アランはよろめき躓きながら戸口をくぐり、側面からロビーに倒れ込んだ。
「くそっ! 背中が!」
背後でドアが閉まり、覗いていた暗い光は何であれたちまち消えた。アランの乱れた呼吸は、肺が家屋の中の息苦しい塵を吸い込んだことで妨げられた。すべてのものは、半インチもある柔らかな灰色の埃に覆われていた。灰ほど粗くなく小麦粉ほど細かくなく、その中間のどこかだ。おまけに空気は古いタッパー容器のような臭いがした。
「なんだこの場所は?」アランは痛む左の脇腹をさすりつつ、コート掛けを掴んで立ちあがった。最初に試したのは壁の明かりのスイッチだったが、もちろん点かなかった。アランにとっては全く驚きではなかった。
«D-3454、聞こえるか?»
アランはノイズに飛び上がり、そしてそれから腰の無線だと気付いた。受け取った記憶はなかったが、今そんなことは問題ではなかった。彼は雑音混じりの声に返答した。
「ああ?」
«建物に入って観察内容を報告せよ。追って指示する»
「オーケー、しかしここはクソ暗い。なんも見えやしねえ」アランは己の腕を見下ろし、カシオ風の非常に地味な、ボタンのない腕時計を着けているのに気付いた。それは時刻を示す代わりに、ストップウォッチモードで作動していた。ここまでのところ22秒しか記録されていない。
«小型の懐中電灯もあるだろう。無線に付属する»
アランは無線機の横に取り付けられた、小ぶりなキーチェーンサイズの懐中電灯を手で探った。かちりという音とともに、明るいLEDライトがロビビーとその先の短い廊下を照らし出した。あたかもそこに置かれたばかりのように、小さなエンドテーブルに積もった埃の層の上に、ハンドガンが無為に横たわっているのが見えた。
«D-3454、前進できるか?»
「あ―ああ。やれる」
«よし。引き続き建物内を進んで報告せよ»
アランは銃の方へ歩いた。
銃を取る。 (1.1)
銃は置いておく。 (1.2)
アランは銃を拾った。重かった。馴染みのある感触だった。装填されていた。彼はため息をつきながらしまい込み、先に進んだ。
中はほぼ同じだった。しかし、少なくとも彼にはある種のリビングルームであることが分かった。数歩進むと、開かれた部屋は形を取りはじめた。カウチ。テーブル。VCR組み込みのブラウン管テレビ。埃の層を除けば、特に古そうにも見えなかった。カウチのクッションには明らかに払いのけられた部分があった。あたかも、何者かが横になるために綺麗な場所が欲しかったかのように。
«D-3454、報告は?»
「お―おれは誰かがここにいたと思う」
«実体を目視確認したのか?»
「実体?」
«誰かを見たのか?»
「い―いいや」
アランの肩を手が掴んだ。
「くそっ!」
素早く振り向きながら彼は銃を手探りした。取り出して正面に持ってくるのに丸1秒かかったが、なんとかやってのけた。引き金に指を掛け、人影に銃口を向けた。
撃つ。 (1.3)
撃たない。 (1.4)
アランはそれを見た。そして首を振った。それがそこに意図的に、最近置かれたのは明らかだった。アランは他人を簡単に信用する方ではなかった。
「やめておこう」
中はほぼ同じだった。しかし、少なくとも彼にはある種のリビングルームであることが分かった。数歩進むと、開かれた部屋は形を取りはじめた。カウチ。テーブル。VCR組み込みのブラウン管テレビ。埃の層を除けば、特に古そうにも見えなかった。カウチのクッションには明らかに払いのけられた部分があった。あたかも、何者かが横になるために綺麗な場所が欲しかったかのように。
«D-3454、報告は?»
「お-おれは誰かがここにいたと思う」
«実体を目視確認したのか?»
「実体?」
«誰かを見たのか?»
「い―いいや」
アランの肩を手が掴んだ。
「くそっ!」
素早く振り向きがてら、彼はいくらか距離を取ろうと試みて大きなカウチの背後に飛び込んだ。アランには玄関まで戻る自信があった。そうすべきかどうかだけは分からなかった。彼は素早く金属のランプを掴み、それが何者であれそちらに向かって振れるようにした。
「こっちに来んな!」
逃げる。 (1.5)
反撃する。 (1.6)
その場にとどまる。 (1.7)
パン
人影はなお前へ進んだ。「アラン、時間を無駄にするな」その声は間違いなく人間のものだった。
アランはさらに2発撃った。「近寄るな!」空いた方の手で、アランは小さな懐中電灯を掴んで見ようとした。それは男だった。ひょろりと痩せて、髭を生やし……そしてDクラスのつなぎを着ていた。アランは束の間彼の銃撃について考えた、この距離で3発全て外すことは可能だろうか。唐突に、そして非常に素早く、男はアランの手から銃を奪い取った。
「アラン、いいから落ち着け!」
「何――」
「お前の同類だ、アラン。お前が入ってくるのが聞こえたんだ。驚かすつもりはなかった。ちょっと入る前について覚えていることを教えてくれないか」
「何?!? い―いやだ。誰なんだあんたは?」
«D-3454。銃声を聞いた。確認できるか?»
まだ男を信じられず、アランは答えるために無線を手に取った。
「なにか……なにかがここにあって、それで―」
「止めろ! そいつと喋るな。俺を信用しろ、アラン」
«復唱せよ、D-3454»
無線に答える。 (2.1)
無線に答えない。 (2.2)
「お前はなんなんだ!」アランはすべての音節を強調して言った。
人影は両手を開いて近づいてきた。それは男だった。ひょろりと痩せて、髭を生やし……そしてDクラスのつなぎを着ていた。
「アラン、落ち着け」
「誰――」
アランが動揺した状態から立ち直る前に、男は彼の手から銃を奪い取った。「お前の同類だ、アラン。危害を加えに来たんじゃない。お前が入ってくるのが聞こえたんだ。ちょっと入る前について覚えていることを教えてくれないか」
「何?!? い―いやだ。誰なんだあんたは?」
男は無造作に近づいてきた。「完全には分からん。でもつなぎについてる名前はお前と同じだ。番号もな。見てくれ」
アランは目をやり、はたしてそれはその通りだった。
続く (2.2)
「くそくそくそくそ!」アランはカウチとコーヒーテーブルを飛び越え、扉に向かった。人影は、アランが子供のように玄関へ慌てて戻っていくのを見ながら失望のため息をついた。
「またか」それは愚痴を零した。
アランは恐慌状態で入ってきたばかりの扉を開け、バランスを崩して敷居の上で躓いた。
「ああああああ!」
アランはそれにチャンスを与えず、人影に向かって激しく殴りかかった……本当に激しく。
ドスン
金属のランプが頭の柔らかい側に接触するとともに、湿った重たい衝突音がした。その後、力のない体が床に崩れ落ちるとともに、第二の音がした。アランが体を見下ろして立つ間、沈黙の中で埃は落ち着き始めた。優に10秒は経った後、彼はそれが何であろうと二度と立ち上がらないと確信した。彼は体を明かりで照らし出した。
彼は息を呑んだ。
それは男だった。ひょろりと痩せて、髭を生やし、そしてよく似た……いや……完全に同じオレンジのつなぎを着ていた。
「アラン。D-3454」彼は服に書かれた言葉を読み、震えた声で口に出した。彼の名前だった。彼の番号だった。
«D-3454、叫び声が聞こえた。確認できるか?»
「俺―それは俺だ。一体なんだこれは?たった今俺の服を着ているなにかを殺した」
«殺した? 確かか?»
アランは頭を足で小突いた。鼻から溢れる血液の量はおそらく指標として十分だろう。
«D-3454?»
続く (2.3)
「なんなんだてめえは!」アランは暗闇に埃の彗星の尾を残しながら、虚空を切ってランプを振り回した。
人影は両手を開いて近づいてきた。それは男だった。ひょろりと痩せて、髭を生やし……そしてDクラスのつなぎを着ていた。
「アラン、落ち着け」
「誰――」
「お前の同類だ、アラン。お前が入ってくるのが聞こえたんだ。全然驚かすつもりはなかった。ちょっと入る前について覚えていることを教えてくれないか」
「何?!? い―いやだ。誰なんだあんたは?」
男は手を下ろした。「分からん。でもつなぎについてる名前はお前と同じだ。番号もな。ランプを置け」
アランはゆっくりとランプを下げ、そして足元の埃にまみれたカーペットに放り出し、彼に1歩近づいた。
続く (2.2)
アランは無線を顔まで持ち上げ、喋るためにボタンを押した。もう1人の男はただかぶりを振った。
「おい、こんなところで頭がおかしくなっちまうぞ。男が1人いる。一体なにが起きてるのか教えろ」
«D-3454、幻覚を体験している可能性が非常に高い。ここで集中してもらいたい»
アランは自分の置かれた状況を確認するために振り返った。「なに言ってるんだ? これが全部俺の頭ん中だって?」
«男はまだ見えるか?»
アランは数回まばたきして見た。いない。「くそっ! 奴はどこ行った!?」
«D-3454、この状態を切り抜けたければ君は冷静になる必要がある»
アランは吐き気を感じた。彼にはこのような経験はなかった。しかし無線のバッテリーがもつ限りは耐えられるように思えた。
「了解。聞いている。ちょっと……ちょっと次を教えてくれ」
«待機せよ»
続く (2.4)
男はアランに銃を手渡した。「ほら、もっと説得力がいるか? これを見ろ」
アランは混乱しながら銃を受け取り、しまい込んだ。そして男は自分自身の腰から無線を外した。「今すぐおまえのバッテリーをくれ」
アランは無言で従った。それらは同じモデルの無線機で、それはつまり同じ種類のバッテリーパックを使っているということだった。男はそれを接続すると、話すためのボタンを押した。
「こちらD-3454。まだ聞こえるか?」
«明瞭だ、D-3454。最新の状況を»
「分かったか?」男はバッテリーパックを返した。「俺たちはここじゃ同じチームの一員だ。分かったか?」
アランは頷いた。「お前……俺なのか?」
「いや。うーんと。今は違うということにしとこう。多分本当の答えはややこしすぎる。でも俺のさっきの質問に答えろよ、ここに来る前の何を覚えているか」
アランは答えようと口を開いたが、なにも出てこなかった。彼は思い出せなかった。何一つ思い出せない。「む……無理だ」
「そうだろ。そう思ったぜ」男はテレビのリモコンを取るためにカウチへ手を伸ばした。彼は裏側を開けてAAA1の電池を取り出した。そしてそれをアランのものと瓜二つの小さな懐中電灯に押し込んだ。彼はスイッチを入れ、LEDがまだ生きていることに笑みを漏らした。「この場所は……面白いぜ」
「そうだな。分かってきたよ」アランは手櫛で髪を梳いた。「どれくらいここにいる?」
「それについては考えない。ただ動き続けるのさ」男は玄関まで急ぐとドアを開け、彼の方に揺らした。袖を捲ると、彼の前腕には数本のカシオ風腕時計があった。全てが異なる時間を示し、傷みの程度が違っていた。彼はそれぞれのデジタル表示を念入りに調べた。「準備はできたか? これで終わりだぞ」
準備完了。 (2.6)
拒否する。 (2.7)
アランは無線を顔まで持ち上げ、喋るためにボタンを押した。
「おい、こんなところで頭がおかしくなっちまうぞ。男が1人いる。一体なにが起きてるのか教えろ」
«D-3454、幻覚を体験している可能性が非常に高い。ここで集中してもらいたい»
アランは自分の置かれた状況を確認するために振り返った。「なに言ってるんだ? これが全部俺の頭ん中だって?」
«死体はまだ見えるか?»
アランは数回まばたきして見た。なにもない。「くそっ! 奴はどこ行った!?」
«D-3454、最初から存在していなかったのだ。この状態を切り抜けたければ君は冷静になる必要がある»
アランは吐き気を感じた。彼にはこのような経験はなかった。しかし無線のバッテリーがもつ限りは続けられるように思った。
「了解。聞いている。ちょっと……ちょっと次を教えてくれ」
«待機せよ»
「くそっ!」男が躓きながらドアをくぐり、背後で戸を閉めた。彼は10秒前には死んでいた。「教えてやるよ、何べんか分からねえがお前は俺を撃ってきた、でもあのランプでやりやがったのは多分これが最初だ。くそ痛かったぞ」彼にはかすり傷ひとつなかった。
アランは壁際で縮こまった。「お前は現実じゃねえ。俺の頭ん中の存在だ。俺の頭から出ていけ!」
「無線に言われたのか? なるほど」
「なにが望みだ?!」アランは金切り声で叫んだ。意図したものではなかったが、それが出てきた声色だった。
「ただお互いやり直せば分かりやすくなると思うぜ」男はアランに銃口を向け、彼の頭を撃った。
パン
«まだそこにいるか?»
アランは頷き、古びたリビングルームの埃っぽいカウチに寄り掛かった。「おう」
«よく聞け、君は我々の回収ポイントに到達する必要がある。しかしそのためにはこの空間が異常であることを理解する必要がある»
「本当か?」アランは皮肉をこめて言った。「それでどうやって戻ればいい? ただ歩いて出られねえのか?」
«いや。自分側に向かって開けるのでなければな。これが重要だ。もし君がドアを向こう側へ開けて踏み出せば、それはループと君をリセットする。君は全てを忘れるだろう»
「ちょっと待て、ループってなんだ?」アランはまっすぐ立ちあがって単語について考えた。それがまさしくなにを意味するかを理解するのに、彼は数秒を費やした。
«これは時間的タイムループだ。その点に関しては不安定なタイプだ。これ以上の情報は提供できない。私の指示通りにしろ、しかし丁度私が言ったタイミングで扉をくぐる必要があるだろう»
アランは鼻梁をつまんだ。この話を聞いて頭が痛くなり、彼の気力は役に立たなかった。「いいだろう。それで俺にドアのそばで待ってて欲しいってことだな?」
«上出来だ。そこで待機せよ»
「アラン」男が角から頭を出した。「早まるな」
「失せろ!」アランは足を踏み鳴らしてドアに向かった。「お前は現実じゃないし俺は帰るんだ」男はアランを襟首で掴み、銃を奪い取ると彼の顎下に突きつけた。「止まれ。考えろ。これはクソみてえなゲームでお前は弄ばれてるんだ。お前はいつが手遅れになるのか分かるまで待つこともできる」男はアランを解放し、銃を返した。「それか、俺の後についてここを出るかだ」
«D-3454、5秒だ。準備しろ»
「お前が選べ」
アランはドアノブに手をかけた。無数の異なる考えが心中を奔る中、彼はドアノブをきつく握りしめた。
«Ok、入れ……今だ!»
留まる。 (2.5)
入る。 (2.8)
«D-3454? D-3454、行ったか? D―»
アランは無線の音量を下げた。
「やっとか。オーケー、外に踏み出すぞ。俺が言うときに行こう」袖を捲ると、男の前腕には数本のカシオ風腕時計があった。全てが異なる時間を示し、傷みの程度が違っていた。「これで終わりだぞ。さあ準備しろ」
「こんなのをみんなどうやって知ったんだ?」男はアランを見ると目玉を回した。「そりゃ必要に迫られたからな」
アランはこめかみを擦った。「多分今までに質問でうんざりしてんだろうな」
「そうだよ。オーケー行こう。俺のすぐ後ろについてこい。今だ!」
続く。 (2.6)
アランと男は可能な限り素早くドアをくぐった。同じだった。彼らがさっきまでいた場所と全く同じだった。埃は少なく、足跡は多く、コーヒーテーブルは水の入ったボトルで一杯だった。「どこで水のボトルを手に入れたんだ?」
「冷蔵庫。うーん、冷蔵庫たちだ。自由に飲んでいいぞ」
アランは手に取ると飲み干した。辺りを見渡すと、男は集めていた。彼は生き残るために集めていた。懐中電灯、バッテリー、弾丸。「全部どこで手に入れたんだ?」
男はカウチにどすんと座ると、自分用に水を開けた。「その質問に答えるよりここから出ることに集中しようぜ。な?」
「そうだな」アランは空になったボトルをテーブルに戻した。
「お前は」男は指で銃の形を作った。「自分を脱出させる」
アランは数度瞬いた。「何? なんでだ?」
男はもう一度がぶ飲みした。「お前はタイムループに囚われてる。そして前の質問に答えるなら、そう、多分俺はお前だ。そして多分お前は俺だ。考えてもみろよ、俺に質問してんのは別のお前かもしれなかったんだぜ。よく分かんねえよ」
「でも俺は……あれだ……死ぬんじゃないか?」
「いいや。ただお前は自分のタイムラインにリセットされて戻される。俺たちはどのタイムラインにもいない。その間のどっかに……挟まってる……多分。財団のくずどもはほんとはどういう仕組みなのか分かっちゃいねえ。俺はどういう仕組みか知らねえ。ただこういうもんってこった。そして俺は他の俺が外に出て未来を持てるように手助けするために残ったってこった」
「お前が死んだらどうなる?」
「できたら俺を説得してこれを続けられたらいいんだが……前やったみたいに。そして今俺たちはここでお前に話している。それか……そういう感じのあれ。分かっただろ」
彼はボトルから最後の一滴を飲んだ。「ここじゃ2通りのやり方しかない。自殺するか、時間が過ぎてゆっくり死ぬか。それ以外は全部別のくそったれループよ」
アランはハンドガンを握りしめ、安全装置をオフにした。「ほんとか?」
«ノイズ»
「ああ。俺を信じろ。自分に嘘ついてどうするってんだよ。外でしっかりやれよ」
アランは頷くと、銃に視線を戻した。そして男を見た。
自殺する。 (3.1)
男を殺す。 (3.2)
「嫌だ。どこかに行ける訳ないだろ」
男は再度腕時計を見た。「見ろ。時間はないぞ、今か―」
「嫌だって言っただろ。まず理解させろ」
男の短気に火が付きはじめ、苛立ちでドアフレームを叩いた。「5秒だ。ドアを引きずり通されてえか? 前にもやったからな」男はアランに向かって突進し、彼の襟首を掴んだ。「出るぞ! 出なきゃならねえ。お前がどう思おうとな」
男を殺す。 (3.2)
助けを求める。 (3.3)
他の部屋に逃げる。 (3.4)
アランはドアに飛び込んだ。同じだった。さっきまでいた場所と全く同じだった。埃ですら同じだった。その時声がした。「アラン! やったな」アランはリビングルームまで歩き、自分自身がカウチに座っているのを発見した。
「アラン?」
「アラン」
「あのもう1人からお前を逃がせてうれしいぜ。あいつが全部おかしい理由だからな」
アランは自分自身の前に座った。彼はコーヒーテーブルの上にあるもう1つの無線を見た。「あれまだ生きてるのか?」もう1人のアランは微笑むと、無線の音量を上げた。«D-3454、聞こえるか?»
アランの無線は通信を繰り返した。声はノイズ混じりだったが、彼自身の声であることは明らかだった。「なに? ずっとお前だったのかよ? いつからここにいるんだ?」
「昨日だったかな? もう1人が俺を見つけた。あいつが何を、なんのためにやってるのか分かったんだ」
「あいつ何をしてるんだ?」
もう1人のアランは肩の埃を払った。「今は知らない方がいいぜ。でもここにいるからには、引き継ぎの準備ができるってこった」
アランはかぶりを振った。「引き継ぎ? 何を?」
もう1人のアランはやや笑った。「自分の言ったことをまた聞くのは笑えるな―いいや。お前は俺の立場を引き継いで、俺が脱出するんだ。お前がここにいるってことすら、そこら中でその線が閉じつつあるってことなんだぜ。俺たちにとってはいいことだが、あいつにゃ不都合だ。多分これがからくりだと思ってる」
アランは一呼吸した。「引き継ぎ? 線が閉じる? 堂々巡りは止めろ。俺はここで悪い夢みたいな目に遭ってんだぞ! いい加減何が起きてんのか教えろ!」
もう1人のアランはただ頷いた。「そろそろ全部分かってもいい頃だと思うかもしれねえが、そうじゃねえ。それで大体あと―」彼は複数の腕時計を見下ろした。「―30秒で、もう1人がここにかち込むぜ。その時ここに居たいか?」
「いや」
「じゃあ行こうぜ。引き離そう」
もう1人のアランは銃とクリップを取り、ドアへ向かった。裏のドアだ。「ちょっと変になるぜ」彼は扉を開いて踏み込んだ。アランは彼に続いた。
続く。 (3.5)
アランはこめかみに銃を押し当てた。
「行くぞ」
歯を食いしばり、3つ数える。
「1……2……3」その3は、彼がとうとう十分強く引き金にかけた指を引き絞るまで、永遠に宙に浮いているように思えた。
パン
「彼は戻らなかったと?」研究者が記録装置のスイッチを切った。「なら資産の喪失だな」
局長は事件報告に目を通しながら、冷やかな目でクリップボードを見下ろした。「少なくともやるべきことは全てやったと考えています。これ以上はなにも」彼はブリーフケースにクリップボードを戻して閉じた。「当面はスタッフに対し、この区画を封鎖する。念のためにカメラは動かす。警備の駐屯所からモニタしよう」
主任研究者は頷くと、同じように荷造りした。後で使うために、彼は小さなメモ帳にいくつか覚え書きをした。
D-3454: スプレッドシートから資産を消去
ハンドヘルド無線をもっと注文
セル-67を封鎖、ビデオフィードを警備駐屯所にパッチ
紛失オブジェクトに回収命令ミルク
スライスハム
卵
コーヒー
チェダーチーズ
トマト
アイス
誕プレ、娘
終わり?
突然彼らは2人とも争いの中に嵌り込んだが、即座に1発の狙撃によって妨害された。
パン
一瞬、アランには誰が撃たれたのか分からなかった。不要な待ち時間のように思えた間は、男が脇腹を押えて膝をついたときに終わった。アランはさらに2発撃ち、男にとどめを刺した。
アランは銃を落とした。彼はドアを見た。束の間通ろうと思ったが、今となっては何の役に立つだろう。床を振り返り、アランは衝撃で後ずさった。死体は消えていた。
「うお! なに―」
別の体がドアからアランの足元に放り投げられた。それは呻いて喋った。「くずが。俺を殺すのを止めろ。なんの解決にもならねえからな」それは今しがた殺したばかりの男だった。彼が立ち上がるのを見て、アランにはそれについて考える必要すらなかった。彼はパンチに備えた。
続く。 (3.4)
アランは彼を説得するのを待たなかった。彼は男のみぞおちど真ん中を殴った。
「おう! (苦しげに息を切らす)……くそっ……」男は呼吸を元に戻すために膝をついた。アランはカウチを回り込み、無線の音量を上げた。「ヘイ! まだ誰かいるか?」
«(雑音) 聞こえている。なにが起きた?»
「やつを殴った。もう1人だ。な―なにをすべきか分からん」
«裏にドアがある。君はそれを通る必要がある。見えるか?»
もう1人の男はエンドテーブルに寄り掛かって身体を支えていた。「よせ! お前はここを出られん!」
アランは彼の背後を見た。思った通り、暗がりの遠方にかすかなドアの輪郭があった。「見える」
«彼はそれを通れない。そこへ行け。会えるだろう»
アランはそれに向かって走り始めた。「誰だお前?」答えはなかった。扉を開いて踏み込むと同時に、背後で扉が閉まるまでもう1人の男がよろめきながら追ってきていた。
続く。 (3.5)
アランは彼を説得するのを待たなかった。彼は男のみぞおちど真ん中を殴った。
「おう! (苦しげに息を切らす)……くそっ……」男は呼吸を元に戻すために膝をついた。アランは角を回り、寝室のように見える場所に入った。もしかしたら窓があるかもしれない。もしかしたら通気口があるかもしれない。もしかしたら、クローゼットにゴルフクラブがあるかもしれない。彼は恐慌状態で、武器のように見えた最初のものを掴んだ。それは野球のバットだったかもしれない、アランには暗過ぎて分からなかった。彼はもっとよく見るために明かりを求めて手探りした。
カチッ
部屋中に白骨化した死体が散らばっていた。ベッドは古い血で暗赤色に染まっていた。隅にオレンジ色の衣服がきちんと畳まれていた。シーリングファンには干からびた肉がぶら下がっていた。枕には一列のキッチンナイフが几帳面に配置されていた。殺人現場ではなかったが、どちらかというと殺人鬼の作業場といった趣だった。あまりにも整然として凄惨だったので、隅でエド・ゲインがメモを取っていそうですらあった。「あぁ! ああーー! くそ!」
「そこから出ていけ!」
「なんなんだ! てめえこの人たちに何をしやがった!?!」
アランは部屋から身を乗り出し、振りかぶった……今大腿骨だと分かったものを。彼は嫌悪のあまりそれを取り落とした。
「人たち?」男は立ち上がると、銃口をアランにまっすぐ向けた。「人間は食わなきゃいけないだろ。自分の肉ならノーカンだ。爪噛みみたいなもんだ」
「てめえはマジで最低のクソ野郎だな」
男は肩をすくめた。「お互い様だ。それでまた……へましたってことだ。俺は最近食ったから待てる。三度目の正直ってか? それとも5回目かな?」そして彼はアランの頭を撃った。
パン
アランはドアから入った、あるいはむしろ、なにもない空間に落ちた。「あー――ああああーーー!」彼は無重力下でひっくり返った。「くそ! くそーー!」彼は今しがた離れたばかりの、漂い去り始めた扉の方を振り返ろうとした。
«アラン? ヘイ、リラックスしろよ»
アランは無線を手放しそうになりながら顔に押し当てた。ゆっくりと、しかし確実に回転は止まりつつあった。「一体ここはどこだ? お前どこ行った?」
«俺らはある意味今同じ場所にいるんだ。俺らは同じ体にいるが、違うタイムラインに存在してる。ついに一致ってやつか? 今俺はお前でお前は俺だ»
アランは敗北感で首を傾けた。彼はこの状況を決して理解できないだろうと思った。もしかしたら、概してただ努力するのをやめるべきかもしれない。
「説明を続けてくれ」
«もう1人の男は俺たちだ。あいつは生き残るために食べていけるようにもっとタイムラインを増やし続けたい»
「食べていく?」
«他のアランをな»
「そいつは……無茶苦茶だな。そんであの家はなんなんだ?」
«絶対分からんぜ。ダイアンが死んだトレイラーだ。覚えてるか?»
アランはそれについて2秒以上考えたことはなかったが、しかし奇妙なまでに馴染みがあるように思えた。集中しようとすると、あのぼやけた夜の記憶が突如高速で激しく現れてきた。彼のガールフレンド。こんな場所では一番会いたくない人間だ。ここでの物事の成り行きを考えて、彼は可能性を排除できなかった。
«なんでこんな風に見えるか訊くな。ただこんなんなんだ»
「それで俺たちは本当はどこにいるんだ?」
«前説明してなかったなら。どこでもねえよ。俺たちはある種のループに嵌ったんだ。でも元に戻るために色々いじくれる»
「それで今度は?」
«あーっと……ちょうど俺らはこの辺で光かなんかに近づいてきてないか?»
スパークする電気の光の球を2つ見つけるまで、アランはあらゆる方向を見回した。「ああ?」
«おれはあれに行く、おまえの―ええと、俺たちの左に。お前はもう1個に行って次のアランを助けるんだ»
「俺がどっちにも行かなかったらどうなる?」
«多分……俺の予想では死ぬまで漂うな。分かんね»
アランは決断しなければならなかった。
左へ。 (3.6)
右へ。 (3.7)
どちらでもない。 (3.8)
「俺は……」アランは自らの発言を遮って決断した。彼は先に出る者になろうとしていた。もう1人など知ったことか。
«アラン?»
アランは無線を無視して光の方へと泳いだ。
«アラン? おい。待てよ。あっちはやめろ。タイムラインがまためちゃくちゃになるぞ»
彼は気にしなかった。担がれるのはこれが最初ではないと判断していた。何度ここにいたか分かったものではない。もしループに囚われているのなら。もし自分自身に嘘をついているのなら。どちらにしろだまされる気はなかった。彼は指先で光に触った。
「待て! そこだ」研究者が記録機器を調整した。「もう1人だ」
局長はセキュリティ違反報告に目を通しながら、冷やかな目でクリップボードを見下ろした。「彼を取り出して、事態が把握できるまで別の待機房に入れなさい。これから報告が取れると思う?」
研究者は首を横に振った。「彼も他と同様なら無意味でしょう。なにも思い出せず、同じ主張をする」
「まったく。この方向性ではやるだけ無駄ということか」彼女はブリーフケースにクリップボードを戻して閉じた。「当面はスタッフに対し、この区画を封鎖する。さらになにか出てきたときのためにセキュリティチームを待機させてカメラを動かす。現状を報告しなければ、この、ささやかな……事件について」
局長はバッジを電子扉の錠にスワイプさせ、後片付けする若い研究者を残して去っていった。エレベーターの中で、局長は昨日のセキュリティ映像に携帯で目を通した。明らかに、Safeクラス物品を使った試験中のセキュリティの細部とポスト・スクリーニングが欠けている。「あなたは何を計画していたの、アラン?」彼女は独り問うた。
終わり?
「いいぜ。じゃあ俺は右へ行く」アランは右に向かって漕いだ。「お前はどうなるんだ?」
«俺? 俺は自分の順番が来たら自由になれるって聞いた。俺たちがなんでこうしてるかちゃんと覚えてるよな?»
アランは少し記憶を探った。ループの中ではあまりに沢山のことが起こったが、彼は目的を覚えていた。
«正解だ。お前はほとんどなにも覚えちゃいない、俺はお前に教えることになっている。そう。これはある意味脱獄みたいなもんだ»
アランが頷くと同時に記憶が押し出された。「ああ。テストチャンバーからあれを盗んだのを思い出すぜ。それで俺たちはそいつがどうやって動くかを理解したんだよな、だろ?」
«そんな感じだ» 光は手の届く範囲にあった。 «あっちで会おうぜ» アランも光に触れようとしていたその時、暗闇の中のなにかが彼を掴んだ。「うぉあ!」
ミイラ化した腕がアランの方に漂い、彼の体に巻きついてきた。落ちくぼんだ目に、それよりはるかに目立つ頭の横の射出創は、間違いなくそれが死んでいるという確かな印だった。パニックはアランが多少コントロールを取り戻すまで、再度上に下に回転させるのに十分だった。死体は今かろうじてアランの靴に捕まっていて、それは今にも脱げそうだった。彼は漂い去り始めていた。
押す。 (3.8)
手を伸ばす。 (3.9)
アランは押しやった。彼を誤った方向に漂流させるのには十分だった。今や何にも手が届かない。光が遠方に飛び去っていくのを見ながら、彼は次に何が起きるだろうと思った。暗闇は無限に続くように思えた。そこらじゅうで谺こだまが聞こえるように思った。それらが話しているのは別の物事だった。全てくぐもって聞こえた。アランはその黒の中に漂い続けた。
5日後。
アランの乾ききった唇と痛む関節は、彼を死後硬直の姿勢に留め置いた。皮膚は水分を求めて、ビニール袋のように皺だらけになっていた。ここ2日間、彼は目すら開けていなかった。このように死んでいく。知っていた。緩慢な死だった。
夢から完全な無意識へと滑り落ちていく中、アランは自分の前の他の自分について考えた。無線で話す相手のいないアランは存在したのか? 警備員たちはまだ彼を探しているだろうか? これは多分よくない計画だったんだろうと彼は思った。そして彼は乾ききった末期の息をした。
アランは手を伸ばした。手を自由にして、肘が外れるまで手を伸ばした。指先が光をかすめたとき、彼は周囲の世界が溶け去ると共に眩しさに満たされた。これがそれだ。眩しさが引くと同時に、彼は前方へ突進するように感じた。しかし、彼の脳の中でなにかが断絶した。彼は激しく瞬きした。
目を開けたとき、彼はカウチに座っていた。例の部屋に戻っていた。
«なんだこの場所は?» テーブルの上の無線が鳴った。アランは一呼吸すると、動作を開始した。
「D-3454、聞こえるか?」彼はもう1人の自分の返答を待った。
終わり?