止まぬ蝉時雨
rating: +24+x
blank.png

これは、私の祖父にまつわる話です。

ある晩、祖父は奇妙な夢を見ました。その内容とは、「祖父が畑仕事へと向かう道の途中で、一匹のミンミンゼミが地面に仰向けになって転がっているの見つける」というもの。このだけであれば、別段奇妙と気にされることもなかったでしょう。ですが、祖父はそれから数日間に亘って「地面で仰向けに転がった蝉」が登場する夢を、毎晩眠る度に見るようになります。

そんな祖父の夢に変化があったのは、7日目の晩のことでした。その日の夢で、祖父は地面に転がる蝉を何気なしに蹴飛ばしてみたそうです。すると蝉は、ミーンと弱弱しい鳴き声を挙げながら用水路に転がり落ち、姿が見えなくなりました。内心で「ざまあみろ」と思った時、突然空から落ちて来た何かが、祖父の肩に当たって地面に転がりました。

それはミンミンゼミでした。身体の模様や大きさ、羽根の欠け方からすると、どうやら先ほどとは別の蝉です。祖父が気味悪く思い始めた時、今度は近くの地面で小さな音が聞こえました。見るとそこには、また別の蝉が、地面で仰向けに転がって藻掻いていました。いつの間にか、次から次に蝉が空から降って来ていました。

そして気が付けば、足元は仰向けに転がった蝉だらけ。怖くなった祖父は、転がる蝉を踏み潰してしまうことも気にせず、わっと駆け出します。一方で蝉たちは、踏まれる度にクシャという乾いた音を立てながら、ミーンという悲鳴にも思える声を挙げます。しかし、祖父は気にも留めず、ただひたすらに走り続けていたら、不意に目を覚ましたそうです。

そんな気味の悪い夢を見たせいか、祖父は体調を崩して熱に魘されるようになりました。それどころか、寝ても覚めても、蝉が潰れる乾いた音と、ミンミンゼミらしき甲高い鳴き声の幻聴まで聞こえ始めたそうです。しかし不思議なことに、一ヶ月したくらいで、祖父は蝉を夢を見ることも、鳴き声の幻聴を聞くこともなくなりました。「真夏日の熱い中で畑仕事をしていたせいで、質の悪い熱中症にでもなったんだろう」と、しばらくすれば祖父の笑い話の一つとなり、もはや誰も夢の内容について気にする者はいませんでした。

……ですが、七年くらい経った頃、祖父はまた突然、夢にあの日の蝉を見るようになります。でも、その内容は以前とは別の意味で異質なものでした。夢に登場するのは蝉の死骸と、常に背景のどこからか聞こえ続けるミーンミンミン……という煩い鳴き声。

ある夢では、祖父が庭先を覗くと、何十匹もの蝉の死骸が地面に転がっていました。またある夢では、祖父が軽トラックを運転している道を、何十匹もの蝉の死骸が埋め尽くしていました。しかし、夢の中の祖父は、そんな異常な状況を気にすることもなく、まるで死骸たちが見えていないか、もしくは一切気が付いていないかのように生活を過ごしていたのです。当然、道を歩けば死骸を踏みますし、その際の踏み潰した感触と、聞き慣れたクシャという乾いた音が確かに聞こえるというのに。夢の中の祖父は、まるで気にも留めていなかったそうです。

そんな悪夢と幻聴を再び経験し始めた同じ月、祖父は庭先に出ていた際中、病で亡くなりました。偶然かもしれませんが、見つかった遺体の傍には、数匹の蝉の抜け殻が落ちていたそうです。後から聞いた話ですが、七年前に幻聴で参っていた際、祖父は「畑仕事中に裸足で地面に転がったミンミンゼミを踏ん付けてしまったが、そのせいじゃなかろうか」などと、うわ言を話していたそうです。だから葬式の時も「蝉の呪い」なんて、不謹慎な噂まで流れていたくらいで。まあ無論、誰も信じていませんでしたが。

……これで祖父の話は終わりです。それで、どうして急にこんな話をしたかというと。実はついさっき、私、地面に転がったミンミンゼミの死骸を、誤って踏んでしまったかもしれなくて。それで、不意にこの昔話を思い出したもので。

ああいや、だけど、足を上げてみたら潰したはずのミンミンゼミなんて、どこにも居なかったんですよ。だからきっと、単なる見間違いだったか、実はまだ生きていて、踏まれる直前に飛んで逃げたんじゃないでしょうか。だから、なんともないはずですよ、ね?

特に指定がない限り、このサイトのすべてのコンテンツはクリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承3.0ライセンス の元で利用可能です。