人喰いの都にて
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その日は高く透き通った秋晴れで、青空は抜けるような色合いだった。

11月の終わり、冬の訪れを告げる寒気が吹き付ける昼下がり。数日ぶりに姿を見せた太陽は大気を熱するには力不足で、ただ明るく碁盤の街並みを照らすだけ。
京都。長きに渡る歴史を誇る由緒正しきこの都市は、一千二百と何十回目かの冬を迎えようとしている。

京都市北区、閑静な住宅街。
わずかに傾斜した坂道が続く一本道の両脇には、絵に描いたような平均的な建売住宅が立ち並ぶ。
朝方の出勤時間も過ぎ、幼稚園児たちの登園も終わった午前11時。
人通りはなく、ただ風が吹き抜けるアスファルトの上を、清掃業者のバンが音もなく通り過ぎる。
仙谷せんごくクリーンアップパートナーズのロゴは誰の目に留まることもなく、バンはやがてある家の前に停車した。


その部屋に昼夜の区別はなく、室内に漂う淀んだ気配は外気の秋らしい晴れやかさとは似ても似つかない。
短い昼休憩を終えて萌里菻がコーヒーの紙コップを片手に第9大会議室に戻ったとき、崩れ落ちた住人たちの呻き声は1時間前と何ら変わっていなかった。


「ああ、そう、そうだよ。クール便の流通業者をあたってほしい。全員だ、そうだ。開封内見まではしなくていいが、超音波検査機にかけろ。肉製品は個別に仕分けして鑑別通せ」

「……いえ、ですから左京区のデータは改竄の可能性があると。ええ。そもそも京都市全体のデータが当てにならんのです。死因別統計を無視して死者数だけを考慮に入れると……」

「必要なのは調理師免許保持者の洗い出しなんですが、結果を今週中にお願いできませんか。精査はこちらで……はい、狩猟免許もできれば一緒に」


「あれ。もう休憩終わり?」

閉じたドアを背後に呆れ顔で立ち尽くす萌里を見かねてか、陶器製のコーヒーマグから湯気をくゆらせる津軽みのりが声をかける。
一つしかない大会議室の入り口にほど近い場所が休憩用スペースになっていて、小さくパーティションで区切られている。室内でほぼ唯一資料に侵食されていない場所で、パイプ椅子に腰掛けた津軽は長い脚を伸ばしてのんびりとクッキーを齧っていた。

「1時間だけって言われたもの。みのりちゃんはなにしてんの? さっきもうご飯食べてたじゃん」
「仕事なくなったんで暇してたら追い出された。見に行けばわかるよ、皆目が据わってるから」
「見なくてもわかるよ……」

入り口付近からはパーティションで視線が遮られるため、室内の様子は見通せない。萌里の身長では上からの覗き見も不可能だ──とはいえ聞こえてくる声は、十分に各員の疲労を察せられるものだった。
脇を見れば、津軽の足元近くで黒いものが複数丸まっている。それが寝袋に潜り込んで死んだように眠る研究員たちだと気付いて萌里は軽く引いた。

「ひどい惨状だね……あ、クッキーちょうだい。黒いやつ」
「あいよ。この時期いっつもこれだもんなあ」
「毎年あるってわかってるんだから、段階的に解析すればいいのにね」
「サイトの上層部に言えよ、私じゃなくてさあ」

それもそっかあ、と萌里は呟く。
彼女の視線が向く先。財団施設らしく物々しいオートロックの電子錠で施錠されたドアの上、上級職員の誰かが筆で揮毫した、堂々たる銘板が掲げられている。


秋季定例石榴倶楽部関連犯罪総合対策本部


「なんだかなあ……」
「秋の終わりになると毎年連中のおかげで仕事が増えるっていうの、やっぱり馬鹿げてると思うよ、私はさ」

萌里の視線を追うようにして津軽がぼやく。彼女の手元には分厚い資料の束があり、電子化全盛の時代にあっても失われない利点である書き込みや付箋で紙端から膨らんでいた。京都府南部と近隣の大阪・滋賀・三重・和歌山の不審死体は膨大な数にのぼり、それを一から調べ直しているのだ。

「11月29日。いい肉の日だから、とっておきの宴を──なんて。あんまりにもちょっと安直すぎないか?」
「あははー……」

今まさに地下の検視室で良い肉を食べてきたばかりの女は、愛想笑いで誤魔化すことにした。


狭苦しい玄関は図面通りの間取りで彼らを出迎えた。
あまり時間はない。仕事は迅速にこなすに限る。

「現着ヒトヒトマルナナ、調査責任者はエージェント・村井。これより調査を開始します」

ビデオカメラを取り出した痩身の男性エージェントは、偽装身分である清掃業者お仕着せのジャケットの首元を緩めた。
靴にビニル袋のカバーを被せ、慎重に屋内に入り込む。先導する記録役の村井の後ろには、同じデザインの作業着に身を包んだエージェントたちが数人、機材を抱えてぞろぞろと続いた。

ふと、村井は後ろを振り返る。
目当ての人物は入室するエージェントたちの最後尾にいた。自分の体格の場違いさを自覚してか、ドアに隠れるようにして素早く上がり込む。鼻を虚空に突き出すようにして数度深呼吸。ふむ、と頷いて迷いなく廊下に脚を踏み出す姿は堂に入っている。

「匂うの。こっちか?」
「合っています。少し待ってください、カメラで本部と繋がっているので。同時に入りましょう」
「了解した。久方ぶりの現場じゃから、どうも落ち着かんの」
「わざわざご足労いただき感謝します、料理長」
「構わん、いかい大変なことだもの」

肩を竦める年齢不詳の上官を気にしつつ、村井は狭い廊下を進む。
突き当たりを右に行けば、すぐにキッチンだ。
引き戸は音もなく、滑らかに開いた。その先にある光景は、あまり気持ちの良いものとは言えない。

「エージェント・村井より本部へ。遺体を確認しました。これより調査に入ります」

料理長、お願いします。

村井の言葉に従って、鬼食薬子は現場に立った。
彼女にとっては手慣れた仕事の延長上にこの出張があり──そのことがまた、少しばかり悲しかった。


カメラを通して見える景色は、そういう現場としては意外なほどに赤色の割合が少なかった。
モニターの前に集まって、おお、と声を漏らした数人の同僚たちも、多分同じ感想を抱いただろう。
目を見開いて熱心に見入っている隣の物好きな女は──たぶん綺麗だとか考えてるんだろうなあ。

資料に埋もれかけた会議室の中心。ぼんやりとモニターを眺めながら、萌里は津軽に貰った余りのクッキーを齧る。
自身の肉体は人肉でしか動かせないが、だからといって味覚が死んでいるわけでもない。
死体のライブ映像を前におやつの時間というのもなんだか人倫に悖る気がするが、そもそも財団職員に一般的倫理観なんて求める方がおかしいのだ。だから大丈夫。あ、これシナモンが効いてて美味しいな。


『……捌いとるの。間違いなく』
『非常に特徴的な解体手法です。料理長、これをご存知ですか?』
『技法は完全には分からんけどね。これ、証拠採取は終わっとるんじゃろ。なぶって触ってもええか?』
『少し待ってください、本部の意向を確認してから──』


「あれ、この通信双方向じゃないの?」
「この部屋、改装前なんで回線が非対応なんですよ。サイト内は電波暗室ですし……」
「露骨に予算貰えてないんじゃん」

呆れた、と息を吐く。サイト上層部はよほどこの部屋に集う面々とプロジェクトを冷遇したいようだ。
まあそれも当然のことかもしれない。石榴倶楽部という要注意団体は、財団が認知する極東地域の名だたる要注意団体と比べて、少しばかり特徴的だから──

「津軽です。エージェント・村井、少しいいですか?」

津軽がマイクを取った。画面が少しブレる──撮影者のエージェントがインカムを調整したのだろう。


『こちら村井。料理長にも聞こえています、どうぞ』
「ありがとうございます。当初不明だった死体の身元ですが、そちらの移動中に判明しました。料理長、検分しながらで構いませんので聞いてください。死体への接触はご自由に」
『了解した。一通り確認しちゃる』
「では──綾部数臣あやべ かずおみ、年齢は不明ですが30代以上。戸籍不明、SCiPNETの顔認証データベースによれば九州出身の可能性が高いですね。京都府内で裏ルートのジビエ肉を卸していたハンターです。狩猟免許も銃砲所持許可も偽造、府警にマークされてました」
『狩人とは道理での。山歩きと待ち伏せをやるからか、筋肉のつき方が独特じゃ……おっと、ここは特にきんまい綺麗な断ち方じゃな、腱に傷がまったくついとらん』
「元が府警マターでしたのでJAGPATOを通して警察庁特事調査部から要請が来てます。調査後に遺体を引き渡しますので、今のうちに所見がほしいです」
『やっとるが、言えるのは……これをやった料理人は随分と人体に詳しいの。どうでどうしてこげな場所でやったか知らんが、こういうんは台の上で、いくつも刃を用意してやるものじゃ。腕が良い』
「キッチンの刃物は手つかずでしたから、解体に使用したのは持参品でしょうね。その家は綾部の偽免許の住所でした。おそらくはセーフハウス」
『血管の処理を見るに、肉を削った感触がない。おそらく妙な道具は使っとらんが、血抜きはどうしたんかな…………』


揺れる映像の中で、ひどく小柄な十代半ばの少女──に見えるベテラン職員──が手袋をした手でそれを撫で回す。
完全にひらきにされた人類を見る機会はそうそうない。検視室にある遺体は大抵、最低限の死因確認のために手荒く効率的に処理されるが、モニターの中に映るそれは正しく芸術的に捌かれている。

死体の特徴を纏めて傾向を割り出すのは萌里の仕事だ。視線は落とさず手癖でメモを取りながら、彼女はふと疑問した。

「今回、どこを取られてるんだろう?」


おそらく十数時間前までは生きて動いていた人物が、綺麗に内臓を曝け出して一般住宅のキッチンに転がっている光景をなんと表現すればいいのか。
村井にとって、それは胃の内容物を無駄にするほどのものではなかった──とはいえ、十分な衝撃ではあった。

「つまり、何もない?」
「はい、目立った侵入や抵抗の痕跡はなし。異常存在や現実改変実体も確認されず。GoIとの接触を疑わせる書状や遺留品も発見できません」
「Kant-NETsのログにも異常はないそうでした。各種の共鳴型異常実体も無反応です」
「…………わかりました。各種電子機器を回収、電子情報部門に回しましょう」

住宅内部の捜索が一通り完了するまで1時間もかからなかった。本来ならばもっと時間をかけ、微に入り細を穿って検査する。とはいえ、これは最早定例になりつつある調査だ。村井は今年初めてこのチームに配属になったが、サイト所属であるフィールド調査班は毎年のようにこの任務をこなしているのだから。

11月の下旬、京都市内では複数の人間が不審死する。ある者はただ行方不明になる。ある者は鴨川に浮かび、あるものは二条で倒れ、ある者は左京でばらばらになっている。一見すると被害者に共通点はない。ほとんど1日に一人の割合で人間が前触れもなく死に、11月29日を境にぴたりと止まる。
この馬鹿げた事態を隠蔽することは、実のところさほどの労力ではない。財団はもっと多くの異常存在や超常現象を一般社会から隠し通し、不安定なこの現実を維持しているのだから。

とはいえ、今回のケースは、ヴェール・プロトコルが適用される可能性は限りなく低いのだが。

「終わったぞ」

少女の姿をした職員が、額の汗を拭いながらキッチンから出てくる。

「あとでサイトで所見を書くんだったか? 少しばかり休みたいところじゃな」
「お疲れ様です。今回はどこでしたか」
「リンパ腺と骨髄じゃな。背骨と骨盤、それから上腕骨を数カ所抜かれとったが、どうやったやら。陰圧かけて引き出したかもしれん。抜いた後で骨を戻しておるし、ただ検視するだけでは気づかんじゃろ。この後はどうする?」
「我々は隠蔽作業に入ります。捜査関係者の中にはヴェール適用対象者もいますから、報道統制が解除されるまでに財団の関与した痕跡を抹消しなければなりませんし」
「とすると、わしも戻った方がよいな」

この見た目では怪しまれるしの、と笑って、機材を取りに戻るエージェントに紛れるようにしてバンに戻っていく。

その後ろ姿に一礼して、村井は室内に向き直る。
時刻は12時を回った頃。報道統制の解除とともに、見せつけるように府警が捜査を開始するのが13時。それまでにここを清掃し、財団の関与した証拠を消し去る。本来の証拠はそのままに。
そしてそのこと自体が、財団の抱えるジレンマを表しているのだが。

「──なんともはや」

少しばかり生臭くなってきた空気を吸い込んで、吐き出されたため息は虚しく溶けた。


「あー。0時回ったわ」
「11月30日です。ぐええ………」
「ちっくしょ、今年もかあ。悔しいなー」
「おつかれでーす」

死屍累々の対策本部室。紙束に埋もれる十数人の職員たちが、意気込み低く互いに労いの言葉をかけあう。
二人分のコーヒーマグを手にした萌里は、机の端でちょこんと座っている大先輩の姿を発見した。

「お疲れ様です、鬼食さん」
「む、萌里か。ありがとう」

湯気の立つマグを渡す。どちらも猫舌気味なので、しばらくはマドラーでかき混ぜるだけだ。なんとなくブラックを選んだが、黒々とした渦巻きを見ていると少しばかり後悔の念が湧いてくる。

ぎしぎし言うパイプ椅子に腰掛けていつになくぼんやりしていると、長机の対面から鬼食がこちらを眺めていることに気が付いた。

「………………悔しいか、萌里?」
「いつになく直球ですね、鬼食ダイセンパイ」
「普段はたまにサイト-8192の食堂で会うくらいじゃろ。たまには交流せんと」
「それがこーいう機会ってのはなんだかなー!」

不貞腐れてみせると鬼食が笑う。いい雰囲気じゃないか? しかしこの老獪な料理長、目はしかとこちらを見据えているのだ。
…………あーもう。

「悔しいっていうのはちょっと違いますよ。私はそこまで正義とか人間らしさとか、そういうのは拘ってないんです」
「それでは?」
「私やみのりちゃんは、俄然万全、興味ありますからね。石榴倶楽部、ヒトを喰べるのを趣味にしてるひとたち」

でも──上層部はそうじゃないのだ。

石榴倶楽部という存在について、わかっていることはそう多くない。
今のところ、彼らについての財団の理解は大したことがない。アノマリーの使用が不定期に確認されているものの、それは回収すればいい話だ。事実、財団の追跡によっていくつかのアノマリーは、半ば倶楽部側から降参するかたちで財団の手元に届けられた。
財団が興味を抱いているのは、石榴倶楽部そのものではない。彼らの有するアノマリーであり、彼らの裏にSCiPが存在するかどうかがその焦点だ。

だからこそ──

「彼らが異常存在を用いないなら、財団は干渉しない。それはどうなの、って思うんですよ」
「人が死ぬのが許せんか?」
「私なんて死人を食べて生きてるわけですから、死人が出たらどうこうっていうんじゃないですけどね。辻褄が合わないなと、そう思います」

異常でない死に財団は関与しない。
異常である団体が、敢えて異常でない死を演出するなら、財団は関与しないのか?

死体を食らう自分なのに、どうして石榴倶楽部がこんなにも心に引っかかるのか、萌里には自分でもよく分からない。
似て非なる者だからだろうか。必要があって人を食うものとそうでないものだから? 京都が自分に所縁ある場所だから?
たぶんそれはどれも不正解だ。

「みのりちゃんなんて管理官補佐に文句言いに行ってますからね。去年もやってましたけど」

その気合が出るのはちょっと羨ましい──などと思っていると、鬼食はふと小さく笑った。

「なんでもいいじゃろ。とにかく、その心持ちが大事なんじゃから」
「え、なんですかその玉虫色の回答」
「わしくらい経験を積めばわかる。今は相方を助ける場面では?」
「私にもサイト管理官に目をつけられろと?」
「それくらいの方が元気があっていいぞ? 少なくとも私の知り合いの管理官はそう言っとった」

コーヒーありがとう、と言って鬼食が立ち上がる。
なんとなくマドラーを弄っていると、去り際に彼女が振り返るのが見えた。


「そういじけずとも、近いうちに馬脚を表すぞ。美食家はいずれ、我慢できなくなる


──いちど食べた味では、もう二度と満足できんのだからな。

「…………そういうもんなのかな」

一般的な食事と屍肉の味しか知らない自分には、よく分からない理論だけれど。
元気付けられたのは確かで──だから、萌里菻は立ち上がった。

とりあえず今は、相方を助けにいく場面である。
11月29日が終わり、11月30日が始まった。

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