第2部:最後の愛猫家
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第1部のあらすじ:猫に対する"カワイイ"という感情を、自身への信仰として捕食する恐ろしく強大なビスティファージ実体、コードネーム<バステト>が基底現実に顕現した! インターネットにあふれる猫画像・猫動画によって、人類は24時間常に"#ネコチャンカワイイ"状態に陥った。そのために発生した膨大な信仰エネルギーが<バステト>の形而/啓示/Cageケージ3臨界を突破し、実存が相転移したのである。

 <バステト>から発せられるCC放射は暴露した人間を猫の下僕とする。捕食される信仰エネルギーの増大とともにその流量は増し、世界を飲み込んでいった。このままではSK-クラス:支配シフトシナリオ――人類総猫下僕化が現実のものとなってしまう!

 これに対抗するため、財団は『窮鼠作戦』を遂行した。世界中のあらゆる猫を終了し、徹底した情報改ざんによって猫の記録を、大規模記憶処理によって猫の記憶を人類から消し去ったのだ。

 こうして信仰を失った<バステト>は滅び、猫なき世界がやってきた……。

第2部:最後の愛猫家

 『窮鼠作戦』終了。財団は<バステト>に勝利した。だからと言って大々的な式典があるわけでもなく、せいぜいがO5評議会からのねぎらいのメッセージが全職員の端末に送られたぐらいだったが、しかし、このカフェテリアに集まる面々の口角は、いつもより少し上がっているように見える。

「やれやれ。バカ騒ぎがようやく終わったか」

「おかげで我々の実験は、だいぶ遅れてしまいましたけどね」

 口ではそんな憎まれ口を叩きながらも、白衣と白髪の老博士連は笑顔が隠し切れない。いつもいつも、異常存在に痛めつけられるのが常のことである財団。そのことを骨身に染みてよく知っている老人たちほど、たまの勝利に喜びが大きい。

 エージェント永森は目の前の皿に乗った大きなソーセージを、食べるでもなくフォークでつついていた。食欲がないのは記憶処理酔いによる軽い眩暈と吐き気のせいだけではない。ここしばらく、カフェテリアの食事には何を頼んでもソーセージやハンバーグ、ロールキャベツ、ピーマンの肉詰めなどの肉料理が一品付属していた。コーヒーを1杯頼んでも、ウインナーが1本ついてくる始末だ。作戦に勝利したお祝いということらしい。

 まずくはない。いや、どれもスパイスが効いていて、うまい。だが流石にこうも続くと飽きる。料理長は、財団職員の大半が中学生ぐらいのバカ舌しかもっていないと常々ぼやいていたが、いくら肉好き中学生男子(部活は野球部)でも、毎日毎食これでは飽きるだろう。

 その時、胸ポケットの端末から呼び出し音が鳴った。表示された相手は自分の上司、エージェントハンドラー川村だ。

「もしもし?」

「永森君。急ぎの仕事だ」


 緊急ではあるが重大性はない、とのことだった。山手通りを北へ。板橋JCTから首都高川口線。そのままずっと行って東北自動車道。利根川を越え、佐野SA。そこに男はいた。

 対象はすでに確保されているも同然だった。財団のクルマは外部からのコントロールが効く。例えば無断で使用された場合、ハンドルを握っているものの運転を無視し、自動運転で最寄りのSAまで行ってエンジンを止め、乗員を逃がさないようウインドウとドアをロックすることぐらい朝飯前なのだ。やろうと思えば鎮静ガスを内部に噴霧することもできるのだが、今回はそこまで必要なかった。

 永森が自分のクルマを隣のスペースに停めたとき、男は死んだようにハンドルにもたれかかって突っ伏していた。だが、男に取り付けられた職員用生体モニターから送られる信号に、死の兆候はなかった。

 永森は自分のクルマを降り、男の運転席まで近寄ると、ウインドウを軽く三度ノックしてから声をかけた。

「久保田博士? 財団のエージェント、永森です。どうされました?」

 男――財団に所属する久保田博士は身じろぎもしない。だが、モニターは彼の拍動が大きくなったことを伝えてきた。起きている。

 永森はドアハンドルをつかみ、引いた。何の抵抗もなくドアは開いた。

「久保田博士?」

「放っておいてくれ」

 しわがれ、震えた声で久保田は言い、こう続けた。

「もしくは殺してくれ」

 永森は思った。これは俺のような汎用エージェントなんでも屋ではなく、対話部門の仕事では?

「いや、あなたの終了許可は出ていないもので……。その、どうやら随分お疲れの様子です。こんなところでお昼寝などなさらず、サイトに戻ってお休みになられたらどうでしょう?」

 久保田博士はホラー映画めいたゆっくりさでハンドルから身を起こし、半分瞼を閉じた目で永森の顔をにらみつけた。

「眠れないんだ」

 黒い隈が縁取る落ちくぼんだ眼。無精ひげに覆われ、げっそりと削げた頬。脂が浮いているのに艶の無い髪の毛。青白く血の気の無い、荒れた肌。事前に読んだ資料では45歳とのことだったが、少なくともそれより10は老けて見えた。

「目をつぶると、鳴き声がする。猫の鳴き声が」

「猫の鳴き声……?」

 永森はそれがどのようなものかを思い出そうとした途端、脳の中心から少し外れた場所に刺すような痛みを覚え、渋面を作った。

「っつ。……ああ、それは、もしかして<バステト>のなんらかの未知の影響ですか?」

 久保田博士はぶつぶつとした声で答える。

「<バステト>? いや、違う。これは、ただの精神的ストレスからの幻聴だ」

「では、それがどうして猫の鳴き声だと?」

 民間人だけでなく、財団職員も猫のことを忘れるためにもれなく記憶処理される手はずだ。永森ももう、猫という単語は覚えていても、それがどのような鳴き声か、どのような動物だったか、まるで覚えていない。

「まさか、博士。記憶処理を受けていないのでは?」

「私は……」

 久保田博士は永森から視線をそらした。

「『窮鼠作戦』の作戦原案を考案したのは、私だ」

「なんですって?」

 ということは、このみすぼらしい男が、人類を猫から救った救世主?

「本当ですか? いや、それはすごい」

「何がすごい!?」

 感心した様子の永森に久保田博士は怒鳴り、ハンドルに両のこぶしを何度も振り下ろした。

「私は、何の罪もない、猫を絶滅させ、記録を抹消し、人々の記憶から、忘れさせたんだぞ!」

「しかし、そうしなければ人類は猫の奴隷になっていました」

「なればよかったんだ!」

 これはなんでも屋でも対話部門でもなく、内部保安部門の担当だな、と永森は思いなおした。

「博士、もしやCC放射に暴露されているのでは? 早急に記憶処理を受けることをお勧めします」

「違う。CC放射など関係ない。<バステト>の顕現以前から、自ら猫の奴隷になった人間など山ほどいた!」

 博士は震える手でジャケットの内ポケットから1枚の写真を取り出した。

「見ろ、これを。私が飼っていた猫だ」

「飼っていた?」

「そう。そうだ。猫とはペットだ。愛玩動物だ。多くの人が飼っていた」

 写真に写っていたのは、ピンクの肌にまばらに白い毛の生えた小さな生き物。目は細く閉じられ、口は大きく開き、小さな牙がのぞいていた。毛布にくるまれて、あくびをしている。

「かわいいだろう。生まれたばかりだ。名前はシロ」

「見たままですね」

「猫の名前とはそういうものだ!」

 憤然として、久保田は永森の手からひったくるように写真を取り返した。

「昔は、猫はネズミを捕ることで穀物を守り、疫病を防いで人の役に立っていた。だが、現代の猫はただそこにいるだけ。1日中眠り、起きれば仕事の邪魔をする。食べる物の好みにはうるさい。高い場所に登っては人を軽蔑の目で見下ろす。壁で爪を研ぎ、壁紙をボロボロにする。抜け毛がそこら中に飛び、あらゆる精密機械、あらゆる飲食物の中に混入する。役に立つことといえばたまに人に吸われるくらい。それでも多くの人々が、喜んで猫の世話をしていたんだ」

 永森は久保田に見えないように顔をしかめた。『窮鼠作戦』以前の世界はとんだディストピアだったのではないか?

「この子も死んだ。私が殺したんだ。もう誰も猫のことを覚えていない! 誰も悼むことがない! そんなの、かわいそすぎるだろう! 私には……」

 久保田は写真にほおずりしながら涙を流した。

「私には猫を忘れない義務がある。悼み続ける。それが私の責任だ」

 永森は自分の声が冷ややかにならないよう、努力して声を発した。

「どうやら、猫のことが大層お好きなようですが、では、どうして『窮鼠作戦』を提案したんですか?」

 それを聞いて、しばらく黙っていた久保田博士だが、身を震わせながら声を絞り出した。

「上司から"<バステト>への対抗策を考案するように"と言われた時、私は担当SCPオブジェクトへの実験に必要な、6枚組の期限の迫った許可申請書類に捺印する、自分のハンコを探すのに忙しかったんだ。だから……A4用紙1枚に収まる適当な作戦案を、急いで書いて提出した」

「まさかそれが」

「そうだ。それが『窮鼠作戦』の原案だ。あんなものが採用されるなんて夢にも思わなかった。"猫皆殺し"だなんて、できることじゃないと思って書いたんだ。そんなことできる人間はいないと」

 久保田博士の声は語るごとに小さくなっていく。

「まさか、あれがO5評議会にまで回るとは。おそらくほかに、何百何千と良いアイデアが上がっただろうに。こともあろうにあれが採用されるとは。……多分、採用のポイントはA4用紙1枚という、内容の短さだろう」

 そして絶叫した。

「もしくは、病的な猫嫌いがO5評議会の半数を占めていたかだ!」

 評議会で何があって『窮鼠作戦』が採択されたか、それは神かO5でなければわからない。永森にとって確かなことは、命令通り、久保田博士をサイトに連れ帰らなければならないということだけだ。

「ともかく帰りましょう、久保田博士。記憶処理がお嫌なら、カウンセリングを受けられてはいかがですか? 少しは気が軽くなるかもしれません」

「そんなもの必要ない! 私はこの地獄を引き受けなければならな……」

 その時、久保田はフロントガラス越しに何かを見つけたようで、目は一点を見つめ、大きく見開かれた。

「ネコチャン」

「なんですって?」

「ネコチャン!」

 久保田はドアの前に立ちはだかっていた永森を、肩でタックルするように押しのけると、猛烈な勢いで走り出した。

「ネコチャンネコチャンネコチャン!!」

「待ちなさい! 待て!!」

 永森は後を追いつつ、ホルスターに手をかけた。久保田の叫び声に、SA中の目が集まっている。ここで射撃しては目立ちすぎるか。

 永森が躊躇しているうちに、久保田は立ち止った。SA玄関脇の自動販売機が立ち並ぶ一角。空き缶とペットボトルのためのごみ箱の前。永森が追いついた時には、久保田は膝をつき、そこにあった白い何かを抱きしめていた。

「ネコチャン……ネコチャン……!」

「博士」

 それはSAの屋台で売られていた、食べ終わったタコ焼きか何かのパックが詰められた、白いビニール袋だった。

「行きましょう、博士」

 永森は博士の腕を取り、何とか立ち上がらせると、自分のクルマに向かってゆっくりと一緒に歩き始めた。

「見せもんじゃねえぞ、コラ!!」

 集まってきた野次馬にそう怒鳴ると、皆、礼儀正しく目をそらした。

 幸いなことに、彼らに記憶処理は必要ないだろう。

次回予告:兎に対する"カワイイ"という感情を、自身への信仰として捕食する恐ろしく強大なビスティファージ実体、コードネーム<玉兎>が基底現実に顕現した! 猫なき世界のインターネットは、兎画像・兎動画にあふれ、人類は24時間常に"#ウサチャンカワイイ"状態に陥った。そのために発生した膨大な信仰エネルギーが<玉兎>の形而/啓示/Cageケージ3臨界を突破し、実存が相転移したのである。

 <玉兎>から発せられるCR放射は暴露した人間を兎の下僕とする。捕食される信仰エネルギーの増大とともにその流量は増し、世界を飲み込んでいった。このままではSK-クラス:支配シフトシナリオ――人類総ウサ下僕化が現実のものとなってしまう!

 果たして、人類に、財団に打つ手はあるのか?!

 次回、『ウサギはぷーぷーと泣く』。お楽しみに。

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