クレジット
タイトル: 現実だけの人生は
著者: ©Xthought does not match any existing user name、teruteru_5
作成年: 2022
昔からよく「夢がないね」と言われていた。この場合の夢は将来なりたい姿とかではなくて、理想を追い求めるという意味だ。学生の頃はみんなの現実的でない提案を、現実的な理由で否定する度に冷たい目で見られた。私にはなぜ彼らがそうするのか分からなかった。私は正しい指摘をしただけなのに。
だけど、財団に入ってそれは強みになった。ここでの仕事は現実を守ることだ。何よりも先に確実であることが優先される。
『貴方達の仕事は世界を守ることです。個人の考えではなく、現実を何よりも優先して判断を下す必要があります。』
財団に入って初めて受けたオリエンテーションでこの言葉を聞いた時、私は自分が肯定されたような気がした。あなたは間違っていない、そう言われたようで。実際私は職員としてそれなりの評価を受けている。実験における対応が冷静で、職員としてあるべき姿で職務を遂行できている、と。
ただ近頃、一つ考える事があった。どうも周りの職員は理想を追い求めている気がする。現実的に見てこれ以上やりようのないことに対して、もう少し人道的な方法は無いのか、もう少しでも多くの人を救えないのか、と。
もちろんそれは立派なことだ。実際結果が出た事例もある。ただ、それは元から可能性が見えていた場合の話だ。
大方の場合は現実的でない理想を追いかけていることが多い。
それで何か起こった場合、取り返しのつかない、責任のとれない事態になった場合、どうするのだろう。このところ、何も起こらなければいいのだけれどと気を揉む日々が続いている。
「ふぅ……」
私は仕事の休憩によくカフェテリアに向かう。コーヒーメイカーから好きな種類のコーヒーを選べるし、カフェテリアの緩やかな雰囲気は心地いい。テーブルに座ってマンデリンのエスプレッソを飲んでいると、向かいに誰かが座った。
「ごきげんよう、休憩中?」
向かいにやって来たのは、同期の研究員だった。移り変わりが激しいこの仕事で、変わることなく関係が続いている数少ない一人。
「えぇ、ちょっと息抜きに。最近、ちょっと疲れやすくて。」
「珍しいね。いつも変わらないのに。何か原因に心当たりはあるの?」
心当たりと言えば……周りの職員に対する心配くらいだろうか。そのことに対する相談も兼ねて、彼女に伝えた。
「なるほどね。まぁ、言いたいことは分かるよ。」
「そう。やっぱりあなたもそう思う?」
「でもまぁ、心配のし過ぎだよ。別に理想があるからって死ぬわけじゃないし。」
「それはそうだけど。最初のオリエンテーションでも言われたじゃない。現実が何より最優先だって。」
「……。そういえば、あなたは堅物だったね~。物事を零か百かで考えちゃう。」
「それってどういう意味?」
「あなたは今、理想を持つこと自体がダメなことだと考えてるんじゃない?そのせいで、業務に支障が出るんじゃないかって。」
「えぇ……。実際、言われたじゃない。個人の考えじゃなく、現実を何よりも優先して判断を下す必要がある、って。」
「それはもちろん。でも、それは考えを持つなってことじゃない。世界を守るっていうゴールに対するルートは人によって違うべきじゃない?」
「ルートが違う……」
「理想を追い求めることで、色んなルートがあることで、いい結果が生まれる。そう考えてみない?」
自分にはない考え方だった。理想なんてゴールの外にあるもので、邪魔にしかならないと思っていた。
「コーヒーってさ、好みが分かれるよね。」
彼女はカフェオレを手にして笑った。私はどうもカフェオレは甘くて、口に合わない。
「きっと、現実ってコーヒーみたいなものよ?ブラックが好きな人、ミルクや砂糖を入れたい人、そのものはダメだからこうして別物にしちゃう人。一番そのままの状態を受け入れられないから、何とか現実を変えようとして、理想を追い求めるの。みんながみんな、ブラックを飲めるわけじゃない。けれど、こうして別物にするのは正解じゃない。だから、バランスを取らなくちゃね。」
目の前のカップを見つめる。苦みが詰まった真っ黒なコーヒーは、私の顔を映してはくれない。
「じゃあ、私が変わった方が良いのかしら。」
「そんなことないよ。元々の良さを分かっている人がいないと、味の調整が出来ないじゃん。あなたは、周りの人の調整役になればいいんじゃない?理想と現実と、上手く合わせるバリスタに。何て、ちょっとカッコつけすぎかな。」
そうか、私は私で、皆は皆で、上手く摺り寄せられれば。また無意識に私は極端な考え方をしていたらしい。
「……フフッ。ほんとよ。カッコつけすぎ。でも、ありがとう。すっきりした。」
「それは良かった。あっ、そろそろ戻んないと。じゃあ、またね。今度ご飯でも行こう。」
友人に少し遅れて、私もそろそろ戻らないといけない時間になった。残っていたエスプレッソを飲み干して、研究室に戻る。
次、コーヒーを飲むときは、ミルクを入れてみようかな。そんなことを考えながら。
仕事が終わり、自室に戻った私は今日のことを思い出していた。友人がくれた答えを自分の中で反芻し、落とし込む。
他の職員はこうしたい、これは許したくないという理想があって、それを実現しようとしている。今までの私はそれを失敗の元だと考えていた。けれど、それは全部正しくはない。理想のせいで起こる事故もあるのは事実だ。これまでにそうした事例はある。
けれど、友人が言ったように私が緩衝材になれたなら。理想と現実を合わせた世界の守り方が出来るはずだ。
「……たまには甘いのも悪くないわね。」
マキアートを飲んでそう呟いた。随分と回り道をして、ようやく気付くことが出来た。飲む機会はたくさんあったのに。
「随分お手柄だったじゃない?まさかあんな方法があるなんて、気づかなかったなぁ。」
友人は少し悔しそうに賛辞の言葉を送ってくれた。長年人的資材の消費を問題視されていたが、危険性ゆえに収容手順を変更できなかったオブジェクト。それを大幅に安全で、倫理的な収容方法に変更できたのは、自分だけの力ではなかった。
「私の仕事じゃないよ。助手君が、ずっとこうしたらいいんじゃないか、こうしたら行けるんじゃないかって考えてたから。私はそれを仲介しただけ。」
「へぇ~。前のあなたなら突っぱねてそうだけどね。」
「そうね。あなたにもうちょっと柔軟に考えろって忠告されてから、頑張ったのよ?出来るだけ皆の理想も受け入れられるように。」
「それは何より。」
そう言って自分のコーヒーに砂糖を入れようとする彼女を止める。
「あら、中深煎りは初心者にも飲みやすいのよ?せっかくだから、そのまま飲みましょ。」
「えぇ~。コーヒーに関しては変わってないのね……。」
そんなことないわ、と笑顔で返す。手にしたカップに入ったマキアートはゆらゆらと揺れていた。