものだった。
それを、赤の他人の彼女が奪った。重い心臓病で生まれつき病院生活だったこと以外、何も知らないこの人が。
「早くに天国に行かれたお姉様の分まで、私が預かったこの心臓で、責任を持って生きていきます。そして、一生かけてお礼させてください。ずっと病院のベッドで過ごしてた私に、何ができるかわかりませんが」
よく「心の中で生き続けている」なんて表現があるが、そんな言葉は何の意味もないんだと最近痛感している。姉さんより高い身長も、姉さんより薄い胸も、眼鏡の要らないその目さえ、この人のどこからも姉さんの面影を感じられない。彼女は姉さんじゃない。姉さんの代わりになんて生きられない。俺は、この人から姉さんのような愛情を受けたいと思えない。
「……」
彼女まで黙り込んでしまった。俺だって、こんな会合は断って、彼女に関わることなく生活することもできた。でも面と向かうことで、生きた彼女の笑顔を見ることで、今日来た利点をどことなく感じていた。
「……姉は、良い会社に入って毎日楽しそうでした。彼氏との交際も一年近く経っていて、まさにこれからだったんです。俺もあの頃は、姉さんの幸せをいつも願ってました」
沈黙に耐えられず開いた口からは、親の過保護みたいなセリフが出てしまった。
「最後のほうはもうやせ細って、別人みたいにやつれた顔も、見るのがつらかったんです。でも最後まで俺たちは、姉の意識が戻って、また元気になってくれるのを信じてました……でも貴女は、姉さんの心臓を持ってるだけで、姉さんではない」
うつむく彼女と俺の前には、前菜のオニオンスープが一つずつ置かれている。俺はもう口をつけてしまって、ほとんど残っていなかった。
「貴女は、自分の人生を生きてください。姉さんの代わりじゃなくて、ようやく外に出られた自分のために、生きていくんです。それが俺たち家族への恩返しだと思ってください」
彼女の前にパスタ、俺の前にハンバーグが運ばれてきた。姉さんの体はもう戻ってこない。俺は、彼女が姉さんから奪った心臓のことを一生忘れない。でも、今の彼女からは、まるで姉さんが元気だったころのような、生命力が溢れているのを感じたんだ。彼女はありがとうございます、と言いながらまた泣きはじめていた。
彼女の体調が急変したのは、その日の夜だったらしい。
彼女の連絡を受けて一年弱ぶりに顔を見にいくことになった。
あの日の発熱をきっかけにして、彼女の容態が一時期は逆戻りしていたらしいが、また少しして元気になってきたようだった。姉さんの心臓を受け継いだ彼女が、何事もなく確かに生きているのが、俺は少しだけ嬉しかった。
軋む階段と、電灯が点滅する廊下を抜けて、彼女が送信してきた部屋番号の前にたどり着く。高校を卒業した俺を、今度はディナーに連れていってくれるのだろうか?
「弟さんですね。今出ます」
扉を開いて向こう側から出てきた彼女の前で、俺は思わずあたりを見まわしてしまった。
彼女が身に着けていたのは、キャミソールとショーツだけだった。
「早く入ってください。寒いです」
なぜ上を着ないんだ。どういうつもりなんだ。いぶかしむ俺の腕を強引に引いて、彼女は框を上がって部屋の奥へ駆ける。顔や体の輪郭も、以前より健康そうになっている彼女に、極めて不本意な感情がわき始めている。
後ろ姿を見て気づいた。
気のせいかもしれないが、前あった時より背が縮んでいる気がする。
「倒れた時は心配させちゃって申し訳なかったです。私、あれから元気ですよ。それにちょっと、かわいくなったと思いません?」
俺は別人のようにふるまう彼女に困惑してしまって、居間の入り口でへたり込んだ。
「貴方は前、自分のために生きろだなんて、ああ言ってくださいましたけど。私、ずっと恩返しすることを考えてたんです……これが、それになるなら、良いなと思って」
言いながら、彼女はぼとりと、着ていたものを床に落としていく。彼女は俺の目線に合わせてしゃがんで、震える背中に腕を回す。胸同士が服越しで擦れるほどの至近距離になって、俺はなぜか、
死ぬ直前の姉さんの顔に似てると思った。
「私実は、何もしてないんです。退院してから度々体調崩すこともあったんですけど、背がちょっとだけ縮んできて、胸が膨らんできて、顔の形も、前より変わって……貴方のお姉様の心臓を移植されてからです。怖いんですよ。少しづつ、私じゃなくなっていく感じがするんです。弟さん、助けてくれませんか。ひとりぼっちの私の寂しさを、埋めてくれませんか」
もう離してくれ。何も喋らないでくれ。俺はやっぱり、姉さんの心臓を奪った貴女から、そんな愛情を返されたくなんかない。
彼女が感じている怖さを、俺が愛していた姉さんの晩年の様になることを、報いだなんて思いたくなかった。