「大事なのはね、アイデンティティーだよ」
「アイデンティティーですか?」
「そう、ここに立っている自分が何者であるか、そんなものは曖昧だけれども、その曖昧さを信じることが大事なんだ」
蝉の鳴き声が開け放った窓から廊下へ抜けていく。夕焼けを反射する先輩の顔にはうっすらと汗が滲んでいる。その汗がセーラー服の胸元に滑り込んでいくところを想像してしまい、思わず僕は先輩から目線をずらした。「すけべ」僕の視線を察したのか、先輩は普段の利発そうな表情を崩し、子どものように顔を崩す。黒縁眼鏡の奥で吊り気味の目が細められていて、それだけでさっきの妄想よりも僕の胸は高鳴った。
「は、話を戻しましょう」
「ああ、そうだね。といっても、何の話だったっけ」
「この文藝部の話でしたよ」
文藝部、学校にいくつかある非認可クラブの1つ。わざわざ旧字体を使うのはこの高校には既に文芸部が存在するからだ。部員は僕と先輩の2人、活動場所は国語資料室、とは名ばかりの冷房すらない物置。生徒はおろか教師からも忘れられているような離れ小島。僕と先輩はそんな小島のロビンソン・クルーソーとフライデーだ。もちろん、僕の方がフライデーなのは言うまでもない。そしてロビンソンは異常であるはずの離れ小島に適応し、日常としている。母国に帰るつもりはないのだろうし、僕はそれを急かさない。
「そうそう、私が文藝部を名乗った理由だったね。もともとあった文芸部と馬が合わなかったのももちろんだけど、私は私の場所を必要としていたんだ」
「先輩にとってのアイデンティティーはこの部室なんですか?」
「違う。私が何者であろうと、足の裏で踏みしめている場所がアイデンティティーであってほしいと考えているのさ」
「それはつまり」
「君、私はね、つまり、だとか要するに、だとかでまとめるのは嫌いなんだ」
先輩は自分の言葉を愛している。一種のナルシシズムだとも思うけど、「自分の言葉を意識することで思考は明瞭になる。何を考えているのか、何を考えるべきかを把握しやすくなる」。文藝部に入ってから先輩に叩き込まれた"あぐり哲学"の1つだ。確かにそれはあると思う。先輩の名前は御村あぐりといった。
「えっと、だから先輩は自分が世界の中心だと考えていると?」
「陳腐だね」
「……先輩は、素敵だということでしょうか」
「ああ、いいね。そうだね、私は素敵だし無敵だ」
先輩は顔色変えずにこういうことを言う。僕は冗談かどうか掴めずに、でもつい笑ってしまう。
部室に初めて入った時も先輩はこうだった。春の陽気が埃に反射し、きらきらと瞬いていた。その中に先輩は一人片足を立て、『春にして君を離れ』を読んでいた。正直に言おう、僕はそれに見とれていた。好意とか恋情とか、そういった言葉では表せない、全身を編み棒でもみくちゃにされるような、激しくも柔らかな感情に襲われていた。僕はこの人のことを知りたいと思っていた。
春を過ぎ、夏が来て、先輩との日々は過ぎていく。
夏休みも終わりかけた文藝部には、生温かい風が吹き込み、汗の玉を弾いていく。
「そうだ、君。明日、出かけようか」
その風に乗った言葉に僕は反応できない。言葉として認識できず、ようやく頭の中で繋がったときには先輩は立ち上がり、出口へ向かっていた。
「出かけよう、って」
「言葉のままだよ。夏休みも終わるし部活動らしいこともしていない。学生なのだから、それなりに夏を謳歌すべきだ」
「どこに行くんですか?」
「私たちは文藝部だからな、本屋でも行って本を置いてこよう。あとは何か映画でも見て甘いものでも食べればいいだろう」
それは、それは、それは、デートと言うのではないですか? だが、僕の中で燃え上がった熾火は同時に浮かび上がった"デート"という言葉で一気に鎮火した。浮ついた気持ちがないとは言わない。先輩は非常に興味深い人だし、異性としても好意を持っている。でも、先輩と僕とのデート、というのは何か違う気がした。これはきっと言葉にしなくていい感情だ。これがアイデンティティーなのだろうか。
「分かりました、何処で待ち合わせますか?」
「ああ、駅前でいいんじゃないか?」
先輩が一つくくりの黒髪をゆらし、猫のように目を細めた。先輩はふにゃふにゃとしか表現できない顔で笑う。声を出すわけではないが、顔全体を崩すように笑う。一瞬で何人もの表情を見せるその顔はきっと嫌いじゃない。土のにおいがする。夕立が近そうだった。
「君は、私がいなくなっても、大丈夫そうだね」
先輩の呟きは、遠雷にかき消され、僕に届かなかった。
駅に接続した本屋は近隣でも最大級の規模だ。ワンフロアを扇形に独占するその本屋の中心に、夏の終わる日、僕たちは集合した。
「君、ちゃんと本は持ってきたか」
「持ってきましたけど、本当にやるんですか? 僕まで?」
先輩には悪い癖がある。本屋に行くときどこからともなく新品の本を持ってきて、本棚に入れていくのだ。ひどい迷惑行為だが、理由を尋ねても先輩は「梶井は檸檬で丸善を爆破したんだよ」と素知らぬ顔で答える。
先輩に初めて出会ったのも、正確にはその姿を捉えたのも本屋だった。本屋は穏やかな場所だ。どんな争いも、どんな企みも、この場所では滑らかになるような気がする。背表紙には文字が並び、その文字がじっとりと視界に染みついていく。
でも、そのときは文字よりも先輩の姿が際立って見えた。本棚の隙間をふわりふわりと羽根のような動きですり抜けていく一人の女性。その手にあったのは確か『深泥丘奇談』。目が追いかけ、思わず足も追いかけていた。これは一目惚れといっていいのだろうか。僕は未だに御村あぐりとの関係を"先輩"以外に表現できない。先輩は文芸書の棚に持っていた本を滑り込ませる───。
先輩の服装は初めて見かけたときと同じ、白のワンピースに黒のジャケット。黙っていれば物憂げな表情がよく似合う。
「さて、何の本を持ってきたんだ? 私は『盲目の時計職人』だ」
「そのセンスは何なんですか? 僕は『裏世界ピクニック』を持ってきました」
ふにゃ、と聞こえた。笑っている。
「君らしくベターだね。それなら『ストーカー』を持ってこいなんて野暮なことは言わないのが私だ。うんうん、じゃあ30分後に集合」
一方的に宣言し、先輩はふらりと姿を消す。ゆらりと振れた手の残像に意識が取られ、先輩の姿はいつのまにか人ごみに消えている。こうなると姿を捉えるのは困難になる。きっとふらふらと人ごみの中を漂いながら、またどこかへ本を埋めに行くのだ。今回は僕も共犯者なのだが。
商業ビルの数階を占拠する巨大本屋を進み、ハヤカワ文庫の棚へ進む。冷房が効いており、国語資料室とは雲泥の差だ。本棚を真剣に吟味している人もいれば、ただ涼みに来ただけという雰囲気の人、あるいは目的に向かって真っすぐに進む人。手に取って喜んでいる人、ただ漫然と買い漁る人、穏やかに家族と笑う人。その中で僕は一冊の本を挿し込もうとしている。
何となく先輩の歓びが分かった気がする。様々な人や情報が溢れるこの本屋に、僕は本を置いていける。それはそれだけのことだけど、何か足掛かりになっている気がするんだ。先輩の言うアイデンティティー、僕が踏みしめているこの地面。「背徳的なことは何よりも勝る。特に秩序の中に自分という不確定な因子を放り込み、掻きまわした瞬間なんかはね」。いつか先輩は『モモ』を読みながらそう言っていた。
目当ての棚に近づき、本を取り出す。それを挿し込もうとしたとき、
「君」
声が僕を射すくめた。店員に見つかったのかと慌てて振り向くと、そこには黒いスーツの男。慌てて本を戻そうとする僕の手を男が掴んだ。
「痛ッ……」
実際のところ、痛みはなかった。だけれども、痛みを感じるほどその目は冷たく、僕の持っている本を一心に見つめている。言葉が出ない。店内の喧騒がどこか遠い場所のように聞こえる。どれだけの時間が経ったのか分からない、そんな緊張を経て男の目が僕に向けられた。
「君は何をしようとしていたんだ?」
まさか、自分の本を棚に入れようとしました、なんてことは言えない。そもそも相手が何者かが分からないのだから。もっとも、相手の威圧感に僕は口を開くことすらできなかったのだけれども。
僕の沈黙をどう受け取ったのか、男は耳に手を当てどこかに話し始める。おそらく小さなインカムか何かが仕込まれているんだろう。何を話しているかは分からない、断片的にえすしーぴー、や、ぴーおーあい、なんかが聞こえてくる。何かの略語か、アルファベットなら、S、CP、P……。
空白
「"御村あぐり"は確保したか?」
空白
その名前を聞いたとき、思考は停止した。そしてすぐに奔流する。何故、先輩の名前が出た? 確保? どういうことだ? コイツの目的は僕の持っている本じゃない。そうなれば、きっとそれは僕のやろうとしていた行為に対するものだ。なら、それの大本は。「思考は恐怖に立ち向かう人間の武器にして自棄だ」。先輩の言葉通り、僕は相手の威圧感を既に感じていなかった。
目の前の男は、先輩の、──僕の敵だ。──馬鹿な考えだ。
自分でも驚くほどの力で相手の手を振りほどく。何かを叫んだが無視して本棚の間を駆ける。先輩の姿を探す。本棚の間でふうわりと振れる姿を。持っていた本から想像して自然科学の棚に走る。いた。本を挿し終えたのか、先輩は駆け付けた僕の顔を見て一瞬目を丸めた。
「どうしたんだ」
「先輩、逃げましょう」
それだけで先輩は何が起こったのかを察したようだった。一瞬うつむき、目を伏せる。その表情だけで、馬鹿な行為が少しだけ報われたような気がした。顔を上げた先輩はいつもの表情に戻っていた。
「足音が向かってくる。急がないと出口がふさがれるな。なんなら何かしらのガスを使ってくるかもしれない」
そこまでするのか、僕の視線がそう尋ねていたのか、先輩は静かに頷く。
「相手は冷酷な集団だ。異常な存在を捕えるためならなんだってする」
「……もし捕まったら?」
「私の知る限りでは帰ってきた奴はいないな。もしくは、全てを忘れている」
頭が痛くなりそうだ、正直なところそこまでの相手だとは考えていなかった。先輩が異常な存在、その一言は聞き飛ばすことにする。僕と先輩の関係にそれは必要ない。先輩は僕を巻き込むことを恐れてないし、疑問にも思っていない。それが僕と先輩の関係だ。僕の中にあるたった一つだ。
「まずは逃げよう、走れるかい?」
「ええ、陸上だけは得意です。球技はからきしですけど」
「いいね、走ることは心を動かすことだ。私が先に動く」
先輩が走り出し、棚から出てきた黒服の男を流れるような上段蹴りで刈り取った。気絶こそしないが体勢を崩した男の脇を2人ですり抜ける。出口は覚えている限り5つ、一番最初に辿り着いた出口には黒服がいない。だけれども、僕たちが近づくのと同時に人ごみの一部が明らかに出口を塞ぐような動きを見せた。それはそうか、あんな黒服、目立つに決まっている。
「ここはダメだな、たぶん監視カメラもやられてる。ちょっと動くのが遅すぎたか」
「どうするんですか」
「困ったときは1つ、人に頼るんだ。君に頼るようにね」
先輩がふにゃっと笑った直後、本屋の外で大きな爆発音が響いた。一瞬空気が止まり、出口にバリケードを組んでいた連中も爆撃の方向に目をやっていた。「耳を塞いで」言われたとおりに両手で耳を覆う。
「キャーーーーッ!!!」
先輩が隣で金切り声を上げた。少なくない人数が集まった駅構内。爆発音とその叫びはパニックを引き起こすのに十分だった。
混乱が波のように広がり、それが濁流となるのに時間はかからなかった。人の流れは熱を持った濁流であり、氾濫する衝動だ。押し合いへし合いされる中で、否応なしに人体の8割が水であるという事実を思い出した。じっとりとした狂乱の中、先輩の手を掴み続ける。湿った手の平は僅かに熱を持っていて、昨日の遠雷を思い出した。きっとこの手を離せば先輩とは二度と会えなくなってしまう。
人間の濁流は出口を塞いでいた連中ごと僕たちを押し流す。押し倒されなかったことに安心しつつ、周囲を一度見渡した。混乱した人の流れは複数に割れ、追手の姿は見えない。
「先輩」
「ああ、行こう」
何の疑問もなく先輩の差し出した手を掴み、駅の外に出る。
冷房のない炎天下、汗が一瞬で噴き出し、道の先には逃げ水が蟠る。
僕たちは駆けだした。太陽が照り付ける中を先輩の一つくくりが弾んでいく。どこに向かうのか、どこを目指すのか、そんなことすら会話している時間はない。ただ、手を握って夏の終わりを駆けていく。気づかないうちに僕も先輩も笑っていた。何故笑っているのだろう。僕の手を引く先輩は少なくとも自分が異常を追うものに追われていると告白した相手だ。なら、先輩だって異常なのだろう。そんなものに手を掴まれていいのだろうか。この手を離し、こんな暑い街から抜け出して、冷房の効いた部屋でカップアイスを食べることだってできるはずなんだ。蝉も黙るような夏の日差しを見て、もう終わるのだなと考えることも。
でも、汗の滲む準備室はそこにはない。埃の被った文庫本も、僕の本が入り込んだ本棚も、日差しで深まった影の黒もない。陽炎の揺らめくアスファルトを踏みしめて走る。
これが僕の───、そのあとに続く言葉を僕は知っている。僕はここにいる。唐突に今日が8/31だと思い出した。
先輩の手を握り、走っていく。踏みしめる、足掛かりを作る、夏がもし終わらなければ、きっとどこまでも。
───でも、「永遠なんてないのさ、問い続ける限りね」。
夕焼けが街を気持ちの悪いくらい鮮やかな橙に照らす。これだけ綺麗な夕焼けなら、きっと明日は雨だろう。僕と先輩の影が夕日に照らされ長く伸びる。影が伸びた先には表情の変わらない黒服たちが僕を待ち構えていた。慌てて踵を返すが、背後にも既に黒い影が近づいていた。それでもどうにか逃げようと先輩の手を引く。その手がするりと抜けた。
「先輩」
困惑する僕に先輩が笑う。いつものふにゃふにゃとした笑いじゃなく、口の端だけで、静かに笑っている。
「残念だけどここで終わりらしい、大丈夫、君は私がいなくなっても」
その先は言葉にしなかった。先輩の手がふうわりと残像を残して僕の前から消えていく。抵抗の意思がないと判断したのか、黒服たちが静かに先輩を囲み、連れていく。もう誰も僕のことなんて見ていなかった。僕が手を離したからか、僕が言葉にしなかったからか、先輩はきっと僕の前から姿を消す。ロビンソンはフライデーを置き去りにして孤島を過ぎていく。
考えることはできる、かける言葉だって思いつく、叫ぶ言葉だってあるはずなのに。汗だけが流れて、しょっぱい味だけが苦しい肺に流れ込むようで。
「先輩!」
それだけを叫んだ。それが僕の意思だった。遠くなる背中に、先輩の白い右手だけが揺れていた。
───こうして、夏の終わりとともに御村あぐりはいなくなった。
眩しいほど晴れた次の朝、先輩の痕跡はどこにも残っていなかった。どのクラスにもいなかったし、誰も先輩のことを覚えていなかった。国語準備室の鍵もかけられ、僕が入ることはできない。その存在がまるで夢だったかのように消えていた。でも、僕は先輩と此処で話していた、くだらない話を、文学談義を、あぐり哲学を。街を駆けまわり、本棚に本を入れた、手の湿り気を覚えている。
それはまだ言葉にできない、するべきじゃない。
「僕は、先輩のことが」……これを言葉にできたとき、もう一度先輩に会いたいと思ったなら。
クラスメートが僕を呼ぶ。準備室に頭を下げ、後にする。僕はこの場所を踏みしめる。ここに僕はいた、先輩と一緒に。
先輩の名前は、御村あぐりという。
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流れていく道路標識に目をやりながら、坊主頭の男、安治川は高速を飛ばしていた。若干の眠気を覚えていることに気付いたのか、後部座席から声が飛ぶ。
「安治川、休憩するか? 今日の仕事は面倒かけたしな」
「いえ、ガムでも噛んどきますんで大丈夫です。桜ノ宮さんこそ大丈夫ですか?」
「これくらいなんてことねえよ、俺はまだまだやれるぜ」
ボトルを開け、ガムを一粒口に放り込む。強烈なメンソールの刺激が安治川の意識を明瞭にした。
「そうですね、桜ノ宮さんなら大丈夫でしょう」
「まあな、しかし奴らの介入は予想してたがちょっと面倒だったな」
「まさかあのタイミングで来るとは思ってませんでしたもんね」
バックミラー越しに桜ノ宮はうんうんと頷き腕を組む。半袖から抜け出るような白い腕が薄暗い車内でサイケデリックな夜の高速道路を反射し、淡く光っているように思える。
「仕方がないと割り切るか。最終的に目的は達成したんだしな。今回はいい感じに動けてたと思ったんだがな。何が悪かったか?」
「忌憚のない意見を言わせていただいても?」
「俺がそんなん気にする人間じゃねえことは知ってるだろ。鶴橋の叔父貴じゃあるまいし」
「分かりました。俺としてはやっぱり最後のアレが」
安治川の指摘に桜ノ宮は眼鏡をはずして眉間をつまむ。
「いや、あれはよくないか?」
「わざわざ黒服で行く必要はないと思います、連中に目を付けられたら、とか考えますし」
「それはまあ、そのとおりか。……でも相手も最初は黒服で来てただろ。俺としては意趣返しのつもりで」
「あれは威嚇ですよ、お前は危ないものに突っ込んでるんだぞ、ということを示すためです。おそらく直接的な危害を加えるつもりはなかったんでしょう」
淡々とした言葉に桜ノ宮がうぐうと黙り込む。安治川は声だけ聴けば可愛いんだが、と心の中で呟き、いや、今は違うな、と訂正した。
「分かった、それは反省する。他になんかあるか?」
「……これはそもそもの話になりますけど」
「何でも言ってくれ」
バックミラーから目を逸らし、しばらく無言で考え込み、安治川は呟くように答えた。
「……偽名が安直すぎます。なんで"有村組"のアナグラムなんか使うんですか」
空白
番号: 0897/JP
名称: 桜ノ宮 貢一 (Sakuranomiya Kouichi)
性別: 男
生年月日: 19██/██/██ (満47歳)
異常性: 遺伝情報等を含む変身能力/軽度かつ随意的な反ミーム特性
経歴: 出生地は██県██市。GoI-8102「広域指定暴力団東栄會直系"有村組"」の構成員であり、確認時点では舎弟頭に任じられている。詳細な経緯は不明だが、少なくとも18歳からGoI-8102に関与していたとされ、現時点までに3回の逮捕歴を持ち、複数のアノマリーの流通に関与していると推測される。
保有する異常性は容姿のみならず遺伝情報等までを完全に変化することができる変身能力。現在までに変身が確認されないことから動植物には変身できず、人間に限定されると推測される。また、この変身時随意的な反ミーム特性を行使していると推測され、潜入したコミュニティー等においてなんらかの客観的事実に基づいた指摘が行われない限り、発見は困難である。
異常性の獲得は後天的なものであると推測され、19██/██/██に発生した[編集済み]が契機となったと推測される。これらの異常性を持ちながらも、強い自己同一性を有しており、分裂の傾向は確認されない。
現在までに変身した容姿は複数存在するが、眼鏡を装着した若年女性、金髪の中年男性、ホームレスの高齢男性の姿が多く確認されており、それらの属性を持つ人物が属する団体、コミュニティーに潜伏することも確認されている。
空白
「いや、色々使ってるともう思いつかなくってな……、適当でいいかな、って」
「今回はそのせいで半分バレたんじゃないかって噂になってますよ。それに、やり方が回りくどいって福島のアニキも」
「福島の奴、生意気言うようになりやがって」
実は福島は「女のカッコで堅気たぶらかして趣味が悪い、倒錯的な変態だ」とも言っていたがそこは大いに同意するので黙っていた。桜ノ宮はあの抗争で今の力を手に入れてからというものの、少々趣味が偏執的な方向に向かってしまっていると安治川は思っている。人の一生を狂わせることに喜びを感じているとしか思えないほどに。
「アイツら相手にするんならこれくらいややこしい方がいいんだよ。仕事がやりづれえ時代の中、あんな奴らまで相手にしてんだ。しかも今回は出し抜いたんだからな。俺が囮になって」
「……まあ、確かにそれはそうですが」
赤信号で停車する。"奴ら"、有村の中で便宜的にそう呼ばれているメンインブラックの姿を思い出し、安治川は曖昧に頷いた。有村の親父は警察の秘密組織だと言っているが正直なところ怪しいと安治川は思っている。これは桜ノ宮をはじめ、鶴橋、福島など有村の中で力を持つ人間は全員が薄々と気づいていることだった。そして、おそらくはそれに親父も気が付いているのだろうと。ならば、黙っておくよりほかにない、と。
信号が変わる。アクセルを踏み、余計な考えを安治川は頭から追い払った。桜ノ宮が上機嫌に後部座席のキャリーケースを叩く。本に偽装したブツとの取引で得たモノ、そのために桜ノ宮が危ない橋を渡る羽目になり、拠点を失うことになったその中身を、安治川はまだ知らない。まだ少し踏み込めない。もし踏み込んだら、自分はどうなるのだろうか。背中に少しだけ冷たい汗が伝う。そんな恐れに気が付いたのか、桜ノ宮は顔全体を崩すように笑った。
「安治川、何度も言ってるが大事なのはアイデンティティーなんだよ。あとはちゃんと」
「本を読め、でしょう? ええ、耳にタコができてます」
桜ノ宮貢一は猫のように目を細め、ふにゃふにゃと笑った。安治川は早く目的地に着くことを願った。
日付が変わり、夏の終わりが始まった。