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SCiPNET

UE-0925についての現時点(1995/01/22)の情報の閲覧はクリアランスレベル3以上の職員に限定されます。
ログインID及びパスワードを入力してください。
ログイン履歴は記録情報セキュリティ管理室(RAISA)によって常時監視されており、位置情報についても同時に収集されます。

決まり切った操作を求められることには既に慣れていた。

財団のセキュリティは世界中で見ても最高峰なのは周知の事実だが、私のような外界からの訪問者にとっては殆ど無力だ。このサイトの入り口から各フロアの通路・階段に至るまで、多種多様な無人監視装置や警備員が設置されていることを、私はよく知っている。しかしながら、職員証の電子ロックでのみ解錠される資料室の片隅に安置されている端末へ、「如何なるルートも辿ることなく直接的に」アクセスできるような存在を、彼等は想定していないのだ。

後は、何ヶ月も前から使い続けて暗記済みのアカウントID・パスワードをショートカット入力し、ログインするだけだ。このアカウントの持ち主である資料室の司書は、今は私のすぐ横で椅子に腰掛けたまま死んだように寝入っている。私は腰のポケットに忍ばせた道具を静かに握りしめ、それがいつも通りの効果を発揮していることを確認する。財団に与える影響は、彼がその実態よりもほんの少しだけ、情報収集に勤勉であると周囲に認識されることくらいだろう。全く暢気なものだ、世界最高峰の優秀な人材を揃えているはずの組織でも人間とはこんなものか。"図書館"の管理者達ならまずあり得ないことだ。

今までもこれで良かった。今回も、何も変わりはない。


view UE-0925
認証を行います…


アクセスが承認されました
rev.38(更新日時: 1995/01/22)の閲覧が許可されます

未解明領域 UE-0925


概要紹介: 兵庫県淡路島・妙見山の地下30m以下に存在している、大規模な地質的構造体を内包していると見られるラグビーボール状の巨大な空洞。当該領域へアクセス可能な進入口は、妙見山を源流とする河川の河口付近に存在するポイント-アンビリカルと指定された1ヶ所のみが確認されている。当該進入口を外部から観察した場合、光学的に観測可能な長さを超過した奥行きを有する横穴として観測される。領域内に進入した物体および生物が帰還した例は現在まで確認されておらず、内部構造は殆どが不明。
収容日: 不明。蒐集院から引き継がれた文書において、10世紀前後の非常に早期の段階から「淡路に『帰らずの穴』が存在する」という形式での言及が確認されている。
場所: 兵庫県淡路島 妙見山 地下
セキュリティプロトコル: ポイント-アンビリカルの恒久的封鎖。妙見山の地下を対象とした民間人の土地開発運動の阻止。

ここまでは既に見飽きた文章だ。SCPの番号が振られたオブジェクトならともかく、それ以外の雑多なアイテムや領域に対して、財団が得たデータが報告書の本文に更新という形で反映されるまでには随分と時間がかかるのが常だ。私の視線は画面を上から下へとやや早めに動いてゆき、事案記録へと注意を向けていく。


実験記録-█: 1995/01/07、無線通信映像機器によるUE-0925内部領域の調査実験が実施された。外部から命綱を投入した上で、通信機器を装備したDクラス職員1名(以下、D-2092)をポイント-アンビリカルから領域内に進入させたが、光学的観測が不可能になる距離まで到達した時点で当該職員が発生させていた命綱の振動は観測されなくなり、音声および電波通信による呼びかけに対する応答も一切得られなくなった。実験の目的であったUE-0925内部の映像記録回収には成功しなかった。

財団の余りに悠長な対応に、僅かなため息が漏れる。

このタイムラインに暮らす人間の中で、淡路島の地下に眠り続けている神格実体の存在に僅かでも感づいているのは、財団とその前身団体、蒐集院くらいのものだ。そしてその2団体も、神の実在に想いを巡らせることは全く無いようで、彼等の中ではそれは未だに単なる「帰らずの穴」でしかないようだ。恐らくはそれだけの前提知識しかない状態で、彼等はかの破局的事態に立ち会うことになったのだろう。

私がこの神格について調査を始めたのは、私の主観時間で半年ほど前のことになる。様々なタイムラインでこの神格は同時多発的に目を覚まし、その世界で培われていた人類社会を崩壊に追い込むか、さもなくば人類によって神格が破壊なり放逐なりされるか、いずれにせよそれが持つ圧倒的な体格に相応しい大混乱を引き起こしてきている。

壊されてゆく世界の様相を安全な場所から録画で眺めつつ、大切な“妹”と共に談笑していた時のことが、ふと脳裏に思い出される。尤も、妹とは言っても、それは違うタイムラインにおける私自身に他ならない。私が歩んでいたかもしれない異なる可能性、それがあの子なのだ。


放浪者の図書館、西ウィング12階 第3視聴覚室のプロジェクターに映し出されているのは、タイムライン M-328の日本国・神戸市であった地点の様相である。1988年まで人類の生活が営まれていた都市構造は木の柱と鉄筋コンクリートの瓦礫がうず高く積み上げられた廃墟と化しており、その隙間をボロ切れだけを身につけた人間たちが忙しなく走り回っている。

『日の本の新たなる神、アハシマを崇めよ』
『我らの新たなる産みの親、アハシマを…』
『太古より蘇った国祖の仔、アハシマを…』

焦点の合わない目をぐるりと回し、涎を溢した口で呟かれる祝詞の数々を受けているのは、映像の遥か彼方にそびえ立つ二本の岩の柱。否、柱ではない、それはかつての人間社会において「柱」と認識できるような存在よりも遥かに太く、不揃いで、圧倒的に頑強である。その「柱」の片方が、極めて緩慢に地表から持ち上がる。その扁平な接地面から零れ落ちる多量の土砂が、新たなる神によって無慈悲に踏み砕かれ真っ平に均された、過去の文明の遺産を埋め立てていく。

「わしらは、母なる神アハシマと共に数百年、数千年の時を生きてきた。今や、その悠久の命は永遠のものとなった。神より授かりしわしらの命は、世界中へと広がることじゃろう」

映像を撮影しているカメラの傍でそう呟いたのは、一様な乳白色の肉体を持つ異形の生命の群れの先頭に立つものだった。大まかには小柄な人間の子供のような体型だが、その造形は不完全のように見え、皮膚に相当するであろう部位は所々爛れたように垂れ下がっている。その後ろに並ぶ白い群衆は更に不定形な姿をしており、胴体と手足の区別すらはっきりしないものも数知れず。彼等は皆、大昔に淡路の神格存在の内部へと迷い込み、取り込まれて異形へと成り果て、そして人類文明が消え去る日に再び地上へと現れた者たちである。彼等の濁り曇った目には、これからアハシマの足下にて再構築される新世界の始まりが、映し出されている。

『見よ!我らの母アハシマがお顔をお見せになる』

持ち上がった巨大な石柱が、先刻より300メートルほど近い位置に降ろされる。その下にあった都市の遺残物は当然のように轟音と地響きの下敷きとなり、単なる瓦礫へと分解される。暫しののち、天空から巨大な影が地表へと投げかけられ、隠された太陽は全く視認できなくなる。

カメラが上空を向くと、そこに映るのは巨神の陰影である。概ね四頭身くらいの、荒々しく削れた岩塊によって造られた巨大な人型、その体高は800メートルを優に超える。巨神の詳細な造形は逆光により観察困難であるが、常軌を逸したサイズに見合わない、幼さすらも感じさせる無造作な顔面がうっすらと視認できる。「アハシマ」と呼称される巨像は赤子のような頭部を擡げたのち、その表情を崩壊させ、一続きの啼泣を行う。それは衝撃波にも等しい暴力的な音圧を帯び、カメラを含む周囲の地平面を薙ぎ払う。建造物の瓦礫と狂気に堕ちた人々が宙を翻るシーンで映像は終了する。

「うわあ、なんて恐ろしい光景。誰も正気じゃなくなってる」
「見ての通り、この神格実体によって破壊されたタイムラインは決して少なくありません。一定の基準値を超えたアキヴァ放射は正のフィードバックループを引き起こし、自身の信奉者となる存在を無数に作り出すようになります。元々それらの周辺にいる知性体だけでは数が不足するのであれば、それらは無から新しい生命を溢れさせることすらあります。ちょうど今、私たちが見ているように」
「じゃあ、ここに映っている彼らはもはやそれまでのタイムライン上の人類じゃないってことなのね。社会構造も、世界の文明も」
「異常ミーム伝搬に乗った信仰は瞬く間に地球全体まで影響範囲を広げますからね」
「なるほど…わかったわ。お姉様の今の研究は神格の同時多発的誕生なんでしょう?次にこの実体が見られるとしたらどのタイムラインになりそうか知ってる?」
「この神に興味を持ったのであれば、誕生が近そうな宇宙のリストを渡しますよ。そうですね、G-275、S-714、それからええと、O-925もそうだな…。」
「O-925?」
「そうです。知っている場所なのですか?」
「…いや、何でもない。ともかく、それらの世界に行けばこの神格の誕生に立ち会えるかもしれない、ということね!是非立ち寄ってみるわ」
「興味深々ですね。私からも良い体験ができるよう祈っていますよ。くれぐれも危険のないようにはしてくださいね」
「ええ、勿論!」


追想をしながらゆっくりとマウスのホイールを回転させていた手が、ピタリと止まる。目当ての記述が目に留まったからだ。記録の題字に目を通す…

イベント・ホノサワケ終了報告書

1995/01/17発生


イベント概要

それまで未解明領域(UnExplained locations) UE-0925として認知されていた異常領域が存在する位置で、中規模の地表撹乱イベントが発生。UE-0925を内包していたと推定される巨大岩石実体の一部が地表へ露出した。イベントの進行が財団および種々の異常な勢力によって阻止された結果、岩石実体は地上への出現を完遂することなく崩壊した。空洞の収縮に伴って生じた一般社会への影響は、非異常性の地震と偽装可能な範囲に留まった。

未解明領域と巨大岩石実体の双方がイベントの経過により機能を喪失したことから、UE-0925の発番対象は、当該未解明領域に関連していたと推定される岩石実体に移行された。対象は財団の収容体制が適用される前に崩壊した不詳実体(Unknown Entity)に指定される。

これだ。この記録が見たかった。タイムライン O-925の世界がどのようにして神格と対峙し、どのような行く末を辿ったのかを。この内容が記録として残っているところを見る限り、O-925の世界は上手いこと急場を凌ぐことに成功したらしい。

恐らくは財団が神格討伐を主導したのだろうか?しかし、素性が不明なものはどれほど危険であろうと溜め込み続けることを選択する財団が、未解明領域としては殆ど何も判明していなかった存在に対して先制攻撃を加えるとも思えない。そうなると、何かしら彼等が動かざるを得なかった別の要因があったのかもしれない。そう言った想像を続けながら、記録を流し読みしていく。

イベント・ホノサワケ 経過報告

(3/7)

1995/01/17


[03:33] 妙見山に駐屯していた機動部隊く-29が不明な武装集団からの攻撃を受ける。機動部隊より送信された映像記録は、武装集団が実弾および光線銃と見られる携行兵器によって機動部隊員を殺害・無力化し、同時に妙見山の地面に対しても攻撃を加えている様子を示す。武装集団はGoI-4056に指定される。

[03:38] 半壊状態に陥った機動部隊く-29に代わり、機動部隊あ-3がGoI-4056と交戦を開始する。GoI-4056の武装は1995年時点の正常技術から大きく逸脱した技術水準を有していると推定され、戦闘はGoI-4056に有利の状態で進む。

[03:41] 機動部隊あ-3の残存兵力が不足する。GoI-4056の構成員が行った破壊工作によって、妙見山山頂付近に直径7m、深さ30m程度の縦穴が穿たれる。GoI-4056は続いて縦穴の横幅を延長するために破壊活動を継続する。

[03:42] 縦穴から赤色の液体が多量に噴出する。引き続いて発生した濁流と土砂の崩壊によって、機動部隊あ-3、く-29、並びにこの場に居たGoI-4056の全メンバーが喪失する。機動部隊が所有していたものと6ヶ所の定点カメラとを含む映像機器群が影響を受けて破壊され、妙見山地表の映像観測体制が約30分にわたり破綻する。

成る程、この世界で淡路島の神格存在に気付いていたのはどうやら財団だけではなかったらしい。記録にあるGoI-4056という団体もまた、神の存在を知っていたのだろう。極めて先進的な武装を擁しているという情報からは、彼らが工学・物理学分野に明るい独自の超常コミュニティの構成員であることを窺わせる。思えば、あの子もそうだったっけ。

不思議なものだ。今日は妙にあの子について思い出す機会が多い。まだ夜は長いし、今使っているアカウントの持ち主が目を覚ます気配は無さそうだ。たまにはゆっくりと追憶に耽りながら調査をするのも乙なものだろう。


「お姉様!久しぶり」
「おや、スターリング。最近見かけませんでしたが元気にしていますか?」
「ええ、私は元気よ。昨日までS-714に行ってて。あのタイムラインでもアハシマが目覚めて、世界は崩壊したわ。今まで訪れてきたタイムラインとまるで同じようにね。世界中の超常コミュニティが共同して立ち向かっても、敵わなかった」
「うーむ、そうでしたか。やはり巨大な神格実体の急襲を防ぎ切れるタイムラインは多くないのかもしれませんね…」
「お姉様を誘うのを忘れちゃって申し訳ないわ。多分貴方も飽きるほど見てきた光景だったとは思うけども」
「気にしなくていいですよ。しかし、私の研究対象に随分と大きな興味を持っているようですね。わざわざ誕生を見届けに行くなんて」
「ふふ。お姉様にとって重要なものは、私にとっても大切なのよ」
「……」
「お姉様?」
「スターリング。貴方、私にどことなく似ているように感じます。他の姉妹と比べても明らかに、何か特別な共通点がある」
「そうでしょう?私も最初に出会った時からそう思ってるわ」
「何故でしょうね?」


あの子に対して私が感じた謎の親近感。それの理由にまで思索が及ぶ前に、映像記録のファイル展開が完了していた。端末のイヤホンジャックを拝借して、映像を再生する。

どうやら先ほど確認した書き起こしよりは少し先の映像らしい。おそらく撮り手は財団機動部隊の記録係で、曲がりくねった狭い洞穴の中を隊列を組んで足早に進んでいる。これは件の神格実体の中か?実験に使い捨てられた哀れな消費人員と同じ運命を辿ることが分かった上で乗り込んできたのなら、財団も事の緊急性と重大性には薄々感づいているということだろうか。

映像記録の中で、財団の機動部隊ろ-4のメンバーは神格実体内部の複雑な洞穴構造を通過しながら、迷いとも愚痴ともつかない会話を続けている。時折、洞穴全体に強い揺れが発生し、そのたびにカメラの映像が激しくブレている。

「同じような細道が延々と続いていますが、所々に注連縄を模したかのような糸の撚り合わせが取り付けられています。誰が、何のために?」
「さっきから俺たちが進むのを止めにかかってる連中じゃないか?多分昔からここで一生暮してるんだ。ここに居るのは奴らと俺たちだけだろう。何のためかは、そりゃ俺も知りたいよ」
「アルファ、私達はどこまで行って、そこで何をすれば良いのでしょう……うわあ!また揺れが来た」
「振動の頻度がますます上がっている、足を取られないよう気を付けろよ。しかし、ブラボーの発言も尤もだ。俺たちにはこの洞穴に関する情報量が少なすぎる。前の実験で送り込んだDクラスはすぐ音信不通になったし、自律駆動探査機も一つも回収できてない」
「ですがチャーリー、この地の奥底に何かがあるはずなのです。世界オカルト連合が血眼になって破壊しにかかるような、あるいは見知らぬ要注意団体が山を崩してまで掘り出したがっているような」
「う-8の連中は良くやってくれた。彼等がゴックスの斥候隊を追い払ってくれていなければ、我々はこの複雑怪奇な洞窟がどのように危険なのかを知ろうとすることすら叶わなかっただろうな」
「連合に内通者がいてくれて助かりました。でも彼女、妙に辿々しい言葉で情報を伝えてきたんですよね、何か引っかかります」
「地上の奴らに中の様子を教えてやれないのが悲しいぜ」
「悲観するにはまだ早いぞエコー。我々がこの領域について何の情報を持っていない以上、脱出手段が存在しないという仮説もまた証明できないからな。と、また出てきたぞ!道を退いてくれ!」

機動部隊の前方に立ち塞がっているのは、乳白色の無造作な体型を持つ生物の群である。尾鰭のない魚のような単純な形をしたものや、蛇のように長く一様な胴体を持つもの、あるいは辛うじて短い四肢が観察できるものなど、多種多様な異形の生物が大挙して、機動部隊を押し留めようとする。対する機動部隊員は照明弾を投射し、一瞬の静寂の後に洞穴全体が煌々と照される。異形の者たちは光に驚き、洞穴の更に奥へと逃散していく。カメラにはっきり映るようになった洞穴の岩壁は白く粘性のある液体に薄く覆われ、ぬめりと光沢を持っている。機動部隊員は進路を観察し、傾斜の激しい横穴を隊列を崩すことなく進行していく。


「この先は開けた空洞があるように見えるな。進行距離からすればそろそろ最深部に着いても良い頃だが」
「隊長!辺りの様子が変です。奥から霧のようなものが」
「ライトの光量はまだ十分ある。突入しても視界は確保可能だ。奥に何があるか確認するべきじゃないか」
「今の状況だと、私たちの身の安全は最優先事項では無いと思います」
「決まりだ。この先の空洞まで進行する。互いに離れるなよ」

ビデオカメラの映像は金色に輝く霧に覆われる。それまでライトを反射して乳白色の鈍い輝きを放っていた洞穴の壁は、霧が濃度を増すにつれて徐々に見えなくなっていき、床面は水量が増えて段々と足取りが波紋を生じるように変わっていく。そして、本来であれば洞穴内では見えるはずのないものが姿を現してくる…水平線である。

ポイント-アンビリカルからUE-0925内に進入した機動部隊ろ-4は、進行総距離1100mの段階で洞穴の最深部へと到達した。そこに広がる光景は、浪立つ黄金の海原、激しく吹き荒ぶ風、そして黒雲。見渡す限り陸地のない、果てなく広がる海面である。機動部隊員は幻の海面より少し高い位置におり、宙に浮いた透明な地面を踏み締めているようだ。

「これは…大荒れだな」
「不思議な空間ですが、壁面はきちんと存在するようです。恐らくは認識阻害作用を持ったドーム状空間です。直径はおよそ50m程度かと」
「ここに…我々の求めている何かがあるのか」
「見てください!前方に何かがいます。立っている実体が1体、横たわっているものが1体」

機動部隊が幻想の海原の上を歩き、想定されたドームの中心に居る存在へと近づいていく。立っている方の実体は、先ほど機動部隊が追い払ったものに似た乳白色の生命体のように見えるが、姿形はかなり具体的に観察可能で、さながら少年と老人が斑らに混ざり合ったかのような不均衡な人形をしている。その実体が見下ろしている先には、眠るように事切れている1人の人間が横になっている。

「ああっ!こいつ、D-2092だ!2週間前くらいに実験で送り込まれた奴だ」

映像内でチャーリーと呼ばれていた男性隊員が声を上げると、横にいる実体がゆっくりとカメラの方を振り向き、口を開く。

『おや……どなたかね?この男の知人か?』
「会話可能な実体は初めてだな。……そうだ、俺たちはその男の、あー、同僚だ。同じ職場で仕事をしてた」
『そうかい、それじゃこの男が言っていた財団とかいう組織があんたらなのかい?随分と恨まれているようじゃったが』
「あー、まあ、そうか、そりゃ残念だ。まあ色々な事情はあったんだ、後で話そう。それはそうと、先にあんたのお名前とか身の上とか、聞かせてもらってもいいかい?勿論、悪いようにはしないさ」

機動部隊員チャーリーの投げかける質問に、乳白色の実体は丁寧に応対する。

『わしはカスケという名じゃ。200年前からここで、わしらの帝、アハシマと共に暮らしておる』
「アハシマとは?」
『知らんのか?今わしらが居る岩戸、海原が見える地とその周りの細く入り組んだ洞穴、これら全体がアハシマじゃ。帝の身体の中にいるのじゃよ』
「身体の中?それはどういうことなんだ」
『この場所でわしらの周りに広がる海や空はな、帝の心を映す鏡なのじゃよ。わしも最初は何が起きているのかわからなかったがの、何十年も過ごしているうちに少しずつ理解できるようになってきた。今、アハシマは大層激しい心を見せておる…ここまで海が荒れることは滅多にない。泣こうとしているのか、喜ぼうとしているのか』

カスケと名乗る実体は、身体に比べて大きな眼を、伏せがちにしている。

「あんたはどうしてこんな場所に?」
『ここに来たのは全くの事故じゃった。凶作の年に年貢の取り立てに追われて、お役人様から逃げようとして川に飛び込んだら、いつの間にかその先にあった洞穴から出られなくなってしまってのう。それから少ししたら、わしはもう人でなしになっておった。200年、同じ姿のままで過ごしておる』
「ほかの白い連中も、あんたと同じなのか?はっきり人間みたいに見えるのはカスケさんぐらいのようだが」
『わしが帝の身体に迷い込むよりもっとずっと前から、数えきれぬ者たちがこの地に足を踏み入れておった。彼らはわしよりももっと純粋で滑らかな命の姿になり、共同してアハシマを祀るための集落を作り上げてきた。わしは彼らと比べれば若造じゃが、姿がより完全だからという理由で、彼らからは長として担がれておる。…しかし、お主らや死んだ男はわしらのようになっておらんな。そこに何の違いがあるのかわしにはわからん』
「協力感謝します。他にも色々お尋ねしたいことはありますが、今は時間がありません」
『お主らはどうしてここへ?二度と出られないことは知らなかったのか』
「知ってたさ。それでもどうしても来なきゃならなかった」
『何のために』
「UE-0925が…アハシマが、地上に出るのを止める」

機動部隊が放った言葉に対し、カスケは驚愕と取れる表情を返す。

『なんと…帝を止めると』
「カスケさんには申し訳ないことをするが、これだけ巨大な岩石像が淡路の山の中から前触れなく地上へ飛び出してくるのは、それ自体が我々の仕事にとって絶大な不都合なのだ」
『アハシマが…地上へ…それは本当なのか』

チャーリーの首元に小さな赤い光が灯るのが見える。

「生憎、我々にも理解が及ばない。だが何かが出てきそうなのは確かだ。さっきここへ来るまでに通ってきた道もやたらと揺れていた…状況は予断を許さない」
『そうか…それでか』
「何か分かったことが…?」


しかし、カスケに投げかけられたチャーリーの言葉は半ばで途切れる。カスケの顔に向き続けていたビデオカメラは、話し込んでいる機動部隊と不定形の実体の遥か後方から放たれた一筋の光条が、チャーリーの頭頸部を貫き、それを焼き切るのを画面の端に捉える。他の機動部隊員とカスケは、素早く光線の発射元へと向きを変える。その後を追って回転したビデオカメラは、本来はドームの入り口であったはずの方向から空洞の中へと雪崩れ込む群衆の存在を映し出す。

新たに出現した10名の人影は大小様々な武器を所持しており、いずれも1995年の日本社会には似つかわしくない未来的なデザインを有している。その中の1名が機動部隊に向けている銃口からは、一筋のレーザーポインターが変わらず照射され続けている。一瞬ののち、群衆の先頭に立つ、全身を銀色のボディスーツに包み込んだ小柄な人間が機動部隊に向けて口を開く。幾何学紋様のあしらわれたフルフェイスのマスクに隠され、当該人物の容貌は窺い知れない。

「そこまでよ財団!貴方たちの世界はここで終わる!アハシマが産まれ落ち、地表の全てが神によって作り直される時が来たのよ!」

映像記録に現れた乱入者の声を聞いた瞬間、心臓が止まるかと思った。何度も聞いたことがあったからだ。それこそ、さっきから頭の中で繰り返されているほどに。これまでの悠長な調べ物モードから思考パターンが180°入れ替わる。マウスを握る手にじっとりと汗が滲むのが分かる。

どうしてあの子スターリングがこんなところにいる?

私が神格の次なる誕生地の候補としてO-925を示した時、確かにあの子はこのタイムラインに妙な興味を示していたような気がした。だからといって神格を遠巻きに眺めているだけではいけなかったのか?危険なことはするなと伝えていたのに。ひっくり返った脳内思考が、中断していた追憶の先を読み上げる。


「もし、迷惑じゃなかったらで良いけど…お姉様の出身地、教えて貰えない」
「……」
「ダメ?」
「……私のタイムラインは、もうありません。壊されてしまった。外からの侵攻者、犀賀派の活動によって」
「……。やっぱり」
「貴方もなのですか?」
「そうよ。いや、正確にはまだあるんだけどね。でももう滅びるまで時間の問題。もう、誰にもあの社会を元どおりにはできない」
「……そうだったのですね。私達が感じていた共通点はそこにあったと」
「お姉様は自分の故郷が無くなって辛くないの」
「辛くないわけないじゃないですか。貴方もきっとそうでしょう」
「勿論」
「私には、貴方へ静かに寄り添い、共感することくらいしかできません。役に立てなくて申し訳ない」
「そう気を落とさないでよ。お姉様のお陰で、私がやりたかったことが見えてきたんだから」
「……『黒の女王』同士、お互いに自分で解決したいことはきっとあるのでしょう。それが何であれ、私からも貴方を応援します。気持ちだけで良いのであれば……」
「取り止めのない話をしちゃってごめんなさい。今日はありがとう。きっといつかまたお会いできますように」
「随分と畏まったお別れの挨拶ですね?」
「アハハ、軽い冗談よ。お姉様の研究も進展すると良いわね。それじゃ、失礼するわ」


「おのれ、よくもチャーリーを!」
「財団!貴方たちが私たちにやった鬼畜の所業、まさか忘れたとは言わないわよね?」
「この人間…男?女?それすらよくわからない。ついでに言うと俺たちの鬼畜の所業ってのが何なのかもわからない」
「ふざけないでよ!貴方たちを倒すために私がどれだけ長い間を待ってたと思ってるの」
「他の職員に知り合いがいるのかもしれんが、少なくとも俺たちとは初対面なんだから仕方ないだろう。悪いが教えて貰えないか」
「貴方たち財団が私達に“流行病のワクチン”と偽って飲ませた毒薬が、全ての人類から子供を永久に奪ったのよ!滅びゆく社会を代表して、私が貴方たちの世界を私たちよりも悲惨な目に合わせてやるって、ずっと願ってた」
「言いたいことは何となく伝わったが、生憎我々は当事者じゃないもんで、お前さんの発言が本当なのか分からんな。しかもこの場じゃ確認も取れないだろ。財団がどれだけ多数の部門を抱えてるか知ってるのか」

PoI-4056は気分を害した素振りを見せ、後方で控えていたGoI-4056メンバーと見られる部下に対して機動部隊への銃撃を命じる。数本の光線と超音速の徹甲弾が乱射される中、機動部隊員は散開して回避に専念する。一方でGoI-4056の攻撃対象から外れていたカスケは、PoI-4056に言葉を投げかけられる。

「貴方はアハシマに暮らしてた人かしら?」
『そうじゃが。お主も中々の乱暴者じゃな、アハシマ帝が心穏やかでない日にこんな騒ぎを起こしたら罰が当たるぞな』
「なら、あいつら財団がアハシマの誕生を阻止しようとしていることは理解してるわよね?貴方たちアハシマの住人が永遠の命を手に入れ、世界中に神の信仰を広めるために、財団を倒さないといけないことも」
『話を聞く限りでは、どうやらそんな感じのようじゃのう』
「呑気なこと言わないで!ここで財団がアハシマを止めることに成功してしまったら、神は死んじゃうのよ?そうしたら貴方たちの命もないわ。こうして私たちが貴方を救いに来たんだから、是非とも協力してくれない?これは貴方たちのための戦いでもあるの」
『お心遣いには感謝するとも』

黄金の荒れ狂う海の下から、白い異形の数々が姿を現し始める。先ほど機動部隊が追い立てた群れが、洞穴の最深部に潜んでいたものと思われる。GoI-4056の攻撃を避けようとする機動部隊員の間にも群れの個体が出現し、機動部隊員は徐々に動きにくくなっていく。

「カスケさん!あんたの家来だか同胞だかをここから退かしてくれ!さもないと俺らもあんたらも撃たれちまうぞ」
「奴らの言うことを聞いたらダメ!アハシマの誕生を完遂させ、悠久の命を手に入れるために!私の元へ来るのよ!」

機動部隊長・アルファとPoI-4056は、共にカスケの元へと走り込む。


カスケはアルファの方向へと歩み出す。白い異形はその数を増し続けているが、GoI-4056構成員の射線を塞ぐような位置に多く出現しており、財団機動部隊員を保護する態勢を取っているように見える。

「協力してくれるのか!」
「なんで!?貴方たちはアハシマの信奉者なんじゃなかったの!?こんな展開になるタイムラインは見たことなかった…なぜ財団に味方する?永遠の命が欲しくないの?私に歯向かうんだったら貴方たちの命はないわよ」
『少し前まで、わしと一緒にいてくれた人間が教えてくれたのじゃよ。あの男はわしと出会ってから亡くなるまで1週間かそこらで、岩の食事も食べられない、帝にも興味がない、ただただ帰りたいとしか言わない男じゃったが…ともかく人間の命を持つ者ではあったんじゃ』
「どういうこと?」
『男が死にかけているのを看取ろうとしていた時、わしはここに来る前の人間だった頃をふと思い出してのう。最近までずっと忘れておったのじゃよ、女房の顔も、子供らの顔も。今じゃわしよりとっくの先に皆ホトケになっとるじゃろう。わしは家族にまた会いたいのじゃ。この男が死ぬ前に願ったのと同じにな』
「期待するだけ無駄だったようね……そんなに死にたいのなら、今すぐにでも家族に会わせてあげるわ」

PoI-4056は自身の身長を超える折り畳み式の長銃を構え、カスケの全身を光線で銃撃する。カスケの肉体は吹き飛ばされて消失する。続いて、GoI-4056構成員とUE-0925の原住生命の群れとの間で戦闘が開始される。PoI-4056を含む団体構成員はスーツにより肉体の物理耐久性を高めていると見られ、機動部隊員による射撃を受けても無力化される様子を見せない。

「ダメだ!元々の住人の皆さんはもうじき全滅する、守ることも守られることもできない。相手の火力が高すぎる」
「UE-0925を中から止められないなら、何とかして外の連中に今の状況を伝える方法を見つけるしかない!……ところでお前さん、俺たち財団に復讐するのは勝手だが帰り道はどうするんだい」
「地下からは出られなくても、アハシマ誕生後の地上からなら簡単に出られるわ。貴方たちを皆殺しにしてからゆっくり帰らせてもらうつもりよ」
「教えてくれてありがとうよ、んじゃ俺たちもそうさせて頂くか」
「コイツ!」

PoI-4056は激昂し、機動部隊員・エコーに攻撃を加えようとするが、寸前で背後から何者かに取り押さえられ失敗する。PoI-4056を拘束した実体は大まかに人間に類似しているが、手指の末端や腹部の構造に異常が認められる。実体は続いて後方へと赤褐色の粘液を吐出し、GoI-4056の構成員1人の装備を溶解させ無力化する。他の構成員による銃撃は実体に対し打撃を与えていない。

「また闖入者か!一体どこからUE-0925の情報が漏れているんだ!?」
「隊長!あれが情報を読めるような知性体に見えますか?」
「奴らは見たことあるぞ…SCP-477-JP-2だ。しかしなんでまたこんな所に。収容体制は見直さなきゃダメそうだな」
「何故、こんなにもアクシデントが重なるの?何もかもが私に歯向かってくる!世界自体が私を拒んでいるの!?」

SCP-477-JP-2の群れは次々とUE-0925の最深部に突入してくる。GoI-4056との直接戦闘に参加しない個体は手にした刃物や鈍器を用いて、UE-0925自体に対する破壊活動を開始する。水平線のように観察されていた空間が攻撃されると、風景は剥落するかのように消失し、本来の岩盤で形成された壁面が視認できるようになる。戦闘が継続して数分後、UE-0925最深部の床面が崩落し、機動部隊ろ-4とGoI-4056構成員らは共に下層へと落下する。すると、映像機器に外部からの光が差し込む地点が映し出される。

「光だ!」
「UE-0925が神格実体アハシマの体内だとする仮説が正しいのであれば、あれはおそらく実体の口です。出口です!」
「生還の目は見えた!」

「離して!私は奴らを止めないといけないの!私の世界をメチャメチャにした仕返しをして、私たちが、パパがこれ以上苦しまないようにしたいだけなのに!どうしてそれを許してくれないの!」

PoI-4056はSCP-477-JP-2に拘束されながらもなお抵抗を見せ、UE-0925を脱出しようとする財団機動部隊員を撃ち抜こうとするが、体格で劣っていることが災いして長銃をSCP-477-JP-2に奪取され、それで頭部を鈍的に殴打される。PoI-4056自身は損傷を受けないものの衝撃で後退させられ、続いて上層から落下してきた更なるSCP-477-JP-2の群れに飲み込まれて映像からフェードアウトする。

思考が纏まらない。私の前にある端末のモニター画面は淡々と、かつ無慈悲に映像を再生し続けている。あの子が用意してきた武装は財団の機動部隊を相手にする分にはオーバーな火力と耐久とを確かに保持しているように見えるが、それ以外のあらゆる環境が彼女にとって不利な方へ向いている。あまりにも多くのアクシデントが重なりすぎている。できることなら「逃げて」と叫びたかった。しかしその叫びが映像の向こうにいるあの子に届くことがないと分かっていたし、何より隣で寝ている職員を叩き起こす羽目になってしまう。私にはただ固唾を呑んであの子を見届けることしかできなかったのだ。

イベント・ホノサワケ 経過報告

(7/7)

1995/01/17


[05:32] 機動部隊は先んじてUE-0925からの脱出を試みる。GoI-4056構成員が後を追おうとするが、SCP-477-JP-2に妨害されて行動不能に陥る。構成員らを拘束したままの状態で、SCP-477-JP-2群はUE-0925の更なる下層へと押し寄せ、縦穴の入口を閉塞させる。

[05:34] UE-0925の内部から突風が発生し、機動部隊ろ-4部隊長がUE-0925の開口部から外部へと落下しかけるが、突風が急激に停止したため落下を免れる。直後にUE-0925内部から非常に巨大な低音が短時間のみ観測されるが、特に異常な形質を示すものではない。

[05:35] ろ-4部隊長がロープを下ろし、それを伝う形で他の部隊員がUE-0925開口部から脱出していく。妙見山の映像観測チームは、UE-0925の顔面における口に相当する部分から機動部隊が脱出してくる様子を撮影する。最後に部隊長が脱出した時点で岩塊の開口部は崩壊し、落石によって開口部が閉塞する。GoI-4056メンバーおよびSCP-477-JP-2が開口部から出現する様子は認められない。

[05:38] 機動部隊ろ-4のメンバーと映像観測チームは直ちにUE-0925周辺からの撤退を開始する。岩塊は頂上部から崩壊を始めており、中央に陥没を生じるようにして構造が破綻していく。

[05:43] 妙見山の地表から観察可能な範囲のUE-0925は全て崩落し、縦穴の中へと消えていく。

[05:46] これまで観測された中で最大の地震が発生。震源は妙見山の真下であり、外部に露出していなかったUE-0925の残存部位全ての崩壊と、それに付随して起こったラグビーボール状の外殻の応答反応によるものであると考えられる。超常史上でも有数の大質量実体の崩落によって引き起こされた地震であり、結果として淡路島全域、さらには明石海峡以北の地域にも被害が生じる。報道統制チームにより提出された代替震源の候補地が使用され、地震発生初期の異常隠蔽措置は適切に完了する。

不詳実体 UE-0925より回収された物品

1995/01/22

注記: 回収された物品の多くは、イベント・ホノサワケによって引き起こされた土砂崩落の影響で激しく損壊していた。


  • 機動部隊ろ-4のうちKIAになった者の遺体および遺留品。
  • D-2092の遺体。直接死因は極度の栄養失調と断定された。
  • UE-0925探査実験の際にD-2092によって持ち込まれた映像機器類。データの多くは破損しているが、D-2092に関連する情報の一部が残存している。回収当初より解析が継続して行われている。
  • 乳白色の鉱石。破砕することにより、UE-0925内部の生命体により録音されたものと見られる音声を放出した。記録内容は解析中である。
  • SCP-477-JP-2の死体。以前のSCP-477-JP探査実験の際は銃撃に耐性を有することが示唆されていたが、土砂崩落の衝撃には耐性を有していないことが判明した。非常に多数のサンプルが回収されたものの、解剖では新規の情報は特に得られなかった。
  • GoI-4056構成員 計9人(下記PoI-4056を除く)の遺体。採取された血液データより、構成員の全数が一部の薬剤に対する過剰なアレルギー反応を起こす体質であったことが判明している。また、同じく全数に精巣の著明な委縮が認められ、何らかの理由により後天的に去勢されたことが窺われる。

  • PoI-4056の遺体。1995年時点の科学(超常・非超常問わず)で説明不可能な強度を持つボディスーツを着用したまま、崩落した土砂の中で窒息死したものであり、そのため回収された遺体群の中では唯一、完全な状態が保たれていた。解剖の結果、両側卵巣の著明な萎縮が認められた。小児様の顔貌・体型および低身長であることは、性腺機能が幼少期に廃絶したことによって説明されると考えられる。UE-0925内部の映像記録における彼女の発言内容と一連の物的証拠は、SCP-1322との有意な関連性を示している。なおボディスーツに外的損傷はなく、AO-01541-JPとして別途保管されている。

小さな乾いた笑い声が漏れた。

嘘だ。悪い冗談だろう。スターリングは決して愚かな人間ではない、危険な場所へ身を投げるにしても、自分の本懐を遂げられるように徹底的な用意をしてきていたはずだ。こんなにあっさりと死んでいいはずがない。いや待て、それ以前の問題だ。私はあのフルフェイスのスーツの下をきちんと目で見たわけじゃない。判断基準は声だけだ。財団がPoI-4056と呼んでいる背の低い超常人物があの子である確証なんてどこにもないじゃないか。ここで死んだのは全然別の人で、あの子はまだ生きていて、ここから遠く離れたタイムラインで色々な事物の探究に勤しんでいるに違いない。きっとそうだ。

そうして自分へ必死に吐き続けた嘘は、事案記録の最後に添付されていた画像によって無残に打ち砕かれた。


impossible


限界は思った以上に早く訪れた。私は情報端末の前で大声で叫んだ。涙は後から付いてきた。少しして、魚眼レンズのように一瞬歪んだ視界の端に、本来の端末の持ち主の身体が大きく跳ねたのが映った。その状態からどうやって山の中まで逃げてきたのかはもう覚えていない。多分、今まで何度も端末を借りに行っていて帰り道が身体に染みついていたからだと思うが、相手を叩き起こしてしまった以上、もうこの道を使うことはできないだろう。この世界の淡路島神格について情報を見るのは不可能になった。あの子の引きつった死に顔の画像を見ることも。

私のせいだ。淡路の神がこの世界で産まれることをあの子に教えたのは私だ。それがあの子にとってどのような意味を持つ情報なのか私が知らないことに気づかずに。あの子が何を欲して私の元に寄り添ってきたのかを知ることなく。父を亡くし、故郷をも亡くした私に対して共感を示してくれたあの子を、私を芯から理解してくれる人を。私はまたしても失ったのか。自分のせいで。


「ちょっと」

不意に投げかけられた声の方へ、私は振り向こうとする。溢れる後悔と悲哀によって最早誰にも顔向けできない状態になっていたことも忘れて。そして、真夜中の妙見山に佇む不審人物に声をかけるような相手は、私が反応を返すべき相手であるとは到底言えないであろうことも忘れて。だが、結果としてはそれが問題になることはなかった。

「なんで貴方が泣いてるの?これは私の話」

私の前に見えたのは、手拳大の石が転がる山肌へ垂直に突き立った、幾何学紋様のフィーチャーされたレーザー銃。そしてそれに背を寄りかけるようにして座り込んでいる、子供のような背丈の人間だった。女とも男ともつかない、端正だが不自然な顔つき。それは私が彼女と秘密を交換しあった時と、何の変わりもない表情であった。

「スターリング!」

愛する“妹”への呼びかけに対し、目前に座る人影は口を開くことなく、首を横に振ることで応答した。そうか。やっぱり、そうだよな。

「前に言ったでしょ、私が大切にするものは貴方が重要だと思うものと同じだって」

私の呼びかけへの直接の返答はしないまま、彼女は私に向けて語気を少し強める。思えば、私の記憶にある彼女の像よりも、眼前の虚像はかなり大人びて見える。もしかしたら、最初から“妹”などではなかったのかもしれない。

「それで、貴方はこれからどうするの?私の後に付いてくるつもりじゃないでしょうね」

私は返答することができなかった。彼女がその命を賭して挑みかかり、敗北した相手は、彼女の世界の仇敵、不倶戴天の巨大組織に他ならなかった。そして私にも同じように、その相手が居る。私が神格の同時多発誕生現象などという胡乱な事象を研究し始めた大元の理由が、仇討ちに必要な戦力の入手にあったことを、彼女には最初から見透かされていたのか。その行いが、彼女を永遠に取り戻せない場所まで送ってしまう原因となったのか。そこに行くべきは私だったのか。

「復讐なんてね、結局は滅びた者が残された時間でやる慰みに過ぎないのよ」

あの子の輪郭は既にぼやけ始めていた。私は再び嗚咽へと溺れてゆき、顔を上げ続けることができなくなっていた。生きているはずのない彼女、私が死地へ追いやった彼女、嘘によって現れている単なる像。でも、その言葉は空しいほどに正直だった。随分と都合のいい考えかもしれない。自分勝手な思い込みに過ぎないかもしれない。でも、確かな現実であり、これから私が歩まなければならない新たな道の標なのかもしれない。

「貴方なら、私よりはもう少し幸せになれると思うわ、ダチュラ」


私の名前を呟くように発したのを最後に、あの子の姿は夜の闇へと溶けて消えていった。私は一頻り大きな慟哭をもってそれに応えた。一柱の神格と一人の女王が死に、しかし一つの世界が死ななかった場所に崩れ伏した女の背に、今はただ仄かな月光だけが投げかけられていた。

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