「おーい。聞こえてるかい?」
黄色いけむくじゃらは全く反応しない。この話は"そういうもの"なんだろうか。
***
僕がここに来たのは、元いた場所がどこにあるのかわからなくなっているような頃だった。いつものように世界へ降り立って深呼吸をする。が。
「……?」
この世界がいつもと違うことはすぐにわかった。そこは酷く、静かだった。
暫くこの世界を歩き回り、僕のやりたい"役"を探した。だけど、わかったことはここがファンタジーってことと、この世界には何もない、ということだった。何もない、とはそのままの意味で、人も動物も、あらゆるものが止まっていて、そこには喜劇も悲劇も、心踊るような話も欠伸が出るような話も、何もなかった。
何時間、何日、いやもっとだろうか。この世界を歩き続けて、この世界では何も起こらないと結論づけようとしたとき、"彼"はそこにいた。
「おーい。聞こえてるかい?」
彼に呼びかける。彼はこの世界で初めて見た"動物"であった。
「おーいってば」
彼の丸まった背中はゆっくりと上下していたが、僕の言葉に反応する様子はない。もっと大きな声を出そうと大げさに息を吸うと、彼の方から小さくうめき声が聞こえた。
「だ、大丈夫?」
とすぐに近寄ろうとすると
「来るんじゃねえ」
唸るように彼は言った。
「なんだ話せるじゃないか。君はどうしてここに?ここは一体なんなんだい?」
「もう何も知らん。何も話したくねえ」
「そんなつれないことを言わないでおくれ。ここは君以外喋れるヒトがいないんだ」
「ああそうさ、ここは終わった世界だからな」
「終わった世界?」
「そう、この世界はハッピーエンドになった。この先、ここで何かが起こることはねえさ」
「なるほど」
道理で僕が役になれない訳だ。しかし、これは弱ってしまった。
「どうしてそんなに難しい顔してんだ?」
黄色いけむくじゃらがこちらを一瞥して言う。
「いや、ここが何もないところなら僕は何になればいいのかなって」
「何になる?ここは終わっているんだぞ。俺も、お前も何にもなれねえんだ」
「じゃあ、どうして君はここにいるんだい?」
「それは──」
さっきまで捲し立てるように喋っていたのに、彼は急に言い淀んでしまった。僕はゆっくり、でもはっきりと質問した。
「君はここが好きなのかい?」
静寂。彼はこちらに向き直る。視線は下を向いている。
「──ああ、そうさ」
化け物は徐に口を開ける。
「クソみてえに遠くに離れて、クソみてえなものを壊して、奪って、殺して」
「縛られて、だが壊して、奪って、殺して」
「壊して、奪って、殺して」
「気が付いたら」
「ここに帰って来ちまった」
「俺はそれに気づくのに、時間がかかっちまった」
「俺は取り返しがつかないところまで来ちまった」
「だけど」
「俺を、俺の物語を見る奴がいなくなって」
「世界が二度とめくられなくなって、やっと気づいた」
「俺が本当にしたかったこと」
「俺が最初に"思った"ことは」
「この世界を救うことだって」
ポツポツと小さく呟く声が、止まった世界に反響する。
「──そっか、そうだったんだね」
「お前は俺を嘲るのか?俺を馬鹿だと罵るのか?」
「いや、そんなことをするためにここに来たわけじゃないよ」
「じゃあお前は何のためにここに来たんだ?」
1頭のライオンはこちらの目を見る。僕は目をそらさない。僕の答えをもう見つかっていた。
「僕は君と──」
***
低脅威度オブジェクト記録:
アイテム番号: AO-███
説明: 主人公のFredという青年が、1頭のオスのライオンと世界を救う旅をするという話が掲載されている本。不定期に内容が改変および増加する。現在262ページ。
████/██/██、旧サイト-██跡で発見される。現在、申請を行うと貸し出しが許可される。