最初の嘘
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 目の前で、博士は地面に横たわり、頭からただ血を流し続けている。私は、そこに立っていることしか出来なかった。

 周りに人だかりが出来ていても。倒れた彼が運ばれて行っても。私は立っていることしかできなかった。

 死体など、とうに見慣れたはずなのに。


 アイテム番号SCP-073、通称"カイン"。オブジェクトにも関わらず財団の情報のバックアップを担い、施設内の出歩きを許可されていた特異な存在。彼が財団職員を殺したという報告がO5に入ったのは、つい先日のことだった。

 死因は脳挫傷、頭の損傷による死亡。被害者は六十代女性、Keter級オブジェクトの管理・無力化を中心に長らく財団に貢献してきたベテラン博士だ。

 事件は昼時を過ぎたころ、被害者の自室にて起きた。事が起きた時、その部屋にはカインと博士の2人のみ。それ以外の人間が被害者の自室に入ったのは、既に博士が死んだ後だった  

「と、まあそんなわけだ」

 "ケイン・パトス・クロウ"と呼ばれるクリアランス4を持つ犬は、彼自身の自室で今回の事件について話していた。

「……それで、その続きは?」

 犬の話し相手である男は、胸元の首飾りを弄びながら、犬の目をジッと見つめる。

「続き? 勘弁してくれ、ジャック。今回の事件については全て話しただろう。ボケが始まるにはまだ早いんじゃないか?」

 その犬面から表情を読み取るのは難しいが、どちらかと言えば笑顔に近い柔らかな顔で、ケインは彼の問いをいなす。

「面倒な腹の探り合いはやめにしよう、ケイン。ここまでの話は私だって知っている、知りたいのは"その後"。073を担当している君しか知らないことだ」

 ケインはこの質問に答える義理がないことを知っている。だが、同時に答えたほうがいいだろうとも知っていた。ジャック・ブライトから逃げ出すことと、自身の知っているささやかな機密の漏洩、どちらが危険かなんて比べるまでもない。

「オーケー、わかった。ただ、正式に決まるまでは口外しないでくれよ?」

「年老いた犬が処分を受けた時の顔は少し気になるね」

 ブライトは座り方を崩してから、飄々とそんなことを嘯く。犬は器用にため息をこぼしてから、続きを話し始めた。

「073……カインは、やってないと言っている。目の前で急に倒れた、自分も驚いていると」

「それで、君や評議会はそれを信じたのか?」

 そんなわけないよな、と。そんなニュアンスの混じった口調。その口調と表情から、ケインは彼の様子が少し普段からズレていることに気付き始めた。それは例えば、何かに焦っているような。

「いいや。だが念のため、死んだ博士の解剖はしたよ。以前から心臓が悪く、脳の損傷の他に心不全の疑いがあることもわかった。つまり、本当にたまたま倒れて頭をぶつけただけで、カインは殺してない可能性もあるってことだ」

「つまり……最初君が話した脳挫傷っていうのは一般職員のための嘘ってことか? なら、どこまで最初の話は本当だ?」

 財団でも特に賢い男はその疑念に眉を潜め、カバーストーリーの可能性を問い質す。しかし、ケインは落ち着いた様子で首を振る。

「いいや、やっぱり一番確実な死因は脳挫傷だ。あの話に虚偽はないし、真実と言えるほどはっきりとしたものも隠していない。疑惑程度のものを言う理由もないしね」

 疑問を投げかけた男はその言葉を聞いた後、相槌を打つでもなく俯きながら考え始めた。空調設備が稼働する音だけが犬の耳に入り続ける沈黙。やがてその視線が前を向き、老犬の眼を捉える。

「しかし、今回の事件はカインを"収容し直す"にはもってこいのものだった、そうだろう?」

「……どういうことだい?」

 聞き返しはしたが、ケインは彼の言いたいこと、焦る理由を理解し始めていた。

「最近は効率の悪い初期の収容体制を見直す動きが活発化しているだろう? 073の管理体制は緩いものだ、この機会にしっかりと収容できるのは都合がいい」

「……認めるよ、たしかにそういう意図もある。彼を信用しすぎているという点については僕も賛同した」

 ケインは息を吐いた。肩があれば竦めただろう。そこまで詰められてしまえばもうこちらが肯定しても否定しても変わらない。

「でも、今回の事件は意図的なものではないからね? カインの件はあくまで偶発的というか、なんというか。とにかく財団は関与していないものだ」

 これは信じて欲しい、ケインは旧知の同僚にそうはっきりと伝えてから、さらに言葉を続ける。

「それと  財団は君を収容しないと思うよ、ジャック」

 その言葉に、少しだけ男の表情筋が揺れる。

「君の有用性や功績は大きいし、君の知っている情報は多いからね」

 彼は、ジャック・ブライトは、おそらくそれも知っているのだろう。自分を使えることを知っているからこそ、使わずに腐らせることをさせないために今回の件について聞いてきた、それが彼の意図。そう、ケインは推測した。

 だからこそ、ケインはこう言わなければいけないのだ。

「それに、君には友人が多いしね」

 その言葉に、ジャックは明るく笑った。そして、席を立つ。

「あー、でも。まだわからないな。君も収容対象で、上から何も知らされてないだけかもしれない」

「そしたらもうお手上げさ、潔く収容されてくれ」

 去り際の冗談に、彼らはまた笑った。ブライトはまた仕事に戻るため部屋を出て、ケインはその部屋のパソコンに来たメールを確認する。そのメールは、073の収容棟の決定を告げていた。

「収容エリア28a、か」

 収容棟の場所を反芻する。たしか28aは標高の高い山奥だったか。人気のなさから来る利点は多く、そのためEuclid〜Keterが主に収容されている。財団はカインに自由を与える気を完全に失ったらしい。散々手を借りておいて、いきなり扱いを変える冷酷さはある意味財団らしくもある。そして、ケイン自身もカインを自由にするつもりは特にない。淡々と犬の手でキーボードを叩いて文面を作り、承認の返信を行った。

 だが、弟とは真逆の高山帯に収容されるとは皮肉なものだ。これは縁なのか、運命なのか、罰なのか。ケインは、彼が逃れられなかったものについて、犬の手を舐めながらぼんやりと考え始めた。


 そして、標高2000mに存在する建物の一室に私は辿り着く。弟と遥か遠くなのは、意図的なものなのだろうか。意図的だとすれば、それは何故なのだろうか。彼と私にどう影響するというのか。

 収容が決定してから、反抗はしなかった。やがて捕まる、する意味がないから。だとしたら、もう収容されても良いと思っていたのなら。


 何故、私はまた嘘を吐いたのだろうか。


 あの博士から、あるオブジェクトの収容プロトコルの改変に伴い情報提供をして欲しいと言われた。私は最低限だけを渡した。彼女はまた情報を欲しがった。私は、そう、少し訝しんだ。そのため、自分で彼女の計画書について調べることにした。すぐにわかった、無力化の計画だと。計画書はいい出来だった。だが、彼女は予算が足りず、まだ本格的な申請は出していない。

 その次の日、私は、彼女の自室に呼ばれた。そして、そこで。この鋼鉄の腕で殴り殺した……何故?

何故私は殺した後、動かなかった? 何故私はSCP-076の無力化計画を白紙に戻した? 庇った? 罪滅ぼし? それなら何故、私はやっていないと言った?

 また、人を殺し。また、嘘を吐いた。つまるところ、弟を殺したことが私の全てなのだ。罪悪感を抱いているのかも忘れたほどの昔、私が最初に吐いた嘘が私の現在まで私を捕らえ続けている。時間が幾ら経とうと、私の罪も印も洗い流されない。金属に変わろうと、私の手にはいつだって血が染み付いている。

 誰に宛てたものかも定かでない謝罪を、今更空に吐く。




 返答は、なかった。

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