透き通る息を吐き出して
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 いつもと変わらない日々を裏で守っている組織がいると言ったら、おそらく誰も信じやしない。けれど、テレビを見るに、それはどうやら本当にいたらしい。財団と名乗るそれは、誰にも知られることなく、世界を救っていた。けれど、今やその影はありやしない。今テレビで流れているのは、その財団の、世界に対する宣戦布告だったのだから。

「避難経路こっちです!早く!!」

 重装備の男が赤い右矢印の看板を持って必死に叫んでいる。盛り返す人の波をかき分け、GOCなる組織が喫緊で用意してくれた避難施設に行く。世界オカルト連合とかいうこれまた嘘みたいな名前の組織だったが、目の前に広がる惨状を見るに、そのどれもが嘘だなんてとても言えたものではなかった。

 走って、走って、走り疲れて、急に視界が下の方に向く。単純に転んだわけだが、このままでは頭から地面にぶつかってしまう。「ヤバい!」と感じたその瞬間、自分の体勢が起き上がって、地面に立っていることに気が付いた、何やら、自分の真下から声が聞こえてきた。

「危なかったっスね〜。気を付けるっスよ」

 そこにあったのはバナナの皮だった。踏まれて若干黒ずんではいるが、たしかにバナナの皮だ。

「このままだとまたすっ転んでしまうっス。心配なんでしばらくついて行くっスよ」

 この際バナナの皮が喋っていることに驚いたり、困惑したりは後にする。とりあえず、「ありがとう」とお礼を言う。

「いいっスよ。こっちも財団から逃げてるっスから」

 もうしばらく走り回った後、どうにか、GOCの簡易シェルターに自分とバナナの皮はたどり着いた。ほんの一時だけだが、落ち着けるようになった。1人、誰も話す者がいないよりか良いので身の上話をすることにした。

「どうしてあなたも逃げてるの?財団に収容されるタイプじゃない?そっち」

「あ〜、一応収容はされてたっスよ。でも、財団が敵対してからはコレっス。このままだと何の理由もなしに何らかの手段で殺されるし、何より生きていなければバナナの神様も自分を助けようがないっス。そっちはどういう感じなんスか?」

「私もよく分からないまま逃げてきただけだよ。現実離れしたことが多すぎて私ももう訳わかんなくなってる」

「かつての財団をある程度見てきたっスけど、とてもこういうことするような団体ではないっス。疲れてよく何もない場所ですっ転ぶような研究員も多かったっスよ。まぁその度に助けたッスけど」

「へぇ〜、なんか意外」

「頭良さそうな人たちの集まりだってのに、どうしてこうなっちゃったんスかねぇ」

「私に聞かれても困るよ」

 噛み合うような噛み合わないような、そんな話をしながらしばらく過ごした。結局、この後はほとんどバナナの神様の話ではあったが、外の"現実離れ"よりもバナナの"現実離れ"の方がはるかに面白かった。荒唐無稽で、時に壮大で、でも行く着く先はバナナの、バナナの皮の話。

「……だから、転倒させるだけがバナナの皮じゃないんスよ。すっ転びそうな人を助けるバナナの皮があってもいいんスよ」

「こんな世界だけど、あなたみたいな純粋な善意を持つ人……いや人じゃないか。でもとにかく助かったよ。感謝してる」

「いいっスよ。バナナの神様の加護がアンタにもきっとあるっス」

 荒れ果てて何も無い世界でも、このバナナの皮と、バナナの神様がついてくれている。何も縋るものがないからそう思っているだけなのだろうが、バナナの皮が妙に頼もしく思えてきた。シェルターの外はどうなっているのか、ここも後に安全じゃなくなるのか。不安の種は尽きなかったが、バナナという存在そのものがほんの少し、安心感を与えてくれたような気がした。


 けたたましいサイレンの音と共に、自分とバナナの皮は飛び起きた。2度目の避難の合図だ。急いで外に出てみると、想像以上に最悪の状況だった。最初の避難の時には、まだ街並みは原型を留めていたのに、今では影も形もない。自分が生きていた世界はまたもや一変してしまった。生きるために、バナナの皮と共に全力で走ることになった。

「今度は転ばないようにするっスよ!」

「分かってる!」

 何か話していないと気が気でない。右を見たら巨大な化け物が、左を見たらこれまた見た事のない機械が街を破壊している。そして、それらを破壊するGOCのマークがついた機械もある。

 無意識に、一瞬だけもう一度右を見てみると、向こう側を向いていた化け物がこちらを向いて、自分を睨んだ。この世のものとは思えない目に、おもわず立ちすくんだ。そんな中、絶え絶えな息を振り絞ってなんとか走ろうと再び足を動かした途端、またも視界に地面が近づいた。けれど、完全に自分の頭が地面に衝突することはなかった。

「……やっぱ危なっかしいっスよアンタ」

 人生で2回もバナナの皮に助けられることになるとは思わなかった。お礼を言おうとした瞬間、バナナの皮の足と思われる部分が地面に埋まっていた。そうして、少しずつ地面に吸い込まれていくのが見える。

「あ〜……どうやらもうダメみたいっス」

「なんで!!」

「財団は多分、バナナの神様の方を先に殺したんス……。噂で聞いたッス、財団は神を殺せるって」

「言ってることの意味が分からないよ」

「そのままっスよ。バナナの神様の加護がないバナナの皮なんて、結局単なるバナナの皮っスから」

「私には……そうには思えないよ……」

「なんにしても、この先長くなかったってことっス」

 命の恩人、もといバナナの皮だが、自分にはこの別れが耐えられなかった。泣いている暇などないはずなのに、徐々に涙が溢れてくる。

「最期に泣いてるのを見るのは辛いっス。でも忘れないで欲しいっス。すっ転ばないのが1番ってことを」

「分かってる……分かってるよそんなこと」

「万が一忘れてしまわないように、これ渡しとくっスよ。バナナの世界のちょっとしたお土産っス」

 そう言って、バナナの皮は、自分に小さな黄色い宝石を渡した。黄色の中身にはこれまた小さなバナナが入っており、見るとどことなく安心した。それと共に、別れを受け入れる心の準備が整ったようだった。完全に清々しいとは言えない。けれど、悲しみに溢れてどうしようもなくなっているという訳でもない。ただ、その死を受け入れる。手に渡された宝石を握りしめ、再び足を進める決意をした。

 バナナの皮は、その姿を目に焼き付けた。もう走り出していて顔が見えることはなかったが、「絶対にいくらかいい顔をしている」と思った。これで思い残すことなく、バナナの天国へと旅立っていける。ほんの一瞬だけ笑いながら、バナナの皮は地面へと還っていった。

 自分も、この先が長い訳では無い。いつかはどん詰まりになって、結局、理由もなく殺されて、死んでいく。けれど、悲しんだ顔で死ぬ訳にもいかないし、なんなら転んで死ぬのはもっとお断りだ。あのバナナの皮に見せる顔がない。死ぬ時には、せめてあのバナナの皮の顔に恥じないように、生きられるだけ今を生きる。死ぬのは明日かもしれないし、もっと早い、1分後かもしれない。覚悟を決めて、1歩1歩、確実に地面を踏みしめて、どこへでも逃げる。逃げてやる。

 空はめちゃくちゃだ。嵐が吹いたり止んだりしている。制御機能を失って、今にも壊れて爆発でもしそうな嵐だ。吹き飛ばされた雲が急激に元に戻ることもある。とにかく空は灰色で、先は見えない。

 握りしめた宝石は、変わらず、黄色い輝きを力強く放っている。

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