夜ノ帝都二 道化ハ笑フ
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ー 帝都


それは日本の近代化の象徴たる都市。ビルが立ち並び、モダンな店から陽気なジャズの音楽が流れてくる。劇場には活動写真を見るために毎日のように人が押しかけ、カフェーからは酔った客が満面の笑みで出てくる。そんな帝都でも、銀座は華と呼ぶにふさわしい場所だ。昼間はサラリイマンが忙しく行き交うビジネス街。夜にはその表情を一変させ、ネオンの看板輝くモダンの象徴へと様変わりする。道にはモボやモガが行き交い、特高は反逆者がいないかどうか目を光らせる。ダンスホールでは人々が朝まで踊り明かし、労働者はその日の疲れを忘れるために酒に溺れる。


ある男は起業し成功。財閥と呼ばれるまでの巨万の富を得た

ある少女は華やかな大都市に憧れ上京し、電話手として生計を立てて暮らしていた

またある少女は家族を支えるために上京、カフェーの女給となり裕福な男の妻となった

ある男は職を失い、何をするでもなくふらふらとネオン街を練り歩いている



そんな栄華と退廃が混在する混沌とした都市、銀座。華々しい明かりの裏には、当然影が存在する。


全てを失い、何もかも諦めた男

男に捨てられ、ただ呆然とするモガ

梅毒に侵され、崩れゆく自分の顔に嘆きながら、ただ死を待つだけの元女給



そんな誰からも忘れられた人間がたむろする裏路地に、明らかに似つかわしくない男がいた。パリッとしたスーツに身を包み、右手に持った真新しいステッキをコツコツと鳴らしながら歩いていく。左手には一枚の紙が握られ、男はそれを目の前の建物と見比べていた。男の名前は西岡。この銀座で様々な事業に関わっている実業家だ。

「……ここか」

西岡の目の前にあるのは、古い劇場。もう何年も前に廃館となり、取り壊されることなく放置されている。

西岡は疑い半分、好奇心半分といった様子で恐る恐る足を踏み入れる。中は酷く埃っぽく、内装もボロボロになっている。壁紙は剥がれ落ち、明かりなどはもちろんついていない。そんな薄暗いエントランスの受付に、女が一人立っていることに気が付いた。目深に被った帽子に金髪、モガとも違った派手なドレス。まず日本人ではない。アメリカ人かイギリス人と言ったところだろうか。

「招待状をお見せください」

西岡が近づくと、女は流暢な日本語でそう言った。胸ポケットから一枚の封筒を取り出し、女に差し出す。「拝見します」と言って封を切り、女は中に入っていた一枚の赤い紙を取り出した。

「……確かに。ようこそ、秘密の公演へ。席は自由ですので、ご自由にお座りください。それでは、どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください」

笑みを浮かべながら女はそう言い、奥に見える階段の方を向いた。どうやら、あそこを降りた先が会場のようだ。西岡は会釈し、下へと歩みを進める。一階分降りた先から、ザワザワと人の営みが発する音が聞こえる。ほんの十数段も降りれば目的地だ。降りるたび、コツコツと足音が響く。その一音一音を聞くたび、西岡は現実から遠ざかっていくような感覚を覚えた。

通路を抜けると、そこは劇場を改造したステージになっていた。先程のエントランスとは違い、掃除が行き届き、席は全て新しいものに変えられている。既に他の客が何人も座っており、各々タバコを吸ったり談笑したりと、自由に過ごしている。男はステージほぼ正面に誰もいないことを良しと思い、辺りに人がいない場所を選んで腰掛ける。周りには、自分と同じかそれ以上に稼いであろう上流階級の人ばかりが集まっている。中には有名企業の令嬢、大物政治家の顔も見える。

「隣、よろしいですかな?」

そう尋ねてきた声の方に振り向くと、恰幅のいい初老の男性が立っていた。

「えぇ勿論。席は自由ですからな」

「では失礼して…」

男はどっしりと腰掛け、懐から取り出した扇子で顔をパタパタと扇ぎ始めた。

「ここに来るのは初めてですかな?」

「えぇ。本当は知り合いが行く予定だったんですが、急な葬式で来られなくなってしまいましてね。面白いものが見られるからと言われるがまま引き受けたんです。そういう貴方は、既に何度か?」

「えぇえぇ。この一座が初めてこの国に来てから毎年見に来ています。何せ年に一度、フラリと現れすぐに消えてしまう、霧のような一座ですからね。あぁ、名乗り忘れていましたね。私は小森と言いまして、銀座で宝石店を営んでいるものです」

「これはご丁寧にどうも。私は西岡と言いまして、銀座で色々な事業に携わらせてもらっています。して、ここでは何が行われるのですかな?生憎何も聞かされていなくて…」

「おや、そうでしたか。ご友人も意地悪ですなぁ。ここではですね、サアカスをやるのですよ」

子供が面白いものを見つけたかのような口調で、小森はそう楽しそうに言った。

「サアカス…ですか?」

「えぇ。でもそんじょそこらのサアカスと同じだと思ってはいけません。なにしろですな…」

小森が子供のようなキラキラとした目で語ろうとしたその時、ホールのライトが一斉に消え、あたりは暗闇に包まれた。 

「おっと、始まるようですな。まぁ実際に見ればすぐにわかりますよ」

そういうと、小森の声は前に向き直った。それとほぼ入れ替わりで、コツコツと靴を鳴らす音がステージの奥から聞こえてきた。その音はだんだんとこちら側へ近づき、西岡の目の前辺りで止まった。直後、ホールの明かりが一斉にともされた。ライトは全て一点を照らしており、その先には一人の男が立っていた。長身の外国人、あずき色のスーツに身を包み、体の細いラインがよりはっきりと強調されていた。男の顔に浮かぶ不敵な笑みは、どこか恐ろしさを感じるものがあった。男は深く一礼し、高らかに挨拶を始めた。

「皆様!ようこそ我ら一座の一夜限りのショーへ!私、このサーカスの座長を務めている者でございます。昨年に続き、今年もこの帝都で皆様にショーをお披露目できることを心から嬉しく思っております!今年も新しいメンバーを迎え、より一層、楽しんでいただけるよう努めてまいります!」

大げさな身振り手振りをしながら、男は声高らかに話し始めた。その様子はまるで、街頭演説をする政治家のようだ。

「ふむ…見たところ去年いらっしゃったお客様も大勢いますが、初めてのお客様も多いようですねぇ。えぇえぇ、皆様が私の風貌に大変驚き、困惑していらっしゃるのは百も承知しております。お客様の中には私を見てフリークショー、見世物小屋のようなものではないかと思われている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、断じて違うとここではっきり申し上げておきましょう!私たちが皆さまにお見せするのは、世界の神秘なのですから!」

それを聴いて西岡は心の中で嘲笑していた。こんな歌い文句、どこのサーカスでも似たような事を言う。こんな場所でやるからには何か変わったことがあるのだと思ったが、期待外れだったようだ。

「ふむ……そこの御仁。貴方今こうお考えになりましたな?"そんなの、どこのサーカスでも似たような事を言う"と」

目を合わしてそう言われ、西岡は非常に驚いた。直後、自分の心の中を全部読み取られるのではないかという恐怖心が全身を震わせた。

「あぁ、申し訳ない。怖がらせてしまいましたな。……ふむ、ではここで一つ余興と洒落込むとしましょうかね。お手数ですが、ステージの上までお越し願えますかな?」

座長はそう言いながら、笑顔で西岡に手招きをした。横からは小森がニヤニヤしながら、「行ってくるといい」と小突いてくる。西岡は少し悩んだ後、観念したようにステージへと上がった。

「では、今からあなたには少し余興のお手伝いをしていただきます。なに、そう難しいことではありませんので、ご安心を」

そう言いながら座長が二度手を叩くと、ステージ奥からサーベルを持った女性と、痩せ細った黒人の男が出てきた。女性は男の側までくると、何も言わずにサーベルを座長に手渡した。黒人の男は何も言わずに、ただ下を俯いている。

「ではこれから、貴方にはこの男の首をこのサーベルで切り落としてもらいます」

「…はぁ!?」

予想外の言葉に西岡は驚愕する。無理もない。何の前触れもなくいきなり人を殺せと言われて驚かない人などいないだろう。

「大丈夫ですよ、そう難しいことではありません。こう、サーベルをブンと首めがけて振り下ろすだけでいいのですから」

「そこは問題ではないだろう!私に人殺しになれというのかね!」

西岡が激昂しながらそう座長に詰め寄っていると、客席からくすくすと笑い声が聞こえた。西岡が席を見やると、客の半分以上がくすくすと笑っていた。小森などは、腹を抱えて大笑いしている。その異様ともいえる光景に、西岡はぞっとした。何故、人殺しが行われようとしているのに皆笑っているのか。西岡には理解できなかった。

「ご安心ください。貴方が想像しなさっているようなことにはなりませんし、万が一そうなったとしても、貴方に一切の責任が問われないようにいたしますので」

「……本当だろうな?」

「えぇ。言っておりますでしょう?これは余興だと」

そう言いながら、座長は西岡にサーベルを差し出す。西岡は覚悟を決め、サーベルを受け取る。ズシリと感じる重みが、今目の前の黒人の命そのものを握っているようにも思われる。ひとつ大きく息を吐き、サーベルを振り上げる。黒人の男はこちらをチラリと見やったが、その表情に恐怖の色は一切なく、むしろ刃が振り下ろされるのを待っているかのように思われた。

「では、この男の首を切り落としていただきましょう!」

座長がそう高らかに声を張り上げる。西岡は幾度か深呼吸を繰り返した後、得物を男の首めがけて振り下ろした。食材を切った時とは違う重い手ごたえと共に、ごとりと男の首がステージに転がり落ちた。西岡はただただ茫然とし、人を殺したという事実を真正面から受けていた。手から滑り落ちたサーベルが、ガランと大きな音を立てる。

「素晴らしい!大変すばらしい剣捌きでした!もしや、剣術の才能がおありなのでは?」

拍手をしながら、座長は西岡にそう話しかけた。

「才能だと?ふざけるな!この男を見ろ!死んでいるじゃないか!」

「失礼ですがお客様、いったい彼のどこが死んでいるのでしょうか?私にはぴんぴんしているように見えるのですが」

「ふざけたことを言うな!どこをどう見ても死んでいるようにしか見え……」

そこで、西岡は何か違和感を感じた。いや、目の前の男は確実に死んでいるはずだ。なにせ、自分がとどめを刺したのだから。床に転がる男の首、だらりと力なく横たわる男の身体、はっきりと見える断面…。

「……なんだ?」

そう、断面。断面が見えているのである。切断された頸椎や肉の組織、ぽっかりと穴のように見える気管。なぜここまではっきり見えるのか。その答えは至極単純、血が出ていないのである。男の首からも、胴体の方からも、一滴も出血していないのである。

「こ、これは一体……」

困惑しながら、西岡は男の首に再度視線を落とす。男の首は、先ほどと変わらず床に転がったままだ。苦痛の表情は一切浮かべず、ただ目を閉じ、眠っているかのようだ。そんな男の首が

ー突如目を開け西岡を見ながら、白い歯をむき出しにして満面の笑みを浮かべた。

あまりにも信じがたい光景に、西岡は悲鳴を上げて後ろに倒れこんだ。首だけではない。先ほどまで横たわっていた胴体も、まるで何事もなかったかのように起き上がり、落とした小銭を拾い上げるかのように軽い動作で頭を持ち上げ、元あった場所に頭を置いた。

「な、え、あ、これは…一体……」

男が観客にお辞儀をすると、割れんばかりの拍手と口笛がホール中に響き渡った。

「言ったでしょう?余興だって」

あっけにとられていた西岡に、座長は手を差し出しながらそう言った。

「彼もアクターの一人でしてね。こうやって始めてこられたお客様を驚かせるのが仕事なのです。さて、お手伝いありがとうございました。これで少しは楽しめそうですかな?」

そう言われ、西岡はあっけにとられながらも小さくうなずき返事を返す。「でしたら結構」と座長は笑顔で西岡に席に戻るように促した。席に戻ると、小山がニヤニヤしながら話しかけてくる」

「どうでしたかな?実際にアレを見たご感想は」

「いや、どうもこうも……ただただ驚くばかりですよ。今でも信じられません」

「はっはっは!私も最初見たときは驚きましたよ。この世のものとは思えませんでしたもの」

「えぇ全く。世の中にはあぁ言う人もいるのですね…」

「さて、最後にショーの前に少しだけ講釈をば」

ざわめく観客に座長がそういうと、辺りは静けさに包まれた。

「さて、皆様いかがだったでしょうか!彼以外にも、始めてこられたお客様は驚愕されたのではないでしょうか。そして同時にこう思った方もいらっしゃるでしょう。"化け物じゃないか!"と。ではそう思ってる方々に問いましょう。化け物の定義と一体何でしょうか?自分達とは異なる、気持ちが悪い。ただそれだけの理由で彼らは敬遠されているのではないでしょうか。しかし、彼らとて人間です。普通の人のように仕事をし、人を愛し、家族を持つ権利があります。だがしかし、彼らはその権利を理不尽に奪われ、人前に晒され、笑いものにされるのです!そして中には、彼らを存在そのものを皆さんから隠す者達までいるのです。確かに、彼らは"普通"とは言い難いでしょう。それでも、それでも、彼らにだって自由はあるのです!その存在を消して良いわけがなどないのです!ですから、私共はサーカスという形を通して、皆様に彼らの存在を知っていただきたいのです。迫害され、存在を否定されながらも、必死に生きるそのさまを!皆様、今宵はそんな彼らの生きざまをどうか目に焼き付けていただきたい!」

直後、ホールは拍手に包まれる。西岡も、他の観客と共に割れんばかりの拍手を送っていた。

「それでは、早速ショーへとまいりましょう!この世の中に隠された神秘の存在!その一端を、あなた方にお見せしましょう!」

直後、あたりに楽しげなジャズの音楽が流れ始めた。次第に皆リズムに合わせて手拍子をし、ショーの始まりを今か今かと待ち望んでいた。西岡もまた、他の客と同じように始まるのを今か今かと待ち望んでいる。その目はまるで、無邪気な子供のようだ。

「さて、それではまいりましょう!まず最初のアクターは彼女だ!」

繁栄と退廃の街、帝都。今宵、そんな都市の片隅で、世にも珍しい、それでいて夢のようなショーの幕が開けたのだった。

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