フランクはいささか閉所恐怖症気味に感じた。
暗室は十分適切に小さく、暗く、暑く、信じがたいほどに湿度の高い地獄の穴で、中央には実際に穴があり、そこは誰でもやや目がくらむには十分だった。天井はかろうじて180センチあり、自重で定期的にうねる様子はあたかも呼吸しているようだった。
しかし、あらゆるものにしみついた臭いに比べれば、圧迫感のある空気は些細なことだった。マスクと作業着の存在にもかかわらず、それは彼と彼の服、皮膚、髪に付きまとうとフランクはただ知っていた。それはきっと数日か数週間あらゆる食事の味を冒し、日々の沐浴を悪夢に変えるだろう。
俺はこのヴェスタのブツが嫌いだ、彼は独り唸った。
いずれにせよ、フランクには第三ヴェスタ寄贈品の効率を否定できなかった。仕事熱心な菌類はつい先日まで不毛な空き地だった場所にビルを建てていた。30人以上を永続的に雇用する、独立した電力源と清潔な水源を備えた50床の病院になる予定の建物だ。
まだ床の質感が―そして臭いが―あたかも圧縮堆肥と腐った葦でできているようだというだけの問題だった。
でも部屋は成長していたし、残りの複合体もそうだった。続く数日のどこかの時点でそれは本物の暗室になるだろう。そして最終的な生成物はその床から育っているトンネルのための、ただのファサードになるだろう。
育つと同時に掘っている。それはフランクにとっては画期的な概念で、彼の建設についてのささやかな概念は、あの取り除かれた土と石は全部どこかへ行っていなければならないと叫んでいた。
見た目からすると、それは真っ直ぐ天井へと続くように思われた。
「いつ終わる?」
フランクはプリシラ・ロックの方に集中した。一緒にいた1日に、彼女は彼に旧世界での自分の生活のいくらかの側面について話していた。彼は彼女のメンタリティが問題になるだろうと分かっていた。仮に彼がそのことで彼女を責めたくなくても、時折の顰め面と人種差別発言は望ましくない注目を集めるに十分だった。
彼は彼女にちょっとしたガイドラインを示して、いくつかの話題を禁止しなければならないだろう。ちょっと特定の話題を避けろと言わねば。しかしそれでもなお、彼には彼女がどうやって慈善財団を見つけたかも、どういうつもりで参加したのかもわからなかった。あるいは、その点で言うならば、彼女が一体どのようにしてミッションボードに受け入れられたのでかも。
2人とも、彼女のものをテストする―それがなんであろうと―地下実験室へ真っ直ぐ通じるであろう、未完成のトンネルの縁に立っていた。その一方で、彼はものそれ自体が何なのかも―彼の視界の外で、秘密の山また山が積み上がっていると考えただけで、古いフラストレーションの感覚が目を覚ました―彼女が厳密には何者なのかも知ることを許されていなかった。
「10から13時間あれば終わるよ、ミス・ロック」部屋の唯一の戸口になるであろう広い穴の入口から、ジェイコブが気遣わしげに答えた。「実際のところちょっとした実験だよ、ヴェスタ寄贈品を地下に倉庫を掘るのに使ったことはないんだ」
「……倉庫」フランクはつい口に出した。彼はプリシラの視線が頭蓋骨を穿つほど突き刺さるのを見たというより感じたが、善男はフランクの言葉に含まれた疑問には気付きもしなかった。
「そうさ!」状況に気付かず、楽しげにラビが言った。「考えたこともなかったけど、素晴らしいアイデアだ! この下に貯水質を育ててるんだよ! ほら、チチシボリウジ(Milking Maggots)の主要ベクターが別の水源を簡単に汚染できる寄生性微生物、Giardia lambliaではないんじゃないかっていう合理的な疑いがあったんだ。こんな言い方はアレだけど、あいつは酷いくそになりうるんだよ、なぜなら下痢を引き起こすし、それにこの辺りの水源は―」
「ありがとう、博士」プリスは上の空の微笑みで言った。「経過は順調?」
「間違いない、間違いなく順調さ!」ジェイコブはほとんど歌うように言った。「異常成長なし、はぐれパーツなし、全部君がもってきた図面通りさ、ミス・ロック!」
「ただ……ロックだけで」
「おっと、ありがとう、僕のことはジェイコブと呼んでくれ。それかラビってね! みんなにはラビって呼ばれてるよ」
今度はフランクがプリシラの表情を見つめる番で、そしてそれは急速に気難しくなりつつあった。
周囲に彼女が何者であるかを知るものはいなかった。フランク以外には……そして、彼ですら正確に彼女のなにが問題なのかを指摘することはできなかった。
「ありがとう、ラビ」彼は礼儀正しく混乱した生物学者に言う羽目になった。「さて、俺がプリシラに―」
「ミス・ロック」
「俺がミス・ロックに1-ヴェスタンの手続き的成長を見せて、それから俺たちはキャンプに戻る。オーケー?」
「わかった! ごきげんよう、プリシラ!」ラビが言った。
ジェイコブが暗く湿った部屋を去った一瞬後、フランクは彼女の同僚を見た。「オーケー、それで、本当にどうしたんだ?」
プリシラは寛大にも悩んだ顔を見せていた。彼女は無為に下唇を噛み、鋭く息を吐きつつ、なにかおそらく大方反ユダヤ的であろうことを口に出す衝動と戦っていた。「ただ辛い、全部……例えば、職場に行ってまるで―」フランクは彼女を見つめ、萎れさせるようなまなざしは彼女が要した警告のすべてだった。ロックは今度は持ち堪えた。「―同僚の中におしゃべりするヴェロキラプトルの群れがいるみたい―」
「そうか、なるほど、オーケー、気にするな」フランクは半ば彼女に向かって叫んでいた。「こう考えたらどうだ。あんたは今や宇宙に残った唯一本物の、正真正銘の、遺伝的に認められた人間だ。ここの他の連中は皆人間未満subhumanの低脳だと。どう思う?」
女は引き下がらなかったが、かといってうまく切り抜けようともしなかった。一瞬後、彼女は無頓着に肩をすくめた。「実際、問題ない。道の真ん中でむかついて連中に暴力をふるいだしたりなんてしないし。どっちにせよ、ここには私たちよりあいつらの方が多いし。私ってことね、もちろん」
フランクはそこに立って、無神経で残酷な愚か者を見ていた。そして、座り込んだ。
「ならいい」
彼は女と目を合わせないようにするためだけに、マスクを調節しているふりをした。いつもの流れだった。誰かがクズだと指摘し、そしてその一瞬後にはそのことで罪悪感を抱えた
彼が再度視線を上げると彼女と目が合った。彼女は不動のままで、彼女の顔のわずかに見える部分には全く表情がなかった。
「いいって言ったろ」彼は切り出した。「―いや、待て、気にするな、さっきのはちょっと俺が失礼だった。結局あんたは新入りだからな。でもあんたは諸々を受け入れ出さなきゃ、できる限り早く適応しなきゃならなくなるだろう。この辺の連中は間違いなくあんたがあっちで慣れてるタイプじゃない。早く慣れなきゃならん」
表情を変えず、まだあの眼差しのまま彼女は頷いた。「ヴェロキラプトルと働くのはクールでしょうね」
おい、いいかげんに―
「それで!」感じてもいない陽気を装ってフランクは叫んだ。「倉庫だって?」
「私は水が『飲用に適しているかどうか確認するため』に『毎日のテストをする』ことになってる」
「いい顔しないだろうな」
「そこは私の問題じゃない。監査員ってことになってるから、あいつらが私に迷惑かけないようにするのはあなたの役目」
「あんたが皆に話をしなきゃならなくなるぞ、ロック」
「できる」
「安全地帯の外で。1人の人として」
プリシラは天井を見つめ、しばらく何も言わなかった。それから、彼女は言った。
「こういうのには慣れてるから。財団が何をするか―」
「慈善財団」
「なんですって?」彼女は軽く言った。
「慈善財団さ。俺たちの多くがアノマリー関係の作業をする、それかアブノーマリティか、どっちだっていいが」彼は自身の話題に関する混乱に鼻で笑った。「とにかく。ここの連中の大半はもうひとつの財団と比べられたがらない、だからマナによる慈善財団のことを慈善財団The Charitableと呼ぶ。つまり」フランクは眉を持ち上げ、共犯じみた囁きにまで声を落とした。「不愉快なコメントを避けるためには?」
「私―私は……」
プリスはかすかに目を細め、支離滅裂なつぶやきを口ごもる間口はかすかに開いたままになっていた。それから彼女は口を閉じると溜息をついた。
「わかった、実際。私はただあんたたちがどういう風に働いてるか知らない。あるいは、ミスターまたは/およびミス・マナとチャリタブルが。実際の見学はどう?」
フランクはため息をついた。「そうだな、慈善財団の楽しい、楽しいストーリーのフルツアー。ただ……ちょっと何者と一緒に働いているのかを心に留めておけ。そして誰のためかもな。オーケー?」
「馴染む努力はする」彼は彼女をしばらく見つめた。「本当に」
フランクはもう少し長く彼女を細かく見た。彼女のそばかす顔には、本気かどうかを示すものはなにもなかった。セキュリティエグゼクティブメンバーは無理やり咳をすると、彼女を暗室から外へ導いた。
「オーケー」未だ柔らかく湿った通路を歩きながら彼は言った。唯一の光は天井に開いたいくつかの穴から降り注いでいた。その縁は死んで剥落し、薄まりながら、徐々にいくつかの天窓を覆うことができるガラスになっていた。ロックが追いつくと彼は言った。「まず1つ目だ。レポートやパンフレットになんて書いてあるかは知っているだろう。MCFで働く人間についてはなにを知っている?」
「なにも」
「いい回答だ」
「なんですって?」
フランクは彼女の混乱した表情を見て笑った。「おいおい、連中に俺のなにが面白いのかやっと分かったぜ……ほら、あいつらはその、あんたがしてるその顔をスキッパーの顔って言うんだ。財団のエージェントはいつも予想外のものを見たときに'なんだこれは'になる、他人が準備なしでいることがオーケーだと言ってくると特に驚く」
ロックは彼を睨みつけた。彼は話し続けた。
「つまり、もちろん、準備できてるに越したことはない、でも俺たちフィールドエージェントは緊張していないといけないと言われてきた、そして常時その状態でいるよう訓練されてきた」彼は熱弁を振るった。「そしたら慈善財団のボランティアのような奴らがいる、目を丸くして満面の笑みで、世界をよりよい場所にしていると感じながら人生を送ってきて、そして俺たちにちょっとトーンダウンしてくれと言う。俺たちの仕事は十分困難だ、そこまで不機嫌になるな」
「戦地には楽天的すぎない?」
フランクはかぶりを振った。「ほら、どういう種類の人間と働いてるか分かっちゃいない。さっき言っただろ。ここでこいつらがなにをしているか想像もつかないのがなんで'いい'か? 慈善財団には山ほどいい点がある。しかしないのが、全部の答えを知っていると思いこんでいるか、あるいはごますり屋を探しに行く自己中のマヌケどもへの忍耐だ。あんたや俺みたいな人間が、価値あるスキップを見つけて、提供してきたからといって威張り散らして……ま、そうなる」
フランクは未発達の天窓の1つを見た。なにか不鮮明なものが素早くその上を通り過ぎた、多分鳥だろう。
「連中はMCFを探しに出て時々俺たちを見つける、俺たちに見つかる代わりに。こっちが普通だがな。奴らは俺たちにおおなんて自分たちは優れているんだーと証明したいか、基本的に魔法使いか、ケーキを描くと出てくるペンを持っているか、工業化された国を全部転覆して俺たちに後始末をして素晴らしい、美しい、ユートピア的な明日を築いてほしいかだ」彼はユーモアの欠片もなく笑った。「おっと、別にああいう連中を慈善財団の人間が嫌ってるって意味じゃないぜ……それどころか、連中が道端で惨めにも死にかけていたら助けようとするだろうさ。でもそこは問題じゃねえ、大事なのは慈善財団のほとんど全員がもう自分のことで頭がいっぱいで、絶対誰かさんをいい気分にするために居場所を与えて褒めてやったりなんてしないってことだよ。あの手の連中に構う暇はないってこった」
フランクは足の下の荒い暗緑色の床がもう少しで動きそうに感じながら立っていた。
「自らが不完全だと認める者、助けたい者、助けたくて必死な者、そういう人間だけが慈善財団に加わる。そして死ぬまで去ることがない」
どうやら再び退屈したらしく、ロックは腕を組んだ。フランクは彼女の忍耐力の限界とジェスチャーを結び付けることを学んでいた。彼女は無作法な口調でそれを裏付けた。
「話が長い、ウェスティングハウス。私が後から怒鳴られないで済むように説明しなさい」
フランクは衝撃を感じた。「そういう呼び方はしばらく誰にもされてない。なにが言いたいかというと、MCFの人間は俺がくそまじめだとからかう1ときにそういう言い方をするんだが、それは―」
「あー、分かった」プリシラは言った。「じゃあただ'スキッパー'で?」
「それかフランクだな。多分あんたのこともスキッパーと呼び始めると思う」フランクは思い切って言った。プリシラはそれを聞いて一瞬辺りを見回した。「お望みなら過去の職歴は秘密にしておけるが」
プリスは顔をしかめ、束の間周囲を窺い見た。「その方がいいでしょうね。私はダブリュー・ピーエイチ・オーの人間、いい?」
「いや、発音が違う」フランクは素早く彼女の発言を正した。「パラヘルサー当人らですらいつも'フー'てな風に言う、ある種世界保健機関でやるように、そう……」
「響きが馬鹿みたい。それとWHOがなにか知ってるから。それってただの……」
フランクは頷いた。「あっちにもいたんじゃないか?」
「いや、そうじゃなくて多分いた。ただわざわざほんとに助けが要る人たちを助けたりはしなかった」
「じゃあ一体誰を?」
「知らない。実際わざわざあれについて勉強したりしなかったから」彼女は前に歩き、フランクはすぐ後に続いた。
通路は開けた廊下に変わった。一旦完成すれば、ぽっかり開いた穴は分泌された硬質ガラスで覆われ、床は美しくつややかな深緑と白の市松模様のセラミックタイルになるだろう。しかし2人が通り抜ける間、それは病院というよりは苔むした洞窟のように見えた。
「ここに手術室を作ることになるなんて凄いと思わないか?」フランクは大声で感嘆した。
「こういう第三世界のくそ穴でちゃんとした無菌状態が達成されのは奇跡のようなものでしょうね」
「無き―そうだな、それもな」フランクが唸った。「くそ穴呼ばわりはよせ、ロック。それか少なくとも大声では止めろ。今は糞味噌かも知らんが、人が生活してるんだ」
彼らはドアになるであろう中央の大きな開口部を見つめた。ホールの両側から太い枝様の生成物が生じつつあり、ゆっくりと風に揺られながら、ドアに育つための片割れを探していた。
「あー、ええと」フランクは切り出した。「世界保健のあれ? 皆は大抵'フー'と発音するんだ」
プリシラは一瞬これについて黙考した。
「馬鹿みたいな響きね」彼女はつぶやいた。
「だろうな。でも皆ずっとそう呼んでる、それがやらないといけない理由だ、そうしないと―」
「ただの愚痴だから。馴染む方法は知ってる、ウェスティングハウス」
フランクは、彼女の言葉の中に確かなおかしみがあるのに気付いた。「あー、そうだな、申し訳ない」彼は考えを巡らせながら無言で立っていた。「くそ、脱線したな。マジで本当のところを言うと、ボランティアたちを一言で表現するのは無理だ。大勢いるし違いも多すぎる。それはともかく何日かする間に会うだろう。食事の間にちょっとミッションブランチ初心者講座でもやろう」
2人は成熟していくホールを離れた。
外では白と緑の作業着を着た他の人影でビルディングエリアが満たされており、一部の者たちは成長物が正しい形になるように対策を講じていた。幾本かのパイプ状の蔓がゆっくりと、毎秒数ミリメートルの速さで埃じみた地面の下へと穴を穿つ様をフランクとプリシラは見た。そのうち1本は、とりわけしぶとい岩に地中で遭遇していた。石工カビがその表面の些細な起伏の中で育ち、粉砕して軟らかながらパイプに対する強固な支えに変えると、割れる音が明白に聞こえた。
プリスは無為に見つめ、短く笑った。「笑える。なんだか……好き放題に伸びさせて、収容してないなんて」
彼はそれに頷いた。
「ジェイコブは完全にコントロールされてて安全だって言うだろうな。信じていいが、カタルシスがあるって思うようになるぜ」フランクは言った。その考えに自分で微笑むのを感じていた。俺が言ったのか? ワオ、突然な態度の変化。「あんたの意見も分かるけどな、異様だよ」
2人は境界のフェンスの出口まで歩いた。メタルポールからぶら下がった白茶のターポリンシートの壁により、建物の区画は全体が隠されたままだった。2メートル半の壁のそれぞれにマナの慈善財団のロゴがあった。周りの地形はオパール-1ワークグループがそのプロジェクトを育てている丘より低く、オペレーション全体にある程度の秘匿性を与えるのに、単純なフェンス1層で十分だった。
プリシラはフェンスを批判的な眼差しで矯めつ眇めつしていた。
「ねえ、ウェスティングハウス。あれで十分なわけ?」
「標準仕様のタープだ。ストッピングパワーについては気にするな、ロック、誰も止めなくていい」フランクは言った。「俺たちの資産を盗もうとするやつはどうせ俺たちの持ってる手段じゃ止められん。それに地元民も難民もここで慈善財団が作業してると分かってるし、俺たちの作業対象がなんであれ、仕上がるまで近づかないでおいてくれるのが全員にとって最善だってこった」
「連中は恐れてる」
「そりゃそうとも、恐れてる。俺たちのことをな」フランクはこともなげに明言した。「俺たちができることをな。慈善財団の行くところ、いつでもある程度は恐れと不信があるもんさ。みんな、俺たちが更地から育つ建物みたいな奇怪なブツを持ってるって知ってる。それに、過去数年ワークグループが地域の下見や救援やらをしてきてる…… 彼らは俺たちが何をするか知っている、厳密には俺たちが何をするのか知らないとしてもだ。おまけに噂があるだろ、それにある程度の、うう、防護がある」彼はそれが失敗してしまったときについては無視した。「ちなみに反応はかなりいい。こいつを先進国のど真ん中で使うのを想像してみろよ」
「財団が見た中で一番でかい火を放つことになるでしょうね」
「そりゃもう我らがスキッピーがたちまちすっ飛んで来るな」あたかもその考えを払いのけるかのようにフランクは手を挙げた。「ああ、いや。間違いだ。うちは世界中で活動してる、北米に、オーストラリアに、日本に、ヨーロッパ。トレスでも見りゃ分かるよ。あいつぁアルゼンチン人だ、どうやって最初俺たちの処へ来たと思う? 人口30万かそこらのアルゼンチンはカタマラにMCFの求人広告があったのさ。公然とな。あのときもう一つの財団はどこにいたんだろうな?」
プリシラは顔をしかめてフランクを見た。「こんなことを公然と?」
「いや、こいつはない。アノマリーは違う。非営利団体を運営していることは隠していない……でも俺らの資金調達法があまりに複雑だもんで、財団も―もうひとつの財団ですら、金の流れを追えないんだな。うちはそこかしこで数百の異なる、大半が短命の別名の組織で活動してる。すべて目くらましだが、慈善財団はいつも世間の動きを見ていて、他の非営利団体で働いたり、お偉いさんや既得権益の擁護者や財団みたいな連中に中指を立てたりしたやつらを雇う」フランクは一瞬黙った。「ああくそ、余計だったな」
「余計? 『お偉いさんや既得権益の擁護者や―」
「―財団みたいな連中』のところ、そう」フランクとプリシラは同時に言った。2人は彼女自身の状況に鼻を鳴らし、その頃にはターポリンの壁で囲まれ、国連のロゴのついた、間に合わせのプレハブコンテナ製エントリーチェックポイントに到着していた。
中で彼らはマスクを捨て、それはうんざりした様子のユスフに拾われ、汚れたオーバーオールを脱いでしまえば一緒に片付けられた。
2人は開けた場所に出てきた。ラスアノドの中心部はそこから1キロもなく、せわしない様子が今や完全に視界のうちだった。これまでのところ、その都市はチチシボリウジの流行から比較的免れてきていた。ソマリランドによる占拠の試みで、多くの住民が立ち去ったにもかかわらず、そこは重要かつ活発な人口集中地のままだった。ミッションウォッチレポートによれば、去年に比べるとかなり人が疎らだという。
「見えるか?」フランクが言った。「あれが4万の魂だ。彼らは傷つき、病み、悲しみ、そして時折銃を手にして愚かな振る舞いをする程度に腹を立てすらする」
「で?」
「俺たちは必要とされているってことだ」
「いい方の人間みたいに喋るのね」プリシラが言った。それを耳にしてフランクは眉をひそめた。
「なに? いや」彼は言った。「違うぞ。俺がここにいる理由は、俺がマシな人間だからとかじゃ……俺はただ、たまたまここで必要とされた人間で、マシな人間ってやつは、ほら」フランクは何度かジェスチャーで病院を指し示した。「あそこで手術室やらなにやらを育ててる。そして町でとある母親たちが出産中に死なないようにしたり、子供たちが髄膜炎を生き延びられるようにしたり……その上、自分たちがマシな方の人間だと気付いてすらいない。自分たちがマシな人間じゃないと感じているからここにいるんだ。それに俺はあいつらみたいじゃない。そうだよ、疑心暗鬼でたまたま戦闘を避ける方法を知ってるついてないマヌケが必要だったから俺はここにいるんだ」自分が言ってしまったことを思い、フランクはかすかに溜息を吐いた。「俺はマシな人間なんかじゃない、ただの用心棒だ」
「4万人を銃なしで? さぞかし無能な用心棒でしょうね」
「その通り!」突然凶悪な笑みを浮かべ、彼は答えた。「どんだけ素晴らしく皮肉か分かったろ? うちには銃の予算すらねえ。どうしろってんだ?」
「私が思ったのは銃も軍人も、どんな種類のサポートもないなら……」
「なら俺はなんのためにここにいる?」
「そうねえ」プリシラは一瞬考えた。「なら彼らのために情報収集するとか?」
「完全正解とは言えないが、確かに実際ある意味俺の仕事だ」2人は建築現場の南端の境界線に沿い、東に向けて歩き始めた。「彼らは俺に暴力抜きの警備員であることを期待している、どういうことか分かるか? 何故ならこの連中にとっちゃそんなもんは保安業務のやり方じゃないからだ。彼らにすれば、セキュリティは機密性だ。彼らは地元民にも軍にも脅威を感じちゃいない。俺たちが無条件で全員を治療すると理解してる。たしかに、たまに強盗が出る。たしかに、たまーにうちのスタッフが運悪く偶然撃たれたり、偶然爆撃されたり、偶然身代金目当てに誘拐されたりする。よくある話だ、この辺で働くNGOなら分かってるし、そんなことでいちいちガタガタ言わねえ。MCFの違いはなんだと思う? 俺たちは他のことを予期せにゃならんってことだ」
「つまり……」
「他のことだ。俺たちの資産を買い取り・ゆすり取り・泥棒しようとするマーシャル・カーター&ダークの取り巻き。子供たちを味方に引き込むべく『なるほど君たちは子供を産むってことかよくできました、世界を、力の均衡を覆すことにより真の意味で世界を変えるってのはどうかな?』と操ろうとするインサージェントのセルの人間。ORIAの後援を受けた地元の'解放者'グループの人間までいる。それからもちろん財団だな。やつらを遠ざけておく唯一の方法は注意深くやることだ」
「つまり、あなたはただ連中が下らない秘密を守るために使われてると? 何故?」
「秘密? ああ、いや、そいつは大陸支部オフィスの仕事だ。うちの活動を他のNGOがやったように見せかけたり、ミスリードや虚偽のあるメディア報道を作ったりとかな。俺の仕事は万が一フィールドエージェントが地域に入って偶然うちの噂を耳にした場合に備えて、ミッションの嬢ちゃん坊ちゃん連中に十分用心させておくことさ」
フランクは突如酷く疲れを感じた。彼は立ち止り、景色を楽しむために振り返った。プリシラも同じようにした。2人の眼前にラスアノドが広がっていた。
「そうだな、ワークグループは全部現場で決断を下す。実質的にその場その場で手順を作っていくんだ。目立たないようにするのが得意なやつらがいて、隠密行動のためのアノマリーや才能のあるやつらがいる。でも病院を建てるワークグループはどうする?」彼は突然高笑いした。「たしかにあれを隠すのは骨が折れる。その上土地を買ってラスアノドに記憶処理剤をまく訳にもいかない、だろ? で、どうする? そうだな、地元の役人や他のNGOのメンバーを訪ねて、うちはちょっとした任務のためにここにいると知らせてやる。それと、誰かが苦情を言ったらどう答えればいいかもな。ついでに、この辺りにいると思う有力者の代理人の誰かに十分な量の小銭を少々握らせてやる」
「それだけ?」フランクは彼女のかすかに面白がるような表情を見た。「5ドル札を添えた'サンキュー'カードもなし?」
「慈善財団の'いい'評判もな」彼は頷いた。「これでおしまいだ。俺たちは互いをチクらない程度に信頼し合うし、地元民が俺たちを売り渡す代わりにこの辺りにいてほしいと考えると信頼してるし、他の有力者たちがこの辺には何もないと思ってると信頼してるし、もしそうしたい性質たちなら、祈れ」
小さくため息をつき、彼はふたたび歩き始めた。
「たまには上手くいかないこともある。部分的には誰もうちを見つけ出そうとしておらず、かつうちを見つけ出すことに努力の甲斐がないから成り立っている、どこもかしこも貧相な装いの嘘だ。でかい失敗がない限りはな、一応。世界は広いし、俺たちがここにいて悲劇的状況の犠牲者を数人救うべくパン屑的なものを使っていても連中は気にしゃあしねえ、武装して'状況'に立ち向かうよう扇動する代わりに人類みな友達のお仕事をしてるうちにはな。俺たちの最大の防御は、連中が手近な場所で仕事するのを好むということだ」
彼らは建築現場の角に到達した。その彼方、都市の北側では新たに難民キャンプが出来ようとしていた。形成は昨晩始まり、悲嘆と混乱、そして時折怒りに衝撃を受けた無表情な顔たちが既にそこに集まっていた。ワークグループの作業員たちはAMISOMの兵士たちと共に、難民のための大型テントを幾張りかもう建てつつあった。
下水施設とさらに北の農作物のための灌漑システムを作るであろう試作品の地下ヴェスタ種子を目立たず植えるべく、ジェイコブの専門家たちもそこにいるだろうことをフランクは知っていた。
オパールと彼女の専門家たちも一日中そこにいて、見つかりうる限りのサワーの症例を素早く見つけては、患者の親族全員に予防手段を提供していることをフランクは知っていた。
オランプと仲間たちが今そこにいて、住処を失った人々で一杯のテントの列また列を分かつ、新しく出来たばかりの泥道をパトロールしているだろうことをフランクは知っていた。
彼らが出来ることが十分であるかどうかフランクは訝しんだ。2人が見ている最中にも、数百人がキャンプの境界線に到着しつつあった。
「ところで、連中がここへ来る代わりに地元に留まることの最悪なところが分かるか?」プリシラを振り返り、フランクは言った。「そいつもある意味俺たちに効く」
ラスアノドに夜が訪れつつあった。フランクは地域のマナによる慈善財団・ラスアノドのためのインフラストラクチャーと保健ミッションのための特別WPhO―'フー'と発音する―派遣員、監査人プリシラ・ロックに、難民キャンプを運営するため、そして続く数日に間違いなく来るだろう数百人のために備えるため、ボランティアがしている素晴らしい作業を説明した。ワークグループが到着するとキャンプとその周辺2に調和した混沌が噴出し、そこにジープで営まれる少数の移動診察所や食糧配給センターがMCFの大型セミトレーラーから現れた。
AMOSOM司令官、連邦共和国の首長代理およびラスアノドの長老議会と会合する機会があった。全員がキャンプに流入する大量の難民に懸念を抱いており、そこでは既に300人が収容され、そのすべてがサワーのアウトブレイクから逃れてきていた。フランクはマナによる慈善財団の名において彼らと協議し、コミットメントを約束した。街にも彼らの作戦にもリスクなく、ラスアノドでの流行は止まると請け負い、非MCF職員が配置され次第病院は町に譲ると告げた。
無料で。
それからというものの、ラスアノドのすべての有力者は親切で有用な慈善財団の人たちと協力することに熱心になった。
「まるで予定外のように物を贈る!」後でオパールが、たまに見せる珍しく皮肉な調子で言うだろう。「友達になる一番の方法だね!」
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