ふた
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「あれ」

自販機から取り出したコーラを飲もうとして、俺は首を捻った。

ペットボトルが開かない。

手を擦り合わせて、もう一度力を込めて回す。でもやっぱりキャップは開かず、指が空回りするだけだった。

「なあ、これ開けてくんね?」

俺は横で麦茶を飲んでる伊藤にそう言って、ペットボトルを渡す。

「お前赤ちゃんかよ、ほら」

伊藤は受け取ると、難なくキャップを回して開けた。

「……おかしいな」

返してもらったコーラを飲みながら、手の中のキャップを眺める。特に何の変哲もない、渦巻きの出っ張りが内側に見えた。

「そんなことよりさ、今日考えたフォーメーション中々悪くなかったんじゃないか?インターハイまであと1か月あるから、これなら羽高との試合までにモノにできるかも」

「まあ、そうだな。ありかもな」

俺は適当な相槌をうちつつ、スマホを開く。メッセージが1件。

「80000で買います」

悪くない。俺は「了解しました。また後ほど」と返して、またコーラを一口飲んだ。

「おい米村、伊藤!」

いきなり怒鳴られ、俺と伊藤は反射的にベンチから立ち上がった。

「いつまで休憩してるんだ、部長と副部長がそんなことでどうする!ミーティングをするから早くグラウンドに戻れ!」

「はい!おい、行くぞ米村」

俺は舌打ちしてスマホを閉じた。今怒鳴ったのは昨年から赴任してきた顧問だ。杓子定規過ぎるきらいがあって、俺は正直苦手な人間。真面目な伊藤はモタモタしてる俺をよそにさっさと走って行った。流石に部長がいないとミーティングにならない。仕方なく俺も伊藤に続いてグラウンドへと向かった。



その日から少しずつ、おかしなことが俺の身の回りで増え始めた。

例えば貰い物のちょっと高級なお菓子。缶が錆び付いてる訳でも、剥がし忘れたテープがある訳でもないのに、自力で開けることが出来ない。まるで接着剤か何かでぴったり貼り付けられてるかのように、びくともしない。他の人に渡すとすんなり開くので、開かない物がある度に周囲の人間にお願いすることになる。きのこの山を開けてもらうよう伊藤に頼んだ時には、目を白黒して驚いていた。

他にも、体重計や電子辞書のような、機械の電池を交換する時。電池蓋のツマミに爪を掛けて、機械から外す。これだけのことが出来なくなった。無理にやるとツマミが壊れてしまい、永久に開かなくなってしまう。仕方がないので殆どの機械は、電池を入れた後は蓋をしないで使うことにした。

ある日のこと、電車の中で腹痛に襲われてた俺は、駅に着くなりトイレへ駆け込んだ。決壊寸前というところで、辛うじて個室が空く。助かった。急いでベルトを外しながら。俺は便器に手を掛ける。蓋が開かないということに気付いた時には、何もかもが遅かった。その日はズボンの臭いを気にしながら、最悪な1日を過ごすことになった。



そんな出来事に悩まされつつどうにか日々をやり過ごしながら、気付けばインターハイまであと1週間を切っていた。伊藤を始めとした部員の練習と指導にも自然と熱が入るのを感じながら、俺はスマホでのやり取りに意識を傾けていた。相手は女子バスの部長で、2週間前から付き合い出した美優。

「昨日はイタリアンごちそうさまー!買ってくれたバッグもめちゃくちゃいい感じ^ ^ またご飯行こうね!」

そんな彼女からのメッセージに頬を緩ませつつ、部員達の動きを観察する。伊藤が率先して引っ張っている甲斐あって、皆いい動きが出来ている。これなら昨年のベスト8を塗り替えるのも難しくはないかもしれない。

そう考えてた矢先、顧問から集合の合図がかかった。水を差す奴だ、やっぱり好きになれない。一先ず美優に「もちろん!」とだけ返して、俺は部室に向かった。

部員全員が入ってきたのを確認して、腕組みをした顧問は口を開く。

「急に集まって貰ってすまない。だが部の、学校の将来に関する重要なことだ。女子にとってはショックが大きいかもしれないが、どうか落ち着いて聞いて欲しい」

キョトンとした様子で互いに顔を見合わせる女子部員をよそに、顧問は続けた。

「皆知っての通り、うちの運動部は県内でも有数の強豪揃いだ。だがその一方で、学内で横行する悪い噂にも枚挙に暇がない。この高校への赴任が決まった時、俺は出来る限りそうした膿を排出しようと決めていた。その膿の1つがこれだ」

顧問は脇に挟んでいたファイルを出し、部員に見えるよう掲げる。騒めきが、徐々に大きくなっていくのが分かった。

「これはうちの女子更衣室の盗撮映像をスクショしたものだ。ネットで法外な金額で取り引きされている。この場面は皆が服を着ている場面を切り取ったが、計30分ある動画ではおそらく女子部員が服を脱いで着替える様子も映されていると思われる。もっとも俺は見ていないがな」

多くの部員から明確な驚きの声が上がり、悲鳴も複数聞こえてくる。

「驚きなのは、この動画を取り引きしているサイトが何十年も前から存在している、所謂老舗だったことだ。お前達の何世代も前から続いてる悪質な商売だったんだよ。」

顧問が部員を見回す。

「俺は客を装ってそのサイトから動画を買った。こんな巫山戯た真似をしているのが誰なのかを確かめるためにな。大変な苦労だったが、早朝俺のポストに入れる姿をやっと突き止めたよ」

顧問の、目が。

俺の顔でとまった。

「お前だったんだな、米村」

部員全員から、突き刺すような視線を感じた。

俺は、俺は口を開く。だが喉が掠れて、声が出ない。

その沈黙が、何よりの証明だと皆は受け取ったようだった。

誰も彼も、部長を見る目で俺を見ていない。

悪臭を放つ、汚物よりも醜い物を蔑む目が、俺を取り囲んでいた。



どこをどう走ったのか、気付けば駅のホームに着ていた。途中で駅員に止められたような気もするが、今一覚えていない。アナウンスがぼんやりと耳に流れてくる。

「1番線を特急が通過します、危険ですので白線の内側に沿って……」

スマホが通知音で振動する。画面に表示されたメッセージの名前は美優。文面の内容を脳が認識する前に、電源を切ってポケットに沈めた。

どうして。どうして俺が責められる。

俺は悪くない。俺が始めたことじゃないんだから。

更衣室の盗撮の仕方とサイトの運営法を教えてくれたのは、先代の部長だった。「面倒な部長の仕事をやるリターン」だと言っていた。彼もまた自身の先代からやり方を教わって、その先代は以前の顧問から教わったとも口にしていた。

皆同じようにやって、皆同じように儲けていた。俺だってそれを真似ていただけだ。何で俺に限って失敗した?何で俺の代に限って。

「おい、米村」

後ろから俺に呼び掛ける声が聞こえた。伊藤だ。

俺は恐る恐る振り向いて伊藤を見る。伊藤の顔は、死人みたいに青白かった。

「さっき、校長がやって来て。事実確認が出来るまで部活動は停止だって言ってた」

「…………」

「なあ、お前じゃないよな?お前本当はやってなくて、更衣室が盗撮されてた、ってのは何かの間違いなんだろ?」

「……知らなかったのは、お前と、お前みたく馬鹿真面目な奴ら何人かだけだ」

「は?」

唖然とする伊藤に、俺の口は止まらなくなる。

「皆、殆どは知ってたんだよ、俺やこれまでの部長がそういうことしてるって。でも皆撮れた映像で、楽しんでたし、金もある程度握らせてたから文句言う奴なんていなかった」

「お前、何言ってるんだよ」

「部員だけじゃない、学校の男子は大体知ってた。教師だって。でもそれぐらいで大会で良い成績残してくれるなら、って。今までずっとそうだったんだよ。皆見て見ぬふりしてきて、それが1番だったんだ。それをあのウザい顧問が余計な真似しやがって。悪いのアイツだろ、アイツさえ黙ってれば」

話してる途中で伊藤に勢いよく殴られたと気付いた時には、頬がじんじん熱を帯びていた。真っ青だった伊藤の顔には、怒りを思い出したように朱が差していた。

「何くだらねえ言い逃れしてんだよ!今年俺の最後のインターハイなんだぞ!お前のせいで出場出来ねえじゃねえか!どうしてくれるんだよ!」

「うるせえ!」

カッとなった俺は、伊藤を殴り返した。咄嗟だったのでグーではなくパーで、殴るというより顔を叩くように。

「痛っ、……あ?」

よろけた伊藤は、そのまま呆けたように立ち尽くす。

「何だこれ、目が見えない」

「は?」

俺には、伊藤が目を閉じているようにしか見えなかった。

「うわあ、何だこれ!目が開けられない、何も見えないよ!」

伊藤は目を瞑ったまま、激しく錯乱し始めた。手を振り回して、がむしゃらに暴れ出す。

「だ、誰か、米村。助けてくれ!」

動転するままに、伊藤は俺の腕を掴んだ。

「おい、伊藤、やめっ」

伊藤はそのまま暴れて、ホームから転落する。腕を掴まれた俺も、一緒に線路へ落ちた。

それと同時に、電車がホームへ滑り込んで来て。







「おや、鈴木さんじゃありませんか。お久しぶりです、明けましておめでとう」

「永井さん。どうもご無沙汰しております、こちらこそおめでとうございます」

「どうですか、ここで会ったのも何かの縁ですから、そこらでご飯でも」

「そうしたいのは山々ですが、生憎仕事が立て込んでまして。これから会社に行かなければならないのです」

「おや、今日は2日ですよ。まだ3が日も過ぎていないというのに」

「全くです。昨年はお盆もろくに休みが取れないで、家内と息子を宥めるのに苦労しました」

「なんとまあ。正月とお盆は地獄の釜の蓋も開く日だと言うのに。どうしてしまったんでしょうな、最近は」

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